秘密結社「盾」から与えられた任務は既に失敗した、と言える。
それも部類としては大失敗、にカテゴライズされるであろう失敗具合だ。
何故なら──俺と見知らぬ少女を挟み込んだ「揺籠」は既に地上へと上がってしまったのだから。
「ま、魔獣!?何で魔獣がこの貴族街に──ぎゃっ!?」
「いや!誰か!誰か助けぐぇ」
馬車が砕け、人が血飛沫と共に一瞬で肉塊へと変貌する此処は正に地獄絵図。
触手をうねらせあたかも海中の蛸のように地上を爆走する「揺籠」は、その道中にある一切合切を巨大な体躯で以て押し潰しながら進撃を続けていた。
勿論人とその他の区別は無い。
偶々その場に居合わせた勇敢で無謀な警邏が、如何にも貴族らしい宝石で飾った婦人が、ただそれの進行方向に存在していたと言うだけで無惨に轢殺されていく。
あまりにも残酷、あまりにも理不尽。
しかし──此方とて、その様な
「ん、ぐ……っ!」
ギャリギャリ、と外殻の隙間につっかえ棒として捩じ込んだ剣が悲鳴を上げ、閉じようとする卵の動きを全身で防ぐ俺の四肢に痛みが走る。
そもそもからして、地下水路をぶち破って地上に出たにも関わらず俺が煉瓦や土砂の直撃を受けずに済んだのは、こうして殻の隙間に体を突っ込んだからに他ならない。
消化液をかけて対象を溶かしながら魔獣を再構成すると言う「揺籠」の性質上完全に殻を閉じて相手を閉じ込めなければ目的は果たせず、ただ単に皮膚を爛れさせるか変色させる程度の粘液をぶっかける位しか出来なくなる訳だ。
そしてそれ故に体内は非常に柔らかく、腕力が強ければ素手で傷付ける事だって不可能ではない。
で、そんな部分に喇叭銃をぶち込まれればどうなるか。
「パニックになってんじゃねぇよ、この、クソ卵!」
苦し紛れの怒声も届かず、今度は恰幅の良い老人が挽き肉に変わった。
つまりは、俺の軽率な行いで複数人の死者が出てしまったのだが──これについては、少なくとも今深く考えるべきではない、と思う。
この世界は、同じ中世のヨーロッパで比較しても地球なんて目じゃない位残酷だ。
此処彼処で、毎日のように人が死ぬ。
盗賊に襲われ、魔獣に惨殺され、外道魔導師の実験に使われバタバタと死んでいく。
キチンと拓かれた街道ですら護衛がいなければ危険で、武器を扱えねば嬲り殺しにされるのが当たり前だから皆が死に慣れているのだ。
自分が死ぬとは考えなくても、つい今しがたまで隣で談笑していた友人が変死体になっているのも勿論当然。
だから俺も慣れなければならない、のだと考えたい。
少しでも生きたいと願うのなら、任務の最中に自分の行いで誰が死んでも動じず為すべき事を為さねば何も残らない、遺せないと教え込まれて──しかし、結局小脇に抱えた貧民の少女を見捨てられずにいた。
「あぁ、クソ……!」
己を詰れど返ってくる言葉がある筈も無く、気絶した少女は触れただけで折れてしまいそうな程痩せ細った手足を「揺籠」の動きに合わせて力無く揺らしている。
失敗も失敗、大失敗だ。
この痩せぎすの少女を爆走する魔獣から放り出したとしても、路上に叩き付けられて重傷を負う以外の路は無い。
そして貧民である彼女が十分な治療を受けられる見込みも無い。
つまり今や自分とこの少女は一蓮托生と言う訳であり──こんな事になる位だったら溺死や轢死の可能性があっても水路に落とす方に賭けるべきだった、と後悔が頭を過る。
「上げて落とすタイプの異世界かよ……!?」
転生した!と思ったら都合の良い特典なんて無かったし。
漸く米の調査に向かう足掛かりが出来るかも!と思ったら
魔術による空想の産物とは言え米に出会えた、と思ったらこの始末。
どうやらこの異世界は転生者に希望を与えてから奪う手法に長けているらしい。
だが──だが、ただでは死ぬものか。
世界そのものにげんなりしつつはあるが、それでもこの魔獣は刺し違えてでもぶち殺す。
────魚醤の、仇だ。
苦労した。
本当に、苦労したのだ。
まだ製法が洗練されていないこの時代では魚を塩と一緒に漬け込んだだけの物でしかないが、帝国では南部の漁村でしか作られていないこの
何せ「盾」の任務で住居を転々としているのだから自分で漬け込む暇もスペースも無い。
仕方なしにあちこちの商会を駆けずり回り、只でさえ銃の整備でカツカツなのに報酬何ヵ月分も注ぎ込んで、絶対に届くよう荷物の護衛の手配も自ら行って。
なのに、まだ半分も使わない内に粉々にしてくれやがった。
