少女の微睡、月香の夜。 作:かなしいな
※第十四話、風圧で死んだ説が好きです。
頼りない鉄柵の向こうは森の上、それもかなりの高さがあり、今も風が吹き荒んでいる。
狩人はそんな階段を横や下を見ないように、そして何より足を踏み外さないよう慎重に降りて行く。
そうして辿り着いたのは大きな扉の前だ。
所々に罅が入っており、壁も数箇所崩れている。
如何にも"棄て置かれた"という様をした扉に狩人が触れようとした時、不気味な声が辺りに響いた。
「フフフッ…フフフフッ…」
「だ、誰…?」
「あいことばだ…」
その声の主は、恐らく狩人に向けて話し掛けているのだろう。
"あいことば"というフレーズで狩人の頭に入っているのは、一つの警句。
「"かねて血を恐れたまえ"」
狩人がその警句を呟くと、扉は内側へと開く。
既に月に照らされている夜の風はただでさえ冷たいにも関わらず、目の前の大扉が開いた事で狩人の柔い頬を鋭く撫ぜた。
開いた扉から中に入り、門番の顔を拝んで見れば、そこには────
「ひぃっ…」
小さな悲鳴を上げた狩人の目の前にあるのは、瓦礫に腰掛けた一つの骸骨。
狩人から合言葉を受け取り扉を開けた門番は、既に死んでいた。
非科学的な存在、というには狩人はそれに値するものを見過ぎているだろう。
幽霊やゴーストと呼ばれる類、この場合は動いていないだけでスケルトンとも言えるだろうか。
もしや扉が開いた風圧で死を?なんて馬鹿げた考えも一瞬過ぎるが、皮や肉、内臓までも吹き飛ばして白骨化させる風圧なんてものが吹いたのだとしたら、狩人も同じような状態にされている筈だ。
「う…あ、ありがとうございます…!」
ぶるぶると首を振って恐怖を飛ばし────た気になっている狩人は、骸骨に礼を告げて歩き出す。
やはり扉の奥の空間も崩落が進んでおり、床は崩れ、かなり下方にある床が見えている。
正面に見える階段を崩れてしまわないかと恐る恐る降りて行った先には、やはり上階の床が崩れ落ちて来たのであろう瓦礫と、この建物から抜ける出入口があった。
外へ出てみればそこは鬱蒼とは程遠い、枯れ木ばかりの暗い森だ。
木々の陰には墓石のようなものも置かれており、淀んだ雰囲気を更に酷いものにしている。
舗装など微塵もされていない、或いはされていたが既に意味を成していない道を進んで行けば、暖色の明かりが見える。
所々から聞こえる唸り声や呼吸音からして、どうやらここには未だ住人が、それも獣どもが棲んでいるようだ。
今や狩人となった少女は、ヤーナムの市街において獣どもを狩り、血を浴びながら進み続けた。
だがそれにも慣れというものが必要だったのだ。
人々の営みが伺える街並みに、相反する不可思議。
獣という名のそれらを狩る事は、あくまでヤーナムの街に人の香りが残っていたからこそのもの。
人を守っている、ただ人だったものを殺しているだけでは無い。
これは誰かの救けになっている。
そういう認識が必要だったのだ。
要するに少女は、人の香りが少な過ぎるこの森に踏み入った事で、本来の臆病な性質が色濃く表出していた。
今も産まれたての子鹿のように足を、体を震わせながら歩いている。
獣という存在する怪物に慣れた所で、門番のような死霊や悪霊と呼ばれるものへの耐性を未だ獲得していないが故に。
「はぁぁぁっ…うぅぅぅっ……」
息を吐く音まで震わせながら歩く狩人は、周囲の状況に敏感になっていたが故に、正面から飛来する"何か"を察知する。
それを右手のノコギリ槍で弾こうと振り上げれば、命中した瞬間にそれは破砕した。
幾つかの大きな破片が狩人の頭に直撃するが、幸いにも尖った破片は飛んで来なかったらしく、痛みだけで怪我は無い。
