転生したけど米なかった   作:イナバの書き置き

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第1話「白米無き世界」

 転生したけど米なかった。

 それどころか異世界にありがちな日本っぽい極東の国家すら見当たらないと気付いたのは、5歳の誕生日に貴重な世界地図を買ってもらったその日の出来事だった。

 

「信じられん……」

 

 何度探しても、目を皿のようにしても、無い。

 見た感じ大体転生する前の地球と似たような感じな癖に、あの何とも言えない形の島国だけ綺麗さっぱり消えてしまったのだ。

 勿論、地図が正確でない可能性は高いが。

 知る限りでは所詮は測量法もまだ確立していない世界なので、この「如何にも」な地図が嘘を言っている希望は12年経った今でも捨てていない。

 だが。

 だが、やはりどうしても「今」、「この場に」米が無いのだけはどうしても許し難かった。

 我慢ならなかった。

 だってそうだろう。

 

 米は──それも炊きたての白米は日本人の魂だと言うのに、それが無いのだから。

 

 例え転生したとしても1ミリも揺るがない、米への渇望が俺の中に存在しているのだから。

 あのモチモチ感の、噛みごたえの、温かさの虜だった。

 だから異世界転生しても当然白米とは共にあると思っていたし、その美味しさを噛み締めて生きていくものだと思っていた。

 あぁ、いたとも。

 しかし。

 

 ────麦粥

 

 あれは俺の敵だ。

 幾ら故郷が自給自足で精一杯の寒村だからと言って、ほぼ毎食麦粥が出てくるのでは現代日本人は苦痛を感じるしかない。

 況してや世界が世界。

 地球であれば中世から近世位の文化水準と思われるこの世界では「料理のさしすせそ」すら調達出来ない。

 全てが薄味、或いは素材の味。

 貧弱極まる食文化に、日本人ソウルは疲弊を余儀無くされていたのだ。

 だから────

 

 

 

 

 

 

 だから俺は、日本的なアレを探して秘密結社のパシりなんかをやっている。

 

 

 

■■■

 

 

 

 それを一体、どのように表現すれば良いのか。

 住居は尽く損壊し、柵の先端には苦悶の表情を浮かべた村人が何人も串刺しにされ事切れている、さながらこの世の地獄とでも言うべきか。

 そして──夜闇に沈んだ村を徘徊する、大柄な人影。

 けれど、それは惨事から逃げ延びた幸運な村人ではない。

 寧ろ死んだ方がマシだと思える程に、それは不幸な状態にある。

 

「……うわぁ」

 

 あまりの痛ましさに、思わず息を呑んでしまう。

 それは人と蠍を無理矢理融合させたかのような、醜い異形だ。

「鋏」へと変貌した右腕は毒々しい紫色の甲殻に覆われ、殆ど骨と皮だけになってしまった顔から、彼女が十代後半の女性である事が窺えるが──それが分かった所で何になると言うのだろう。

 何度も目にしてきた光景ではあるが、やはり慣れるモノではない。

 

 木陰から注意深く観察してみれば、かつて目があった窪みからは黒く濁った血液が垂れ落ち、左腕はただ変色するだけで所々に縫合した跡も残っている。

 かなり杜撰な感じから見るに、急場凌ぎの「現地調達品」と言ったところか。

 とは言えご自慢の死体軍団を国軍に討伐されて焦った死霊術師様は自分のような木っ端ハンターにさえ作品を惜しまぬつもりらしい。

 

(勝ち目、あるか……?)

