少女の微睡、月香の夜。   作:かなしいな

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狩人、工房道具に触れる。



※第十七話、ヘムウィックの続きです。


狩人の苦戦、思わぬ壁。

進む途中で群れている鴉共の傍に、またも狂気者が現れた。

首元を狙って振るわれるショーテルを、狂気者の肩口に突きを入れるように振るわれた片手剣が噛み合う形でそれを制する。

狩人は無理やりそれを持ち上げる事でショーテルによる防御をズラし、空いた腹部を横薙ぎに斬り裂いた。

 

両手を広げ後ろへ倒れ込む狂気者は、だがその背中が地面に着く直前に泥のように弾けて消える。

突然現れる事と言い、現れる時に漏れる赤い光と言い、何者かが召喚している人ならざるものとでも言った方がずっと自然だろう。

 

「はぁっ…多すぎ…!」

 

狩人が愚痴を吐きながら向かった先には、一つのエレベーターがある。

鴉は近いがこれも今までのようなショートカットだとするなら開けておいて損は無い。

そうしてエレベーターに乗って下に降りた狩人の前にあったのは、またしても赤い光を放つランタンだった。

 

「…どなたか、いらっしゃいますか?」

 

明かりが漏れる小さな窓から話し掛ければ、返って来たのは────

 

「ウオオオオオ……」

「うわっ…」

 

獣のような低い唸り声だった。

たとえ生き残りだったとしても既に手遅れだろう。

既に獣に落ちかけている者を助けてやれる程、狩人は力を持ち合わせていない。

 

狩人が建物の陰からひょいと顔を出せば、そこはどうやら灯りの直ぐ下にあった広場のもう片側の道らしい。

走り抜けた事もあって狩人が通った左側の道に老婆達が寄っているが、少なくともまだ夢に戻る必要は無いだろう。

狩人はエレベーターに乗って上へ戻り、ちらと見えていたもう一つの道を進んで行く。

 

目の前には細い谷に架けられた木の橋が見えており、その向こうにはアイロンのような形をした焼きごてを持った老婆がいる。

先程も見た武器だが、いったいどこで温めているのだろうか。

 

「…ごめんなさい」

 

そんなくだらない事を考えながらも、狩人は焼きごてに仕込み杖を巻き付け引き寄せる事で老婆の体幹を崩し、谷底へと蹴り落とした。

 

「ウォォォッ!」

 

橋の向こうにいる大男がレンガを高く掲げて突進しようとした時、それに合わせて傍にいる老婆が火炎瓶を投げる。

狩人は一度目でコツを掴んだのか、投げられたそれを変形後の杖で叩き割った。

老婆と大男が炎に巻かれ怯んだ所に飛び込み、両者の首を斬り裂く。

老婆はそれで絶命したらしいが、大男は流石に耐久力が高く、膝を着く事すらしない。

 

「グオォォッ!!」

「あっ…ぶなぁ…!」

 

裏拳のように振るわれたレンガは狩人の頭上を掠め、帽子を吹き飛ばす。

身を屈めた状態で攻撃を避けた狩人は、仕込み杖を大男の顎下から後頭部まで貫通させ、抉り抜いた。

 

流石にそこまでされて生きているような化け物はいないだろう。

大男はその場に膝を着き、前のめりに倒れ込んだ。

 

目の前にある薄暗い建物の中からは犬の鳴き声が聞こえて来る事もあり、狩人はさっさと帽子を拾って警戒し始める。

入口付近には光球も現れなかったからか、狩人は携帯ランタンに明かりを着けながら、周囲を警戒しつつ建物へ侵入した。

 

案の定出入口の直ぐ横に老婆が待機しており、狩人に奇襲を仕掛ける。

"壁越しでは反応しないのか"と半ばわかりきっていた発見に驚く事もせずに、右手の武器を構え直す。

前方から駆け寄る犬の対応か、老婆を斬り殺してから避けるか。

 

狩人はそれらを同時にやってのける事とした。

 

「ふっ!」

 

気合いを入れるように鋭く吐いた息と共に、真横にいる老婆に蹴りを入れると、狩人はそのまま老婆を足場としてもう一方の足を老婆の肩に乗せる。

そこへ飛び掛かって来る犬を避けるため肩に乗せた足を軸に回転し、杖で犬の胴を貫きながらその牙を躱した。

 

足蹴にされた老婆はその手に持ったショーテルを構えるが、狩人は犬の死体を盾に老婆に近付き、杖を変形させながら引き抜く事で血で視界を奪いながら腹部を斬り裂いた。

 

