少女の微睡、月香の夜。   作:かなしいな

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狩人、女王に拝謁する。



※第二十一話、一部過激な描写があります。


狩人の酩酊、血族の長。

肉から刃を抜く音と同時に、金属の塊が転がる音が二つ響く。

音の主は狩人が持っていた直剣と、ローゲリウスが振るっていた直剣。

比べれば変形前と変形後程の差がある二振りの剣が、今は交差してその場に落ちている。

それに遅れて鳴った雪を潰す音は、ミイラが膝を着く音だった。

 

勝利を収めたのは狩人、敗北を喫したのは殉教者。

剣から手を離したローゲリウスは、狩人を見つめながら倒れ込み、その体は積もった雪に触れる前に消滅した。

 

「はぁっ…けぷ」

 

疲れきったように白い息を吐いた直後に、気が抜けた所為か狩人の口から僅かに血が漏れる。

今も胸と右腕から流れ出る血は失血死目前と言った量をしており、狩人は内心焦りながらも疲労故か緩慢な手つきで輸血液を取り出し、注入する。

 

しかし傷はなかなか塞がらず、むしろ出血量に負けて意識はどんどんと暗く沈んで行く。

やがて死の回避を諦めたのか、狩人はよろよろと灯りの方へと歩き、その途中で足を縺れさせ倒れ伏した。

それでも何とか灯りの前へと辿り着くと、残った左腕を翳す事で光を灯す。

 

「はぁぁっ…」

 

辺りを薄らと照らす青白い光に安心したその瞬間、狩人の体に血の遺志が流れ込む。

ローゲリウスのものであろうそれはやはり多大なもので、一瞬にして狩人の意識を遺志による高揚へと向けた。

狩人は遺志に抗おうとはせず、今も自身の体を覆わんと降り積もる雪の冷たさすら忘れ、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

意識が戻った狩人がいたのは夢の中だ、あのまま死を迎えたのだろう。

勝利はした、現に狩人は一度ローゲリウスの遺志を味わっている。

問題は、アルフレートがカインハーストへ至る理由を見付けていない事だ。

 

「ど、どうしよう…」

 

見る見るうちに狩人の顔が青く染まって行き、その心中は焦りに塗り潰される。

頭を抱えようと持ち上げた両腕はどちらも揃っており、狩人はようやく欠損した腕が元通りになっている事に気付いた。

 

大事にして来た己が身の無事にようやく気付いている辺り、その焦りは最早心中のみに押し込められるものでは無い

しっかり生えている腕にギョッとしつつも、それはそれとして狩人は頭を抱え込む。

それから暫く悩んで、狩人は墓標へと歩き始めた。

 

目的地は当然カインハーストの城だ。

まだ見ていない場所はある、ならばそこに招待状が無いとも限らない。

何とか希望を捨てないまま、狩人は転送されて行った。

 

 

 

転送先はローゲリウスを打ち倒した事で現れた、カインハーストの頂にある灯り。

吹雪は僅かにその勢いを弱めているようだが、高度のあるこの場が冷えている事に変わりは無い。

 

この場に転送されたのは、ただ遺志を拾う為というだけだ。

ここから城内に戻る事は出来ないのだから、拾った後は再び夢へと戻り、もう一度城門近くにある灯りへと飛ぶ必要がある。

────筈、だったのだが

 

「…王冠?」

 

狩人は屋根の上に一つ、夜闇の合間から降る星々の光を反射する何かを見付ける。

手に取ったそれは正しくローゲリウスが頭に戴いていた冠だ。

いたる所に宝石が散りばめられた絢爛な冠は、僅かな光を四方へと反射させ、その幾つかが色を持って狩人の顔を照らす。

 

「わぁ…」

 

元の持ち主は枯れ果てて尚健在と言った巨躯をしていたからか、今も狩人が好奇心に突き動かされるままに弄り倒している冠は、狩人の頭を優に二周りは超える大きさをしている。

所謂"少女趣味"と呼ばれる癖を狩人も持っているようで、冠をクルクルと持ち替え忙しなく眺める表情は、今まで夜を歩いて来た中でも稀有な輝きを浮かべていた。

 

