少女の微睡、月香の夜。 作:かなしいな
※第十五話、第二章閉幕です。
風車小屋を抜けた先の橋を渡り、狩人は再び森に入って行く。
今まで通って来たものよりも一層深みを増した森は、否が応にも"ここからが本番"という印象を心の底に植え付ける。
少し進んだ時点で既に分かれ道がある辺り、一度や二度の迷走は覚悟しておくべきだろう。
まずは右、直ぐ上に人工物が見えた方向へと進んで行く。
見間違いでは無いようで、そこには柱が添えられた洞窟のようなものがあった。
内部は洞窟然としたものでは無く、しっかりと人の手が加えられた建物としてそこにある。
入って直ぐに見える仕掛けのレバーの近くにはエレベーターがあり、それは構造的に上へと繋がっているようだ。
特に疑う要素も無い、狩人はエレベーターに乗り上を目指した。
古い木造という事もあるからか不安気な音を立てながら昇るエレベーターを降りると、石碑のようなものが中心に置かれた一室に出る。
周囲を見渡し何事も無いように奥の格子扉へと歩こうとした狩人は、だが直後にギョッとした顔で左を見直す。
二度見の理由はそこにある人影だった。
頭には一つ穴の空いたバケツのようなものを被っており、その下は官憲などの役人が着るようなお堅い服装をしている。
どこかチグハグで、それでいて妙に合致するその組み合わせに、狩人は目を白黒させながらも光球が反応しない事もあり近付いて行く。
「あ、あの…」
「…ほう、お前、新顔だな?それに見た所優秀な…狩人だ」
「へっ?あ、はい…優秀…うへへ…」
バケツ頭は狩人に声を掛けられると、口を開────いているかはわからないが、声を発する。
優秀かどうかはさて置き、新顔であり狩人という点は見事正解だ。
予想外の褒め言葉に驚きつつもはにかむ狩人に、男は話を続ける。
「クックックッ…あぁ、俺はヴァルトール、連盟の長だ」
「れんめい…?」
「連盟とは、狩りの夜に蠢く"汚物"全てを、根絶やしにする為の協約さ」
「根絶やしに…」
「お前も狩人なら、気持ちは同じだろう?」
連盟の協約、そして狩人ならというその言葉。
ならこの男"ヴァルトール"もまた狩人なのだろう。
狩りの夜に蠢く汚物とやらの中に罹患者全てが入っているのだとすれば、狩人は軽々しく首を縦に振る事は出来ない。
彼らにも元は生活があり、愛があり、平穏があった筈だ。
狩人が終わらせたいのはそれらの被害者では無く、夜そのものの方だろう。
とは言え、それ以外の獣どもが駆逐されてしまえば、という事は狩人も常々思っていた。
罹患者達も元に戻す術があれば、などと考えるが、殺してやる方が救いとなる事もあるかもしれない。
そう思いを馳せつつ話を聞く狩人に、ヴァルトールは勧誘を続ける。
「穢れた獣、気色悪いナメクジ、頭のイカれた医療者共、みんなうんざりじゃあないか」
「…!うん、うん…そうですよ!」
話を聞いて行く内に、狩人はその理念に同意を示す。
ナメクジや医療者というのは身に覚えが無いが、獣については同意の一言だ。
或いは狩人がこの夜に巻き込まれた理由を血の医療を求めた記憶を失う前の自分では無く、そんなものを施した医療者に責任があるとするのなら、医療者も憎むべき対象となるだろう。
「あぁ、だからこそ殺し尽くす。連盟の狩人が、お前に協力するだろう」
「なるほど…」
「どうだ?お前も、我ら連盟の仲間にならないか?」
「ぜ、是非!」
口をついて出た肯定に、やってしまったという気持ちが無い訳でも無い。
だが狩人からすればメリットばかりで、それらを否定する理由も無い。
「…そうか。いや、それでこそ狩人だ」
「…?」
「その身に刻みたまえ。これが連盟の、我らのカレルだ」
そう言って狩人に渡されたのはどこか見覚えのある、だがそれらとは柄の違うもの。
カレルと称して渡されたそれは、教会の工房で拾ったものと同じような板に書かれた一つの文字だった。
「あの…カレルって言うのは…?」
「カレルを知らないか、ふむ…お前の才気か、それとも俺の目か…」
「えっと…?」
「いや、こちらの話だ。カレルとは何か、だったな」
狩人の言葉に驚愕を表しつつも、どこか納得したような素振りを見せると、ヴァルトールは"カレル文字"について説明を始めた。