暗い室内にはもう生き物の気配は残っていない

だが頭上からは未だ物音が止まず、建物内に何者かが残っている事は明白だった。

 

「…ん、梯子…やっぱり上かぁ」

 

奥で見付けた古びた梯子を上って行けば、そこには屋根裏のような天井の低い空間があった。

物音は後ろから聞こえて来るが、正面には外へと出る通路がある。

優先するのは敵であろう背後の存在よりも正面に見える通路だ。

そう考えた狩人が前へ進めば、目の前の床が赤く光る。

黒い汚泥が床から溢れ出し、再び狂気者が現れた。

 

狭い室内という事もあり、お互いが大振りな攻撃を繰り出せない状況にある。

狩人は変形後の仕込み杖を封じられたからか直剣を取り出し、狂気者はお構い無しとばかりに狩人に近付く。

互いが互いに肉薄した瞬間、両者の武器が振るわれた。

 

横薙ぎに振るわれるショーテルを防ぐ為か、狩人は直剣を下から振り上げる事で狂気者の右腕を断ち斬らんとする。

その斬撃は確かに命中したが、右腕を斬り飛ばす事は叶わない。

だが狩人の考えはそこで終わらなかったらしい。

 

「ギィィィッ!」

「残、念っ!」

 

直剣が命中した事により軌道が大幅にズレたショーテルは、狩人の頭上にあった梁に引っ掛かる事で攻撃を封じられてしまう。

その隙を見て狩人は狂気者の鳩尾に直剣を捩じ込み、斬り裂いた。

 

「ふーっ…」

 

窮屈な室内で戦ってしまったからか息まで苦しくなり始めた狩人は、外へ出て深呼吸を一つする。

外は屋根の上のなっており、左の屋根伝いに歩いて行けばまだ道は続いていそうだ。

 

目の前にはもう陸地すら無く、屋根から降りればそこから先は奈落への道。

下は広大な湖となっている事から落ちても助かる可能性が無い訳では無い。

 

「うぅ…」

 

が、狩人は高所恐怖症でも持ち合わせているのか、それ以上前に出るのを嫌がっている。

進む道はその屋根の際にしか無いのだから、当然そこを歩かねばならないのだが。

 

下を眺めるのが嫌になったのか視線を移した狩人の目に、何やら大きな建造物が映る。

湖を一つ挟んだ向こう側に見えるそれは、城のように見て取れる。

あれが狩人の目指すカインハーストの城だろう。

となればこの街に迎えが来るというのも間違いでは無さそうだ。

 

目の前から来る木槌を持った老婆を、変形させた大剣を右側から振るう事で壁と板挟みにして叩き潰し、出来るだけ壁の傍に立って歩く。

ようやくまともな足場の所まで辿り着いた所で、狩人は下を見下ろした。

 

墓石だけでなく地面から生える枯れ木や至る所に立てられた磔の中に狩人が見付けたのは、徘徊する数匹の犬と、巨大な得物を持った人影だった。

ハルバードのような斧を持ち、全身を鎧に包んだその影は、ヤーナム市街でも一度見掛けた事がある"解体人"だろう。

 

今も真正面から迫る老婆を蹴り落として、狩人は先へ進む。

道中にいる大男や犬、そして今は見飽きた武器を持った老婆を相手取る中で、狩人は見覚えのある門を見付ける。

こちら側に仕掛けのレバーが置かれたそれは、恐らく今相手をしている者と同じように火炎瓶を投げる老婆がいた道の突き当たりにあったものだろう。

 

それを見付けた瞬間、狩人は相手していた敵を押し退け、すり抜けて奥へと向かった。

目の前の建物から降りて行くのだろうが、中にはやはり老婆が見える。

前からも後ろからも迫る数の暴力に無傷で勝つ事は、いやそもそも勝つ事が出来るかも怪しいのだ。

唐突に足場から飛び降りた狩人が打ったのは、やはり逃げの一手だ。

 

着地の失敗などもせず下に降り立った狩人は、一目散に門へと駆け抜けレバーを引く。

上へと持ち上がりゆっくりと開き始めるレバーを余所に、狩人は後ろから迫っていた犬の群れに仕込み杖を振るう。

 

「オォォッ!!」

「あぶなっ!?」

 

