少女の微睡、月香の夜。   作:かなしいな

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少女、人形に驚愕する。



※第三話、世話役との初邂逅です。


少女の成長、強敵との遭遇。

獣の死骸を避けて少し進んだ所で、物陰から罹患者の市民が飛び出してくる。

どうにもヤーナムの民には物陰に隠れてよそ者を襲う習慣があるらしい。

 

「よそ者が…ヤーナムから出て行け!」

 

少女は内心驚きながらも体が咄嗟に反応したのか、鉈を杖で受け止め反撃を入れている。

左腕もだいぶ動かせるようになったらしく、手指の感覚を確かめながら短銃を抜き放ち、罹患者の攻撃に合わせて引き金を引いた。

 

「グォッ!?」

「…っ、ふっ!」

 

まだ違和感の残る左腕では反動に耐え切れなかったのか、指を掛けていたために吹き飛びこそしなかったものの、短銃は反動に逆らう事無く左腕を引き上げる。

無理に銃を抑えようとした少女は、痛みと衝撃に顔を顰めつつも市民にトドメを刺した。

市民が飛び出して来た物陰を少女が覗けば、その先は下に降りる階段となっており、民家の中へと通じているようだ。

どうせ目的地は見えているのだからと少女は寄り道を始めてしまった。

 

「お邪魔しまぁす…」

 

少女が断わりを入れながら民家に入るが返事は無く、中は真っ暗で数歩先すら危うい。

一歩踏み出す毎にぎしぎしと鳴る床板は、かなり年季の入ったものなのだろう。

こう暗くては探索も立ち行かないと悟ったか、"何か明かりになる物はあるか"と少女が懐を探っていると────

 

「来るな!獣ォッ!!」

 

返事の代わりとばかりに、恐らくは積み重ねられていたであろう木箱を破壊しながら、鉈を持った男が少女に襲い掛かって来た。

 

「ひぃぃぃぃぃっ!!?」

 

少女が記憶を失ってからと言うもの。

獣に喰い殺され、斧で腹を捌かれ、よそ者と言うだけで話を聞いて貰えず、物陰にいた男に銃を向けられ、またもやよそ者と言うだけで侮蔑され、犬に腕を噛まれ…

 

散々酷い目にあったが、"暗い場所で襲われる"というのはまだ二度目だ。

その上一度目は周囲が全く見えないという程の暗闇では無かったという事もあり、今回は一層恐怖を駆り立てられている。

今夜上げた中で一番であろう悲鳴で男を僅かに怯ませながら、少女は仕込み杖を振り回し後退って行く。

 

「ご、ごめんなさい!来ないでください!……あっ」

 

そうして後退っているうちに、少女はどうやら階段の手前まで来てしまったらしい。

暗闇の中で襲われパニックになっている少女がそれに気付ける筈もなく、足を踏み外し下階まで転がり落ちてしまった。

打ち所こそ良かったものの、転落によって所々をぶつけたからか、起き上がる仕草は何処か頼り無い。

打撲や捻挫、或いは罅が入っているかも知れない骨を庇っているようだ。

だがそれ以上に懸念すべき事は、間違いなく落ちた先にもいた罹患者の事だろう。

 

「いっ、だだだ…」

「また獣か!汚らわしい獣め!」

「ひぃっ!?こ、このっ…」

 

長い曲刀、恐らくはタルワール等と呼ばれるであろうそれを手に持った罹患者の男は、上階から落下して来た少女に向かって刀を振るう。

未だ体勢を立て直す事が出来ない少女だが、何とか刀の振りに合わせて銃を撃ち込む事が出来た。

いよいよ耐えきれなくなった左手が緩んだ事によって後ろへ吹き飛ぶ短銃を見送る事すらせず、少女は隙を逃さぬように杖を構える。

 

杖先にある鋭い石突を瞳があるであろう包帯の半ばに狙いを定め突き抜けば、ぐちゅりという嫌な感触と共に罹患者の体が動きが止まる。

一先ず危機は去ったが、上で襲って来た男が追って来ないとも限らない。

早々に目の前の男との決着をつけ、少女は短銃を拾いながら階段の陰に隠れた。

 

「ふーっ…ふーっ……もう、泣かない…!」

 

覚悟を新たにしているようだが、残念な事にその瞳の端にはしっかり涙が滲んでいる。

獣の病の罹患者とはいえ、獣と違い明確に言葉を話す人間を相手にするのはまだ辛いらしい。

例えこのヤーナムに来る以前の少女が緩やかな日常を送っていた一般人であろうが、はたまた幾つもの死線を乗り越えた歴戦の戦士であろうが、記憶を失った時点でその心中は幼子とそう変わらないのだ。