「カレル文字とは、かつてビルゲンワースに学んでいたカレルという人物が聞いた上位者の発する"音"を文字として書き起こしたもの…と、伝わっている」
「上位者…?音…?」
上位者の発する音とは何か、そもそも上位者とは何か、者とする以上は知性のある生物なのか、ならば声では無いのか。
説明されたのにも関わらず疑問符ばかりを浮かべる狩人に、今度はヴァルトールから質問が飛んだ。
「どうやら業には優れているようだが、夜の知識が足らんらしいな。ヤーナムの外から来たのか?」
「ご、ごめんなさい…多分、そうです…」
「責めている訳では無い。その様子からして、記憶が無いのだろう」
その声音には納得の中に、安心のようなものも含まれていた。
何故安心したのか、それは狩人にはわからない。
だが少なくともヴァルトールは記憶が無いからと言って説明を放棄するような人間では無い。
「わかるんですか?」
「あぁ、ことヤーナムでは珍しい話でも無いだろう。血の医療を受けた事で記憶に混濁が見られるなどと言うのは、むしろ多く見られる"副作用"と言える」
「その…僕、自分の事も全然覚えてなくて」
「……成程」
"ここまでのものは初めて見たな"と、狩人にとっては絶望的な"前例無し"という事実を告げてしまったヴァルトールは、取り直して説明を続ける。
「ビルゲンワースはこの森に立ち入る以上知っているものとして話すが、上位者とは人ならぬ存在であり、人間の上位種とされる者共だ」
「者共って…」
「常人には見えないようだが…お前もその内、見えるようになるかも知れんな」
「こ、怖い事言わないでくださいよ…見えないって…お化けか何かみたいな」
間違ってはいない。
こちらからは認識出来ず、その癖あちらからは幾らでも行動を起こせるのだ。
知らぬ者からすれば、質の悪いポルターガイストだろう。
「それでこの…カレル文字はどう使うんですか?」
「簡単だ。工房の道具を使い脳裏に焼き付けるだけで良い」
「…脳に?」
「脳裏に、つまりは覚えておけと言う事だ。」
「……なのに道具がいるんですか?」
「試せばわかるだろうさ」
そう言われた狩人は、先程受け取ったカレルを熱心に見つめ始める。
十秒、二十秒と経った所でヴァルトールの方へ向き直った狩人は、調子良く宣言した。
「覚えました!」
「残念だが無駄骨だ」
「えぇ〜っ…」
角度を変えたり、裏返したり。
どのような方法を幾ら試した所で、カレル文字が狩人の身に効果を表す事は無かった。
そもそもの話として、道具が無くては扱えないものな上に、今狩人があれこれと試しているカレルは肉体に直接的な影響を与えるものでは無いのだが。
「…大人しく道具を使う事にします」
「そうすると良い…さて、楽しい授業もこれで終いだ、お前にも目的があるのだろう」
「あ、はい…色々教えてくださって、ありがとうございます!」
「これも先達の務めと言うものだ。気にするな」
礼を言いながら頭を下げ、さて扉へと歩き出す狩人に、ヴァルトールは一つ声を掛ける。
それは先達からの教えであり、連盟の決意と覚悟が込められた信念でもある。
「…今や夜は汚物に満ち、塗れ、溢れかえっている…素晴らしいじゃあないか。存分に狩り、殺したまえよ。同士達、連盟の狩人が協力するのだから」
「…は、はい」
「クックックッ…」
どこか圧を感じるその言葉に頷き、狩人は踵を返して今度は格子扉の方へ向かった。
熱を持っているのかと錯覚してしまう程に存在感を持つその"カレル"を懐にしまった狩人を、格子から入り込む外の冷たい空気が迎える。
扉を開けてみれば、そこは見覚えのある景色。
目の前にいる鴉を殺して数歩踏み出して見れば、直ぐ左手には灯された後の灯りが置いてあった。
「…ひょっとして、戻って来た?」
ショートカット開通。
ここまで歩いて戻っただけ、では無く今までの道程をもう一度踏む必要が無くなった訳だ。
少し気が楽になったのか、狩人は軽い足取りで灯りに近付き、夢へと戻って行った。
「人形さ────…っ!?」
「すぅ…」
夢へと戻りいつものように人形に血の遺志による強化を頼もうとした狩人は、目の前に飛び込んで来たその光景に驚愕し硬直する。
