けれど、アナタはいつの間にか、随分先へと行ってしまって。
それでも私は、アナタと一緒だと信じているから。
私のトレーナーさんが、亡くなりました。
最初に一報を受けたのは、菊花賞に勝ってから数日後、自主トレーニングを終えた直後でした。
声が震えるのを堪えるように、たづなさんが連絡をしてくれて。
『マンハッタンカフェさん、落ち着いて聞いてください』
『トレーナーさんが、交通事故に遭われました』
その時はそれ以上の状況が分かりませんでした。
搬送された病院の名前を聞き、鞄も何も放り投げて、一目散に向かいました。
ですが、病室に着いたときには、何もかもが遅くて。
『……搬送中は弱々しくも必死にきみの名前を呼んでいたそうだが……ここに担ぎ込まれてすぐに意識がなくなって、そのまま……』
病室にいた関係者の誰かが、息を切らして入ってきた私にそう言いました。
連絡を受けたときから、どこかで予感はしていました。
ああ、きっと私は間に合わないんだろうな、と……。
「トレーナーさんの顔……見せていただいても、いいですか」
私の言葉に、ぎょっとした表情でこちらを見てくる人もいました。
『辛いかもしれませんよ』
「私は構いません……失礼します……」
医師の方が気遣うように言いました。
ですが強引に止めようとしないあたり、あまりにも酷い状況ではないようでしたので……。
顔にかけられた布を静かにめくると、トレーナー室で居眠りをしているときのような、穏やかな寝顔が目に入りました。
「……トレーナーさん……」
右側頭部から顎にかけては酷い傷があるのか、ガーゼで覆われていましたが。
いつも私を見守っていてくれた左目。
菊花賞を勝った際、喜びのあまり抱きついてきたときに触れ合った鼻。
私が大好きだった笑顔を作っていた口元。
それらは、昨日最後に会ったときと、何一つ変わっていませんでした。
「……女の子が、信号無視の車に撥ねられそうになってね。助けようと飛び出して、それで……」
「そうだったんですか……考えるよりも先に動いてしまう、この人らしいと言えば、この人らしいですね」
タキオンさんのトレーナーさんが、目元を拭いながら教えてくれました。
事故の際、二人は一緒に買い出しに出ていたそうです。
二人は同期で、特に仲が良さそうにしていましたから……きっと、辛さや後悔、悲しみも相当で……。
「すまない、カフェ……私が一緒にいながら……本当に、すまない……」
「謝らないでください……悪いのは、あなたではないんですから……」
実家のご家族の方は遠方にお住まいで、到着までまだしばらくかかるとのこと。
「……すみません。少し、一人にしてもらってもいいですか……十分程度で構わないので……」
「……分かった。しばらく談話室にでも行きましょう、皆さん」
私の言葉に頷くと、タキオンさんのトレーナーさんは、私以外の人を連れて、部屋の外へ出てくれました。
病室に一人残された私は。
「トレーナーさん、女の子を救ったんですね」
ガーゼのない、左の頬を撫でました。
「……頑張りましたね……その瞬間は、怖かったでしょう……死にたくは、なかったですよね……」
トレーナーさんの顔は、汚れ等はなく綺麗にしてもらっていて。
奇跡的に、ガーゼのない部分はほとんど傷がありませんでした。
「……こんなこと、最初で最後、ですね」
二人きりの部屋で私は身を乗り出すと、その唇に、優しく口づけをしました。
初めての愛情は冷たい返事を返してきて、これは現実なんだと、否応なしに突きつけてきます。
「こんなことになるまで、何も言えませんでしたけど……きっと、いつもは鈍いくせに変なところで聡いあなたは、私の想いに気付いていたんでしょうね……」
私の用事は、これで済みました。
一人にしてくれたタキオンさんのトレーナーさんたちを呼びに、病室を出ようとしたのですが。
「……でも……どうして」
