少女の微睡、月香の夜。 作:かなしいな
※第十二話、聖堂街です。
一度目は目指す場所がわからないが故に。
二度目は血の遺志を回収し、雪辱を晴らす為に。
そうして脳喰らいの元へ向かい、呆気なく倒した狩人は、反対の荷車が障害物となっていた道へと歩いていた。
道の先はエレベーターとなっており、建物の構造からしてそれは上へと続いているのだろう。
"戦う前にこちら側も確認しておけば良かった"と思う反面、"右は行き止まりなのだから、背を向けていれば引き返して来た罹患者達に殺されていたのかもしれない"という考え方も出来る。
そんな事を考えながらエレベーターに乗った狩人の腹に、一瞬の圧力が掛かる。
やはり向かう先は上だったようだ、それもオドン教会のものより長いだろう。
小さな振動と共にエレベーターが止まり、狩人の目に小部屋の出口から見える外の景色が映る。
赤い空とその手前に大きな鉄柵の門、向こう側には人影が最低でも二つ。
そして何より───────
「えっ死体…?なんで…?」
狩人が今いる小部屋はエレベーター以外に道が通じておらず、今通ろうとしている出入口の先も階段や梯子は無い。
何故こんな一方通行の道を作ったのかは謎だが、地面から狩人一人分以上の高さがある所に、この小部屋はあった。
そんな場所に何故か死体が転がっているのだ。
こんな所で死ぬ要素など無いだろうとも思える場所だが、それは確かに小部屋の出入口で死んでいる。
謎は謎のままだが、こんな所で死因の考察をする程時間に余裕は無い。
狩人は目の前にある門を開けるべく、その部屋を後にした。
この程度の高さなら飛び降りてもさほど大きな衝撃は無く、周囲の警戒も済ませた上での着地だったため安全に降りる事が出来た。
門の傍には狩人の思惑通り仕掛けのレバーがあり、それを引けば門が上がって行く。
門の向こう側は大きな下り階段になっており、その先には見覚えのある建物が建っている。
仕掛けが作動した音で勘付いたのか、先程も見えていた二人の大男が手に持った杭を狩人に向ける。
二対一となったが、狩人は特に問題無くその杭を回避し、引き金を引いた。
「死ぬ時まで無口って…逆にっ、不気味ですねっ!」
何やら呟いていたような気もするが、大男は絶叫など発さないまま死んで行く。
もう片方も攻撃こそ素早いがそれに至るまでの動作はわかりやすく、容易く見切り仕留める事が出来た。
階段を降りて行けば、やはりそれはオドン教会だったようだ。
その手前の馬車の陰には頭巾を被りずた袋を担いだ人影が見える。
まず間違いなく友好的ではない見目をしている人影に気付かれないよう端を歩いて教会に近付けば、入口の傍にも人影がある事に気付く。
ペストマスクのような被り物と、背に羽織った烏羽のような黒いマント。
そこに居たのは、下水道で出会った烏羽の狩人だった。
「あの時の!」
「────おや、あんたかい」
「はい、僕です!」
「相変わらず元気の良い返事だが…何やら随分濁った目をするようになったね」
初めての邂逅とほとんど変わらない声色に、だが烏羽は瞳の奥の濁りを見抜いていた。
無垢な状態の狩人の心に蓄積した濁りと澱み、それは何より自身で刻んだものも含まれており、取り除くのは困難を極める。
何しろ狩人自身が気付いていないのだ。
自分が壊れかけている事にも、自分でトドメを刺そうとしている事にも。
「濁った…?」
「気付いてないのかい、困ったね。」
「……?」
「良くはないが…今は一つ、忠告だけしておくよ」
今まで半身のみを狩人に向けていた烏羽は、その懐を狩人に晒す。
一層鋭くなったその声音に、狩人も気を引き締めた。
「オドン教会の地下墓地で、古狩人のヘンリックが正気を失っている」
「地下墓地…」
「あぁ、近付くんじゃないよ。あれはあたしの獲物さね…」
そう言いながら烏羽は右手の人差し指を立て、マスクの前に持って来る。
