少女の微睡、月香の夜。 作:かなしいな
※第三十二話、第五章開幕です。
狩人の悪夢、古狩人達の夢。
暗澹に呑まれた視界が開けた頃、狩人の目に映ったのは見知った光景だった。
だがそれも"関係無い"と言わんばかりに、たった今開いた瞼が閉じられる。
けらけらと笑っていた時の空元気は何処へやったのか、今の狩人は如何にも"抜け殻"といった様子だ。
数分か、数十分か、或いは数時間が経った頃か。
折り合いなどまるで付いていない、いつまでも続くであろう絶不調を抱えたまま、狩人は立ち上がる。
両脚には全くと言って良い程力が篭っていないが、先へ進む意志はあるらしい。
それとも、意志など無いが動いているのだろうか。
光球は、今も揺らめいている。
狩人が今居るのはオドン教会、その内部によく似た空間。
つい先程まで踏み締めていた筈の石畳は、どこか古めかしくも真新しい質を感じさせる。
"同じだが、違う"
そんな言い表し難い感覚のまま、狩人は正面に見える灯りを灯した。
軽く見渡した教会内に、生物の類は存在しない。
赤ローブの男も、血の聖女も、偏屈な男も。
自らがトドメを刺した娼婦も、助ける事が叶わなかった老婆も。
影も形も、痕跡すらも見当たらない。
ならばここは、きっと狩人が知るものとは別の場所だ。
灯りの向こうへ見える正面出入口からは、まるで真昼のような明るさを持った光が入り込んでいる。
外へ続く道はその一つのようで、左に出入口など見えず、右の扉は固く閉ざされている。
であれば向かう先は正面のみ、訪れた以上夢へ帰る選択肢は無かった。
こんな顔をしていては、人形に叱られてしまう。
教会から顔を出し、左右を一目見た時点で、狩人の既視感は終わりを迎える。
右にあった筈の大聖堂へ続く道は大きな土塊のアーチや坂が掛かっており、左の空には太陽と見紛う程に大きく強く輝く何かが浮かんでいる。
確りと見れば、元いたヤーナムと似通う部分もある。
アーチの奥に見える門は、大聖堂へと続く坂の上にあったものと同一だ。
仕方無しと階段を上がって行けば、目の前にはそれを阻む何者かが立っていた。
左手に持った散弾銃の銃口が素早くブレたその瞬間、土塊と鉄柵を蹴飛ばした狩人が回るように射線から外れる。
狩人は散弾銃から発射された水銀の粒を見送る事すらせず、右手の直剣を真っ直ぐ寝かせ水平に構えた。
「躱したか…素早い獣だ」
着地と同時に、足のバネを強く意識する。
一瞬のタイムラグは、だが目の前の手練にとってはそう短くも無い猶予だったらしい。
格好からして"古狩人"か、右手に持ったのは狩人が夜の初めに愛用していた仕込み杖の原型とされる武器。
無骨にも見える鉄の鉈、それは幾つかの鉄塊を繋ぎ重い鞭としたものでもある。
"獣肉断ち"は、狩人の認識であった大鉈から、既に鞭へと姿を変えていた。
「潰れて死ねッ!」
己が持つ大剣と同じか、それ以上の重さを感じさせる風切り音に、狩人は地面から足を外す。
支えを失った体が墜落するとほぼ同時に、一瞬前まで狩人の頭があった地点を鞭が薙ぎ払われた。
強みは仕込み杖と同じ、ならば弱点も似通うものだろう。
杖より重いと来れば尚更だ。
土塊を叩く金属音は、アーチの内部を反響し、古狩人の手元に衝撃を送る。
隙と判断した狩人は、俊足の出処である足のバネを最大限に引き出し、水平に構えたままの直剣を突き出した。
狩人に一つ誤りがあったとすれば、それは目の前の古狩人を侮った事。
経験も、力も。
何もかもと言える程の殆ど全てに於いて、上を行かれているという事を、理解していなかった事。
「……っ」
化け物じみた怪力を持って引き戻された獣肉断ちの刃が、重打の直後とは思えぬ程素早く、狩人の真後ろへと迫る。
地を蹴った事でぴんと伸びた左脚が、踝の上辺りからを引っ掛けた鉈の刃によって、断面をズタズタにされながら斬り裂かれて行く。
血を纏いながら手元に戻った鞭を再び鉈の形状に戻すと、古狩人は更なる追撃を狙って振り被った。
古狩人に一つ誤りがあったとすれば、それは目の前の狩人を侮った事。
何もかもが自分より下だと、一瞬の攻防で理解してしまったからこそ。
瞳に宿った狂気を見抜けず、次の一手を誤った。
「グゥッ!?」
狩人は傷付いた左脚でもう一歩踏み込む。
