少女の微睡、月香の夜。 作:かなしいな
※第二十七話、森の奥です。
"乗り気でない"と口に出さずともわかる足取りで水溜まりへ向かった狩人だったが、幸いにして坂の上と水溜まりを進む道に分かれており、坂を上って行けばあの大きな豚と戦う事は無いだろう。
見るからに調子を上げて進む狩人は、鬱陶しい蛇を出来るだけ狩りつつ森の奥を目指して歩く。
途中途中で現れる蛇人間とその傍をうろつく無数の蛇の集合体は、どうやら姿形こそ違えど一つの"群れ"として行動しているらしい。
「よ、い…しょっ!」
だがそれも、今蛇玉を潰した狩人には関係の無い話だ。
都合四つ目、既に幾度かの戦闘を終えた事で、狩人は着実に奥地へと近付いていた。
少しばかり開けた土地へ着いた事で"いよいよか"と身構えた狩人の目に映るのは、堅牢な門扉。
目の前にある訳では無く、門扉は一つ段差を飛び降りた先にある。
「はぁ…」
この森に入ってから数度目かの溜息と共に、狩人は来た道を戻って行った。
飛び降りて開くかどうかを確認するのは簡単だが、問題はその後だ。
扉が開かなかった場合、他に戻る道が無ければ最初からとなる。
ならば扉の向こう側に見えた分かれ道の片方と繋がる道を探した方が賢明だろう。
そうして狩人は、木々の合間を縫って進む。
鬱蒼とした森の中では目印になる物も少ない。
今まで通っていた道よりもずっと難解な迷路となるであろう場所なのだから、慎重に、注意に注意を重ねて進むべきだ。
狩人もそれを理解しているらしく、出来るだけ法則性などが無いか探しつつ森を歩いて行き────
「迷った…?」
気付けば自身の位置を見失っていた。
何度繰り返しても、こればかりは慣れない。
全く、幾ら禁域とは言え何故こうなるまで放って置いたのだ。
誰かが手を加えねば、禁じた理由を監視する事すら出来ないだろうに。
監視の必要など無いからこそなのだろうが…全く。
ついに迷ってしまった狩人は、元々歩いて来た道よりも新たな道を探す方が堅実だと気付いたらしく、一先ず一直線に歩き始める。
途中で現れる蛇から逃げず、可能な限りトドメを刺しているのは、それを目印として森を歩く為だろう。
歩いて歩いて歩き続けて、狩人はようやく舗装された道を見付けた。
────見ればそれは、門を見付けた際に通った道だったのだが。
"今度こそ"と気を引き締めて、狩人は道を歩き出す。
惜しむらくはそのタイミングだ。
狩人はやっとの思いで戻って来たと言うのに、直ぐ様横道に逸れてしまったのだから。
狩人がちょうど目を向けた先にあった、大きな石碑。
"旧神の石碑"と呼ばれるそれに、狩人は興味を示した。
近寄った所でまず狩人を襲ったのは驚愕。
何に対しての驚愕かと言えば、それは────
「シィィィィィッ……」
「………っ!?」
森に入ってから今まで何度も戦い、そして狩って来た蛇が、鋭く舌を鳴らす音。
それらよりもずっと大きく、野太いものが耳に入る。
次いで視覚情報として映ったのが、大き過ぎるその姿。
大蛇という呼び名が相応しいそれは、蛆のようなものが集っており、太い体に巻き付く取り巻きのような蛇達がそれを追い払おうと身を捩っている。
口を突いて出そうになった悲鳴を必死の思いで呑み込み、狩人はそっと歩き出す。
音を立てぬように、決して見付からぬように。
そうして細心の注意を払って退路を探す狩人が次に目にしたのは、旧神の石碑の裏側だった。
砕けているのだろうか、まるで破片が散るような凹凸が見られる碑面を注視してしまった狩人は────
「ひぃっ…!?」
先程まで抑え込んでいた悲鳴を、ほんの僅かばかり解放してしまった。