"静かに"とあやすような身振りをされた狩人は、子供扱いをされていると思ったのか、どこか気恥ずかしそうに頬を掻く。
"獲物"と、烏羽は確かにそう言った。
以前人形から聞いた狩人狩りの話、その真実がこれなのだろう。
正気を失った狩人を狩る、烏羽はそれを一人で成しているのだ。
近付くなとは言われたが、狩人にとってあの場所は一つのトラウマでもある。
狩人が今も左腕に巻いているリボンの持ち主、その母親であるヴィオラの死体があるのだ。
正気を失った末に死体を傷付けられるような事があっても狩人に不利益は無い、だが利益不利益以上のものが狩人の心の内で渦巻いていた。
「はい、わかりました」
「……ハァ…」
即答した後教会へと入って行く狩人を、烏羽は溜息を吐きながら見送った。
教会に入りはしたものの灯りには触れず、狩人は奥の扉を通って地下墓地へと向かう。
今までよりもずっと急いで走る狩人が門を潜り墓地に辿り着けば、その広場に一つの人影が見えた。
ノコギリ鉈に短銃というオーソドックスな武器を持ち、黄色の強い狩装束に包まれたその狩人は、灯りのある中心部から少し外れて佇んでいる。
狩人が階段を降りて行く姿が見えたのか、黄色装束の狩人"古狩人ヘンリック"は武器を構え直し、戦闘態勢に入った。
対する狩人も正気を失っているとはいえ急に戦う羽目になるとは思っていなかったのか、わたわたとしながら態勢を整えている。
「あ、あのっ!僕は戦うつもりとか無くて…うわっ!?」
構えられた短銃から放たれた水銀弾。
それは狩人のものではなく、ヘンリックのものだ。
どうにかそれを回避した狩人は、墓石と木を盾にしながら時計回りに広場を走り始める。
ヘンリックは三発目の水銀弾を狩人が咄嗟に隠れた木に命中させた時点で策を変更したのか、短銃を下ろし鉈を握る手に力を込めた。
狩人もそれを察知したのか、短銃を下ろした所を目視で確認した瞬間にノコギリ槍を構え、ヘンリックに向かって突貫する。
槍と鉈が交差し、火花が散った瞬間に、互いが互いに向けて短銃を放とうと左手を突き出す。
双方共に狙う場所は頭、明らかな人間を撃つ事を僅かに躊躇った狩人と何の躊躇いも無く引き金に指を掛けるヘンリックの短銃が衝突し、たった数cmだが狙いが逸れた。
狩人のものはその膂力差によって押し出されヘンリックの肩を掠め、ヘンリックのものは狩人のこめかみを浅く抉る。
端が巻き込まれたのか、飛び散る血と共に帽子が飛んで行く。
出血量からして狩人は数秒と経たずに右の視界を失うだろう、対するヘンリックは全く意に介さず、ノコギリ鉈を変形させる。
鉈が今にも狩人の腹を逆袈裟に裂かんとした瞬間、二人きりの決闘に乱入者が現れた。
甲高い音を立てて弾かれた鉈と、狩人の視界を覆う烏の羽。
狩人狩りが、己の獲物を仕留めにやって来たのだ。
「何をやってんだい、小娘が」
「っす、すみません…」
軽い言葉の応酬に、だが二人とも古狩人ヘンリックから目を離す事はしない。
垂れた血は既に狩人の右眼を奪い、顎から胸元まで滴っている。
当然そんな状況でこれ以上一対一を続ける事は不可能だろう。
それでも烏羽は、この新参の実力を自身の目で判断する事にしたらしい。
「良いかい、あんたは常に奴の左手側を陣取るんだ。そのザマで右から振るわれる攻撃をいなすなんぞ無理がある」
「…わかりました」
"あとは合わせてやるから好きにしな"
そう言って烏羽は右手に持った武器を一回転させ、切っ先を軸に分割させた。
二本一対の仕掛け武器、慈悲の刃。
希少な隕鉄を使用して造られたその刃は、変形の度に青白い火花を散らす。
火花に一瞬見惚れながらも、狩人は直ぐに行動を再開した。
手数によって鉈をいなす烏羽と、それを遮るために向けられる短銃を牽制する狩人。
二対一の攻防は、開始直後に終わりを迎えた。
「…っ、これでっ!」
勢い良く振るわれたノコギリ槍がヘンリックの前腕を砕き、斬り裂く。