何となく、という言葉で済まされる気紛れで、狩人はそれを頭に載せる。

ただ載せようとするだけで頭が冠を通り抜けてしまい、四苦八苦しながらも引っ掛けるように戴いて見せれば、突如吹雪が勢いを増した。

 

「うわっぷ…」

 

顔に叩き付けるようにして降る雪に反射的に目を瞑った狩人は、視界が確保出来た瞬間、有り得ないとでも言いたげな顔で目の前にある"それ"に目を奪われてしまった。

頂であった筈の屋根の上に、更に小さな城が一つ経っている。

違法建築にも程があるその城は、つい先程までは何も無い空間が広がっていた筈の場所に、ただ存在していた。

 

それを見て絶句する狩人は、今まで体を叩いていた吹雪が和らいだ事で気を取り直す。

頭に載った冠は吹雪の勢い故か首に掛かっており、持ち上げて外しても城は消えない。

果たして幻覚か否かと確かめるように城へ近付けば、触れて確認するまでも無く、荘厳な雰囲気と存在感に圧倒されてしまう。

 

つい先程までは壁があった筈の入口から足を踏み入れれば、小さな闖入者を大きな影が歓迎する。

四本足のそれは上に人を載せており、そのどちらもが鎧を着込んでいる。

 

「ひっ…!?」

 

か細く呑まれた息は、直ぐに体温によって温められて溜め息として吐き出された。

 

「お、置物…」

 

狩人が見るなり怯えていたのは騎馬兵の像だったようだ、どれも精巧に造られており、幾つも並べられると正しく壮観と言える。

左右に像が並べられた道の先には、激闘の最中はどこに隠れていたのかと言いたくなる程に長大な階段が一つあり、左右にはやはり頂上に至るまで騎馬兵の像が並んでいた。

 

上りきった狩人が目にしたのは、またも石像が置かれた空間だった。

左手に長い杖を携え頭に冠を載せているのは、やはり王の像という事だろうか。

だと言うのに中には倒れているものもあり、扱いで言えば城内で散見された石像達とそう変わっていない。

 

とは言えここは今までとはまるで雰囲気が違う

厳かな空気が漂うこの場は、まるで謁見の時と言った重圧が存在し、狩人の足下を滞留している。

ままよと一歩踏み入った所で、狩人の脳と耳がそれぞれの情報に反応した。

 

「…訪問者よ」

 

「…っ!?」

 

耳朶を打ったのは女性の声だった。

妙齢のもので、如何にも表現し難い色気を孕んだ、耳を通り抜けて直接脳を撫ぜるような声。

だが狩人の脳が反応した感覚はそれでは無い。

啓蒙が、この場に踏み入った瞬間に芽生えたのだ。

 

記憶を持たず、夜を知らない狩人は、"それ"が芽生える瞬間を断定出来ていない。

何せ強敵との初邂逅と打倒した瞬間────だけでなく、今この場やヨセフカの診療所、果てはセーフティルームとさえ呼べるオドン教会に初めて立ち入った時にまで芽生えたのだから。

 

「人無きとて、ここは玉座の間。故なくばそのまま去り、あるいは我が前に跪くが良い」

 

尊大な口調、であるのにも関わらず、"それが当然"とさえ思える雰囲気をその声は持っている。

奥に見えるステンドグラスから入る光のせいか、声の主の姿はまだ視認出来ない。

それでも狩人は、"この城の主はそこにいる"と疑わず、歩き始めた。

 

その途中、狩人は左手側に見慣れたものを見付ける。

夢へと繋がる灯りがぽつんと一つ、この玉座の間に置かれていたのだ。

"何故こんな所に"と不思議に思いながらも一先ず灯し、狩人は声の主の元へと向かう。

 

ようやく見えたその姿は、何ともチグハグなものだった。

城主にしては"それっぽい"ような飾りの無い瀟洒なドレスを着たその人型は、ただそれだけならば趣味や文化と納得出来るが、頭に一つどうにも納得出来ないものを被っていた。

 

顔をすっぽり覆い隠すその鉄仮面は何を思って被っているのか、何を考えて被せられているのか。

首から下のドレスとはまるで釣り合わない重装甲に、狩人は笑いなど終ぞ漏れず、ただ混乱のまま歩むだけだ。

 