碑面に見えたのはただの凹凸でも、碑の欠片でも無かった。
一面に張り付いているのは、まるで石化でもしているかのように動きを止めている蛞蝓の群れ。
或いは、化石にでもなっているのだろう。
『穢れた獣、気色悪いナメクジ、頭のイカれた医療者共、みんなうんざりじゃあないか』
"あぁ、これがヴァルトールが言っていた気色悪い蛞蝓か"
然程時間の経っていない過去を掘り起こしている呑気な狩人の横顔を、蛇の鳴き声が叩く。
それからの動きは、恐ろしいまでに速かった。
「シィィィッ!!」
「ひぃぃぃっ!」
無数の牙が細い肢体を捕らえる事は無く、狙われた張本人である狩人は一目散にその場から駆け出す。
一度通った事もあり目星は付いていたのか、狩人の足にそれ程迷いは無い。
着いたのは水溜まりが下に見える小さな崖。
ちょっとした段差程度の高さのそれを、狩人は飛び降りる。
左には豚の後ろ姿が見えるのだから、逃げ道を無くす事も最初からのやり直しの心配も無い。
"豚と戦わず、蛇に捕まらず、先へ進む道を見付ける"
思惑通りの結果に少々気を躍らせながら駆け足で進む狩人の目の前に現れたのは、その思惑によって避けようとした豚だった。
「う…」
"二匹もいるなんて聞いてない!"と嘆くような空元気も、もう湧いて来ない。
狩人の、少女の心がここまで傷付く事となった要因の一つ。
それも同種の獣が、今目の前にいるのだから。
「ブオォォォッ!!!」
「きゃあぁぁぁっ!?」
急いで逃げようと足を回す狩人に残ったなけなしの理性が、後退を咎める。
今後ろへ走れば、そこにはもう一匹の豚がいる。
であれば戦う以外の選択肢は、前に逃げる事のみ。
意を決した狩人は、前へ前へと突き進む。
後ろから聞こえる野太い鳴き声をこれ以上は聞きたくないと、両手で耳を塞ぎたくなるのを必死に堪えて。
二つの焚き火の間を通り狩人が逃げ込んだのは、今までの獣道と違いある程度舗装された、だがあまりにも古びた階段と石畳が続く道だった。
左右への分かれ道となっているが、右はあの門扉だろうか。
殆ど確信に近いそれは当たっており、見事狩人はショートカットを開ける事に成功した。
「あれ、またこの光…」
いったいどこでどう活用したら良いのかもわからないショートカットを開けた狩人は、パール戦直前に見付けたあの赤い光と同じものを見付ける。
使者達に引っ張り出されるまでも無く鐘を取り出し、鳴らしてみれば、人影が一つ現れた。
薄汚れたローブのような装束、前面を血に塗れたそれを身に付けたその狩人は、まるで一礼のように右手の杖を掲げて見せる。
「あ…連盟員の?」
怯えながら口を開いた狩人の質問に一つ頷くと、その狩人"マダラスの弟"は右手に獣狩りの斧を構える。
突如行われた攻撃行動に臨戦態勢を────と構えた狩人をすり抜けて振るわれた斧は、狩人の背後にいた蛇人間の命を刈り取った。
その一撃で"頼れる狩人である"という証明は叶っただろう。
狩人は意気揚々と門扉を潜り、マダラスの弟を伴って奥へ奥へと歩く。
すると、先程は気付かなかったもう一つの光を見付ける。
"豚から逃れる為に脇目も振らず走っていたから気付かなかったのだろう"
ともう一度鐘を鳴らせば、現れたのは────
「え、あ…」
黄色い狩装束は、"古狩人ヘンリック"のものだ。
右手のノコギリ鉈と左手の短銃は、あの戦いで見たものとそう変わりは無い。
銃をしまった左手での軽い挨拶にすら戦々恐々としている狩人は、彼に敵意が無い事をどうにか確認出来ないものかと思案している。
ヘンリックとマダラスの弟が先へ進む事を示すまで、終ぞ浮かばなかった訳だが。
「ご、ごめんなさい…行きましょう」