工房の前、石段の隅にある段差に腰掛けている人形が、静かに寝息を立てているのだ。
「すーっ…すぅ…」
「ね、寝てる…!」
起こさぬよう、悟られぬよう、狩人は慎重に歩み寄る。
肉を裂く感覚と、未だ慣れない生き物を殺す事への罪悪感。
そして暗い森を進む事で滅入る心が、僅かに明るくなり始める。
によによと頬を緩ませる狩人は、人形の膝元にしゃがみ込み、暫くその寝顔を観察していた。
「はっ…」
「あっ」
基本的に睡眠には始まりと終わりが存在する。
どうやら狩人がこの夢に戻って来たのは、その終わりが近いタイミングでの事だったようだ。
眠りから覚めた人形は一瞬周囲を見回し、直後に自身の膝の近くに狩人の顔があるのを見付けると、腰掛けていた石垣から立ち上がる。
「あぁ、おかえりなさい。狩人様…すみません、私は、どこかに…」
「どこかに?」
「…いえ、どうぞ、何なりとお申し付けください」
人形は何かを誤魔化すような、そんな不自然さを僅かに感じる素振りを見せる。
だが狩人は"人には隠し事の一つや二つ、勿論人形にもあるだろう"と詮索する事はせず、いつものように遺志による強化を頼んだ。
常ならそれが済めば人形は狩人の手を離し、一つお辞儀をして狩人を送り出す筈だ。
それが今回はなかなか手を離さず。
「人形さん?」
「……」
「に、人形さーん?」
狩人がこうして何度か呼び掛けても反応せず、ただ狩人の手をじっと見詰め、時折愛おしそうにその指を自身の指と絡めている。
指の側面や合間を冷たい指で撫でられる感触に気恥しくなったのか、狩人は少し腕を引く。
すると人形は名残惜しそうに狩人の手の平を撫でて離し、普段の立ち居姿へと戻った。
「懐かしい…そう思えるような夢を、見た気がします」
「えっと…それは、何よりで…?」
「ですが私にはわからないのです。それは私であって、私で無いような…懐かしいのではなく、誰かの記憶を覗き見ているような…」
人形が吐露したのは夢の内容に言及するようなもの。
懐古を感じるような夢を、記憶を見たにしては、その声音はどこか漠然とした不安感を抱いているようにも思える。
そして人形は思い出すように閉じていた瞳を開き、今度は狩人の瞳を見据えた。
「そこに貴女はいない。その夢を懐かしく、暖かく感じてしまうのが、不安…なのでしょうか?」
「えっ…ど、どうなんでしょう?不安なんですかね、人形さんは…」
突然の問い掛けに吃ってしまう狩人は、そこで一つの考えに辿り着く。
「…そもそも僕って多分今夜が初めてですし、人形さんの…じゃないかもしれないですけど、その夢に僕が出て来ないのは寧ろ普通じゃないですか?」
「普通…」
「懐かしい記憶なら今の人形さんが僕といる時に感じるものとは別ですし、他の誰かの記憶だとしたらもっと関係無いですよ」
自身の中にも不安は存在するが、それを人形に話してしまいたい、吐き出してしまいたいという思いに蓋をする。
そうして狩人は人形に笑いかけて、励まし続けた。
「僕はここにいるし、人形さんの傍にいます…だから、大丈夫」
「…えぇ、えぇ、ありがとうございます。狩人様…」
どこか晴れた雰囲気を醸し出す人形とは裏腹に、狩人の内側、腹の底は黒く染まる。
蓋をして重石を乗せた本音は、限界だと悲鳴を上げている。
聖職者の獣に殺されて泣き腫らしていた狩人は何処へ行ったのか。
悩みと悲哀をおくびにも出さず人形に手を振り、墓標へと向かう狩人は、明確に壊れ始めていた。
工房道具の事などすっかり忘れて夢から再び森へと訪れた狩人は、エレベーターへと向かって行く。
つい先程夢に戻るまでは軽かった足取りが、あんなにも心の弾むやり取りをした後にも関わらず重くなっている。
まるで鉄塊でも引き摺っているかのような牛歩で進むその背中に、もう一度ヴァルトールから声が掛けられた。
「あぁ、新たな同士よ、一点忠告しておこう」
「なんでしょう?」
「連盟のカレルを刻む者は、その誓いにより"虫"を見出す」
「……あっ」
ヴァルトールが告げるのはカレルの効果、というよりも連盟の誓約だろうか。
