少女の微睡、月香の夜。   作:かなしいな

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狩人、人攫いに出会す。



※第十三話、禁域の入口と約束です。


狩人の考察、禁域の入口。

「これは…ペンダント?」

 

狩人が見付け、拾い上げたのは小さく輝くペンダントだ。

金色のそれは恐らくエミーリアが身に付けていたものだろう。

戦利品を手にした狩人は、だがその眉根をムスリと歪める。

靄が掛かったように曇る心を、強敵を打ち倒したのだという偽りの達成感で誤魔化し、狩人は目の前に現れた灯りを灯して夢へと戻った。

 

 

 

夢でまずする事は遺志での強化────では無く、水盆の品を見る事だ。

先程買い求めた時は遺志が足りず手に入れられなかったそれに、狩人は手を向ける。

体の内から"何か"がごっそりと抜け落ちる感覚の代わりに、狩人の右手にずしりと重い感触が乗る。

片手では持ち切れず両手でどうにか構えてみれば、それは大剣と言える程に長身の両刃剣だ。

 

ルドウイークの聖剣

かつての獣狩りの夜で英雄と呼ばれた男、医療教会最初の狩人ルドウイークの聖剣を真似て作られたとされる仕掛け武器。

片手で振るうには重く長い直剣と、鞘のように背負う大振りな刃。

それらを仕掛けによって合体させる事で、一振りの大剣となる。

 

という代物だが、この武器は狩人の手には────

 

「お、おっも…」

 

筋力が続かないと言いたげに震える腕はやがて剣を構えるのを諦め、その切っ先を地面へと突き立てる。

いつの間にやら背負わされた鞘の重量も馬鹿にならない、合体など夢のまた夢だ。

暫く使い所は無く、有り得たとしても変形前の剣だけでの使用となるだろう。

 

「人形さん、遺志のやつお願いします」

「…申し訳ございません、狩人様。今貴女の中に存在している遺志では、肉体の強化をするには不足のようです」

「えっこっちも?あ、いや、すいません…行ってきます…」

「行ってらっしゃい、狩人様」

 

強化に使う遺志も一定では無く、強化をすればする程要求量は上がって行く。

もう一度強化を挟めば少し構え続けるくらいは出来るかと考えていた狩人はまたも出鼻をくじかれ、とぼとぼと墓石に向かおうとし────

 

「あれ、小人さん?」

 

仕込み杖と短銃を渡した時のように、階段から這い出た使者達が狩人に向かって手招きをしている。

近寄って手を差し出せば、その上に使者達は狩人が見た事も無いような何かを置いた。

 

「何これっ!?」

 

蕩けた瞳のミイラのようなものを手のひらに置かれた狩人は、大袈裟に飛び退いてそれを取りこぼしかけ、だが贈り物という事もありすんでの所でキャッチした。

 

血に酔った狩人の瞳

瞳孔が崩れ、蕩けたそれは獣の病に罹患した証でもあり、罹患者となった狩人の多くがこれを包帯などで隠している。

 

狩人が打倒したガスコインもまた、病に罹患し獣となりかけていたために、その瞳を封じていた。

見れば見る程気色の悪いそれを、狩人は使者が渡して来たのだからと懐に入れる。

 

「あ、ありがとうございます…?」

 

その返答に満足そうに頷いた後、使者達は地面へと戻って行く。

一体何に使うものなのかと気になりはするが、狩人は一先ず墓標から聖堂街へと向かった。

 

 

 

オドン教会へと転送された狩人は、その足で再び大聖堂方面へと向かう。

外へ出た狩人が空を見上げれば、そこにあるのは既に帳の降りた月夜だ。

先程まで空を赤く染めていた太陽は身を隠し、今ヤーナムを照らしているのは月の光と小さな星の灯りだけとなっている。

 

『宇宙は空にある』

 

ふと狩人の頭に思い浮かんだその言葉は、聖歌隊が残したメモに記されていたもの。

聖歌隊の言う宇宙は本当に今見ている空の向こうにあるものを指しているのか。

そんな事を考えながらぼうっと上を見て歩いていた狩人は、星々の輝きに目を奪われていたからか、右側から迫る足音を聴き逃していた。

 

「オォォッ…!」

「へっ?────ぐぶっ…!?」

 

不意に叩き込まれた一撃。

狩人の腹部に突き刺さったその拳は、今まで狩人が戦った強敵達と比べても遜色ない威力を誇っていた。

 

「おぶっ…うぇ…」

 

びしゃりと地面を汚す胃液は所々を赤く染めており、明らかにダメージは内蔵にまで浸透しているだろう。

その一撃の元に意識の芯を崩された狩人は、拳の持ち主に凭れ掛かるようにして前へ倒れて行く。

 

