頑張ります。
大都エリュケーは、戦争と収奪によって拡張を続けた帝国の首都を名乗るだけあって非常に栄えている。
何せ人口は六十万人を超え、老いも若いも男も女も富める者も貧する者も何もかもがいる、軍を動かすも政治を動かすも此処から始まると来たモノだからアンケートを採れば100人中100人が世界で1番栄えている都市と答える筈だ。
ただ、それ故に問題は多い。
貧富の格差はスラム街と貴族街を生み、官憲の目が届かぬ所では暴力やドラッグが溢れかえっている。
それだけならまだしもあまりに広大かつ複雑な都市構造は悪臭やゴミの処理、日照に関わる問題が山積みになっているのだ。
そんでもって────俺は今、そのお膝元で下水道に潜っている。
「あぁもうクソ……!」
ぼやいた所で何にも始まらない。
ただ、口元を布で覆ったとて当然のようにそれを貫通してくる腐臭やら足元を駆け抜けていくゴキブリやら鼠やら蝙蝠やらドブみたいな色をした下水やらと2時間近く格闘していればぼやかざるを得ない。
遡る事1ヶ月前、リリー・スターロッドが俺に何をしでかしてくれたのかと言えば「盾」本部への異動だ。
即ち、人外が集う修羅の地に凡俗を放り込んでくれやがったのである。
当然ながらやってくる依頼も人外向けばかり。
この超猟奇的ドブ漁りもその一環なのだが──もうマジ無理、死にそう。
今だって、ほら。
「死ねボケ」
「ガ───!?」
出会い頭、
帝都エリュケーの地下には魔術によって掘られた水路が迷路のように張り巡らされているが、今のように潜んだり忍んだり何かテロリズムしようとしたりしている輩が非常に多い。
それこそ10分に1回位エンカウントする。
だから地下水路を悪用する者を討伐する「ドブ浚い」の任務には事欠かないし、あんまりにあんまりな依頼故に報酬も高めに設定されているのだ。
お陰で懐事情だけなら結構良い思いをさせてもらっている。
「リリーのヤツ、まさか単に俺を苦境に放り込みたかっただけじゃないだろうな……」
アイツならやりかねない、と思わず呟いてしまうが決して依頼そのものに文句がある訳ではない。
例えどんな仕事だろうが貴賤はないと思っているし、実際「ドブ浚い」によって地下から魔獣や斥候が浸透してくるのを防いでいるのだから多少なりとも誇りはある。
ただ1つ疑問に思う事があるとすれば──これが本当に東方調査隊に参加するための「実績作り」にはなるのか。
ただそれだけ。
「いや……普通に俺のせいか」
お前が弱っちいのが悪い、と言われれば其処までの話だ。
実際本部の精鋭に齧り付けるだけの身体能力や戦闘センスなど持ち合わせていないし、だからと言って魔術を修めたりもしていない。
例え支部の統括官たるリリーからの推薦があろうが、命の懸かった死地に足手纏いを連れていかないのは正解だろう。
──そして、背後から聞こえた物音に向けて銃を向けるのも。
「死ねぇっ!」
「お前が死ね」
ランタンが無ければほんの数メートル先すら見えない地下水路の暗闇に銃声が響く。
「盾」が支給してくれたライフルは狭い水路では取り回しが悪いので今回は持ってきていない。
なので左手で構えたフリントロック式のピストルから放たれた銃弾は、頭に剣を振り下ろそうとした賊の腹部を見事に射抜いていた。
そうして5秒程立ってから漸く自分が撃たれた事に気付いた賊は、武器を取り落としじわじわと服に広がる赤い染みを押さえて踞るが──油断はしない。
「ちょっと寝てろ」
「あっ、が、ぁ……!」
最早一歩も動けないのだろう、荒い息を吐きながら此方を睨み付ける賊の頭を容赦なく蹴り飛ばすと、ソイツは煉瓦で出来た水路の壁に頭を打ち付けて力無く崩れ落ちた。
少々乱暴だが、手刀で気絶させる等という高等なテクニックは使えないのでこうするしかない。
まぁ何はともあれ、トドメとばかりに持ってきたロープでガッチリ腕と足を拘束してやれば立派な捕縛者の出来上がりだ。
後は地図に捕らえた場所を記しておいて、帰還する時に回収班の人に渡しておけば彼らが勝手に回収してくれる──止血はしてないからその時まで賊が生きているかは不明だが。
「まぁ軍に引き渡されても処刑されて晒される以外無いんだけども」
そう、帝国は住民の生活を支える地下水路に無断で侵入した者には一切容赦しない。
例え女子供だろうが相応の理由がなければ即日縛り首の上、死体を衆目に晒して一般市民や地下水路から侵入を試みようとする敵対勢力に「もし妙な事を考えればお前達もこうなるぞ」と警告する訳であり──「下水道を侵した者に対する一切の治療行為を禁ずる」なんて馬鹿らしい命令が下っているのもその一環だった。
「ひっでぇ世界だなホント」