その言葉に対して上げた声は、工房にあると言う道具の事を忘れて夢を後にしてしまった故のものだ。
「それは、汚物の中に隠れ蠢く、人の淀みや根源」
「…?…??」
「…躊躇なく、踏み潰す事だ」
「はぁ…」
"虫を踏み潰す"、ヴァルトールはその行為に、連盟の誓約という事以上の執着を見せている。
狩人はその声に篭った力を奇妙に思いながらも、一先ずは頷いた。
「我ら連盟の最終目的は、全ての"虫"を踏み潰し、人の淀みを根絶する事…だからこそ、最早虫などいないとわかるまで、狩りと殺しを続けるのだよ」
淀みの根絶、となるとかなり遠い道になるだろう。
協力の代価としては充分、それどころか狩りの最中に出て来るというのなら序とばかりに踏み潰してしまえば良い。
破格の条件で協力を受けられるのだから、最大限見合う代価として狩人も虫を潰そうと決心する。
"人から出るというのだから、自分の苦手な虫では無いだろう"と、そう祈りながら。
「それは、我らの血塗れの使命…きっと、誰にも理解されぬだろう。だからこそ、俺は同士達を愛するのだ。努々、忘れないでくれ」
「…わかりました!」
こうして狩人は、連盟の一員となった。
────勿論、カレルを刻んでいない以上、連盟としての協力は暫く受けられない訳だが。
ヴァルトールとの会話も終わった事で、狩人は今度こそエレベーターに乗り風車小屋へと戻って行く。
一度降りたら戻れないであろうあの道も、確かな徴を使えば先程開けたショートカットからまた戻る事が出来る筈だ。
そろそろと来た道を戻り、橋を渡る。
そうして風車小屋から風が吹き荒ぶ外の足場へと出た狩人は、いつ崩れても良いように慎重に足場を進む。
足場の奥には罹患者が一人と、その傍に上に伸びる梯子が一つ置かれている。
「アァァッ!ガァッ!」
「邪、魔…っ!」
変形した仕込み杖を壁に引っ掛けないように縦に振り、返す刃のように下から上へと引き戻す。
そうして罹患者を仕留めた狩人は梯子へと手を伸ばし、一度背後を振り返ってしまった。
梯子の前に立つ狩人の脳裏には、背後の光景と手を滑らせた後の想像が駆け巡る。
やがて勢い良く首を左右に振ると、普段より少し強く、ぶつけるようにして梯子を掴んだ。
実際ぶつけてしまったようで、その目には涙が滲んでいる。
「よい、しょ…っと」
上った先にあったのは、再び屋内に戻る道とその先に続く細い通路だ。
通路の向こうにはまた外が見えており、所々崩れている事もあって下層が見える度に狩人の恐怖を誘う。
急いで通路を走り抜けた狩人を待っていたのは、それを上回る恐怖だった。
数人の死体が、そこに転がっている。
その前に座り込んでいるのは、一人の人影。
頭に巻かれている包帯だけでなく、両腕と、そして胴や足までもが血の赤に染まっていた。
「…っ、あ…」
「ヒィッ!?」
恐怖と混乱に息を呑む狩人に、その人影は大きな悲鳴を上げながら振り返った。
その声に、音に、狩人も反射で後退ってしまう。
振り返った"男"は、狩人を見て安心したように息を漏らした。
「な、なんだいあんた、脅かすなよ」
「…はっ、はぁっ」
気を抜いている男の声に、対して狩人はその息を荒らげ始める。
明らかにパニックに陥っている狩人の視界に映っているのは、家族だったのだろう三人の死体と男の体、そしてその体の中心に灯る小さな光だった。
「こんな夜に…獣かと思うじゃないか」
「…っ、そ、そうですね…ごめんなさい」
今までこんなにも穏便に話し掛けて来た罹患者が、獣がいただろうか。
確かに会話が可能な罹患者はいた、まだ進行しきっていないが故に人にしか見えないものも、確かにいた。
だが"これ"は毛色が違う。
理性があると装っているのか、或いはそれを装う事が出来ている時点で理性があるのか。
「でも良かった、あんた、普通だし…あの獣も、始末してくれたんだろう?」
「は、はい…」
「ここから動けなくて、恐ろしくて、震えていたんだ。助かったよ」
男のその声は震えているようで、笑っているようで。
恐怖に慄いていたのかもしれない、という考えも出来るだろう。
今も狩人の視線を一身に受け、その思考を混乱によって火花が散るように弾けさせている光球が無ければ、の話だが。