総数四匹のそれらを三度の攻撃で仕留めきった狩人は、更に突貫して来た解体人の大斧を下を潜り抜ける形で避けると、大慌てで奥へと走り出す。

目の前に見える二人目の解体人にも気付かれてしまったようで、既に臨戦態勢と言った構えだ。

だが後ろに下がれば当然今も追って来る一人目に殺されてしまう。

狩人に出来るのは前に逃げる事だけだった。

 

二人の解体人から逃げる狩人の前には、またも解体人が現れる。

三人の老婆を伴うそれを何とか躱し、後ろから聞こえる叫び声と武器が風を切る音に怯えながら逃げ込んだ建物は、腐臭の立ち込める廃屋だった。

中には無数の布に包まれた人間、死体であろうそれらが山のようにつまれていたり、適当に打ち捨てられたりしている。

 

「な…なに、これ…」

「ヒャハハハッ!!」

「うわぁっ!」

 

その腐臭と狂気的な参上に一瞬止まりかけた足は、背後からの足音によってもう一度動き出した。

縺れる足で何とか目の前にある下り階段まで辿り着いた狩人は、その瞬間振るわれた鉈を避けた事で足を踏み外してしまう。

 

「やばっ…!」

 

そこかしこを壁や階段にぶつけながら、狩人は階段を転がり落ちて行く。

落ちた先にあった広い地下空間に何とか逃げ込めば、追って来ていた筈の老婆達はどうやら階段を降りて来ていないらしい。

不思議に思いながらも起き上がり、その空間を歩く狩人の脳に、啓蒙が芽生える感覚が走る。

 

地下空間の中心、朽ちた木橋の真下に、狂気者が現れる。

今まで何度か狩人を襲った者と同様のそれは、特に強敵といった様子は見えない。

変わらず振るわれるショーテルを杖で弾き、胴体を浅く斬り裂くが、やはり手応えは変わらない。

 

「ギャァァッ!」

「…どういう事?」

 

もう一度振るわれた攻撃に合わせて狩人が水銀弾を撃ち込めば、狂気者は体勢を崩しその場に膝を着く。

隙を突いて鳩尾に杖の石突をねじ込めば、狂気者は死体となって倒れ伏した。

 

ふと、狩人の背後が赤い光に照らされる。

振り返ればそこには小さな老婆がおり、その傍にもう一度狂気者が召喚されていた。

 

「また新手…って言うか」

 

狩人が注視したのは召喚された狂気者の方では無く、老婆の方。

腰の曲がった小さな老婆は左手に球体の寄せ集めのようなものを、右手に小さな刃の付いた武器を持っているのだが、狩人が気にしているのはその格好だった。

 

「うぇぇ…」

 

何かを吐き出すように舌を出し、眉を歪める狩人が見ているのは、老婆が全身に纏っている目玉だった。

よくよく見てみれば、左手に持っているのもただの球体ではなく目玉の寄せ集めで。

その持ち主は、ひょっとすれば上にあった死体の────

と、そこまで考えた所で狩人に狂気者が襲い掛かる。

 

「ギィィッ…!」

「よっ、と…退いて!」

 

老婆の方が本体という事は最早明白として、狩人は狂気者の両足を斬り付けて早々に老婆の方へ走り出す。

未だトドメを刺されていない狂気者は狩人を追おうとするが、斬り付けられた両足では立つ事すらままならないようだ。

 

それを余所に老婆に杖を振るった狩人は、一撃では終わらせず二回、三回と老婆を攻撃する。

何やら紫色の靄のようなものを左手の目玉から生み出した老婆から、狩人が一歩離れた瞬間、その場から老婆の姿が掻き消えた。

 

老婆の足音どころか呼吸音も聞こえなくなった事から、狩人は透明化では無いと一つの可能性を切り捨てる。

であれば考えられるのは、狩人も灯りを用いて行っている"転送"、ワープの類だろう。

 

後ろから聞こえた足音に、室内だけの転送かと振り返った狩人が見たのは、立ち上がりかけている狂気者。

そして、その後ろから狩人の方へと歩いているもう一人の狂気者だった。

 

「二対一とか…ズルくないですか」

「ギィィィッ…!」

 

二人目の狂気者が、狩人に向けてショーテルを振るう。

それに合わせて防ぐように杖を振るった狩人は、そのまま競り合いへと持ち込んだ。

膂力で言えば負けてはいない、ならばそのまま押し切ってしまえば良い。

尤もそれは、一対一ならの話だが。

 

競り合っている狂気者の背後から、もう一振りのショーテルの刃が狩人を狙って振るわれる。

どうやら足への攻撃は、こと狂気者相手では長時間の拘束にはなり得ないらしい。

 