だが怪我以上に気になるものが、狩人の体を襲っていた。
「あだっ……ぶぇぇ…油臭ぁ…」
口の中には入っていないようだが、それでも気になるものは気になるのだろう。
唾を吐いて頭を拭って、もう一度飛来する何かを避ければ、それを投げて来た何者かの姿を捉える事が出来た。
罹患者だ、恐らくはここの住人だろう。
奥には明かりが揺らめいており、その持ち主も罹患者だという事がわかる。
目の前にある左右へと分かれ道、その真ん中から油壺を投げている罹患者と明かりを持った罹患者を、狩人は無視して進む事にした。
向かう先は左の下り道だ。
飛んで来る壺を避けながら何とか走りきった先には、灯りが一つ置かれていた。
「よ、良かったぁ…」
ほっとした様子で灯りを灯す狩人は、後ろから罹患者が迫っているのでは無いかと戦々恐々としながら、夢へと帰って行った。
「人形さん!今度こそ、お願いします!」
「わかりました。それでは、手を…」
夢に帰って直ぐに、狩人は血の遺志を力に変換する。
聖堂街で襲い来る罹患者達を出来るだけ殺して進んだ甲斐があったのか、遺志は足りたらしい。
遺志での強化が済むと、今度は世間話として人形に血族の話を聞き始めた。
「人形さんって、血族の話とか聞いた事ありますか?」
「血族…いえ、記憶の限りでは、そのような名は一度も」
「そうですか……うん、ありがとうございます!」
多くの狩人から話を聞いていたのであろう人形ならば或いは、そう思っての質問だったようだが、残念な事に失敗に終わってしまう。
とはいえ人形に余計な心配をさせない為にも、狩人は肩を落とすような事はせずに、礼を告げて墓標へと向かって行った。
市街へと向かう時に使っていた墓標に手を翳そうとする狩人を、だが使者達が止める。
グイグイと引かれるズボンの裾に気付いた狩人は、自身を招く使者に従ってその隣の墓標へと手を翳した。
「こっち…で、合ってます?」
満足気に頷く使者達を見て、狩人は今度こそ転送される。
「血族…」
もう一度その名を呟く人形が、どこか懐古のような、疑念のような。
或いはそれら全てが混じった色を、その瞳に浮かべている事に気付かずに。
人形との会話で多少元気を取り戻したようだが、この森へと恐怖が全て掻き消えた訳では無い。
戻って直ぐに顔を染めて行く青色を、どうにか振り払おうと頬を数回叩いて狩人は歩き始めた。
目の前にある建物には明かりが掛かっているが、それはただのランタンであり人が住んでいる証の赤い光は灯っていない。
扉を押しても引いても開きはせず、諦めたように狩人は橋の方を見やる。
橋の上には罹患者が一人歩いており、その奥にいるもう一人の罹患者は長銃を持っている。
「オォォォッ…!」
「ぃよっ…と、退いてっ!」
仕方ないと橋を進み始めた所で振るわれた手斧を軽く避け、狩人はノコギリ槍でその左腕を断つ。
手斧持ちの攻撃に合わせるようにして放たれた銃弾もやはり狩人に命中はせず、銃弾を回避しつつ一人目にトドメを刺した狩人は銃持ちへと迫る。
至近距離となれば長銃の取り回しでは狩人の素早さに対応しきれず、罹患者は銃ごと鎖骨を叩き折られ、胸部を大きく斬り裂かれた事で絶命した。
二人の罹患者の懐をまさぐって水銀弾や輸血液を拾って、狩人は再び道なりに進み始める。
地面に置かれた幾つかの木板が重ねられたそれを狩人が踏むと、その瞬間不自然に地面が沈み込む。
「えっ?」
ガシャリと頭上が鳴った時には、既に狩人の目の前まで大きな丸太が迫っていた。
折れた農具などだろうか、鋤などの先にも見える棘が生えたその丸太は、製作者の殺意が良く見て取れるデザインをしている。