左は完全に封じられ、短銃を撃つ事は叶わないだろう。
追撃と言わんばかりに槍を振るおうとした狩人に、だが烏羽が割り込んだ。
「これでおさらばだよ、ヘンリック。向こうでガスコインの奴によろしく伝えときな」
交差させた刃で首元を斬り裂き、その命を奪った烏羽は、手向けの言葉をヘンリックの死体に告げた。
刃に付いた血を払い、また一振りの刃へと戻すと、狩人の方へ振り返った烏羽はうんざりとした様子で狩人に話し掛ける。
「余計な助太刀だね」
「……ごめんなさい」
「だがまぁ、なかなかやるじゃないか。輸血液…が要る程の負傷じゃないね、適当に拭っときな」
素直に袖で血を拭い始める狩人に、烏羽は説教では無く賞賛の言葉を送る。
「ここでガスコインをやったのもあんただろう?」
「……が、ガスコイン…?」
「あぁ、ここの墓守さ。」
何やら他にも烏羽が声を掛けているようだが、一切が既に狩人の耳に届いていない。
"ガスコイン"という名は、狩人にも覚えがある。
持ち主が既に死んでいるため返せなかったオルゴール、その蓋の内側に書かれているのだ。
狩人の顔がみるみるうちに青ざめて行く、まるで死人を見たかのように。
「なんだ、訳ありかい?」
「────ぇ、あっ…はい…」
「全く、あんたみたいな小娘が痩せ我慢なんてするんじゃないよ」
「や、痩せ我慢なんて…してませんけど…」
「無自覚ならもっと質が悪いね」
「う…」
理解出来ない筈の鋭い言葉に心を抉られる狩人は、必死に心当たりを探している。
傷付くという事は何か後ろめたい事があるのではないか、と。
「自己防衛なんだろうが…あまり手を汚すもんじゃないよ。この夜を越せば、あんたにも未来があるんだ。」
「ひょっとしてさっきのって────」
「勘違いしなさんな、あんたみたいなド素人じゃしくじると思っただけだよ。実際、今のその面で確信してる」
言いながら武器をしまう烏羽は、狩人の濁った瞳に歪な光を見付ける。
まるで何かに縋るような、それでいて既に依存先を見付けてしまった後のような。
「ど、どうしました…?」
「…歪だねぇ」
「…?……??」
自身の心を締め付け、その瞳に濁りが生まれる程に苦しんだ狩人は、だが信用した相手には何の躊躇いもなく急所を晒す
追い詰められ、心身が疲弊しているとは思えない程の無防備な行動に、烏羽は思わず自身の心情を呟いてしまった。
「…あの」
「ん?」
「ガスコインさんって…娘さんとか、奥さんとか…」
「…あぁ、いるよ。両方ともこの街にね」
「っ…すいません、もう、居ないんです…」
苦虫をかみ潰したような表情でそう呟く狩人の白い髪に片手を置きながら、烏羽は一つ溜息を吐いて話し始めた。
「ハァ…そういう事かい、なら尚更気にする事は無いさね」
「…でも、娘さんの方は、僕が殺したようなもので…」
「"殺したようなもので"だろう?殺した訳じゃないのなら、狙ってやった事でも無い限りいつまでも心に留めるのはやめな」
「それでも、僕は────ぃだっ!?」
うじうじと烏羽の慰めを受け取ろうとしない狩人の頭を叩いて、烏羽は言葉を続ける。
孫娘の相手でもしているかのようなその声音に、先程の鋭さは乗っていない。
責める色のない声に安心したのか、狩人は"なぜ叩くのか"という不満を隠さず頬を膨らませながら顔を上げた。
「泣きたい時は泣きな。見るからに泣き虫って面しときながら一丁前に我慢してるんじゃないよ、みっともない」
「な、泣く方がみっともないんじゃ…」
「あんたぐらいの歳なら、泣いてる方がまだやりやすいんだよ。」
そう言って烏羽は教会へと歩き始めた。
話は終わりだ、と言わんばかりに後ろ手を振る烏羽は、狩人が引き留めようとしても歩みを止めないだろう。
狩人もそれがわかっているのか、ただ頭を下げ、感謝を述べた。
「ありがとう、ございます…」
烏羽が階段を上り、オドン教会へと入って行った頃。
