少女の微睡、月香の夜。   作:かなしいな

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狩人、絶望の先を視る。



※第三十一話、第四章閉幕です。


狩人の絶望、三度目の殺人。

大した驚愕も無く悪夢に降り立ち、また直ぐに動き出した狩人が進む先には、辺境でも見た銀狼が一匹。

近寄って行けば案の定立ち上がり、狩人にその爪を振るわんとするが、それより一手疾く狩人の刃が届いた。

 

「…ふっ!」

「ギィィッ!?」

 

振るわれた爪を後の先を取るように前脚ごと斬り落とすと、狩人はそれで止まらず背負った鞘を左手で引っ張り上げる。

叩き付けるように下ろされたそれが獣の足を潰し、その痛みに悶えた時点で変形を終わらせていた大剣が、叫び声を上げようとした頭を斬り潰した。

素早い狩りにもう一度息を吐いた狩人は、だが未だその狩りが終わっていない事を悟る。

 

獣の体から、紐のようなものが二つ飛び出したのだ。

大口を開けた尺取虫のような姿は、まるで寄生虫。

あからさまなまでに喰らい尽くす事を考えて作られた口が今、狩人に向けられている。

嫌悪感はあるが、表には出さない。

否、出せないからこそ、その顔色を微塵も変えずに二匹の虫の頭を刎ね飛ばした。

 

歪み捻れた心中からは考えられない程に軽い足取りで、狩人は悪夢を歩き渡る。

"このまま走って奥に見える建物まで向かってしまおう"と、狩人は更に加速する。

だが突如その建物から放たれた"それ"によって、狩人の足は止まらざるを得なかった。

 

「ぁぐっ…!?」

 

狩人を襲う光。

強烈な頭痛を持って自らの脅威を教え込むその光は、狩人が岩陰に入るまで続いた。

次いで襲うのは、体の内から突き出る赤黒い槍。

ほおずきとの邂逅に於いても狩人を苦しめた"発狂"が、どういう訳か光によって引き起こされる。

────…何度見ても悪趣味な光だ。

 

「はっ、はっ…ふーっ…」

 

浅い息を繰り返し、ようやく落ち着いた頃。

ちらと岩陰から頭を出せば、それを察知するかのように発光が始まる。

また頭痛が引き起こされる前に顔を引っ込めた狩人は、その場から次に進むべき道を探し始めた。

やがて見付けたのは、来た道から見て左。

正面にも一本の道が見えるが、身を隠せる岩場などは殆ど見えない。

数匹の銀狼がいようと、他が使えないのだから致し方無いだろう。

 

息を整え、両脚に力を込める。

まずは右脚を大きく前へ、そして────

 

「っ…!」

 

岩陰の裏から踏み込み、加速した狩人の体を、あの光が照らす。

一瞬の硬直と頭に走る鋭い痛みを、更に強く踏み込む事で吹き飛ばす。

前からは足音に気付いた銀狼が爪を開いて迫るが、狩人はそれすら意に介さない。

足場となる橋の途中にある岩陰で急ブレーキを掛けた狩人は、つんのめった事で前に働く力を無理やり剣に乗せた。

 

「ふっ!」

 

常より数段力の篭った攻撃は、恐らく頭痛に耐えながら放つが故のもの。

銀狼の顔面を頭蓋ごと叩き斬った一撃は、返す刀で腹から肩にかけてを斬り裂いた。

一匹を仕留めながら岩陰の裏を確保しつつ、狩人は思考を整える。

そうして痛みが引いたと同時に走り出し、狩人は一つ目の関門である橋の前後を突破した。

 

勢いそのままに駆け抜ける狩人の後ろからは二匹の銀狼が迫るが、もうお構い無しだ。

"全て無視して奥を目指そう"と速度を落とさず走る狩人の目の前に、次の関門が映った。

悪夢の辺境にいたのだから、元となるこの悪夢にも当然いるだろう。

狩人の目の前に現れたのは、あの投石巨人だった。

 

これには流石に面食らったか、狩人の走りが僅かに緩み。

だがその奥に扉が見えたと同時に、再加速が始まる。

"扉を開けて中に入ればこちらの勝ちだ"と、結局狩人は走るのを止めない。

目の前にいる三人の巨人が岩を構えようと、だ。

 

突進では開きそうも無い扉へと駆ける狩人に向けての投石が始まるが、狩人にはその攻撃を利用する考えがあった。

左右へと大きく岩を躱しながら辿り着いた大扉に両手を添える。

一つ息を吸って強く押し込めば、こびり付いた土や砂がさらさらと落ち、錆びた金属が擦れ合う音を上げながら開いて行く。

 

そして再びの投石。

数は三、受ければまず命は無いだろう。

故に狩人はそれを予見し、欠片の一つすらも躱しきる。

扉に当たって砕けた岩の粉塵が晴れた頃、そこには狩人一人が通れる程度の隙間が開いていた。

 

投石の威力を利用して扉を開いた狩人は、三度目の投石が始まる前に建物内へ駆け込む。

中は薄暗いが、見えないという事も無い。

めっきり使わなくなってしまった携行ランタンの出番は、ここでも存在しないようだ。

 

右に一つと、奥に一つ。

進む道はその二つくらいのものだろう。

上を見やればどうやら右の道は今いる部屋の上層に繋がっているようで────

見やった足場の更に奥に、狩人は何かを発見する。

それによって息を呑む狩人は、だが禁域の森でそうしてしまったように悲鳴を上げはしない。

 

