地下水路の調査とは、即ち地図との戦いである。
魔獣やら戦争やらのせいでそこそこの頻度で国が滅ぶこの世界にあって人類史上最大の都市である帝都は、人口60万人を抱えるだけあって尋常ではない位広い。
ただ端から端まで歩くだけでも5時間はかかるし、1周しようなんて考えようものなら少なくとも1週間は帝都からは出られないと考えるべきだと言われる程だ。
故に、その地下に張り巡らされた水路も当然ながら複雑なのだ。
生半可な準備で挑めば帰還はおろか死体を発見される確率すら小数点以下となる。
「ぁー、んー、おぉ……?」
そんな訳で、悲しい位に土地勘の無い青年もまた地図と睨み合っているのだが──これが中々どうして難しい。
前世での義務教育の甲斐あってか青年も決して学がない訳ではないのだが、如何せん地図そのものが正確とは言い難いのだ。
正直に物を言ってしまうのならば、実用性と言う概念をまるで知らない貴族連中が作っただけあって不正確、過剰装飾の極みとしか表現しようがなく、マトモに丸める事すら出来ない有り様には如何に上機嫌な青年とて破り捨てたい衝動に駆られるしかなかった。
しかも、水路を根城にする貧民や犯罪者のせいで知らない横路が増えている事もしばしばある。
ただでさえ読み辛い地図がそこそこの頻度で役に立たないと来れば彼の口から出るのは苦悶の呻きだけだ。
いや、それだけならまだ良かったのだ。
面倒ではあるが1人でトライアンドエラーを繰り返していればそれで済んだ。
だが──今は背後にエリシアがいる。
(……幾ら魔術使えるからってなぁ、これは無警戒過ぎるだろ)
あからさまに好奇心に満ちた様子でステップを踏んでいる彼女は、1周回って逆に無警戒だった。
きっと、警戒しなければならない程強い相手と遭遇した事が無いのだろう。
こう言う閉所では単に相手からの攻撃を警戒するだけでなくちょっとした擦り傷等からでも感染症になりかねないと言うのに、青年が止めなければ死ぬほど薄いドレス1枚で水路に赴こうとしていたのだから意識の甘さは筋金入りだ。
決して責め立てようと言う訳ではないが、こうも警戒心が薄いと中々にやり辛いモノがあると青年は心中でぼやく。
「なぁ」
「何かしら」
「『新世界』って弱点とかあんの」
それに、軍の人間同様青年もまた「新世界」が何たるかを把握出来ていない。
と言うかそもそもからして魔術には何があって何処まで出来るのかすらマトモに把握していない。
勿論前世のゲームやら漫画やら由来の知識はあるが、果たして本当にこの世界の魔術は「如何にも」な魔術なのか。
それとも黒魔術とか呪いのようなイメージをすれば良いのか。
(何か魔術周りはぼんやりしてるからなぁ……ちゃんと理論とか唱和とかあるのかよ)
剣と魔法の世界の癖に妙な所でリアリティーを発揮してくるモノだから、例え導師が魔術を行使している場面を目撃した事があってもその裏で何が行われているかまでは知る事が出来なかった青年としては不安を抱かずにはいられないのだ。
最初は道も分からないのにも関わらず自信満々に進んでいくエリシアを追い掛けていたのに、今では逆に彼女の前に立っているのもその為だ。
折角米のような物に出逢えたのに死ぬとか冗談じゃないのである。
「……何でそんな事を訊くのかしら」
「そりゃあ、何が出来て何が出来ないのか把握していないとカバー入れないでしょ」
「……あぁ」
庇ってくれるつもりなのね、と背後で不思議そうに呟く彼女の姿を青年は極力視界に入れないようにした。
そう、彼は実力で圧倒的に劣る身ながら「もしもの時」にはエリシアの前に命を投げ出すつもりでいたのだ。
それも彼女には最後まで黙ったまま。
(……何やってんだろ俺)
理由は彼自身にもハッキリしない。
最終兵器みたいな扱いを受けてる「魔女」でも万が一があるかもしれないだろ、とか女の子の陰に隠れてこそこそするとか幾ら何でもダサすぎだろ、とか漸く巡り会えた米の神に不届き者が害を及ぼすとか有り得んだろ、とか色々思う所はあれど、結局その中のどれが本心なのか分からなかったのだ。
まあ何にせよ能力の全貌が見えない相手を前に出したらカバー出来るモノだって出来なくなるだろう、と考えていた訳だが──バレてしまった以上は仕方ない。
青年に許されているのは開き直りだけだった。
「そーだよ、こんな所まで付いて来ちゃったから心配してんの。悪いか」
「いいえ、嬉しいわ」
「ぇ」
「守ってくれるつもりだったのね、ありがとう……」
──しかし、魔女の返事はその上を行く。
さも当然のように、不快感を示すのでもなく過剰に喜ぶのでもなく、ごく普通の声音で彼女は「ありがとう」と言い放つ。
