少女の微睡、月香の夜。 作:かなしいな
※第十一話、ちょっぴり過激です。
「ヒャアハハハハハッ!!」
「ひぃぃぃっ!?」
エレベーターを上り切り前に見える大部屋に入った瞬間に響いた笑い声を異常な程警戒したのは間違いでは無く、その直後に飛来した水銀弾を狩人は何の事も無く回避出来た。
水銀弾を乱射している男を中心に時計回りに走る狩人は、叫び声を上げながらも弾丸の一切を受ける事無く男の元へと辿り着く。
「ふっ!」
「グゥッ…!獣、が…武器なぞ…」
首を一閃、ただそれだけで致命となった男は、狩人に恨み言を吐きながら息絶えた。
あるいはその恨み言も、今までのものと積み重なって狩人の重荷となっているのだろう。
「わっ、またこの箱…」
狩人が見付けたのはオドン教会に入る扉の前にもあった宝箱だ。
前述の箱には工房道具が入っていたが、果たして。
「ん、しょ……何これ?」
三つの点に囲まれた雫型の瞳が涙を流しているような記号、それが描かれた小さな板が、箱の底に置いてあった。
拾い上げて裏を見ても特に何も書いておらず、他に箱の中身は無い。
だが狩人は箱や板では無く、この記号自体に意味があるように思えてならなかった。
「まぁ…いっか」
元々そこまで中身には期待していなかったのか、狩人は板を懐にしまい込むと大部屋の外へと通じる道へと向かう。
空は未だに陽の赤と雲の黒に支配されており、夕暮れの終わりはもう少しばかり先になるだろう。
その赤を久々に見たからか狩人が上を向けば、今歩いている道が繋がっている塔の上階から、二人の銃手が狩人の眉間を狙っていた。
「おわっ!?」
咄嗟に前のめりに走り出した狩人が慌てながらも前を向き直ると、正面からは一人の罹患者が右手に曲剣を携えて走り寄って来た。
射線の通らないであろう足場の真下まで何とか逃げ込み、罹患者の曲剣に狩人のノコギリ槍を叩き付けて受け止める。
一瞬の鍔迫り合いの後に無理やり押し込み罹患者を足場から突き落とすと、直後に真後ろから幾つかの足音が狩人の耳に届いた。
素早く入口の陰へと身を隠して中を覗けば、そこにはどうやら複数人の罹患者がいるようで、狩人の位置から見える松明と盾を持った者以外にも気配を感じる。
「上るって事は…アレだよね」
松明を持った罹患者の後ろに見えるのは、上へと続く階段だ。
ゲールマンの"オドン教会を上る"という助言が言葉通りの意味であり、尚且つそれが示す場所がここであるなら間違いは無い────…の、だろうか。
「退いてっ!」
「獣め!上って来たか!」
「獣じゃ…ないっ!」
言葉尻に込めた気合いごと振るったノコギリ槍は木盾を大きく弾き、がら空きになった腹部を真一文字に斬り裂いた。
その勢いを殺す事無く狩人は階段へと走る。
視界の端には三人の罹患者が映るが、それも無視して上って行く。
階段を上り切った狩人は部屋の内部を目視で確認する事もせず、直ぐ右に見える出口へと向かう。
左右には当然先程狩人を狙っていた銃手が二人いるが、勢いを殺さないためにも左へ走って行く。
「グオォォォッ!」
「やばっ」
────が、眼前に道は見えない。
見えない筈は無い、ただ目の前にいる巨漢のせいで視界を阻まれていただけだ。
止まれば撃ち殺される、戦えば袋叩きにされる。
となれば走り抜ける以外に選択肢は無い。
そう悟った狩人は、大男の股下を滑るように潜り抜け、奥へと逃げ去って行く。
「いったたた…」
今まで数々の獣と戦い、時には強者との戦いすら制した狩人も、数刻前まではただのか弱い少女だった。
痛みに慣れた訳では無く、ただ我慢する事に慣れただけ。
見た事のある相手が束になって襲って来るという今の状況は、戦う事を回避出来ない強敵の前に立った時よりもずっと緊迫感は薄かった。
……だからという程でも無いが、狩人はたった今見付けた梯子を登る時も、スライディングで擦りむいた膝を気にしている。
「ここが最上階、かな…」
梯子を登った先は下と変わらない造りをしているからかどうにも上り切ったという感覚が薄いが、狩人は己の精神状態を出来るだけ気にせずに先を急ぐ。
「右は…行き止まり────ってこれ、メモ…?」
狩人がまず向かった最上階右回りの通路は行き止まりとなっており、棺桶や土嚢、木箱などが捨て置かれている。
その寸前、地面に一枚のメモが落ちているのを見付けた。
