少女の微睡、月香の夜。   作:かなしいな

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狩人、招待状に乱される。



※第十六話、第三章開幕です。


第三章 逃避
狩人の寄り道、孤独の蓋。


禁域の森、その入口近くにある灯りに飛ばされた狩人は、まず得物を確認する。

あるのは仕込み杖と壊れかけのノコギリ槍、そしてルドウイークの聖剣。

数回の強化を経て、狩人は既に変形前の聖剣を片手で振るえるまでに至っている。

 

背負った鞘も今まで程邪魔には感じず、動きを阻害するような事は無い。

むしろ攻撃に使用する刃に癖が無い分、他の二つよりもずっと素直で扱いやすい武器だろう。

納得行くまで振るった所で聖剣をしまい、狩人は仕込み杖を持って歩き始めた。

 

「…ちょっと試してみようかな」

 

杖との併用を考えれば、変則的な攻撃によって距離を取りながら戦う杖と一撃の威力を重視した聖剣で差別化は可能だ。

シンプルな強さという一点にはかなり惹かれるものがあるが、狩人は扱いやすさよりも慣れを選び、先に構える方を杖とした。

 

歩いて行く方向はエレベーターのある建物では無く、罹患者のいる橋の方だ。

元は奥地へ進むつもりだったようだが、忌々しい光球が邪魔をする。

どうやら狩人に寄り道をさせたいらしいそれは、ふらふらと視線を誘いながら飛び、狩人の進む道を変えて行く。

 

小さな体には僅かに震えが見えるが、それを何とか抑え込んで武器を構え、罹患者の方を確りと見詰める。

どうやらあの獣の言葉が相当効いているようで、狩人は目の前にいる罹患者に先手を譲ってしまった。

 

「ウォォッ!」

「まずっ…」

 

片手に持った斧が狩人の仕込み杖とぶつかる。

肉体の強化を挟んだ事もあり、互いの膂力は拮抗するどころか狩人の方が優位と言える。

押し込まれる事は無く、だが狩人の方から押し込む事も無い。

そうして競り合いを続ける両者に、一つの弾丸が横槍として入って行った。

 

「っ!?」

 

頭を狙って放たれたそれを、狩人は無理やり罹患者を押し退ける事で体勢を整え、大きく後ろに下がりつつ躱す。

未だ心の底に残る泥のような蟠りのせいか、後方に控えている銃持ちの罹患者の存在を忘れていたようだ。

 

狩人は一つ深呼吸をして、仕込み杖を変形させる。

斧を上段に構える罹患者に、まだ狩りの事を何も理解出来ていなかった頃のように、心の中で謝罪する。

"あなたにも家族がいただろうに"、と。

 

謝罪と共に横一閃と振るわれた仕込み杖の刃は罹患者の腹を斬り裂き、同時に放たれていた銃弾を弾き飛ばした。

蟠りはある、心はまだ完全に狩りを肯定しきれている訳では無い。

なのに何故だろうか、狩人の業はそのキレを増し、今までよりずっと冴えた動きを可能にしていた。

 

「…次は、あなたです」

「く、来るな!獣め!」

 

言葉と共に、もう一度水銀弾が放たれる。

軽い動作でそれを躱した狩人に対して、罹患者が打てる手はもう残っていない。

一か八かのように前へ突き出された長銃を、狩人は瞬時に杖から持ち替えた片手剣によって両断し、そのまま喉元を貫いてトドメを刺した。

 

「……ごめんなさい」

 

加減無く、だが痛みが長引かないように必殺の技を持ってして。

これ以上痛みに嘆くような声を聞いていては、心が壊れてしまうだろうから。

こんな事を続けても、狩人の悩みが晴れる事は無い。

今回のように進むために必要な戦闘以外は逃げに徹しようと、狩人は聖剣を再び杖に持ち替えながら決心した。

 

決心通りに目と鼻の先にあった複数人の罹患者と犬が屯している道を、狩人は駆け抜けて行く。

足の速い犬は追い掛け続けているようだが、罹患者は追い付く事は叶わないと悟ったのか既に元いた場所へ戻っている。

やがて見覚えのある塀が見えた所で、狩人は少し速度を落とし、木板の重ねられた"罠"を踏み抜いた。

 

「ギャィンッ!?」

「よしっ…!」

 

二匹の犬は狩人の思惑と寸分違わず、落ちてきた丸太に轢き殺された。

狩人は犬との戯れで上がった息を整え、一度通った塀から戻り、もう片側の村から左へ逸れる道を選んだ。

罹患者と違い皮膚や肉が腐れ落ちた犬にトドメを刺す事は、まだ"殺す"というよりも"葬る"という印象が強いようで、今進んでいる道の先から聞こえてくる犬の鳴き声も関係無いとばかりに進んで行く。

