「米くいて―……」
言った所でどうにかなる話ではないが言わずにはいられない、と牢の中で青年はぼやく。
髪はチリチリに焼け焦げ、戦闘用に揃えた厚手の服は既にボロボロだが着替える事すら許されず、所々から巻かれた包帯の数は彼がそれだけ痛々しい火傷に苛まれている証だ。
実際はスライムとアホそのものな格闘戦をしただけだが、何も知らない者が見ればどんな凄惨な戦いを繰り広げてきたのかと想像を広げる事は先ず間違いない。
しかし、地下水路を爆破した挙げ句に帝都を1区画丸々焼け野原にしかかったのだから着の身着のまま牢に放り込まれるのも仕方ないと言える。
寧ろ即刻処刑されなかっただけマシな方だ──当人は魂が抜けたような表情で座り込んでいるが。
「麦粥はもう嫌だ……」
等とこの期に及んで食の話しかしない辺り実際は生にしがみつくつもりは満々だが、現実として彼の扱いは非常に難しい立場にある。
と言うのも、実情がどうであれ彼は新進気鋭の「盾」第8支部統括官が直々に推薦して派遣された「超エリート」であるのは間違いない。
そして彼の本来の役目は魔女の「話し相手」であり、先日不可解な
現に本部はリリーから抗議を受けているし、この点だけを考えるならば責任は「盾」本部が取るべきだろう。
しかしながら彼が帝都にもたらした被害は尋常なモノではない。
道に敷き詰められていた煉瓦はあちこちが砕け、気難しい建築家によってデザインされた噴水は沈黙し、何棟か家は焼けた。
その上下水道としての役目を担っていた地下水路を事情があったにせよ一部分爆破するなど、復旧の事を考えるだけでも役人は白目を剥いて気絶してしまうだろう。
と言うか既に過労で何人か病院に送られている。
更に、この1件によって「盾」の存在が一般市民に露見しかかったのは本部からしても見過ごせる問題ではなかった。
基本的にどの国家に属している訳でもない「盾」はスポンサーを得なければいけない都合上貴族や聖職者等には殆ど公開されている組織だが、だからと言って市民にまで存在を知られてしまうのは活動に問題が生じる。
スライムがそうだったように、人に化けるような魔獣なんて幾らでもいるのだ。
そう言う敵と戦う時に此方の身分が割れているのはどう考えても不利になる要素でしかなかった。
要するに、青年は「やらなきゃいけない事をやったけど幾らなんでもやり過ぎ」たのである。
最早何をどうしたって何処かしらに角が立つし取り敢えず牢に入れておこう、彼に課された措置からは各所に根回しをして疲れきった上層部のそんな疲れきった本音が見え隠れしていた。
「米……」
しかし、ここ1週間の間何をするでもなくただ閉じ籠られていると言うのは青年にとっても如何ともし難い問題だった。
今も石の床に座ったままぼーっとしている彼を見れば分かる通り、暇なのだ。
そんな事を考えているとリリーが知れば「人の気も知らないで何を言うのか」と激憤するのはほぼ確実だが、しかし現実として退屈は人を殺し得るのである。
青年の切り札である「米の品種で1人しりとり」も3日前にストックが尽き、ならばとばかりにほかほかの牛丼にありつく妄想をすれど最終的には虚しさが募るだけ。
そうして仕事にしろ学問にしろ農業にしろ、兎に角何かに打ち込む事で日本米が無い世界をやり過ごしてきた者がそれら一切を奪われ、改めて現実を直視させられたらどうなるか。
「米くいてーよぉ……」
青年は特段暴力を受けた訳でもないのに、満身創痍にまで追い込まれていた。
虚ろな目で宙を見詰め、見回りに来た看守が思わずドン引きしてしまう程に「米、米」と呟き続ける悲しき生物になってしまったのだ。
そして更に彼が悲惨な有様になるのは食事の時だ。
『また、麦粥……』
『文句があるのか?』
『いえ……ないです……』
差し入れられる粥やパンを見る度にこの世の終わりを直視してしまったかのような絶望に満ちた表情をし、しかしシクシクと泣きながらも必ず完食して綺麗になった容器を戻してくる。