『宇宙は空にある。「聖歌隊」』
「宇宙は空…聖歌隊…」
何を当然の事をと言わんばかりに空を見上げる狩人に、メモの意味を理解する事は出来なかった。
ただ一つ理解出来たのは、"聖歌隊"と言う組織が宇宙の在処を見付ける事が出来たというだけだろう。
通路を左回りに歩いてみれば、やはり出入口を見付ける事が出来る。
明らかに中には罹患者がいる、そう確信するだけの気配があった。
出入口からひょこりと顔を出してみれば、中に見える陰は三つ。
車椅子に乗っているものが二つと、靄に隠れて見えにくいがその場に佇んでいるものが一つだ。
奥には暖色の光で照らされた通路と、その更に奥には大きな扉が見える。
ゲールマンが上れと言っていたのはあれが理由だろうか。
まだ確証は無いが、とにかく近付いてみなければわからないだろう。
埒の明かない状況を続ける訳にも行かない、後ろから梯子を上って追って来る罹患者がいないとも限らない。
現状に急かされるようにして走り出した狩人がまず狙ったのは、部屋の右側にいる車椅子の男だった。
ただの銃なら左右どちらかに動きながら近付けば問題無いだろう、だがその手に持っているものは今まで見たものとはまるで違う形をしていた。
「火!?…ってこれ、ギルバートさんの…?」
突如視界を覆った火を辛うじて回避した狩人は、ちりちりと焦げる髪の毛先に僅かに気を取られつつも、その炎の攻略に思考を回す。
しかしそれも長くは続かず、間髪入れずに放たれたもう一つの火炎によって後退を余儀なくされてしまう。
「…っ、邪魔だなぁ…!」
「燃えろ、獣め!燃えて失くなれ!」
その叫びすら煩わしいと狩人は銃を構え、連続で数発を罹患者の持つ火炎放射器に命中させる。
数発の内の一つが火炎を吹き出す機構に命中したらしく、一際大きな炎を上げて片方の車椅子が乗っていた罹患者ごと焼け焦げた。
如何にも驚愕したという雰囲気を隠す事無く、それでいて罹患者は狩人を見失わずに火炎放射器を向ける。
だがやはり一度意識が逸れた分のロスは取り戻せず、防ぐ事すら叶わずに火炎放射器ごとその腕を断たれてしまった。
「ウグゥッ…何故、獣が…」
「獣じゃないって、どれだけ言えばわかるんですか……まぁ、今まで言った分なんて知らないでしょうけど…」
お喋りもそこそこに靄の向こうから罹患者が狩人へ襲い掛かるが、光球によってそれも見切り、躱す。
すれ違いざまに首を斬り裂く事で、狩人はようやくこの場を制圧して見せた。
残念な事に下階には未だに罹患者達がいる訳で、制圧出来たのはこの階層この一部屋だけなのだが。
「ぅん、しょっと…あれ、これって…?」
再び見付けた宝箱を開けてみれば、中に入っていたのは白く淡い輝きに覆われた剣のガードの形をした飾りのネックレスだった。
狩人にとって見覚えのあるそれは、聖職者の獣を打倒した際に拾ったものと同一の形をしている。
「…これもゲールマンさんに聞いてみよ」
ネックレスを懐にしまい、狩人は奥の扉へと向かった。
壺だらけのその一室にある扉は豪奢な飾りがある訳でも無い、ただ頑丈なだけの扉といった所。
押しても引いても開く事は無く、大橋でそうしたように持ち上げようとしてもビクともしない。
良く見れば鍵穴が一つあり、今は施錠されているらしい。
"上れ"と言われたから来たは良いものの、開かないとなれば考えられるのは二つ。
狩人が間違っているか、助言者が間違っているか。
"幾つかの選択肢を見てきた自分が間違えていると言う方が現実的だ"
そう考えた狩人は、来た道を引き返し始めた。
「グオォォァァッ!」
「ごめんなさぁぁいっ!」
当然来た道には罹患者や大男がいる訳だが。
何とか下へと駆け降り橋を渡ってエレベーターへ戻ろうとした狩人の前に現れたのは、やはり先程見逃していた罹患者達だ。
どうやら狩人が通った時にいた場所から移動したらしく、今は橋の手前に二人が陣取っている。
慌てて横へと舵を切って動いた狩人だったが───
「あっ」
後ろばかり気にしていたせいか前…というより下への警戒を怠っていたらしく、地面の崩落した道を進む事で半ば罠に掛かったように更に下階へと落ちて行った。
「ぁいだっ!?」
狩人は突然の事で着地が上手く行かなかったようで、恐らく捻ったのであろう右足を庇いながら歩いて行く。
