少女の微睡、月香の夜。 作:かなしいな
※第二十話、戦闘描写多めです。
吹き矢持ちから身を隠しながら暫く悩んだ狩人は、奥を確認してからでも遅くは無いだろうと梯子を登り始めた。
室内にしては長いそれを登った先にあったのは、今まで見たものと同様の本棚が並べられた空間。
そしてその隅にある宝箱だ。
"貴族は宝箱が好きなのかもしれない"などと考えながら開けてみれば、中に入っていたのは歪な丸に罅の入った青白い石だった。
拾い上げたそれはほんのりと温かみを秘めており、それは恐らく罅の中心に封じられている赤い光から漏れたものなのだろう。
使い道もわからないそれを"箱に入っていたのだから貴重なものかもしれない"と懐にしまった狩人は、後ろから感じる微風とその音に振り向く。
本棚の間から見える向こう側の空間にはこちらと同様机と本棚が用意されており、その造りもさほど変わらない。
唯一変わっている所と言えば、左の壁へ伸びる低い階段とそこから続く出入口だろう。
「また風…って事は外?」
風の出処と言えば外だ、先程緣を通った時も似たような見付け方をしていた。
"ここにも招待状は無かった"と気を落とす狩人は、だが更に奥へ行けばアルフレートの役に立つものが見付かるかもしれないと奮起し、階段へと向かって行った。
出入口を潜ればそこから先は螺旋階段となっており、直ぐに外の景色が見えて来る。
下よりもずっと冷えており、そしてずっと強い風が拭いているそこは、見る限りでは屋上と呼べる場所だ。
正しく屋根の上へと繋がる階段は、その途中から屋根と一体になっている。
狩人が屋根に降り立ってまず見えたのは雪の中佇む一匹の蝙蝠と、その傍で土下座するように蹲っている人影だ。
僅かな身動ぎも見せないそれは既に死んでいるのだろう、狩人は蝙蝠の相手よりも順路を探す事に重きを置いて辺りを見回す。
そこで狩人が目にしたのは、信じ難いものだった。
直ぐ横へ降りた細い屋根には明らかに飾りでは無い鉄柵が設置されており、その途中から更に降りて行けるだろう屋根の先には何やら内部へ入れそうな空間がある。
月明かりが屋根に降った雪に反射しているのか見え難いが、空間の中に小さく見えるのは梯子だろうか。
「え…嘘でしょ…?」
貴族の趣味とは平凡な小市民には理解し難いものであり、それは記憶を失った狩人からすれば更に難解なものとして映る事だろう。
だがこれはその中でも常軌を逸しており、明らかにあってはならない構造をしていた。
狩人は恐らく自分宛であろう招待状を拾い、そして迎えに来た馬車に乗ってこの城へやって来た招待客だ。
招待客に対するこれまでの狼藉はまだ看過出来る────訳も無いのだが置いておくとしても、この道ばかりは許せなかったらしい。
「むぅ…」
納得が行かない、文句を言わねば気が済まない。
そんな顔をした狩人は、近くに蝙蝠がいるのを鑑みてか、それともアルフレートの事を思い出してか大人しく順路通りに進む事とした。
一歩横へ足を向ければそこは城外の地面であり、落下すれば雪のクッションなどはろくに機能せず地面に激突し、そのまま死に至るだろう。
余計な想像を頭を横に振る事で飛ばし、狩人は細い屋根へと降りた。
そこから更に少し歩き、今度はまるで幅の無い三角錐の屋根の上を、その屋根に張り付くようにしてしがみつく事で進んで行く。
恐怖に震える足は辛うじて屋根の足場へ収まっており、目から流れる涙は屋根に引っ付いて潰れている柔らかい頬を伝い、雪の一部へと溶け込んでしまう。
やがて下に見えていた細屋根の真上へと辿り着いた狩人は、ゆっくりと屋根を放しつつ、下の屋根へと飛び降りた。
高さこそないが恐怖に心は縮み上がっており、震える足は少しばかり休憩を要している。
ろくに拭う事も出来なかった涙を冷気で凍ってしまう前に拭い上げた狩人は、少なくとも鉄柵によって落下の危険は少なくなっている三角屋根を歩く。
その途中にあるのが、恐らくは一番の関門である二つ目の三角錐屋根だ。
ただでさえ危険なその丸い屋根に、今度は柵の無い部分から飛び降りなければならないらしい。
慎重に体重を移動させ屋根に手を着いた狩人は、体を下ろしその場に座るような体勢で屋根へと飛び降りた。
確りと両足が着いた瞬間に力を入れて全力で前に体を移動させれば、一つ目の三角錐屋根でしたように体の前面を屋根に張り付ける事が出来る。
素早く動いた事で勢い余ってぶつけた頬は痛むが、狩人はそんな事よりも降りる事に成功した幸運を噛み締めている。