流石にこんな惨状では誰であろうと「いや、文句しかないだろお前」とは責められなかった。
(米が無い世界……死にてぇ……)
そう、
米が無い現実に、中毒者である彼は最早耐えられなくなりつつあった。
結局、彼が解放されたのはそれから更に3日後の事であった。
あまりにやらかしが過ぎる彼の処分は揉めに揉め、あちこちが紛糾しまくった結果最終的な決断が大幅に遅れてしまったのだ。
しかし、彼がその裏事情を知る事はない。
何処まで行っても彼は下っ端でしかなく、お上の考える事やする事に関与出来るような立場ではなかった。
そうして心身共にズタボロの状態のまま牢から出てきた青年は────
「……?」
ふと気付いた時、「盾」の本部にて何故か見知らぬ老人と対面していた。
年齢は60位になるだろうか。
特段太っている訳ではなく、だからと言って痩せぎすでもない。
纏っているのはシンプルな黒のスーツであり、貧民ではないのは一目でわかったが然程富豪にも見えない。
シンプルにちょっと生活に余裕のありそうな男とみすぼらしい格好の青年が、豪奢な装飾が施された机を挟んで向き合っているのだ。
不可解で済まされる話ではない。
ないのだが────
「何か食べに行くかね?奢るが」
「麦粥が出ない所なら何処でも」
一言目に気前の良い事を言われた青年は、躊躇う事なくその提案に飛びついていた。
リンド・ハルトマンは、指導者となる素質を持って生まれた男だった。
高名な貴族の子として生を受け、物心が着いたその時には既に明晰な頭脳と健全な肉体を兼ね備えていた。
しかしながらそれだけならば併せ持つ人間はいるだろう。
では、彼の何が指導者に相応しいのか。
精神である。
彼はその精神性が指導者としてこの上なく適正なモノだったのだ。
ハルトマンは差別をしない。
高貴なる者にも、貧しい者にも礼儀を欠かさない。
要望を良く聞き良く対応し、例え罵られようが卑劣な罠に嵌められようが自身の目で相手の正体を見定める、高潔な心を持っていた。
しかし、同時に彼は他者を切り捨てる事に大して躊躇が無い。
目的の為に犠牲が必要ならば最小限に抑えつつもそれそのものは否定せず、泣かれようが喚かれようが非道と罵られようが一切私情を交えずに行う事が出来た。
このように人並み外れた感性と胆力を兼ね合わせているからこそ、彼は30年もの間秘密結社「盾」の長を勤められているのであり──つい先日帝国史に載りかねない大問題を引き起こした青年と、警護も付けずに大衆食堂でパスタを相席する事が出来るのだ。
「へぇ、じゃあアンタ『盾』の団長なんすか」
「あぁ、まぁねえ。そう言うのを勤めさせてもらっているよ」
「凄いっすね」
恐らく1週間と数日振りになるであろう
しかし本気にしていないのではなく、単にサシで飲み食いをするなら上下関係なんて知った事ではないという前世の価値観に基づいているだけだ。
そしてハルトマンもそれを特段咎めようとは思っていない。
彼の目的は青年という存在を見極める事であり、共にパスタを食べる中に付け入る隙が生まれるのならばそれで良し、なのである。
「で、何の用ですか」
「ふむ……」
ただ、そんな事は流石の青年も気付いている。
幾ら四六時中米の事しか考えていないとしても、自分が所属する組織のリーダーが初対面にも係わらず食事に誘ってくるのに警戒心を覚えない程の馬鹿ではないのだ。
それ故に──今この瞬間も、彼はパスタを口の中に詰め込みつつも目の前の老爺から意識を逸らさず、返却された喇叭銃を構えられるように姿勢を変えている。
尤も、ハルトマンはそれすら見抜いていたが。
(……実力は、並か)
魔法は学んでいないと調べが付いている。
身体能力も秀でている方ではあるが、ずば抜けている訳でもない。
単純な戦闘資質だけ見るのならば先月まで支部に埋もれていたのも納得だろう。