まだ少女が目覚めてから一時間と経っていない今、"殺める事"に慣れろと言うのは無理がある。

 

「うぐ…やっぱり無理ぃ…」

 

殺し殺された獣、そして幾人ものヤーナムの民。

それらとの緊迫状態での戦闘で痛みに涙を流す事はあったが、落ち着いて泣けたのはそれこそ狩人の夢くらいだろう。

そして今階段の陰に隠れる事で少し心に落ち着きを取り戻したのか、涙腺が決壊してしまったらしい。

 

「うぅ…ぐずっ…」

「どこだ…獣め…!」

「ひっ」

 

そんな少女の涙を止めたのは、奇しくも少女の心を苦しめ続けたヤーナムの民によるものだった。

ぎいぎいと、階段をゆっくり降りて来る音が少女の耳に聞こえる。

先程上階で少女を襲った罹患者だろう、下階での戦闘が既に終わったものとも知らずに降りているようだ。

大量の涙を拭いながら、少女はその瞬間を待つ。

 

「……今っ!」

「…そこかァ!」

 

鉈を持った男が完全に階段を降りきった事を確認した瞬間、少女は仕込み杖を変形させる。

男も少女の立てた物音に気付き鉈を振り回すが、間合いに少女は入っていない。

鋭く振るわれた仕込み杖は男の肩に命中し、次いで傷を広げる為に素早く振り上げた。

 

だがやはり少女の細腕では大したダメージは期待出来ない。

少女は石突を地面に突き立て蛇腹剣を杖へと戻し、再び振りかぶる。

頭部に一撃を入れた後、もう一撃と振るった杖が鉈によって受け止められる。

押し込めど押し込めど鉈は下りず、どころか仕込み杖が押し込まれ始めた。

 

「っぐ、う…」

「ヤーナムを、汚すなァッ!」

 

いよいよ弾かれた仕込み杖同様、少女の右腕が跳ね上がる。

その隙を狙って振り抜かれた鉈は、だが狙いを定めた先である少女の脇腹に命中する事は無かった。

少女は力任せに振るわれた攻撃を、後ろに退がるでも無く間合いに潜り込む事で回避したのだ。

鉈を振り抜いて生まれた隙に、少女は攻撃を捩じ込む。

 

「よくもっ、よくもぉっ…!」

 

胸部から突き刺さった杖の石突が、背骨を掠めて突き抜ける。

重石と呼ぶにはあまりに軽い自身の体重を載せ続け、抉るように突き込まれた仕込み杖は、十数秒を掛けて致命傷を作り出した。

途端に力の抜けた男の体に身を預けるようにして、少女も前のめりに倒れて行く。

どさりと音を立てて二人の体が床に倒れる頃には、既に勝敗が決していた。

 

「グッ、ガァァ……呪いだ…呪い、だ…」

 

男が絶命した事で気が抜けたのか、少女はその場にへたり込む。

すると今まで気付かなかった何かの"匂い"がする事に少女が首を傾げる。

どうやら少女の背後から漂ってくるその匂いの大元は、部屋の奥にあるようだ。

匂いに惹かれるようにして歩いて行く少女がその大元に辿り着いた瞬間、少女の持つ短銃とはまた違う銃器を構える音が聞こえた。

 

少女が咄嗟にその場に屈むと、大きな炸裂音と共に少女の目の前にあった棚が粉砕される。

どうやら下手人は暗がりに隠れていた車椅子の男のようだ。

少女は匂いの元を一旦忘れ、男の腕に向けて杖を振るう。

手痛い反撃を受け銃を取り落とした男に、少女は短銃を撃ち放った。

 

「……銃ばっかり上手くなる…」

 

見事頭に水銀弾が命中し、車椅子の男は絶命した。

素晴らしい腕だ、構えた腕に怪我をしているとは思えない程に。

尤も殺す術が磨かれていくというのは、少女からすれば複雑な感覚だろう。

 

車椅子の男の懐から水銀弾を漁った後、気を取り直して匂いの元を確認すると、地面に転がった謎の瓶を見つける。

その匂いは瓶の中に入った何らかの液体から漂っていたものらしい。

鈍い赤を放つそれは輸血液のようにも見えるが、どうやらただの血という訳でも無さそうだ。

 

匂い立つ血の酒

濃厚な匂いを放つ酒が入った瓶、獣を惹き付ける効果を持つらしいが、少女がそれを知る由もない。

ましてや栓を開けて飲むなど、無防備と呼ぶ事すら憚られるような真似はしない筈だ。

 

「…まぁ、いっか」

 

そうして少女が血の酒をしまいながら棚を見れば、一枚のメモが見付かる。

 