だが倒れる直前に、狩人を殴った何者かがその体を片腕で受け止めた。

攻撃したにも関わらず転倒しかけた狩人を助けた────という訳では無いらしく、今は受け止めた狩人の頭から麻袋を被せている。

 

胃液と血の混じった不快な味と、腹とその奥に感じる鈍い痛みに悶絶する狩人だったが、既に顔を顰める気力すら残っていない。

麻袋に全身を包まれ、そして持ち上げ揺さぶられる感覚に耐え切れなかったのか、狩人は意識を手放した。

 

 

 

ちらつく光に狩人が目を覚ませば、その体は未だ麻袋に包まれていた。

揺れる視界と腹に響く振動が、狩人の中に残る不快感を逆撫でする。

目の粗い麻袋の中からは外が見えるが、瞳に映るのはただ明かりで照らされているだけの陰鬱な室内だ。

 

やがて檻のような格子の中へと捨てられた狩人は、その衝撃でもう一度意識を失いかける。

襲い来る痛みを何とか押し退けてゆっくりと起き上がれば、狩人が居るのはやはり牢屋だった。

 

「ぅ、ぐ…っづぅ…」

 

声を絞り出すのにも一苦労と言った様子の狩人は、何かを思い付いたのか懐を漁り始める。

まさぐる手が殴られた場所を軽く撫でるだけでも内へと響くらしく、度々眉根を歪めながらも、狩人は輸血液を取り出した。

"骨折に聞いたのだから内臓にも効くだろう"という単純な考えだが、注入された輸血液は数分と経たずに効果を表した。

 

「はぁっ、はぁぁっ…」

 

緩やかに引いていく腹部の不快感に安心したのか、狩人は苦労して起き上がったにも関わらず、その冷たい床にもう一度寝そべってしまう。

暫くして完璧に違和感や不快感が消えた所で、勢い良く上体を起こした狩人は周囲を見回し始めた。

 

寂れた牢屋、それ以外の感想は特に浮かばない

牢屋の外に見えるのも明らかに草臥れた壁と暗い階段程度のもので、大きく目を引くようなものは何も無い。

 

果たしてここから出られるのか、そもそも人が来る事はあるのか、自分以外の囚人はいるのか、そもそもここはどこなのか。

知りたい事は幾らでもあるが、じっとしていても何も始まらない。

 

一息入れて立ち上がった狩人は一先ず扉から調べる事にしたらしい。

もしかしたら開いているのではないかという期待は、そんな訳が無いという当然の感覚には勝てない。

"開ける手段が無くとも、多少無理をすれば鉄格子を壊すくらいは出来るだろう"

そう考えていた狩人が扉に手を掛けると────

 

「えっ開くの?」

 

金属が軋む音を響かせながら、扉はいとも簡単に開いてしまった。

鍵なども掛けられていなかったようで、つまり狩人はただここに仕舞われていただけという事になる。

"どうせ逃げられないだろう"と侮られているように感じたのか、その頬を少し膨らませながら、狩人は牢屋の外へと踏み出した。

 

幾つかの明かりでは到底光量が足りず、室内は数歩前すら怪しい程の暗がりになっている。

何か明かりになるものを、と少ない記憶を探る狩人の頭の中には、一つこの状況に最も適したものが浮かんだ。

携行ランタンだ、水盆で購入したそれを腰に掛け、横に付いたヒンジを捻ると周囲がぼんやりと照らされる。

 

牢屋を出て直ぐ右に見えたひしゃげた鉄格子の向こうへ出ると、そこには大小様々な壺や布が掛けられた大きな鏡が置かれている。

牢屋としてだけでなく、倉庫としても扱っていたのだろうか。

ふと右を向いた狩人の目に、明かりとはまた違う淡い光が目に入る。

傍に近寄ると、それはどうやら誰かが残したメモらしい。

 

『狂人ども、奴らの儀式が月を呼び、そしてそれは隠されている

          秘匿を破るしかない』

 

「儀式が月を…?秘匿…破る…??」

 

そこらに落ちているメモはそれら全てが狩人の脳を破裂させるために誰かが置いているものなのだろうか。

そんな作為を想像してしまう程、その情報は容易に狩人の脳のキャパシティを超過してしまった。

一先ず"狂人の儀式が月を呼ぶ"や"秘匿を破る"といった重要そうなワードだけに絞って手記に記した狩人は、先へと歩き始めた。

 

狩人が出て来たひしゃげた鉄格子の正面に道は無く、代わりに右へ降りて行く階段があり、階段の下からは何かに祈るような声が聞こえる。

"ひょっとしたら自分以外にも攫われた人間が居るのでは"と、狩人は階段を降りて行く事にしたらしい。

 