それでも、その一言だけは、トレーナーさんに言わずにはいられなかったんです。
「どうして私と一緒にいることより……その子を助けることを選んだんですか……?」
私は、病室をあとにしました。
✝ ✝ ✝ ✝
トレーナーさんが亡くなってから二週間ほどが経ちました。
直前のクラシック勝利で目立っていたことも相まって、『菊花賞バ、マンハッタンカフェの身に起きた悲劇』として、スポーツメディアは連日、私とトレーナーさんの話で持ち切りでした。
「……放っておいて欲しいんですけどね……」
放課後、誰もいなくなった教室で呟きます。
「年頃の学生なんですから、もう少し気遣って欲しいものです……あなたもそう思いませんか……?」
『お友だち』にそう問いかけると、うんうんと頷いてくれました。
メディアの直接取材はトレセン学園が受け皿になって防いでくれていましたが、情報が手に入らないせいか、どのメディアも勝手なことを書き並べていて。
きっと……私が涙ながらにトレーナーさんとの思い出を語ったり、半狂乱になったりしてる画でも欲しかったんでしょうが……。
大半は『幼い少女を救った英雄の美談』でしたが、
「不仲説に恋人説、重圧に耐え兼ねて自ら……とか、挙句の果てには少女趣味があったんじゃないか、ですか……」
目立ちたい零細メディアやブロガー、配信者、逆張り好きなSNSユーザーあたりは、荒唐無稽な発言をしては毎日のように炎上しています。
本当に……バカバカしい……。
「……外野が何を言っても構いませんが……煩いのは何とかならないですかね……」
お陰様で、学園内でも腫れ物扱い。
元々学生の中では浮いていたので、それで困るような交友関係も大してありませんが。
それでも流石に、ルームメイトのユキノさんを始め何人かの顔見知りは、私のことを心底心配してくれているようで。
事故の翌日、ライスさんに涙ながらに手を握られたときは、自分のこと以上に申し訳無さしかありませんでした。
「私としては……そこまでのショックでもないんですけどね……」
そう話しかけると、お友だちの隣で聞いていた『トレーナーさん』が苦笑いします。
「何笑ってるんですか……大体はアナタのせいなんですからね……」
むっとして睨むと、トレーナーさんは慌てたように手を合わせて謝罪のポーズ。
「全く、相変わらず情けない人です……でもそんなところも含めて、私は惹かれたんですけどね」
そんなことをぼやくと、トレーナーさんは照れたように頭を掻きました。
お友だちは他の方々には見えないようなので、以前から、会話していると周囲から奇異の視線を向けられてはいましたが。
そこにトレーナーさんが加わったことでより一層、悪い意味でも心配されるようになってしまいました。
「それでも、私は構いません……二人と一緒にいられるのが、私の幸せですから……」
柄にもないことを言って、二人も嬉しそうに微笑んでいると。
がらりと、教室のドアが開きました。
「やぁやぁカフェ、ここにいたのかい!」
「……また煩い人が来ましたね……」
「そんな寂しいことを言わないでくれたまえよ、私と君の仲じゃあないかぁ!」
ある意味メディアよりも鬱陶しくて面倒な、タキオンさんその人が現れました。
流石のタキオンさんも事故から数日は不気味なくらい静かでしたが……このところは以前にも増してやかましくて……。
「それで考えてくれたかい? 私のところで一緒に、モルモット君にトレーニングを見てもらう話は!」
「……はぁ……何度も言っていますが、緑色に発光してる方から教わる気は、なかなか起きないと思います……」
「えーっ!? なら虹色ゲーミングカラーならどうだろう?!」
「尚更御免被ります……」
『なら』って、その自信はどこから来るのでしょうか……。
そもそも、発光してるのが嫌なのであって。
そのせいでアナタたちは、私とは全く別の意味で学園内で浮いてる存在じゃないですか……。
「そうかい……名案だと思ったんだが……」