 

坂を上れば古びた民家がそこにはあり、奥には幾つかの檻があり、中には犬が入っている。

狩人のいる場所からでも数匹確認出来るそれよりも、狩人は民家の前に置かれているものに釘付けとなっていた。

 

「赤いランタン…!」

 

赤い光の灯るランタン、人がいる事を意味するそれが、民家の前にポツリと置かれていた。

そろそろと民家へと近付く狩人は、やはり警戒の色が強く、壁に触れようとした手は震えている。

 

「…あぁ、君、獣を狩っているんだろう?」

「ひぃっ…!?」

 

そうして狩人がまごついている所に、壮年と言える低さを持った男性の声が掛けられる。

存在を悟られているなどとは思いもしなかった狩人は、森の雰囲気や犬の鳴き声も相まって一層恐怖を掻き立てられたのか、細く小さな声ではあるが悲鳴を上げてしまう。

 

「怖がらなくても良いじゃあ無いか、私は感謝しているんだよ。」

「か、感謝…ですか?」

 

そんな狩人に、男は再度声を掛ける。

"感謝している"という言葉は、この夜でも何度か受け取った事がある。

記憶の無い狩人からすれば全てが、当然感謝されるという事もこの夜でしか体験していない事だ。

 

されればされるだけ嬉しい事もあり、されるだけ悲しい事もあり。

その辺りの感覚が麻痺し始めていた狩人にとっても、感謝というのは有難く、受け取るだけで安心と喜びを得られるものだった。

 

「ありがとう。君達のお蔭で、私達は助かっているんだ」

「いやいや、そんなぁ…えへ、えへへ…」

「…だが、残念かな。」

「────…えっ?」

 

感謝の言葉に照れ臭くなったのか頬を掻きつつ返答する狩人に、男は心底悲しそうな、だが心のどこかで疑いを掛けてしまいそうになる薄い声音で言葉を続ける。

 

「夜は長く、獣ばかりが増え、狩りは終わらない。やがて君も死に腐り、或いは血に溺れるだろう」

「…っ、そ、んな…事は」

「恐ろしく、そして悲しい事だ…だから、君だけに教えよう」

 

男が言葉を一度区切ると、民家の壁に空いた小さな穴から、一つの石が転がり落ちる。

網目のような模様が這った植物の種のようにも見えるそれは、扁桃石と呼ばれるもの。

ただの石ころ、無意味なようにも思えるそれを、だが狩人は手に取った。

 

「その石を持って大聖堂の右へ、隠された古教会を訪れたまえ…それは神秘、きっと狩りの力になる」

「狩りの、力に…」

「あぁ…きっと、そうなるとも…」

 

それを境に、男は一言も話さなくなる。

どころか、既にその民家の中からは気配が感じられない。

狩人は"怪しい"と思うと同時に、"感謝してくれた上に、狩りの助けになりそうな事まで教えてくれた"と楽観的な考えも抱いていた。

 

禁域の森以外に向かう場所が増えたというのは手間にもなるが、同時に今は目を逸らしたい奥地から離れる理由にもなる。

"後で行ってみよう"と新たな目的地を決めた狩人は、檻の方へと向かう。

 

檻の前には犬が二匹放たれている────訳ではなく、ただ脱走したのだろう。

襲い来るそれらを変形させた杖によって薙ぎ払うと、狩人は何事も無かったかのようにその歩みを再開させた。

 

ざくりざくりと乾いた土を踏む事で鳴っていた足音が、次第に水を含んだように柔らかくなり始める。

狩人が踏み入った先にあったのは洞窟、その内部からは瘴気のようなものが漂っていた。

 

"体に悪いだろうなぁ"などと呑気な事を考えながら、狩人は光球の導くままに洞窟に入る。

精神はまだしも、既に肉体の優先順位が限り無く低い所まで落ちかけている狩人の足に、普段程の怯えは見えない。

勿論洞窟内部は暗い事もあり、携帯ランタンを付ける手は震え、暗所やそれに伴って降りかかる奇襲などに対する恐怖は忘れていないのだが。

 

「…蛇?」

 

小さく首を傾げながら発したその疑問は、目の前に広がる沼の中に見えた何かに対するもの。

沼に波紋を広げながら動くそれは、恐らく蛇のような形をしている筈だ。

毒を持っていたりすれば厄介だろう、そう考えた狩人は出来るだけ端を通りながら、沼の向こうに見える道を目指す事にしたようだ。

 

「うぇ…」

 