 

 扱き下ろしておいて何だが、勝ち目はかなり薄い。

 何せアイツは簡単な命令しか受け付けず動きも鈍重な蘇生死体(リビングデッド)共とは訳が違う。

 曲がりなりにも死霊術師のハンドメイドであり、禁術によって筋肉を異常なまでに発達させられ代償として余命数時間になった「蠍」は、外見からは想像も出来ないスピードと筋力で行動するのだ。

 

 当然殴られたら死ぬだろうし、鋏で身体を切断されても医療技術の水準が著しく低いこの世界では真っ当な治療も望めない。

 それに重装かつ複数人で掛かるならまだしも、動き易さを重視してプレートアーマーすら着けていない1人で挑むのは無謀だ。

 普通に考えたら退くか、此方に向かっている筈の導師を待つのが正しいだろう。

 

「……いや、無理だな」

 

 だが、今回に限って撤退は許されない。

 死霊術師は()()()()()のだ。

 帝国東部の穏やかな農村で血と腐乱死体に塗れた「旗揚げ」をした奴が襲った村、街は僅か1ヶ月で17に及び、国軍を含めた死傷者数は累計4000を越えると聞く。

 これだけの犠牲を払って蘇生死体(リビングデッド)を殲滅したにも関わらず肝心要の死霊術師を捕り逃すなど、帝国と諸連邦の面子を考えるならば絶対にあってはならない話であり──その為に自分達のような日陰者も召集を受けたのだ。

 標的に繋がる手がかりを得られず手ぶらで帰れば、死霊術師の前に此方の首が飛ぶ。

 

 ……いや、正直に本音を言って良いのであれば今すぐにでも全部投げ捨てて遁走してしまいたいが。

 だって仮にも人間が造った化け物が、魔獣や野生動物以下な筈がないだろう。

 そもそもからして人を殺す為だけに生まれた異形が他に劣るなど、絶対に有り得ない話なのだ。

 それに十字架だって、魑魅魍魎が跋扈するこの世界じゃ何の役にも立たないし。

 8割ぶっ殺される。

 

「死にたくない。ない、けど……」

 

 まぁ戦って死ぬか特に何もせずに処刑されるかのどちらか一方を選ぶのだったら戦って死ぬ方を選びたいが。

 覚悟と言うよりはもう殆どヤケクソになった俺は、それをなるべく押し殺して背負っていたマスケット銃を構える。

 

(運が良い、か?)

 

 幸いにも「蠍」はまだ此方に気付いていない──ならば兎に角、1発撃ち込める筈。

 肥大化した頭蓋をマスケットの威力で貫徹するのは恐らく不可能だろうが、先ず先制して攻撃出来れば話は変わる。

 例え改造されていようが、相手が生物である以上頭部への打撃は有効なのだ。

 

「────」

 

 擊鉄を起こす。

 相手はやはり気付いていない。

 村のド真ん中に突っ立って、ぼうっと虚空を眺めている。

 

(いや、こんな奴に出会した時点で最低か)

 

 等とぼやきつつも、これもまた幸運の1つだと自覚する。

 混ざったのが優れた嗅覚や音波を用いる犬や蝙蝠だったらこうはいかない。

 鳥と融合させられて飛ばれたりしても打つ手無し。

 それに比べたら毒はあれど特殊な索敵手段は持たず、地上を走り回るしか出来ない蠍を混ぜてくれたのは本当に幸運としか言えないだろう。

 

「────」

 

 引き金に指を乗せる。

 2発目は、無い。

 弾が無いのではなく、装填している時間の方が無い。

 この世界に普及している銃の殆どが前装式な上に、まだフリントロック式への交換も遅々として進まない──つまりはほぼ火縄銃なのだ。

 後装式等という叡智の結晶は未だ見たことすらない。

 

 とは言え「盾」はその潤沢な資金力を活かして自分のような木っ端にも貴重なフリントロック式を渡してくれたが、威力も精度も思った程は期待出来ないし一々火薬を流し込んで弾を込めていたりしたらその間に殺される。

 使い勝手は最悪だ。

 だが、それに頼らねばならないのが現実。

 大して威力がなかろうが何だろうが弓に頼るよりかはよっぽどマシなのだから、使える物は使っていくしかない。

 

 そんな「盾」への愚痴を心の中で呟きながら、指先に力を込めて────

 

「■」

「ッ!?」

 