残念そうに大きなため息をつくタキオンさん。
その姿に改めて、このところ感じていた違和感を覚えました。
「仕方ない、また日を改めるとしよう。では、私はモルモット君の筋肉を肥大化させる実験に……」
「待ってください」
教室を出ようとするタキオンさんを、私は呼び止めました。
「聞きたいことがあるんですが」
「なんだい?」
「……どうして……そんなに私のことを心配しているんですか……?」
ぴたり、と。私に背を向けたまま、タキオンさんが止まりました。
返事はありません。
「演技が下手なのに、無理をして何を隠しているんですか……? 最近のタキオンさんは、浮足立っているのを隠すために、テンションを無理矢理上げているようにしか見えません……」
「……我ながら上手いことやれてると思っていたんだがねぇ……」
「何を気にしてるんですか……?」
タキオンさんからは先程までの大袈裟な声色が消えて。
こちらへ振り向いたときの表情は、まるで皐月賞に挑んだときのような、真剣な面持ちでした。
「カフェ、きみはあれ以来、ずっと自主トレーニングをしているだろう?」
「はい……それが、何か……?」
確かに傍から見れば、GⅠバがトレーナーも付けずに走り続けるのはおかしく見えるでしょう。
ですが私は、みんなには見えないトレーナーさんが適切なメニューを指示してくれているので、何も心配はいらない、と。
お友だちのことも知っているタキオンさんには、既に説明済みのはずですが。
「先日お話しした通り、タキオンさんには見えないでしょうが、トレーナーさんが……」
「だったら何故!!」
私の言葉を遮るように突然、タキオンさんが俯きながら叫びました。
「カフェ……だったら、何故……」
絞り出すようなタキオンさんの声が、教室に響きます。
「何故、あれからずっと……あの事故の前日に指示されたトレーニングしか、していないんだい…………」
ぽたり、と。
小さな雫が、タキオンさんの足元に落ちました。
「それは……トレーナーさんがそう仰るので……」
「カフェのトレーナー君は! 確かに情けないところもあったし、抜けているやつでもあったが!」
タキオンさん。
何故、あなたは。
「ウマ娘の育成理論に関しては的確で、決してこんな、意味のないトレーニングをさせ続ける人ではなかった!」
何故あなたは、泣いてるんですか。
「そう言われても困ります……ですよね、トレーナーさん……」
「カフェ!!!」
大きな一歩で私に迫ったタキオンさんは、大声で私の名前を呼ぶと。
そのまま、涙をぼろぼろと溢しながら抱きしめてきました。
「カフェ……そこには、誰もいないんだ……トレーナー君は、そこにはいないんだ……!」
「……そういう反応には慣れてます。別に、見えないアナタに信じて貰えなくても、私は……」
「違う……違う、違う、違う、違う!!」
泣きながらタキオンさんは、何度も何度も首を左右に振り乱して。
「確かにカフェには、私たちに見えないモノが見えるのかもしれない! お友だちとやらと話している目を見れば、そのすぐ先に誰かがいるのは分かるさ!」
タキオンさんの震える声。
強まっていく、抱きしめる腕の力。
「でも、トレーナー君と話していると言うとき……きみはすぐ目の前ではなく、遥か遠くを、虚ろな目つきで見ていて……」
私は何もせず、ただ棒のように立ち尽くしていて。
「カフェ……きみは、何を見ているんだい…………」
「私は、ただ……トレーナーさんを……」
「っ…………ぐ、ぅ……ぅく……」
そこから先、言葉を発せずに涙を流し続けるタキオンさんの肩越しに。
トレーナーさんはいつもと同じように、私が一番好きな笑顔を浮かべていました。
真面目なお話です。
一応死ネタですが、胸糞でもメリバでもありません。
カフェトレとカフェタキ(友情)を両立したらこうなりました。
自分なりに、切ないけど綺麗なお話を。
一筋の光を目指して。