私たちの師匠は良い人 作:イエス
どうぞよろしくお願いします。
「良い天気だ」
雲一つのない晴天。
仰向けに倒れた俺の視界には一切の障害物もなく、どこまでも淡く広い青空のみを映していた。
不意に頬を撫でる柔らかい風。
ほのかに体は熱を伝える暖かい日差し。
風に流れて揺れる、ザァザァという草々の音。
それらがとても心地よい。
「気持ち良いな」
ポツリと呟く。
屋内での睡眠や風呂もいいが、こうして外に出てみるのも悪くないなと心底思う。
こんな日に。
よりにもよって、こんな日に、何故。
そんなふうに思った瞬間だった。
日常ではなく異常を知らせるような、耳につんざく甲高い響音が辺りに轟く。
弾かれるように飛び起き、次いで音の発生源へ視線を向ける。
街の中心に、黒く暗い雷のような巨大な球が出現していた。
球付近の建物が倒壊するのが遠目から見え、遅れて建物が倒壊する音が耳へ届く。
日常が壊れるような音だった。
「迅が言ってたとはいえ……マジかよ」
うめくような言葉が溢れた。
俺は懐のトリガーに手を伸ばして軽く握ると、小さく「トリガーオン」と告げる。
換装。服装はそのままに、腰に一本の刀が現れる。
音の発生源へと、俺は全速力で駆け出して。
駆け出して──……
♢
「んぅ?」
瞼をゆっくりと持ち上げる。
ソファに座り込み、背もたれへ体を預けるように倒れていた俺は遅れて寝ていたのだと気づいた。
つまり、だ。
「……ずいぶんと、懐かしい夢を見たな」
わずかに口端に垂れていた涎を指で拭いつつ、もう片方の手で自身の額を何度か小突く。
徐々に意識が覚醒し、周囲の状況へ視線がいった。
両隣には男性二人。
右の彼は身体に力はなく、上半身をソファの端から飛び出し、白目を剥きながら口をだらしなく開いていた。まるで口から魂でも飛び出ていそうな風貌だ。
左の彼は右の彼とは異なり、両膝に両腕の肘を乗せて手を組み、そこへ自身の額を当てた状態で硬直している。まだ頭が起ききっていないせいか、なにやら色素が薄く灰色がかってる気がする。言うなれば燃え尽きた様子だ。
そして、俺含めた三人の目の前にあるのは机。
通常よりも油が濃いせいか照明の光を反射して、キラキラと煌びやかに輝く炒飯が三つ置かれていた。
あ〜……うん。思い出した。
俺は地面に落としてしまっていたスプーンを拾い上げて、一口だけ食べられた痕跡が残る炒飯の元に置く。
次いで立ち上がると右の男の方へ歩み寄り、ソファから飛び出ている彼の上半身の、側頭部に右手を乗せて。
「よっ」
「ぐべッ」
下へと押し込んだ。
すると当然、ソファの端部分を起点にくるりと上半身が地面へ、ソファに残っていた下半身が宙へと持ち上がり、くるりと回転して地面へ落ちた。
蛙が潰れた時に溢すような声が彼から溢れた。
「………ッ!? ッ? ……!」
衝撃に驚いて急に意識を覚醒させたからか、なにか物を言うこともできず辺りを見渡して、俺の顔を見て、自身の右手を見る。
そこには硬く握られた、スプーンがあった。
「おはよう、太刀川」
俺がそう声をかけた彼の名は、太刀川慶。
このボーダーという組織において、ノーマルトリガーを用いる戦闘員の中で最強の男だ。
そんな彼、太刀川は俺の挨拶をきっかけに、徐々に状況を思い出したようだった。
「……まじかよ」
「うん、マジ。聞いてたより凄いな、コレ」
どうやら俺と同じように記憶に混濁があったようだ。
太刀川の呟きに、俺も苦笑いを浮かべながら机の上に炒飯に視線を移す。
今も、燦々と炒飯三つが輝いていた。
「俺、飯食って気絶したの初めてだ」
「うん、俺も」
戦慄するかのような表情で呟く太刀川の言葉に、俺も神妙に頷く。
俺、太刀川ともに気絶していた原因である、炒飯。
とある女性が俺たち三人に向けて作ってくれたものではあるのだが、伝聞では当たり外れが大きく、今回は外れも外れ、大外れを引いたらしい。
起き上がった時には懐かしい夢を見たとも思ったが。