この時ばかりは血の医療を受け入れた事が幸いし、狩人はその場から大きく飛び退くどころか、背後の地面へと飛び込んで見せた。
ギィギィと軋む音を鳴らしながら、丸太は振り子のように空を彷徨う。
タイミングを見計らって向こう側へ行けるだろうかと思案する狩人を、丸太は悪い意味で盛大に裏切った。
べキリ、という何かが割れるような、折れるような音。
吊るしていた鎖が切れたのだろう、ろくに手入れなどされていなかったのだろうから仕方が無い。
その仕方が無い事で、狩人は死に瀕する。
鎖が切れて放り出された丸太が飛んで行ったのは、狩人がぺたりと尻餅をついて座っている方向、橋の隅にある柵も何も無い堀の下だった。
「ぎゅぶっ!?」
無数の棘が狩人の体を貫く。
肺や肝臓、胃や食道も当然のように貫かれ、裂かれて行く。
そうして丸太に巻き込まれた狩人は、回転で腹の中身を削られる感覚と痛みに気絶しようにも意識を叩き起され、心臓を外れてしまったが故か即死とは行かず堀へと落下して行った。
やがて最下へ辿り着く頃、狩人は血と共に食道を突き破った棘から削れ落ちた錆なども吐き出してしまっていたが、その味など覚える暇も無いだろう。
体と、そして頭を丸太の重量と地面の固さで挟み込まれ、狩人はようやく死を迎える事が出来た。
「…………」
夢に送られて数秒、狩人は事態が呑み込めていない様子でその場に惚けて座り込んでいる。
やがて口を開いて、閉じて、ようやく状況と死因を理解した狩人はその眉根を歪めた。
むすりと膨らんだ頬は羞恥では無く、怒りで赤く染まっている。
「ずびっ……なんなのもぉぉぉっ!」
一度回避した絡繰に調整不足の想定外な軌道で屠られた狩人は、どこへ向ければ良いのかもわからない怒りを抱える羽目になってしまった。
「…ごめんなさい」
数分掛けて心を落ち着かせた狩人は再び禁域の森へ踏み入り、橋の上とその向こうの罹患者二人を斬り殺すと、一言謝罪をして前へと進む。
度々するこの行為は、きっと狩人の精神安定を担っているのだろう。
再び罠を踏むようなドジはせず、木板を避けて進んで行くと、火の弾ける音と罹患者の吐息が響く空間に出た。
岩や枯れ木の向こうにはやはり罹患者がおり、焚き火の近くにはそれらに殺められたのであろう身なりの整った死体が二つ落ちている。
奥には更に三人の人影と犬が一匹見える辺り、この道は安全とは言い難い。
とはいえ他に進む道も無い、この先を諦めて引き返した分の徒労を他で取り返せる保証も無い。
狩人は腹を括って戦闘の準備を始めた。
懐の直ぐに取り出せる位置に輸血液を携え、まずは手前にいる一人目に向けてノコギリ槍を振りかぶる。
「後ろだ!獣がいるぞ!」
可能な限り音を立てずに飛び出した狩人だが、やはり獣の病の罹患者と言うだけあって五感は鋭い。
片方は既に狩人に気付き、もう片方の罹患者に注意を呼び掛けている。
おまけに罹患者の陰に隠れて見えていなかった犬まで現れ、狩人は戦闘を開始して直ぐに絶体絶命へと追いやられてしまった。
「グァァウッ!」
「づぅっ!?」
右肩に噛み付かれた事で噴き出した血は幸いにも視界を塞ぐ事はせず、狩人は痛みに喘ぎながらも冷静に短銃の引き金を引く。
水銀弾を腹に受けその場に倒れた犬は、だが息の根が止まっていないのを確認した瞬間に振るわれたノコギリ槍によって絶命する。
一方で罹患者達は既に準備を整え始めており、狩人が行った奇襲の利点は悉くが失われかけていた。
先程の呼び掛けに答えた片方が振るった武器を、肩を抑える事もせずに走る狩人は咄嗟に左膝を地に着き、右脚を大きく前に伸ばす事で無理やり姿勢を低くして躱す。
「これで、一人っ!」
「グゥッ…死ねェッ…!」