 銃声が響き渡ると同時、「蠍」が弾かれたように振り返り──右の眼窩へと弾丸が飛び込む。

 だが、そこまで。

 ぐらりとよろめきこそすれど倒れはしないのが、狙いは良かったけれど銃弾が頭蓋の内側へと届かなかった何よりの証拠だった。

 分かっていた事とは言え、悪態が漏れる。

 

「──っ、クソっ!」

 

 びゅうびゅうと紫色の液体を噴き出す穴が此方を捉えたその瞬間、ただの重荷と化したマスケットを投げ捨て全力で飛び退く。

 次の一瞬、殆ど助走すら付けずに跳躍した「蠍」の拳が自分の隠れていた木を真っ二つに叩き折る。

 鎧を着ていようが直撃すれば問答無用で肉塊に変わる事間違いなしな一撃。

 村の人々もこれを喰らってミンチにされてしまったのだろう。

 家々のあちこちに赤い染みが広がっているのは木陰からでもよく見えていた。

 

「■■■……」

 

 眼前に着地した「蠍」の背中は、ゆっくりと体を起こすまでに一層グロテスクな変貌を遂げていた。

 ゆらゆらと揺れる、()

 如何にも蠍らしい、先端に毒針の付いた5節からなる尾が俺を突き穿たんと様子を窺っている。

 そしてムンクの「叫び」のようなとても人とは思えない顔は此方に向けられたまま。

 完全に殺しにきている。

 まぁちょっかいをかけたのは俺なのだから、当然だが。

 

 そこからは兎に角──避ける。

 鋏に当たっても死ぬ。

 毒針で突かれて死ぬ。

 普通に殴られて死ぬ。

 兎に角ありとあらゆるパターンで死ねる。

 一撃一撃自体は然程素早くないけれど、接触1つでポックリ逝くから無様に転がって逃げまくる。

 

「■■■!」

「うるせぇ!」

 

 鬱陶しさを感じたのか、「蠍」が吼える。

 そりゃあそうだろう。

 俺だって目の前で蜂がブンブン言いながら飛び回っていたら鬱陶しく感じるし、払い除けるなり叩き落とすなりしたくなるに違いない。

 そうして突きでは足りないと考えたらしい「蠍」は、尾の動きを次第に薙ぐような動作へと変えていくが──その大振りが隙となった。

 

「おぉらぁッ!」

「■!?」

 

 鋏も尾も振り切ったその瞬間、「蠍」の肩に全力でタックルする。

 かなり体格差はあったが、森の中と言う足元の不安定な場所もあってか「蠍」はべしゃりと仰向けに倒れ、その間に紐で腰からぶら下げていた武器を構える。

 

「死ね」

 

 先程のマスケットよりは銃身が短く、銃口が広がった形状の火器──半年前に異形討伐の報酬で買った、最新式のブランダーバス(喇叭銃)

 その先端を頭部に押し付け、相手が何かするより早く引き金を絞る。

 

 銃弾で頭部を破壊されれば、3種以上を合成した合成獣(キメラ)のような例外を除く大体の生物は死ぬ。

 よって超至近距離から放たれた12発の鉛玉は拡散しながら「蠍」の肥大化した頭蓋を容赦なく貫通し、短い悲鳴と脳漿の華を草むらに咲かせ──死を迎えた。

 全身が弛緩し、毒針も地面に落ちる。

 

「よし……!」

 

 勝った。

 思った以上にアッサリだったが、兎に角勝った。

 実力だろうが運だろうが策略だろうが、最後に生きてるヤツが勝ち──つまり俺が勝ったのだ。

 それもこれも、喇叭銃があればこそと言える。

 

「高い金払った甲斐があったな……」

 

 これもまた、再装填の事を考えていない1戦闘に1発限りの切り札だ。

 銃専門の鍛冶──所謂ガンスミスが作った物であるが故に整備出来る場所は限られるし費用だって馬鹿にならない金食い虫だが、近距離での威力は保証されている上に最悪の場合は砂利や瓦礫も弾丸の代わりにできるから個人的には結構気に入っている。