「(アレ、走馬灯だったか〜)」
遠い目で天井を見上げる。
俺は初めて彼女の炒飯を食べることになったのだが、これほどの経験をするとは思わなかった。
かくいう太刀川は、これで二度目だ。
そして、残りの一人の彼はというと。
「堤……」
太刀川が悲痛な声を上げる。
堤大地。曲者の多い俺たち二十歳組の中で数少ない常識人として在る彼は今回で三回目であった。
俺と太刀川が一口ずつ炒飯を食べたのに対し、彼はおよそ半分の炒飯が皿上から消えていた。
そして、穏やかな表情で、地面を見つめている。
「やっぱり、起きそうにないな」
ペチペチと頬を軽く叩いてみるが、反応はない。
それを見て、俺はポケットから携帯を取り出すと、堤の回収のためにある人物へと電話をかけ始めた。
「随分と俺と扱いが違うじゃねぇの」
太刀川の時のような強引な起こし方とは異なり、優しい意識確認に彼はジト目で俺へ視線を送る。
そんな訴えに、プルルという携帯のコール音を聞きながら俺は太刀川へと向き直ると、ゆっくりと告げた。
「コイツ、生身なんだ」
「ッ!」
珍しく驚きで目を丸くする太刀川。
俺と太刀川は、事前に噂を聞き読んで生身よりも頑丈なトリオン体に換装して食事に臨んだのだが、堤は生身だった。
せっかく作ってくれた加古ちゃんに悪いから、と。
そんな思いから。
堤の勇姿に絶句する太刀川を横目に、俺は繋がった電話相手に堤の状況を伝えた。
「またかよ!?」という電話相手の声は、皆起きたばかりで静かな部屋内に、大きく響くのだった。
───
──
─
電話をしてから、大体二十分強。
残った炒飯を申し訳なく思いながら新聞紙にくるんでゴミ箱の底へ入れた後、その上に色々とカモフラージュ用のゴミを入れた俺たちは、部屋内に置かれていたTVゲームを遊んでいた。
何故ここにゲームが、と思うだろうが、この部屋はボーダー最精鋭とされるA級部隊の一位『太刀川隊』の隊室。
ここには、太刀川隊のオペレーターである国近柚宇の私有物であるゲームの数々があるのだ。
「隙あり!」
「効かん!」
そうして何試合目かになるスマッシュでブラザーズなゲームをしていると、不意に部屋の扉が開いた。
「おら、来たぞ。土産だ」
「いらっしゃいッス」
「どもっす」
タバコのようなものを咥えながら、土産らしきビニール袋を手に持ってやってきたのは諏訪洸太郎。
先の電話相手である彼は、現在も気絶状態の堤が所属する部隊の長である。
基本的に学生が多いボーダーにおいて、俺たちよりも年上である貴重な先輩だ。
彼はソファで寝かしつけられている堤を見て苦笑いを浮かべた後、俺たちの方へ視線を移した。
「お前ら、仮にも先輩が土産持って来たんだぞ。もっとありがたがれ。せめてコッチ見ろ」
「うっす、アザっす、見れないっす」
「あざます」
彼の言い分に雑な返答をしつつ、やはりというか彼らの視線はTVゲームの方で固定のままだ。
諏訪はそんな二人に慣れた様子でため息をつくと、並んで操作している彼らの間に入り、各々の肩へ腕をかけた。
「次混ぜろよ。その性根を叩き直して、ごめんなさいさせてやる」
「りょ〜かいです。あ、コントローラー、右の棚にあるんで取ってください」
「おう」
諏訪の言葉に太刀川が返す。
その間にも俺は個人ランク戦ではありえないであろう一進一退の攻防を太刀川と交わしていた。
いつも個人ランク戦でボコボコにされてる分、ゲームだけでもと力を入れているわけなのだが。
「(なんか忘れてる気がする)」
言いようもない不安のようなものが喉元まで上がってきているのだが、完全に思い出すことができない。
炒飯を食べたことによる記憶の混濁の影響なのだろうが、まぁ、思い出せないってことは大した用事ではないはず。
そう判断した俺は、目の前の太刀川を下すことを優先するのだった。
♢
「遅い」
太刀川隊と似た間取りの、とある一室にて。
机を挟んで向かい合う少女ら二人の内、黒髪の一人が不機嫌を隠さずそう呟いた。