無論、その言葉が持つ価値を理解した上で。
「いや……っ、いやそれさっきの兵士達に言ってやれよマジで……!きっと聞いたらアイツら死ぬほど喜ぶぞ……!?」
「でしょうね。でも感謝の安売りをするつもりはないの」
感謝は大切だが、無作為に積み重ねればその価値を失う。
況してや相手が
つまりは大体の事を「どうにか」してしまう魔女から直々に感謝の気持ちを向けられるのはそれだけで名声を高める要素となるのであり、帝国臣民であれば喉から手が出る程に欲しい一言だろう。
尤も、米以外に対する関心が薄い青年からすれば驚きこそすれど「欲しくなる」ような言葉ではなかったが。
「純粋に」
「ん?」
「純粋に心配される事って、殆ど無いのよ」
しかし、エリシアにとってはその限りではない。
崇められるのにはもう辟易している。
魔女として畏怖されるのにももう慣れた。
ただ、人は1人では生きていけない。
物理的にも、精神的にも、周囲から隔絶され続ければやがては衰弱して死に至るのだ。
それはエリシアとて例外ではなく、だからこそ「ただの心配」が何より響く。
「警衛隊の人達だって心配してくれてると思う。崇拝なら兎も角、気遣いに貴賤は無いとも思うわ。でも、それは自分達を守ってくれる兵器が傷付くのを恐れているだけ」
「……そっか」
「だから、その……単なる『エリシア・フローレンス』を守ろうとしてくれたのが嬉しかった。それだけよ」
「……いや、それは違うぞ。俺はそんな上等な人間じゃない。折角米を作れる人に巡り会えたのに、それを喪うのは社会にとって損失が大きすぎると感じただけで────」
「でしょうね」
知ってる。
青年が自分との出会いなんてまるで覚えていない事も、単純に米を作れる人材の喪失を防ごうとしているだけなのも、そこに恋愛感情としての好意なんて1ミリも介在していない事も。
(でも、それが何だって言うの?)
だが、其処から何を読み取るかは受け手の勝手だ。
やはり凡俗と変わらないと失望するのも、米の事しか考えていないのかと諦めるのも、全部エリシアの自由なのだ。
だから邪心が無いと信じる事にした。
ただそれだけの、理屈も何も関係ない単純な話──存外「奥手」なエリシアは決して本心を話したりはしないが。
「話を戻しましょう。『新世界』の弱点についてだったかしら?」
「え?あぁ、うん……いや、無理なら別に話さなくて良いよ。よくよく考えてみれば最終兵器扱いされてる魔術の弱点を知るとか箝口令とかじゃ済まな────」
「あるわよ」
「エリシアさん!?」
つまりは、である。
エリシアは今、とても気分が良かった。
それはもう、自身の趣味嗜好1つにすら価値があると知って以来ひた隠しにしていた「新世界」の弱点を大公開してしまう位には気分が良い。
漸く自身が発した質問の重要さを把握した青年は慌てて遮ろうとしているが、知った事ではない。
寧ろ最大限バラして「お話し相手」から2度と離任出来ないようにしてやるとばかりに意気揚々と口を開く。
「1つ、『新世界』は常時発動している訳ではないわ」
「え、マジ?」
「マジよマジ、ホントの話。使ってない時に銃弾1発でも撃ち込まれたらそれだけで死ぬわ。まぁ基本的には発動しっぱなしにしてるから関係無いけれど」
そう、「新世界」は常時発動するタイプの魔術ではない。
発動した瞬間に「永続的に発動する」と設定すればエリシアが解除しようと考えない限り継続するが、逆にそれを設定しなければ半径24メートルの世界改変は一瞬にも満たぬ間しか持続しないのだ。
そしてONとOFFが明確に存在している以上、OFFの時に攻撃を受ければ肉体的にひ弱なエリシアは為す術もなく死ぬしかないと自覚していた。
「2つ、私が『こうしたい』と具体的に考えない限り『新世界』は何にも意味が無いわ。だから発動したとしても私が何か考えるまでに殺せばそれで終了」
「えぇ……?」
「反射神経ゼロだもの、私。発動した瞬間に不意打ちとか仕掛けられたらそれだけで終わりよ」
「新世界」は、エリシアの想像力が及ぶ範囲であれば文字通り
死霊術師に対してやってみせたように植物と動物の性質を入れ換える事も、飽くまで想像上の存在でしかない「コメ」を作り上げる事も思いのままだ。
だが、それは逆に「思わなければ何も起きない」事を意味している。
どのような場合に何を何時まで発生させるか具体的に設定しなければウンともスンとも言いやしないのだから、青年が想像しているより遥かに使い辛いモノである。
「最後、射程が24メートルしかないから攻撃に向いてない」