ポーチの中で特注の瓶が砕け、内容物が布に染みていくのがハッキリと分かる。
努力の結晶が、炒飯の夢が、潰えてしまった。
最早許してはおけぬ。
人の命、少女の命、魚醤の仇。
これら3つの要素を考慮すれば「揺籠」を生かしておく道理等存在せず、是が非でもぶち殺す以外の選択肢は有り得ない。
「何か……何かないのか!?」
だが、武器が無い。
直剣はつっかえ棒として使ってしまい、ソードブレイカーはエリシアの手に。
喇叭銃は最初に「揺籠」に撃ち込んでしまったからただの棒切れ。
片手は少女で塞がっているからリロードも儘ならぬ。
戦う意志があっても、戦う術が無い。
武器が無ければ人は戦えないのだ。
それが人と人との言論による闘争であるならまだしも、言葉が通じず人を殺す事だけを目的として生まれた歪な生命体相手に声での闘いは通用しない。
実力の行使以外に生き残る術など存在しない。
「……畜生」
今この瞬間でさえ貴族街は滅茶苦茶に荒らされているのに。
せめて、ソードブレイカーさえあれば。
こう言う狭い空間でも気兼ねなく振り回せて、加害力もある程度保障されているあの剣を、エリシアに渡してさえいなければ──エリシア?
「……うん?」
ふと記憶が過る。
あれはそう、ハルトマンが持ち込んできた無粋な依頼を受けると決め、炊き込みご飯を平らげたその直後。
「鍋は……食器はどうした?」
調理の際に使用した鍋は、果たして一体どうしたか。
エリシアが使った食器は、果たしてどのように片付けられたのか。
エリシアは本当に
「……」
思い出せない。
米との遭遇に舞い上がるあまりに、その辺りはすっかり失念していた。
とは言え、朧気な記憶の中では米一粒残さず綺麗になった器を洗っていた、ような気もするのだが──如何せん、自信は持てない。
つまりは、
(……ヤバいぞ)
これは、ヤバい。
未だかつてない窮地が、思いもよらぬ方向から襲ってきている。
何せエリシアの「新世界」の能力は未知数。
彼女が作った仮称稲には繁殖する機能が備わっているのか、そもそも彼女は植物の繁殖についてどれだけの知識を保有しているのか、何より半径12mから離れた物体がどうなるのか──俺は全く知らない。
そしてこの世界の住人の環境に対する意識は、控え目に言ってかなり低い。
地球に照らし合わせれば小氷期が訪れ疫病や飢饉が蔓延っている時期の筈なのに、何故か「こちら」は未だ温暖なのだ。
当然農作物はよく採れるし資源は余る、浪費もするし豪勢な建築物だってポンポン建てる。
彼らはまだ「環境問題」や「外来種」と言う言葉さえ知りはしないのである。
で、あれば──
もしだ。
そんな世界に麦や雑穀を根刮ぎ駆逐する勢いで繁殖する謎の植物が現れてみろ──
(……全ての憎悪が米に向く)
そう、旧来の食物を好む人々は絶望に打ちひしがれ、穀物を飼料とする動物類は死に絶え、人々はより多くの米を求めて争いを起こすだろう。
考えるだけでも恐ろしいし、俺の望む所でもない。
人は米のみにて生くるに非ず、米はそれを引き立てる数多の料理の存在があって初めて真の輝きを放つ。
それに米が争いの根源になるなど──そんなのは地球だけで沢山だ。
「……ダメだ、もうこんな奴に構ってられるか」
破れかぶれでも復讐心でもない、正当な闘志がふつふつと心の奥底から燃え上がる。
この揺籠を抹殺するのは当然として、今死ぬ訳にはいかなくなった。
米について安全の確認を取れるまで、俺は死ねない。
「────おい」
ならば。
「起きろ、出番だ」
『────ひひっ』
ならば────切り札を使うしか、ないだろう。
貴族を轢殺しながら爆走する「揺籠」の殻に挟まった青年がポーチから取り出したのは、幾何学的な紋様が描かれた、見るからに怪しげな立方体。
ポケットに突っ込んでおけるサイズのその黒い小箱は、青年の手のひらでカチカチと機械的な音を立てながら駆動し──上下に開く。
『ひひ、ひひひひひ────』
4本の細い支柱に支えられた箱の狭間から覗いたのは、小さな玉──否、眼球。
シリンダーの中にアイスブルーの眼球が格納されているのだ。
そして、嘲るように響く声。
『使っちゃうんだ!使っちゃうんだ!』
高く、幼い少女の声音は間違いなく箱の内側──この髪束から発せられている。
目玉が物を喋っている。
しかし青年は、そんな怪奇現象に眉一つ動かさなかった。