「あ、あの」

「…無礼者。この私を前にして、まだ歩を進めるつもりか」

 

遠くから響いていた声は、近付いて尚その迫力を失わない凄みがある。

尤もそれは、窘める一言だからと言うのもあるかも知れないが。

 

「穢れとて、私は女王。礼儀も知らぬ獣風情に、賜う言葉など持っておらぬ」

「な、何を…?」

「跪けと、そう言っておるのだ」

 

渋々と言った様子で、狩人はその場に片膝を着く。

鉄仮面のせいで顔色や表情はわからないが、少なくとも及第点は貰えたようで、狩人の体を射抜くように向けられていた威圧が和らいだ。

 

「あの殉教者めを葬ったのが、このようにか弱き女子とはな」

「殉教者…」

 

その言葉を反芻しながら脳裏に浮かぶのは、一つの事柄。

カインハーストを目指す理由となった、彼の言葉。

 

『私は師を解放したい。列聖の殉教者として、正しく師を祀りたいのです』

 

アルフレートが禁域の入口を前にして狩人に語った血族の情報、それに付随して知る事が出来た彼の目的。

"救いの重石として殉教者となった"とも言っていた。

とどのつまり、狩人が葬ったのは────

 

「…ぁ、あぁ…そんな、僕…」

 

狩人は消え入りそうな声で不安と後悔を漏らす

アルフレートが師と仰ぐ処刑隊の長に、狩人はその手でトドメを刺したのだ。

空回りだけならまだ良かった。

ただぬか喜びさせてしまっただけなら、謝って済む事だった。

 

手遅れだったのかも知れない、既に人としての理性など無かったのやも知れない。

それでも間に合っていた可能性は消えないのだから、絶望感や罪悪感も一入だろう。

その末端が、狩人の目から溢れ落ちた。

 

「…何を泣く、小娘」

「ぅ、ぁ…」

「随分と月の香りが濃いと思ったが…籠っているうちに鼻が曲がってしまったか」

 

落胆とはまた違った様子だが、"呆気ない"とでも言うような声音で女王は狩人から視線を一度外す。

もう一度戻した視線に、先程までの重圧はほとんど乗っていなかった。

最早敵として見てすらいないのだろう。

 

「フフ…だが良いものだ。血の質は置いておくとしても、どこか我が血族の末席と同じようなものを感じるよ」

「はぇ…?」

 

女王の世間話を傾聴する事で纏まらなくなった思考を一旦放棄したのか、ずびずびと鼻を啜る狩人はその顔を僅かに女王の方へと上げる。

和らかなその声音に、狩人は拍子抜けしてしまう。

 

殉教者として血族の長を封じ込めたローゲリウスは、狩人に襲い掛かりその体に死を刻み込んだ。

だと言うのに封じ込められていた血族の女王はどうだろう。

襲う事も、無為に傷付けるような事もしない。

ただ急に泣いた狩人に呆れるような声を上げただけで、その後は狩人に向けてか世間話を振っている。

 

アルフレートは確かに信頼出来る男だろうが、狩人はあくまで"アルフレートの意見"という一側面しか見ていない。

"ひょっとしたら血族とはそんなに悪くないものなのでは"という考えが、単純な狩人の心中にじわじわと広がり始めていた。

 

「ずぴっ……あの、女王様は、ずっと一人で…?」

「…あぁ、独りだったとも。愛しい血族達は裁かれ、孤牢鉄面の虜とされ、この玉座に釘付けのまま…」

 

血族に対して"気の毒だ"などと思うのは、教会の思想では悪だとしても、狩人にとっては当然の価値観だった。

"ずっと一人なんて考えられない、寂しいままでは死んでしまう"

心に空いた穴を塞ごうと人の役に立つ事ばかりを目指した狩人は、自分を信頼してくれた友人の思想に着いて行けなくなり始めている。

 

「貴公、月の香りの狩人よ」

「は、はいっ」

「私は血族の女王、アンナリーゼ。かつて栄えたこの城の、たった一人の生き残り」

 

女王アンナリーゼは肘掛けに腕を置き、その手を鉄仮面に添える。

気怠げだが、如何にも女王然とした姿で、アンナリーゼは狩人に問い掛けた。

 