「でも、そうだ、あんた…どこか、皆が避難しているような場所、知らないか?」
「っ!」
"皆を狙っている"
そう過ぎった瞬間、狩人の左手は何かに跳ね上げられるようにして持ち上がる。
構えられているのは当然短銃で、その引き金には既に指が掛かっていた。
全くの無意識で起こした行動。
尚且つ人を傷付ける事を良しとせず、罹患者を殺す事にすら未だに心を痛めている狩人にとっては、大きな衝撃とも思える自身の行動。
男はそれを見てギョッとするような素振りを見せるが、それまで。
狙いは正確に、急所を狙ったもの。
一瞬にして放たれた、言わば反射のような一撃は、男の胸元へと吸い込まれる。
そして────
「…あんた、どこかおかしいのかい?」
高いような低いような、細いような太いような。
銃弾が直撃した瞬間に男の体から勢い良く立ち上った黒い煙の中から、そんな酷く耳障りな声が狩人の耳に届く。
ただ疑問を呈しただけと言わんばかりの平坦な抑揚は、だからこそ狩人の心を強く揺さぶる。
"あぁ、自分はおかしくなってしまったのか"と。
心では先程男を見付けた時よりもずっと大きなショックを受けながらも、頭は冷静に目の前で起きた変貌について思考を回していた。
煙が僅かに晴れた先に見えたのは、黒毛を好き放題に伸ばした獣の姿だった。
まるで威嚇をするように静電気のように小さな雷を全身に纏っており、吐く息すらもばちばちと音を立てて空気を震わせる。
似たような変貌を、狩人は二度目にしている。
ガスコイン神父と教区長エミーリア、二匹の獣との戦いだ。
「それとも、勘が良いのかな?」
違う所と言えば、やはり真面な会話が出来るという点だろう。
ガスコインも人間としての形を保っていた時は、言葉を発し、意思の疎通が取れた。
エミーリアは会話こそ交わしていないものの、変貌前には祝詞を紡いでいた。
この男の異常性は、獣に変貌して尚、その理性を保っている所にある。
「狩人など、お前らの方が血濡れだろうが!」
そう言って男は、獣は狩人にその拳を振るった。
心がパニックに陥っているとは言え、反射で獣を判別した本能的な部分は既に戦闘準備を終えている。
何も理解出来ないままに足を動かし攻撃を回避した狩人は、今ようやく目の前の獣を"狩らなければならない者"として見定めた。
「ウオォォッ!」
「速っ────」
初撃よりも速度を上げた拳が、横薙ぎに狩人の頭を潰しに掛かる。
それを姿勢を崩し杖で下から打ち上げる事でいなした狩人は、追撃の連打を何とか避けながらもう一度姿勢を整えた。
対する獣は拳を戻し、再び狩人の急所を狙い始める。
獣になって数秒が経った今でも、その理性は失われていない。
「フーッ…フーッ…」
獣の口から強く吐き出される息は冷たい夜風に白く濁って、やがて霧散し、同時に狩人の中に混乱の種が芽生えて行く。
"人はここまで理性的に獣になれるのか"
"なら今まで自分が狩った獣とは何だったのか"
"この男は人間の姿と獣の姿を自由に変えられるのか"
"なら今まで自分が殺した人達も救う方法があったんじゃないのか"
"もう少し早くここまで辿り着いていれば、あの家族は死んでいなかったんじゃないのか"
狩人は今も迷い、悩み、後悔し続けている。
今までの狩りは正しいものだったのかと、自身の命を守る為だけに始めて、そして人救けと形を変えて行った自分自身の"狩り"に疑念を抱いている。
人間としてはその思考は正しいのかもしれない、だが狩人としては今この時に於いて長々とした思考は無駄でしか無い。
"早く辿り着いていれば"だの、"もう少し力があれば"だの、そんな"もしも"など一考にも値しないものだ。
杖を振るい、銃を放ち、剛毛に覆われた強靭な体を斬り刻む。
幾ら斬っても獣は倒れず、獣の攻撃も狩人には届かない。
とはいえ相手は生物で、狩人もそれは変わらない。
狩人に疲労が見えた頃、獣も出血を抑えるのが追い付かなくなり始めていた。
「クソッ!こんなチビが!」
「ぅぐっ!?」
前蹴りを避けた狩人の腹部に、裏拳が突き刺さる。
狩人の軽い体ではその威力に抵抗出来ず、容易に地面から足を離され、そのまま風車小屋の壁に激突してしまった。