降りた地点から半周程すれば、再び中へと続く出入口が見えた。
上階と違い明かりは殆ど無く、床もちょっとした木板が貼られている程度で、それも柵などは付いていない。
上から垂れ下がる縄は太く頑丈そうだが、ここから降りるのに使うとなれば頼りなく感じるのも無理はないだろう。
とはいえここから下に薄らと見える足場まで飛び降りるのも無茶な話だ。
落下の衝撃で足どころか腰や背中にまでダメージが及ぶ可能性もあり、ましてや片足を負傷している今そんな危ない橋は渡れない。
「…はぁ、降りますよ、降りれば良いんでしょ…?」
誰にという訳でもなくそう呟いた狩人は、両手で縄を掴んで僅かに体重を預けた。
やはり頑丈に出来ており、ちょっとやそっとでは千切れる事は無いだろう。
上も固定してあるようで、降りる事に支障は無さそうだ。
それが確認出来た後、極力足に負担を掛けないようにして少しずつ降りて行く。
キシキシと鳴る上方は出来るだけ気にせずに降りて行くが、その体は誰が見てもわかる程にか細く震えている。
やがて下の足場が見えてくるとそこに左足を掛け、ゆっくりと着地した。
「…まだ下…?」
何度落下を経験しても高所は慣れないのか、恐る恐ると言った様子で下を覗いた狩人の目に映ったのは、小さな足場と両開き扉だった。
なかなかの高さはあるが、そこへ伸びる縄も数本ある。
出来るだけ下を向く事無く降りて行けば、何とか握力が弱まる前にそこへ辿り着く事が出来た。
「よ、い…しょっ!…いだだだっ…」
体重を掛けた分足に走る痛みを我慢しつつ扉を開ければ、その先にあったのは下り階段だ。
それ程長くも無く、足場から見た最下層と見比べてもまだ高い事から見ても、繋がっていない可能性が高い。
繋がっていたとしても相応に回り道を強いられるだろう。
階段を降り、光射すその先へ出てみれば、そこは────
「ぁ、う…また…」
脳に響いた"何か"の感覚によって一瞬の邪魔が入ったが、そこは狩人も見覚えのある場所だった。
狩人の夢、それと似たような景色が今狩人の前に広がっている。
所々に違いはあれど、大凡は記憶通りのものだ。
「ここにも宝箱…って、これ水盆のとこじゃ…」
その大凡から外れるものが早速狩人の目につく。
狩人の夢では遺志によって取引を行う水盆が置かれていた場所には、一つの木箱が置いてある。
足を引き摺りながら近付き開けてみると、その中にあったのはヘッドドレスから靴までがセットで入った服だった。
狩人の夢同様見覚えがあるそれに、狩人は僅かに狼狽えつつも拾い上げる。
畳まれていた服を伸ばしてみれば、やはりそれは人形の服だ。
装飾まで全て入っており、狩人の体と比べれば丈は僅かに長いが、着られないものでは無いだろう。
「なんでここに…ここも夢…?」
置いておくのも偲びないそれを懐にしまい終えた狩人は、ゲールマンに助言を聞くのと同じように階段を上って行き、開け放たれた工房の扉を潜る。
中は散らかっているような事は無く、だが僅かに埃が掛かったそこは既に棄てられた場所なのだろう。
中を見渡す必要すら無く、狩人は工房の中心に灯りを見付ける。
それに歩み寄ろうとした時、工房道具などが置かれている机や棚の一つに、狩人は夢で見覚えの無いものを見付けた。
「髪飾り…綺麗なのに、置いて行ったのかな」
見付けたのは一つの髪飾りだ。
豪奢という訳では無く、だが質素という訳でも無い。
思いを寄せる者に送られた、もしくは送ったものであろうそれを何故置いて行ったのか。
棄てられたここに今更取りに来る者もいる筈が無く、先程人形の服を拾ってしまったのだからと狩人は髪飾りを同じように懐にしまった。
そうして火事場泥棒の真似事のような事をしていた狩人が奥に目を向ければ、見知った顔───というより、見知った物が見える。
狩人は急いで灯りを点け、それに向かって歩いて行った。
人形だ、それも工房の隅にまるで棄てられたようにして座っている。
近付いても反応は無く、まるで狩人が聖職者の獣に出会う前のようにピクリとも動かない。
そこまで考えて"人形は動かないのが普通"と白痴でも気が付く常識に辿り着いた狩人は、そそくさと他のものへと視線を移した。
近くにあるものと言えば夢の中でも使った事の無い祭壇だろう。