「処刑隊の装束を着てこの城に、我が前に現れる…果たして何用かな?」

「…それ、は」

 

"貴女を殺したい友人がいる、彼の為に招待状を用意して欲しい"

そんな頼みを聞く気狂いはいないだろう。

或いはこの狂った夜では、探せば見付かるのかも知れないが。

 

「この服は、このお城で拾いました…えっと、気分を害したなら、すみません」

「殺戮の限りを尽くされ捨て置かれた城だ、抵抗した血族の手に掛かった者もいる。そのような事もあろうさ」

「処刑隊が、その…憎くないんですか?」

「憎いとも。あぁ、憎い…けれど私は教会の仇であり、今は敗者でしか無い。憎みこそすれ、教会に立ち向かうような力も無い」

 

たった一人しかいないのなら、ただこの城に籠っているだけなら。

"もう教会が気にする必要も無いのでは"と、そこまで考えた所で浮かぶのは、今は焼き棄てられた旧市街。

地下に籠っているだけの獣達を、狩人は殺した。

進む理由があったが、手に入れた聖杯はろくに使わず、使い方を知らぬままにここまで歩いて来てしまった。

 

旧市街を走り抜いたのは無意味だったのか、そう問われれば否と返せる。

何故なら成果物は未だその手にあり、手放す気もまだ無いのだ。

だが奪った命は必要な犠牲だったのかと問われれば、返答は出せないのだろう。

 

血族と教会には遺恨がある。

だからこそ、アンナリーゼが庇護していた血族達は無惨に処刑された。

だからこそ、アルフレートはこの地へと至る方法を探している。

聖杯を求めて旧市街を走った狩人よりもずっと崇高で、ずっと複雑な理念のぶつかり合いが、ここにあったのかも知れない。

 

「ぁ、あの…もしもの話なんですけど」

「聞こうか、その香りに免じて」

「もしも…処刑隊の人がまだ残っていて、このお城に辿り着いたら…女王様はどうしますか」

 

その言葉を聞いたアンナリーゼは、一つ溜息を吐いて語り始める。

 

「有り得ないとは言い難い"もしも"だが…其奴がここに来た所で、私を殺しきる事は出来ぬ。そして私は、その凶刃に歯向かう力など持っていない」

「死なないんですか…?」

「あぁ、血族の女王とはそういうものだよ」

 

事も無げにそう告げるアンナリーゼに、狩人はそれでも問いを続けた。

この夜で死なずの身なのは、何もアンナリーゼだけでは無い。

死んでも死を許されないという意味では、狩人もまた不死なのだ。

 

「痛いんですよ、苦しいんですよ、殺されるって。…死ななくても」

「痛みの程度こそあれ、その全ては私の生死に関与しないものだ。ましてや逃れられないとなれば、諦めもつく」

「…僕には出来ないです、痛いのも苦しいのも嫌です」

「そうであろうな。弱りきったその顔からして」

 

"侮蔑などでは無い、事実を述べただけだ"

仮面に隠れた顔にどのようの表情を浮かべているのかはわからないが、少なくとも狩人はその言葉に不快感を覚える事は無かった。

それ程に堂々とした声音で、アンナリーゼは淡々と語った。

 

価値観が違う、人の形をしているだけの別物。

"これは人などでは無いのだ"と、自身とまるで違う価値観を持つアンナリーゼを狩人は睨むように、羨むように見つめる。

そんな狩人にアンナリーゼは興が乗ったのか、くつくつと喉で笑いを殺しながら姿勢を持ち上げる。

 

「…こちらに寄れ」

「……へっ?」

「寄れと言っているのだ。廃城の女王の言は聞けぬか?」

「さ、さっきは来るなって言って────わ、わかりました…行きます…」

 

アンナリーゼが凄んだという訳では無いが、どこか有無を言わさぬ空気に狩人は腰を上げる。

感性が違うというだけで、その性格に難があるという訳では無い。

指図のような助言を一つくれてやったとは言え、狩人は礼儀を示したのだから。

 

数歩前に出た所で段差を一つ上った狩人に、アンナリーゼはまだ足りないとばかりに手を伸ばす。

間合いなどと呼べる空間すら消え始めた辺りまで近付いた所で、陶器と見紛う白磁の手が、グローブを付けたままの狩人の手を取った。

 