今まで競り合っていた狂気者を蹴り飛ばして、その背後から狩人を狙ったもう一人にぶつけると、狩人はその二人をすり抜けて地下室の奥へと走る。

増えた狂気者を相手するよりも、老婆を一人殺した方が楽に決まっているからだ。

案の定奥にいた目玉を下げた老婆に、狩人は変形後の仕込み杖を鞭のようにして振るう。

 

目玉と共にその体を斬り裂いた筈だが、どうにも致命にはなっていない様子。

二度三度と繰り返しても変わらない。

傷は付いているのに、大したダメージには繋がっていないようだった。

 

再び紫色の靄が現れ、老婆は姿を消した。

追い付いて来た狂気者に嫌気が差したのか、狩人は武器を直剣に持ち替える。

振るわれるショーテルをかち上げるようにして弾き、両手で構えた直剣を鳩尾に突き込んで抉り、引き抜く。

まだ息がある狂気者の首を無造作に斬り裂き、狩人はもう一人の攻撃を避けて再び地下室の反対側へと走った。

 

だがそこに老婆の姿は無い。

ただただ反対側へと往復しているだけなら、あまりにも簡単に攻略されてしまうだろう。

その上既に転送を見切られているのだから、移動場所を変えるのは当然と言える。

 

そこに狂気者が追い付き、直剣とショーテルがぶつかり合う。

上から叩き付けるようにして振るわれたショーテルを直剣で受け止め、そのままジリジリと押し退け弾き、狂気者の首を貫く。

これで二人目を殺したが、その瞬間朽ちた木橋へ続く階段の中央に赤い光が現れる。

どうやら追加の召喚が行われたらしい。

 

「見付けた!」

 

光が見えた瞬間に走り寄る狩人は、目視で老婆を確認すると、直剣を鞘にしまう。

強く押し込み金属音が響いた所で体を捻った狩人は、両手で構えた大剣を地面ギリギリで振るい、老婆の胴を斜めに斬り上げた。

その威力によって宙を舞う老婆は、足場の下へと吹き飛ばされる。

 

それを追うようにして足場から飛び降りた狩人は、トドメを刺そうと大剣を構えるが、飛んで来た横槍によって防御を余儀なくされた。

召喚された三人目の狂気者が、狩人に向けて突貫して来たのだ。

 

「くっ…!」

 

せめて追撃をと振るった大剣は、老婆が転送を行った事で空を切り、狩人は大剣を引き戻してもう一度防御を構える。

転送が終わり直ぐに召喚が始まるが、大剣のままでは小回りの効いた動きは難しく、目の前の狂気者をどうにかしない限り変形は難しい。

 

「よ、い…しょっ!」

 

変形の為に無理やり大剣を振り回し距離を取らせた所で、後ろから素早い足音が近付いて来る。

四人目の狂気者だ。

ここまで大量に召喚されてしまうと、最早底は無いのではと錯覚してしまう。

 

無視して老婆を殺すべきだと鞘を背中側に回し、直剣を取り外した瞬間、二本のショーテルが狩人に迫る。

一方を直剣で、もう一方を背中の鞘で受け止めた狩人は、その場で身を屈める事で鞘に命中したショーテルの切っ先を滑らせた。

そうしてもう一度距離を取ろうとした狩人の右太腿に、身を屈めた事で抑えが効かなくなったショーテルが突き刺さる。

 

「…っぐぅ…!?」

 

痛みに喘ぐ狩人がそのショーテルを抜こうとするが、狂気者が少し押し込むだけで反った刃は狩人の肉を割り開き、骨の間を通って貫通してしまった。

片脚を封じられてしまった狩人の左胸を、もう一方の滑らせたショーテルが貫く。

 

「はっ…か、ひゅ…」

 

心臓を外れ肺を貫いたそれを掴むと、狩人は狂気者の左腕を斬り付ける。

ショーテルを手放させた事で動かせるようになった右脚で強く踏ん張り、今度は肺を貫いた方のショーテルを持った狂気者に刃を向けた。

貫かれた脚を動かした事で太腿からは血が噴き出し、痛みで視界が明滅する。

痛みによって剣閃が僅かにブレたか、首元へと向けたそれは狂気者に右の前腕を掴まれた事で止められてしまう。

 

「っが、あ゙ぅ…!」

「ギィィッ!」

 