伸ばした右脚を罹患者の足に掛け、曲げて引き戻す事で転倒させた狩人はガラ空きになった腹をノコギリで潰し斬る。
だが無理やりの姿勢変更と肩に受けた傷によって攻撃に力が乗り切らなかったか、トドメを刺し切る事は叶わなかった。
そこにもう一人の罹患者も武器を持って加わり、転倒している味方ごと狩人を刺し殺さんと迫る。
「オォォッ!」
「この────…そんなっ!?」
狩人が驚愕は味方を巻き込む事を良しとするその攻撃に対してでも、ましてやそれを防ぐ事に成功した自身の動き、状態の良さへのものでも無い。
罹患者の武器を受け止めたノコギリ槍の刃に罅が入り、欠ける。
ガタが来ていたのか、狩人のノコギリ槍は刃毀れを起こし、壊れる寸前にまで陥っていた。
「っと、取り敢えず…退いて!」
「ガァッ!」
欠けた刃に引っ掛ける事でどうにか武器を逸らし、上にのしかかっていたが故に倒れたままだった罹患者にトドメを刺す。
もう一人は逸らされた武器をもう一度向け直すが、狩人はお構い無しでノコギリ槍を変形させた。
「獣め!よそ者め!」
「よそ者だってわかってるなら…放っといてくださいよ!」
罹患者が構え直した武器を振るった瞬間、狩人の左手に握られていた短銃が火花を散らす。
肩口に命中した水銀弾によって罹患者は大きく体勢を崩し、その胴にノコギリ槍が突き込まれる。
抉り、引き抜かれたノコギリ槍はまた少し刃毀れが酷くなっていたが、一先ずこの場は制圧出来た。
後は奥に見える二人とその傍にいる犬一匹だが、罹患者の方は既に狩人に気付いて各々の武器を構えている。
今し方殺した二人の懐を素早く漁り輸血液を奪った狩人は、素早く前へ駆け出した。
犬の傍にいる二人の罹患者は狩人に向けて油壺を投げ始める。
当たっても問題は無い程度の威力だが、狩人としては可能ならば痛覚を刺激されるのは避けたい。
そして何より割れて飛び散った破片や油で視界を塞がれては、そのまま殺されてしまうだろう。
油壺を出来るだけ小さな動きで避けながら狩人は前へ前へと進み、狩人に気付き飛び掛かって来た犬の喉笛を、変形させたままのノコギリ槍で貫く。
走りながら行われた一連の流れから速度を落とさず、左足をブレーキ兼軸としながら回転し、罹患者の胴体を逆袈裟に斬り裂いた狩人はその回転を殺さずにもう一人の首を貫いた。
奥から現れた盾と松明を持った罹患者に回転を利用して勢いを増した走りで近付いて行くが、それを見た罹患者は盾を構え、攻撃を防ごうと重心を低く保ち始める。
怪我をしている状態での細腕では一度防がれれば膂力の差で押し切られる、ならばまず障害となる盾を退かす必要があるだろう。
「それ退けてっ!!」
「何を、野蛮なッ!」
盾を構え続ける罹患者に対して、狩人は右足を上へと蹴り出す。
その方向にあるのは木盾の端だ。
蹴りが命中した盾は予想外の方向からの攻撃によって上へ弾かれ、作った隙を見逃さず突き入れられたノコギリ槍によって罹患者の心臓が貫かれた。
「ふーっ…ふーっ…っづ、うぅ〜っ…」
狩人はその場の敵を殲滅した事で気が抜けたのか、肩口の傷に注意が向いてしまったようで、肩を抑えてその場に座り込んでしまう。
急いで輸血液を取り出し、太腿に刺して注入すると同時に、狩人は周囲を見渡し始めた。
陰鬱な空気は奥地へと踏み入る毎に濃くなって行くが、景色は全くと言って良い程変わらない。
そんな中で一つ見付けた今までと違うものは、幾つか隣接している木造建築。
所謂村のような影だ。
人の気配こそするが、その中心に見える人影にはしっかりと光球が浮いており、敵だという事がわかってしまう。
古びた塀の中心、恐らくは門があったであろう場所を潜ろうとする狩人の足下が、またも小さく沈み込む。