狩人は飛んで行った帽子を拾い上げ、頭に被り────
「ひぐっ……ぅ……」
そのつばを抑えて深く帽子を被り、静かに泣き始めた。
やがて立ち尽くす事も諦めその場に座り込み、ただただ嗚咽を我慢する事無く今までの苦しみを垂れ流す。
度々流した痛みや恐怖への涙では無く、心に入った罅を再確認するような苦い涙を、ただ流し続けた。
「ごめんなさい…ごめんなさい……」
数分か、数十分か。
我慢の末の出涸らしでは無く、心の傷を自覚しての涙は予想以上に長く続き、狩人の目元は真っ赤に腫れている。
「すんっ……行かなきゃ…」
残った涙を拭い立ち上がった狩人は、よろよろと灯りに近付き、夢へと帰って行った。
「人形さん…遺志のやつお願いします…」
「わかりました…それでは、目を瞑ってください」
夢に戻り直ぐに人形の元へと向かった狩人は、その遺志を使用し自身を強化した。
ノコギリ槍なら変形させた状態でも両手で振るえる程度の筋力は身に付いただろう。
狩人は人形に感謝を告げ、忘れていた用事を済ませに向かった。
「ゲールマンさん!」
「…おや、憑き物が取れたような顔だ。狩りには慣れたかな?」
「う、それは、まだです…」
「良いさ、君はまだ少女なのだから。」
言葉を交わしながら狩人が懐から出したものは、教会の上層の箱から拾ったネックレスだ。
狩人は白い光を放つそれを持ち、そしてゲールマンの方へずいと突き出した。
「これ、何かわかりますか?」
「あぁ、それは狩人証というものだ。水盆を覗いてみると良い、品が増えている事だろう」
「狩人証…」
話は思いの外簡単に済まされてしまったが、それで打ち切られるという事はそこまでのものだったという事だ。
"輝く剣の狩人証"を懐にしまい直し、狩人は血の遺志を使用する水盆の方へ歩いて行く。
水盆を覗いてみればゲールマンの言う通り品揃えが増えている。
アルフレートから貰った発火ヤスリやギルバートに貰った火炎放射器の他にも、大きな剣や長銃、新たな服が上から下まで一セット。
かなり過激な品揃えだが狩人の目は輝いており、だが火炎放射器を見た途端に何かを思い出すような切ない表情を浮かべた。
「……ギルバートさん、こんな貴重な物くれたんですね」
感傷に浸るようでいてほんの少し口角の上がった嬉しそうな表情を直ぐにしまい、狩人は気になったものの一つを手に取ろうとする。
手を伸ばした先は大きな両刃剣の刀身と細身の片手両刃剣がセットになったものだ。
以前のように使者が取り出してくれるかと思って伸ばした手には、いつまで待っても剣が握られる事は無かった。
「…あれ?だめ?」
狩人に対して首を横に振る使者は、まるで"それは売れない"とでも言いたげだ。
「ひょっとして…遺志、足りない?」
今度は"正解"と言わんばかりに首を縦に振っている。
どうやら今の狩人が持つ遺志では足りないらしい。
狩りに苦労こそしているが、武器の不足は今の所感じていない。
純粋に強化された筋力で重い武器を振りたいがために選んだのだろうが、買えないのであれば仕方ないだろう。
「行ってきます、人形さん」
「いってらっしゃい、狩人様…」
夢での用事も終わり、狩人は先へ進む事にした。
目指す場所は大聖堂、恐らくはエレベーターの先で開けた門扉の横にあった道の更に奥。
これで奥にも無ければもはや狩人に心当たりや残された道などは無い。
「教会から、だよね…」
狩人は走り抜ける準備をしながら、墓標に手を翳した。
オドン教会へ転送されて直ぐに、狩人は仕掛けによって開けた門へ向かって走り出した。
今はとにかく駆け抜ける、それだけを意識してノコギリ槍も短銃も出していない。
前方から階段を降りて来る教会の使いをすり抜け、門を潜り左へ曲がる。
先にはまたも大きな階段が見えるが、その途中にも人影が待ち構えている。
「うわ、巨人…?」
先程からガシャリガシャリと鳴っている大きな金属音も、どうやら階段の上にいる巨人の持つ武器から鳴っているらしい。