ぶちぶちと肉が裂かれる音が響き、左胸から突き出る刃が向きを変える。

更に深く突き入れられた刃は、濃血を滴らせながら上へ上へと持ち上がり、それに従って狩人の軽い体も狂気者の手によって持ち上げられて行く。

肋骨の間を通っているからかそれ以上肉は裂けずただ持ち上がるばかりで、狩人を襲う痛みも肉に伝わるものから、刃が擦れている骨によるものに変わっていった。

 

「ふーっ…ふーっ…ぅ、ゔぅ…」

 

荒くなる呼吸を何とか抑えながら、狩人は今も涙が溢れている両目で背後の狂気者を睨み付ける。

狂気者はその程度の視線など痛くも痒くも無いようで、その場に狩人を投げ捨てた。

やがて動けなくなった狩人の太腿からショーテルを抜くと、狂気者は数歩退がって時を待つ。

 

「ぅ、ぁ…?」

 

最早まともに喋る事すら叶わない狩人の目の前に、目玉を纏った老婆が近寄る。

狩人は狂気者の手で髪を掴まれ、その頭が老婆の肩の高さまで持ち上がる。

老婆は左手に持っていた目玉の集合体を地面に置くと、左手を狩人の顔に添え、人差し指と親指を使って狩人の右目をこじ開け固定した。

 

「ゃ、やめ…」

「キヒヒヒッ…!」

 

何が起こるのか予想が付いてしまった狩人は、血が迫り上がる喉でなんとか声を紡ぐ。

対する老婆はそんな事はお構い無しに、右手の器具を構えているが。

 

「あ゙ぁ゙ぁぁっ!」

 

瞼に沿って器具の刃が狩人の眼窩に侵入する。

硝子玉のように美しい瞳が、べとりと粘ついた音を立てて老婆の手の平に落下した。

老婆は狩人の眼窩と繋がったままの視神経をちぎり、目玉を指で摘む。

外部からの光など通っていないその地下室で、老婆はその目玉をまるで陽に晒して観察するように持ち上げた。

 

 

 

左目を瞑った狩人が次に目を開けば、そこは狩人の夢の中。

視界は両方揃っており、ぱちぱちと瞬きをしても目玉は落ちない。

ヤハグルで一度経験したとは言え、それだけで慣れる事が出来るような経験では無いだろう。

狩人は震える体を両手で抱え、何とか立ち上がり深呼吸をした。

 

「大丈夫…僕は、大丈夫…」

 

未だヘムウィックの辻とやらも見付けていないし、かなりの量の遺志を落としてしまった筈だ。

両目に滲む涙を袖で拭って、狩人は墓標から転送された。

 

 

 

入口に墓地街の入口に転送された狩人は、あの老婆"ヘムウィックの魔女"と戦う直前に開けていたショートカットを使い街を走り抜ける。

何匹かの犬が追い付いて来るが、時折振り返って仕込み杖を振るう事でそれらを切り抜け進んで行く。

解体人の斧を躱し、火炎瓶が当たらないように速度は落とさず。

そうして辿り着いた廃屋の階段を数段飛ばしで駆け下りて、狩人は再びヘムウィックの魔女と、召喚される狂気者達との戦いが始まった。

 

まず狩人は狂気者に向かって変形後の仕込み杖を振るう。

ショーテルに分かれた刃を上手く引っ掛ける事で巻き付け、思い切り引いて体勢を崩させると、瞬時に直剣に持ち替えその頭を大剣で叩き潰した。

 

後々まで残して置けば、先程のように対応しきれない状況での挟み撃ちをされかねない。

そして護衛の居なくなった魔女に、変形後の大剣を三度振るう。

これでもまだ倒れないというのだから、こんな小さな体でもやはり今まで数度戦って来た者達と同じ強敵という事だろう。

 

三度目の斬撃が当たった時点で、老婆の姿が掻き消える。

転送先はたった今、老婆が狂気者を召喚した事で把握出来た。

狩人は召喚されたばかりの狂気者に近付きながら鞘と剣を分離させ、ショーテルを剣で弾き飛ばす。

 

武器を失って尚掴みかかるようにして狩人を襲う狂気者に、狩人は鳩尾に剣を突き込む事で応戦し、動けなくなった様子の狂気者の首を掴んだ。

そのまま老婆がいるであろう場所へと狂気者を盾にして突貫し、肉盾を蹴り飛ばす事で飛び道具とする。

 

「ギァァァッ…!」

「もう一回っ!」

 