"光球は反応していないのだから"と、狩人は割り切って二人を伴い階段を下る。
投げやりな答えにも思えるが、最も正しい結論だろう。
階段を下って行った先にあったのは、陰鬱とした雰囲気の広場だ。
雰囲気のせいか、霧の奥から感じる何かのせいか。
狩人はここが戦場になるのだと確信していた。
三人が広場に踏み入った所で、相手方も現れる。
奇しくもその数は三、頭数による不利も有利も無い。
勿論この強敵"ヤーナムの影"が一対一で同等に戦える相手だとは限らないが、そこは初戦故のものだ。
「…あ、ちょっと!」
"若輩に指示は出させない"
労りか、優しさか、或いは古狩人としての矜恃か。
ヘンリックとマダラスの弟はそれぞれ駆け出した。
最先手を取ったヘンリックは、左の燭台と刀剣を左右に構えた影へ。
二番手のマダラスの弟は、中央で左手に火を灯している影へ。
そして一拍遅れた狩人は、右の長刀持ちの影へ。
作戦など何も無い役割分担だが、その実理に適った人選でもある。
開戦の合図など無かったが、各々が戦いを始めたタイミングは同一だった。
一人は直剣と長刀を噛み合わせ、一人は変形させた斧を薙ぎ払い、一人は飛来する炎を躱し。
そうして始まった戦闘は、三つの一対一などにはならなかった。
集団戦の心得などまるで無い狩人は、周囲で始まった別の戦闘を気に掛ける余裕など持ち合わせていない。
故に流れ弾などを躱す余裕も無いが、そこは二人の狩人達が気に掛けた立ち回りをしている。
飛び道具は出来る限り狩人側に飛ばないように動き、万一があれば弾き、止める。
"他を気にせず戦って良い"と気付いた狩人は、どんどんと調子を上げて行く。
相手が長刀以外に武器を持たない事も幸いしたのだろう。
打ち合いが少ない事もありパリィのタイミングこそ掴めていないが、着実に攻撃が当たっている。
掠める程度だったものが段々と深い傷になって行き、ようやく重い一撃を入れられるかと言った所で。
他二人の影、その一方。
マダラスの弟が相手取っていた炎を灯した影が、長刀持ちと入れ替わるように狩人の前に躍り出た。
「んなっ…!?」
突然相手が変わった事で狩人は間合いや立ち回りの変更を強いられる訳だが、問題は狩人が後退を選べなかった事にある。
影の左手で、一際大きな炎が立ち昇る。
それは狩人の腹部辺りで炸裂し、装束を突き抜けて内臓付近までを焼いた。
「は、ぁぐ…」
トドメを刺さんと振るわれた武器、トニトルスが狩人の頭へ迫るが、マダラスの弟の銃撃がそれを阻む。
庇うようにヘンリックも傍へ来るが、時既に遅く。
狩人の意識は、暗く深く沈んで行った。
「ごめんなさい、もう一回お願いします…」
再戦、大急ぎで森を駆け抜けた狩人は二人を召喚し直し、ヤーナムの影が待つ広場へと立ち入った。
急いで遺志を拾う狩人を待ち、二人も得物を構える。
三人共が初戦と同じ相手に、同じように攻撃を仕掛けた。
違う所と言えば、お互いの距離。
流れ弾が効果範囲にならない程度の、だが助太刀が確実に入る距離での戦いは、一度目より混戦の様相を呈している。
無理に長刀と打ち合う事はせず、銃撃による牽制を主とした戦いは、既に数度のパリィによる先制で幕を開けている。
幾つかの火球が飛来する事はあれど、それらは全て狩人を狙ったものでは無い。
ここまで決定打となるものが一度も無い辺り、他二人もかなりの実力者なのだろう。
「ふっ!」
真横から迫る長刀へ最低限の防御、下から弾き上げるその技はアンタルを真似たもの。
今までも似たような防御を取った事はあったが、一度巧手を見た事によって、安定感は段違いのものになっていた。