気色の悪そうな声を上げる狩人は、沼に足を踏み入れた瞬間に謎の不快感を感じ取っていた。

粘性はそれほど高くないが、泥よりも重く足が埋まって行くような感覚と、それに合わせて立ち上る臭気によってふらつく視界。

さっさと踏破しなければ危ういだろう。

 

先程から集まって来る蛇のような影に追い付かれぬように足を動かす狩人は、段々と体力を削られていくような感覚に陥ってしまう。

"毒だ"

そう確信した時には、既に体内に毒が回っていたようだ。

顔は蒼白と言った様子で、呼吸も荒くなっている。

ようやく沼を越えた時には、狩人は立っていられない程に体力を消耗していた。

 

ダメ元で輸血液を注射した狩人は少しばかり楽になったような感覚に輸血液の万能性を盲信しかけるが、僅かに回復した体力はまたじわじわと削れ始めている。

後ろから迫り来る蛇達もそろそろ追い付いて来るだろう。

体調が悪い中での戦闘を厭った狩人は、直ぐに立ち上がって目的地もわからぬまま走り始めた。

 

狩人が沼を越えて乗り上げたと思った場所は、その実沼の中心にあった小島のような足場だったらしい。

必死に逃げるが故に入口すらもわからなくなり始めた頃、狩人は大岩の裏に奇妙な石を見付ける。

 

"全強化の血晶石"という名のその石は、名前通り武器を強化出来る血晶石だ。

血晶石の工房道具を用いれば、これを捩じり込む事が出来るだろう。

それに狩人が気付くかどうかは、また別の話だが。

兎も角として狩人は扁桃石の事を思い出したようで、"石は大事なもの"という認識が芽生えたようだ。

 

相も変わらず輸血液を注射しながら走る狩人は、ようやく次の陸地へ上がる事が出来た。

洞窟の最奥であろうその陸地へ辿り着いた狩人が見付けたのは、小さな坂を上った先にある梯子と、その下に落ちている────

 

「人の…骨…」

 

狩人が腰に提げたランタンの暖かな光に照らされている、バラバラの人骨だった。

目を凝らせばそれは梯子の周囲に幾つか落ちており、恐らくは上から投げ落とされたのであろう事がわかる。

込み上げてくる恐怖に負けじと、狩人は坂を上り梯子に手を掛け、ゆっくりと登る。

 

長い梯子を上っていく内に壁面に見える段差には、やはり多くの人骨が引っ掛かるようにして落ちている。

量からして数人やそこらでは済まないだろう。

この狩りの夜でも猟奇的と言える部類に入る行為だ。

 

人骨に悔やみを捧げながら一つ目の梯子を上りきった先にあったのは、更に上へ向かうもう一つの梯子以外には人骨しかない地下空間だった。

下のものより比較的新しく、まだ服が朽ちきっていないものもある。

それらに気を取られ過ぎないように首を振って、狩人は二つ目の梯子に手を掛ける。

 

二つ目の梯子を上った狩人がまず目にしたのは、月明かりの下に広がる懐かしい光景。

懐古を感じる程遠い記憶では無いし、長い旅路でも無かった。

狩人の知るたった一晩、その始まりの地とも言える場所。

目の前にある建物は間違いようもない、ヨセフカの診療所だった。

 

「…じゃ、じゃあなんであの骨は…」

 

思い出すのは、初対面と二度目での声や雰囲気の違い

だが落ちていた人骨は相当に日が経っているもの、もし一度目と二度目でヨセフカが入れ替わっていたとしても、あの様子なら人骨は一度目に会話したヨセフカの頃から捨てられていたものだろう。

いよいよもってあの嫌味な男が診療所では無くオドン教会に辿り着いてくれた事に安心し始めた狩人は、門扉のものであろう仕掛けのレバーを引き倒した。

 

軋むような音を上げて開く扉は、音の割にスムーズな動きで開ききる。

頻繁にという訳では無さそうだが、この扉はそれなりの間隔で使われているらしい。

 

狩人の目に映っているのは、左手に見える降り階段だ、恐らく裏口の方へと続いているのだろう。

ヨセフカが何者なのか、自分の事を知っているのか。

そして、あの白骨死体達は何なのか。

聞きたい事は多いが、それは好奇心などでは無い。

 

記憶を失う前の自分を知っているのなら確かめねばならない、死体を捨てていた事に理由があるのなら問い質さねばならない。

前者は自分という存在を知り得る最後の希望とも言えるが故に、後者はこの夜で多くの死に触れて来たが故の義憤から。

狩人は、この診療所へ侵入する以外の選択肢が無かった。

 

階段を降りた先の通路を少し進めば、その先は中庭のような場所へ繋がっており、正面には上部へと続く梯子が一つ架けられている。

下には罹患者では無く、脳喰らいがポツンと一体立っているだけだ。

 