まず目に付くのは、白痴のロマとそう大差無いのではないかという程の巨躯を持つ大蜘蛛が、天井に張り付いている様。

次いで大蜘蛛の傍で同様に張り付いている子蜘蛛を見付けた所で、狩人は正面戦闘を諦めた。

幾ら感情がなりを潜めようが、嫌いなものは嫌いなのだろう。

 

極度の虫嫌いである狩人は、駆け抜ける手段を考え始める。

ここ数分の全てを逃げに費やして来た狩人だが、どうにもこの場を無傷で抜ける手段が思い付かない。

いよいよもって考える事すら諦めたらしく、聖剣をしまうと、一直線に駆け始めた。

 

疾風と見紛うような速度で駆ける狩人の姿をその複眼で見付けた蜘蛛の群れが、道を遮るように床へと降り立つ。

が、狩人は足を止めない。

むしろ蜘蛛の群れの中心を突き抜けるようにただひた走る。

好都合だと言わんばかりに振るわれた節足の先が、狩人の柔肌を切り裂き、引き裂く。

 

「っ!」

 

苦痛に顔を歪めながらも、狩人は正面の階段を一つ上り、直ぐ右に見えた通路らしき方向へと飛び込んだ。

大蜘蛛はこれで追うのを諦めるのだろうが、問題は子蜘蛛だ。

未だきしきしと足音を立てながら迫る幾匹かが、僅かに振り向いた狩人の視界の端に映る。

当然捕まる訳にはいかない狩人としては真っ直ぐ逃げるしか無いのだが、それを阻むように佇む影が一つ。

 

長い通路の先、その影は人型をしている。

右手に持つ長い影と背中の大きな影からして、得物は狩人と同じくルドウイークの聖剣だろう。

左手に持っているのは、恐らくビルゲンワースで一度体験したロスマリヌスだ。

 

「…っ、ぐ、うぅっ!」

 

"人型は強敵"という狩人が今まで歩んで来た夜で培った経験による固定観念が、両足にブレーキを掛ける。

ただ止まったのでは蜘蛛に追い付かれ殺されるという事は理解している狩人が、それで終わる筈も無い。

急制動と同時に直剣を取り出した狩人は、右回転の始動と同時に剣を鞘に納める。

下半身に引かれるようにして振り向く上半身の勢いを利用した変形攻撃が、僅かな制動によって追い付いた蜘蛛の群れを薙ぎ払った。

 

「ふーっ…」

 

反転と同時に振るわれた一撃を避け生き延びた子蜘蛛達を斬り返しによって片付けると、狩人は直剣を分離させ鞘を背負い直す。

呼吸を落ち着けつつ振り返れば、人影がゆっくりと歩みを進め始める。

骨格や立ち居姿からして、恐らくは男性だ。

 

この夜で当然となり始めた事柄として、"夜を歩む狩人の殆ど全てが、この少女と比べ何に於いても勝っている"というものがある。

当然目の前の男もそうなのだろうが、狩人が怯む事は無い。

先程言った通り、当然となっているからだ。

 

直剣を構え突貫した狩人の真正面を、白い霧が覆う。

ロスマリヌスの攻撃方法を既に知っている狩人は、霧の直撃を避ける────

 

「────…今」

 

事はせず、左腕で鞘を持ち上げ、眼前に突き立てた。

即席の盾を作り出した狩人に対して、男はロスマリヌスによる攻撃を中断し、盾の裏へ回ろうと一歩前へ踏み込む。

その踏み込みを狙っていた狩人が鞘の上に足を掛けたのは、ほぼ同時の事。

 

経験に於いても狩人に勝っている男は、その行動に瞬時に反応し、直剣を斜め上へと振るい上げる。

対して狩人は防御などせず、最小限足の向きを変えて力の方向を変える事により、危なげなく回避して見せた。

それを見て振り上げた直剣を引き戻そうとする男の右腕に、狩人が足の利かない空中にいるまま繰り出した斬撃が命中する。

 

「グ…!」

 

耐えきれないとばかりに漏れた声と同時に、男の右腕が肘から先を失う。

返り血を浴びながら着地した狩人は男が背負う鞘を掴んで引き倒し、がら空きになった胸部に直剣を捩じ込んだ。

苦悶の息が聞こえたのは、それから数秒の間だけ。

綺麗に急所を貫かれた事で、男は即死していた。

 

「ぁぐ…ぅ…」

 

くらりと、狩人の体が傾く。

この悪夢に立ち入ってから、どうにも調子が悪そうだ。

或いはこの悪夢だからこそ、なのだろうか。

 

頭を振って無理やり調子を戻すと、狩人は廊下を渡りまた建物内へと入って行く。

入口を通って直ぐに見えた動く影に反応し、直ぐ様物陰へと身を隠した狩人の視線の先に居たのは、鎧を着た小人のような影。

背丈で言えば狩人とそう変わらないか、或いは少し低いくらいのもので、狩人は警戒を解かず武器を構えたまま近付いて行く。

 

侮っている訳では無いが、数が数だ。

今し方見付けた一体だけならまだしも、狩人は歩く最中に他複数の影を見付けてしまった。

故にこの先に進むには、どの程度の脅威があるかを測る必要がある。

そうして"メルゴーの従者"に連なる小人の前へと姿を現した狩人に対し、小人は────

 

「………?」

 

襲う事は、しなかった。

顔を向けるだけで、警戒の素振りも無い。

ただウロウロと歩くのみであり、暫く待って観察しようがそれは変わらない。

 

そんな状況に身を置かれた狩人が思い出すのは、カインハーストでの一件だ。

吹き矢のようなもので攻撃された直後、周囲にいた霊達が発狂したように攻撃的になった、あの出来事。

"似たような事があるかも知れない"と、狩人は周囲の警戒をしつつ、次の道を探し始めた。

 