狩人は失われた工房道具を設置する場所だと踏んでいたが、恐らく夢の元となったであろうこの工房の祭壇には、どこかおぞましさを感じる"何か"が置かれていた。
「うぇ…何これ、紐?」
斑点のような穴のような模様があるそれは、近付くのも躊躇われるような雰囲気を放っており、狩人の臆病な心に見え隠れしていた大きな好奇心を持ってしても触れる事はなかなかに困難なようだ。
昆虫の背後で網を構える少年のようにジリジリと近付く狩人は、やがて覚悟を決めてその右腕を突き出し、そして掴んだ────が。
「あっ!」
残念な事に狩人は気合いを入れ過ぎたらしい。
強く掴み取られたそれは、狩人の掌の中でボロボロと崩れ、壊れてしまった。
「ど、どうしよ…でもこんな所に置かれてたし…」
狼狽える狩人を、またもや"あの感覚"が襲う。
脳に何かが芽生えるような違和感と、それに伴う高揚感。
視界がぼやけるような感覚をどうにか振り払い、狩人はもう一度手を開いた。
まるで今までの強者を屠った時のような強い違和感を齎したそれは既に塵となったようで、狩人の手にはもう何も残っていない。
三本の三本目、あと二本。
「…まぁいっか」
楽観主義という訳でも無いが、こんな奇妙な現象を何時までも考察する余裕は狩人には無い。
他にも何か無いかと狩人が外へと足を向ければ、床と地面の僅かな段差を認識出来なかったようで、負傷した片足を庇っていた事もあってか盛大に転倒してしまった。
「いっ…たたた……あれ?」
転倒した狩人の視線の先にあるのは、一つの墓標。
何度もの死を経験し、夢に転送された中で何度か人形がその墓標に祈っているのを狩人は目にしていた。
それの下に手向けるようにして置かれているのは、一つの物体。
狩人の目には、それは人の骨のように映った。
拾い上げてみれば驚く程に軽いそれは、やはり見れば見る程人間の遺骨だ。
「あ、悪趣味なお供え…」
と言いつつも手放す事はせず、お供えなどと言ったそれを懐へとしまい込んだ。
ここに来てから空き巣のような事をしてばかりだが、この場はもう既に漁りきった後だろう。
これ以上大した収穫も無いと踏んだ狩人は、先を急ぎ工房を後にした。
「…あ、灯りで一回帰れば良かったかな」
縄を使い最下層へと降りながら、狩人はそう一言溢す。
残念ながら既に上の足場よりも下の方が近いため、横着とも言えるが狩人は戻る気はないらしい。
そうして降り立った最下層の真正面に見える壁には扉があり、その手前には何やら獣が蹲っている。
右足を庇いながらも出来るだけ音を立てずに近付いた狩人は、だが一定の距離に入った瞬間立ち上がった獣に、左足だけで無理やり踏み込みノコギリ槍を振りかぶった。
「グゥゥッ!?ギャアァァッ!」
振り向きざまに顔面を斬り付けられた獣は、怯みつつも狩人に向かって吠える。
その絶叫と同時に振るわれた両の爪をいなしながら獣の胴を浅く斬り裂く狩人は、その手数に押されてか幾つかのかすり傷を負ってしまう。
「よっ、と…使わなきゃだよね…」
そう言って狩人が取り出したのは輸血液だ。
今まで数度しか使った事の無いそれを、やはりここまでの消耗は辛かったのか自身の右腿に突き刺し、注入する。
獣に付けられた裂傷が塞がる感覚と共に、狩人の足にあった痛みと違和感も消え失せてしまった。
「あ、あれっ?こういうのも治るの…?」
そうは言うが、狩人は一度腕の骨折も輸血液によって治している。
この夜での苦戦が響いてそれらが頭から抜けていたらしく、嬉しい誤算と言った様子で狩人は武器を構え直す。
そこに獣は、今まで狩人が見た事も無いような攻撃を繰り出した。
「ギィァァッ!」
「火!?」
火球を二つ、狩人に向けて飛ばして来たのだ。
狩人は驚愕しつつもそれらを躱し、斬り込むが、やはり衝撃は大きいのか及び腰になってしまっている。
やがて激しくなり始めた獣の攻撃を何とかいなしつつも狩人はノコギリ槍を変形させ、その切っ先で獣の胴を貫いた。
「ギ、ギィ…ガァァッ……」
「な、なんだったの…?」
炎を扱う獣などというものは今まで狩人の対峙した事の無いタイプの獣だ。
その血に毒が流れている獣を討伐した後とは言え、その衝撃は一入だろう。
獣が倒れたその場所に、狩人はまたも小さな板を見付ける。
六方指の獣の足のようにも、枯れ花のようにも見えるそれは、恐らく狩人が上階の宝箱で見付けたものと同じような役割を持つのだろう。