喋るよりも捕縛に注意を向けるべきなのは知りながらも、そうぼやかずにはいられない位この世界には倫理観が無い。
此処彼処で人が人を殺すし、盗賊は畑から取れんのかって言いたくなる位ずっと出てくるし、そこそこの頻度で虐殺が発生する。
それにパッと見では漫画やアニメにありがちな異世界を気取っておきながら中身はこんなモノだったりもする。
正直今からでも転生した事を無かった事にして欲しい。
だが、仕方ないのだ。
飽くまでもこれまで見てきた情報からの推測でしかないが、この世界の文明としての水準は地球換算でおよそ15世紀末から16世紀初頭の近世頃と考えられる。
つまり現代の価値観へと発展する途上でしかない。
まだまだこれからの成長期なんだし、きっといつかは平和な世が訪れるだろう。
(……いや、今平和になれよ)
疲労で鈍った頭でぼやきながらも立ち上がろうとして──ぐったりとしている賊が、久しく見ていないアジア人顔である事に気付く。
「……ん?」
と言うより、アジア人そのものではないか。
先程までフードで隠れていたから分からなかったものの、丸っこくて凹凸の少ないそれは誰がどう見ても日本かその周辺に住む者特有の顔である。
しかも具体的には思い出せないが、見覚えがあるような気がする。
「……んん?」
これは一体、どうした事か。
この17年間1度たりとも遭遇しなかったのに、何故地下水路なんぞでアジア人顔の輩と出会うのか。
全く以て訳が分からない。
そうして得体の知れない不気味さと高揚感を感じながら賊の顔を観察して──ふと、気付く。
「課長……?」
そうだ、課長だ。
前世の職場で新人の時から面倒をよく見てくれた課長にそっくりなのだ。
だが何故課長がこんな所で、賊みたいな真似を。
「な、何なんだよ……」
分からない。
一体何がどうなっているのか、まるで分からない。
しかし課長なら放っておく訳にもいかなかった。
それに彼に銃を撃ち込んだのは他ならぬ俺自身なのだ。
何にしたって取り敢えず介抱しなければならないとぐったりした彼の身体に手を伸ばして────子供のような、舌ったらずな声が水路の奥から聞こえてくる。
『ひっかかった!』
「!」
咄嗟に飛び退こうとして、出来ない。
いつの間にか横たわっていた筈の課長はどろどろに溶け、黒いゲル状の触手となって伸ばした手に絡み付いていた。
それだけではない。
壁から、水中から、鼠の死骸から、ありとあらゆる場所から粘り気のある黒い液体が溢れ出てくる。
そうして天井から滴ってきた液体が肩口で蠢き始めた時、俺は漸く
「……此処でスライムかよ」
『ひっかかった!ひっかかった!』
スライム。
特に水辺に出現するとされる、魔獣の1種だ。
しかしその名前に反して国民的RPGに出てくるような愛嬌は全く無い。
実態は勝手に他人の記憶を覗き見て成り済まし、油断を突いて干からびるまで水分を絞り上げる外道だ。
火で焼くか個体を維持できなくなるまで切り刻むかしないと倒す事は出来ない、この上なく面倒なクソ外道なのだ。
『ひっかかった!ひっかかった!』
そして、その外道に取り付かれた。
地下水路には結界が張ってある以上生半可な魔獣の侵入は許さない筈だとパニックに陥りかかった頭が叫ぶが、しかし現実は変わらない。
進路も退路も黒い津波に塞がれ、直接触れている部分に至っては皮膚を引き裂こうと硬質化する気配すら感じ取れる。
『ひっかかった!ひっかかった!』
「クソ……!」
逃れる手段は、無い。
ブランダーバスは持ってきているものの、鉛玉をぶちこんだ所で有効打にもならない。
相手は人型に限定されると踏んで相応の準備しかしなかったのが完全に仇となっていた。
『ひっかかった!ひっかかった!』
救援を呼ぶのも、現実的ではないだろう。
「ドブ浚い」を請け負っているのが自分1人でない以上大声で呼べば誰かしら駆けつけてくれるだろうが、水路を壁のように塞いでしまうレベルまで成長した相手に何人かやって来たところでどうにかなる話ではない。
つまり、詰み。
ぐうの音も出ない位完璧に、魔物風情の罠に嵌ってしまった。
だが────
『ひっかかった!ひっかかった!』
「……うるせぇ」
こうも勝利を確信した相手に馬鹿にされ続けると、無性に腹が立ってくる。
沸点が低すぎる事を自覚しつつも、屈伸煽りだとか高速で左右にシャカシャカ動くあの動きのような死ぬ程イライラする感覚をどうしても想起してしまうのだ。
それにまだ米粒1つだって見付けられていない。
たっぷりと実って垂れる黄金の稲穂も、茶碗に盛られたほかほかの純白も、まだ視界に収める事すら叶っていないのだ。
それなのに──諦めてる場合か?