『獣狩りの夜、聖堂街への大橋は封鎖された

  医療教会は俺たちを見捨てるつもりだ

 あの月の夜、旧市街を焼き棄てたように』

 

「────…えっ」

 

なんと少女が目指していた聖堂街への大橋は封鎖されているらしく、少女の表情からは落胆と疑念が見て取れる。

本当に封鎖されているのか、メモに残されているだけでは判断出来ないだろう。

結局少女はメモの事は一旦置いておき、自分で確かめる事にしたようだ。

 

とはいえまずはこの家の先を見てからでも遅くは無いだろう。

早速扉を開け外に出ようとする少女だが────

 

「開かない……ひょっとして、こっちも…?」

 

どうやら階段の側にある扉は開かなかったらしい。

大して期待もせずに反対側の扉に向かう少女だったが、嬉しい事に予感は外れたようだ。

 

「あ、開いた」

 

扉を開けた先にあったのは、またも階段だった。

上った先の踊り場には松明を構えた罹患者が一人だけだ。

この扉を見張っていたらしく、少女が扉を開けて外へ出た途端に走り寄ってくる。

走ったままの勢いでもう片手に持っていた斧を振り上げる罹患者に、少女は杖で応戦する。

 

「オォォォォッ!!」

「ここなら遠慮なく使えます…ねっ!」

 

そう言って少女は仕込み杖を変形させ、蛇腹剣を罹患者に向けて振り下ろした。

先程のように慎重な攻撃では無く、変幻自在の間合いという利点を活かした豪快な攻撃。

斧と松明で刃を受け止めようとした罹患者だったが、鞭のようにしなる蛇腹剣は受け止めきれず、両腕を切り裂かれ大きく怯んだ。

だが戦意を喪失した訳ではないらしく、落とした武器を拾おうとはせずに素手のまま少女に襲いかかった。

 

「獣め!忌々しい獣め!」

「僕は獣じゃないって…言ってるじゃないですかっ!」

 

まるで積年の恨みとでも言うように、少女は罹患者に向けて剣を振り下ろす。

肩から腹にかけてを切り裂かれ、罹患者はその場に倒れ伏した。

 

「はぁっ、はぁっ……なんですか、人の事を獣だ獣だって…」

 

息を整えながら少女が階段を上って行けば、見覚えのある門扉が見えてくる。

少女が駆け寄ると、それはやはりギルバートの家の横にあった門扉だ。

 

「よ、い……しょ!」

 

特に仕掛けがある訳でも無かったようで、少女が強く押し込めば当然のように開いた。

何故向こうからは開けられなかったのだろうか。

 

「ギルバートさん!」

「…おや、狩人さんですか。また戻っていらしたので?」

「いえ、進んで行くうちに見つけた横道を通ったらすぐそこに出たんです!」

「そうでしたか。ヤーナムの地形は複雑です、迷っているうちにここへ辿り着くのも、有り得ない話では無いでしょう」

 

横だけではなく縦にも入り組んだヤーナムの街の構造は、初めて通るよそ者には迷路にしか見えないだろう。

近況報告という程時間が空いた訳ではないが、少女からすればよそ者同士での会話は、唯一と言っても良い心の安らぐ時間だった。

 

「あ、そう言えば聖堂街に続く大橋まで着いたんですよ!」

「それは良かった、ですが油断は禁物です。医療教会の街とはいえ、獣が居ない訳では無いでしょうから」

「もちろんですとも!」

 

ギルバートの再会もそこそこに、少女が灯りの近くで座り込むと、何やら使者達が灯りの下で手招きをしている。

 

「……こうですか?」

 

少女がこの灯りを灯す時にしたように手を翳せば、墓標からヨセフカの診療所へと転送された時のような白い光が少女を包み込む。

 

 

 

そして少女が次に目を開けると、そこは狩人の夢だった。

 

「灯りに手を翳すとここに来れる…って事で良いんですかね?」

 

どうやら正解らしい、少女の答えに満足した使者達は首を縦に振りながら地面に沈んで行った。

そして少女は一つの違和感に────ではなく、違和感が消えた事に気付く。

 

「…あれ?腕、治ってる…?」

 

腕だけではない、階段を転がり落ちた時に出来た小さな擦り傷や打撲まで、全て綺麗さっぱり消えてしまっているのだ。

途端に、少女の顔がさあっと青ざめた。

その瞳には、恐怖の色が宿っている。

 

"狩人の夢では現実の怪我は反映されない"ならまだ良い。

少女が懸念しているのは、"狩人の夢に来た時点で怪我は全て治ってしまう"という可能性だろう。

自分が"獣や罹患者同様、理解出来ない側の存在"となってしまっている可能性に恐怖しているのだ。

疑念は尽きず不安が心を覆い始めるが、その手の謎について聞くなら、この狩人の夢には適任がいる。

 