一先ずそれを懐にしまい、狩人は目の前にある扉を開けた。
扉の向こうはヤーナム市街と同じような造りの建物が並んでおり、まず目に飛び込んで来るのは民家の扉の側に置いてある赤いランタンだろう。
今までの狩人の経験からして、このランタンは人がいる証だ。
ローブの男の頼みもある、狩人はまともな人間である事を祈りながら、その扉をノックした。
「あの、すみません…」
「…うへへへへへ…」
「げっ」
"失敗だ"
その笑い声を聞いた瞬間、狩人は確信に近い感覚を得た。
だが気味の悪い笑い声と言えばそれこそローブの男という前例がある。
狩人はもう少しばかり話を聞く事にしたらしい。
「不吉な夜、良い夜だよなぁ…あんたもそう思うだろう?」
「そ、そうですかね…?」
「うへへへへへ…」
「……ダメだ」
やはりまともな相手では無かった。
これを教会に連れて行ってもろくな事にならないだろう。
そもそもこの夜を良い夜だなどと言っている時点で避難する気など無さそうだ。
狩人はそそくさと扉から離れて先を急いだ。
横道には入らず道なりに進もうとした狩人がその奥に見たのは、一人の罹患者と犬一匹がこちらに向かって歩いて来る姿だった。
その手前には見た事も無いような大男もおり、その時点で狩人の気勢は大きく削がれている。
渋々と狩人は道を引き返し、薄暗い路地へと入って行った。
路地の左右には樽や木箱が乱雑に積まれており、先には曲がり角が見える事からどうやら相応に入り組んでいるようだ。
暗所を苦手としているのか僅かに肩を震わせながらゆっくりと進んでいる狩人の足元に、何かが蠢く音が走る。
素早くそちらに目を向ければ、それは肥えた鴉の発した音だった。
「ギャァッ!ギャァッ!」
「う、うるっさ…」
小さく文句を吐きつつも、狩人は二羽の鴉を葬る。
奥には左へ上る階段と、右へ続く道が見える。
奥が見える所まで近付いてから選ぼうと歩く狩人は、だが左の道から何かが駆け寄る音を聞いた。
先程とは別の犬だ、既に狩人に気が付いており噛み殺す気満々と言った様子で走っている。
「犬が相手ならっ…!」
「ギャウゥッ!」
左手に持った短銃から放たれた水銀弾は犬に命中し、大きく体勢を崩させた。
すかさず右手のノコギリ槍で頭を叩き割る事で、狩人は犬に対する迅速な対応を完了させる。
犬相手に殺意が芽生え始めた事からも、狩人はなかなかにヤーナムを歩む者として成熟し始めたようだ。
左から走って来た犬は一匹のみ、他に鳴き声も聞こえず、追って来る者もいない。
ならばと狩人は左の道を行く事にした。
小さな階段を上ればその先は左右に分かれており、右の道には罹患者が二人いる。
左は荷車が障害物となって見えないが、何者かが隠れ潜んでいないとも限らない。
狩人は覚悟を決めて右の道を走り始めた。
幸いにも罹患者二人は狩人に背を向けている、片方は気付いたようだが振り返った時には既に遅く、ノコギリ槍が振るわれる。
胸元を大きく斬り裂かれた罹患者は倒れ込み、もう一人の罹患者も手に持った鋤を構えるが、武器に使用されているだけでただの農具に過ぎない。
武器ごと両腕を断ち斬られ、罹患者は絶命した。
罹患者達が向かっていた先には下り階段が見えており、その奥はどうやら行き止まりとなっているらしい。
ゆっくりと階段を降りて行けば、狩人はその行き止まりに何かが蹲っているのを見付ける。
「ウジュル…フジュ……」
「…人?」
二本ずつ生えた手足は、薄暗いこの場では人にも見える。
だがそこから発せられる音は人から大幅にかけ離れており、狩人の警戒心を強く刺激している。
数歩近付いた狩人に気が付き振り向いたそれの顔は触手のようなものに覆われており、尖った帽子を被っているように見えた頭部はどうやらそれすらも触腕のような部位だったらしい。
咄嗟に武器を構え直した狩人に向かって、それは右手を前に突き出し掌から白い光の弾を発した。
その光が命中した瞬間、狩人は体の自由を失ってしまう。
「えっ?な、何…?体が…」
「フシュゥ…」
「こっ、来ないでっ!」
近付けば近付く程狩人が今まで見たものとはかけ離れていると確信せざるを得ないそれは、狩人の両肩を掴みその頭部、或いは触腕にも見える食道を伸ばした。
伸びた食道の先は獲物を探すように蠢いており、思わずそれを見詰める狩人の恐怖心を強く駆り立てる。