狩人はその巨体に怖気たのか一瞬立ち止まってしまうが、直ぐに気を取り直して階段に足を掛けた。
階段を駆け上がる狩人に気付いたのか、巨人はその両手に持った斧を振り上げる。
「オォォォォッ…!!!」
「ひぃぃっ!」
頭を抱え姿勢を下げながら巨人の股下を潜り抜けて走る狩人の真上を大斧が通り過ぎて行く。
その風圧だけで体が持って行かれそうになるが、両脚に力を込めて耐え凌ぎ、上に見える大聖堂に向かう足を止める事はしない。
いよいよ目的の場所へ辿り着くという所で、またもや狩人の目の前に教会の使いが現れる。
二人共が三又の丸太のようなものを武器としており、間合いも相応に広い。
相手をしている暇は無いが、掃討しなければ扉を開ける時間などくれないだろう。
「ここまで来たらしょうがな────げぶっ」
「ウオォォッ!!」
使いの前で武器を取り出した狩人は、槍を構えようとした所で襲撃を受ける。
巨人は体躯に見合わぬ速さで狩人に追い付き、その斧で狩人の背中を斬り裂いて見せた。
ただ薙がれるままでは終わらずそのまま引き摺られ、終いには左右にある塀まで吹き飛ばされ、激突してしまう。
「う、ぐぅぅ……」
当然それをただ傍観して終わりとは行かない。
二人の教会の使いもそれぞれ得物を構えて狩人に振り下ろす。
巨人は先程の一撃で満足したのか、それともただ自身の役目は終わったと確信したのか、元いた場所へと戻って行った。
だが、巨人と使いから攻撃を受けてなお、狩人はその意識を保っていた。
当たり所が良かったのか、狩りの中で身を守る術に磨きが掛かったのか、その両方か。
狩人に向かって武器を構えていた教会の使い、そのもう一方に変形させた槍を突き立て、引き戻す事で無理やり位置を入れ替える。
今にも狩人を強かに打ち付けんとしていた丸太は空を切り、絶命した使いの肉体はもう一方の体に激突した。
「げほっ……死ぬかと思った…」
そう呟きながら輸血液を一本、二本と右腿に打ち込む狩人は、生き残りの使いから目を逸らさずに武器を構え直す。
突貫して来たそれを紙一重…どころか、脇腹を掠める程に肉薄させた状態で躱し、その首元を深く斬り裂く。
死の淵に瀕した事で集中する事が出来たのか、的確に急所を捉えた刃は使いの命を刈り取った。
「はっ…はぁっ…」
振り返れば巨人は狩人に背を向けており、この惨状にも気付いていない様子だ。
ならばと追加でもう一本輸血液を打ち込み、狩人は扉に手を掛ける。
思いの外軽いその扉は軋むような音を立てながら動き始め、やがて人一人が通れる程度の隙間を開けた。
内部に閉じ込められた空気が狩人の血に汚れた髪を揺らし、それに乗って来たのか、祈りを捧げるような細い声音が狩人の耳に届く。
その声に耳を傾けながらも、狩人は右手に置かれているメモを見付け、読み始めた。
『血の秘技を継ぐ者、血の施しの主たる者よ
祭壇の聖蓋に触れ、師ローレンスの警句を
その身に刻みたまえ』
「血の秘技…っていうのは、狩人の事…?じゃあこの聖蓋っていうのは、青ざめた血…?」
未だ情報が揃っておらず、また狩人の求める特殊な血が聖蓋とは限らないが、希望は見えた。
奥へ近付けば近付く程に明瞭になる声を聴きながらも、狩人は足を止めずに聖蓋を目指して歩く。
「聖血を得よ」
「……?」
「だが、人々は注意せよ…君達は弱く、また幼い」
階段を上り奥を見れば、そこには祭壇が一つ。
そしてその前に一つの人影が跪いて祈りを捧げている。
先程から聴こえる声の主はどうやらあの人影で、その正体は女性だったらしい。
「冒涜の獣は蜜を囁き、深みから誘うだろう…だから、人々は注意せよ」
それはどうやら人々へ向けた警句のようで、だが祝詞のようにも聴こえる。
人間の弱さを見つめるようなその言葉は、獣への恐怖を忘れぬようにとする戒めなのかも知れない。
「恐れを失くせば、誰一人君を嘆く事はない…聖血を得よ」