『ひっかかった!ひっかかった!ひ────』
「おい」
そう、スライム如きで躓くなど笑止千万。
俺は逃れる手段は持っていないけれど、道連れにする手段なら持っている。
今この瞬間だって、腰からぶら下げているのだ。
そして────
「せめて米に変身しろやこの泥水野郎が」
ランタンを思い切り床に叩き付けたその瞬間、爆裂的に膨れ上がった炎が地下水路を包み込んだ。
しかしながら、彼女は捻くれつつも年相応の価値観を持つ1人の少女でもある。
故に、ストレス発散の一環として街へ買い物に行く事がそこそこの頻度であった。
当然ながら監視は付く。
その気になれば
『……また、お出かけになられるのですか?』
『何か文句でもあるのかしら』
『いえ、ありませんが……』
ありませんが何よ、と思いつつもエリシアからしてみれば「盾」本部の堅苦しい空気から逃れられるならなんだって良かった。
帝都のスラム街で物乞いをしていた頃に戻りたいとは決して思っていなかったが、だからと言って華美な生活に憧れる訳でもなく、ただ愛する人と一緒になって田舎で畑でも耕したいが魔女として帝国に
色々と嫌になるのも当然だ。
しかし
「……え?」
其処彼処から、火柱が上がるのを呆然と眺める事しか今のエリシアには出来なかった。
あまりに想定外過ぎる事態に、思考が停止しているのだ。
そうこうしている内にも地下水路へと繋がる蓋が宙を舞い、噴水が爆炎を放つ奇怪なオブジェへと変貌し、人々が逃げ惑う。
誰も死んでいないだけで、控えめに言っても地獄絵図でしかない。
そして地獄絵図の中に──更なる地獄。
『■■────!』
人型が。
全身を炎に包まれ、シルエットしか分からない程の火だるまと化した人らしき何かがおぞましい悲鳴を上げながら広場の中心でのたうち回っている。
助けなければ、と咄嗟にエリシアは思った。
それは帝国の最大戦力にして生半可な貴族は触れる事すら許されない「魔女」が持つべきではないとされる感情ではあったが、そんな事は関係ない。
(────恩を売るだけ)
そう、恩を売れと彼女は教わった。
生き抜く為に、より良い暮らしを得る為に、ドブみたいな生活から抜け出す為に、卑しいと思われない程度に恩を売っておく事こそ重要なのだと「彼」から教わったのだ。
だから救助行為は恩を売る為に必要な行為であって、決して「魔女らしくない行い」ではないと己に言い聞かせる。
実際は、どれだけ取り繕ったとしても隠しきれない善性が滲み出ているだけだが。
「…今、行くわ」
しかし、兎にも角にも近づかなければ始まらない。
何せ彼女の「新世界」は1度射程に捉えてしまえば範囲内の全てを自由自在に改変出来るものの、その射程はたったの半径24メートルしかないのだから。
空間に干渉する魔術にしたって燃え盛る人から炎だけを確実に切り離せる自信はない。
そうして人の流れに逆らって相変わらずのたうち回っている人型に駆け寄ろうとした彼女だったが──僅か数歩で足が止まる。
(……何?)