「あの、ゲールマンさん…?」

「戻ったか、工房は自由に使うといい。」

「あ、いえ、今はいいです…あの、ここに来たら怪我が全部治ったんですけど…」

 

少女がそう聞くと、ゲールマンは不思議なものを見るような顔をした後、少女を見て納得したように頷きその質問に答える。

残念な事だが、その口から伝えられた答えは少女が望まぬものだった。

 

「ふむ、君は記憶を失くしているんだったか。そもそも、ここは狩人の夢だ、ここに来た時点で怪我や汚れなどは全て夢に洗われてしまうのだよ。」

「夢に、洗われる…?」

「夢の物を現実に持ち出せないように、現実の物も夢には持ち込めない。君がヤーナムで負った傷は夢に立ち入る事で消え、ヤーナムに戻る時には無傷となる。」

「……ここに来たら全部治るってことですね」

 

少女は理解を放棄してしまった。

何も無い真っ白の状態で様々な情報を一気に詰め込まれれば、パンクしてしまうのも致し方ない事だが。

脳にこびり付いた"常識"という名のちっぽけな箍は、この夜を生き抜くにはあまりにも重い枷となってしまう。

 

「君、随分と血の香りが薄いが、輸血液は使っているのかね?」

「輸血液を…使う…?」

「ふむ…その手の知識まで失われているのは厄介と言う他無いな。」

 

そもそも、狩人というのはある程度獣狩りの夜の知識を持った者が選ばれるようだ。

或いは少女もそうであったのだろう。

青ざめた血など、こんな特異な状況を知らなければ出ない単語のはずだ。

 

「針は持っているだろう。今も手元にある筈だ」

「は、針…ってうわっほんとに持ってる」

 

少女の右手には杖ではなく注射器のような物が握られている。

シリンジ型の注射器で、針は短く太い、厚布程度なら容易く貫通出来そうな針だ。

そして中には既に赤い液体が注入されている。

それを見た少女の背筋に、猛烈に嫌な予感が走る。

 

「君が持っている輸血液が底を尽きるまでは、その針に血が補充される」

「……それを、使うというのは…?」

「簡単な事だ、自分に刺して輸血すれば良い。」

 

そう言ってゲールマンは握った右の拳を自身の太腿に落とす、まるで注射針を勢い良く刺すようなジェスチャーだ。

対する少女は、ゲールマンと注射器の太い針を交互に見ながら、やがて固まってしまった。

 

「特殊な血をその身に受け入れた者は、体の変貌を迎える」

「…?」

「例えば、そう。輸血液の使用で傷が治るというのもその一つだ」

「……ここに来なくても?」

「あぁ、当然だとも」

「………行ってきます」

「存分に狩りたまえよ」

 

少女は注射針への恐怖と格闘しながら、狩人の夢を後にした。

 

 

 

市街の灯りへと飛んだ少女は、先程通った民家から続く道を引き返し、罹患者達は無視して家の階段を駆け上がる。

どうやら道中襲ってくる者は全て無視して橋を渡ってしまうつもりのようだ。

少女が民家を飛び出せば既に後ろには三人の罹患者が着いており、圧倒的に鬼が優勢な鬼ごっこが開始されている。

 

「はっ、はっ…なんで!着いて来るんですかぁっ!」

 

少女が走りながらそう問い掛けても、罹患者達は唸り声を上げながら武器を構えて走り続けるだけで、問いに答えを返そうとはしない。

そうして追い駆けっこが佳境に入った時、少女の目の前に現れたのは通りで門を叩いていた大男と三羽の鴉だ。

厳密に言えば通りの門にいた大男とは別人であり、鴉と呼ぶには大き過ぎる上に途轍も無く肥えているが。

 

「うわぁっ!?ちょ、ちょっとそこ通りますよ!」

「グォ、グォォォッ!」

 

大男が少女に気付き声を上げるが、少女は既に脇を通り抜けて橋の門を通過している。

少女が門を潜り抜けた時点で、罹患者も大男も鴉も、その場に立ち尽くしてしまった。

 

「……あれ?」

 

それを見た少女が奇妙に思い、ゆっくりと速度を落として後ろを振り返ると────

 

「ギュアァァァァアアア!!!!」

 

「ひぃっ!?」

 

とんでもない声量で叫び声を上げながら、門の向こうから何かが跳んで来る。

地面を揺らしながら少女の前に着地したのは、巨大な獣だった。

少女はと言えば、その巨体の前に戦意を喪失したのか、その場にへたり込んで獣を見上げている。

 