「…っ、あ、あの…?」

 

狩人が纏めきれなかった疑問をそのまま口に出すが、アンナリーゼの左手は狩人の右手を掴んだまま。

そうして握られた手はグローブを外され、重ねられた手と良く似た血色の薄い肌が露わにされた。

力が強い訳でも無いその手を振り払えず、狩人は成すがままにされている。

 

唐突な肌の触れ合いに緊張のような心拍の動きを強める狩人の頬に、アンナリーゼの右手が伸びて行く。

頬を撫ぜ始めた右手はやがて瞳の傍へと肌を擦りながら動き、未だそのパチリと開いた楕円形の縁を濡らしている涙を掬い取り、拭う。

 

"それ"が起きたのは、涙を拭ったからでは無いだろう。

狩人の頬に、高温の何かが触れる。

どろりとした血のような肌触りのそれは、正しく新鮮な血液そのもの。

流れる血は狩人のものでは無く、血族の女王が如何様にか自身の指から流して見せたものだ。

 

「なっ…!?なに、して…」

「さてな。酔狂とでも言おうか」

 

親指から流れるそれは、互いの距離と撫ぜる手付き故かほんのり赤く染まった頬を、"もっと赤く"と彩るように線を描く。

線が辿り着いたのは、寒さ故にくすんだ桃色をした口唇だった。

 

「っ…ふ、ぁ…?」

「フフ…熱かろうな、この血は。」

 

愉し気な女王の手の平に収まった小さな顔は、己の体を襲う熱に驚愕を抑えきれていなかった。

香りに違わぬ甘さを感じた舌が"もっと"と求めるように指に這わされ、痺れる。

遺志によるものよりも緩やかな波の筈なのに、より濃い快楽が狩人の脳を灼いた。

 

アンナリーゼの前に立っていた狩人は、腰砕けになったのか、いつの間にやら両膝を床に着いてしまっていた。

ただその顔だけは白磁の手によって支えられ、今は己にこの快楽を叩き付けた張本人が被る鉄仮面を、熱に浮かされた瞳で眺めている。

 

「ぅ…ゃ、やめ…」

 

"これ以上は"と拒絶するように強ばる唇を、細い親指がこじ開け、その血を更に流し込む。

指から流れているにしては妙に多量なこの血は、やはり血族だからこそのものなのだろうか。

ただ流れ込み、舌を這って熱を起こしていただけの血は、少しの時間を置いて狩人の喉を鳴らす程に増えていた。

 

「…こんなものか」

「ぷぁ…うぅ…」

 

アンナリーゼはすっかり赤く染まった狩人の頬に添えていた手を離し、つい先程まで根元まで咥えさせていた親指をちらと覗き込み、だが何か特別な事はせずに手を降ろす。

支えを失った事で段々と落ちて行く狩人の頭は、熱に縛られながらも何とか気を保って見せた狩人の意志によってその落下を止めた。

 

「お前が呑んだのは血族の女王の血。血の医療とやらを受けたとは言え、一介の人の身には劇物となろう」

「ど、毒って事ですか…?」

「答え次第では、そうなるやもな」

「答えって…」

 

常であれば、血族の女王アンナリーゼは、その肩書きに相当した態度と寛容さでもって訪問者に応対していたのだろう。

それがこの狩人に対してはどこか高圧的な、それでいてずっと近しいような態度で。

────というだけなら可愛いものなのだが、その二つに加えて、今は脅迫のような事までしている。

 

「狩人よ、血族になる気はあるかな?」

「…………はい?」

 

人が手にするには過ぎた力だ。

アルフレートは血の医療を穢すと言っていたが、何も血族の存在が危険視されていたのはただ医療の真髄に背いていたからというだけでは無い。

 

古く教会に所属していた狩人の一人────否、正確に言えば二人に、血族の者がいた。

今はもう古狩人と呼べるその狩人は、駆る武器に己が血を纏わせ、威力に転換していた。

 

その業は人々を守る力とも、人ならざる者に依った力とも言われる。

幾ら実験とその後始末の果てに害を撒き散らした教会と言えど、流石に大き過ぎる力がどんな結果を齎すかは理解していた────…の、だろうか。

 