女子らしく艶のある黒髪を前分けにしているためか、その表情も隠しようもなく、分かりやすい。
そんな彼女の名前は、熊谷友子。
襟ぐりの広く開いたボディスーツに身を包み、その長身に映えるようにしてふくよかに育った胸はボーダーでも屈指のものである。
「まぁまぁ、熊ちゃん。もしかしたら、何かあったのかもしれないよ?」
不機嫌に顔を歪ませる熊谷の対面で、なだめるように言葉を発するのは儚い雰囲気が印象に残る女性、那須玲だ。
那須も熊谷と同じ装いをしているのは当然のことで、彼女らは同じ隊のメンバー。那須を隊長とした、ボーダーでも二部隊しかいないガールズチームでもある。
現在表に出している感情の違いはあるものの、二人に共通するのはある人物を待っている様子。
どうやらその人物がやってこないことが熊谷の不機嫌の原因のようだ。
熊谷は那須の言葉に「い〜や」と首を振ると、続けた。
「これまでいつも遅れる時や何かあった時、連絡は絶対あった。連絡がないってことは忘れているか、寝坊してんのよ」
そう断言してみせる熊谷に、那須は内心で優しげに微笑む。
元々熊谷は誰かのミスなどで怒ることが少なく、次は気をつけてねと許してしまうことが多い。こうして怒って見せること自体が稀なのだ。
そして、この怒りの原因ともいえる人物の遅刻について言及は、相手の信頼と行動をよく理解していないと分からないものでもある。
長い付き合いである那須からすると、熊谷の怒りがかなり距離が近く、気を許した相手だからこそであることが手に取るように分かった。
「うん、それはたしかに。でも、確認しようにも携帯に反応もないし……どうする、熊ちゃん」
那須は首を少し横に倒しつつ熊谷にそう尋ねると、彼女はガタリと音を立てて立ち上がった。
「私が一走りで見つけてくる。どこにいるのか、大体想像つくし。玲はここで待ってて」
その言葉により那須の笑みが深くなるが、熊谷がそれに気づくはずもなく。
「うん、分かった」と那須が手を振ると、熊谷は駆け足で部屋の外へ出て行った。
さて、と熊谷が最初に向かった先は開発室。
トリガー関連のことで開発室に通うことが多い彼にとって、真っ先に思い浮かぶのがそこだ。
周りに気を配りつつ、熊谷の持ち前の運動神経で素早く階段を下りてたどり着いてみせると、そこに彼の姿はない。
良く話をしている開発の寺島チーフ曰く、今日は顔を出していないらしい。
ありがとうございますと頭を下げ、熊谷が次に向かったのは諏訪隊の隊室だった。
時間があれば諏訪隊の隊室で麻雀をしていることを知っていたためのものだったが、ここもスカ。だがその代わり、諏訪隊オペレーターである小佐野が情報を提供してくれた。
「さっき諏訪さんが太刀川隊の部屋に呼ばれてたよ〜」
「ありがとう!」
そうして確定情報を得た熊谷の速度は、これまでよりも僅かに足速になっていた。
階の異なる隊室へ向かうと少しずつ、少しずつ聞き慣れた声が聞こえて来た。
「え、マジか!?」
「うぉい! 道連れしようとしてなんでお前だけ死んでんだよ太刀川!」
「いや今の国近がヤバいでしょ! レバガチャ早すぎだ!」
「んっふっふっ、まだまだ鍛錬が足りんよ〜」
「いやいや! 俺たち四人がかりで柚宇さん袋にしてんのになんで死んでないの!? なんで返り討ちにしてんの!?」
「出水と諏訪さん。そんで俺もやられて、一対一か」
「チッ、ストックに差はねぇが、ダメージは有利だ! 国近のやつをやっちまえ!」
「……ッ! ……!!」
「あ、ダメだコイツ集中しすぎて聴こえてないぞ」
扉の前に立つと、興奮して大声である故か会話の内容も鮮明に聞こえる。
そして、その内容によるとどうやらゲームをやってるらしい。
少し荒れた呼吸を整えつつ、扉を開ける。
センサー式の扉なためスライド音がするが、盛り上がりを見せて興奮状態である彼らはまだ熊谷に気づかない。
一応よその部隊室なため、大声を上げることなく彼らの後ろの方へ待機していると、まず最初に出水が熊谷に気づく。