 そんな愛銃に感謝をしつつ、取り敢えず腰に差しておこうと銃口を持ち上げて──ズタズタに引き裂かれながらも不気味さをまるで失わない「顔」が未だに此方をハッキリと捉えていた。

 

「────ぉ」

 

 お前、と言い切る事は出来なかった。

 頭蓋を撃ち抜き殺したと思っていた相手がまだ死んでないと気付き咄嗟に横へ転がった次の瞬間、一瞬前まで自分がいた空間を毒針が穿つ。

 体勢を整えようと試みるが、「蠍」はそれよりもずっと速い。

 立ち上がろうとしたその時にはもう胸ぐらを掴まれ、地面に叩き付けられる。

 

「■!■!■!」

 

 苦しいなんてもんじゃない。

 痛すぎてマトモに声すら出せない。

 1度、2度、3度。

 背中が地面を強打する度に肺から空気が追い出され、骨が軋み、口の中に血の味が広がった。

 そうして何度も玩具にされた挙げ句に、突然放り出される。

 

「あ゛ぁ……クッソ……!」

 

 全身に走る痛みに顔をしかめつつよろよろと立ち上がれば、其処は先程まで「蠍」が立っていた村の中心部だった。

 つまりは、狩る側から狩られる側へ。

 一転して立場が逆転した「蠍」は、優越感に浸っているのかおぞましい金切り声を上げて正面から此方に向かってくる。

 その足取りはおぼついていないように見えるが──もう決着は見えた。

 ただ何回か回避するだけなら兎も角、反撃に転じられる体力は無いし、何なら武器なんてソードブレイカー位しか残されていない。

 剣と魔法の世界に()()したは良いが魔法を学ぶ事すら許されなかった俺に、真っ当な対抗手段など残されている筈も無いのだ。

 

(これは、死ぬかも)

 

 いや、死んだわこれ。

 殴られて挽肉になるか柵に放り投げられて串刺しにされるかは分からないが、もう後数十秒後には間違いなく屍を晒す事になる。

 そんな己の末路を悟って────

 

()()

 

 まだ。

 まだ諦めるには早すぎる。

 だって、俺はまだ立てている、歩けている、一撃位なら避けられる。

 もうすぐ死ぬけどまだ死んでない。

 

 それなら何かが、この窮地を切り抜けられるような「何か」がある筈だ。

 考えろ。

 大して良くもない頭を使って、いや捻って?

 兎に角頭を、頭、あたま────頭?

 

「……頭か」

 

 そう、頭部への攻撃は致命傷とはならなかったが決して無意味ではなかった。

 現に此方に走ってくる「蠍」は2、3歩進むごとに不自然に姿勢を崩しているし、最初のような跳躍を見せる気配も無い。

 つまり、鉛弾は相手を殺害する事は叶わずとも平衡感覚をある程度奪う事には成功しているのだから──まだ手の打ちようはある。

 

「ッ!」

 

 眼前に迫った「蠍」が右手の鋏を振り上げたその刹那、身を屈めて脇をすり抜ける。

 そして背後に回った俺の方へと振り向こうとする、その足。

 軽く引っ掛けてやれば、それだけで「蠍」はバランスを崩して倒れこんだ。

 この好機は逃がさない。

 逃せば、今度こそ死ぬ。

 

『ああああああああっ!?』

 

 ありったけの殺意を乗せて鞘から抜いたソードブレイカーを足首に突き刺せば、異形の口からは化け物に似つかわしくない──人間の女みたいな悲鳴が上がった。

 この手の人造人間(サイボーグ)にありがちな、窮地に追い込まれた時に生前の人格を部分的に再現して同情を誘おうとする卑劣で醜い機能だ。

 どうやら死霊術師は急造品にも手抜きはしないマメな性格らしいが、それは足首を抉る手を止める理由にはならない。

 所詮は死人の声帯を使った悪趣味でしかなく、ここで同情しても意味はなかった。

 