ゆっくりと歩みを進める狩人は、やがて下階へと降りる階段を見付ける。

上階から見えるのは中心によった床だけであり、その左右には照明などは無く、まともに視界が働かない。

だが中心部は暗がりの中でも視界がくっきりと晴れており、このままランタンを使わずに通る事も可能だろう。

問題は今も狩人の左右を歩く小人達と、下階に見える人影。

この小人が敵対しないからと言って、他がそうとは限らないのだ。

 

それを念頭に置いて、狩人は階段を降りて行く。

まだ見ぬ脅威を警戒しての忍び足は、結果的に直後の狩人を助ける事となる。

自身の足音が響かないが故に、背後から届いた軽い足音にいち早く気付けたのだ。

 

振るわれる細腕は、先程まで襲って来る素振りなど無かった小人のもの。

慌てて受け止めた時点で、狩人はその場での不利を理解した。

階段の上下による頭上の有利は相手のものであり、かつ動き出したのはこの小人だけでは無い。

後ろからは他が来ており、下にも居るであろうそれらが向かって来る可能性もある。

多勢に無勢、夢の狩人とは得てして数の暴力に弱い。

 

そして何より、今の音で下階の人影に気付かれてしまった。

下階の左右に広がる暗い足場、その暗さが"明かりが届かない"が故のものでは無い事くらいは、階段を降りた時点で軽く見通せる。

つまりは、敵が存在するであろう道の中心を走り抜けるしか無い。

 

この状況でハッキリとしているアドバンテージ。

それは"狩人の足は速く、またその速さに追い付ける者は少ない"という事。

あの忌々しい犬畜生共はまだしも、他大勢の者共が追い付ける道理など無いのだ。

だからこその逃げの一手であり、故にこそ他の狩人よりも血の遺志による強化の回数が少なく、戦闘能力は夢の狩人の中では低いと言わざるを得ないのだが。

 

今回も逃げを選んだ狩人の姿が、一瞬のブレの後に急加速する。

滑り落ちるように階段を駆け下り、その途中で手摺を飛び越えた狩人の目の前には、柱が一本。

先程見えた人影は、きっとこの裏だ。

止まっている余裕など無いのだから、対策を考える余裕も無い。

そうして柱の横を駆け抜けようとする狩人の耳に、重い風切り音が届く。

 

聞き慣れない異質の重さに、聞き慣れた金属同士が擦れ合い、弾き合う音。

瞬間身を屈めて地面を滑って行く狩人の真上を通り過ぎたのは、途中で断ち切られた長く大きい鎖だった。

左腕一本でそれを振るった人影の異様に息を呑みつつ、狩人は逃走を再開する。

不気味な鉄仮面を身に付けているというだけでなく、右腕だけで構える"肉断ち"などと呼ぶのも憚られるような得物は、巨人の包丁と言われても納得してしまう程に巨大だ。

 

"喰らえば一溜りも無い"など、今まで何を相手した所で常識のようなものだったが、それはそれとしてここで夢送りにされる訳には行かない。

"殺されるなら、せめて次の灯りを見付けてから"

その一心で駆け抜けた先には、幾人かの小人と、またもや鉄仮面────

 

「ふーっ…!」

 

の更に奥に見えた、恐らくはエレベーターであろうひしゃげた檻。

何故それがエレベーター────所謂ショートカットだと理解出来たのかは経験によるものとしか言えないが、大部分はその床が丸く光を発している事と、傍に同様の光が一つ置かれていた事だろう。

 

兎も角として、それを見付けた瞬間に加速を掛ける狩人の横面へと、鋭い一矢が放たれる。

咄嗟に頭を下げた狩人の髪の毛先を数本攫って行った矢は、どうやらあの小人の内の一人が放ったもののようだ。

狩人の持つ銃とも違う、放ったものが矢なのだから弓かと思えばそうでも無い。

 

群れの内の一人、帽子を被っていた小人が持っているのは、ボウガンだ。

再装填が容易であり、且つ弓ほど近距離狙撃に技量を必要としない。

無論弓は弓、ボウガンはボウガン。

弓とボウガンの技は非なるものではあるが、当てやすさに於いては圧倒的にボウガンが勝るだろう。

 

だが狩人はその差を知らない。

体験した事が無い、経験した事が無い。

もしあったとしても、記憶が無いのだから仕方が無い。

この被弾は、仕方が無い事なのだ。

 

「っぐ…!?」

 

鎖をすり抜けて檻に乗り込んだ狩人を襲ったのは、上昇によって掛かる負荷と、二本の矢。

エレベーターの前まで走っていた時には通っていなかったもう一つの射線が、乗り込んだ事によって開いてしまったらしい。

片方が左肩の裏に、もう片方は背負っていた鞘に弾かれて落ちる。

 

ただの細矢とは思えない威力に、狩人の視界に火花が散る。

致命とは行かないまでも、ダメージは大きい。

こんなふざけた構造では矢を防ぐ事も、身を隠す事も出来ないだろう。

痛みと焦りを僅かに顔に浮かべる狩人の足下、今も上昇するエレベーターの真下を、目視出来る限りの最後の矢が通り過ぎた事で、狩人はようやく安心した様子で檻に体を預けた。

 

やがて小さな揺れと共にエレベーターが停止すると、狩人はのろのろと檻から石畳へ足を付けた。

左肩に刺さった一本を、痛みに喘ぎながら背へと回した左手で確りと掴み、無理やり引き抜く。

傷こそ深いが刺さりが甘かったようで、矢は思いの外簡単に抜けて行った。

 

「ふーっ…ふーっ…」

 

