雛「……ん…寝てた…みたい」
私は帰宅途中の電車で目を覚ます。
帰宅ラッシュで賑わっていた車内はいつの間にか私だけになっていた。
車窓から射し込む光は赤々としており、見慣れない長閑な風景が広がっていた。
雛「…寝過ごしちゃった…何処だろここ。…とりあえず次の駅で降りよう。」
しかし電車はその後10分経っても20分経っても止まらなかった。
不安になった私はスマホで地図を開く。通信状況に異常はない、しかし何処も示さない。
私は立ち上がり、人を探す。しかし乗客は見当たらず、運転席にはカーテンがかけられており、中を伺うことが出来ない。私は戸を叩き、何度も呼びかけたが、何ら反応がなかった。
駅が近いのか、電車は減速する。ほどなくして、廃れた駅に停車した。私は引き返すため、電車を降りた。
その駅は、無人駅で、案の定、他に利用客が見当たらない。
私は直ぐに母に電話をかけた。
母「もしもし、芥子(かいし)です。」
雛「もしもし、お母さん?電車で寝過ごしちゃって、電車がぜんぜん止まらなくて…お母さん?」
母「…もしもし、もしもし?あの、イタズラなら切りますよ?」
雛「!何言ってるの?お母さん、もしもし?ねぇ!」
電話は切れていた。その後友人や知人達にも電話をかけたが、結果は変わらず
雛「どうなってるの?…どうして私の声が届かないの?携帯のマイク、壊れちゃってるのかな…」
私は大人しく帰りの電車を待つことにした。空は、とても朱かった。
雛「電車来ないな…時刻表は何処かな…」
少し冷静になった私は辺りを見回す。
雛「ここ、きさらぎ駅って言うんだ。聞いたことない駅名…遠くまで来てしまったみたい…時刻表は…見当たらない…」
私は携帯できさらぎ駅の時刻表を調べる…が、きさらぎ駅という駅が検索にかからない。
雛「……こんな時代に検索にすら引っかからないなんて、…秘境駅…?」
私はそう零し、空を見上げる。朽ちた屋根と朱い空が視界に入る。
雛「夕焼けって、こんなに赤かったんだ…、ゆっくりと空を眺めるなんて、今までしてこなかったなぁ。」
たまにはこんな風に過ごす時間も悪くないなと、私は初めこそ呑気に電車を待っていたが、いつまで待っても電車は来なかった。時間を見ようと携帯をだすが、力尽きたように何も映すことは無かった。空は変わらず朱く、時間の経過を全く感じさせない。
雛「お腹すいたなぁ…どこかお店ないかな、道を聞くのと、何か食べたいな。とりあえず駅を出て、人を探そ。」
私は駅を出る。
雛「すごい、真っ赤だ…」
道は舗装されておらず、道端には彼岸花が咲き誇っていた。ちらほら古い民家があるが、失礼だが、人が住んでいるようには見えない。
しかしその中に1つあかりの灯る建物が遠くに見える。私はそれを目指すことにした。
雛「それにしても、スーパーどころかコンビニ1つない…ひとけもない、寂しいところ…」
朱い道を眺めながら10分ほど歩いた頃、カフェか、雑貨屋か、あかりの灯るお店らしき建物に辿り着いた。
雛「…きさらぎ喫茶店。営業してるみたいだ、お腹も空いたし道も尋ねたいし、はいる以外の選択肢はないよね」
私はお店の戸を開く。カランカランとどこか懐かしい音と共に、ふわっと、コーヒーの香りが鼻腔を満たす。
店内には他に客はおらず、カウンターには店員らしき男がコーヒーをいれていた。
店員「…ん?……やぁ、いらっしゃい。珍しいお客さんだねぇ。ふふ、こちらの席へどうぞ?」
そう言うと男はカウンター席へ座るよう促してきた。
私は促されるがままに席へ座り、メニューを開く。
よく見るようなドリンクメニューの隣には、見たことの無いような、というより、想像のつかないような食事メニューが並んでいた。
雛(この、霧のケーキ、気になる。どんなケーキなのかな。)
雛「すみません、霧のケーキってどんなケーキなんです?」
店員「ふふ、当店のオリジナルのケーキでございます。きっと、満足されると思いますよ?」
雛(結局どんなケーキなんだろう)
結局私は好奇心に勝てず、霧のケーキとミルクコーヒーを注文した。
店内は薄暗く、昭和レトロで落ち着いた雰囲気だ。
しばらくしてミルクコーヒーと霧のケーキが運ばれてきた。そのケーキは、そこに存在していると確信を持てないようなものであった。確かにそこに 在る はずなのだが、現実味がない。真っ白でふわふわしている。そんなケーキだ。