「…あぁ、神よ…私をお救いください…医療教会の名の元、悪夢をお祓いください…うぅ、あぁぁ…」

 

聞こえて来る声は恐らく女性のもので、声の主は神に救いを求めているようだ。

人攫いに出会した故か、それとも手遅れとなる時が近いのか。

そう考えた狩人の足は、自ずと速さを増している。

 

降りきった先にあった部屋は上同様────という訳でも無いようで、上にあったような壺だけでは無く、石像なども乱雑に並べられており、その隅に蹲るようにして声の主は祈っていた。

狩人の足音に気付いたのか、声の主は振り向き狩人の姿を視界に捉えると、安心したように顔を緩めた。

 

「…あぁ、貴女は医療教会の…」

「えっ…と…?」

「私をお救いくださるのですね…」

「ちょ、ちょっと…僕は医療教会とか────」

「あぁ…ありがとうございます…」

 

話を聞かないというよりは、聞く余裕が無いのだろう。

会話が出来ない程に狂ってしまう前に会えただけマシと観念したのか、狩人は諦めたように女性の話を聞き始めた。

 

「私は、聖堂街で大男に襲われ、ここに攫われました」

「それは僕もで────」

「今夜は、獣狩りの夜なのでしょう?」

「……はぁ、はい、そうです」

 

相槌にすら言葉を差し込まれた狩人は、もう話すまいと肯定以外を諦めたようだ。

"それにしても、自分を攫ったのは男だったのか"と呑気に構えている狩人を差し置いて、女性は話を続ける。

 

「貴女に聞く事では無いかもしれませんが…どこか、私を受け入れてくれる場所をご存知ではありませんか?」

「はい───…じゃなくて、オドン教会って所はどうでしょう?」

「ありがとうございます…それでは、折を見て、そちらに向かってみますね」

 

女性はようやく気を抜いたように肩を下ろし、その両手を膝に置いた。

狩人もその様子に心配する必要は無いと感じたのか、それとも一方的な会話が終わった事に安堵したのか顔に緩さが戻った。

 

「狩りの成就を、祈っています。狩人様…」

「はい、それでは!」

 

そう言って軽く手を振り、狩人は階段を上って行った。

狩人の背中を見詰める瞳に、仄暗い色が灯っている事も知らずに。

 

狩人は先程降りて来た階段を上り、今度は反対側へと歩いて行く。

奥に見えるのは二つの階段だ、どちらにするか数瞬悩み、だが片方のハズレを引いたのならどうせもう片方を行くのだからと狩人は左側を上る。

上って直ぐに狩人が気付いた事は、この階段が両方とも同じ場所に繋がっているという事と、この建物を設計した人間はセンスと性格が宜しくないという事だった。

 

「ここにも道…まぁ、上かな」

 

階段の途中には横へ続く通路が一本あり、その奥からは暖色の明かりが漏れている。

とてもじゃないが回り道などしたくはない、故に上がハズレだった時のために場所だけ覚えておく事として、狩人は今度は右側の階段を上って行った。

 

階段を上りきった先には教会にも見える様相をした大広間があり、更に二つの階段が広間から一段上の通路に繋がっている。

二つある内の片方にいる襤褸切れを着た人型に気付かれないようそっと上った先の小さな通路には、夢へと繋がる灯りが一つ置かれていた。

 

「わ、灯り……どこなのここ…?」

 

今まで狩人が灯して来た灯りと言えばヨセフカの診療所やギルバートの家の前、そしてオドン教会のものであり、その三箇所に共通点があるとは思えない。

他の灯りは全てが強敵と戦い、勝利してから現れたものだ。

それ以外に灯りの配置場所の法則は見付からず、そんな事で悩んでも無駄だと割り切った狩人は、次に向かう道で悩み始めた。

 

少しして狩人はこの広く暗い空間と、更に外まで探る事に怖気付いたのか、来た道を戻り始める。

階段を降りた所で横道へ入り、更に続く階段を降りてその奥へ────

 

「アァァァッ……」

「あぶなっ…!」

 

と向かおうとした狩人に、腰の曲がった老婆が襲い掛かった。

壁で死角になった陰から飛び出して来た老婆の手には、湾曲した刃が握られている。

急いで武器を取り出した狩人だったが、残念な事に敵は目の前に居る一人だけでは無かった。

 

「キィッヒ…!」

「な、何を…あ゙ぁあっ!」

 