食い縛っていた口を半開きにし、荒い息を繰り返しながら輸血を行う。

そうして傷の痛みと輸血の快楽で僅かばかりに明瞭となった視界は、不快感が際立つ異形を目にしてしまっていた。

犬の頭に、肥えた鴉の体。

害獣と害鳥のキメラとは、なかなか趣味が良い。

これで互いの悪い部分を何方も捨ててくれていれば、何の文句も無いのだが。

 

「ギャアッ!ギャアッ!」

 

害獣と害鳥、思えばこの世全ての悪の具現のような組み合わせだ

それらを掛け合わせた所で、やはり害は害のままだった。

煩く吠えて、喧しく暴れる。

辟易とした様子からして、狩人も最早相手をする気は無いらしい。

 

冷めた目をしながら右へ逸れて行けば、その先にはやはりキメラの群れ。

犬鴉共を避けてとっとと進む狩人の気分は、次に現れた存在によって更に酷いものとなる。

 

「ギャウゥッ!」

 

鴉の頭を持つ犬。

動きは犬で、鳴き声は鴉。

考えの内に無かった訳では無いようだが、それはそれとして最悪の組み合わせだ。

 

大きく開かれた嘴を向けながら飛び掛かるキメラに対して、容赦の無い斬撃が振るわれる。

嘴の継ぎ目である顎関節へと突き刺さった刃は、そのまま鴉の頭を上下に両断した。

直剣に付いた血を振り落としつつ歩いた先には、宙から吊り下がる檻と、そこから落ちて来る犬頭の鴉が二羽。

相手をしていてはキリが無いと進む足を急がせる狩人が先で見付けたのは、先程吊られていた檻よりも遥かに小ぶりな、人一人が収まるかと言った程度の大きさをした檻だった。

 

内外に仕掛けが見えるそれは、下階から上がって来るのに使用したものと同様のエレベーターだ。

上下どちらに向かうかもわからないのだから、あまり乗る気は湧かないだろうが、狩人は一先ず周囲に見える幾つかの通路を見やる。

左からは犬────では無く、鴉の鳴き声。

そして右からは何も聞こえず、ただただ不気味な無音がそこに在る。

 

暫く考えて、狩人はエレベーターらしき檻へと乗り込んだ。

体格のせいかゆとりのある檻に両足が乗ると、格子扉が閉まり、僅かな浮遊感の直後に降下が始まる。

何の支えも無く高度を下げ続ける檻が失速し始め、やがて完全に停止した所で、格子扉が開いた。

降りた場所から見えるのは、特に障害物という程のものも無い崖沿いの一本道。

恐らくはこのメンシスの悪夢に来て最初に見付けたものであろう道が、目の前にあった。

 

"あの光があるのでは通れない"と振り返った狩人は、傍にひっそりと置かれた灯りを見付ける。

"消耗は少ないのだから、夢へ戻る必要は無い"

そうして狩人は一先ず灯りを灯し、もう一度エレベーターに乗り込んだ。

 

先程は気にしている余裕が無かったが、冷静に考える余裕を持って乗ってみれば、随分と不安定な仕掛けだ。

風に攫われて壁に激突してしまったら、もしこの檻を繋ぐ鎖が切れてしまったら。

"きっと一溜りも無いのだろうな"などと軽い考えのまま、再びの上階を狩人は進んで行く。

 

進む先は無音の通路。

奥には白い霧のようなものが見えるが、今更室内の霧がどうこうで歩みを止める狩人では無い。

故にこの停滞は、"その程度"では済まなかったものによるものだ。

 

「…っ!?」

 

狩人の脳内に響く赤子の泣き声。

人間の赤子の声にしか聞こえないが、その声は何処か寂し気だ。

居なくなった母親を探すような声色は、酷く狩人の心をざわめかせる。

それだけならまだ良いが、どうやらこの泣き声はただ耳から聞こえている訳では無いらしい。

脳の中心から直接響き渡るような泣き声は、同情にも似た感情より僅かに強い苛立たしさを掻き立てた。

 

とはいえ、赤子の泣き声一つで足を止めていたら先に進むなど以ての外だ。

雑念こそ残しつつも、狩人は無理やり歩みを再開する。

その先で動く影が一つ、二つ。

即座に直剣を構えた狩人の目の前で"組み上がって行く"それらは、白い糸のような何かで宙吊りにされている。

瞬き一つの内に操り人形が二つ、道を阻むように立ち上がった。

 

手っ取り早く終わらせたいが為か、構えていた直剣を背に回した狩人は、鞘に剣をしまった姿勢のまま走り出す。

それを迎え撃たんとして前へ躍り出る一体を、真上から振り抜く大剣で叩き潰すと、隙を突くように寄って来るもう一体を蹴飛ばした。

パーツ自体が固定されていないからか、蹴り一つで全身が揺らぎ、崩れこそしないものの大きな隙となる。

予見していた訳でも無いそれを完璧に理解した狩人の斬撃が、横薙ぎに操り人形を破壊した。

 

赤子の泣き声は、いつの間にか止んでいる。

それを狩人が自覚したのは、霧の立ち込める部屋に踏み入ってからの事。

────つまりは、奴の領域に踏み込んだという事でもある。

 

「あぁ、ゴース…或いはゴスム…」

 

墓暴きによって学者達が得た智恵。

その根幹たる存在、上位者。

ゴース、或いはゴスム。

罪の象徴でもあり、悪夢の始まりであるその名を、男は呼んだ。

 

「我らの祈りが聞こえぬか…」

「………」

 

マントを羽織った男は、頭に檻のような被り物をしている。

狩人も直近に覚えがあるそれは、再誕者を討ち倒した先で触れたミイラのものと同一だ。

 

「…おや?」

「っ…!?」

 

懇願するように開いていた手が、ゆっくりと上を向いていた上体が。

突如として、狩人の方へと向けられる。

 

「らしくない異物が紛れ込んだとは思っていたが、そうか…」

「…何を────」

「いや素晴らしい!悪夢の中だからこその邂逅…やはり我らの祈りは通じていたのだ!」

 

…祈りとは、交信と同義だった筈だ。

感応する精神に対し、対話を図る手段。

それが何故この少女と結び付く?