降りた時と同様に慎重に回って行くと、今度は中々に高い位置から飛び降りる事で下の通路へと着地した。
「絶対おかしい…!」
涙声でそう言う狩人の両足は着地の衝撃で痺れているのか、それとも恐怖からのものか、膝が笑ってしまっている。
一度目の倍は取ったであろう休憩の後、狩人はようやく確認出来た梯子へと歩き始めた。
通路の途中には死体が一つ座っており、自分が歩いた道は間違いでは無かったのだと安心すると同時に、この死体に哀れみと共感の念を覚えている。
その死体の脇に、狩人は不思議なものを見付けた。
球体のそれはまるで血が丸く固まったような見た目をしており、持ち上げてみれば柔らかいような固いような、そんな感触が手の平に伝わる。
少し力を入れればその塊は砕けてしまい、同時に比較的大きな血の遺志が狩人の中に流れ込んだ。
遺志が流れ込む感覚と共に、狩人はこれに似たものを今まで何度か目にしていたのを思い出す。
"それらを拾っていたのなら、もう少し楽に遺志による強化が出来たのでは無いか"などと考えはするが、後の祭りと言うものだろう。
狩人は気を取り直して梯子を登る。
登った先にも鉄柵が用意されており、否が応でも"ここが正規の道だ"という認識をせざるを得ない。
狩人の中ではアルフレートの説明が大前提としてあり、この城は"悪者の秘密基地"のような扱いとなっていたのだが、構造だけ見れば間違っていないとも言える。
「やっと、着いた…!」
ここが恐らく終着点、カインハーストの頂上だ。
一層強く吹き荒ぶ吹雪が小さな体を叩くが、狩人はそれすら気にせずに思考に没頭する。
ここが頂上というのはわかった、わかったがそれが何だと言うのか。
屋根の頂上に至るまでに、アルフレートを城へと連れて来る算段は整わなかった。
招待状を用意出来そうな人間も見付からなかった上に、逃げ果せるのに夢中でろくに探す事すら出来ていない。
何度かの落ち着けるタイミングでも、その周囲に招待状などは存在しなかった。
"失敗"という言葉が脳裏を過ぎる。
『そこまで言うのであれば、もう一度期待させて頂きましょう』
「……うぅ」
また裏切る事になる、そんな不安と焦燥が狩人の胸を締め付ける。
その痛みから逃れるように歩き、辺りを見回す狩人の瞳に、大きな影が映り込んだ。
広い屋根のその最奥にポツンと一つ置かれた大きな椅子、玉座とも言えるそれには大きな人影が座っていた。
濃い吹雪のせいで途切れ途切れになってしまうが、やがて狩人の目にはっきりと、そのミイラのような腕が映る。
狩人が数歩進めば、何かが割れるような軽い音と共にその指が、腕が動き始める。
そんなまさかと狩人は臨戦態勢を取り、ミイラはそれに応えるように肩に掛かった得物を右手で掴む。
「オォォォ…」
決して大きくは無い、だが不思議と耳に届き重圧を感じさせる声を上げ、ミイラはその背中を椅子から完全に引き離した。
頭に王冠を携え枯れた両足で立つその姿は、明らかにただのミイラという様子では無い。
『その血族が、血族の長が、今もまだ生き残っている…』
「血族の、長…?」
叫ぶ事も、暴れる事もしない。
ただ己の背丈よりも長い鎌と、狩人の持つそれよりも大きい直剣を手にし立ち上がるだけで、狩人は気圧されている。
吹き荒ぶ吹雪を体で割り開きながら、"殉教者ローゲリウス"は歩き出した。
"先手を譲れば負ける"というのは狩人がこの夜で学んだ狩りの鉄則である。
それはあくまで"先に攻撃を貰えばその後の有利は取り難い"という事であり、"先に攻撃を仕掛けた方が有利"という訳では無い。
その威容に呑まれた狩人は、一先ず様子見として距離を置いたまま動く事にした。
ただ今回ばかりは、その作戦は失敗だったようだが。
「…?」
未だ狩人とローゲリウスの距離は離れている、間合いなど以ての外であり、どちらの武器も届かない。
狩人の短銃なら光球の補助があれば当たるだろうが、ただ撃つだけでは大した効果は見込めないだろう。
そしてローゲリウスの得物は大きいとは言えただの鎌と直剣だ、近付かない限りはお互いに何も繰り出せない筈だった。
にも関わらず、ローゲリウスはその鎌を振るう
瞬間、鎌の刃を包むように赤い光が立ち昇り、狩人の方へと振るわれた鎌に乗って飛び道具のように飛んだ。
直線ではなく揺れながら狩人にホーミングするようにして飛ぶ七つ程の赤黒い光は、それら全てが人面のような形をしている。
「ひぃっ…」
それなりの速度をもって追尾する人面に怯えながらも回避行動を取る狩人は、まるでその為にあるのだと言わんばかりに突き出ている屋根に身を隠す。