「血族とはただ交配で増える訳では無い。無論そのような増え方もするが、やはり我らは血に生を見出す事を是とした者共だ」

「つまり…血を飲んだから、僕も血族…?」

「"まだ"、そうでは無い」

 

ただ体内に血を取り込む事でその身に影響が出てしまうと言うのなら、狩人は今まで何度も他者の血を取り込んでいる。

輸血液がその最たる例だ。

リゲインの仕組みからして、高揚感を得る事で傷を癒しているのだろうが、血である事に変わりは無い。

 

或いは精製されたものでは意味が無いと言うのなら、狩人はとある女性の血を飲み込んでいる。

ローゲリウスとの戦いの最中に用いたそれは、隠し街ヤハグルで出会い、オドン教会へと導いたアデーラのもの。

彼女は教会によって調整された血をその体に宿す聖女であり、教会はビルゲンワースの系譜として存在している。

 

ルーツで言えば同じもの、つまり取り込んだだけならまだ戻りようはある。

その結果はきっと、狩人の目の前にいる女王の匙加減一つで変えてしまえる。

 

「…なんで僕を?」

「言った筈だ、酔狂だと。しかしそうだな…」

 

好奇心、気紛れ。

その程度のものであり、それは狩人も従う事が多い一つの欲求的なもの。

敢えて言うならば、そこに過去を想う懐古も含まれているのだろう。

 

「お前の瞳を、手元に置いておきたくなった」

 

口説き文句のようだが、軟派な訳でも蒐集家気質な訳でも無い。

誤魔化しでも無いのだろうが、核心に触れるような事もまた言っていない。

"これ以上何を聞いても気紛れで済まされてしまうだろう"と悟った狩人は、質問をやめて悩む事に時間を割く。

悩むと言っても、直ぐに答えは出てしまったようだが。

 

「────…ごめんなさい」

 

答えは拒絶。

狩人は、血族の一因となる事を拒んだ。

 

「理由を聞こうか」

「理由って言っても…僕は、人をやめたくないです」

「血の医療を受けた時点で人では無い筈だろう?」

「そ、その辺はよくわかんないですけど…でも」

 

『せめて人のまま、死ねるのですから…』

 

自身の記憶を失くした狩人にとっては、正真正銘人生初の友人。

ギルバートの言葉を思い出した狩人はただ自分の思ったように、決して血族への忌避やアルフレートへの情などでは無く、たった一人の意志によって決断した。

 

「何もわからないままヤーナムを歩いて、何度も殺されて、でも死ねなくて…」

 

"死は救済である"とは、誰の言葉だったか。

それは正しく今の狩人の状況を表した言葉であり、狩人の内心は殆ど諦観に埋め尽くされている。

狩人が今も進む事自体をやめていないのは、肩に乗ったヤーナムの民達の死と、左手に巻いた家族想いの子供に抱いた後悔だった。

 

「それでも僕は自分を人だと思いたいから…だから、人じゃなくなってしまう道は、選べません」

「…良いだろう」

 

狩人の体に、再び熱が点る。

口内、喉、食道。

そして一際大きな熱が胃に点り、焼け付くような熱さと気の狂いそうな快楽が狩人の内側を蹂躙する。

声すら上げられないような暴力は、だが一瞬の内に過ぎ去った。

 

「あ、ぇ…?」

「元より、このような強引な方法でお前を血族の席へ加える事など考えていなかったさ」

「────…じゃあなんで血を飲ませたんですか!?」

「三度目は言わぬ」

 

言外にその行為すらも"酔狂だ"と言ってみせるアンナリーゼに、狩人は溜め息を吐いてから数歩離れる。

血の悦びは、まだ慣れない。

幼子のような体には、大き過ぎる情熱だ。

それでも。

 

「また、来ますから」

「フフフ…それは良い。お前は久々の余興だったからな、続くのなら嬉しい事この上無いよ」

「…次はからかったりしないでくださいね?」

「さてな」

 

そう言ってアンナリーゼは、血族の女王は視線を閉ざす。

灯りへ向かおうと歩く狩人の背中にもう視線は感じないのだから、きっとそうなのだろう。

だからこそ、狩人はそれに気付く事が出来たのだ。

 