噴き出す血も気にせず、ぱっくりと開いて行く傷口も気にせず。
そしてその一歩でも加速した直剣の切っ先が、古狩人の左胸を貫通した。
肋骨の間を突き抜けた剣を滑らせれば、肺の脇側を貫いた刃が心臓に突き立ち、斬り破る。
狩人は、見事古狩人を討ち取って見せた。
ある意味最低限の消耗で済んだが、代償は大きい。
何も脚の傷がという訳では無く、"ここまでの傷を負って尚自身は動けるのだ"と狩人が理解してしまった事だ。
少しばかり無茶が増えてしまうだろうか。
特異点だという事がわかった以上、精神はまだしも器として壊れて欲しくは無いのだが。
輸血液を一つ打ち込んで数秒待ち、足がまともに動かせるようになった所で、狩人は階段を上り始める。
先にはやはり閉じた門扉が一つ、向こう側からしか開かないだろう。
となれば他に進む道は、先程の土塊で出来た坂くらいのものか。
狩人もそう判断したらしく、門扉の傍にあった"古狩人の帽子"を拾い上げ懐にしまうと、来た道を引き返して坂に足を掛ける。
上った先に見えるのは、数匹の獣と更に奥で武器を構える古狩人の姿。
どうやら奴も獣を狩っているらしい。
獲物を前にして己が武器を構えており、こちらの様子は見えていない。
これ以上の隙も無いだろう。
土塊の斜面とも言える僅かな足場を低く駆け、狩人は即座に古狩人の真後ろへと回り込む。
タイミングで言えば古狩人が一撃目の鞭を振るい終え、二撃目を振るわんとしていた所。
間違い無く絶好の機会に、右手に持った直剣が古狩人を捉えた。
「ガッ…ハ…!」
一撃目で吹き飛ばされた獣は尽くが絶命しており、それに怯んだ他の獣共も寄って来ない。
だからこその奇襲であり、そしてそれは見事に効果的な攻撃となった。
右脇腹のやや後ろから突き込んだ切っ先が、左鎖骨の辺りを通って古狩人の体を突き抜ける。
即死とは行かないが、反撃は不可能な位置からの致命的な一撃だ。
回し抉りつつ直剣を抜き放ち、二撃目で顎から脳髄までを貫く。
古狩人の絶命を確認したと同時に、狩人は駆け出した。
目的は勿論他の獣を殲滅する事────では無く、この場から逃げ去り奥地を目指す事だ。
強敵を打倒して見せたのも、あくまで奇襲が通ったからに過ぎない。
ならばこの場に留まり、更なる強者が現れるのを待つ必要は無い。
先を急ぐ狩人の正面から、血塗れた犬が二匹駆けて来る。
狩人は大口を開けて飛び掛かって来た一匹目の口に直剣を突き込んでやると、即座に抜き放ち二匹目の顔面を剣の腹で殴り付ける。
打撃に怯んだ隙を見て首を斬り裂くと、何事も無かったかのように走り出した。
犬への殺意が高いのは良い事だ、夢の狩人なら尚更だろう。
下に見える通路からは、獣肉断ちを振るう音が響いて来る。
古狩人が獣狩りをしているのだろうが、今は構ってやる必要は無い。
狩人の目の前に見える大聖堂、その門は閉じられているが、門前には大玉が一つと傍に二人の古狩人が立っている。
階段に群がっている獣を轢き殺す為の大玉なのだろうが、つまり獣を寄らせたく無いような何かが大聖堂にあるという事でもある。
一先ずの目的地を大聖堂に定めた狩人は、道なりに駆け抜けて行く。
その途中、真横で何者かが土を踏み締める音を、狩人は聴き逃さなかった。
陰から飛び出して来たのは、装束自体は今までの二人と変わらない古狩人。
得物は右が"獣狩りの曲刀"、左は無手だ。
「オォォッ!」
古狩人が二歩目を踏んだ瞬間の、異様な加速。
それは流血鴉が見せたものと同一か、更に洗練されたもの。
格上相手でも一定以上のダメージを与える事が出来る突きの準備をしていた事で、直剣の鍔を盾にする形で防御が成立したが、狩人の体は大きく弾かれてしまう。
握る動作を見逃したかと身構える狩人は、だがそんな筈は無いと直剣を構え直す。
流血鴉と同様だと考えていては、どのように虚を衝かれるかわかったものでは無い。
であれば初めから"そういうもの"と認識していれば、まだ覚悟は決めやすい。
そんな思考をしている狩人の目の前で、古狩人はその場で曲刀を振るう。
獣狩りの曲刀は、ノコギリ鉈やノコギリ槍の原型とされる武器だ。
狩人の中で懐かしく思えるその動作は、槍で何度も行った変形動作。