追い討ち気味に飛んで来る二つの拳をふらつく足で避けつつ輸血液を注入すると、狩人は杖を変形前に戻す。
「死ねっ」
連続で振るわれる拳と爪は狩人の全身を浅く斬り裂くが、致命には至らず。
やがて狩人が杖を両手で構えると、銃撃は無いと見たか獣は攻撃を更に大振りなものへと変えた。
「死ねっ、死ねっ!狩人など、この人殺しが!」
「ち、ちが…僕は、獣を────」
獣の言葉が狩人の心に深く突き刺さる。
今の今まで悩んでいたその事実と疑念に、深く深くメスが入れられる。
杖を握る手と、足場を踏み締める両脚の力が僅かに緩んでしまう程に。
「獣だと?獣だとっ!?」
そう強く吼えた獣の体が、今までよりも強く青白い雷光を纏い始める。
咆哮と共に発された風圧は狩人の体を突き飛ばし、内臓を揺らす。
正面からそれを受けてしまった事で力の緩んでいた足は支えを失い、狩人はその場に倒れ込んだ。
「お前みたいなガキに何がわかる!?俺だってなあ!」
獣は倒れ込んだ狩人の胸倉を掴み上げ、その細身な背中を勢い良く地面に叩き付けた。
小さな口から血が噴き出し、力を失った手から仕込み杖が滑り落ちる。
足の支えだけでなく、心の支えまでも失われかけている狩人は、だがその言葉に同意も同情も出来なかった。
「…わか、る…もんか…!」
「お前は!狩人は!!」
「わかるもんか!そんなのっ!」
胸倉を掴んでいた手を押し退け、右手を爪を立てた獣の前足のようにして構える。
その大きな手から抜け出す際に無理が祟ったか、左肩は関節が外れてしまっている。
狩人は構えた右手を大きく引き付け、獣の腹にある一際深い傷に突き込んだ。
狩人の目に仄暗く灯るその色は、今までに狩人自身も見た事が無いもの。
尤も、見た事が無くて当然だろう。
それを見ようとするなら、誰もが隠すであろう蕩けた瞳の奥を覗く以外に無いのだから。
唐突な膂力の向上と、拍車が掛かった凶暴性。
狩人の瞳には見間違いようも無く、"獣性"が宿っていた。
「ガッ…アァァッ!!」
「ぎぃっ…!?」
獣は、男は臓腑を貫かれて尚、死を拒む。
豪腕を持って狩人の体を抱き、絞め殺さんと力を込め始めた。
それに対抗するように、狩人も体を捻り、仕留め殺そうと腕を押し込み抉り始める。
「グゥッ!?」
「ぐ、ぅうっ!」
ほんの一瞬、痛みで緩んだ隙を突いて狩人は更に深くへ腕を潜り込ませる。
ガスコインにそうされたように、臓腑を掻き分けて行く。
そうして狩人は獣の体内で探り当てた背骨を握り締め、掴み、引き抜いた。
血によって得られる業の一つである"内臓攻撃"、それによって噴き出した血は、狩人の白い肌を真っ赤に染め上げる。
「知ってるかい?人は皆、獣なんだぜ…」
狩人を殺さんとした罹患者達にも、狩人が殺して来た獣達にも、血に酔ってしまった他の狩人達にも。
そしてたった今獣性を見出した狩人にも当て嵌る、或いは他の全てに当て嵌ってしまうその言葉。
きっとそれは、この獣狩りの夜を正しく表した言葉なのだろう。
「そんなの…そんなの、知る訳無いのに…」
狩人はその言葉を言い終えた直後に消滅した獣の軌跡を見届けて、跡形も無く消えたかという頃に、壁に寄り掛かり泣き始めた。
泣き声もろくに上げない、下手な泣き方。
それはオドンの地下墓地でのものよりもずっと静かで、ずっと人らしく無いものだった。
涙で朧気になった視界に、一つのカレルが映る。
以前にも一度目にし、六本指の獣の腕や広がった枯れ花のように見えていたそれが、今の狩人には何かの咆哮を形にしたようなものに見えた。
やがて狩人は立ち上がり、赤黒い血に塗れた手で杖を拾うと、覚束無い足取りで歩いて行く。
どこを目指しているかもわからず、ただただ歩いて行く。
前も後ろもわからない、そんなものを見ている余裕が無い。
狩人の頭の中は、己が歩んで来た狩りの道への後悔で埋もれきっていた。
その表情は酷いもので、何かが抜け落ちたような顔の癖に、目はぼろぼろと涙を流し続けている。
感情なんて落としてしまったような光の無い瞳をしている癖に、その眉は何かを悲しんでいるように歪んでいる。
ふと、下ばかりを見ていた狩人の視界の端に、赤く染った布が映る。