「あぁ……なるほど」
「ね?意外と弱点は多いでしょう?」
成る程、万能なのではないかと勘違いしていたが欠点は多い。
エリシア自身の工夫によって射程以外は殆ど無いに等しい状態まで対策されているとは言え、思っていたよりも遥かに使い勝手の悪い魔術なのは青年にもよく分かった。
しかしそれ故に、青年は整備を終えたばかりの喇叭銃を保持する右手に力を籠める。
(……守らなきゃな)
こんな下らない依頼で彼女が傷付くなどすれば、それは自分はおろかこの
だって、粘りけや味こそタイ米に近かったが逆に言えばそれ以外は殆ど米そのものなのだから。
それに「新世界」ならば気軽に味や性質を変えられる以上、本物ではないが日本米の素晴らしさを広める時はすぐそこまで迫っていると見て先ず間違いない。
本音を言ってしまえば、こうしてドブ浚いをしている時間だって惜しい位だ。
(……取り敢えずはおにぎりだな。あれなら労働者達への取っ掛かりにもなる)
そう、おにぎり。
日本人のソウルフードであり、米に狂った青年からすれば(前世で)食べ過ぎて最早魂そのものと言っても差し支えないあの素晴らしき三角形。
摂食するに当たってはフォークやスプーンを使う必要もなく、仕事の合間に短時間で食べられるおにぎりこそがこの米も希望も無い異世界に広めるには最も適しているだろう。
自身の食欲と布教活動の両方を満たせる完璧なプランに、青年は密かにガッツポーズを取り──其処で漸く、腕に灰色の触手が絡み付いている事に気付いた。
「は?」
「え?」
2人分の、間抜けな声が地下水道に響く。
行く手に広がる暗闇から伸びる成人男性の腕ほどの太さの触手は、間違いなく青年の左腕を絡め取っていた。
しかし「新世界」は反応していない。
世界そのものが敵対者に向けて自動で反撃する改変はこの時点では
つい今しがたエリシアが述べた弱点をそのまま実践するかのような怪奇現象に、2人は一瞬硬直し────
「逃げ────!?」
ろ、と残りの一文字を言い切るより僅かに早く、青年は地下水路の暗闇に引き摺り込まれた。
腐る。
腐る、腐る。
壁が、ソファーが、机が、椅子が、ありとあらゆる有機体が腐り落ちる。
それは人体とて例外ではない。
執務室を腐らせるばかりか遂には己の指先が黒ずみ始めるのを認めたハルトマンは、その根源たる女へと普段と何ら変わらぬ柔和な微笑を向ける。
「よしたまえリリーくん。これ以上は君自身の為にならんぞ」
「どの口がそんな事を言うつもりだぁ……っ!」
腐敗の中心で激昂するリリーに、これまで心の中に秘めていた憎悪を隠そうという気概はまるで感じられなかった。
寧ろ剥き出しになったそれは長年に亘って煮詰めただけあって、おぞましいまでの濁りと粘性を露にしている。
最早人とすら呼んで良いものなのか。
リリー・スターロッドの皮を被った憎悪そのものなのではないかと海千山千のハルトマンですら感じてしまう程に、純粋な「恐怖」が其処にあった。
「スライムが出たから再調査?そんなのは軍にやらせておけば良いだろうが……!」
「彼はやり過ぎた。貴族の面子を潰した償いは形だけでもやらなければならない」
「そんな話がしたいんじゃない!」
一層激昂したリリーが、頭をガリガリと掻き毟る。
あまりの力強さに頭皮は裂け、溢れだした鮮血が指先や額を赤く染めていくが──彼女はそんな事を気にすら止めない。
まるでそうしなければ死んでしまうとばかりに、血走った眼で頭を掻き毟り続ける。
だが、そうしていなければ本当に死ぬかどうにかなってしまう確信がリリーにはあった。
「外面を取り繕う事に関しては何より長けている貴族共が取り逃がしたスライムが、ただの魔獣であるものか!貴方だってそれを知っていた筈なのに、どうして……!?」
確かに地下水路の結界はその役目をマトモに果たしておらず、貧民や魔獣が容易に潜り込めるスカスカ具合をしているが、だからと言って自己保身に余念の無い貴族達がそのままに放置している筈もない。
私兵や「盾」を用いたドブ浚いは「本来いてはならない者」達を処分する為に行われているのであり、実際それで彼らの面子は保たれてきた──のだが。
実の所、水路爆発の要因となったあのスライムは私兵が管轄する区域から流れてきたと目されている。
それはつまり「盾」の末端より訓練の行き届いた兵が仕留めきれなった、ないしは敗北した事を意味しており己の面子を保つ為だけに情報を「盾」に秘匿した貴族の腐敗と、隠蔽せざるを得ないだけの「何か」が地下水路に潜んでいる事を意味しているのだ。
(冗談じゃない……!)