左手に、一つの机が見える。

その上に置かれた便箋に、狩人は目を奪われた。

声は上げないが、陸に打ち上げられた魚のようにぱくぱくと口が酸素を求めるように動いている。

 

女王は既に狩人を見てはいないのだから、気付く事など無いだろう。

狩人は自身に宛てられた赤いものとは違い、青い封蝋で留められた便箋を手に取る。

薄汚れたその便箋はどこにも宛名などは書いておらず、"もしかしたら"という思いは次第に強くなって行く。

 

『血族は医療教会の血の救いを穢し、侵す…許されない存在です』

 

「う…」

 

脳裏に過ぎるのは、やはりアルフレートの言葉。

そして心を支配しているのは、アンナリーゼとの"談笑"。

 

この招待状を渡さなければ、狩人はアルフレートを裏切る事になる。

当然だ、約束を結び、自ら期待を受け取ったのだから。

 

そしてこの招待状を渡せば、狩人はアンナリーゼを裏切る事になる。

元より味方では無いが、先程までの会話で敵として見る事は出来なくなっていた。

優柔不断でどっち付かず、そう揶揄されても仕方の無い曖昧な心中に、狩人は何をどうしたら正解なのか理解が及ばなくなっている。

 

悩みに悩み抜いて、その時間は数分では済まなくなっていた。

もしもアンナリーゼと会話をしなければ、今にアルフレートの元へと辿り着き、招待状を渡しているのだろう。

その情景を思い浮かべた狩人は、一つ妙案を思い付く。

"自分がアルフレートを説得してしまえば良いのだ"と。

 

アルフレートは心優しい好青年なのだ、きっと話せば理解して貰える。

元々彼も血族の生き残りがその長しかいない事を知っていたのだから。

きっと、きっと───────

 

「よ、よし…」

 

そんな夢想を叶える為に、狩人は招待状を片手に灯りへと歩く。

どう説得しようか、それを決めきった訳では無い。

ならばもう少し時間を使って考える間に、狩人の夢で必要な事を済ませてしまおうと。

 

 

 

「人形さん、遺志のやつお願いします」

「ではこちらに…」

 

ここの所ずっと暗く沈んでいた狩人の瞳と雰囲気が、心做しか明るいものとなっている事を感じ取った人形は、安堵のままに狩人の手を握る。

その様子はどこか優し気で、嬉し気で。

それを見た狩人もまた、機嫌のよさそうな人形の姿に癒しを見出している。

 

「重荷が、降りたのですね」

「え?あ、あはは…降りた訳では無いですけど、一つ降ろし方が見付かったかも知れないんです」

 

遺志での強化が済んで始まったのは、軽い世間話。

そうして話している内に、狩人は謎の既視感を覚える。

人形の姿に、どこかアンナリーゼと似た雰囲気を感じ取ったのだ。

 

立場に見合う尊大な態度と、棘のあるようでほんの少し暖かなあの雰囲気は、人形とはまるで違う筈なのに。

似ている所と言えばその暖かさだが、人形のものはもっと前面に出ている。

似ているのに似ていない、知っているのに知らない。

そんな不可思議な感覚を心の底にしまいながら、狩人は人形に礼を言って墓標に手を翳す。

 

転送先はオドン教会、目的地は禁域の入口、その手前。

アルフレートの元へ、招待状を届けるのだ。

説得に成功しさえすれば必要無いものだが、約束は約束。

彼がカインハーストへ赴かなかったとしても、届ける事で約束は果たされるのだから。




少女狩人
名前:不明 性別:女性 年頃:若年(詳細不明)
過去:過酷な運命 カレル獣獣淀
レベル 34
 体力 10
持久力 12
 筋力 20
 技量 15
 血質  5
 神秘 22



未開封の招待状

血か、泥か。
茶色く黒く薄汚れた招待状は、狩人のものとは違い青い封蝋によって留められている。

何故狩人に招待状が贈られたのか、それは未だ謎のまま。
だが未開封の招待状が青という事は、赤が特別という事なのだろう。
何故ならそれは血の赤色、血族の赤色なのだから。
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