「ヴォイィィッ!」

 

両手を広げて飛び掛かる脳喰らいに、狩人は杖ではなく聖剣を取り出した。

右手に持った片手剣を背中側へと回し、鞘の片側にある浅い溝から斜めに納刀し、押し込む。

同時に大きな金属音が鳴り、その瞬間右手に掛かる重量が倍以上に増す。

狩人は片手剣にしては長過ぎるその柄を両手で持ち、重量を活かすべく足から腰へ、腰から胴へと捻る事で回転を掛けて大きく振り回した。

 

ルドウイークの聖剣の真価は、何も変形前の取り回しの良さではない。

当然変形後にも利点があり、それは片手剣にも負けず劣らずの取り回しの良さと、そこから来る威力の出しやすさに起因している。

攻撃方法によっては力を入れずとも大抵の敵を叩き潰せるだけの重量がありながら、恐ろしく振りやすいのだ。

 

「まだ、まだ…!」

「フジュル…フルルルッ…」

 

横薙ぎに振るわれた大剣によって浅からぬ傷を受けた脳喰らいは、一歩退がり右手に光を構えるが、それを見逃す狩人では無い。

薙いだ聖剣の勢いを殺さず、右足を軸にして更に回転を掛けると、脳喰らいに背中を晒す形で大剣を構える。

その影響でほんの僅かに浮いた左足を強く踏み込み、大剣を引き起こす原動力とする。

 

「せー…のっ!!」

 

上へ持ち上げられた大剣は、その自重と左足の踏み込みによって瞬間的に増幅された速度に引かれる形で前へ倒れて行く。

狙う先は脳喰らいの肩口であり、既に光を構えている脳喰らいは回避行動を取れていない。

見事命中した大剣は脳喰らいの胴体を肩から鳩尾まで斜めに斬り裂き、その息の根を止めた。

 

「…強いなぁ、これ」

 

仕込み杖に自我でも宿っていれば、浮気者と罵倒されていただろうか。

狩人の心は武器としての扱いやすさに於いても、ルドウイークの聖剣に傾き始めていた。

 

絶命した脳喰らいを見れば、その頭には包帯が巻かれており、所々解けたそれの中には縫合痕が見て取れる。

手術と言うよりは実験とでも称した方が余程近いであろう風貌だが、先程の死体の山を見た後では、それも間違いでは無いのかもしれないと思わざるを得ない。

 

小さなランタンの付いた梯子の傍には井戸があり、その下には死体が一つ転がっている。

血腥い事この上無いが、狩人は梯子を上って行った。

 

梯子を上りきった先は屋根の上、何故こんな所に繋がる梯子があるのか謎ではあるが、思えば聖堂街の時点でこのような構造は目立つ程では無いにしろ多かったのだ。

となれば市街でも珍しいものでは無いのだろう。

 

肥えた鴉を避けて進めば、奥の壁には恐らく大きな窓枠だったのだろう場所に木板で足場が架けられており、診療所へと入る出入口となっている。

謎としか言い様のない構造だが、これ幸いと狩人は診療所へ入って行った。

 

薄暗い通路を右へ歩いて行けば、そこには扉が一つだけ。

位置的には、狩人が最初に目を覚ました診療室がある筈だ。

二枚の扉に手を添えて少し力を入れてやれば、扉は蝶番が動く音と共に開く。

わかりきっていた事だが室内は当然暗く、だが携帯ランタンのおかげか部屋を見渡すのに不自由はそれ程無い。

だからこそ、狩人はそれを見付けてしまった。

 

「え…な、何あれ…?」

 

目の前にいるのは、頭部が異常に大きい青白い人型。

震えながら蠢くそれは奇妙でもあり、その色や形状は神秘を感じさせるものでもある。

じりじりと近付く狩人の足音に気付いたのか、それは振り返ると両手を胸の辺りまで持ち上げて狩人に近付いて来る。

 

「…ま、待って!何ですかあなた!」

 

右手に携えていた片手剣を杖へと入れ替え、狩人はその何者かから距離を取って杖を変形させる。

大きく波打たせながら振るった杖はその人型の胸部を捉え、斬り裂いた。

するとそれは呆気なく倒れ込み、絶命してしまう。

 

「なんだったの…?」

 

杖の石突を地面にぶつけて変形させながら、狩人はもう一度周囲を見渡す。

最初に起きた時と変わったのは先程の人型の存在くらいのもの────という訳でも無いようで、狩人が寝ていた診察台の上には、見覚えのない便箋が置かれていた。

 

拾って開いてみれば、それはカインハーストという地への招待状らしい。

"ヘムウィックの辻に迎えの馬車を送る"と記されているが、狩人の記憶にヘムウィックなどという地名は存在しない。

 