つまりは一撃目からの間合いの変化を意味していた。
再びの加速込みでのステップで、古狩人は一気に間合いを詰める。
同時に斜め下から掬うように振るわれた曲刀を、狩人は直剣で滑らせ、同時に沿った刃に鍔を噛ませた。
間合いの有利は失われ、後は無手の左と短銃を持った左が残るのみ。
であればこの場の有利は、狩人に働く。
顔面へ向けた銃撃は逸れる事無く古狩人の左眼を撃ち抜いた。
眼球が破裂した事によって血液と、瞳の中にあった水分が狩人の顔に降り掛かる。
それも気にせず追撃に振るわれた直剣が、古狩人の喉を貫通した。
直剣を振るったという事は曲刀への防御を中断したという事でもあり、且つ古狩人は喉と片眼が潰れた程度で死ぬ事は無い。
行われた反撃は曲刀による斬撃────否、刺突と言った方が正確か。
沿った刃を外側へ向け、切っ先を狩人の腹へと突き刺す。
無論怯みはするが、お互いが致命傷には遠かった。
更に食い込む刃を無視し、狩人は喉を貫いた刃の片側を掴み、ネジを回すように向きを変えて行く。
狩人から見てやや右側を貫通した直剣を回す事で、頚椎を断ち斬ってしまおうと言うのだ。
その際に手放した短銃が地面に落下し、かつりと音を鳴らすと同時に、腹に突き刺さった曲刀の刃が更に奥へと食い込む。
殺意は充分、後はどちらが先にトドメを刺せるかだ。
「グァァウッ!!」
天運は、どうやら狩人に味方した。
狩人が目指していた奥地から駆けて来た一匹の犬が、古狩人に飛び掛かったのだ。
この辺りの獣と古狩人が敵対関係にあるのはわかっていた事だが、今の狩人にそれを気にする余裕は無かった。
つまり完全に思考の外から行われた援護であり、故に起きた硬直が狩人を救った。
無駄な動きが無かった事で、腹に突き刺さった曲刀が狩人の内側を掻き回す事も無く、綺麗に抜けてしまったのだ。
裂けた腹から臓物が飛び出る事は無く、だがこれ以上血が溢れぬように急いで輸血液を注入する。
飛び掛かって来た犬を殴り飛ばし、曲刀でもってトドメを刺した古狩人に、今度は狩人が飛び付く。
僅かに曲げられた膝を足場に肩まで乗り上げ、直剣を掴み無理やり体重を掛けて回し斬る。
何かに罅が入る音と同時に、直剣が硬いものに引っ掛かる。
頚椎の感触を掴んだ狩人は、そのまま重心を傾け、古狩人の首を断ち斬った。
「ふーっ…」
戦いの最中呼吸を忘れていた狩人は、思い出したかのように肺に押し込めた息を吐き出し、先程落とした短銃を拾い上げる。
疲労はある、息を整えねば回復すら待てないだろう。
だが狩人は立ち止まらず、小走りで息が整うのを待つ事にしたらしい。
生き急いでいるのとは、また違う。
自身を終わらせたいような、そんな欲が見えてしまう程に、狩人は先を急いでいた。
ようやく息が整い出した所で、正面から銃弾が飛来する。
弾速こそ遅いが、着弾箇所をちらと見やれば、岩を抉って穴を開ける程の威力を持っているらしい。
発砲音や威力、特性から見て、その正体は恐らく"貫通銃"だ。
あれも元を辿れば古狩人の時代に造られ、広く使われていた武器だ。
狩人はどうやら今の状態で古狩人とやり合うのを避けたいようだ。
直ぐ傍に見えた横道へと入り、先にいた数体の獣を狩り、更に奥へ入ると門扉とレバーが見える。
周囲に屯していた鴉共を散らしレバーを引けば、門扉がゆっくりと開いて行く。
ショートカットの開通、この先の事を考えれば良い事なのだが、今の狩人の精神状態を鑑みれば些かタイミングが悪いか。
やり直しが効くとなれば、狩人は先へ進む事を厭わないだろう。
想定通り、狩人は入って来た横道を戻り、貫通銃持ちの古狩人の前へと躍り出た。
再び現れた狩人に、古狩人は貫通銃を向ける。
対する狩人は右へ左へとステップを踏み、不規則にフェイントを混じえつつ素早く距離を詰めた。
状況が近距離戦へと移った事で古狩人は曲刀を構えるが、最初から近接戦以外を考慮に入れていない狩人の方が、一瞬速く武器を振るう。
狩人は変形前の曲刀に存在する刃と柄の間の空間へと直剣を突き入れ、そのまま上へと掲げる事で力の入らない角度へと曲刀を持って行くと、直後に隙間から剣を抜いて振り下ろす。