金属音と共に落ちて来たのはやはり────
「ひぃっ!?」
あの丸太だった。
今回も一度目を避けきり、壊れた後に当たってしまわないように急いで塀の裏へと回る。
幸いな事に村の住人達はこの騒音でも狩人の存在に気付いていないようだった。
振り返って人数を確認し、先程よりも敵が多く分が悪い事を確信すると、今度は人影では無く物陰を探し始める。
「また、いっぱいいるし…」
罹患者の数に辟易とした様子の狩人は、傷が治りきると一度物陰に身を寄せ、佇む人影に出会さないように隠れつつ進める道を探し始める。
やがて村の外れにある家の合間を見付けると、その細道を縫うようにして進んで行った。
所々の壁に穴が空いており、中には死体が転がっている家もある。
村に見えたこの場所はひょっとすれば殺し合いでもしていたのかもしれないと怖気る狩人だが、その実ちゃっかりと死体の懐を漁り、家に落ちている薬などを拝借していた。
拾った薬の中には、何やら不気味な丸薬も混じっている。
獣血の丸薬
獣の血を固めた丸薬。
摂取した人間の獣性を高め、肉を裂き血を浴びる毎に使用者に力と快楽を与える。
濃厚な血の匂いが漂うそれを、狩人は怪訝な目を向けながら懐にしまう。
他にもヤーナム市街や旧市街で見た事のある血の酒や輸血液、そして度々現れる罹患者の血の遺志を奪いつつ、狩人は奥地を目指して行く。
ふと足を止めた狩人の鼻に、重く気分の悪い匂いが漂ってくる。
狩人がこの森に入って一度浴び、そしてそれから何度か嗅いだ事のある匂い。
油の匂いだ、それもかなり濃く、量もそれなりだろうと確信出来る程の。
家々の隙間を通るのも限界だろうという所まで進んだ直後にこの匂い、という事は次の道に何かしら油を使ったものが仕掛けられているのだろう。
更に慎重な足取りで進む狩人のそんな考えを、ある意味で大きく裏切ったものがそこにはあった。
「えっ…な、何これ…油?全部?」
狩人の目の前に広がる道は全て濁った液体が張られている。
一歩足を踏み入れればそれが水よりもずっと固く、そして狩人の背丈では膝まで浸かってしまいそうな深さがある事がわかる。
上からは罹患者達の唸り声が聞こえる辺り、つまりはそういう事なのだろう。
明らかに罠と言える道を、だが狩人は意を決して進み始めた。
重い油を足で必死に掻き分け走る狩人の背中越しに、瓶が割れるような音と火花が弾け、炎が立ち昇る音が響く。
間違いなく上にいる罹患者が火炎瓶を投げて寄越しているのだろう。
火が回る前に、瓶が当たるより早くこの油沼を抜けなければならない。
そんな焦りと共に何とか沼の端まで辿り着いた狩人は、右に見えた洞窟のような横道へと入って行った。
中には死体が転がっているが、生き物の気配は無い。
足に負荷が掛かった状態での全力走行は狩人の底の知れた持久力には厳しかったのか、荒い息を隠そうともせず奥へと歩いて行く。
何とか息を整えた狩人の前にあったのは、一つの格子扉だった。
鉄製のそれの向こう側は、ボロボロの民家に続いているらしい。
位置的に先程通り抜けた村の内の一軒だろう。
またやられてしまったとしても、沼を通る事無く向こう側へ行けるという事だ。
ショートカットを開通してもう一息入れた狩人は、今度は武器について思案し始めた。
今使用しているノコギリ槍はもう壊れかけだ、もしかすれば直す事が出来るかもしれないが、完全に壊れた場合を想像すればこれ以上の酷使は出来ない。
狩人はノコギリ槍をしまうと、自身が扱えるもう一つの武器を引っ張り出した。
「よ、よし…最初に使ってたやつなんだから、大丈夫…!」
その手に握られているのは仕込み杖だ。