そう、冗談ではない。
青年の命を守る為にリリーは彼を帝都に送り込んだのであり、より危険な死地に送る為ではない。
こうなっては言い逃れの1つも出来ない程にやる事なす事全てが裏目に出てしまっているが、それでもリリーには無様に足掻く道しか残されていなかった。
そして
下らない体裁と保身だけを目的として、決断を避け続けている。
(リリーくんも、
いや、違う。
違うのだ。
ハルトマンの優れた洞察力は、既にリリーに秘められた資質を見抜いている。
それ即ち、憎悪。
一見すると人と人との緩衝材として振る舞っている彼女は、その内側で荒ぶるどす黒い情念を憎悪によってのみ表出させる事が出来るのだ。
憎しみに、怒りに駆られて初めて決断を行う事が出来るとハルトマンは知っていた。
「しかしねぇ……『盾』は帝国とそれに仕える貴族の支持があって初めて成り立っているのだから、それを損ねるような行いをするのは……」
故に、煽る。
徹底的に愚鈍として振る舞い、彼女の神経を逆撫でする。
その果てに例え自分が無惨に腐り落ちてしまうのだとしても、「盾」の本部そのものが腐り落ちてしまうのだとしても構いやしない。
だって、そんな
そして──最後の一押しを。
「そうだなぁ……そんなに納得が出来ないと言うのなら、今からでも追い掛けてみれば良いんじゃないか?」
「……!」
「事後承諾になるけれど、それ位なら此方からでも働きかけてあげるけれど?」
老爺を睨む碧眼が、見開かれる。
顔を覆う両手の隙間から、血走った眼が提案を精査するべく左右に揺れ────その足元が崩れ落ちる。
「……行ったか」
よっこらせ、と立ち上がって床に空いた大穴を覗き込めば、腐食は執務室がある最上階から地下まで一直線に突き抜けているのがよく見て取れた。
どうやら態々地上から行くのも面倒だからと、地下から直接「駆け付ける」つもりらしい。
「それでこそだよ────」
そう、それでこそ。
態々指先を腐らせられてまで煽った甲斐があった。
これで彼女は無意識の内にセーブしている己の本性を露にするだろう。
だって、彼女の本質は────
「────『
スターロッド家と「盾」が帝国に対して秘匿している、万物を腐らせる魔女なのだから。
◯青年
米に関してはモンスターなのにそれ以外に関しては悲しい位に凡人。
農耕作業と生存の為に体は一通り鍛えているけれどちょっと優れている程度で戦闘能力に関しても見るべき所はない(転生者なのでちょっと機転は利く)
実は(取り敢えず帰ったら米改良してもらっておにぎり作ろ…)とか考えてたのでエリシアに負けず劣らず警戒心が疎かになっている阿呆でもある。
◯エリシア・フローレンス
・発動してない時は無防備(殆ど常時ONにするなど対策はしている)
・発動したとしても何をするかちゃんと決めないと無意味
・射程が半径24mとゴミ(銃器を創造するなどして一応対応は出来る)
など能力が徹底的に暗殺or要人護衛にしか向いてない系魔女。
「新世界」は出来る事の範囲が広すぎるので逆に上手く使うのが難しい魔術であり、割とエリシアだから使えてる見たいな所はある。
自分に向けられた「攻撃」にはオート反撃するように設定してたけど「自分以外に向けた」「捕縛」には何の設定もしていなかったせいで想い人が連れ去られてしまいました。
あーあ。
◯リリー・スターロッド
表面上は王子様系だけどぶっちゃけ無意識で猫被ってるだけで本質はぶっ壊れてると言うか当作のヤンデレ要素の8割。
多分人の皮を被ったバケモン。
でも前後不覚になるレベルでキレてる時しか吹っ切れた行動が取れない辺り本質的に中途半端。
「腐る」って食材によっては大切だけど生育中は米に限らず色んな農作物の敵だよね