特別な智慧など、記憶を失った少女に宿る筈も無いだろうに。

 

「…本当に、何の話ですか」

「何を今更!そのいっそう濃く醸し出される月の香りが物語っているだろう?」

 

"理解が及ばない"と殆ど動きを失っていた表情筋を久々の運動に引き攣らせながら伝えれば、ろくに動いていない狩人の顔と違い、ミコラーシュの顔は段々と色濃い落胆に染まって行く。

 

「そうか、そうか…」

「………」

「だがッ!!」

「っ!?」

 

唐突な大声に、狩人の両肩が震える。

初めて見るタイプの狂人に、まだ耐性が出来上がっていないのだろう。

にしても、そうか。

この男が勘違いするだけの特異性、或いは類似性が、この少女にあるのか。

 

「だとしても、我らは夢を諦めぬ!君という礎を築き、もう一度歩み出そうでは無いか!」

 

声と同時に、空気を割る音が飛来する。

先程倒した操り人形と同様のものが、真横から文字通り"飛んで来た"のだ。

それを察知した瞬間、狩人はその場から飛び退く。

間一髪の回避の後に起き上がった狩人の視界に映るのは、高笑いをしながら奥に見える道を右へと曲がって行く姿。

"悪夢の主 ミコラーシュ"との戦いが、今始まってしまった。

 

「ハッハッハッハッ……アーッハッハッハッハッ…!」

 

その笑い声を皮切りに、再び操り人形が動き出す。

狩人は両腕を振り被る操り人形を直剣で串刺しにして後ろへ投げると、ミコラーシュの姿を追い駆ける。

曲がり角から顔を出した狩人をおちょくるように、ミコラーシュは軽い足取りで更に奥へと走る。

 

「君の識る夢とは勝手が違うだろう!存分に感じ、そして識ると良い!」

 

走りながら語るミコラーシュに対して、狩人は声を発する事も息を切らす事もせずにその姿を追う。

彼らが求め、そして与えられたものを、ミコラーシュもまた欲している。

 

「アッハハハハハッ!」

 

時に狂喜の声を上げながら、ミコラーシュは駆けて行く。

対する狩人は自らが追う側となるのが珍しく、そして新鮮なのか、然程苦でも無くそれを追う。

長く続くかと思われた追い駆けっこは、その実素早く中断された。

室内を三周ほど走り回った頃、狩人に追い立てられたミコラーシュが、いよいよ行き止まりとなる部屋へと入って行ったのだ。

 

「クク、ハハハ…祈りが成就するのは、確かに今では無かった。だが!君という存在を持って、我らは更に先を視る!」

「………」

 

"理解する必要が無いから"という沈黙では無い。

寧ろ自身のルーツに繋がるやも知れないのだから、ただ言葉の続きを待ち、こうして攻めの手を取らずに居るのだろう。

だが狩人は記憶を失っている。

ミコラーシュが欲するようなものは、何も持っていない筈だ。

この少女は、ただ"過酷な運命"を背負ったというだけの、ただの少女なのだから。

 

────が、それすらもこの男からすれば些事。

 

「アッハハハッ!!」

「くっ…!」

 

直剣を片手にした狩人と、対して無手のミコラーシュ。

二人の距離は約2メートル程、互いが互いの間合いから外れている。

だと言うのにミコラーシュはその右腕を突き出し、それによって繰り出された攻撃は、反射的に大きく回避を取った狩人の脇腹を掠めた。

 

エーブリエタースの先触れ。

かの上位者の先触れを限定的に顕現させる秘儀であり、今まで受けた経験の無い業だ。

幾多もの触腕が拳から伸び、攻撃行動を行った直後にほどけて消える。

狩人はその奇怪な攻撃に目を見開きながらも、"この間合いは不利だ"と悟ったか、距離を詰める為に前へと駆け出す。

 

再びの先触れ、正面へと一直線に走っていた狩人を、触腕の群れが呑み込む。

狩人の姿は完全に触腕に隠れ、そして触腕がほどけた後もその場に現れはしなかった。

回避は行わず、狩人はただその進路を僅かに逸らしたのみ。

結果としてその"ステップ"が、ミコラーシュの背後を取る最良の手段となった。

 

「グッ…!成程、やはり優れた狩人だ。恐れを知っているのに、自ら身を投げる事が出来ている!」

 

ミコラーシュの賞賛に答えないまま、狩人は斬撃を重ねる。

無手の状態でそれを防ぐ手立てが少ないミコラーシュは、後退しつつ先触れを放つ。

背後に回られる事を警戒しての立ち回りだが、その分回避の猶予は充分。

最早回り込みが通用しないのだから、態々前へ出て迎撃する必要も無い。

故に狩人は、最も得意とする武器を構えた。

 

空裂音、発砲音。

素早く取り出された短銃から撃ち放たれた弾丸が、触腕の群れへと飛び込む。

だが水銀弾は止まらず、触腕の合間を縫って肩を撃ち抜いた。

 

「ガァァァッ!?」

 