長刀持ちの危機を察した燭台持ちが狩人に向けて火を吹く事によって距離を取らせ、マダラスの弟とトニトルスで打ち合っていた影が狩人に向けて火球を放つ。
先程より余裕があった事もあり、どちらも間一髪で躱した狩人だったが、相応に距離を離されてしまった。
更に追撃の噴流が飛ぶかという所で、ヘンリックの一撃が燭台持ちの胴を深く斬り裂く。
未だ致命には届かないが、その一撃は影達の奥の手を開示させるのに相応しいものだ。
突如苦しみ始めた影達の体の一部が、異形へと変貌を遂げる。
それは長刀持ちも類に漏れず、得物を構えた左腕は、まるで関節が増えたような形へと変わる。
「なぁっ!?」
瞬時に警戒を強くした狩人を襲撃したのは、長刀持ちでは無かった。
空より降り注いだ炎は、トニトルス持ちの影のもの。
マダラスの弟が抑えていた筈、ならば何故。
狩人がそちらを向けば、マダラスの弟もまた降り注ぐ炎による攻撃を受けていた。
三発までという制限はいよいよ無くなり、広範囲に炎をばら撒き始めたのだ。
「ふ、ふざけ────ぅぶっ」
炎を突き抜けて飛び込んで来たのは、長刀の刃。
狩人はそれに反応出来ず、胴を逆袈裟に斬り裂かれる。
光球がある狩人なら、炎の内から飛び出して来る敵など余裕を持っての回避が出来ただろう。
なら何故それが出来なかったかと言えば、単純に長刀持ちの影が狩人の間合いの外から、思いもよらぬ攻撃を狩人に向けたからに他ならない。
胴を斬り裂いた長刀が、持ち主の元へと帰って行く。
"長刀が"と言うよりは、腕ごとなのだが。
影の間合いは、伸縮する腕によって無理やり伸ばされていた。
炎越しのそれに反応しきれず受けた傷は、間違いなく致命傷だ。
「また…やっちゃった…」
「ごめんなさいぃ…!」
三戦目。
"手伝って貰っているのに申し訳が立たない"などと考えている狩人だが、三人でこれなら一人での突破は不可能だ。
そもそもとして二戦目のあの一撃の直前までは上手く行っていたのだ、補助のような形で打たれた炎に惑わされなければ勝ち筋は見えている。
狩人が遺志を拾っている間に打ち合いが始まり、剣戟の音が夜闇に落ちた森の中で激しく響き渡る。
急いで戦場へと飛び込んだ狩人は、自身の喉元目掛けて迫る長刀の切っ先を直剣で逸らした。
先手は取られたが、こうも完璧に逸らされては影も次手を打つのに躊躇いを抱く。
その隙を突くように振るった直剣は、半歩退いた影には当たらず風切り音を上げるのみ。
他二人の狩人達が一人ずつで抑えているとは言え、目の前の相手は強敵なのだ。
空振りを見切り追撃が無い事を確認した影は、追い立てるように長刀を振るう。
連撃を躱し、逸らし、掠める程度に抑える。
とは言え隙は生まれるもので、それを上手く突いて来る影は、だが自身の隙を見せるような事はしない。
手数の差、膂力の差、引き出しの差。
全てに於いて上を行く影を相手にした一対一は、虚を衝く以外では決定打に届かない。
「ここだっ!」
意外にもそのタイミングは早く訪れた。
連撃の隙間、切り返しの起こり。
狩人は僅かな隙を見て直剣を突き出す。
命中したのは影の左手、長刀を握った拳だ。
手を突かれて得物を落としたかに見えた影は、その実左手の長刀を上手く落下させ右手に持ち替えただけだった。
一瞬の読み合いの後、動いたのは影だ。
右手に持ち替えた長刀を首目掛けて振るうが、読み合いに勝利したのは狩人だった。
緊迫の一瞬でもお互いの間合い内という近距離で外しようも無く、狩人のパリィが右の肩口に命中する。
「やぁぁっ!」
左手を貫いていた直剣を更に押し込み、崩れる体勢へと合わせる。
自重と衝撃により膝を着いた頬に当たる部位へ突き出された直剣は、影の後頭部までを貫いた。