出っ張った屋根に直撃した人面は、その場で解けて空に消えた。
少なくとも一つの攻撃の対処法を手にした狩人は、調子を良くしたのか更に様子見に徹する。
顔だけを出し様子を見る狩人に、ローゲリウスは二度、三度と同様の攻撃を繰り出した。
もしや他の技が無いのかと身を乗り出そうとしたその瞬間、ローゲリウスは鎌を杖のように体の前に構え、屋根を突く。
鉄を打ち付けるような音が響くと同時に、赤黒い光がローゲリウスの頭上に集まり、大きな球体を成した。
今にも飛び出そうとしていた体を無理やり引っ込めると、狩人はその攻撃も今までのようにやり過ごそうと頭だけを屋根の陰から出している。
ローゲリウスの頭上から人面の弾幕よりも一段遅く迫るその攻撃は、やがて突き出た屋根に触れ────
「ぐぅぅっ…!?」
まるで内臓を全てひっくり返されたような衝撃を狩人に植え付けた
外傷は無く、当然出血もない
ただ攻撃を受けた事による"痛み"だけが狩人の体を貫いている。
「な、なんで…」
確かに身を隠していたのに、屋根に触れる所を見ていたのに。
にも関わらず狩人の体に攻撃は着弾していた。
それどころか攻撃は狩人の体を突き抜け、屋根を潜って行く。
大弾は物体をすり抜けるが、ダメージを受けるのは狩人のみに留められるらしい。
いつもの調子で"ずるい"と叫び倒したい気分だろうが、生憎とそんな余裕は無い。
荒い息を上げ痛みに喘いでいるからと言うだけで無く、先程の一撃でかなりの力量差がある事を理解してしまったのだ。
今は大声を上げるよりも、ローゲリウスの出方を見る事を優先している。
鎮痛剤代わりか輸血液を打ち込みつつ様子を伺う狩人に対して、ローゲリウスは人面を飛ばす攻撃を、牽制のように繰り返す。
充分な休息と言うには今一つかと言った所で、再び障害物を無視する攻撃が放たれた。
輸血液の効果は確りと出ており、もう一度同様の攻撃を受けた所で夢送りにされるような事は無いだろうが、二発目を受ける気は欠片も無い。
障害物としていた屋根から飛び出した狩人は、牽制として放ったであろう人面を体勢を低くする事で躱し、ローゲリウスに近付いた。
「やぁっ!」
走りざまに振るわれた直剣による斬り上げを受けても姿勢を揺らがせる事もしないローゲリウスは、狩人を退けるようにして鎌を薙ぐ。
たとえ武器による攻撃でも易く見れば致命傷になりかねないとして、狩人は全力をもってその一撃を躱す。
だがその一振りは鎌の刃を立てたものでは無く、明らかに別の狙いを優先し振るわれたものだった。
「ぅぶっ!?」
直後、剣を振り下ろした狩人の真横の空間が"爆ぜた"。
何も無かった筈のその空間には、赤黒い瘴気が漂っている。
恐らくは先程の鎌の一振りで置いたものを、狩人が攻撃を仕掛けた瞬間に起爆させたのだろう。
渇ききり、枯れきったその体はまるで生気を帯びていない。
にも関わらず、その技術は今が全盛だと言わんばかりに冴えている。
「ぁ…」
爆破で体勢を崩した狩人の体に、人面の弾幕が襲い掛かる。
並べられたそれは隊列を正すようにして中心に、狩人の体により近い弾へと集まるようにして進む。
躱しきれないと悟ってか咄嗟に変形させた大剣を前に構えて盾とした狩人だったが、当然それだけで防げる威力では無く、弾かれた大剣を潜るように別の弾幕が狩人の胸に着弾した。
「…僕は大丈夫」
夢に送られ、地面から起き上がり放った一言には、活気が殆ど篭っていなかった。
のろのろと歩く様は、まるで大岩でも引き摺って運んでいるようにも見える。
「大丈夫、大丈夫…」
何度も繰り返すその言葉には魔法など掛かっていない。
ただ喉を震わせる事で発せられる音の羅列であり、言葉にする事で何かしらの力が得られるような事も無い。
そんな痛みや苦しみを我慢し易くなる気がするだけのおまじないを唱えながら、狩人はエレベーターのレバーを引く。
霊の合間を駆け抜け、梯子を登り、途中で突き刺さる矢の痛みは無視して進む。
淡々と作業を進める狩人は、別に感情が死んでしまった訳では無い。
心中ではローゲリウスの攻撃に対して文句を募らせているし、刺さる矢の痛みを叫び出したい気分に駆られている。
それでも口に出さないのは────
「大丈夫、大丈夫…!」
おまじないが魔法になるように。
唱えるだけで問題は無くなると自身に思い込ませる為に、それ以外の音を出す事を避けたいからだろう。
"またあの屋根を通らなければいけないのか"という弱々しい本音も何とか抑え込み、狩人はおまじないを唱えながら細屋根の上を歩いて行く。