その点に疑う余地はない。
しかし、何故リリー・スターロッドは何故そんな凡人を魔女の「お話し相手」に推薦したのだろうか。
「お話し相手」は言葉通りに捉えるならば単に人外の暇潰しに付き合うだけの役割と受け取れるし「盾」の中でもそれで
彼らの役割は魔女ないしは魔術師の「一切合切」である。
朝起床のベルを鳴らし、予定に合った服を身繕い、交渉を請け負い、必要とあらば子守唄だって歌う。
それどころか加虐趣味を持つ魔女の「お話し相手」になってしまった者は、それに付き合う事すら義務として課されているのだ。
謂わば、世話人兼奴隷。
公的には奴隷制が排除されている帝国領域内にあって、唯一それが適用されない治外法権「お話し相手」なのだ。
況してや彼が推薦されたのは「歪曲の魔女」──エリシア・フローレンスの「お話し相手」だ。
何が気に入らないのか帝国に保護されてからの1年半で14人もの「お話し相手」を半殺しにし、戦場ではふらっと姿を消したかと思えば標的の首を持って帰ってくる事で悪名高い「あの」エリシアなのである。
幾ら「お話し相手」の実情を知っているのが本部の者だけであるとは言え、魔術学院を首席で卒業する程の才媛であるリリー・スターロッドが察していない筈がない。
(……何故だ?)
故にこそ、ハルトマンの脳裏に浮かび上がるのは「何故」の2文字。
何故眼前の貧弱で油断だらけな凡俗が「お話し相手」に抜擢されようとしていたのか。
何故この青年程度が帝都の生命線たる地下水路を爆破する等という大それた事をしでかせたのか。
何故────
「あの」
「ん?」
「話し辛いなら後にしません?飯が冷めちゃいますよ」
基本的に即断即決な彼にしては珍しく思考の海に浸ってハルトマンは、恐る恐るといった風情の青年の声で我に返った。
成る程、確かにフォークで巻き取っただけで口に運んですらいない。
(……これは、これは)
1本取られた──いや、それ以前の話だ。
彼が言うように、温かな料理が冷めるのを放置しておくのはハルトマンにとっても良い話ではない。
しかし、
「……いや、リリー君について知りたくてね。君は第8支部所属だったろう」
「リリーですか?しかし何でまた俺なんかに……」
そう、リリーだ。
青年を推薦したのは他ならぬ彼女なのだから、そちら方面から当たってみれば何かしら発見をする可能性はあるとハルトマンは踏んでいた。
「スターロッド家の御当主とは仲が良くてねぇ……リリー嬢が手紙の1つもくれないと嘆いておられるんだよ」
「だから媚を売ろうって事ですか」
「そうそう。大事な出資者様なんだから、ネ。心は掴んでおかないと」
嘘は1つとして言っていない。
ハルトマンは「盾」の長としてスターロッドの当主とよく話すし、彼は秘密結社に入団した愛娘の安全をいつも危惧していた。
しかし仲が良いのかと問われれば──それはまぁ、見る人によるだろう。
一見バチバチしているようにしか見えないのも気のせいだという事にしておく。
そんな風にして、魔女以上に歪曲した表現で探りを入れてみるが────
「あぁ、アイツですか。性格悪いですよ」
「んん?」
青年の返答は完全に彼の想定を下回るモノだった。
全く以て、期待外れとしか言いようがなかった。
「嫌いだから止めてくれって言ってるのに、事あるごとに麦粥頼むんですよね。そんでそれ見てニヤニヤしてるんです」
「お、おぉ……」
「生粋のサディストですよアイツ。どんな教育をしたのか親の顔を拝んでみたくなります」
「ダンディなオッサンだヨ」
違う、そうじゃないとは思いつつも決して顔には出さない。
まだ何かあるかもしれないのだ。
隠れた本音が、隠蔽された企みが、或いはその何れでもない「何かしら」があるかもしれない以上ハルトマンは引き下がる訳にはいかない。
そうして青年の駄弁りに付き合う事20分、遂にその時は訪れた。
「でも俺を帝都に行けるように取り計らってくれたの、アイツなんですよ」