ほどけて行く触腕を左腕で叩き払いつつ放った斬り上げが、ミコラーシュの右肩を斬り裂く。

トドメと言うにはあまりに軽い手応えの一撃で、ミコラーシュの体は虚空に溶けてしまった。

当然、これで終わりでは無い。

 

「アッハハハハッ!」

 

何処からか、ミコラーシュの声が響く。

心の底からの賞賛、喜悦といった声色は、苛立ちを煽るような声にも聞こえる。

 

「おぉ、素晴らしい!夢の中でも狩人とは!…君の場合は、夢の中だからこそとも言えるが!」

 

知っている者の口調だ。

狩人はますます奴を殺す訳には行かなくなった。

この旅は青ざめた血を探すものでは無く、青ざめた血を探していた自分自身を探る旅であるのだから。

 

「けれど、けれどね…悪夢は巡り、そして終わらないものだろう!」

 

既にミコラーシュの存在がこの部屋に無い事に気付いた狩人は、直ぐに部屋を飛び出し、声の方向を探る。

よく通る声は反響の位置を詳細に狩人に伝えており、狩人は然程苦も無く方向を聞き分け、そして右手に見える階段を駆け上がって行った。

立ち込める霧を潜った先には、またも階段とその途上に居る小人。

数は二だが、奥のものはボウガンを持っている。

 

まず一矢を避けた狩人は、手前に居る人形に向かって突進し、直剣で突き刺して持ち上げる。

そうして即席の盾を作り出すと、二体目の小人の矢を盾で受けながら走り寄り、抜き放った直剣で首と胴を断ち分けた。

 

半ばに幾つか落ちている輸血液や水銀弾を拾って行けば、その先には下階と似たような景色が広がっていた。

そして目の前にある階段の上には、ミコラーシュの姿がある。

駆け出した狩人の動きに合わせるように左手の道へと入って行ったミコラーシュの向かう先には、下へと空いた吹き抜けと、その横を通る為の道が一つ。

ミコラーシュはその道を走り、そして吹き抜けから下へと飛び降りた。

 

追うように飛び降りる狩人の姿を一目見たミコラーシュは、何をするでも無く背を向け、走り出す。

それを更に追い立てる狩人の目の前で、扉が閉じられた。

上から降りて来たその扉は、罠なのか、拒絶なのか。

だがきっと、手が無い訳では無いのだろう。

だからこその罠とも言えるが。

 

閉じた門扉を見た瞬間、狩人は後ろへと駆け出す。

残る道となった左の階段を駆け上がる最中、またも何処からかミコラーシュの声が聞こえて来る。

 

「あぁ、ゴース、或いはゴスム」

 

祈るような口調は、やはり求めるが故のものか。

諦めぬと言っていた通り、礎を築くと言っていた通り。

奴は狩人すらも利用し、その次元へと至るべくこの行為を続けるのだろう。

 

「白痴のロマにそうしたように、我らに瞳を授けたまえ。我らの脳に瞳を与え、獣の愚かを克させたまえ」

 

狩人という存在に触れ、消失したあの蜘蛛。

儀式の秘匿は確かに解かれたのだから、蜘蛛は死んだのだろう。

だからこそ、謎が残るのだ。

あの蜘蛛が自死を取る理由など無く、自死を思い付くような知恵もとうに失っている。

考えずに行われた事なのだから、きっとそれは決まっていた事の筈なのだ。

 

「泥に浸かり、もはや見えぬ湖…宇宙よ!」

 

態々大きな声で語るお蔭で、狩人は声が反響して来る大凡の位置を掴み、そしてその場所へと辿り着いた。

先程の吹き抜けとは似ても似つかない程に小さな穴だが、確かに下へと降りる事が出来るもので、真下にはミコラーシュの姿が見える。

未だ何処かへ、何かへ語り掛けるミコラーシュに隙があるように見えたのか、狩人は剣を構えつつ穴から飛び降りた。

 

「やがてこそ舌を噛み、語り明かそう…明かし語ろう…新しい思索、超次元を!」

 

その言葉を終える直前、ミコラーシュが両腕を祈るように上へ掲げ、両手をゆっくりと握り締める。

瞬間、ミコラーシュの両手が強く発光した。

ビルゲンワースで見たあの巨大な虫、奴が隕石のような火球を放つ際に見せた、あの光と同じ色。

それに何かを感じ取った狩人は、空中で身を捩り光に背を向ける。

 

「っぐぅ…!?」

 

鞘越しに背中へ走る衝撃は、まるで小爆発のような威力をしている。

盾があってこれなのだから、直撃すれば一溜りも無いだろう。

ダメージこそあるが無傷で着地した狩人に、ミコラーシュはまたも賞賛の声を掛ける。

 

「素晴らしい反応だ!その姿からは考えられない程に!」

 

操り人形の横槍も無いこの空間では、狩人の有利で事が進められる。

だと言うのにミコラーシュは狩人の能力に歓喜し、賞賛を惜しまない。

いよいよ気味の悪さが青天井すら突き抜ける勢いだが、狩人はおくびにも出さず攻撃の手を速めた。

 

回避の動きに合わせた連続しての先触れは、部屋を駆け回る狩人の速度にすら対応している。

故に一歩退かざるを得ない狩人の目には、両腕を掲げるミコラーシュの姿が映っていた。

 

"彼方への呼びかけ"

高威力にして広範囲、追尾性を持ち合わせるその秘儀は、先程狩人が空中で防御して見せたもの。

"今撃たれれば避けられない"、"防御は間に合わない"

 

知恵を搾る狩人の肌に、奇妙な感触が走った。

ぬるりと、装束の内から袖を、腕を通る感触。

反射的に持ち上げた左手に、銃は握られていなかった。

 