巻き角を生やし、白い体毛に覆われ、細い右腕とは対称的に凄まじく発達した左腕を持った異形の獣。

世にも恐ろしい、聖職者の獣が少女の前に立ちはだかった。

 

「う、うあ…」

「ギャァァァッ!」

 

叫びと共に振るわれた左腕を躱す事すら出来ず、少女はその大きな手に捕まってしまう。

万力を込められ、少女は呼吸すらままならないようだ。

聖職者の獣は少女を掴んだ左手を大きく上へ掲げ────

 

「かふっ…は、はな…して…」

「ギュアァァァァアッ!!!」

 

勢い良く地面に叩き付けた。

 

「……っ!ぁ…」

 

背中を強打した少女は、声すら上げられないまま絶命した。

聖職者の獣は少女を喰らう事もなく、死体には興味無いとでも言うように背を向けて、門の前へと戻って行く。

少女は霞んだ意識の中で、"脳に何かが芽生える"という奇妙な感覚を味わいながら、瞳を閉じた。

 

 

 

「…ぐずっ、何あれぇ……」

 

対応しようのない初見殺しに襲われた事で夢送りにされた少女は、泣きながらも聖職者の獣への対策を考え始めていた。

殺された直後でも次を考えられる、というのは狩人として一歩前進した証だろう。

────…今脳内を占めているのが聖職者の獣への対策では無く、それを避ける為に他の抜け道を探すという思考だとしても。

ただ夢の中で唸り続ける訳にも行かず、少女は墓標へと歩いて行く。

そして少女は、到底有り得ない"それ"を目にする事になる。

 

「……うん?……うん!?」

 

視界の端に映った人影を確認するために工房の方を向いた少女が見たのは、その場に立っている人形だった。

なんだ人形か、と墓標へ目を向け直すが、当然少女の脳がそれを"なんだ人形か"というだけで処理しきれる筈もない。

 

「…え?な、なん…えっ?」

「…初めまして、狩人様」

「ぇぁう、え、ど、どうして────…」

 

挙動不審という言葉がこれ程に似合う者も居ないだろう、少女は間違いなく目の前で起きている不可思議に対してパニックを起こしており、いよいよ視覚情報に耐え切れなくなったのか目を回し始めてしまった。

 

一時間にも満たない短さで、それでいて濃密な経験値と情報量の暴力は、あっという間に少女の精神を蝕んでいたのだ。

その上少女自身が一度は"人ではない"と確認した人形が動き始めてしまったのだから、少女の頭はパンクしてしまったらしい。

 

前へと倒れ行く少女を受け止め抱きかかえたのは、人にしては硬く、物にしては不思議な温もりのある抱擁だった。

 

 

 

「……う、ん…」

「お目覚めですか、狩人様。」

「え、っと…はい…」

 

次に少女が目を覚ました時、目の前にあったのは人形の顔────が、上下逆さまに反転したものだ。

心臓が止まりそうな程に驚愕した少女だったが、すんでの所で内臓を吐き出す事は堪えきった。

 

ただ、人形がひっくり返っていた訳ではない、先程から少女の後頭部には硬い何かの感触がある。

少女はそれを枕にして眠っていたらしい。

起き上がった少女が首だけを回し振り向けば、それは人形の膝枕だった。

 

「…あっ、ご、ごめんなさい!わざわざ…」

「いえ、狩人様のお世話をするのが、私の役目ですから」

「お世話…って、なんの…?」

「貴女が望むのであれば、なんなりと」

 

そう言って人形は立ち上がると、一歩後ろへ下がり再び先程まで立っていた位置に戻る。

お互いが立ち上がった事で人形の全身をようやくまともな状態で認識する事が出来た少女だが、まずはその身長差に驚愕しているようだ。

目測でも6,70cm程の差があると見て良いだろう、少女も少女でかなりの低身長だが、人形程の高身長は中々見ないはずだ。

少女は一度自身が人形だと確信し判断したそれが動いている事よりも、その身長差に若干の恐怖を覚えていた。

 

「狩人様、血の遺志を求めてください」

「血の遺志…」

「私がそれを、普く遺志を、貴女の力と致しましょう。」

 

狩人達が獣を狩り、命を奪う事で得る血の遺志。

狩人達の中でもっとも一般的で、かつもっとも有意義な遺志の使い道がこの"人形を媒介として血の遺志を自身の力とする"という行為だ。

 

「獣を狩り…そして、何よりも貴女の意志のために、どうか私をお使いください。」

「なるほど…使うってこういう事だったんですね…」

 

ゲールマンの言葉の意味を理解した少女だったが、元から意味など考察していない。

記憶喪失という究極的な無知の前で、暗喩などという物は無意味なのだ。

 