狩人が最初に救おうとした人間で、少女の最初の心の罅となった人間。
彼女が残したリボンは、拠り所となって狩人の耳に残った言葉を思い起こさせた。
『僕はここにいるし、人形さんの傍にいます…』
「だから、大丈夫…」
『…えぇ、えぇ、ありがとうございます。狩人様…』
「……夢、戻らなきゃ」
壊れかけの心にトドメを刺されたかと思えるような暗い瞳に、一転して一筋の光が走った。
殆ど無意識に紡がれた言葉だったが、身体はそれに応じて確かな徴を取り出す。
それを見て強く思い浮かべたのは、狩人の夢にいる世話人と助言者だ。
一瞬の暗闇の直後に狩人が立っていたのは、森の入口にある灯りの前。
そのまま倒れ込むように灯りへ近付いた狩人は、気だるげに灯りに手を翳し、夢へと戻った。
我らが悲願を形にするには、未だ不純物が多い。
「…ぁ、人形さん」
「狩人様、どうか…なされたのですね」
「うん…」
動く事にも考える事にも疲れ果てた様子の狩人の体を抱き留め、人形はその手を取る。
狩人の内側を巡るあの獣の遺志が今、人形を媒介として狩人の力となって行く。
それを求められた訳では無いが、人形の役目は狩人の世話だ。
無気力な狩人の代わりに、気力があれば求められるであろう事を果たすのも役目の内という事だろう。
「暫く、お休みになられますか?」
「…ううん、行きたい所があるので、行ってきます」
「…わかりました。いってらっしゃい、狩人様」
少しの間そうして抱かれたままだった狩人は、やがて自分から離れて墓標へ向かう。
行先は森では無く、オドン教会。
そこには狩人が声を掛け、救う事が出来た人間が居るはずだ。
「あなたは…」
「あら、貴女…ここを教えてくれた狩人さんかしら?」
狩人がオドン教会へと転送されてまず話し掛けたのは、灯りの傍の椅子に座っている女性だ。
「は、はい…」
「貴女の言う通りだったわ、ここはまだ安全みたい。ありがとう、感謝するわ」
「いえ…場所を教えただけなので…」
小さな体が更に縮こまってしまいそうな程に覇気の無い狩人に、女性は幼子を見るような優しい目で笑いかける。
「しっかりとお礼をしたいのだけれど…貴女は女性で、まだ子供だし…」
「お礼なんてそんな…」
「あとは、私の血、くらいかしら…」
「………へっ?」
一拍置かれた返事には、驚きだけでなく何か覚えのあるような反応も混じっていた。
血での礼と言えば、と狩人があの女性の方を見ると────
「ひぇ…」
「どうしたの?」
「あ、い、いえ…血の方は、大丈夫です…体調とか崩さないように、ね?」
少し裏返り気味な狩人の声に疑問符を浮かべながらも、目の前の女性はクスリと笑って話を続けた。
「フフッ、小さな狩人さんはお優しいのね」
「そ、そんなことは…」
正面出入口の方から突き刺さる視線に、気付かないフリをしつつ応対する狩人の背中には、滝のような汗が流れていると知らずに。
「自己紹介がまだよね。私はアリアンナ、聖堂街で娼婦をしているの」
「アリアンナさん…」
「えぇ、貴女のお名前は?」
「…すみません、僕、自分の名前が…」
自己紹介を振られて返事に困る狩人は、大人しく自分の名を覚えていないとアリアンナに告げる。
するとアリアンナは驚愕と、それから憐憫をその瞳に映して、狩人を労り始める。
「そう…記憶も無いままの狩りは辛いでしょう?」
『何もわからないまま、ヤーナムという地を歩くのはご苦労でしょう』
「あ…はい、まぁ…」
「まだ小さいのに…私に助けになれる事は殆ど無いけれど、何かあったら言って。出来る限りはさせて貰うわ」
「ありがとうございます…そ、それじゃあまた…」
ふと最初の灯りの傍に住む一人の異邦人を思い出した狩人は、その目に宿った暗い色を少しばかり強めて、アリアンナの元を離れた。
向かう先は、恐らくアリアンナのいた家の向かいで話したであろう男の元、なのだが。
その手前にいる老婆が頭を抱えているのを見て、狩人は駆け足で向かって行った。
「ど、どうかしましたか?」
「ヒヒ、ヒヒヒヒッ…」
「あの…?」
「あぁ、昔は良かった…楽しかったねぇ…ヒヒッ、ヒヒヒヒッ…」
「お婆さん…?大丈夫ですか…?」
「…あぁ、なんだってこんな事になっちまったんだい…ヒヒヒッ…」