三度目の飛び降りと着地を成功させた先の梯子を登り、狩人はあの空間に辿り着いた。
入って直ぐの所に立っている小さな光の柱に触れて遺志を回収した狩人は、ローゲリウスの姿をその両目に捉えた。
既にローゲリウスは鎌を振るっており、人面型の瘴気が七つ、狩人の方へと迫る。
牽制として放たれた初撃を屋根で防ぐと、そこからは長い膠着状態が続いた。
弾幕が見えれば屋根を盾にし、大弾が飛ぶようなら別の屋根の陰へと駆け込む。
それを十数度繰り返した狩人の体は、雪に晒された事ですっかりと冷えきってしまっていた。
「ずびっ…」
震えながら肩を抱えて屋根の陰からローゲリウスを覗き見る狩人は、だがこのままでは死ぬだけだと言う事を悟る。
雪に体温を奪われた状態では刻一刻と体力を削られて行き、直ぐにでも回避すら出来ない程に消耗してしまう。
このまま更に長時間過ごせば凍死も有り得ない話では無いだろう。
現時点で勝ち目は見付かっていない。
唯一得た情報と言えば、吹雪の中での戦闘は狩人にとってデメリットでしか無いという事。
戦闘において最も重要視するべき自身の五体が冷えてしまう事を懸念すれば、電撃戦とは言わないまでも、出来るだけ短期戦を心掛けたいという事くらいだ。
埒が明かないこの状況で削り殺されるくらいなら、と剣を鞘に納めた狩人は、大剣へと変形したそれを両手で握る。
"次の挑戦"へと賭けた特攻、それは狩人がこの夜の、狩人の夢のシステムに慣れた証でもある。
屋根の陰の左から飛び出した狩人は、体の右側に大剣を構えて走る。
攻撃が貫通するとなれば重い盾など頼りない事この上無いが、それでも無いよりはマシな筈だ。
再び張られる弾幕の合間を縫うようにして進んだ狩人は、走る勢いそのままに大剣を振り下ろす。
「くらえっ!」
前への推進力と狩人の体重、大剣の自重を全て込めた一撃は、弾幕を放った直後で無防備なローゲリウスの胴に命中する。
が、致命となるような感触は全くと言って良い程手に届かない。
そして外へ振るった鎌を内へと引き戻すようなその一撃が、狩人の脇腹に突き刺さる。
柄の長さに比べて短いように思えるその鎌の刃も、狩人の体と比較してしまえば立派な武器だ。
脇腹に命中し肋骨を砕いた鈍い刃は、肺と食道を一緒くたに貫き、反対側の肋骨を解放させながら突き出した。
反対側から零れ落ちる白い欠片は、解放した肋骨の数本、その一部が砕けた状態で体の外側へとまろび出てしまったものだろう。
「ウオォォッ…!」
「くぷっ…」
軽い音と共に狩人の鮮血が小さな口から泡のように溢れ出す。
肺ごと貫かれたせいか、そこに溜め込まれていた空気が、食道を迫り上がる血にも多分に含まれている。
振り下ろした大剣は地面に着いている、だと言うのにそれすら支えきれなくなったようで、狩人の両手はその柄を手放した。
「僕は大丈夫…」
譫言のように大丈夫と繰り返す狩人は、一種のノイローゼのような状態だ。
狩人の中で"大丈夫"という言葉は、夢で自身を待つ人形と結び付いている。
そのおまじないは、帰る場所を見失わないように。
記憶を失ってしまった自分が、死後に送られる場所すらも忘れてしまわないように、重ねるように呟いているのだろうか。
だが決して言葉通りとは言えない状況に、狩人は陥っている。
三回目の挑戦で、狩人はいつも通り落とした遺志を拾い、弾幕を潜りながらローゲリウスへと近付く。
二回目よりも素早く辿り着いた間合いの内側で、狩人は更に距離を詰める事で鎌での攻撃を封じた。
後はいつも通り斬撃を────という所で狩人の真後ろが爆ぜ、背中に灼けるような痛みを感じた狩人はふらつく足で後退を始める。
その瞬間を狙ったように、直剣を握っていた筈のローゲリウスの左手が細首を掴み上げた。
ゆっくりと持ち上がる体は直ぐに地面から離れ、逃げ出そうと藻掻く狩人が取り落とした直剣が音を立てて屋根に突き刺さる。
ローゲリウスは更に狩人を高く持ち上げると、右手の鎌を短く持ち、その刃で狩人の鳩尾を貫いた。
ささやかな抵抗は胸から背中までを貫かれた時点で弱まり、やがて狩人が沈黙した頃にローゲリウスは鎌を両手で持ち直すと、狩人の体を鎌で投げ飛ばす。
突き出た屋根に激突し、そのまま視界は暗くなって行く。
いつの間にやら屋根に突き刺さっていた大振りな直剣を抜き放つローゲリウスの背中を見ながら、狩人は三回目の挑戦に失敗した事を理解した。
四回目の挑戦でも間合い自体はそれほど変わらなかった。