『いだいよおおおおおおおお!!!』

 

 足首の筋肉を丹念に、ぐちゃぐちゃに破壊して2度と起き上がれないようにしたら、次は尾を潰す。

 そうだ、例えどれだけ強力な毒があろうが、敵に付与出来なければそれはただの重荷だ。

 此方に狙いを定めようとする4節と5節の隙間にソードブレイカーを捩じ込んでグリグリと掻き回せば、それより先の──所謂「毒針」に相当する部分は瞬く間にくたりと力を失った。

 

『やだあああああおかあさああおああ!?』

 

 それにしても、本当に気分が悪い。

 此方の油断を誘う為の「機能」なのだとしても、自分の行いで断末魔の悲鳴を聞かされる羽目になるのはかなり気が滅入る。

 まぁ最初に改造人間と戦った時は堪えられずに吐いてしまっていたのだから、こうして手を緩めずにいられるだけでもかなり成長したと言えるのかもしれないが──やはり、簡単に割り切れる問題ではなかった。

 

『や、やだ……!やめて、おねがいやめてぇぇぇ!』

 

 或いは、もっと自分が()()()()()()強かったら──魔法を使えれば、こんな事をしなくても済んだのか。

 悲鳴すら上げさせずに塵に還せる程強かったら、こんな苦しい思いをしなくて済んだのか。

 分からない。

 考えたって答えらしい答えは見付からない。

 

『あ゛ッ、がッ、ぎゃっ』

 

 それでも、紫色の液体がべったりと付着したソードブレイカーを後頭部へ振り下ろす動きは止まらない。

 声を出している限りは、死んでない。

 標的が動かなくなるまで、完全に死んだと確証を得られるまで暴力を止めてはいけない。

 俺が「盾」で初めて学んだ戦術。

 異世界に抱いていた夢や希望が崩れ去った、あの呪いにも近い教えを忠実に守りひたすら剣を突き立て続ける。

 

「……死ん、だ?」

『……、……』

 

 態々自分に問い掛けるまでもなく、3分も動作を繰り返せばそいつは今度こそ死体になっていた。

 時折痙攣するだけで、何をやっても反応が無い。

 いや、脳味噌を殆ど掻き出したのだから当然か。

 ここまでやって生きていたら逆に驚きだ。

 

「……南無」

 

 取り敢えず立ち上がって、うつ伏せの死体に手を合わせる。

 殺されかかったのは事実だが、元はと言えば「蠍」の素材にされた人だって被害者だ。

 この世界に仏様はいないと思うけれど、もし彼女に「次」があるならまぁ、なんと言うか、もっと幸せな時代とか世界とかに生きて欲しいモノだ。

 という訳で。

 

「なーんか隠せる物ないかなぁ」

 

 先ずするべきは死体の保全だ。

 探知系の魔術が使える導師なら、この亡骸を用いて死霊術師の跡を追うのだって難しい話ではないだろう。

 すっかり弛緩しきった「蠍」を引き摺って適当な家の中に運び込み、シーツを拝借してかぶせておく。

 心底嫌だったけれど、敵だけに限らず味方にもこう言う事をするのはもう慣れきっていた。

 本当にクソだ、この世界。

 現代日本が恋しくなってくる。

 

 それにさぁ。

 せめて()()さえあればさぁ、まぁ異世界も悪くないかなって思えたんだけどさぁ。

 無いんだよな、漫画とかだったら異世界でも大体出てくる()()が。

 

「あーあ、せめてほっかほかの白米でもあればモチベ出るんだけどなー!」

 

 ぼやいた所で、月はただ此方を見下ろすばかり。

 されど異世界に転生させられてから早17年──米粒1つだって見付けられず、日本っぽい国家も見付けられず、秘密結社のパシりとして使い潰されるお先真っ暗な運命に深い溜め息を吐くしかなかった。

 

 

 

■■■

 

 

 