「や、やめて…嫌…」
「ウジュゥッ」
やがてその食道は獲物を確かに捉えたようで、狩人の頭に向かって伸びて行く。
それは狩人の耳の輪郭を僅かに撫でた後、耳道を傷付ける事無く奥へ奥へと侵入する。
「ぁ…あっ、ぅ…」
水音を立てながら侵入する食道を狩人は全くと言って良い程拒めず、食道の先はいとも容易く最奥へと辿り着く。
思わず漏れてしまった声は、痛みでは無く快感によるもの。
食道の先はまるでその声に触発されたかのように、今までとはまた違う音を立てながら、狩人の中に存在する"何か"を吸引し始めた。
「い゙っ…!ぅ、あ…?」
鼓膜を突き破る一瞬の痛みと、それを直ぐに押し流してしまう濁流のような快楽。
"抵抗"という選択肢すら呑み込むように破壊され、狩人はその手に握っていた武器を取り落としてしまう。
やがて自身の体重にすら耐え切れなくなったのか、カクカクと震える膝は折れ、狩人はその場にへたり込む。
その間も吸引は止まらず、暴力的な快感の中、狩人の脳は限界間際まで追い込まれて行く。
肩を震わせる様は恐怖に慄いているようにも、その感覚を享受しているようにも見える。
初めての感覚に訳も分からず体を震わせる事しか出来ない狩人は、やがて理解が及ばない状況と感覚に混乱し始めたのか大粒の涙を溢し始めてしまう。
狩人の脳に芽生え、その思考を研ぎ澄ましていた"何か"の感覚が弱くなり、だが僅かに消えた程度でその生物は満足したようだった。
その生物は脳喰らい。
眷属と呼ばれるものどもに連なるそれらは、人間の啓蒙を吸い取るらしい。
常ではないものを見た狩人の脳に芽生えたものも、啓蒙と呼べるのだろう。
ならば脳喰らいの食事として選ばれるのも当然に思える。
狩人は狩りに精通しておらず、人間の中でも未だ弱い部類なのだから尚更だ。
「ぁう…ぇ…?」
「グジュ…フジュル…」
ごぽりごぽりと何かを呑み込むように収縮していた食道が動きを止めると、脳喰らいは痣が出来てしまいそうな程に強く掴んでいた狩人の肩を離し、一歩下がった。
濡れた肉が引き摺られるようなずるりという音を立てながら狩人の耳道から抜け出た食道は、鼓膜を破った時に付着したのであろう血と自らが分泌したのであろう液体で、てらてらと光を反射している。
それを見た狩人は、何かを吸われた感覚と食道を引き抜かれた感覚に惚けながらも、脳喰らいをどうにか倒さなくてはと体に力を込める。
ようやく起き上がろうとした狩人に、だが脳喰らいは間髪入れず腕を振るう。
矮小な体に似合わぬ膂力で突き飛ばされた狩人は、木箱を砕きながら壁に激突した。
先程の吸引で腰が抜けているらしく、なかなか起き上がる事が出来ない狩人に、脳喰らいは再び光を命中させた。
「や、やだ…吸わ、ないで…」
狩人の懇願を余所に、脳喰らいは再び食道を伸ばす。
光の効果以前に気力が負けてしまっていた狩人は、最早身を捩る事すらせずにその耳で食事を受け入れた。
左耳に侵入した食道から聞こえる嚥下音は、狩人の右耳にしっかりと届いている。
吸引され尽くしたからか、それとも単純に狩人の体がその感覚に耐え切れなかったのか。
狩人は体の制御も、意識すらも手放してしまう。
深く深く沈む意識は、だが啓蒙を吸われる感覚を鮮明に感じ取っていた。
「────…はぁぁぁぁっ…」
長い溜息、それは夢に転送された狩人の口から発せられたものだ。
抵抗力を殆ど失っていたとは言え、最終的に無抵抗のまま死を受け入れてしまったのがだいぶ堪えているのだろう。
その上脳喰らいからは強敵の雰囲気などは微塵も感じなかった。
狩りに慣れてしまったが故に、初めて遭遇する敵に対する恐怖こそあれど、緊張感が薄れてしまっていたのかもしれない。
それらを考え、省みる頭までは吸われなかった事を誰とも知れない何者か、あるいは空にでも感謝しながら狩人は立ち上がった。
やがて何かを思い出したのか、狩人は人形の元へと近付いて行く。
「人形さん、遺志のやつ────って、あぁ!」
「どうかなされましたか、狩人様」
「い、いや…あはは、そのぅ…」
狩人はつい先程脳喰らいの手で死を迎えたばかりである。
故に今まで得た血の遺志はその場に落としているか、脳喰らいに取り込まれているかなのだが。
どうやら狩人はそれをすっかり失念していたらしい。