狩人の声には全く反応せず、老婆は笑い続ける。
何度声を掛けてもそんな調子で、狩人には打つ手など無い。
時間か他の人間が解決するのを待たなければならないもどかしさに、狩人は眉を歪めながら男の方へ歩き始めた。
「お前、嘘つきのよそ者が」
「えっ」
狩人が話し掛ける前に、男の方から狩人に声が掛かる。
それはあの時のように敵対心や警戒を隠さない、むしろ嫌悪とまで言える声をしており、狩人の歩みは急激に勢いを落とした。
足の止まった狩人に、男は更に畳み掛ける。
「見た事か。俺はお前に騙されなかったぞ」
「…そ、それは────」
「さぁ、消えろ、消えろ。嘘つきの悪臭が移るじゃないか!」
反論は無い。
狩人が男に嘘を教えたのは事実だ。
そこに何か事情や意味があったとしても、たとえ狩人の心に傷があったとしても。
その非難は真っ当なものと言えるだろう。
消えろという言葉に従って、狩人は男の前から去り、灯りの方へと歩いて行く。
アリアンナと話すのをやめた時点で視線を送るのをやめた女性の方には行かず、狩人は最後にローブの男へ話し掛けた。
「あの…」
「おぉ、狩人さん!無事で良かった…」
酷く消耗している狩人の様子と反して、ローブの男はその声が喜色に染まっている。
「あんたがこの場所を教えてくれた人が、また来たよ…この場所は、みんなの避難所になった。あんたのおかげさ」
「僕はただ教えただけですよ。それも、あなたに言われなければしなかった事でしょうから」
「…俺は嬉しいんだ。ありがとう、こんな、俺みたいなののお願いを聞いてくれて」
狩人の目にまた一つ、光が戻る。
狩人はこの男の頼みで人に声を掛け、この教会を教えていた。
たとえそれで人が来なくとも、狩人はこの男の頼みを遂行しようとしていたのだ。
その上結果が伴っているのだから、卑下するような事ではないだろう。
「もう、この街にはまともな生き残りなんていないのかもしれないけどさ…でも、あんたは出来るだけの事をして、ここにいる人達は救われたんだ」
「……っう、ひぐっ…」
「凄い事だよ。狩人だからってんじゃない、あんたが凄いんだ…ヒヒヒッ…」
悩みは未だ清算されていない。
歩んで来た道程に転がっている死体が、そこにあるべき死体だったのか。
足場として来た命が、本当に狩人の足蹴にされて良い命だったのか。
そんな事はわからないし、きっとどんな答えも正しくはないのだろう。
狩人はローブの男の言葉で救われた。
今はただ、それで終わらせるべきだ。
「…だから最近さ、この夜が終われば、俺もちっとは、変われるのかなってさ…そう思えて、じっと我慢も苦じゃあないんだ…本当に、あんたのおかげさ。ありがとう」
「…ごめんなさい。ごめんなさい……ありがとう、ございます…」
狩人もその場に座り込み、目線が近くなってようやく、男は狩人が涙を流している事に気付いたようだった。
おろおろと対応に困るローブの男は、だが一度目とは違い何とか慰めようと声を掛ける。
「…なぁ、狩人さん…獣狩りの夜が終わったら、その、あんたと友達になれるかな…?」
「…え…?」
「いや、そんな資格が無いのはわかってるんだ。だけど…」
"友達になりたい"と声を掛けられ、唐突な言葉に目を点にしてしまう狩人に、ローブの男は焦って捲し立てる。
直後に狩人もその言葉の意味を理解出来たのか、ローブの男の言葉を抑え込んで話し始めた。
「だけど、その、もしお願い出来ればって────」
「も、もちろんですっ」
「……ほ、本当かい?」
「はい…ぐずっ…僕、からも、お願いします…」
「…あぁ、ありがとう狩人さん。嬉しいなぁ、嬉しいなぁ…ヒヒヒッ…」
「ふふ、ふふふっ…」
嬉しそうに笑い合う二人は、今だけは夜の中でも幸せなのだろう。
勇気が湧いた訳では無いにしろ、ある程度の元気を取り戻した狩人は、灯りに手を翳し夢へと戻る。
向かう先は禁域の森、獣を相手取る度胸があるかは別として、森に入る程度の心構えは出来ていた。
少女狩人
名前:不明 性別:女性 年頃:若年(詳細不明)
過去:過酷な運命
レベル 25
体力 10
持久力 12
筋力 20
技量 14
血質 5
神秘 14