狩人の背後から現れたもう一人の老婆は、その手に持った刃を狩人の目元へ持って行き、鋭く貫いた。

何かを抉り出すように刃を回し、肉を削いでいく。

狩人の絶叫と血が吹き出す水音を意に介さず、老婆が作業を続けると、やがて────

 

「ゔ、ぅあ…」

 

ようやく解放された狩人の左目は、既に存在していなかった。

晴れた夜空をそのまま落とし込んだかのような美しい碧眼は、星のように瞬いていた光を映す事無く、老婆の手に握られていた。

老婆は痛みに喘ぐ狩人を余所に、輝きを失って尚美しい瞳をニタニタと笑いながら掌で転がしている。

 

「っか、かえ、して…っ!」

 

狩人は片手でズタズタに裂かれた空っぽの眼窩を瞼の上から抑え、もう片手に持ったノコギリ槍を鈍々と振るう。

片目を失った事で完全に距離感覚を潰されており、ノコギリ槍は老婆に到底届かない位置を素通りする。

そのまま武器を振り回し続ける狩人の胸を、もう一人の老婆の刃が貫いた。

 

「ぇぶっ…あ、ぅ…」

 

胸を貫かれた狩人はその場に倒れ、老婆がもう片目を抉ろうと刃を構えると同時に、意識を手放してしまった。

奥から吹く風に、身を任せながら。

 

 

 

「…っふ、うぅぅっ…!」

 

夢へと送られた事で元通りになった左目をぱちぱちと開閉し、視界が元に戻った事を確認すると、狩人は安心した様子で泣き始める。

もっと酷い死に様の経験はある筈だが、それ以上に"人間に猟奇的な死を与えられた"という事が心に傷を付けたらしい。

 

涙を手で拭うのすら億劫になったのか抱えた膝に顔を擦り付け、無理やり涙を落とした狩人は、肩を落としながら人形の方へと向かった。

 

「すん…人形さん」

「どうかなさいましたか、狩人様」

「あの、ヤーナムってこう…暗い雰囲気の街とかってあるんですか?いやヤーナム自体がって言われたらそれまでなんですけど…」

 

捲し立てるようにも聞こえるが、その声はあくまで確認をするかのようにゆっくりと紡がれる。

何かを考えるように少し首を傾げる人形は、直ぐに狩人の見当とは違う答えを提示した。

 

「暗い…旧市街の事でしょうか。あの街は、既に獣の街と成り果てている筈ですが…」

「旧市街…?」

 

『引き返したまえ。旧市街は獣の街、焼き棄てられた後、ただ籠って生きているだけ…』

 

「あっ、あぁ!いや、そこじゃなくて…うぅん…」

「でしたら、隠し街…でしょうか。何人かの狩人様から、その名を聞いた事があります」

「隠し街?」

「はい。儀式の場、再誕の場…と」

「儀式…うへぇ」

 

"儀式"という単語で思い浮かぶのは、幾つかのメモ。

そのどれもが儀式に否定的であり、そしてそれらを置いて道を示してくれているという事は、狩人の道でも"儀式"の存在は邪魔になる可能性が高いのだろう。

それに付随する事実として、先に進むのならいずれあの街へ戻らなければならない、という事もわかってしまう。

 

「ありがとうございます、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい、狩人様。」

 

踵を返す最中にヤーナムに繋がる墓標の奥、隠された地へ繋がる墓標を見た狩人は、殺される前に教会の灯りを灯していた事を思い出す。

使者達が墓の前で手を招いているのは、きっとそういう事なのだろう。

あの場所へ向かうためにもう一度あの襤褸切れに殴られる必要が無いというのは、狩人の心に僅かな安心を齎したようだった。

 

 

 

転送先は攫われ捨てられたあの地、隠し街ヤハグル────ではなく、オドン教会だった。

ルドウイークの聖剣を購入した時点で遺志はほとんど残っておらず、あの場に落としてしまったのは出涸らし程度のものだ。

再び死を味わうかもしれない危険性と天秤に掛ければ、釣り合う可能性なんて一縷も無いのだから、優先すべきは他の場所だろう。

 

それに今はヤハグル以外にも調べていない場所があるのだ。

大聖堂へと向かう道、その正反対にある住宅街にまだ生き残りが居ないとも限らない。

夜は深まり、獣の鳴き声はそれまでよりも多くなっている。

獣避けの香をどれだけの人間が持っているかはわからないが、避難所として扱っているここよりも個人の物が長持ちするとは思えない。

 

そう考えた狩人は、オドン教会の正面出入口から出ようとし、あの襤褸切れが居るのを思い出して足を止めた。

一抹の恐怖と不安を顔に浮かべる狩人に、横から声が掛かった。

 