「カインハースト…って、アルフレートさんの…?」

 

それを思い出した瞬間、狩人はアルフレートの元へ駆け出したい欲求に駆られる。

役に立てる、喜んで貰える、褒めて貰える。

 

狩人は記憶を喪失した事による孤独を、他者からの共感や感謝などを受ける事による触れ合いで埋めていた。

それは初めの頃こそギルバートとの会話によって埋めていたものであり、彼の言葉によって関わりを断った今では埋めようのないものでもある。

それが再び埋められようとしているのだから、浮き足立つのも詮無き事だろう。

 

ふと、狩人はその招待状の宛名が気になったらしくどこに書いてあるのかと探し始める。

招待状の便箋に見付けた宛名はどこか見慣れたような、それでいて記憶の中には無い誰かの名前で。

その名前が視界に映る度に狩人の頭は混乱してしまい、ろくに物を考えられなくなる。

"今見続けるのは危険だ"と懐に招待状をしまい込むと、狩人は灯りへと繋がる扉を開いた。

 

灯りから繋がる道は二つ目だが、用心に越した事は無いだろう。

扉が開ききった所で、狩人は反対側の道へと歩き始める。

入って来た窓枠から左の道を行けば、突き当たりには一つの大部屋と、右へ入る廊下の奥に扉が一つ見える。

"大部屋に何がいないとも限らない"、と狩人は扉のある廊下を進む事にしたようだ。

 

「…あら、月の香り…」

 

扉を開き、その部屋に一歩踏み入ると、頭上から冷たい声が掛かる。

狩人は香りを指摘される事が多いが、そのどれもがどこか例え難いものを認識してしまったような反応をする。

それをヨセフカは明確に月の香りと称したのだ、"何か知っている"と信じてしまうのも無理は無いだろう。

 

「貴女、どうやって入り込んだのかしら?」

 

声は更に冷えたものとなり、優しい口調にはどこか棘が見え隠れしている。

猛禽類に睨まれたように狩人の全身が竦み、息は荒く繰り返され、その顔は青ざめて行く。

ヨセフカの声には、人なら誰しもが持ち合わせている筈の何かが欠落しているのだ。

人間性とでも言えるであろうそれを失ったのか、或いは最初から持たざる者なのか。

 

「今見たものの意義がわかるのなら、そのまま引き返してくれないかしら」

「…嫌だって言ったら、僕はどうなるんですか」

「フフ、そうね…狩人の治験も得難いものかしら」

 

治験と、ヨセフカはそう言った。

記憶喪失の狩人は、相応に知識量も多くはない。

狩人の脳内にある情報の殆どがこの夜で身に付けたものだからだ。

だがヨセフカの言葉の意味は理解出来る。

治験がどんな意味かは別として、彼女は狩人を実験対象としたいのだろう。

 

「それに貴女、とても甘い香りがするんですもの。気になって気になって…フフ」

「甘い、香り…?」

「肌も、肉も、臟も…きっと甘美なものなのでしょうね」

 

尋常でない寒気と怖気が狩人を襲い、一歩ずつ後退してしまうが、ヨセフカはやはりそれを止めない。

止めようが止めまいが、彼女には利点があるからだ。

知りたい事は山ほどある、聞きたい事も相当に。

とは言え全てを投げ出すよりは、退いてしまう方がずっと合理的だ。

 

「フフフッ…」

 

微笑か冷笑か、それを小さな背に向けられながら、狩人は診療所を後にした。

 

 

 

夢へと戻って狩人が再び転送されたのは、オドン教会の灯りだった。

転送が終わった直後に走り出した狩人は、診療所で拾ったカインハーストの招待状を握り締め、アルフレートの元を目指して走る。

その顔は先程ヨセフカに脅されたばかりとは思えない程喜色に満ちており、足取りは飛んでいるかのように軽い。

 

教会の使いも罹患者も、全て無視してひた走る

広場の巨人すらも意に介さずに走りきった狩人は、盛大に切れた息を整える事すらせず、アルフレートに話し掛けた。

 

「はっ、はぁっ…アル、フレート、さん…」

「おや…どうかなされましたか?息を整えなければ話もままならないでしょう。さぁ、息を吸って」

 

アルフレートの掛け声に従って息を吸い、そして吐く。

一度深呼吸を挟んだ事で落ち着いた狩人は、その手に握っていたカインハーストの招待状をアルフレートに差し出した。

 

「こ、こここ、これ!」

「これは…カインハーストの…?」

「招待状です!えっと、僕が最初に起きた所に落ちてて…」

「…なるほど。確かに血族どもは貴族の真似事をしてこのようなものを送る、と聞いた事があります」

 