傷口を広く、且つ出血を多くさせる為に捻り抜けば、影の五体が後ろへと倒れ込む。
"一人仕留めた"という確信を振り払ったのは、狩人自身の直感と、今まで狩人を導き続けた光球。
どこかデジャブを感じる狩人が直剣を振り上げれば、迫っていた長刀と打ち合う形で火花が散る。
けたたましい金属音によって掻き消されたのか、本来なら聞こえる筈の音すら遠く。
狩人の目の前を炎が過ぎって行った。
火球では無く噴流、ヘンリックが相手をしていた影のものだ。
見ればヘンリックはただ体勢を崩しているだけであり、押し切った後にトドメを刺すよりも仲間の援護を優先した結果の攻撃なのだろう。
しかし起き上がったヘンリックの攻撃によってそれも止み、狩人の攻勢が続く。
再三の長刀との打ち合いは、理合を学んだ狩人の若干の有利で繰り返される。
横槍を警戒しているのか、真正面からの押し合いは長くは続かず、ヒットアンドアウェイでの攻勢は大剣を背負っているとは思えない素早さだ。
対して四方八方へ駆けずり回りながら攻撃を繰り出す狩人に翻弄される事無く、影は的確に防御と反撃を行う。
その拮抗も、今終わりを迎えた。
「そこ!」
突き出された直剣が影の脇腹を浅く斬り裂き、防御へと回した長刀は素早く振り上げられた直剣によって弾き飛ばされた。
追撃の為に踏み込んだ狩人の目の前で影が変貌を遂げるが、既に狩人は最後の一撃を振り下ろしている。
袈裟に振るわれた刃があわや鎖骨を砕くかと言った所で援護に飛来した火球も、今までの苦渋の経験から学んだ狩人が片手で持ち上げた鞘によって防がれ、直剣の刃は影の胴を通り抜けた。
「よ、よし…次!」
搦手と言う程のものが全く無い事もあり、最初に影を片付けたのは狩人だった。
他二人は負けてこそいないものの、近中距離を使いこなす相手に一対一は古狩人とは言え厳しいものがあるらしい。
先にどちらへ助太刀を入れるか、狩人が悩んだのは一瞬の内だった。
駆け出した先はヘンリックの元、直剣を大剣へと変形させ、火球を防御した事で少々煤けた刃を大振りに薙ぎ払う。
無論ただ大振りなだけの攻撃が当たる筈も無いが、それは承知の上。
影が回避した先には、ノコギリ鉈を変形させ、間合いを広く取ったヘンリックが待ち構えていた。
ヘンリックが繰り出す一撃も大振りだが、タイミングや構えに至るまで全てが洗練されており、回避直後の隙を突くように振るわれたそれは影の顔面を叩き潰すように直撃する。
"あれを食らえば一溜りも無い"というのがありありとわかる光景を前に怖気が勝る狩人だが、トドメの一手は忘れない。
再び鉈を持ち上げ叩き下ろすヘンリックとほぼ同時に、狩人も大剣を影の体に振り下ろす。
残り一体、勝利は近い。
そうして振り返る狩人の目に映ったのは、牽制用に広く放たれた火球が地面へと着弾する瞬間と。
その火球によって怯んだマダラスの弟に、今にもトニトルスが振り下ろされようとしている様子だった。
どれだけ速く走っても振り下ろされるまでに辿り着く事は出来ないであろう距離。
ならば────
「行けっ!」
大剣から直剣を分離させ、狩人は右手を振り被る。
その行動は虚空への斬撃などでは無い。
緩めた手から抜けた剣は、一直線に影へと飛び、狙い通りトニトルスを構えた腕へ。
────とは行かなかったものの、掠める程度に命中した剣によって影の攻撃が中断される。
前腕を掠めた直剣を一目見やって直ぐさま視線を戻した影の前に躍り出たのは、古狩人ヘンリックだ。
低空を切って振り上げられた鉈は布地を斬り裂くだけに留められたが、続く斬り返しは肉を浅く傷付ける。