「今はまだ、貴女の中に血の遺志はありません」

「えっと、じゃあ、どこに…?」

「狩人様が血の遺志を失うのは、獣に敗北を喫した時か、自決した時です」

「…つまり?」

「貴女を害した獣が継いでいるか、その場に遺志だけで留まっているはずです」

 

血の遺志とは血に流れ混んだ意識の残片であり、魂とも言えるものだ。

それは命のやり取りの中で受け継がれ、糧となる。

ならば当然、狩人がやられればその遺志も獣の糧となるのだろう。

 

「───────あそこかぁ…」

 

心当たりと言えば、つい先程少女を地面の染みにした聖職者の獣の居場所だろう。

大橋の上であの獣を狩り、血の遺志を奪う。

言葉にするのは容易だが、少女からすれば途轍もなく大きな壁だ。

 

「…その、血の遺志を力にするって言うのは、やった方が良いんですよね…?」

「遺志によって力を得る事は、生きる術に繋がる…少なくとも、過去に夢を訪れていた狩人様方は、そう仰っておられました。」

「良いって事ですよねぇ…」

 

どの道少女はあの獣を狩り、聖堂街を目指さなければ何も始まらないのだ。

その迷いの答えは、結局出ないままだった。

 

「…取り敢えず、行ってきます」

「行ってらっしゃい、狩人様。貴女の目覚めが、有意なものでありますように」

 

少女は決意を新たに、墓標に手を翳し────

 

「…あれ、また小人さん?」

 

視界の端に映る使者を見てその手を止めた。

使者達は少女に向かってヒラヒラと手で招いており、その手には何やら小さな鐘のようなものが握られている。

歩み寄って受け取ると使者達は満足そうに地面に潜って消えて行った。

 

「な、なんだろう…まぁ貰えるなら貰いますけど…」

 

少女は気を取り直し、改めてヤーナムへと転送された。

 

 

 

転送されたのはやはりギルバートの家の前だ。

少女は両頬を軽く叩き、肩を回してストレッチをしている。

やがて全身をほぐし終わったのか、門扉から民家の方へ向かおうとし────その前に。

 

「ギルバートさん、僕、頑張りますから!」

「おや、気合十分ですね。ええ、頑張ってください」

 

ギルバートへの宣誓、そしてそれに対する激励を受け取り、少女は駆け出した。

聖職者の獣と戦うのなら、それまでの無用な戦闘は避けるが吉という考えだろう。

そもそも戦うつもりも無く、遺志を拾って奥の門を潜り逃げ遂せるつもりらしいが。

民家の扉をくぐり、罹患者が目の前に現れても足を止めず、少女は必死に駆け抜けて行く。

 

途中で何度か躓き埃を被りつつも、鴉と大男の横を躱せば、大橋の先に聖職者の獣が陣取っていた。

逃げている途中に付いたであろう幾つかの傷を気にしつつも、少女は辺りに目を凝らす。

少女は獣の十数メートル手前に、血溜まりの中に小さく光る柱の様なものが見付けた。

"あれが人形の言っていた血の遺志なのだろう"と、そう当たりを付けた少女は一先ずそれに近寄り手を翳した。

 

やはりと言うべきか、翳した手に光の柱は吸い込まれ、血溜まりも地面に溶けて行った。

それと同時に少女を襲うのは、抗い難い血への欲求と充足感。

少女がそれをどうにか制御し、前を見定めれば、聖職者の獣が咆哮を上げる。

 

「オォォォオオオオッッ!!」

 

「う……な、なんのぉ…!」

 

怯みつつも腰を抜かす事は無く、僅かに震える脚を腿を叩く事で鎮め、少女は仕込み杖と銃を構える。

聖職者の獣が突進を始めるとそれに合わせて少女も走り出し、獣が大きく振り上げた左腕の下を潜り抜けて杖を振るう。

巨体故の隙を掻い潜る事に勝機を見出した少女は、それに安心しきる事もなく獣を注視し続ける。

 

「ギャアッ!ギャアァァァッ!!」

 

「あ、ぶなっ!?」

 

今度は素早く振るわれた右の薙ぎ払いを紙一重で避け、距離を取る。

少女はこの一戦、一分にも満たない戦闘で既に獣の攻撃に呼吸を合わせ始めている。

それは偏に血の遺志に拠る所もあるのだろう、だが確実に風は少女の方へと吹いて────

 

「ぶべっ」

 

いなかった

直後に薙ぎ払われた左腕に対応しきれず激突し、そのまま橋の塀まで吹き飛ばされた少女は、背面を強く打ち動けなくなってしまったようだ。

まるで弄ぶように、聖職者の獣は右手で少女の腕を摘み、橋の真ん中へと投げ飛ばす。

 