獣は病によって現れた者、そして狩人はそれに対抗するべく血の医療を受けた者。
狩人が今まで得た情報ではそうなっている筈だ。
だがその言葉はまるで血を求めているようでもあり、狩人の混乱を深めて行く。
「祝福を望み、よく祈るのなら、拝領は与えられん、拝領は与えられん」
「………」
「密かなる聖血が、血の渇きだけが我らを満たし、また我らを鎮める…聖血を得よ」
一区切りが付いたであろう所でようやく、狩人は大聖堂へ真の意味で踏み入る事が出来た。
その足音に気が付いたのか、それとも最初から狩人に向けた祝詞だったのか。
女性は祭壇の前で体を抱え、苦しみ始めた。
「…っ、だ、大丈夫で───────」
急いで駆け寄ろうとした狩人の目に次の瞬間映ったのは、凄惨で、それでいて神秘的な光景。
おぞましいとすら言えるそれに狩人は目を奪われ、足を踏み出す事を忘れてしまった。
「…あ、ぁあ……アァァァァッ!!!」
皮を、肌を、肉を。
突き破るようにして何かが這い出て来たはずなのに、それは一つの体としてそこにある。
今まで女性が着ていたであろう服を被ったその"獣"は、白い体毛をたなびかせながら、狩人の居る方へと振り返った。
狩人の脳裏に過ぎるのは、大橋で戦ったあの異形。
恐らくはこれも、あの獣と同じように、聖職者が異形へとなった獣なのだろうか。
「キャアァァァァッ!!!」
教区長エミーリア
狩人が名も知らぬ内に争う事になったその獣は、狩人の混乱や驚愕など一切の考慮に入れず、襲い掛かった。
突然飛び掛かって来た獣をどうにか躱し、狩人は距離を取る。
見た目以上に素早いが、反応が効かない程のものでは無い。
俊敏性に於いては、狩人有利と言った所だろう。
ある程度の距離を取ったのが仇となったか、エミーリアは組んだ両の前足を頭上に掲げ、地面に向けて振り下ろす。
その震動は舞い上がる粉塵を伴い、指向性を持って狩人に迫って行く。
狩人はそれを何とか左に躱す事が出来たが、体勢を崩した所に更に追撃が襲う。
必死にノコギリ槍で凌いだ狩人がもう一度エミーリアと距離を取る頃には、至る所に手傷を負わされていた。
「…は、早っ…!」
「クォォォォンッ…!!」
その長い間合いを活かして振るわれる攻撃に、狩人は既視感を覚える。
やはりと言うべきか、その既視感は聖職者の獣によるものだ。
地面を這う爪が火花を散らす様に、狩人は隙を見付ける。
今までの狩りで身に付けたヒットアンドアウェイはこの獣にも通用する。
それがわかっただけでも儲けものだが、攻勢を緩める事はしない。
爪を交わして右前脚を、拳を躱して左前脚を。
そうして斬撃を受けている内に、エミーリアは大きく怯んだ。
「グゥゥゥッ!?」
「今っ!」
大きな隙では無いが、僅かに下がった頭部に連撃を入れる。
直後に薙ぎ払われた爪を躱し、狩人は輸血液を打ち込む。
他の獣よりも攻撃の合間に余裕があるからか、戦闘の展開はスローペースなものへと移り始めた。
だが狩人には長時間殴り合うだけの体力、もとい精神的耐久力が無い。
だからこその速攻、それを譲るという事は負けに近付くという事にもなる。
狩人がそれを厭って前へ踏み出せば、それを待っていたかのようにエミーリアは前方へと飛び出す。
飛び掛かりを何とか回避しながらその体を斬り裂くために槍を振るう狩人は、自身の膂力不足を痛感していた。
一度強化を挟んでこれなら、決着には暫く時間が掛かる。
先程言った通り戦闘に於ける時間の猶予はあまり無い、掛ければ掛ける程ジリ貧になるからだ。
そこで狩人が思い出したのが、アルフレートから貰った友好の品の存在。
発火ヤスリ、特殊な技術を持って作られたそれは武器に擦り付ける事によって火花を散らし、炎を纏わせるというもの。
炎が有効かどうかはまだわからない、だが獣は炎を恐れるものだ
狩人はそれを旧市街で学んでいる。
「えっと、これを…どうすれば…?」