「狩人様、ご無事だったのですね…」

「はひっ!?」

「あぁ、申し訳ございません…脅かすつもりは無かったのです…」

「えっ?あ、あぁ…さっきの…」

 

横に居たのはヤハグルで見付けた生き残り、部屋の隅で祈りを捧げていたあの女性だ。

随分と早い到着に"あの地はここから案外近い所にあるのだろうか"などと考えている狩人に、女性はもう一度声を掛け、感謝を伝え始めた。

 

「ありがとうございます。貴女には感謝の言葉もありません」

「あ、いえ、僕はただここを教えただけですし…」

「今はもう、私に出来る事は…"血の施し"くらいです」

「血の…施し?」

 

血の施し、それは"血の聖女"と呼ばれる特別な血を宿した者が、自身の血を他者に分ける事を指す。

だが狩人の耳にそのような言葉は覚えが無く、当然のようにそれを自分に与えようとする女性にも困惑している。

 

「もし貴女が、俗体を望むのであれば…」

「えっと、じゃあ…お願いします…?」

「分かりました。どうぞ、こちらに…」

 

そう言うと女性は片腕の袖を捲り、布が掛けられた細い試験管と小さなナイフを取り出す。

刃物を取り出したのを見て一歩後退る狩人の事を気にせず、女性はそのナイフで腕に一本赤い筋を刻んだ。

試験管で受け止められた血は暗く、狩人が使っている輸血液よりも濃い香りを漂わせている。

 

「さぁ、血の施しを…」

「ぇ、あ、はい…ありがとうございます…」

 

女性は試験管に布を掛け直し、細い紐で緩く縛って狩人に手渡した。

受け取った狩人の顔は引き攣っているが、女性の柔らかな微笑は崩れない。

 

「そ、それじゃあ…また後で…」

「はい、狩りの成就を祈っています」

 

ざわざわと総毛立つような思いを胸に抱えたまま、狩人は正面出入口から出て行く。

外に襤褸切れが居るかもしれないという恐怖は既に忘れてしまった様子で、今は背中に突き刺さる生暖かな視線が早く途切れる事を願いながら、常より早足で歩いている。

その視線の温度が冷える事など、当分は無いだろうが。

 

「…っさ、寒気が…!」

 

階段を昇った先にいる二人の使いを殺し、狩人は巨人がいる階段とは正反対にある門へと歩いて行く。

地面に見える仕掛けのレバーを引けば門が開き、広場へと立ち入る事が出来るようになった。

広場の中心には大きな墓碑があり、その上には像が立てられている。

 

広場の左右には巨人が二人見えるがそのどちらもが狩人の方を向いておらず、ただうろうろと歩き回っている様子が見える。

気付かれなければ通り抜ける事も可能だろうが、狩人の右手に見える小道が巨人の傍にあり、完全に回避しきって通るというのも難しい話だろう。

 

小道が繋がっているとすれば住宅街、そして狩人がここを目指した理由の一つは生き残りにオドン教会を教える事。

ならば、と狩人は小道へ走り出した。

当然巨人もそれに気付き、手に持った大斧を狩人に向けて振り下ろす。

 

「オォォォッ!!」

 

「うひぃっ!?」

 

何とか小道へ飛び込んだ狩人の真後ろに、大斧による亀裂が走る。

強い風圧と地面が割れる音にしゃがみ込みたくなる気持ちを抑えて先を行けば、案の定小道の先には何かがいた。

何かは狩人が歩み寄った瞬間、振り返ってその姿を晒す。

 

「ウジュルル…」

「げっ」

 

脳喰らいの姿を確認した瞬間、狩人はノコギリ槍を変形させながらの攻撃で、そして奥から飛び掛かって来た鴉の胴に手馴れた動きで穂先を突き込み仕留めて見せた。

どうやらこの場には敵はいないようだが、狩人は武器を構え警戒しながら進んで行く。

 

そんな狩人の視界の端を掠めたのは、柵の向こう、下の広場とその上の通路にいる数名の罹患者。

見るからに面倒だと言いたげな表情を浮かべた狩人は、だが気を取り直してノコギリ槍を変形前へと戻す。

複数相手なら銃を持つ利点が多いと踏んだのだろう、その考えの一因となったのは、眼下に見える罹患者達の数だ。

 

「や、やめとこうかな…?」

 

この道を通るのは諦めよう、という考えに至った瞬間に思い出したのは、背後を陣取っている巨人の存在。

狩人はあの巨人を相手にするのだけは避けたかった。

ただ単に勝機が見えないからか、それとも大聖堂前で背中を斬り裂かれたのがトラウマとなったのか。

或いはその両方か。

 

「すぅ…はぁ…っ、よし」

 