土埃を立てながら転がって行った少女は、仰向けに倒れた姿勢から動かない。

だが命も意識も失った訳ではなく、ただ単にダメージにより体を動かせず、それにより抵抗も出来ないようだ。

少女がまだ息絶えずにいるのを見た聖職者の獣はゆっくりと少女に近付き、右手を振り上げる。

 

「ギュアァァッ!」

 

「ふぎゅっ……げぶっ……」

 

聖職者の獣が少女の腹部へと右の拳を振り下ろす度に少女は嗚咽を漏らし、口からは血が吹き出す。

やがて少女が嗚咽すら上げず、ただ衝撃で血を吹き出すだけの肉袋になった頃。

ようやく聖職者の獣は満足したのか、最初にそうしたように聖堂街の方へと戻って行く。

ここまでされて少女の肉体が耐えられる筈も無い、既に意識は深く深く落ちており、そして今、息絶えた。

 

 

 

「……なんなのもぉぉぉ…」

 

ボロボロと涙を溢しながら、少女は指で地面に落描きをしている。

時折鼻を啜っては地面の落描きを擦って消し、また描き始める。

人形はそんな少女をどこか優しい瞳で見つめながらも、近付いて抱き寄せる事も、声を掛けて励ます事もしない。

少女がそれを求めた時こそが、人形が役目を果たす時なのだから。

 

「ぐじゅっ……もう一回」

 

そう言って少女は立ち上がり、乱暴に涙を拭って墓標に手を翳す。

少女が落描きしていた地面には、随分と間抜けな巻き角の獣の絵と、杖を持った小さな人間が書かれている。

どうやら落描きの人間は狩りの最中のようだ、擦って消された跡を見れば幾つもの方法で獣に近付く人間が描かれているのがわかる。

少女なりのイメージトレーニング、なのだろうか。

 

少女が光に包まれ、夢から狩りへと赴いたその後。

人形は少女がいた墓標へと顔を向ける。

会釈にも見える浅いお辞儀をした後、人形は少女は無事での帰りを願う言葉を手向けた。

 

「…行ってらっしゃい、狩人様。」

 

 

 

先程のようにギルバートに声を掛け、激励を頼む事はしない。

今やまともに会話を交わせる人形とギルバート、そしてゲールマンだけが少女の心の支えとなっているのだ。

そして人形とゲールマンは夢の住人、助言者と世話人なのだから、同類であるギルバートに激励を頼むのは当然の事でもあるのだろう。

だがただ頼るだけで居られる程、少女は足が弱い訳でも無かった。

 

確りと自身の足で立てるだけの意志の強さ。

最低限ではあるが、それを持っている。

だと言うのに甘ったれているものだから、頼るだけなのが許せず、それでいて一人で立ち上がる事に心を痛めている。

甘えなければ潰れてしまう癖に甘えるのが下手とは。

選んだ器がここまで生き苦しいと言うのもまた、稀な事ではあるのだろうが。

 

いつの間にやら大橋までの道を駆け抜けていた少女は、所々に掠り傷を負っている。

甘えるのが下手なら走るのも下手なのかと言いたい所だが、こればかりは相手が悪かった。

あれ程罹患者と獣が密集しているのだから、多少のダメージは許容するべきだろう。

血の遺志を拾い、荒れる心中を鎮め、そして仕込み杖と銃を構えてようやく臨戦態勢だ。

聖職者の獣が吼える前に、少女は決意を固めて杖を向ける。

 

「今回は、勝ちますよ!」

 

一度殺されて記憶でも飛んでしまったのか、少女の脳内では駆け抜けて潜る筈の門よりも、目の前にいる強大な獣を仕留める事の優先度の方が高くなっているらしい。

まさか目の前の矮小な生き物が自分を仕留める気であるとは思いもよらないからか、聖職者の獣は嗤うように口を開けた。

 

「ギュオォォォ……!」

 

低く短い咆哮の直後に飛び掛かって来る聖職者の獣の左腕を躱し、すれ違いざまに杖を叩き込む。

距離を取って左の大振りを警戒しつつ誘導し、ギリギリの範囲で大振りが来れば下を潜り抜けまた殴る。

 

そうしてイメージ通りに事を進める少女には、段々と余裕が浮かんで来る。

全てイメージ通りとは行かないにしろ、考えていた通りに動く事が出来るというのはそれだけで調子が上がるものだ。

"これなら勝てる"そう確信した少女は手数を増やし、更に攻撃を加速させて行く。

 

そして───────

 

「うべっ」

 

 

 

「…………ぐずっ」

 

見事に大振りに引っ掛かり、勢い良く転がされた少女はその大きな拳でトドメを刺され、夢送りにされてしまった。

 

「…に、人形さぁん…」

「どうなされましたか、狩人様」

「どうもなされてないです、けど…」

 