「オォォォォンッ……!!」
「うわわっ…ま、待って…!こうだ!」
懐から取り出した発火ヤスリの使い方に手間取っている狩人に、エミーリアはもう一度大きく飛び掛かる。
それを躱しつつノコギリ槍にヤスリを擦り付ければ、刃を覆うようにして炎が立ち昇った。
温度こそあれど、武器を握る右手は決して燃える事無く、手放したくなる程の熱さは感じない。
「これなら…!」
「グゥゥッ!オォォォンッ…!!」
先程までより明らかに効き目が違う攻撃に勝利の目が見えて来たのか、狩人の攻勢は加速する。
低く薙ぎ払われる爪を更に低く躱し、素早く振るわれる攻撃を更に素早くいなす。
過ごした夜は短いが、得た経験は確実に狩人の力となっている。
強敵相手にここまで有利に立ち回れているのは初めての経験だろう。
それ故か、狩人は驕る事無くますます慎重に、臆病になっていった。
前脚、後脚、また前脚。
近距離で繰り出される攻撃を躱しながらの反撃はエミーリアの四肢へと突き刺さり、やがて────
「キャァァァッ……!」
「転んだ…?じゃなくてっ、今っ!」
四肢へのダメージ、特に右前脚のものが効いたのか、エミーリアは大きく体勢を崩した。
次の攻撃の予備動作かと一瞬身構えた狩人は、だが下がった頭を前に自身から攻撃を仕掛けるチャンスだと気付く。
変形前のノコギリで執拗に頭蓋を殴り、今にも獣を仕留めんとする狩人に対して、今ようやく立ち上がる動作に入ったエミーリアはその右前脚を前に突き出した。
「ぐぅ…っ!?」
鳴き声も無しに繰り出された攻撃を躱しきれず突き飛ばされた狩人は、エミーリアが大きく後退したのを目にする。
後退は狩人にとってもメリットだ。
ただそれは後退が体勢を整えるためのものだった時の話。
両前足を組んで胸元に寄せ、エミーリアは祈り始めた。
その瞬間宙から降り注ぎ始めた眩い光に狩人が目を眩ませていると、エミーリアの四肢に刻んだ傷がジワジワと再生し始める。
聖職者の獣と同じ回復行動だと悟った狩人は、打ち込んだ輸血液を放り捨てて走り出す。
いつの間にやら切れていたヤスリの炎を、もう一つ擦り付ける事で再点火し、もはや銃は不要としまい込んで変形させたノコギリ槍を両手に構えた。
突貫して来た狩人に、エミーリアも祈りを中断し迎え撃とうと前脚を構える。
振り下ろされたその足を避け、懐から左右へと逸れて後脚を抉る狩人に、エミーリアは尚その脚を振り回して対抗する。
「オォォォンッ!!」
「…っ、まだまだ!」
左の拳を躱し、追撃を入れようとした狩人の体を強い風圧が襲う。
またしてもエミーリアに後退を許してしまったが、今回は回復などさせない。
幸い手傷もそれほど追わないまま回復を誘う事が出来た狩人は、間髪入れずに前へ踏み込んだ。
祈るために組まれた両前脚を斬り裂いた事でダメージが頂点へ達したのか、エミーリアは再び大きく体勢を崩す。
下がった頭に振るわれるのはノコギリでは無く、両手で構えられた槍だ。
狩人の十八番である突き込みが、その脳天に命中する。
「キュォォッッ!クォォォンッ!!」
「う、ご、く…なぁっ!」
突き刺した槍を捻り、押し込み、そうして頭を抉られたエミーリアは大きく暴れ始める。
振り回される頭を離すまいとしがみつく狩人は、だがその膂力に押し切られ祭壇の下まで飛ばされてしまう。
それと同時に、狩人の体を強い高揚感が襲う。
血の遺志、そして啓蒙によるものだ。
「オォォォッ……!」
「う、ぐぅ…」
祭壇に背を強く打ち付けてしまったのか、それとも遺志と啓蒙を得るその感覚に耐え切れないのか、狩人は悶えながら祭壇に手を掛け何とか立ち上がろうとしている。
その折、狩人の右手が祭壇に乗った聖蓋に近付いた。
掠める事も無い程度の、少しでも間違えれば触れてしまう程度の距離に置かれた手は、聖蓋から何かを感じ取ったようだ。
直後狩人の頭に、一つの記憶が流れ込んだ。
「ウィレーム先生、別れの挨拶をしに来ました。」