大きく深呼吸をした狩人は、柵に手を掛け飛び越える。

そしてその先にいる罹患者達に武器を振るう────事はせず、一目散に駆け出した。

目指す場所は住宅街ではなく、右に見える明かりの漏れる建物だ。

中にも罹患者はいるかもしれないが、そんな事よりも逃げの一手。

全てすり抜ければ問題は無い。

 

「獣だ!殺せェッ!」

「あれぇ…?」

 

という考えは建物、というよりその塔に入った瞬間に打ち砕かれた。

元々それほど広い建物とは思っていなかったが、まさか梯子があるだけとは予想も付かなかっただろう。

とはいえここまで来て後ろに走れば物量に潰されるだけ。

そうして考えを纏めた狩人は、建物の前にいた四人の罹患者から逃げつつ、梯子を上り始めた。

 

「待てッ!獣ォ!」

「ひぃぃっ!獣じゃ無いですぅぅっ!」

 

たかたかと小さく鳴る梯子と打って変わって、野太い怒号と甲高い悲鳴のやり取りは大きくなるばかりだ。

狩人の腰や足のすぐ下を通る罹患者達の武器が起こした風圧に怯えながらも何とか上りきれば、その上はただの見張り塔のような構造だった。

橋のように一つ隣の塔へ通路が渡されているが、言ってしまえばそれだけ。

そこを通って隣へ行くと、狩人はまたもメモを見付ける。

 

『合言葉の門番はビルゲンワースの番人

ただ大聖堂の警句だけが、その門を開く』

 

「合言葉…大聖堂の警句…」

 

門番とやらがいる場所を狩人は知らず、だが狩人はそこに向かう必要があるのだろうという事だけはわかる。

そして、その警句も狩人は知っていた。

 

「かねて、血を恐れたまえ…」

 

知っていた、というより見た、聞いたの方が正しいだろう。

ローレンスとウィレーム先生、二人が唱えていた警句。

それが合言葉となっており、それを聞くのがビルゲンワースの番人という事は、次の目的地は恐らく────

 

「ビルゲンワースに、行くって事…?」

 

思えば狩人が見付けたメモの中には、それを示唆するものもあった。

 

『ビルゲンワースの蜘蛛が、あらゆる儀式を隠している

見えぬ我らの主も。ひどいことだ。頭の震えが止まらない』

 

ビルゲンワースの蜘蛛が儀式を隠している。

そして隠し街は儀式の場。

狩人の記憶と推理が正しければ、向かう順番はビルゲンワースが先、ヤハグルが後となるだろう。

 

一先ず"合言葉は警句"とだけ記した狩人は、近くにあった梯子の下に何もいない事を確認し、降りて行く。

降りた先は大聖堂へ繋がる大階段の横だった。

近くには教会の使いもいるが、まだ気付かれてはいない。

 

狩人が恐る恐る身を乗り出し、右に見える広場を格子から覗くと、小道の傍で巨人は立っており、もう一方の巨人は正反対をうろうろと歩き回っていた。

好機だ、狩人は素早く駆け出し、広場を突っ切って奥へと向かう。

幸いにも巨人のどちらにも気付かれずに走り切る事が出来たようで、後ろから何かが追って来るような音も聞こえない。

 

「はっ、はぁ…良かったぁ…」

 

ほんの少し息を整えて、狩人はゆっくりと歩き始める。

目の前に見える仕掛けのレバーを引けば門が開き、更に奥へと進めるようになった。

だがまずは右に見える路地だ。

 

奥から歩いて来る使いが火炎放射器を片手に持っているのを見た狩人は、その瞬間に右回りに走り使いの背後を取る。

横の馬車の陰から鴉も姿を現すが、まずは使いの息の根を止めた。

後は消化試合で鴉を殺し、いよいよ狩人は路地へと入って行く。

 

罹患者は先程の梯子の辺りからは考えられない程に少なく、精々が三、四人程度だろう。

それらを殺し歩いて行く狩人は、路地に掛かった霧を鬱陶しげに通り抜けようとする最中で、その霧によってぼんやりと輝く赤い光を見付ける。

赤い光はランタンから漏れたものであり、それが意味する所は────

 

「まだ、人がいる…?」

 

狩人は恐る恐ると言った様子でランタンのある建物へ近付き、扉をノックした。

パタパタという足音が建物の奥から近付き、そして止んだ頃に女性の声が聞こえてくる。

 

「あら貴女、おかしな香り…」

「────…えっ!?」

「ウフフ…ごめんなさい。嗅ぎ慣れないというだけで、臭う訳じゃないのよ?」

「は、はぁ…」

 