ギルバートに任せていた激励はどこへ行ったのか。

少女は両腕で雑に涙を拭いながら人形へと歩み寄り、少しでもヒントを貰おうと口を開く。

今にも声が出ると言ったタイミングで、少女は虚を衝かれたように固まった。

人形の冷たい右手が、少女の頬に添えられているのだ。

 

「えっ、と…?」

 

頬に添えられた手に気付いた少女がまず目にしたのは、表情が無いはずの人形の瞳に宿った不安げな色だ。

もっとも人形が感情など持つ訳が無い、少女の見間違いか妄想の類だろうが。

 

人形はただ頬に触れただけという訳では無く、そこから親指を動かし少女の両眼から零れる涙を掬い取る。

口を半開きにしたまま固まる少女を気にする事無く、人形は空いた手で手巾を取り出し、残る涙を拭ってしまった。

 

「────あー…その、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい、狩人様。」

 

"世話役としての行動だったのか"とようやく回り始めた思考が導き出すと、少女は食べ頃の林檎のように赤く染った頬を隠しもせず、墓標へと歩を進めた。

 

 

 

「ゴホッ、ゴホッ…」

「ぁ、だ、大丈夫ですか!?」

 

ヤーナム市街の灯りに転送されて直ぐ、少女の耳に苦しそうな咳が聞こえて来る。

思わず声を掛けてしまった少女に、ギルバートは出来る限り平静を装って返答した。

 

「えぇ、えぇ、大丈夫です。私の事よりも、貴女の事情を優先なされてください」

「で、でも…」

「本音を言えば、事情よりもヤーナムを出る事を優先して欲しくはあるのですが」

「うっ」

 

確かに忠告に従ってこの街を抜け出す事こそ懸命な選択である事は、少女自身気付いていた。

だが少女には居場所が無い。

本来在る筈の家族の記憶が無く、友人の記憶が無く、隣人の記憶が無く。

故に少女には、このヤーナムの外に居場所が無い。

 

「記憶が無い事の苦しみは、私にはわかりかねますが…それ故にヤーナムを出られない事はわかります。」

「…はい」

「貴女はまだ子供だ。守られるべき立場であるのだから、狩りなんてものは大人に任せておけば良い…と、言えたら良いのですが」

 

心の底から煩わしそうに、それでも何処か期待しているような声音で、ギルバートは言葉を続ける。

 

「貴女の記憶障害も、長い目で見れば病の一種と言える」

「…?はい…」

「だから私は、病に抗い、それを乗り越えられるかも知れない貴女を応援したいのです。」

「病に、抗う…」

 

"まだ会って間も無い貴女には、酷な話でしょうけれど"

そう続けたギルバートに、少女は頭を振って答えた。

 

「そ、そんな事…僕がこの病を乗り越えたら、ギルバートさんは…」

「貴女次第で私の病状がどうこう出来る訳では、きっと無いのでしょう…ですが、希望を持てる。」

 

その言葉は少女の心を充分過ぎる程に勇気づけ、心に引っ張られるようにして両肩が持ち上がった。

明らかに力が入った肩に苦笑したギルバートは、咳をしていた時よりずっと楽な声で少女に前を向かせて見せたのだ。

────…どうやら少々、勇気づけ過ぎたようだが。

 

「僕、頑張りますね!橋の上の化け物も倒して、聖堂街に入って…自分が何なのか、ちゃんと確かめて来ます!」

「えぇ、応援して────…橋の上の化け物?」

「ギルバートさんのご病気に効くものも、見付けて来ますから!」

 

残念な事に最後の擬音が入った呟きは聞こえる事が無かったようで、少女は息巻きながら走り出してしまった。

すっかり静かになってしまった屋外に、屋内から心配の眼差しを送るギルバートだけを置き去りにして。

 

今度こそはと気合いを入れ直した少女は、掠り傷の一つも無しに橋の上へと躍り出る。

血の遺志を拾い、荒れる心中を鎮める事無く、代わりに頬を強く叩いた。

時間を掛けて鎮めるまでもなく、少女の心は凪いで行く。

 

「ギュァァァッ……!」

 

「…これで、最後です!」

 

実に四度目となる挑戦、三度の死を越えても未だに諦める事はしないらしい。

少女は全霊を込めて、聖職者の獣へと駆け始めた。




少女の輸血液

少女が右手に取り出し、右の太腿に刺して使用する輸血用の注射器。
服の上からも使用出来る程に強く太い針は、荒い使用でも折れる事は無い。

少女は夢に訪れる度に助言者に"もう少し針を細く出来ないか"と注文を付けている。
だがそれが叶う時は、きっと来ないのだろう。
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