それどころか、忌々しそうに──それはもう、今すぐにでも叩き壊してやりたいと言わんばかりの表情で小箱を睨み付けるばかり。
そう、彼は知っている。
この小箱の喋る言葉に耳を傾けるべきではない事を。
この小箱が自身も殺しかねない危険な物体である事を。
何故なら、この奇怪な喋る小箱は────
何処にでも存在する「死者の怨念」を集めて投射するマジックアイテムに他ならないのだから。
つまりは、小型の呪い光線発射機。
感情すら万能の物質であるマナによって魔獣と化すことがあるこの世界では、当然怨念も「道具」として使用する事が出来るのだ。
何せ四六時中魔獣の危険が付き纏うこの世界では、彼らへの恨みは底知れない。
なまじ人間だけを狙って悪辣に殺すから生存競争と割り切る事も出来ず、かと言って嵐や火山活動のように予測不可能な襲撃に納得する事も出来ず。
理不尽に命を奪われ続ける人々の憎悪は何百、或いは何千年もの間降り積もっている。
これを武器にできるのだとしたら──それはもう、凄まじい威力を発揮するのは間違いなし。
だが、その性質故に呪殺箱は人々から忌み嫌われる代物でもある。
『死んじゃうかもよ?いっぱいいっぱい死んじゃうかもよ?』
「……」
『黙っちゃうんだ!そうだよね、大人の人は都合の悪い事があるとすぐ静かになっちゃうんだ!』
「……15%で撃て」
『えー、どうしよっかなー?それより、折角お外に出してくれたんだからお話ししようよっ』
このマジックアイテムは、マトモに制御が出来ないのだ。
周辺のマナから怨念をチャージして投射するのだが、恨み等と言う負の感情を武器にして使う都合上目標を絞るなんて芸当はほぼ不可能、下手をすれば投射した瞬間に自分が目標となって即死する場合すら有り得る。
当然武器としては使い物にならないし、1度起動すればチャージから発射まで勝手にやってくれるからテロリズムには持ってこいの性能と来た。
帝国では真っ先に個人での所持が禁止され、「盾」でも発見次第即座に回収、封印が行われるのも致し方なしと言えよう。
しかも材料は
恨みを宿したマナはより強力な方へと引き寄せられる性質を利用し、惨殺した魔導師の体の一部を納める事で初めて呪殺箱は武器として成立するのだ。
勿論それそのものも怨念の塊なので人体に有害だし、帯びたマナの量によってはこうして喋ったり使用者に干渉したりもする。
『パパもママもすぐ静かになっちゃったからつまんない、私はただ色んな事を知りたいだけなのにさ』
「……」
『でもお兄ちゃんは面白いよね!死にそうなのに中々死なないもん!』
頼まれてもいない事をぺらぺらと喋り続ける様は正に武器未満。
名前を口にするのすら憚られるおぞましいこの物体を、青年は半年程前に「盾」の任務で襲撃した魔導師の隠れ家から押収していた。
いや、押収するところまでは良かったのだが──これが不幸の始まりだった。
『でも良かったでしょ?私を捨てないで良かったーって、私が
「黙れ、俺はお前みたいな気狂いの兄なんかじゃない」
『ひひ、怒った?お兄ちゃん、怒っちゃった!』
青年を「お兄ちゃん」等と呼ぶこの魔導師は、自分自身を呪殺箱に加工する頭のおかしい少女だったのである。
少なくとも彼が隠れ家に踏み込んだ時点で彼女は自分の体をバラバラ殺人よりも酷い位に分解していたし、その破片を様々なサイズの呪殺箱に納めて陳列してすらいた。
それも、まだ善悪の分別すら完璧ではない12歳で。
何人も殺したその果てに、「面白そうだから」と言う理由で青年に取り憑いている。
──気持ち悪い
同じ穴の狢だと知りつつも、内心で吐き捨てる。
彼女は殺人を殺人と認識していない。
自身も含めたありとあらゆる命を命とすら思っていない、無知で愚かで醜悪な魔導師の成れの果てだ。
精々虫の解剖とかその位にしか考えていないし──興味が赴くままに自分すら解体してしまった少女を、青年はどうしても同じ人間とは思えないのだ。
要するに理性がまるで存在しない。
不気味で、理解不能で、その癖向こうは此方の神経を全力で逆撫でしてくるのだから彼に取れる選択肢は無視一択のみ。
この様な危険物は「武器」の内にカウントしておける筈もないし、同じ人間と思う事すら青年には難しかった。
『いいよ、いいよぉ!お兄ちゃんのそう言う顔が見たかったの!』
「……」
『うひ、うひひひ……!その軽蔑するみたいな表情たまんなーいっ!』