梯子を登り、屋根を歩き、遺志を拾って戦いが始まる。
但し必要以上に近付く事は無く、ローゲリウスにも鎌を振るう余裕が出来る程度の間合いが空けられている。
となれば当然近距離で弾幕を張られるのだが、その全てを何とか避け、凌ぎながら狩人は"その時"を待った。
数度の弾幕を躱した時、ローゲリウスは瘴気では無くただの攻撃を振った。
何も宿っていない、ただ強いだけの鎌の一撃を、狩人は冷静にパリィする。
水銀弾の威力自体は、今の狩人では微々たるものだ。
だが確りとタイミングを合わせたそれは、ローゲリウスの体幹を崩す事に成功した。
「こ、れ…でっ!」
突き込んだ直剣を捻り、斬り裂くようにして持ち上げる。
勿論ダメージはあるが、やっとの思いで入れた一撃にしては軽過ぎるものだ。
後は慣れ次第で戦況を変える必要がある。
起き上がるローゲリウスの体へ何度か斬撃を刻んだ狩人は、先程と同様ある程度の距離を取る。
弾幕を凌ぐコツは既に掴んでいるようで、突然放たれる大弾や置き弾も躱し、再び耐久戦が始まった。
時間的猶予が無い状態での耐久戦は狩人にとって辛いものがあるが、この戦法こそが狩人に最も適したものとなれば話は別だ。
振られた鎌を逸らすようにして、右腕の上腕に水銀弾を撃ち込む。
やはり大きなダメージとはならない、だが狩人はパリィのタイミングを確かなものとした事で少し調子を上げたらしい。
「もう、倒れて…っ!」
今まで通りの強敵ならこの程度で倒れない事はわかっているが、一線を画す強さに耐久力まであるのだから、そう思いたくもなるだろう。
突き込んだ直剣を抜き放ち、数度斬撃を浴びせてローゲリウスから再び距離を取ろうとした狩人は、その体が中々起き上がらない事に気付く。
「オォォォッ…」
左手の直剣を屋根に突き立てたローゲリウスは、何やら呻き声を上げたまま立ち上がろうとしない。
"まさか思いの外ダメージが蓄積していたのか"と近付いて行き直剣を振り被った狩人は、その視界の端にローゲリウスの直剣が映る。
瘴気を身に纏い、まるで炎のように立ち昇らせる直剣が。
「ぐぇっ…!」
刃が届く寸前、狩人の体が吹き飛ばされる。
ローゲリウスの体────では無く、瘴気を纏った直剣を中心にして、衝撃波が飛んだのだ。
吹き飛ぶと言っても狩人は直ぐに着地し、ローゲリウスの方へと体を向ける。
それでも行動は遅かったらしいが。
「なん、で…?」
衝撃波を受けてしまうという事自体が、狩人の体では既に詰みとなるのだろう。
もう少し背丈があれば、もう少し重い体をしていれば。
そんな無いもの強請りをしている狩人の体を、ローゲリウスの直剣が貫いていた。
斜めに貫通する直剣は突き抜けた先で血を滴らせており、屋根に積もった白い雪が狩人の血で汚れて行く。
トドメと言わんばかりに短く持った鎌が振り下ろされた先は、狩人の左肩。
と言うよりも首元や鎖骨と呼んだ方が近いだろう。
骨の間から滑り込んだ刃は狩人の心臓を貫き、その息の根を止めた。
五回目の挑戦。
小さな声で大丈夫と呟く狩人は、勝利のイメージが中々思い浮かんでいないようだ。
とは言えやらなければならない。
今までの挑戦ではショートカットの道を通っていた故にその道にあるものしか見ていなかったが、やはり便箋などは見付かっていないのだから。
屋根の上へと現れた狩人に、ローゲリウスは変わらず鎌と直剣を手に歩み寄る。
対する狩人は遺志を拾った直後から全力で走り寄り、その直剣を構えている。
ローゲリウスは近付いて来る的に向かって、人面の弾幕を張った。
それを前へと滑り込みながら躱した狩人は、速度を落とさずローゲリウスに接近し、直剣を振るう。
鎌の柄と刃が重なり、火花を散らす。
押し込めど押し込めど位置は変わらない。
今まで罹患者や獣どもに優位を取れていた膂力すら、ローゲリウスには通じなかった。
半ばヤケのように攻撃を続ける狩人に応戦するようにして、ローゲリウスも鎌を振るう。
三合ほど打ち合った時点で攻撃は全て受け止められてしまっており、その直剣がミイラの体を傷付ける事は無かった。
とは言え攻撃が通用しない程度で諦める訳には行かない。
「ふっ…!」
攻撃に重きを置いていた為か、ローゲリウスが振るった鎌にパリィが間に合う事は無いだろう。
そう悟った狩人は胴体を狙って薙ぎ払われる鎌を、直剣を屋根に突き立てる事で受け止め、抑える。
ただ抑えられるだけの相手では無い事を当然狩人は理解しており、それに反応して引き戻される鎌の上に足を掛けた。