もう一撃をと鉈を構え直すよりも速く動いた影の攻撃は、だがマダラスの弟の斧の一撃によって制された。
「まだまだぁ!」
そこへ追い付いて来た狩人が地面に突き刺さった直剣を抜き、勢いそのままに斬撃を繰り出す。
拾い上げた直後という事もあり斬撃は躱されてしまったが、当初の目的である援護は成功。
後は態勢を立て直し冷静に戦闘を進めれば、三対一で負けるような事は無い。
────勿論、"今の状況が動かなければ"という前置きが必要になるが。
「うわっ…わぁっ!?」
突如起こった揺れに膝を着きそうになる狩人が踏ん張ろうと脚を広げた瞬間、片足を乗せた地面に亀裂が走る。
慌てて退かした場所から土埃を上げて出て来たのは、凡そ自然に存在するとは思えない大きさをした大蛇だった。
大蛇はその体の全貌を見せる訳でも、ましてや噛み付く訳でも無い。
ただその頭を狩人の方へ素早く伸ばし、逃げきる事が叶わぬように縛り付けてしまった。
「シュルルルルッ…」
「ぅぐ…は、はなして…っ!」
踏ん張りを効かせていた両足が抵抗する間も無く地面から離れ、天を向く。
反転した視界の中で見えたのは、二人の古狩人が大蛇の胴に向けてそれぞれの武器を振るう姿だった。
命中直後に僅かに緩んだ拘束から無理やり抜け出すと、鱗の凹凸を何とか手掛かりとして巨体の上へ立つ。
駆け出した先は当然影の元、足場の蛇は未だ起き上がらない。
身動ぎをしようとしたと同時に古狩人の攻撃を受けているからだ。
傍目に見えるその行為に心中で感謝を捧げ、狩人は両脚に力を込める。
「これで…終わって!」
跳躍によって叩き付けられる大剣を何とか防ごうと、影はもう一度大蛇を呼び出した。
一匹でも度肝を抜かれ拘束まで食らってしまったと言うのに、跳躍の最中に二匹目を差し向けられたとあっては、回避は不可能に近いだろう。
故にここに、その隙を補うだけの技量を持った狩人が二人いるのだ。
二匹目の蛇を殴り付ける事で進行方向を変えたのは、マダラスの弟だ。
一匹目はどうなったかと言えば、ヘンリックを噛み殺そうと大口を開けている。
死は免れない攻撃だが、その程度を食らっていては古狩人なぞ名乗れない。
ヘンリックが一匹目の大口に鉈を叩き込み、マダラスの弟が二匹目の顔面を横から殴り飛ばす。
そして今、それらの飼い主の胴へ小さな狩人の持つ大剣が叩き込まれた。
"断ち斬った"
確信と同時に遺志が流れ込む。
振り返れば大蛇共も消滅しており、古狩人達は各々で片手を上げて狩人を労う。
「ご、ご迷惑お掛けしました…」
労いもそこそこに歩み寄って来る二人に狩人が謝罪を述べれば、二人共が"気にするな"とでも言うように狩人の頭をくしゃくしゃと撫でる。
狩人の手によって、正確には狩人と手を組んだ狩人狩りの手によって葬られたヘンリックさえも、今はただ後輩を気遣っている。
パールを下した時と同じ感覚だ。
"この二人も、自分を知っている"
機を逃せばさっさと消えてしまう、だからこそ今の内に質問を────
「あ、あの!」
しようと思った時には、二人の姿は無かった。
「────…ちょっとくらい待ってくれても、良いのに…」
会話が可能かどうかは確定していないが、戦闘中に言葉での合図すら無かったのだから、不可能なのだろう。
ならば質問などしても無駄だった筈だ、きっとそうだ。
出来る限りポジティブに、機を逃すも何も最初から無かったのだと割り切った狩人は、現れた灯りを灯した。
ふとその傍を見てみれば、カレル文字が一つ落ちている。
後光指す瞳のような記号は、"血の歓び"を意味するもの。
血の赤子を抱く女王に仕える者に由来するカレルだが、血や女王に関連する中で狩人と最も縁深いカインハーストの女王"アンナリーゼ"と直接的な関係がある訳では無いだろう。