私は 其れ にフォークを入れ、口に運ぶ。実体を感じさせないふわっと消えるスポンジと、それでも存在を確信させる生クリームの甘い味が舌いっぱいに広がり、満足する程咀嚼する前に既にとろけて消えた。
雛「…美味しい…こんなに美味しいケーキ初めて…です…」
店員「ふふ、お口にあって何よりだよぉ☆」
私は夢中になって 其れ を食べた。今まで食べた事の無いような味と食感に夢中になっていた。
しかし何事にも終わりはあるもので、文字通り、霧だったかのように、そのケーキは消えた。私が食べただけなのだが。
雛「美味しかったです。ご馳走様でした。」
店員「ふふ、ありがとう。」
雛「ところで、店員さん、私電車を乗り過ごしてしまって、ここがどこか分からなくて…」
店員「ふふ、そうだろうね。」
雛「…え??それってどういう…」
店員「ここは、普通は来られない場所だからねぇ。」
雛「…えっと、」
店員「ふふ。…ねぇ、君は家に帰りたくない、なんて思っているのじゃないのかい?」
雛「…何を」
店員「ふふ、違ったかい?そう言う子がたまに来るから、君もそう言う類かと、ね。」
雛「……」
店員「…ここの住人たちは優しいから、頼るといいと思うよ。」
雛「私は帰りたいです。家に…帰り…たい…です…………」
店員「…ふふ、そう。」
雛「……けど、少しの間、帰りたくない…です…」
店員「…そう、そんな時もあるよねぇ、ふふ。」
雛「店員さんもそんな時があったんですか?」
店員「ふふふ、内緒だよ☆」
雛「そ、そうですか」
店員「この村に滞在するのであれば、いろいろと手助けするとしよう。僕は、この喫茶店の店主、月下 香(つきしも かおる)って言うんだ、よろしくね。」
雛「あ、はい、芥子 雛(かいし ひな)です。よろしくおねがいします。」
店員改め 香「この喫茶店は2階に幾つか部屋があるから寝泊まりには困らないと思うよ。」
雛「でも私あんまりお金持ってない…です…」
香「ふふ、いいよ、出世払いで」
私は店主の、月下さんの好意に甘えることにした。
香「部屋に案内しよう。着いておいで?」
雛「あ、はい、ありがとうございます!」
カウンター横の階段へと歩を進める月下さんに私は追従する。
店内はいつの間にか賑わっていた。
階段を上がると、廊下が伸びており、左手に扉が等間隔で並んでいた。月下さんは、奥から2番目の扉の前で足を止めた。
香「この部屋を使ってくれて構わないよ、鍵、無くさないでね?☆」
雛「ありがとうございます、この喫茶店は、宿屋もしていたのですね。」
香「ふふ、“おはよう”から“おやすみ”まで、きさらぎ喫茶店に、八百万お任せ下さい。」
田舎だから需要に応えるために手広くやっているようだ。ありがたい。
香「では、僕は下に戻るから、またね☆」
雛「はい、いろいろとありがとうございます。お世話になります。」
扉を開くと、微かにラベンダーの香りを感じる。部屋は和室で、低いテーブルと、座布団があり、床の間には、カルミアの花瓶と、月の描かれた掛け軸が飾られている。障子は淡く朱い光を零している。
雛「はぁ〜、なんだか今日はとても長い一日だった気がする…。まだ夕方みたいだけれど…。」
まだ早い気もするが、私は布団を敷いた。
雛「おやすみなさい。」
誰に伝えるわけでもなく、呟く。強い倦怠感に引きずられ、私は直ぐに意識を手放した。
…目を覚ます。もしかするとこれまでの一連の出来事は夢であり、自宅のベッドなのでは無いかと目を開いたが、視界に映る天井は例の和室のものであった。組子を用いて幾何学模様を施した欄間が、射し込む朱い光に照らされ、畳に影を成していた。
雛「どのくらい眠っていたんだろう…外は変わらず真っ赤だけれど…」
熟眠感はある。久しぶりに満足する程の睡眠をとれたきがする。
雛「丸一日寝てしまっていたのかな。」
下から賑やかな声が聞こえる。
雛「色々と良くしてもらっているんだし、何か手伝うことないかな。」
私は布団をたたみ、下へと向かった。
店内は賑わっているが、月下さんは、注文の品を既に出し終えているようで、カウンターからこちらへ手を振っていた。