そう言って黙りこくってしまったアルフレートは目を血走らせて便箋を確認し、だが落胆したような目をして開き、内容を確認する。

その目に狩人は不安を掻き立てられてしまったようで、おろおろとアルフレートの様子を見守り、手持ち無沙汰なのか服の裾や髪の毛先を弄ってただただアルフレートの呼び掛けを待った。

 

「…残念ですが、私には利用出来ないものでしょうね」

「あ、ぅ…宛名が、違うから…ですか?」

「えぇ、知り合いにこのような名前もいない、となれば諦める他無いでしょう…本当に、口惜しい限りですが。」

 

そう言って歯を食い縛るアルフレートに、狩人は震えながら謝罪する。

 

「あ、あの…ごめんなさい…僕、招待状、使えると思って…期待、させちゃって…」

 

体だけでなく声まで震わせる狩人は、その両瞳に溢れんばかりの涙を溜めている。

狩人からすればただ招待状を渡したという訳では無い。

"間違い無く役立てると思った物を渡した結果、ぬか喜びさせてしまった"という褒められたい狩人からしても、何が何でもカインハーストに向かいたいアルフレートからしても残念な結果となってしまったのだ。

 

怯えていると言っても間違いでは無いという程に弱りきっている狩人に、だがアルフレートは優しく声を掛ける。

 

「いえ、こちらこそ申し訳ない。泣かせるつもりは無かったのです」

「ぐずっ…こ、これは…僕が勝手に泣いちゃっただけで…」

「だとしても、紳士として女性を泣かせるのはこの上無い恥でしょう」

 

そう言ってアルフレートは懐から一枚の綺麗なハンドカチーフを取り出し、ボロボロと涙を流し始めた狩人の目を優しく拭う。

 

「それに、まだ使えないと決まった訳ではありません」

「え…?」

「この宛名が、貴女のものという可能性もあります。」

 

アルフレートの言う通り、狩人の寝ていた診察台に落ちていたというだけでなく、その宛名は一目見ただけで狩人の頭を混乱させてしまったのだ。

もしかすれば狩人の眠っている記憶が、その宛名によって刺激されているのかもしれない。

それにしても何たる偶然。

この特別な名前を持った少女を使えるという事を、一体何に感謝すれば良いのか。

 

「じゃ、じゃあ…僕は行けるかもって事ですか…?」

「えぇ、もしかしたらの話になってしまいますが」

 

その言葉に、狩人は少しばかり元気を取り戻し、もう一度宣言する。

 

「…だ、だったら僕がカインハーストに行って、他の招待状を探して来ます!」

「……なるほど、確かにカインハーストの城まで辿り着く事が出来れば、万に一つですが有り得ない話でもない」

 

その可能性を認められたのが余程嬉しかったのか、狩人は首を振って涙を散らすと、招待状の内容について質問し始めた。

 

「えっと、アルフレートさんは"ヘムウィック"って知ってますか?」

「"迎えの馬車を送る"でしたね。えぇ、多少ですが」

 

アルフレートは招待状の内容を思い出しながら頷き、狩人にヘムウィックの墓地街について話す。

狩人も手記を取り出し、メモを取る────のだが、どうやらアルフレートは墓地街についての情報はその場所以外に殆ど持ち合わせていないようだった。

 

「大聖堂の左…林を越えたその先に、寂れた墓地街がある。私が知っている情報と言えば、その程度のものです」

「そう、ですか…じゃあこの辻っていうのも…?」

「十字路という意味以外には、何も」

 

とはいえ最低限の情報は集まっている。

向かう事自体には苦労しないだろう。

ヘムウィックの辻というのも、それらしい場所を隈無く調べれば済む話だ。

 

「ありがとうございます、それと…やっぱりごめんなさい。期待させておいて、こんな…」

「構いません。ですが、ふむ…そこまで言うのであれば、もう一度期待させて頂きましょう」

 

その言葉に下げていた頭を上げた狩人は、理解出来なかったのか小さく首を傾げた。

 

「もう一度?」

「えぇ…私がカインハーストへ至る道を、貴女が他ならぬカインハーストで見付けて来る事を」

「……っ、はい!見付けて来ます!!」

 

そう言って覚悟を新たにした狩人は、アルフレートに手を振りながら大聖堂の方向へと走り始めた。

────小道の前に立ち塞がっている巨人の存在を忘れていたようで、また地獄のような追い駆けっこを演じてしまった訳だが。

 

やがて狩人は大聖堂の目前まで辿り着き、左に見える道へ入る。

後ろから迫り来る使いや巨人を無視して走る狩人は、一つの洞窟の前に辿り着く。

薄暗い洞窟の先には光が見えている事から、これはトンネルとでも呼ぶ方が正しいのだろう。

頭上には古びた看板が一つ掛けられており、辛うじて読み取れるそれには"ヘムウィック"と書かれていた。

 