掛けられた言葉に一拍置いて驚愕し、自身の匂いを嗅ぎ始めた狩人の呼吸の音が聞こえたのか、声の主は微笑しながら弁明する。

耳まで赤く染め恥ずかし気に嗅ぐのをやめた狩人に、女性は問い掛ける。

 

「で、何か用?狩りの夜は店仕舞い。それに、ここは男が来る所よ」

「男が…?」

「えぇ、だから…あんまり近付くと穢れちゃうわよ?ウフフ…」

 

意味あり気に、というより言葉を選んで遠回しにここがどんな場所かを伝える女性だが、残念な事に狩人には伝わっていない様子だ。

だがそれも特に気にせず、女性は"軽い世間話"を続ける。

 

「ねぇ、どこか安全な所を知らない?今夜は長過ぎるわ。獣避けの香も、もう無くなりそうなの…」

「あっ、そ、そういう事なら!」

「どこか知っているの?」

「オドン教会っていう所なんですけど…」

 

狩人が道を説明しようとするより先に、女性は得心が行ったように話す。

 

「オドン教会…あぁ、あの古い教会ね」

「そこなら獣避けの香も焚かれてて、安全なはずです」

「そう…貴女、感謝するわ」

「い、いえいえ!」

「じゃあ…次はそちらで会いましょうね」

 

そう言うと女性は支度のためか扉を離れて行った。

オドン教会への避難を受け入れてくれたのは今回で二人目、そしてこの建物の向かいにはもう一つ赤いランタンが置かれている。

狩人はそちらの住人にも声を掛ける事にしたらしい。

 

「あの…どなたかいらっしゃいますか?」

「…お前、よそ者だろう」

「えっ…は、はい…」

「知ってるぜ。あの売女に避難所を教えたんだろう?よそ者の言葉を信じるなんて、つくづく馬鹿な女だ」

「人の事を馬鹿とか言わ────」

「股だけでなく脳みそまで緩いと見える…フハハハ…」

 

"失敗した"

反論に聞く耳を持たず話し続けるその男に狩人が抱いた印象は、その一言に尽きる。

善良とは言えないかも知れないが、相手は一般市民だ。

まだ避難に応じてくれる可能性がある以上、無碍にする訳にも行かないだろう。

だが男の言葉は棘が多く、狩人は次第に目が据わり始めた。

 

「…で、お前のような卑怯なよそ者が、どんな嘘を吹き込んだんだ?俺を騙したいんだろう?さぁ、聞いてやるぜ」

「卑怯だとか嘘だとか騙すだとかっ…むぅ…」

 

"馬鹿"だの、"阿呆"だのと程度の低い罵倒を並べかけた所で、狩人は一つ妙案を思い付く。

今窓越しに話しているこの男は明らかに向かいの建物に居た女性を貶しており、見ようによっては────いや間違いなく毛嫌いしている。

していなくてもそう見られる発言をしているのだ。

これではオドン教会で喧嘩騒ぎになりかねないだろう。

 

とはいえオドン教会以外に避難者を任せられる場所があるだろうかと問われれば、あるのだ。

一箇所だけ、信を置けるかはさておき、受け入れの用意がある場所が。

 

「…ヨセフカさんの診療所、とか…?」

「…フン…残念、俺は賢いからな。誰がそんな世迷言を信じるものか」

「えぇ…?」

「まったく、無知なよそ者が考えそうな嘘だよ。フッ…」

 

それっきり男は話すのをやめてしまい、恐らくは狩人の方から話し掛けない限り応答は無いのだろう。

"嘘を告げてしまった"という罪悪感が狩人の心の内でじわじわと広がり始めるが、このヤーナムの住人は今の所大半が狂っている。

 

"あれ程攻撃的な口を持った人間が、穏やかにお互いの距離感を保てるとは思えない"というのが狩人の心情だった。

伝えてしまったものは仕方ないと何とか割り切って、狩人は先へと進み始めた。

 

そうしていよいよあの広場の近くへと出た狩人は、八方塞がりとばかりに首を傾げる。

傾げた首を何も思い付かなかったのか直ぐに戻し、ちらと上を見れば、そこには橋が掛かっていた。

 

片端は左側へ、もう片端を辿ればそれは梯子の手前辺りに繋がるのだろう。

広場から恐る恐る脳喰らいと鴉のいた方を覗けば、角度的に道こそ見えないものの、繋がっている方向は合っているようにも感じる。

 

"開けた門より先にそちらを見ても良いかもしれない"

そう考えた狩人は、来た道を引き返し広場へと戻った。

案の定小道の傍に立っている巨人に背後からゆっくりと近付き、その辺りに落ちていた石ころを小道の反対へと投げる。

音に反応して振り返った巨人の背に合わせて小道側へと歩いた狩人は、見事巨人に気付かれないまま小道へと入る事が出来た。

 