熊谷はニッコリと微笑んだつもりなのだが、出水はそれを見て顔を少し青くした。
「ほいほい、ほい。はい、トドメ」
「ぇ?」
不意に国近が手慣れた様子で操作、彼女の動かすキャラが相手のキャラへ確定のようなコンボを繰り出し、フィールドの外に出すと流れのままメテオでバーストしてみせた。
あまりの綺麗な流れに諏訪も太刀川も声が出ず、当の本人はか細く声をこぼすだけであった。
「ビクトリ〜」
見せびらかすように太刀川らの方は向き、Vサインをしてみせる国近。
その流れで彼女も熊谷の存在に気付いた。
それに遅れて、他の面々も熊谷の存在に気付く。
「……く、熊谷?」
「はい」
彼女を見て、ようやく思い出した彼は、機嫌を伺うようにして名前を呼んでみる。
まぁ、名前を呼ぶ前から機嫌など、それなりに長い付き合いである彼ならば見て取れるわけだが。
「怒ってる?」
「はい」
表情が変わらないのが怖い、と。
関係のない太刀川らですら感じていると、熊谷に向き直ってすぐさま頭を下げた。
「ごめん、忘れていた。本当に、ごめん」
言い訳せずに直球で謝罪する彼に、熊谷は数秒何も答えなかったが、次にため息をついて続けた。
「分かりました、私は許します。でも、ちゃんと玲にも謝ってくださいね」
「あぁ、分かってる。申し訳ない」
熊谷の言葉に、彼は申し訳なさそうにしながら頬を掻きながら返すと立ち上がり、告げる。
「すみません、先約があったの忘れていたので抜けますね」
「お〜う、次は個人ランク戦でやるぞ」
「俺も次ランク戦お願いします」
「んじゃ、こっちは麻雀な」
「また気が向いたらゲームやりましょ〜」
そう軽く挨拶を交わして、熊谷と共に部屋を出た。
扉が閉まったのを確認すると、廊下で再度熊谷へ頭を下げる。
「いやぁ、本当にごめん。久々ってのもあったけど、完全に記憶から抜け落ちてた」
「もう良いですよ、許しました。久しぶりに見てもらう分楽しみにしてたので、素直に忘れられたってのはちょっと悲しかったですけど」
「ほんとごめん」
許すと言いつつ、熊谷はジト目で見つめていると、なにか思い付いたかのように口を開いた。
「でも、本当に珍しいですね。いつもなら約束を忘れるなんてこと、ほとんどしませんのに」
それは先程那須といた時から思っていた、熊谷の素直な疑問であった。
これに関しては怒りとは関係ないのものであるため、いつもの調子で尋ねてみたわけだが、それに対しての回答はというと。
「うん、ちょっと、死にかけてたからかな……?」
「……ふふ、なんですか、それ?」
ふざけた内容ながら、表情や声色が真剣である様子に熊谷は軽く吹き出して返す。
そうして空気がほぐれたのを切っ掛けに、二人は那須隊の隊室へと歩き出した。
話すのが久々ながら、熊谷に対する彼の様子はほとんど変わりない。こうして歩く時に、熊谷の歩幅に合わせてくれていることに安堵する。
「柊さん」
「ん?」
「今日は何する予定ですか?」
ふと名前を呼ばれた彼、
熊谷の質問に柊は小さく笑みを浮かべて答えた。
「そうだな、二人を見るのも一ヶ月ぶりだからなぁ。まずは色々と話した後、軽く十本戦ってみようか」
「分かりました」
トラブルはあったものの、一ヶ月ぶりに柊と手合わせできることに、熊谷は改めて笑みを浮かべる。
本当に久しぶりなのだ。
一ヶ月という期間が空いたこともそうだが、顔を合わせる頻度も少なくなっていた。
同じ部隊ではないのにも関わらず、那須も熊谷も彼との距離は近い。
その理由はひどく簡単だ。
柊と那須、熊谷の三人は、那須と熊谷が入隊した時からの付き合いであり。
柊は初めてトリガーが触る二人に、使い方などを教授した人物であり。
そして、二人は。
「それじゃ、急ごうか」
「はい!」
柊の一番弟子なのだ。
なるべく早く更新します。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。