直剣を鞘にしまい大剣とし、狩人は全身を駆動させ振り回す。

起き上がるのに時間を要したからか先程よりも二回多く斬られた老婆は、転送するのかと思いきやその体から紫色の衝撃波を繰り出した。

老婆が己が身から退けようと持ち上げていた狂気者の死体と、咄嗟に構えた大剣ががクッションとなったようで、狩人に届いた衝撃波はそれ程威力を持たないものだ。

それでも体を吹き飛ばすのには充分過ぎる一撃。

 

「ぐぶっ…!?」

 

何を食らったのかわからないと言った様子の狩人はそのまま背後の足場まで吹き飛ばされ、強かに背中を打ち付ける事で肺の中にあった空気を全て吐き出してしまう。

大きな音を立てて地面に転がる大剣を、未だ焦点の合わない目で見詰める。

頭を強く打ち付けたのか、狩人は軽度の脳震盪を起こしてしまったようだ。

 

激突の衝撃で落とした得物へと向かう狩人の体はよろよろと頼りなく、歩きながら取り出した輸血液も、なかなか掴めず注入する事すら時間を要している。

ダメージ自体は少ないが、揺れる視界に酔い始めた狩人はいよいよ歩く事すらままならなくなり始めていた。

 

「ギィィ…!」

「…っぐぅぅっ」

 

そこに現れた狂気者が、未だ回復しきっていない狩人に向かってショーテルを振るう。

左の手の平でその切っ先を受け止めた狩人は、その刃の半ばで拳を丸め、掴んで見せた。

 

痛みによって冴えた頭が、次の一手を用意する。

伸ばした右手は地面に転がる得物を掴み取り、その直剣を無理やり鞘から外し、抜剣した。

抜剣の勢いのままに狂気者の左腕を断ち斬った剣は、返す刃で首を狙って振るわれる。

単調な攻撃とも言えるそれで、一人の狂気者を仕留めた狩人は、直ぐ様左手に刺さったショーテルを抜き捨てて再び輸血液を注入した。

 

「ふーっ……後は…?」

 

老婆が転送や範囲攻撃という反撃を持つ以上、狩人はどうしても後手に回って出方を見てから動かねばならない。

慎重に、初戦のように焦って死んでは元も子も無い。

剣の鞘を拾いながら待つ狩人は、三度目の召喚が見えた瞬間に走り出した。

 

体勢が整った直後だからか、狩人の行動は一瞬遅れていた。

狂気者の元へと辿り着く頃には既に召喚は済んでおり、片手に持ったショーテルを狩人の方へと向けている。

だが斬り合いとなっても狩人の有利は変わらない。

何せ筋力も技量も冷静な状態でなら狂気者を二人同時に相手取れるまでに成長しているのだから、今更一人相手などどうという事は無いのだ。

 

内側に反った切っ先を剣の腹で受け止め、そのまま反対へと倒す事でショーテルを地面まで押し込むと、狩人は狂気者の腕を足場として跳躍する。

ガラリという音は、狩人がその場に置き去りにした鞘のものだ。

突然の曲芸に反応しきれなかったのか、狂気者は得物を構え直す素振りすら見せず、見事に着地を決めた狩人が振るった直剣で首を刎ねられ絶命した。

 

直後に狩人は鞘の口に指を入れて持ち上げ、担ぎ直す。

やや無理をした拾い方に左腕が悲鳴を上げるが、そんな事に構っている余裕は無い。

光の見えた方へと走り、再び老婆を見付けた狩人は、大剣でその体に斬撃を与えながらもどこか腑に落ちない顔をしている。

老婆の傷が少ない────いや、狩人がたった今斬り付けるまで存在しなかったのだ。

 

"召喚に衝撃波、おまけに再生まで出来るのか"とその多芸ぶりに辟易とする狩人は、だが攻撃の手は緩めずに畳み掛ける。

三度目の転送を見送った狩人がその場で暫く待っていれば、視界の端を奇妙なものが横切った。

傷だらけの魔女が、そこにいたのだ。

 

二度目の転送前までの傷がしっかりと残っているそれに、狩人は理由もわからず攻撃する。

ついさっき転送された老婆は何だったのか、そう考える狩人の脳内では、既に答えが出ていた。

恐ろしい答え、だからこそ考えないように表層には出さなかったそれを、狩人は口にする。

 

「…二人、いる…?」

 

ヘムウィックの魔女は二人いた。

驚くべき事だが、やる事は変わらない。

狂気者を殺し、魔女を斬り付け、転送したらもう一度狂気者を殺し────

それを繰り返す事で、この強敵を打倒するのだ。

 