最初に選んだ仕掛け武器であり、自身に足りない膂力を武器の自重で賄おうと考えた狩人が死蔵したもの
技量を求められる武器だが、壊れかけのものよりもずっと力を入れやすいだろう。
あと一つ、狩人が所持している武器には強力なものとしてルドウイークの聖剣がある。
だが他よりも体格で劣る狩人は製作者の想定した扱いが出来ず、遺志によって筋力がついた今でも、多少無理をしなければ片手持ちは厳しいだろう。
少なくとも今の筋力では変形前の直剣を両手で振るうので精一杯だ。
今更になって武器の選択肢の狭さを知った狩人は、もう少し武器になりそうなものを拾って歩こうと決心し、洞窟を戻り始めた。
洞窟を出てまず見えるのは坂を上った先の一軒家とその前の二人、そして屋根の上にもう一人いる罹患者達だろう。
家へと走り寄って直ぐに、狩人は仕込み杖を変形させる。
蛇腹剣へと姿を変えたそれを大きく横凪ぎに振るってやれば、目の前にいた二人ともを巻き込み、斬り裂いた。
「ガァッ!?」
「う、撃てェッ!」
合図で放たれた弾丸を躱すと、狩人は屋根へと繋がる足場を駆け上がって行く。
同じ舞台へ躍り出た狩人に対して向けられた長銃は、だが狩人の杖によって上へと弾かれた。
威嚇射撃のように上へと放ってしまった銃の反動でたたらを踏んだ隙を見逃さず振るわれた杖によって、最後の罹患者もその場に倒れ伏す。
「…結構強い…?」
早々に構えるのをやめたという事と、死蔵して以降手に持つ事すら無かった反動もあるのか、狩人は仕込み杖に予想外の手応えを感じている。
ハズレだと思っていた杖が案外有用だったという事もあり機嫌を良くした狩人は、勢いそのままに先へと進み始めた。
緩やかな坂を歩いて上って行く狩人の目に、一つ奇妙なものが映る。
坂の上にいる一人の罹患者が、左右に車輪の付いた大きなの裏で構えるようにして立っているのだ。
その罹患者と目が合ったと確信した直後、筒の先が火を噴いた。
火に乗って狩人の方へと飛んで来るのは黒い弾、音に驚きつつも狩人が近くの民家に身を隠すと────
「ガァァァッ!?」
「きゃあぁぁっ!?」
着弾と同時に起こった大きな爆発によって、直ぐ傍まで来ていた一人の罹患者と狩人が先程まで立っていた場所が炎に巻かれた。
その大砲の砲手は、既に砲弾を込め終わったようで、狩人が飛び込んだ民家に照準を合わせる。
壁に幾つも空いた隙間からそれを確認した狩人は、直ぐにその壁から離れて奥へと引っ込む。
数秒越しに民家へと訪れた衝撃によって、狩人の覗いていた隙間を含めた壁が爆散した。
「ひぇ…」
直撃、いやその爆風に巻き込まれるだけでも即死は免れないだろう。
明らかに怖気ている狩人は腰が抜けてしまったのか、その場にへたり込んで震えたまま動かなくなってしまった。
狩人が民家の奥に引っ込んで蹲り始めて数十秒程経った頃、狩人はその謎に気付く。
爆発音が聞こえないのだ、あれ以来一発も砲撃を行っていないのか、着弾音どころか砲撃音すら上がらない。
もしかしたら、と狩人は意を決して立ち上がり、更に大砲に近い向かいの家へと走り出す。
「わぁぁっ!?」
やはり走っている狩人へ向けて砲撃が一度行われるが、それ以降撃ち込まれる事は無い。
思いの外近くに着弾した事で舞い上がった土埃を盛大に被った狩人は、けほけほと咳き込みながらも大砲の方を伺った。
どうやらあの罹患者は一度標的が見えなくなった時点で砲撃をやめてしまうらしい。
一度走れば後は走り続けるだけ、狩人はもう一度飛び出して近くの民家へ避難する。
後は直ぐ傍に撃ち込まれる砲弾をやり過ごすだけだ。
そうして狩人は砲弾の欠片すら受ける事無く大砲へと近付き、仕込み杖を振るい罹患者を仕留めて見せた。