始まりはガスコインとの戦闘で見せた動きであり、コツを掴んだヘムウィックの森での短い戦闘からは未だ一時間と経っていないだろう。
敵を足場として反撃を繰り出す戦法を、狩人は徐々に自在なものとし始めていた。
鎌から腕、そして肩と足を掛けて登る狩人は、いよいよ首に辿り着く。
"攻撃が防がれてしまうのなら、防げない体勢に持ち込む"
銃撃によって動きを封じ、決死の一撃を捩じ込む"パリィ"という業の理念に通ずるものでもあるその考えで、狩人は両足をローゲリウスの首に巻き付ける。
そのまま重心を横に倒し、両足と銃をしまって自由になった左手で確りと掴んで固定したローゲリウスの頭ごと、狩人の体は横へと向いて行く。
「っ…!」
幾ら狩人が軽いと言えども、首一本から背中に伝わる重みと倒れ込む勢いは、枯れきったミイラの五体に堪えたらしい。
高度が低くなって行く狩人の体に合わせて、ローゲリウスの体も傾いて行く。
突然の攻撃だからこその効力。
狩人が繰り出した攻撃は一瞬の内に体幹を奪って見せた。
倒れ膝を着く合間にも、ローゲリウスは反撃として左の直剣を狩人に突き出す。
狙いは胴体、その側面。
鎌でそうしたように、狩人の脇腹から刃を貫通させるつもりなのだろう。
それを察知した狩人は一度足による拘束を外し、片脚のみでローゲリウスの首にぶら下がる。
手を伸ばし屋根から抜き放った直剣を真横に振るえば、両者の剣が交差した。
金属同士が擦れ合う音を立てて弾かれたのは、狩人の直剣。
体勢の有利も膂力の差もある状況では、仕方の無い事だろう。
これ以上は厳しいかと歯噛みしながら、狩人はもう片方の脚を首から外し、屋根へと降りる。
とは言え"ローゲリウスを相手にパリィ無しで片膝を着かせた"、というアドバンテージは動かない。
屋根を削りながら狩人に低く振るわれた直剣を飛び越えながら、狩人は自らの剣を背中へと向ける。
刃を納めた鞘から鋼が噛み合うような金属音が響くと同時に、小さな背の後ろにあった大剣が姿を現す。
変形と同時に繰り出された斬撃は、その自重も相まって長柄の鎌では追い付かず、ローゲリウスの胴を袈裟掛けに斬り裂いた。
「ウゥゥゥッ…!」
「やっと、一回…!」
欲張る事はせず、狩人は一撃の後に離脱する。
ゆっくりと立ち上がるローゲリウスを尻目に大剣を背負い直し、直剣を分離させると、今度は短銃を構える。
狩人が四度の戦いで理解したデメリットは、何も短期決戦必至という事だけでは無い。
ローゲリウス相手に致命傷を負わせるにはやはりパリィしか無く、それをする為には近付いて攻撃を振らせなければならない。
だと言うのに近付けば弾幕や置き弾によって回避を余儀なくされ、それらを躱す為には集中力を多分に割く必要があり、ただでさえ少ない体力を必要以上に要求される。
つまる所、ローゲリウスは狩人にとって天敵と言っても良い能力と戦場を持ち合わせていた。
長いようで一瞬の合間に行われた攻防の後、狩人とローゲリウスは睨み合いの様相に入る。
吹き荒ぶ風とお互いの足が雪を踏み締める音のみが響く静かな戦場は、直後鎌が瘴気を纏った事で幾つかの音が増える事となる。
瘴気が集まる不吉な音とそこへ走り寄る軽音、鎌が薙がれる風切り音とそこから放たれた瘴気の群れの鳴き声。
そしてそれらを屋根の斜面に合わせて低く滑る事で避け、雪が巻き上げられる音。
短く繰り返される呼吸音は次第に震え始めており、狩人に残された猶予が刻一刻と縮まっている事がわかる。
それに反するように、瞳に宿った獣性が狂暴さを増している事も。
「ふーっ…!」
排熱でもしているのかと思える程に濃い白が、狩人の口から吐き出される。
強く前へ出る足はざくりと雪を踏み鳴らし、その音から今までよりも一段と強く踏み込んでいるのがわかる。
直後に飛び出した狩人の体は、獣のように荒々しい動きをしていながら、迎撃に振るわれた鎌に合わせて冷静にパリィを行った。
大きく崩れた体勢を正そうとするローゲリウスの懐に飛び込んだ狩人は、光球が今も輝いているその中心に、直剣を捩じ込む。
幾ら抉ろうと力を込めても、剣は岩にでも突き立てられたかのように動きを封じられている。
それでも、と少しでも大きなダメージを狙う狩人は、骨の合間に沿わせるようにして剣を真横へ払う。
血を噴き出しながら更によろけたローゲリウスだが、未だ致命とはならなかったようで、鎌を杖としてゆっくりと立ち上がる。
どれだけ攻防を重ねても、ローゲリウスの動きは変わらない。
今までの強敵なら起こっている筈の"行動の変化"がまるで見られず、狩人は焦ると共にそれだけの強敵なのだと認識を改めた。