入って直ぐ左を見れば、予測通り更に道は続いている。

道なりに進んで橋を渡った先には風車とその下に広がる広大な森が。

そしてその手前には一つの人影が見える。

 

見覚えのある人影に狩人は喜色を浮かべ、駆け寄って行く。

その足音に気付いたようで、人影も狩人の方を向いた。

 

「おや、貴女は」

「アルフレートさん!」

「先程振りですね、貴女はこの先に?」

「はい!何かあるかなって…」

「何か、と言えばあるにはありますが…」

 

バツの悪そうな顔を浮かべるアルフレートに、狩人は首を傾げるが、その様子を見てアルフレートは苦笑しながら訳を話した。

 

「この先は禁域、立ち入る事は制限されているのです」

「えっ…」

「…もちろん、この夜ではその制限も有って無いようなもの。進む術を持ち合わせているのなら、ご自由に…」

「は、はい」

 

そう言えば、と狩人は何かを思い出した様子で手記を取り出しながら、アルフレートに問い掛ける。

それはある意味狩人がアルフレートに協力するために最も必要とする情報であり、そしてアルフレートからしか聞けないであろう情報だ。

 

「あの、血族ってなんなんですか?」

「おや…そうでしたね。貴女にはそれを説明しなければ」

 

アルフレートはそう言って、血族と、そして処刑隊について話してくれる。

 

「偉大なるローゲリウス師は言っています。かつてビルゲンワースの学び舎に裏切り者があり、禁断の血を、カインハーストの城に持ち帰った。そこで、人ならぬ穢れた血族が生まれたのです」

「な、なるほど…?」

 

ローゲリウス師、というのは以前もアルフレートの口から聞いた名だ。

そしてここでもビルゲンワースが関わっており、更にそこから穢れた血族が生まれたとなれば、狩人の中でのビルゲンワースの印象は酷いものとなっていた。

 

「血族は医療教会の血の救いを穢し、侵す…許されない存在です」

「血の救いを、穢す…」

 

苦々し気に顔を歪めるアルフレートは、心の底から悔しそうだという確信を持てるような表情をしている。

その表情に少しばかり恐怖を覚えながらも、狩人の心中の大半は同情や義憤に近いような感情で埋められていた。

 

「その血族が、血族の長が、今もまだ生き残っている…だから私は、師の意志を継ぐために探しているのです。カインハーストに至る道を…」

「生き残る…って言うのは、他の血族は倒したんですか?」

「えぇ、かつてローゲリウス師は処刑隊を率い、カインハーストの城で血族を浄化しました。ですが処刑隊はその殆どが血族の凶刃に斃れ、戦いから生き残り帰還したのはたったの一人だと」

 

アルフレートの表情は更に険しく、固く歪んだものになって行く。

その様子に気圧されたのか狩人は生唾を呑み込み、アルフレートの話に聞き入っていた。

 

「その、ローゲリウスさんが…?」

「…いえ、帰還したのは処刑隊の一員であった狩人の一人だとか。ローゲリウス師は血族の生き残りである女王を封じ込めるべく、救いの重石に…嘆かわしい事です」

 

狂気的な信念の滲んだ瞳と声音に、だが狩人の恐怖は和らいでいた。

むしろ幾つもの手助けとなる情報を与えてくれたアルフレートに報いるチャンスだ、と奮起している様子さえ見える。

 

「じゃ、じゃあ!僕はそのカインハーストに行く手段を探せば良いんですよね!」

「えぇ、それをしてくれるのなら、とても助かるのですが」

「もちろんです!」

「やはり貴女に協力を申し出て良かった。ありがとうございます」

 

歪んだ眉根と苦い表情は霧散し、そこには好青年のアルフレートが残っていた。

狩人はほっとした様子で、ビルゲンワースに繋がる禁域へと歩き始める。

 

「それじゃあ、絶対見付けて見せますから!」

「えぇ、心待ちにしています」

 

自信満々、というよりもお使いを頼まれた子供のような面持ちで、狩人は次なる道を進んで行った。




少女狩人のノコギリ槍

変形前は肉を引き裂くノコギリとして、変形後は斬り裂き、そして貫く槍として振るう事の出来る仕掛け武器。
最初に選べる三つの仕掛け武器の内の一つであるノコギリ鉈の姉妹武器であり、変形前に限ればほぼ同じ用途となる。

狩人は変形後も既に片手で振るえる程度の筋力があるのだが、どうやら未だに気付いていないらしい。
だからこその十八番、所謂必殺技の突き込みを磨いているのだが。
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