ヤーナムの影達は辺境の城カインハーストでは無く、このヤーナムの地を治めた女王に仕えていた筈なのだから。
ぶつくさと文句を言いながら見付けたカレルを拾い上げ、狩人は夢へ戻る。
目的は遺志を用いての肉体強化だけだが、もう直ぐ先にビルゲンワースが見えても良い頃合いだろう。
何が待ち受けているかはわからないが、少なくとも苦戦を強いられる可能性は高い。
儀式の秘匿とやらを破り、狩人は夜を抜け出すのだ。
その為にここまで走り、狩り、殺して来たのだから。
夢へ戻りまず人形の手を借りて強化を行う狩人は、ふとデュラからの餞別として受け取った狩人証の事を思い出す。
また品揃えが増えている筈だ、ひょっとすれば狩りの助けとなるものもあるかも知れない。
そうして世間話もそこそこに水盆を覗いた狩人が目にしたのは、縄付きの火炎瓶や油壺と言った攻撃的な品々。
何より目を引くのは、新たに追加されている武器だろう。
「うわぁ…何これ、武器なの…?」
パイルハンマーの方はデュラが構えていたものと同様のものだ、狩りに使うものには到底見えないが、そこは活用法が一般とは違うだけとも言える。
銃槍の方は見覚えが無いかとも思えたが、狩人は悪夢に飛ばされる直前にいた古教会の手前、大聖堂の右手で同じ武器を扱う者を相手にしている。
「あれかぁ…」
扱いたいと思える武器でも無いが、そもそも狩人の筋力では構える事すら厳しいのだから遺志を割くには無駄が多過ぎる。
余った遺志がどの程度なのか狩人にはわからないのだから、ここで無駄使いをする理由も無い。
狩人は今回の買い物を諦め、禁域の森の奥地、ヤーナムの影の灯りへと転送されて行った。
転送されて直ぐ目の前に見える門を潜れば、その先は再び暗い森の中となっている。
むしろ今まで歩いて来た森よりも深く、所狭しと生えた木々も間を通る事など許してはくれない。
後はもう奥に見える仄明るいランタンが示す一本道を行くしか無い。
だが狩人はほんの少し道を進んだ時点で足を止めた。
嫌な予感、虫の知らせ。
その類の直感が、狩人の足を引っ張っている。
極めつけは足を止めた直後に耳に届いた羽音だ。
傍で鳴っている音は、恐らく狩人の目の前にある木の裏から聞こえて来るもの。
とは言えこんな所でいつまでも棒立ちしている訳にも行かない。
覚悟を決めて身を乗り出せば、そこにいたのは狩人の想像よりも数段を上を行く異形の姿だった。
「き────」
飲み込んだ言葉が届いてしまったか。
その虫は、ただの虫と言うには些か大き過ぎるその異形は。
狩人に、大量の瞳が芽生えた頭を向けた。
「き、気持ち悪いっ!」
飲み込んだと思った言葉は喉を詰まった挙句吐き出されてしまう。
存在するだけで大分我慢の効かない相手ではあったが、拍車を掛けたのは瞳の数だ。
虫に備わった複眼とはまた違う構造、人間の瞳に近い形をしたそれが無数に芽生えている。
いっそ"雑に植え付けられた"とでも言えよう頭の瞳の群れが一斉に狩人の方を向き、二足歩行の虫は地に着いた二本の足で跳躍した。
「来ないで!」
力任せに大剣を薙ぎ払う事で見せた本気の拒絶は、どうにか切っ先を掠めさせる事で虫を退かせる事に成功する。
掠り傷でしか無いそれをこの異形の虫がいつまでも気にしている筈も無く、直ぐ様二度目の跳躍を行なう。
但し狩人も既に覚悟を決めている。
虫を見る覚悟や、死を迎える覚悟では決して無い。
向けた背は逃げる為では無く、全力の一撃を振るう為。
腰を捻り肩を回し、そうして縦に振るわれた大剣が虫の頭を叩き割る。
「うぇぇぇ…」
一撃の元に絶命した虫に背を向けて、狩人は歩き始める。