急な手持ち無沙汰を迎え、だが何の用も無かったと言うのも恥ずかしく、狩人は必死に脳内で話題を探し始めた。
「あ、えっと、医療教会について何か…こう、昔の狩人さんから聞いたりしてませんか?」
「医療教会…はい、聞き及んでおります。」
「おぉ…どんなお話を?」
「神と、神の愛のお話を」
予想外な話題に狩人は眉を動かすが、その両耳は人形の話題に聞き入っている。
狩人は愛を知らない。
と言うよりも、忘れていると言った方が正確だ。
記憶を失っているが故に自身に向けられた愛があったのかどうか、どんなものだったのかも知らない。
「ですが…造物主は、被造物を愛するものでしょうか?」
「被造物…」
「私は、貴女方、人に作られた人形です…でも貴女方は、私を愛しはしないでしょう?」
「そんな事…うぅん…?」
造物主から被造物への愛、それは人形の悩みとも言えるものなのかも知れないが、そもそも狩人は愛そのものをいまいち理解出来ていない。
「逆であればわかります」
「逆?」
「私は、貴女を愛しています。」
「えっ」
思いもよらぬ告白に、愛を知らない狩人ですら思考に一瞬の空白が出来てしまう。
だがその空白は他でも無い人形によって破られる。
「造物主は、被造物をそう作るものでしょう…」
「あっ、あぁ、そういう…」
狩人は顎に手を当て、少しばかり悩んだ後、人形に向き直り自身の見解を告げた。
「愛…って言うのが何かは、僕にもちょっとわからないです…でも」
「…?」
「作った側の気持ちも、僕にはわからないんですよ。記憶喪失ですし」
言い得て妙、というより当然の事だろう。
記憶を失った狩人が、造物被造物が互いに向ける愛など理解出来る筈も無い。
だが人形は狩人を愛していると、そう告げたのだ。
「えっと、つまり…愛してるとかはわかんないけど、僕は人形さんの事好きですよ?最初にお恥ずかしいとこお見せしちゃったってのも…まぁ、ありますけど…」
「それは…造物主としての愛には含まれないのでしょうか?」
「まぁ、作った人の気持ちとしての愛では無いですし…うぅん…そうだ!」
何かに気付いた、というより思い出した様子で、狩人は武器や防具を入れ替える時のように強く念じる。
布が擦れる感覚と共に目を開ければ、狩人は古工房で拾った人形の服を身に纏っていた。
「あはは、拾い物ですけど…えっと、お揃いにしたい!みたいな好きもあると思うんです」
「"好き"というのは…」
「あー…愛してるとは別の…好意?」
狩人も言っている内に訳がわからなくなっているのか、混乱のままに言葉を絞り出して行く。
そんな狩人を見ながら、人形は少しずつ愛とは別のものについて考え始めていた。
「と、とにかく…一緒にいたり、同じ事をしたりするのが嬉しい…みたいな」
「それが…狩人様が私に向けてくださる、好意ですか」
「合ってる…と、思います…多分……あっ、あとこれも」
そう言って狩人は、懐から一つの髪飾りを人形に差し出す。
それも古工房で拾ったものだが、棄てられたも同然のものだ、誰がどう利用しようと問題は無いだろう。
「これは…なんでしょうか?」
「綺麗ですよね、人形さんの髪に似合うなって思って」
「……私、私には何もありません、分からない、分からないのですが…」
人形はその髪飾りを大事そうに胸元に抱き、片手を目元へと持って行く。
人形の目元で光を反射するそれは、狩人が事ある毎に流しているものと同じようにも見える。
涙だ、人形が涙を流すなど尋常では有り得ないが、狩人にはその反応が当然のようにも思えた。
「…温かさを、感じます…こんな事は、初めてです…私は、おかしいのでしょうか?」
「…その髪飾り、人形さん宛のものだったのかも知れませんね」
「私宛の…」
拭い切れていない人形の涙を、狩人はその細い指で出来るだけ強く擦らないように拭い取る。
石のように硬質なそれは、光を反射し宝石のように煌めいている。
「人形さんが今感じた温かさが、もしかしたら愛なのかも…とか」
「これが、愛…」
「いやまぁ、そういうのわからない僕が言っても信憑性とか無いですけど…」
「…いいえ、たとえ私に宛てられたもので無いとしても、これは愛なのだと思います」
涙石を拭い取った狩人の手に人形はそっと触れ、優しく掴み自身の頬に添える。