それからは特筆すべき攻防など起こらない。
弾幕を躱し、振るわれた鎌に銃撃を合わせる。
そしてよろけた所に直剣による突きを入れる。
ただそれだけの攻防が数度続いた所で変わったものがあるとしたら、それはローゲリウスの行動と
「はっ…はっ…はっ…」
低下した体温と、それによって目減りして行く狩人の体力だろう。
ローゲリウスの行動が変わったとは言ったが、それは狩人の主観。
それもパリィ直後の一瞬で察知しただけであり、続くかはわからないもの。
先程までは起き上がって直ぐに再開していた弾幕が、今回は起き上がっても撃って来ないのだ。
どころか直剣を構え、屋根に突き立て動かない。
数秒と経っていないが、その直剣に瘴気が集まっているのを視認した瞬間に、強烈な予感が狩人の脳を襲った。
剣を納め大剣とし、素早く自身の前へと持って来る。
盾のように扱った大剣越しに、分厚い瘴気の膜が狩人の体を叩いた。
「ふぐぅっ…!?」
大剣だけで防ぎきれるものでは無い瘴気によって、狩人は真後ろへと吹き飛ばされる。
転がった先で起き上がった狩人が瘴気の出処を向くが、それは既にローゲリウスが狩人を斬り殺さんと踏み込んだ後だった。
「っぐぅ!?」
咄嗟に構えた短銃の引き金を引くよりも速く振るわれた鎌の刃が、狩人の左前腕を貫く。
痛みに耐えかねて取り落とした短銃が地面に当たる頃には、次の攻防が始まる。
貫かれた左腕をどうにか抜き、狩人が懐から取り出したのは一本の試験管。
アデーラの血が入った試験管を、狩人は口に咥え、噛み砕いた。
「っづ……んく、ぅ…」
こくりこくりと音を立てて暗い血が喉を通る度に、狩人の胃に落ちる血が中心となり、腹部から体全体にかけて異質な熱が伝わる。
荒くなる息は熱を持ち、まるで狩人の体そのものが発熱し始めているようだ。
試験管を噛み砕いた口内にはガラス片が散らばり、粘膜を傷付け血が滲み出る。
刺さった欠片を器用に舌でこそげ取り、吸った空気と共に勢い良く吐き出すと、次の瞬間には傷は一つたりとも残っていない。
鎌を引き抜いた事で溢れる血すらも少しずつ減り、貫通している傷もジワジワと塞がって行く。
"輸血液で傷が治るのなら、貰った血はその為のものでは無いか"と、咄嗟に零れ落ちたそれを咥えた狩人だったが、現れた効果は輸血液以上のものだった。
視線や態度は恐ろしいものを感じるが、思いやってくれたのだからとアデーラに心中で強く感謝して、再びその両目をローゲリウスへと向ける。
対するローゲリウスは瘴気を纏った直剣を屋根へと突き立て、鎌を両手に構えて狩人へと振り下ろした。
それを一度横へ躱し、反撃のために剣を構えた瞬間、狩人を目掛けて幾つかの風切り音が響く。
飛来する何かを視線もくれずに回避しながら、狩人はローゲリウスの鎌に対処する。
途中でその何かによって掠り傷こそ受けるが、気にせず狩人は攻防へと集中している。
何度目かの激突の後、両者は揃って一歩退がった。
束の間という言葉が見事に当て嵌るであろうその休息で、だが狩人は思うように息を整える事も出来なかった。
その目には幻想的とも、或いは絶望的とも言える光景が映っている。
瘴気で形取られた無数の剣が、まるで魚群の回遊のように宙を舞っているのだ。
その群れから外れた幾つかが狩人の方へと進路を取り、素早く鋭く飛来する。
呆気に取られながらも全てを躱し、狩人は突き出た屋根へと身を隠す。
奇しくもそれは最初の内に取っていた戦法と似た形だが、状況だけなら狩人は圧倒的に追い込まれており、調子で言えばこの五回の中で最も好いものだろう。
アデーラの血の効果は今も健在らしく、先程から飛来していた剣による掠り傷もゆっくりと塞がっている。
効果時間こそ把握出来ていないが、攻めるなら今だろう。
意を決した狩人は、屋根から身を乗り出し真っ直ぐにローゲリウスの元へと走って行く。
「今っ」
ほぼ同時と言ったタイミングで狩人に歩を向けていたローゲリウスは、狩人が障害物を捨てた時には鎌を両手で持ち上げていた。
ならばそれが振り下ろされるタイミングに合わせるだけ、狩人にとってはそれだけで攻撃を確実に当てる事が出来るチャンスが生まれるのだ。
元より得意だった銃撃は、ことパリィに於いては余裕さえあれば確実と言える程に洗練されていた。
飛来する剣の群れを避け、体勢を崩したローゲリウスの胴へと直剣を振り下ろす。
濁った血が狩人の体を汚すが、それも気にせず一撃離脱の戦法に則りその場を離れる────