トンネルを抜けた先は人の手が入っていない寂れたものとなっており、所々の枯れ木は禁域のものよりずっと細く、視界はずっと晴れている。

整備された聖堂街から一歩外れただけでこうも変わるのか、という考えは禁域の森もそうだったと思い返せば不思議では無くなった。

 

やがて下り道も終わりを迎え、狩人の目には数人の人影が映り始める。

耳に響く犬の鳴き声以外に聞こえていた会話するような声は、その人影の群れから聞こえて来るようだった。

所々に墓地があるその林は、罹患者と犬が多いようで、狩人のやる気を大いに削いでしまう。

 

響く銃声に反応して咄嗟に屈んだ狩人の頭上を、水銀弾が通り抜ける。

会話していた罹患者達もその音に反応したようで、銃持ちの方を、次いで銃持ちに狙われた狩人の方を見る。

まだ屈んだままの狩人を見た罹患者達は大きく叫び声を上げ、武器を構えて狩人の方へと走り出した。

 

「獣だ!撃てェッ!」

「撃て!殺せ!」

「ご、ごめんなさーいっ!」

 

一発、二発と増えて行く水銀弾を躱しながら追い掛けて来る犬を殺し、その隙を突いて武器を振るう罹患者達を押し退けて、狩人は奥地を目指して走る。

逃げて逃げて逃げ続けた先の地面から、何やら黒い影が湧き出し、人影を形作る。

"狂気者"と呼ばれるそれは、長い髪を振り回し、長い腕には曲剣を持って狩人を付け狙い始めた。

 

「オォォ…!」

「退いてっ!」

 

今までのものよりも強い存在感に杖では押し切れないと悟ったか、狩人は聖剣を取り出し変形攻撃を繰り出す。

狩人の予想通り杖で削り合いに持って行けるような相手では無かったようで、狂気者は大剣の重い刃を曲剣の反った刃で受け止めて見せた。

 

だが狩人とて、それで止まる程未熟では無い。

瞬時に刃をズラして曲剣を無理やり地面に押し付けた狩人は、それを足場として跳躍し、狂気者の横面に蹴りを入れる。

着地と同時に聖剣を真横に振り回す狩人に対応しきれなかったのか、蹴り飛ばされて崩れた体勢を戻す事も出来ないまま、狂気者は首を刎ねられ消滅した。

 

「よし────うひぃっ!?」

 

素早い攻防の合間に、罹患者達は狩人に追い付き始めたようだ。

水銀弾が被っていた帽子を撃ち抜いた事で狩人はわたわたと焦りながら聖剣をしまい、杖を取り出してもう一度走り出す。

墓石を飛び越え木々の間をすり抜けて、そうして狩人は奥地へ辿り着く。

段々と遠くなる叫び声からして、どうやら罹患者達は狩人を追うのを諦めてくれたようだった。

 

「や、やっと諦め────へぶぅっ!?」

 

後ろばかりに気を取られていたせいか、狩人は突如目の前に現れた大扉に衝突してしまう。

古びたそれはどうやら鍵や閂などは掛かっていないようで、狩人一人がぶつかっただけでもギシギシと揺れ、軋んだ音を上げる。

砕いた方が早いのでは無いかと言う程に蔦や枯れ草が絡みつき、所々に罅が入っているそれを、狩人は両手に力を込めて押し開ける。

 

「はぁっ…はぁっ……あ、灯り…」

 

狩人は坂を転がり落ちるように駆け下り、灯りへと近付いて行く。

何度か振り返りつつ灯りを灯した狩人は、後ろに何も来ていない事を確認してようやく落ち着いたようだ。

灯りの名はヘムウィックの墓地街、狩人が辿り着いたのは神秘や病とはまた違った狂気を宿した場所だった。

 

奥からは何やら老婆達の笑い声が響いて来るが、狩人の先へ進む気力は全く落ちていない。

人の犠牲ばかりが増える夜の終わりへの道でも、学者達の狂気が垣間見える森の奥地でも。

ましてや死による解放すら許されないであろうヨセフカの治験でも無い。

狩人は今、アルフレートの助けとなる為にカインハーストへ走っているのだ。

 

「…まだまだ、奥へ行かなきゃ」

 

そうして狩人は短い休憩を終え、灯りから離れて前に見える道を走る。

道を抜けた先の広場を視認した瞬間、狩人がその存在を知覚出来たのは四人。

多勢に無勢、やろうと思えば勝てない事は無いが、今は先を急ぐべきだろう。

 