「ヌゥッ!?」

 

だが、その左手を向けられたミコラーシュは後方へと弾き飛ばされる。

狩人の左手からまろび出た、無数の触腕によって。

あの感触は、教室棟の箱から這い出た蛞蝓のもの。

自らの意志で動くなど、ありはしない筈だ。

 

とはいえ、素地は出来ていた。

狩人の内に宿る神秘に呼応した、と言うしかあるまい。

どの道ここまで特異性を見せ付けられて、今更手放しようが無いのだから。

失敗作ではあったが、奴同様、この少女を礎とする事も出来るだろう。

 

吹き飛ばされたミコラーシュは直ぐに起き上がるが、足取りは覚束無い。

そんな様子で、この狩人の追撃を避けられる筈も無く。

その場から跳ね飛ぶように突進した狩人は、直剣の刃をミコラーシュの腹に添え、殴り飛ばす。

殺すには浅過ぎる一撃は、やはり狩人がこの男に求める"答え"故のもの。

 

「ハ、ハハ…これが目覚めか、これが終わりか。全て、忘れてしまうのか…」

 

たった今床に転がされたミコラーシュは、それでも笑顔を失わない。

ただ、今消えてしまうのは大変困る。

狩人は狂気に陥った悪夢の主に歩み寄り、問い掛けた。

 

「貴方は…貴方は、僕の事について、何か知っているんですか」

「いいや、何も知らない。識らないし、理解らない。だからこそ求め、祈ったのだ」

「…"夢の中だからこそ"と言うのは?」

 

それだ、正しく聞きたかった事は。

たとえ知らなくとも、識らなくとも。

この男は確かに狩人に対して"何か"を感じ取っていたのだから。

 

「答えんさ。これは私の探究であり、君の正体を明かす為のものでは断じて無いのだから!」

「なっ…ぅ、そうですか」

 

呆れてものが言えんが、どうやら狩人はこの期に及んで"人の成果を奪う事はしない"らしい。

仕方の無い話とはいえ、あまりにも惜しい。

この男の探究は、我らの悲願に大きな一歩を齎すだろうに。

 

「我々は何より探究を尊ぶ。君もまた知る事を諦めず、足掻きたまえよ」

 

ミコラーシュの姿が、白く薄く解け始める。

まだだ、まだ聞きたい事は山程ある。

しかしこの少女はその手の事を理解出来ない。

なんともどかしい事か、これでもう少しばかりこちら側の智慧があれば。

 

「あ…ま、待って────」

 

言い切る前に、悪夢の主は消えてしまった。

同時に響き始めた轟音が、混乱の渦中に居た狩人の思考を無理やり醒ます。

この部屋に入る為にあった橋が、上まで持ち上がって来たらしい。

 

どうやら迷ったらしい狩人は、うろうろと数回似たような道を行き来して、ようやく橋を見付けた。

何の懸念があるのか、橋の向こうにあった灯りを灯し、その場で悩み始める。

また人形の事だろうが、これ以上の強行は無茶だろう。

今までは精神だけで済んでいたが、いよいよ体も疲労によって悲鳴を上げている。

 

暫く悩んで、狩人は夢へと転送されて行った。

 

 

 

「もう、お辞めになってください」

「…狩りを、ですか」

 

夢へ帰って直ぐ、人形から狩人へ声が掛けられる。

何処までも平坦で、何処か苦しそうな声音。

 

「貴女がこれ以上心を砕く所を、私は、私は…」

 

狩人の身を、そして心を案じているが故の苦言なのだろうが、生憎狩人は辞め時を見失って久しい。

 

「心配してくれてありがとうございます…それと、ごめんなさい。まだまだ、心配掛けると思います」

「…いえ、私は狩人様の世話役ですので」

 

差し出された左手を手に取りながら、人形はそう告げる。

納得など到底していないだろうが、文句を言える立場でも無いのだ。

そもそもとして"我儘"などという事を言えるようになっているのが異常とも言える。

 

「それに、私は貴女を愛しているのです」

「────…そうでしたね」

 

強化が済んだ時点で何も言わずに墓標へ向かう狩人の背に、人形の言葉が投げ掛けられる。

"まだそう言ってくれるのか"と、狩人は自嘲気味に微笑を浮かべつつ振り返る。

二人の友の死を目の当たりにし、一人の友の頼みで集めた生き残りすらも、守る事が出来なかった。

 

「…行ってきます」

「行ってらっしゃい、狩人様」

 

『じゃあ人形さんは、僕に先行投資しておいてください』

 

人形が狩人に行っている"愛の先行投資"。

その愛の返し方を、狩人はまだ知らない。

 

 

 

後ろめたさにも似た感情を抱きつつ、逃げるように夢から出た狩人は、オドン教会へと転送された。

転送直後に気付いたのは、アリアンナの不在。

"まさか、そんな筈は"と辺りを確認しても、アリアンナの姿は見えない。

老婆の死という事実も、狩人の焦りに拍車を掛ける。

 

「あぁ狩人さん…あの女の人が、下に降りて行ったんだ。酷く具合が悪そうで、心配でさ…様子を見に行ってくれないか?」

 

その懇願に返答する事無く、狩人は駆け出した。

焦り故か額に汗を滲ませながら、地下墓地へ続く階段を降りて行き、アリアンナの姿を探す。

下にある小部屋には影も形も無い。

ならば更に下かと梯子を降りれば、アリアンナはそこにいた。

謎の小動物のような何かと共に。

 