そう決意した狩人の視界に、二つの赤い光が映る。

タイミングが悪かった、運に負けた。

そんな言葉で流される程度の不運が、他でも無い今、狩人の身に降り掛かった。

 

「…っ、もう!」

 

杖を振るい、直剣を振るい。

石畳を駆け、木橋から飛び降り。

そうして翻弄しながら、狩人は二人の狂気者を相手取る。

二人の魔女の狂気者を召喚するタイミングが被った事で同時に現れた狂気者の片方が、間合いギリギリで振るわれた仕込み杖の一撃によって倒れた。

 

残り一人ならと、狩人は老婆の方を目指す。

二人を同時に相手取る事はしないが、かと言って三人目を召喚されてしまえば勝ち目はグンと低くなる。

ならば呼ばれるより先に老婆を倒してしまえば良い。

 

地下室を駆け回って見付けたのは、狩人に背を向けている傷が少ない方の老婆だ。

口惜しげにする狩人は、重傷を負っている方を先に殺してしまいたかったのだろう。

 

とはいえただ逃がす事はしない。

全力で大剣を振るい、転送される前に出来るだけ深い傷を刻もうと果敢に攻め立てる狩人は、その姿勢が功を奏したか老婆の体勢を大きく崩す事に成功する。

 

「お願いだから…死ん、でっ!」

「ギャァァッ…!」

 

体勢を崩した老婆の背に、狩人は大剣を突き立てる。

血が噴き出し前へと倒れる老婆は、それでもまだ命は繋いでいるようで、狩人が大剣を構え直した所で転送されてしまった。

そこに追い付いて来た狂気者と再び刃を交えながら、狩人は周囲を見渡す。

地下室の端で赤い光が点った瞬間、狩人は狂気者を押し退けそちらへ向かう。

 

見えたのは案の定先程致命に近い傷を与えた方とは別の老婆だ。

となればもう片方は正反対の隅にでも飛んだのだろう。

そう当たりを付けて、狩人は大剣を振るう。

目玉を下げたその体は、老人とは思えない程耐久力がある。

こう何度も斬られていては続かなかったようだが。

 

「く、ら…えぇっ!」

「ギャァァァッ!?」

 

特段に気合いの込められた斬撃が、老婆の体を袈裟斬りにする。

ようやくその命に手が掛かったようで、老婆は叫び声を上げながら倒れ、その場から消滅した。

だが狩人の脳に啓蒙が芽生える事も、その体に抱えきれない程の遺志が注ぎ込まれる事も、狂気者が消える事も無い。

やはりもう一人の魔女も殺さなければ、この戦いは終わらないのだろう。

 

召喚が済んだ狂気者を避けて、狩人は反対側へ向かう。

標的が一つ減った以上、逃げ回りながらの攻撃は差程苦にはならないのもあり、狂気者を無視して老婆だけを狙う事にしたようだ。

 

当たりを付けた反対側に老婆はおらず、狩人の背後からは狂気者が忍び寄る。

回避行動の邪魔になるからか、狩人は直剣をしまい杖を取り出す。

大きく開かれた両足の間を潜り抜けた、それを見た狂気者が振り返りつつ下へと振るった得物を、跳躍する事で躱した。

 

筋力や技量が成長した事で市街時点でのものよりも格段に良くなった動きは、この状況でパルクールのような回避方法に利用され、狩人の寿命を確実に伸ばしていた。

 

空中で姿勢を整えつつ繰り出した蹴りは狂気者の画面を打ち抜き、その反動で前へ転がる狩人は受け身を取りつつスルスルと足場の上へ登って行く。

目の前には重傷を追った老婆が一人、邪魔者は片方が離れた場所に、もう片方は今も蹴飛ばされた状態から起き上がっていない。

 

「勝った」

「ギャァァァッ!!?」

 

石突を上へ掲げ、杖を僅かに後ろに倒した後、捻るように変形させながら振るう。

仕込み杖の変形攻撃は、見事切っ先を老婆の胴に命中させ、その命を刈り取った。

 

「ギシャァァッ…!」

「うわっ」

 

足場の真下に落ちていた光の柱、狩人が落とした遺志が纏まったそれに手を翳すと同時に、すっかり存在を忘れていた狂気者が汚泥となってその場に落ちる。

光の柱が狩人の手に吸い込まれると、それに合わせてヘムウィックの魔女達が落とした遺志が狩人に注がれた。

 

「ぁえ…?」

 