少々背伸びをしながら拭い取った狩人の姿は少し不格好かも知れないが、人形はそのような事を考慮していない。
「狩人様。私はやはり、貴女を愛しています」
「…はい」
「たとえ貴女が私を愛していなくとも、私は…この喜びを、失う事はありません。」
被造物なりの愛を狩人に伝えた人形は、名残惜しそうに狩人の手を離し、再びその手を髪飾りに添える。
狩人はその告白を受け止め、だが返すものがあるのかと思案していた。
そんな時、アルフレートの言葉が狩人の脳裏に蘇る。
『先行投資…とも言えるでしょう』
「…じゃあ人形さんは、僕に先行投資しておいてください」
「先行投資、ですか」
「はい!僕もその…愛について、色々勉強して…お返し出来るように頑張るので」
愛情に返す言葉としてはあまりに頼り無く、全てを喪失してから得た記憶の中で最も的確だと確信したにしては事務的過ぎるが、狩人の中では精一杯の返答なのだろう。
それによって人形が笑みを浮かべる事も、悲しみを浮かべる事も無い。
だが狩人は言葉を続けた。
「だから、僕は人形さんを愛します。…愛が何なのかわかるまでは、ちょっとあやふやなままですけど」
「…いえ、曖昧なものでも、それは喜ぶべきものです」
「ですかね?」
狩人は人形に笑いかけるが、人形の表情は変わらない。
だが、その雰囲気はずっと柔らかいものになっていた。
「じゃあ僕、遺志拾ってまた戻って来るので!」
「はい、いってらっしゃい、狩人様」
愛を確かめるのもそこそこに、狩人は振り返って歩き出す。
目指す先はヤーナムに戻るために使用している墓石だが、それに手を翳そうとした狩人を、使者達が制した。
「あれ、小人さん?どうかしました?」
こっちこっちと誘うように手招きをする使者について行けば、連れられたのは今まで使用していたものの隣に立てられた墓石だ。
誘われるままに手を翳せば、転送が始まる。
何だったのかと狩人が目を閉じ、白い光に包まれると────
次に狩人が目を開ければ、そこは先程付けた棄てられた工房の灯りだった。
使者達がもう一つの墓石へ誘った理由がいまいち理解出来なかった狩人は、その場でうんうんと唸り、やがて一つの答えを出した。
「ひょっとして、ここはあのお墓からじゃないと飛べないとか?」
狩人の疑問に答えるようにして灯りの下に現れた使者達は、正解だと言わんばかりに小さく頷く。
「そうですか、ありがとうございます」
それを見た狩人は微笑を浮かべながら使者達に礼を言い、古工房の出口へと歩き出した。
「あ、着替えなきゃ」
自分が未だに人形と同じ服を着ていたのに気付いた狩人は、やはり汚したくは無いのか元々着ていた神父の服へと着替える。
三回目でようやく慣れたのか、それほど時間も掛からずに防具の切り替えは済んだ。
再び縄を使って下へと降りて行き、狩人は路地へと向かう。
鴉を殺し、犬を殺し、罹患者を殺し。
そして狩人は脳喰らいの元へ辿り着いた。
恐怖か、それとも別の何かか。
狩人の足は小さく震えているが、気合いを入れ直したのか震えはピタリと鳴りを潜める。
未だ脳喰らいは狩人に背を向けている、今が好機だろう。
地面を強く踏み出した狩人は、階段を飛ばし飛ばしで駆け下り、一つの目的でもあった血の遺志を拾う。
その足音に気付いたのか振り返った脳喰らいの頭部を、狩人は大量の遺志が流れ込んで来る高揚感に身を任せ斬り裂いた。
隙を与えず二回、三回とその体を斬り刻み、その最中に槍へと変形させ胴を貫く。
如何にも恨みがましいと言った様子で抉りながら槍を引き抜けば、脳喰らいは静かに絶命した。
「はっ、はぁっ………もう、こんなの出て来ませんよね」
精一杯心中で出て来てくれるなと祈っているが、そんな事は無いだろうという確信があるのも事実。
またもや大きな溜息を吐きながらも、狩人はその死体の足下にある何かを広い上げた。
三日月のような形をした血のように赤い石は、何故か狩人の本能を掻き立てる。
不思議がりながらもその石を懐にしまい、狩人は再び歩き始めた。
涙石
白銀に輝く涙の石。
使用により雫の血晶石となり、あらゆる武器を強化できる。
人形に血も涙もあろう筈が無い。
だが狩人は尋常ならざるそれを当然と受け入れ、優しく拭った。
あるいは愛に触れる事の切なさを知らないが故に、人形も涙する程の事なのだと受け入れたのだろうか。