不快な音が狩人の両耳を突き刺す。

その音の主"上位者の赤子"は、今もアリアンナの目の前でキィキィと鳴いている。

何処か人間の赤子の泣き声にも聞こえる耳障りなそれのせいか、狩人は直ぐにでもこの場を去りたい思いで一杯だった。

 

「アリアンナさん…」

「嘘、嘘よ…これは嘘…きっと、悪い夢なんだわ…」

 

彼女は血の施しと言って効果量の高い輸血液を提供してくれる。

かなり惜しい人材だが、とは言え悲願の為の前提条件なのだ、致し方無い。

どうか選択肢を間違えないでくれ。

 

「ウフッ、ウフフッ…アハハハハッ…」

「っ、大丈夫、大丈夫ですから…!」

 

狩人はやがて剣を構える。

向けたのはアリアンナでも、当然自身でも無い。

"きっとこれのせいでおかしいのだ"と、"これを殺せば戻るのだ"と。

そう言い聞かせて、狩人は赤子に刃を突き立てた。

 

「ギィィィッ!」

「あぁぁあっ!」

 

「────…え?」

 

全く同時に、二つの叫び声が上がった。

一つは刃を突き立てた上位者の赤子のもの。

もう一つは、アリアンナのもの。

上位者の赤子を孕んだ女は、赤子との間に一方的なパスが結ばれる。

一度そのパスが結ばれれば、赤子が死んだ際には母体も死を迎える事となる。

一方的と言うのは、母体が死んだ所で赤子は健在のままだからだ。

 

「え、あ…?」

 

狩人は自身の行いを理解しきれていない。

"何故この不気味な生物を殺してアリアンナまで死ぬ?"と、ずっと疑問が浮かび続けるばかりで。

いよいよ答えが出る前に、心が悲鳴を上げてしまったらしい。

 

「…あぁ、はは」

 

その場に残ったへその緒は、虚空に溶けて消えた。

三本の三本目、あと一本。

 

ぼろぼろと流れる涙に気付いていないかのように、小さな口から笑い声が止めどなく溢れる。

もしオドン教会の避難民達が正気だったとしても、赤ローブの男がこの笑い声を聞いていたとしても、きっと狂気には気付かないのだろう。

 

「あはははっ、あはっ」

 

避難民は"きっと楽しい事があったのだろう"と、赤ローブは"きっとあの女性と談笑でもしているのだ"と。

狂人の笑い声は乾いたものだと扱われがちだが、狩人のものはそうは聞こえない。

当然だ、本心からおかしくて笑っているのに、笑い声が乾く筈も無い。

 

ガスコインの娘のように、正気を失った老婆のように。

"自分のせいで死んだ"というなら、まだ耐えられたのかも知れない。

だが今回は勝手が違う。

狩人は間違い無く、"自分の手で殺した"のだから。

 

「ふ、ふふふふっ…」

 

ふらふらと立ち上がった狩人は、オドン教会を後にする。

夢へと戻るのでは無く、教会の外へ。

何処を目指しているのかと言えば、それは恐らくあの光球によって導かれるままに。

狩人が教会から顔を出したのは、老婆の死体が倒れていた墓地の方向だった。

 

頭上に鎮座しているアメンドーズは、今も狩人を見下ろしている。

狂気のままに笑う狩人は、その姿を見上げない。

見上げぬままに立ち上がった狩人の姿に、巨体はぴくりと反応する。

次の瞬間、アメンドーズの大きな手が狩人に向かって伸びた。

 

何だ、どういう事だ。

よもやこのような真似をアメンドーズがするとは、今まで一度も起きなかった事だ。

何百回と試行を重ね、彼ら彼女らの軌跡を見守ったと言うのに、こんな異常を見逃す筈がない。

白痴のロマ、悪夢の主ミコラーシュ。

そしてこのアメンドーズ。

我らの悲願は、ずっと近い所にあるのやも知れない。

 

未だに笑みを浮かべていた狩人の表情筋が、ここに来てようやく形を崩す。

小さいが、確かに驚愕の表情を浮かべている辺り、導きは危機を知らせる事もしなかったのだろう。

この状況を理解しているのは、あの忌々しい光球だけか。

 

「…ぁは」

 

一瞬の驚愕の後、狩人の顔に笑顔が戻る。

小さな体がゆっくりと持ち上げられ、格子のような楕円の頭が狩人の目の前で静止する。

否、狩人を持ち上げる腕が静止したのだ。

柔い体が、万力で握り潰される事によってみちみちと音を立てる。

やがて狩人の体が感じる力は、握力によるものでは無くなっていた。

 

「だから奴らに、呪いの声を」

 

悪夢の辺境への転送で見たあの光が、再び狩人を包み込む。

絶望に打ちひしがれ、最早自身の感情すら理解出来なくなった狩人を、それでも世界は許さなかった。

 

「赤子の赤子、ずっと先の赤子まで」




少女狩人
名前:不明 性別:女性 年頃:若年(詳細不明)
過去:過酷な運命 カレル獣獣淀
レベル 51
 体力 10
持久力 12
 筋力 20
 技量 15
 血質  5
 神秘 39



宇宙の瞳

ヤーナムの地に迷い込んだ可憐な少女が、両の瞳に宿す色。
夜空を落とし込んだような青の中に、翠色や空色が散りばめられ、まるで星々のように煌めく。
青い瞳など珍しくも無いと言われればそれまでだが、少女のものは間違いなく"宇宙を宿した"と言えるだろう。

美しく瞬いていた少女の瞳も、今は内に飼っていた多面体を失い、同時に星々のような輝きも失った。
だがそれは、何も失意に呑まれたが故の喪失では無い。
瞳の濁りは、輝きの喪失は、きっと狩人の力の表れなのだから。
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