「ほう?」
「まぁそれでやってたのが『ドブ浚い』なんですけど」
自嘲する青年は、帝都に来た理由を言わなかった。
「どうやって」帝都にやって来て、其処で「何をしていたか」について述べたが、「何の為に」それをやっていたかについて触れる事を避けたのだ。
(……これだな)
それこそが疑惑の核心だとハルトマンは確信した。
何故「お話し相手」の推薦を受けたのか、何故凡俗なのに統括官に目を付けられているのか、そして何故異様なまでの
尤も、彼は直ぐに話題を転換する事に決めたようだが。
「それより、ほら……リリーについて聞きたいんでしょ?アイツの鬼畜エピソードには事欠きませんしそっちの方が面白いっすよ」
「ハハ、そうかもしれないね。どれ、興が乗ってきた事だし私も平でやっていた頃の四方山話を披露しちゃおうかな?」
「おー!良いっすねぇ!めっちゃ気になります!」
ガードは中々に固そうだ。
だが、暫くは付き合ってやろう。
人の良いおじさんの振りをして、道化になりきってやろうとハルトマンは決意した。
ただし、青年は「盾」の手の内からは絶対に逃がさない。
丁度リリーの推薦もあるのだし、お望み通り「お話し相手」にしてやる事で縛り付けてやろうではないか。
「それじゃあ先ずは駆け出しの未熟な私がアイホートの雛と出会った時の事から────」
久々に楽しめそうだ、と老爺は嗤う。
そう、彼も本心では自身を縛る「盾」の事など──いや、これ以上は何も語るまい。
稲穂が、垂れている。
黄金の稲穂が、間違いなく日本米の特徴を備えた稲が幾本も凪いだ水面から生えていた。
しかし────
「違う」
手折る。
穢れを知らぬ少女の指先が、茎の中程を掴んで捻り切る。
「違う」
少女の瞳には一切の感情が無かった。
無感動に、無慈悲に、いっそ機械かと錯覚してしまいそうな程単調に黄金の海を手折り続ける。
しかし、そうせざるを得ない理由があるのだ。
「これも──『コメ』じゃない」
少女──「歪曲の魔女」たるエリシア・フローレンスが自身の「新世界」で生み出した植物は、到底彼女を満足させられるような代物ではなかった。
だから、折るのだ。
これは本物ではない、これは
無理もない話だった。
「新世界」は半径24メートルの領域に於いて万能だったが、それでも人から聞いただけで実際に見た事も無いモノを再現出来る程全能ではない。
「これも、違う」
それでも、彼女に再現を試みないという選択肢はなかった。
だって、そうだろう。
普段の態度が思わせ振りかつやたらと婉曲しているせいで周囲からは良く思われていないが、エリシアは好きな人が探している物を見付けてあげたいといじらしい思いを抱く程度には年若き少女なのだ。
「これも、違う」
故に、今日も少女の寝室に黄金の海が広がっては消えていく。
ああでもない、こうでもないと試行錯誤をひたすらに続ける。
誰一人として咎める事は出来ない──いや、咎めた者は全身の骨をへし折って放り捨ててやった。
「次はもっと良くなると、助かるのだけれど」
稲も、「お話し相手」も。
憂いを帯びた溜め息を吐く少女は、それすら1つの芸術品として自身が手折った稲より遥かに完成していた。
◯青年
米くいてー…してるけど別に米が全てだとは思っていない。
米以外にも美味しいモノは沢山あるけどそれら全ての上位に白米が位置していると思っているだけなのだ。
それはそれとしてやる事がなくなると現実を直視させられて悲しくなって萎れてしまう。
弱い(確信)
後未だにリリーがドブ浚いを斡旋したと思い込んでる。
◯如何にも紳士然とした胡散臭いハルトマンおじさん(68)
色々と深読みし過ぎてるせいで多分当面は愉快なおじいさんのままだと思われる。
◯エリシア・フローレンス
流石に見た事ないモノは想像で創るしかないのでコメっぽい何かにしかならない。
具体的には日本米的な見た目のタイ米になってる。