「…これ、どうやって撃つんだろう」
狩人の腕で動かすには重すぎたようで、左右へ傾けようとしても動く気配は無い。
だが恐らくは給弾口であろう場所に備え付けられたレバーは軽く、外側から見ても着火用のものである事がわかる。
"一発くらい試しに"と狩人がレバーを引くと、至近距離故の轟音に鼓膜が震え、小さな肩が大きく跳ねる。
「────…ご、ごめんなさぁい…」
弾け飛んだ土煙と幾つかの木片を余所に、狩人はそそくさと背後に見える建物の方へと歩いて行った。
狩人の頭上に見える風車は、恐らく聖堂街から見えたものだろう。
それなりに苦労して進んだ道だが、直線距離で見ればそれ程離れてはいない。
風車小屋の左右に道は無く、ただ右側から下の景色を覗けるだけだ。
となれば進行方向は正面の小屋内部のみ。
「お邪魔しまーす…」
内部は明かりもろくに無く、暗がりの隅にはガラクタや木片が放置されており、とてもじゃ無いが良好とは言えない足場をしている。
狩人が携行ランタンを灯しながら道なりに進んで行けば、目の前には出口のようなものが見える。
「うわっ…か、風強っ…」
狩人の言う通り、その出口からは強風が入り込んでいた。
外には足場が一つ下に見えるのみで、一度降りたら戻っては来れないだろう。
その更に向こうはかなりの高所だ、落下すればまず死は免れない。
"ここはやめておこう"と狩人が出入口を離れると、下から唸り声と足音が聞こえて来る。
罹患者のものだろう、そう高を括って進んだ狩人が目にしたのは、やはり人影だ。
何もおかしな所は無い────いや獣の病に罹患している時点で様子はおかしくなるものだが、見慣れた罹患者の姿に狩人は武器を構えた。
階段の下にいるそれに、変形済の仕込み杖を振るおうと近付いたその時。
どうやら階段に落ちていた木片の一つを踏んでしまったらしく、パキリと乾いた破砕音が冷えた空気を割り裂いて辺りに響く。
音に気付いた罹患者は大袈裟に振り返り狩人の姿を視認すると、更に唸り声を荒らげ始める。
ランタンを付けて尚薄暗いその建物内では影しか確認出来なかった頭が、一瞬にして形を変えた。
頭だった部分から突き出てくる異形、蛇のような影。
今まさに、罹患者の頭からは無数の蛇が飛び出しているのだ。
「ひっ!?」
「ギシィィィッ…!」
狩人に向けて複数の蛇が細い威嚇を行うと、罹患者はその歩みを進める。
杖の攻撃範囲ではあるが、予備動作を見せた瞬間に蛇が噛み付いてくれば対応はその分遅れてしまうだろう。
罹患者の歩みに合わせてジリジリと後退しつつ、狩人は杖を握る手に力を込める。
"もし蛇の攻撃範囲が杖より広ければ近付いて刺し殺してやる"と。
言うが早いか、狩人の杖が一度構え直された瞬間に、一匹の蛇が狩人に牙を剥いた。
歩みを合わせていた事もあり両者の距離は変わっていない、だが罹患者はそれを認識出来ていなかったのか、狩人の眼前を掠める事すらせずに蛇は元の場所へと戻って行った。
完全に間合いは狩人が上だ。
確信を持って攻撃に出た狩人は、その杖で二度三度と罹患者の頭部、蛇の集合体を斬り付ける。
「硬いなぁ…!」
狩人の言葉通り、その頭から飛び出ている蛇の鱗は狩人の仕込み杖で易々と斬り裂けるものでは無かった。
通りはする、だがあくまで掠り傷程度。
"ジリジリと下がっているこの足が、背中がもし壁際まで追い詰められたら"
そう考えた狩人は、まず動きを止める事にした。
「…ふっ!」
今まで縦や斜めに振るって頭を狙っていたその刃を、横に、そして低く救い上げるようにして振るう。
狙いは膝、断ち斬るまでは行かなくとも確実に動きを止められる関節の接合部。
「ギィッ!?」
蛇頭にも痛覚はあるのか、小さく叫ぶと威嚇を強くする。