香「やぁ、よく眠れたかい?」
雛「おはようございます。お陰様でゆっくり休むことが出来ました、ありがとうございます。」
香「お腹すいてない?試作の新メニューがあるのだけれど。」
雛「おお、どんなものですか!」
昨日食べたケーキは絶品だったことから、私の期待は高まる。
香「蒼い蝶のスープ 桜の幻想を添えて だよ☆」
雛「?????」
オシャレ…なのだろうか。そもそもこれは料理名なのだろうか。スープということしか分からない。
理解が追いつかず、私が停止していると、月下さんが、スープを運んできた。
雛「綺麗…」
そのスープは、淡く蒼く光っており、桜の花びらと、蝶の形をした光の塊が湯気の中に揺らめいている。
雛「綺麗…ですけれど、これ…食べられます?」
香「大丈夫、食べられるよ⭐︎」
雛「どんなってるんです?これ…」
香「企業秘密⭐︎ほら、冷める前に食べて⭐︎」
私は促されるままにスープにスプーンをいれ、口に運ぶ。
瞬間、口いっぱいに 蒼 が広がり、私の中に染み渡っていく。
雛「濃厚でクリーミー、だけどしつこくなく、さっぱりとした味わい、これ好き…。」
その蒼は魂にまで染み渡り、心には、雲ひとつ無い青空が広がっていく。涙の出そうなほどの青空が広がっていく。
香「…ふふ、お口にあったようで、何より。」
雛「…なんか、今まで悩んでいたことが馬鹿みたい…ふふ」
香「へぇ、悩み…かい?」
雛「大した話では無いんです。私には出来のいい妹がいるだけです。」
香「なるほどねぇ。何をしても妹と比べられて、劣等感にでも苛まれていた…と。」
雛「妹はいい子なんですよ。両親も悪気は無い…と思います。」
香「…うん。」
雛「…でも何かあればすぐ詩音だったら、詩音ならって…あ、詩音って妹の名前なんですけれど。」
それから私は私生活での愚痴を沢山零し、月下さんは、ただ、黙って聞いてくれた。
香「…たくさん、頑張ってきたんだね。」
雛「…はい。聞いて貰えて、スッキリしました。ありがとうございました。」
香「いいえー、このくらいならいつでもどうぞ⭐︎」
月下さんが、ココアをそっと出してくれた。とてもほっとする味だ。
香「…そういえば、今日は神社で祭りをやっていたねぇ」
女性「祭りに行くのぉ?」
いつの間にか隣の席に座っていた女性が話しかけてきた。
女性「あ、ごめんね?びっくりした?私は 緑埜 桜(ろくろ さくら)見慣れない可愛い子が居たからつい( *´꒳`*)それで、もし良ければ一緒に行こ?ね?」
せっかくなのでこの陽気なお姉さんと一緒にお祭りを回ることにした。
桜「せっかくだから、着物着ない?お姉さんが着付けてあげる!」
半ば強引にお姉さんに着物を着せられ、神社へと向かった。
雛(…そういえば、ここに来てから1度も鏡、見てないな。身支度みんなどうしてるんだろ)
私達は様々な屋台を巡って、数多の演目を楽しんだ。相も変わらず空は朱く、屋台の灯りと人々の喧騒とが混ざりあっていて、それを私はとても暖かく、懐かしく感じる。まるで、私が“在るべき場所”へと戻ってきたかのような
雛「そっか、私の帰る場所はここだったんだな…て…あれ…」
桜「そうだよ…?雛ちゃん。 お か え り」
雛「…た…だ…いま…?」
お姉さんは優しく私を抱きしめていた。
雛(暖かい…)
違う。ここじゃない。ここにいてはいけない!
雛「離して!!」
私はお姉さんを突き飛ばして駅に向かって駆け出した。人々をかきわけて、ただただ必死に走った。
誰かが追ってくることはなかった。しかし私はこの得体の知れない恐怖を、遅効性の毒のように心を蝕んでいく安心感を、ただ、振り払おうと、全速力で駆けた。息も絶え絶えにたどり着いた駅には人気は無く、電車の来た形跡は未だ無かった。妹の声を聞きたい。今となっては、あまり好きではない両親でも恋しい。この不安を振り払おうと、妹の顔を思い浮か…べる事が出来なかった。声も、言葉も、何も思い出せない。嫌な汗が額に浮かぶ。頭を冷やそうと水を求め、御手洗に向かう。蛇口を捻り、手のひらから溢れる水で顔を洗う。
顔を上げ、鏡を見る。
そこに見慣れた私の顔はなかった。
空は相も変わらず朱々としており、足元には白い雛芥子が、嘲笑うように風に揺れていた。