「やっべ……!適当に投げちゃったけどマスケット壊れてたりしないよな……?もし弁償金で報酬減らされたら今月食ってけないぞ……」

 

 一頻り騒いだ後、落ち着きを取り戻した青年は「めんどいけどマスケットの状態確認しに行こ」と重い体を引き摺って放り捨てた銃の回収へと向かう。

 そして彼の姿が森の木々に隠れ、廃墟と化した村に静寂が戻ったその直後。

 何の前触れも無しに、空間が()()()

 

「へぇ」

 

 聞く者全てを萎縮させる威圧感と、子供のようなあどけなさを混ぜ合わせた歪な声音。

 同時に、空間の隙間としか呼べぬ黒い裂け目から雪のように白くしなやかな脚が伸びる。

 続いて手、紅の瞳、胴、そして──腰まで届く銀色の髪。

 裂け目が用を果たしたと言わんばかりに消失した後、息絶えた「蠍」の前に立っていたのは夜闇と一体化してしまいそうな程黒いドレスを纏った白銀の少女だった。

 

「手助けが必要かと思っていたけれど、中々やるじゃない」

 

 少女が感心したように呟きながら「蠍」に手を翳せば、その痛ましい亡骸は初めから其処に存在していなかったかのように消え失せた。

 消滅させたのではない。

 大魔術の一角たる空間転移を使って知に貪欲な「盾」の研究会へ送り付けてやっただけだ。

 まぁ突然異形の死体が降ってきた研究会の面々は今頃パニックに陥っているに違いないが、そんな事は彼女からすれば既に興味の外にある。

 

「恩は売れる時に売っておくのが生き残る秘訣……だったかしら?貴方の言う事はよく分からないけど、貴方がそう言うのならそれが正しいんでしょうね」

 

 貴方はいつも間違わなかったもの、と誰に向けた訳でもない独り言を囁きつつがらんどうと化した廃墟から1歩踏み出した少女は、次の瞬間先程まで青年が「蠍」を滅多刺しにしていた跡に爪先を付けていた。

 これもまた、空間転移。

 空間魔術に精通する者ですら入念な準備を必要とする大魔術を彼女は高々数メートル移動する為だけに使ったのだ。

 そうして地面に広がる黒い染みとその周辺をまじまじと見詰め──未だ乾ききっていない赤い染みが雑草に付着しているのを見付けた時、少女はその透き通るような美貌に相応しい、清廉な乙女の如き笑みを浮かべていた。

 

「あぁ、良かった。汚物の体液と混ざっていたらどうしようかと……」

 

 心の底から安堵した独白と共に少女はほっそりとした指先で血を拭い取り、口腔へと運ぶ。

 知れば誰もが嘆くだろう、帝国の宝と言っても過言ではない少女の体内に凡俗の血が侵入した事を。

 知れば誰が羨むだろう、即ち単独で国家に相当する力を持っていると認定された少女に着目されたその栄誉を。

 

「ん、美味しい……」

 

 だが、少女は己の行いによる影響などまるで考えていない。

 かつて村だった廃墟の中心で、見る者全てを魅了する美貌に恍惚とした表情を刻みながらじわじわと口内に広がる血の味を咀嚼し続ける。

 只でさえ帝国全土が阿鼻叫喚に陥りかねない事をしている上に2000もの兵が死霊術師を追っている中にあっては到底許されない怠慢だ。

 人々に糾弾され、首を刎ねられても文句は言えまい──彼女が()()()()()()だったら。

 

「ふふ、ふふふ────」

 

 そう、廃墟の中心で笑う彼女にはその怠慢が許されている。

 帝国という国家そのものに背かぬ限り好きに振る舞い、好きに狼藉を働く権利が彼女には存在しているのだ。

 何故なら────

 

「──こんなにも、愛おしい」

 

 既にこの場を去った青年への密やかな愛を囁く少女──エリシア・フローレンスは、国家による「魔女狩り」が肯定されるこの世界に於いてその軛から逃れている、数少ない本物の魔女(最強)なのだから。


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