啓蒙が芽生えると同時に起こるその現象に、狩人自身が貯め込んでいた遺志も重なった事で、予想外の感覚が狩人の体を襲った。

遺志とは、その名の通り持ち主の意志が概念的な力となって産まれ落ちるもの。

つまりは魂のようなものであり、それを受け継ぐというのは一つの人格が形成されるに足る情報量を、簡潔にとはいえ引き継ぐのと同様の意味を持つ。

 

「ふ、ぅぅうっ…」

 

今まで狩人はその感覚を恍惚のままに受け入れていたが、今回ばかりは話が違った。

少しずつ少しずつ、拾う量や蓄積していた量が上がる事で耐性を得ていたそれが、倍以上に急増したのだ。

 

己が内の獣性に目覚めたばかりというのも起因しているのか、啓蒙と共に脳を襲ったその感覚に、狩人は腰を抜かしてへたり込む。

混乱や困惑に支配された頭に、白い火花が散る。

白く蕩ける思考を、だがその快楽に支配はされまいと、狩人は何とか立ち上がった。

 

理性によって抑え込まれたからか、狩人の瞳に浮かび上がっていた獣の黒はなりを潜め、そこには普段と変わらない夜空の青が戻っている。

風を払う音が聞こえる程に強く振られた頭は真っ当な感覚を取り戻し、狩人は地下室の奥に現れた灯りを灯しに向かう。

 

灯りに手を翳していざ夢へ帰ろうとする狩人の目に、一つの階段が映る。

疲労が無い訳では無い、が、今ならもう少し奥へ向かうのもありだろう。

戦闘直後の興奮と遺志による脳内麻薬のバグによって、ランナーズハイのような状態に陥った狩人は、思い切って階段へ足を向けた。

 

薄暗い下り階段を降りて行った先には一つの扉があり、狩人の背丈では跳ばなければ届かない程度の高さに、中を覗ける小窓が付いている。

出来るだけ音を立てないよう必死に跳躍する狩人が何とか中を覗けば、ちらと見えた室内には椅子に縛り付けられた"誰か"が居た。

 

もしかしたらと扉に手を掛けると、鍵は掛かっていないようで軋む音を上げながら、扉はゆっくりと開いて行く。

まどろっこしいと扉を押し開け中に入った狩人は、椅子に座る同じ狩人らしき格好をした人影に近付くと、その肩を掴んで呼び掛ける。

 

「だ、大丈夫ですか?意識は…あ、今解きますね!」

 

"生きている"という前提で話を進める狩人だったが、それも無理は無い。

縛り付けられた状態で処理されず放置されているのだから、希望が無いという訳でも無い上に、この真上にある建物では布に包まれた死体が大量にあったのだ。

そこに捨てられていない時点で生きているのだと、狩人はそう思っていた。

 

揺すられたからか、その人影の顔から水滴が落ちる。

ぴちゃりと粘度の高い音を上げたそれは、明らかに涙の類では無い。

狩人は反応を起こさない人影、恐らく男であろうそれの縄を解く手を一旦止めて、その顔を覗き見る。

魔女達がここにこの男を縛り付けていた理由、上階の廃屋に大量の死体が捨てられていた理由。

それはまず間違いなく、瞳を集めるためで。

 

「……っ」

 

希望は絶たれた。

男の両目は────いや、両目があった場所は、暗い眼窩のみが残っていた。

"せめて格好だけでも"と、狩人は縄を解く作業を再開し、濡れて固く結ばれてしまっているそれを我慢ならなくなった様子で引きちぎる。

そうして解放された狩人だった男をその場に寝かせて、狩人はその場を去ろうとし────

 

「……?これって…」

 

ごとり、と鳴った重い音に振り返った。

音の正体はその死体の懐から落ちた小さな箱だ。

"秘文字の工房道具"と呼ばれるそれの意匠を、狩人は一度目にしている。

オドン教会の地下にあった"血晶石の工房道具"が入っていた箱と似たような飾りを施されているのだ。

 

「ひょっとして、これも夢の…?」

 

思わぬ収穫に、狩人は箱を一撫でしてから懐へしまう。

 

「…ありがとうございます」

 

狩人は男へ礼を言った後、階段を上り、灯りから夢へと帰って行った。




秘文字の工房道具

かつてビルゲンワースの学徒であった"カレル"が筆記者として、上位者の"音"を文字に起こした。
それこそがカレル文字であり、血に依らぬそれは学長ウィレームの理想に近いものだ。

使用方法としては、この器具を用いて脳裏にカレル文字を焼き付ける。
────らしいのだが、詳細な扱い方を理解している狩人は、果たして存在するのだろうか。
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