だが呪いの小箱は彼の言葉など歯牙にも掛けず、紫色の不気味な光を放ちながら脈動を始めていた。
会話は成立するようで、実際は何もかも噛み合わない。
根底の価値観が人間とは違う──それこそが自身を168に分割し、その全てを呪殺箱に加工する事で不滅の自我を得た
怨みではなく「面白そう」で他人を呪う、決定的に人ならざる精神構造を持つ気狂い。
故に──より状況を悪化させる方に彼女は動く。
『うんうん、そんな可愛いお兄ちゃんの為に出力20%に上げちゃおっと』
「────は?」
『ついでに拡散もオマケしてあげる』
独りでにぎょろぎょろと蠢く眼球の前で、収束された怨念のマナが環を形成する。
呪殺光線を発射直後に
しかしそれが出現したと言う事は、つまり。
うだうだと無駄話をしている間にチャージはもう済んでいたと言う事で。
「まさかお前、最初からそのつもりで────!」
青年は反射的に箱を閉じようとするも、全てが既に遅かった。
一際強く輝いた小箱の、その内側。
シリンダーの中で嗤う眼球が、角膜に刻まれた術式を励起させ────
その日、大都エリュケーは未曾有の恐慌に襲われた。
原因は2つ。
1つは、突如として水路を破って出現した「揺籠」の存在。
先のスライム出現からまだ大して日も置かぬ内に2度目の襲撃が、それもエリュケー市民に生活用水を提供する地下水路からの襲来はそれを管理する帝国貴族と軍の信頼を──仮にも安全を保証する立場の者共を地に貶めるのにはあまりにも十分過ぎる。
誰も頼れなくなった人々は、無様に逃げ惑った。
揺籠が現れた区域の貴族のみならず、真反対の地区の住民やスラムに住む貧民すら何も分からぬまま西へ東へ、行く宛もなく奔走する羽目になったのだ。
そして、もう1つ。
空に向けて何条かの光線が放たれたかと思えば、世にもおぞましい紫色の──まるで脳漿のような生暖かさと粘質さを持つ雨が貴族の住む区域に降り注いだのである。
しかもそれはただの気持ち悪い雨ではない。
爛れる。
水滴に触れた触れた側から貴族達の皮膚は爛れ、次いで露になった肉を腐食していくのだ。
一方で、偶々その場に居合わせた貧民や使用人と言う名の奴隷達には殆ど何の影響も無く、時折肌が痺れる者がいると言う程度。
何故か自分達だけ惨たらしく死んでいく現実に貴族達は狼狽え、我先にと手近な家屋へ駆け込み──あぁ、其処からは語る事すら恐ろしい。
ただ一連の事件が終息した後に軍が行った調査によれば、帝都に居を置く貴族の14%に及ぶ人々が
そして現場にいたとされる被疑者達は、皆口を揃えてこう答えた。
『暴利を貪る貴族共に、天罰が下ったのだ』
と。
ただそれだけの話だ。
◯青年
極力死にたくないから過酷な任務からは全力で逃げるし仲間の死を悼むのを後回しにしたりする程度には人でなしだけどそれはそれとして米で人が死ぬのは無理系米キチ。
◯「呪詛の魔女」
自分も含めてありとあらゆる命を玩具としか思っていない、気狂いの魔女。
彼女の両親は高名な魔導師であったとされるが、まだ情操が育ちきっていない頃から魔術を教えたのが運の尽きだった。
幼子特有の残酷さと好奇心を克服出来ず、魔術によってそれを満たす術を得た少女は間も無く生みの親に対してもそれを実行する事となる。
無差別で無軌道な殺戮の果てに彼女は帝国と「盾」によって討伐される事となったが──部隊は全滅し、最終的な報告を行ったのは偶然その場に居合わせた無関係な「盾」の構成員だったとされる。
尚、米キチに執着する理由は死にそうなのに中々死なないしよく苦しそうな顔をするから。
・気候について
中世の頃の地球と比べて温暖であり、氷期の訪れによる飢饉や疫病も起こらず地球で言うところの「魔女狩り」もあまり発生していない。
米キチがヨーロッパに相当する地域で米の捜索を諦めなかったのはこれが理由。
代わりに魔獣がひっきりなしに襲ってくるしユーラシア大陸側に出る事が出来ないのでそれはそれで悲惨な状況に置かれている。
資源は有り余っているので環境問題に対する意識も低い──と言うより環境問題と言う言葉がまだ存在していないと考える方が近い。
・やたら呪殺箱への当たりが強い理由
世界が世界なので米キチは自分の命最優先な人間の否定はしないが、自分も含めて誰の命も大切にしていない人間に対しては強い拒否感を示す。
とは言え人に死を悼むのを後回しにする己を人でなしだとも思っているので、一方的な同族嫌悪に近い部分もある。