気味の悪そうな声を上げた原因である裾を汚した血は、出来るだけ視界に入れぬまま。
羽虫を一匹叩き潰した後、纒わり付く血を何とか脚を振るって飛ばしながら狩人は歩いて行く。
木々の檻、その出口から一歩踏み出した先には灯りが一つ置いてあり、開けた視界には建造物が捉えられている。
"大きいか"と問われれば、"民家と比較すれば"と枕詞ありきだが是と言える。
だが"想像していた通りのものか"と問われれば、"拍子抜け"といった感想が浮かぶ。
「…ここが、ビルゲンワース…?」
建造物の向こう側には夜空が広がるのみであり、且つここは森の奥地。
ならば当然ここが終点という事になる。
今狩人の目の前にある建造物こそが、ヤーナムを聖地たらしめる古き学び舎、ビルゲンワースなのだ。
外観こそ大人しいものだが、雰囲気は正に荘厳。
他を寄せつけない空気感に怖気が湧くが、表に出さず一息に呑み込んだ狩人は、歩みを再開させる。
向かう先に見えるのは鉄製の門扉、目前にして現れた虫を潰した狩人が確認すれば、向こう側にはレバーが一つ。
"直ぐ傍に灯りがあるという事は、これもショートカットか"
ある意味いつも通りと言える配置に、狩人は反対側へと進路を変えた。
歩けば歩くだけ涌く虫に嫌気が差している狩人だったが、ここで一つ大事な約束、誓約を思い出す。
手を借りる代わりに差し出す対価。
破格とも言えるそれを提示された時の言葉。
『連盟のカレルを刻む者は、その誓いにより"虫"を見出す』
連盟の長ヴァルトールの言葉を思い出した狩人の思考は、あっという間に考察を終え、答えを出した。
「これが、虫…!」
正答ならず、残念ながら狩人の考察は外れてしまったが、今の狩人はただの少女では無い。
"オドン教会を上りたまえ"という一言に行動指針を揺さぶられ、結果的に回り道をしてしまったあの頃の新米では無いのだ。
だからこそ、後に続けられた言葉までを確りと思い出した。
『それは、汚物の中に隠れ蠢く、人の淀みや根源』
「…汚物の中とか、人の淀みって言ってたし…違うのかな」
虫である事には変わり無く、根源では無いにしろ人の持つ淀みが顕在化した存在ではあるだろう。
ビルゲンワースの狂った実験成果達は、皆一様に人間の淀んだ心によって導き出された成果物なのだから。
この場合指す虫とは、少々度合いが違っただけで。
「あの二人にも沢山助けて貰っちゃったし…虫探しもしないとなぁ…」
狩人から見ればあの二人が連盟員かどうかはわからないが、違ったとしても虫を潰す行為自体は人助けと呼べる筈。
"期待に応える"、"認めて貰う"
承認欲求の強さは埋まらない心と記憶の穴の大きさと、今もじくじくと膿んで狩人の心を蝕む傷の大きさを表している。
ただ連盟の力となる事で欲求が満たされるのであれば、それはきっと穢れた血の女王や狂った医療者達の尖兵たる処刑人に心を砕くよりも余程健全だろう。
当然虫を踏み潰すなど率先してやりたいかと言われれば、虫嫌いの狩人としては否だ。
故にこのビルゲンワースに入ってから数度戦っている虫共も狩人の不快感を逆撫でしているのだが、どうやら今は自身の不快感以上に承認を求めているらしい。
夢へ戻ればあの人形めが心ゆくまで甘やかしてくれようものを、何故避けるのか。
少なくとも、意思疎通の取れない亡霊共に拐かされるよりはずっとマシだ。
あの英雄のような戦うだけの腑抜けにされてしまうより、ずっと、ずっと。
少女狩人
名前:不明 性別:女性 年頃:若年(詳細不明)
過去:過酷な運命 カレル獣獣淀
レベル 44
体力 10
持久力 12
筋力 20
技量 15
血質 5
神秘 32