違和感があった。
確かにソレは燃えている。
全身を炎に焼かれ、今この瞬間も苦しそうに転がりまわっている。
(……殴っている、のかしら)
だが、彼女にはどうにも人型が自分で自分を殴りつけているようにしか見えなかった。
消火しようという気配はまるで見られず、まるで自分自身が親の仇であるかのように顔や腹を殴打しているようにしか感じられなかったのだ。
こうなってしまうと、如何に頭脳明晰なエリシアとてどうすれば良いのかサッパリ分からない。
このまま燃えるままにしておけば良いのか、それとも無理にでも救助するべきなのか。
ただ見守るしかない。
『■■!?』
むんず、と人型が己の顔を掴む。
明らかに皮膚を突き破る程に指を食い込ませ、じたばたと藻掻きながら鷲掴む。
そして────勢いのままにべりべりと引き剥がす。
「往生際悪いんだよこの泥水野郎がぁ!さっさと燃え尽きろ!」
『■■!』
「うぅるせぇ死ね!早く死ね!」
現れたのは、血走った瞳で右手に掴んだスライムと格闘戦を繰り広げる青年の姿だった。
そう、燃えているのは彼ではなくその全身に纏わりついたスライムだ。
汚物に塗れた地下水道に可燃性のガスが充満している可能性に賭けてランタンを割ると同時にスライムの海へと飛び込んだ彼の予想は的中し、爆発と共に地上まで舞い戻ってきたのである。
だが、そんな事を気にしている余裕はない。
スライムは大部分が焼却されたものの未だ絶命しておらず、最後の抵抗とばかりに全身にへばりついて自身ごと青年を燃やそうとしていた。
互いに、必死。
くっついては離れ、引きちぎっては纏わり付き、死に物狂いの決闘を繰り広げる。
「────ふ、ふふ」
そんな1人と1体の死闘を、少女は微笑と共に見守っていた。
それどころか人々が逃げ出した事で放置された露店から椅子を持ってきて、優雅に腰掛けてすらいた。
青年に加勢する様子は一切無い。
だが、魔女からすれば当然だ。
「また勝ってしまうのね、魔術なんて1つも使えないのに」
だって、
実力も、性格も、根性も、「コメ」なるモノを探している事も、何もかもを知っている。
彼がこんな所に現れるのは全く想定していなかったが、姿を見せた時点でどちらが勝利するか等完全に見切っているのだから態々加勢する意味はなかった。
それに────
「なんて、勇ましい」
思わず、呟いてしまう。
そう、エリシアは青年の必死な顔が好きだった。
命を懸けて抗う姿を、死を身近に感じながらも諦めようとしない姿勢を愛していた。
それこそ、場所が場所なら湿り気を帯び始めた下腹部を慰めてしまいかねない程に。
「ふふ、頑張って────」
少女は微笑んでいる。
燃え盛る炎を背景に、いよいよ佳境へと突入した死闘を見詰めながら。
ずっと、ずっと。
「クソ……っ」
「盾」第8支部統括官リリー・スターロッドは、自身の執務室でおぞましいまでの憎悪を露にしていた。
溢れだした魔力が机やソファーを腐らせ始めても、気にすら止めずに怒り狂っていた。
「馬鹿にしやがって、馬鹿にしやがって、馬鹿にしやがってぇっ……!」
許し難い。
何がどうあっても、例えどんな理由があっても許し難いと怨嗟の呻きを上げる彼女の足元には、4つに引き裂かれた手紙の残骸。
「よくもアイツに『ドブ浚い』なんかを押し付けたなぁ……っ!」
手紙に記されていたのは、政敵でもあるクロスター公爵家の差し金によって
そして何も知らされないまま今は「ドブ浚い」に従事していることの二点のみ。
だが、それだけでも彼女に怒髪天を突かせるならば十分過ぎる程だ。
「────る」
完全にスターロッドとリリー個人への嫌がらせでしかない。
しかし、その嫌がらせの為に青年はドブをさ迷う羽目になっているのだ。
それもリリーが斡旋したと思い込んだまま。
「殺してやる」
最早リリーの口から絞り出せたのはその一言だけだった。
両手で顔を覆ったまま、ひたすらに憎悪を募らせるしかなかった。
──そしてその日、帝都から貴族の名前が1つ消えた。
◯青年
3話になるのにまだ名前が出てこない粘りの強い主人公。
転生者ではあるけれど特に特典とか能力とかは無い。
狂信的な白米信者であり、白米と合わせれば何でも食べられると本気で思っている。
◯エリシア・フローレンス
部分的に箍が外れているクール系ヒロイン。
対外的には寡黙な感じで通しているが内心ではみんな!!!好きな人が頑張ってるのを見守りたいよね!!!って本気で思ってるだけなので殆どの事をどうでもいいと思っているし余程の事がない限り力を貸してくれない(時と場合による)質の悪い女でもある。
ただし常識はある。
◯リリー・スターロッド
やること成すこと全部裏目に出てる可哀想な人。
変な事考えずにそのまま手元に置いとけば普通に主人公は手に入ったと思うよ(投げやり)