「あぁ、知っている。君も、裏切るのだろう?」
狩人の意識に訪れた暗闇、その中で響くのは二つの声。
やがてその暗闇の中にぼうと一つの明かりが現れる。
燭台に灯された火の明かりはやがて広がり、その空間を照らし出した。
「…変わらず、頑なですね」
燭台の置かれた棚の傍には、安楽椅子に座り杖を手に当てている老人。
そしてその背後、老人がまるで"顔も会わせたくない"とばかりに頑なに向く事をしない方向に、未だ壮年には至らないであろう男の影。
男と、そして男が"ウィレーム先生"と呼んだ老人は、どうやら袂を分かつらしい。
「でも、警句は忘れません。」
「…我ら血によって生まれ、人となり、そして人を失う…知らぬ者よ」
ウィレームの口から紡がれた言葉のその先を、男も共に呟いた。
「「かねて血を恐れたまえ」」
ウィレームはその顔に失望と諦念を、男は確固たる意志を浮かべている。
安楽椅子に座ったままのウィレームはやはり男の方を向かず、その様子に男もこれ以上は語るまいとしたのか、踵を返す。
「お世話になりました」
部屋を去る男の足取りは力強く、この先起こる事、起こす事への覚悟が見て取れる。
対してウィレームは最後まで男の方を向く事は無く、だが既に去った男へ手向けのような声色で言葉を残した。
「恐れたまえよ、ローレンス」
"ローレンスというのは、男の名だろうか"
そう思案した狩人は、自身の記憶の中を探る。
だがそのような名前は、ましてウィレームという名も耳に覚えは無い。
そうして思案を重ねている内に、何者かの記憶に潜り込んでいた狩人の意識は白み、現へと昇って────行く筈、なのだが。
暗い部屋だ。
小さな明かり一つでは照らしきれない程度の広さの部屋には、幾つもの書物が詰められた本棚が二つと、横に置かれた長机が一つ。
その前に立つ一人の男が、今し方部屋に入って来た男に対して話し掛ける。
「また君か」
「俺がここに来る事に何の問題がある?」
つい先程の記憶で見たローレンスが少々老けたような顔をした男────否、ローレンス本人は、部屋の出入口に立っている男に嫌な顔を隠さない。
対する男はまるで気にしていない素振りで部屋に踏み入った。
「彼女の武器の持ち主についてなら、私は知らないぞ」
「それはもう良いさ。俺が聞きたいのは────」
ノイズが走る。
本来ここで見る"記憶"だけで無く、そこに混ざる筈の無いものを狩人は目にしてしまった。
とは言え、この程度なら許容範囲内だろう。
圧倒的な情報量を抱えて、狩人の意識は今度こそ浮上し始めた。
「……ぁ、れ?今のって…?」
何者か、恐らくは聖蓋のものであろう記憶に潜っていた狩人は、目を覚まして直ぐに立ち上がる。
記憶について考察する前に、もっと大事な事に気が付いた様子で周囲を素早く見回すが、そこには何者も存在しない。
「───────…えっ」
何者も、存在しないのだ。
記憶に潜る直前まで、それどころか記憶に潜る一因として聖蓋の元まで狩人を吹き飛ばした獣は、大聖堂から忽然と姿を消していた。
だが死闘を演じた事による血痕はそこにあり、エミーリアの存在は夢でも幻覚でも無かったという事が確信出来る。
「か、勝った…?嘘でしょ…?」
今までもスッキリとしない勝利はあったが、中でもこれは別格だろう。
何せ倒れる姿を見ていないのだから、倒し切ったのかどうかがわからないのだ。
倒し切る必要も、ましてや戦う必要すら狩人には無い。
とはいえこれではあまりにも後味が悪いだろう。
「……まぁ、いっか」
諦めたような口振り、だがその顔は間違い無く"納得が行かない"という様子。
狩人は今までの夜の中で、最も拍子抜けな勝利を飾る事となってしまった。
少女狩人
名前:不明 性別:女性 年頃:若年(詳細不明)
過去:過酷な運命
レベル 19
体力 10
持久力 12
筋力 16
技量 12
血質 5
神秘 14