だが膝の前半分程を斬り裂かれ、関節を断たれているだろう脚は、自重を支えきれず崩れ落ちて行く。
ドス黒い血を撒き散らしながら膝を着いた蛇頭に、狩人は攻撃の手を更に激しくし始める。
頭狙いでは無く、その下の人である部分へと。
過剰と言える程に振るい、体を斬り裂く狩人の狙いは"失血死"だ。
蛇も段々と力を失っているように動きが鈍くなり、やがて蛇頭は膝を着いたまま動かなくなった。
「…っ、はぁ〜っ…」
溜め息を一つ吐いて、狩人は蛇頭を横を通って歩いて行く。
その背中に油断の色が見え始めた頃、幾つかの牙が首を、肩をと狙いを定めて飛んで行く。
「シャァァッ!!」
「んなぁっ!?」
音に振り返った狩人の視界に映ったのは、一つ、二つ。
そして既に眼前まで迫っていた三つの蛇の口だった。
視認した瞬間咄嗟に振るった仕込み杖は蛇では無く、本体を仕留めんと胴体の心臓目掛けて飛んで行く。
首を咬まれるのはどうにか避け、身を捩った狩人の左の肩と上腕、そして手首に巻かれたリボンを僅かに逸れた前腕に牙が突き刺さる。
「…こ、のっ!」
本体の心臓を貫いても牙は緩まず、ジクジクとした鋭い痛みが狩人の左腕を苛むのみだ。
ならばと狩人が蛇の首を狙って杖を振るえば、今までの苦労は何だったのかと言う程に簡単に斬り飛ばす事が出来た。
首が伸びきっていたからか、遅れたカウンターのように刺さったその攻撃で、狩人は蛇相手の攻略方法を一つ思い付いたようだ。
この先同じような相手が出るかはわからないが、覚えておいて損は無いだろう。
首を刎ねられた事で今度こそ動きを止めた蛇の牙を抜き捨てて、狩人は輸血液を使用する。
傷が粗方治った所で階段を降りて行くと、右手に小さな明かりの掛けられた道が見える。
壁に身を隠してちらと向こう側を覗いてみれば、そこは大きな穴の前に仕掛けのレバーが一つ置いてあるだけの部屋だ。
それなりに高さがあるが、この仕掛けの形状は恐らくエレベーターだろう。
何度か使用した事がある仕掛けだからかそう予測を付けた狩人は、今はここは使えないと反対側を調べ始めた。
案の定左側にも道があり、そこはしっかりと外へ繋がっている。
右には墓石が大量に並べられており、正面には橋。
そして橋の向こうには、先程の────
「また蛇ぃ…?」
「ギシッ…シャァァッ…!」
蛇頭が、そこにいた。
今回は蛇を隠しておらず、最初から無数の蛇が生えた状態で歩いている。
左手には杭のようなものを持っているが、そもそも杭の間合いに入る事は無いだろう。
蛇の間合いギリギリへと近付いた狩人は、杖を構えて攻撃の体勢を見せる。
その瞬間咬み付いて来た蛇に対して、狩人は後ろに一歩退がり、首を狙って杖を振るった。
伸びきった首はいとも簡単に刎ねられ、その場に落ちる。
それによって怯んだ蛇頭に狩人は更に近付くと、同じ方法で蛇を釣り出し、その全てを斬り落として見せた。
「…ふーっ…よし、もうあなたは怖くありませんからね」
石突を橋に突き立てて、狩人は杖を変形前へと戻す。
自分の考えついた作戦が通じる事に達成感を覚えたのか、殺した敵があまりにも人から掛け離れていた怪物だったが故に、罪悪感が薄かったのか。
狩人は一つ伸びをすると、軽い足取りで橋を渡って行った。
少女狩人
名前:不明 性別:女性 年頃:若年(詳細不明)
過去:過酷な運命
レベル 22
体力 10
持久力 12
筋力 19
技量 12
血質 5
神秘 14
携行ランタン
油と火種が備え付けられており、ヒンジを捻るだけで明かりとなる上に、腰に提げておけるという優れ物。
最初こそ存在を忘れていたが、今では暗所を恐れる狩人の必需品となっている。