"先へ進むのを邪魔する者のみ相手をする"と決めた狩人は、足を止めずに左に見えた道を進む。

階段から降りて来る老婆をすれ違いざまに斬り付け、蹴落とす事で後ろから追って来る他の老婆達へとぶつける。

一瞬稼げればそれだけで充分逃げるに足るのだ、わざわざ留まる理由は無い。

 

駆け上がった先にはまたしても狂気者が地面から現れ、狩人は瞬時に周囲を見渡し、突破口を探す。

狩人の目に映った突破口は二つの階段、その内の片方を目指して狩人は走り抜けて行く。

目の前に現れた犬を躱し、道を塞ぐ狂気者に杖を振りかぶり────

 

「っづあぁっ!?」

「ヒャァハハッ!」

 

意識外から飛んで来た火炎瓶によって、左の上腕から肩甲骨に掛けてを大きく焼かれてしまった。

狂気者の持つショーテルのように内側に反った細い刃と杖がぶつかり合ったタイミングでの横槍は、狩人がその投擲を感知出来ない程に正確で。

恐らくは今までも、墓地街に立ち入った者達をこうして葬って来たのだろう。

 

火傷によって銃を構える事が出来ない狩人に、再び火炎瓶が投げ付けられる。

それを何とか回避した狩人の足に、次はショーテルが突き刺さり。

追い付いて来た老婆が持つ赤熱した焼きごてが狩人の柔らかな肉を焼き潰し、体内から棘が突き出た犬の牙が焼けた肉を食い荒らす。

そして狂気者のショーテルが腹を捌いた時点で、狩人は夢へと転送された。

 

 

 

狂気者達の手によって見事な開きとなってしまった狩人は、むくれた様子で墓地街の灯りへと戻って来る。

再び走り始めた狩人の目的は、一先ず辻を探す事では無く遺志を落とした広場へと変更される。

 

暗い一本道を駆け抜けて、そうして辿り着いた広場のどこにも遺志は無い。

現れる狂気者から距離を取って階段を駆け上がれば、案の定そこにいる火炎瓶を持った老婆の両目が青白い光を放っていた。

 

狩人に向けて瓶を投げようとした右腕を、先んじて振るった変形済の仕込み杖によって斬り飛ばし、火炎瓶の投擲を封じる。

右腕を斬り飛ばされて甲高く喚く老婆の胸を貫き、階段を上がって来た老婆と犬の方へと投げる事で、狩人はその場から逃げ果せた。

だが奥へ奥へと走る狩人に向かって、今度は前方から木槌を持った老婆が現れる。

 

大振りを避けて軽く斬り付けるだけで絶命したが、物量で押し切られればそうは行かない。

狩人は嫌な想像に肩を震わせながらも、坂を上る。

目の前には市街で何度か見たレンガを持った大男がいるが、狩人はそれだけに気を取られる事はせず、頭上から飛んで来る火炎瓶を躱した。

 

すぐ横の高台にいる老婆が投げているものらしいが、狩人の目的は高台では無く奥に見える門だった。

左右にフェイントを重ねる事で火炎瓶を避け、目の前にいた大男をすり抜けて何とか門まで辿り着いた狩人は、しかし手を掛けた瞬間門から離れ真後ろの高台へと向かった。

 

門は仕掛けで閉じられており、力づくで開けられるようなものでは無かったのだ。

他の策を講じるにもあの火炎瓶を投げる老婆とレンガ持ちの大男は邪魔者となる、ならば摘み取ってしまえば良い。

 

そうして坂を駆け上った狩人は、たった今老婆の手を離れた火炎瓶を杖で叩き割る。

至近距離で割れた瓶の破片と爆炎を受けた老婆はその威力に怯んで足を踏み外し、高台から落ちて行った。

 

「はっ…はっ…まだ、いますよね…!」

 

そう言いつつ走る狩人の背後には、やはり大男が追い掛けて来ている。

 

「グオォォォッ!」

「もう!うるさいなぁ!!」

 

大声を上げて走る大男に、狩人は怒りを隠そうともせず杖を構える。

高台から跳躍した狩人は大男の首に片足を引っ掛ける事で旋回し、その速度を杖に乗せて大男の心臓を狙って突き込んだ。

 

狩人は杖で体内を掻き回し肉と内臓を抉り、やがて声を上げなくなった頃にその死体から降りる。

杖を突き刺した時一瞬右手に伝わった違和感に首を傾げた狩人は、だが"こんな所で止まっていられない"と再び前を向いて進み始めた。




カインハーストの招待状

ヨセフカの診療所にて見付けた、狩人が目を覚ました診察台に置かれていた一つの便箋。
赤い封蝋がされたそれは、高貴な者からと言うのが正しく似合うものだろう。

その宛名は────
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