事はせず、狩人は直剣の向く方向を手首から変えて斬り返し、手の平を滑らせるように柄を回すと斜めに突き込んだ。
一撃の威力自体は低いが、最後の突きは効き目があったようで、膝を着いたローゲリウスの姿勢が更によろける。
いよいよ焦り始めたのか追撃を入れようとする狩人だが、瘴気の剣が押し寄せて来るのを無視する事は出来ず、慌てて直剣を引き抜き後退する。
地面に突き刺さる剣は、どれもが着弾直後に消滅している。
人面の弾幕同様、大弾のような物質をすり抜ける特性などは持ち合わせていないらしい。
アデーラの血による発熱が治まり始めている、ここで負ければ今までの奮闘が無に帰す。
焦りは加速し狩人の手に力が入るが、それを解したのは他でも無いローゲリウスだった。
ミイラの巨体は立ち上がらない。
狩人が思っているよりもダメージの蓄積はずっと多かったようで、ローゲリウスは膝を着いたまま鎌を持ち、だが起き上がろうとはしなかった。
しないと言うよりも、出来ないと言う方が正しいだろう。
時間を掛ければ出来るのだろうが、それをして隙を見せれば押し切られると、自身でそう考え反撃に徹する構えを取る程にローゲリウスは消耗しているのだ。
それを見て攻撃の手を緩めてやる程狩人に余裕は無く、当然手に持った剣は勝利を狙って動き始めた。
いつの間にやら止んでいた剣の雨の代わりに枯れた左手に握られた直剣を、走りながら変形させた大剣で無理やり叩き下ろす。
屋根に激突したその剣を踏み付けると、狩人は大剣を振り上げ、大上段に構えた。
ローゲリウスが右手に携えている鎌では、間合いが近過ぎるが故に狩人を攻撃する事が出来ない。
必然的に左の直剣を使うしか無いのだが、今は封じられている。
狩人の踏み付けによる拘束が解かれるとすれば、それは大剣が振り下ろされた瞬間だろう。
大剣が命中し、骨が砕ける音が響く。
今までの攻防の中で一段と大きな手応えが狩人の手に伝わり、"完全に鎖骨を断ち斬った"という確信が芽生える。
勝利に一歩足が掛かったが故か、直剣に乗っていた狩人の足は、僅かにその重心をずらしてしまった。
「オォォォッ…!」
「ぅぎぃっ…!?」
瞬間、狩人の足場が掻き消え、目線がガクリと落ちる。
急な視界の変化に狩人が対応するよりも速く、怨念の篭った直剣が昇るように持ち上げられた。
その刃が通った場所は、一瞬前まで狩人の右腕が存在していた筈だ。
「こ、のぉ…!」
右腕の肘から先を斬り飛ばされた事で鮮血が雪に舞い散るが、その出血を止めようともせずに、残った左手で大剣の柄を握る。
そこから直剣を勢い良く外した狩人は、自身の胴目掛けて迫る剣の切っ先を避ける事も、それを逸らす事もせずにローゲリウスの頭を狙った。
「グオォォォッ…!?」
驚愕か、恐怖か。
或いはそのどちらもが含まれた唸り声は、元々発せられていた声とは大きく違っている。
下顎から脳天までを剣が貫通していれば無理もない話だが。
「ぐぶっ…げぇっ…」
だがそれは狩人もまた同じ。
貫かれた右胸を通して、まるで粘性でも持っているかのような重たい怨念が、瘴気がどろりと流れ込む。
質量など持たない筈のそれが、貫いた肺を埋めようとしているのだ。
互いが互いを殺しきらんと、その手に力を込め、得物を捻じる。
抉り殺せ、穿ち殺せとその得物に、その身体に命じ続ける。
ぴしぴしと耳を打つのは、雪がぶつかる音ではなく骨に罅が入る音だ。
数秒か、数十秒か。
最早狩人も人の言語を介さず、ただ唸り声を上げながら剣に渾身を込めている。
ようやく響いた骨の破砕音はどちらのものか。
初の邂逅でお互いを隠した吹雪が、またも勢いを強め始める。
体温と体力を奪われる心配は、既に必要では無くなっていた。
するりと、左手が柄から落ちて行く。
まだ戦えると言いたげな手付きは中々指を柄から離さないが、恨めしそうに、悔しそうに最後の一本が離れ、落ちた。
処刑隊の装束
かつて殉教者ローゲリウスが率いた処刑隊の装束。
後の教会装束の基礎であり、聖布も厚く垂らされている。
死体が抱えるように持っていたものだが、果たしてこれの持ち主はその死体だったのだろうか。
善悪と賢愚には何の関係も無いと、ローゲリウスはそう言った。
だが善が故に賢しい者がいるように、愚かしいが故に悪となってしまった者もいる。
きっと狩人は愚かで賢しく、そして自身は善のまま悪を成したと思っているのだろう。
尤も狩人が定めた悪とは死を齎す事であり、悪を成したと断ずるのは狩りの夜で"人"と呼べる者を手に掛けたと、そう信じているからだが。