防御の札を用意させず、また直剣自体の重さを込めた斬撃は古狩人の頭蓋を叩き割り、対抗策兼最後の足掻きでもあった貫通銃による一撃を自身の顬から肩へと移させた。
最後に肩を撃ち抜かれた以外はほぼ完璧な、実力差を見れば文句無しで電撃戦を制した狩人は階段を上り始める。
上って直ぐに見えた獣共と、その後ろから迫り来る火の付いた大玉に、前へ向けていた足を素早く後ろへ向け直す羽目になってしまったが。
鉄柵を足場にしつつ真横にあった岩の上へと乗り上げた狩人は、獣共を轢き殺した大玉を見送ってから舗装された道へと降りる。
"大玉に火を付けた古狩人達相手にどう戦おうか"と考えつつ歩く狩人の耳に、大きな鐘の音が聞こえて来た。
どこか不吉さを感じさせるような音色が数回程、遠くへ響く。
"いったい何処から"と周囲を見渡す狩人の目に、洞窟のような道が一つ映る。
目移りを咎めるように鐘の音に続いて聞こえて来るのは、閉ざされていた大聖堂の門が開く音だった。
開いた門から現れたのは、大量の触手が口元に生えた異形の頭を持つ、両手斧を持った大男。
服装からして教会の狩人のようだが、あまりにも冒涜的な姿だ。
記憶通りなら、もう少しマシな格好をした者共を使っていた筈なのだが。
異形の大男は両手斧を振り被り、二人の古狩人へと振るう。
薙ぎ払うような一撃を一人は躱し、残念ながら左側にいたもう一人は避けきれず、臓物を撒き散らしながら吹き飛んで行った。
狩人よりずっと重いであろう古狩人を、あんなにも軽々吹き飛ばす辺り、その膂力は圧倒的だ。
仇でも取るつもりか、生き残った一人が手に持った武器を振るうが、歯牙にも掛けずに叩き潰してしまう。
鏖殺された二人に続くつもりか、狩人も勢い良く駆け出す。
後先考えずにひた走る狩人を、大男も直ぐに見付ける。
正面から走り来る小娘を相手に両手斧を掲げた大男は、振り下ろした先に狩人がいない事を悟り、辺りを見回している。
玉砕覚悟なんてものは無い、狩人はただ逃げる判断をしただけだ。
狩人は右側にいた古狩人を殺す為に一歩動いた事で出来た隙間を通り、大男の左側を抜けて大聖堂への侵入を成功させていた。
狩人の知る場所と変わりない、荘厳さを感じさせる静寂の中、響くのは小さく軽い足音のみ。
唯一変わっている所と言えば、何故か空気中に舞う小さな火花だろうか。
そう長くない階段を上った先にある広い空間の奥に見えたのは、狩人が何者かの記憶を垣間見たあの祭壇では無い。
そこにあったのは、恐らくは祭壇であろう場所に腰掛け、寝そべっている大きな獣だった。
特筆して大きな左腕を力無く下ろしており、開いた手の平には身体中に纏った炎の光を反射する何かが乗っている。
シルエットだけなら、聖職者の獣やエミーリアによく似た姿だ。
それも当然、この獣はそれらの源流、或いは始祖とでも言える存在なのだから。
恐る恐る狩人が近付いて行くが、獣は動く素振りを見せない。
いよいよ足下まで近付いたにも関わらず、獣は微動だにせず、ただただそこに在るのみ。
手の平に乗った何かを狩人が手に取っても、その手が握り締められる事など無く。
狩人が手に取ったそれを注視している間、何が起こる事も無かった。
獣の左手に乗っていたのは、中心に瞳のような意匠が施されたペンダントだった。
"瞳のペンダント"、これの持ち主である男が成り損なった姿こそが、今狩人の目の前で力なく眠りについている獣だ。
哀れなものだな、ローレンス。
狩人はペンダントを懐にしまい、大聖堂の出口へと歩いて行く。
階段を下りる直前に振り返った時、獣と目が合ったような。
そんな総毛立つような感覚を抱えながら。
出入口から外を見やれば、異形の大男は階段を下りて行ったらしい。
ならばと先程一瞬見えた洞窟、階段の右手にあった道へと行くと、暗がりの奥に僅かな明かりが入っているのが見える。
出口はそう遠くは無いのかと足を踏み入れた狩人は、だが即座に臨戦態勢を取る。
獣の吐息と足音、それから古狩人の気配だ。
相手がまともな状態でなら決して感知出来なかったであろう気配を、血に酔っているが故に垂れ流している事に一安心しつつ、直剣を握り締めて牛歩を再開させる。
吐息と足音の主は、意外どころでは無い怪物だった。
"血に渇いた獣"、旧市街の最下層にて聖杯を巡り争った強敵が、洞窟の中を練り歩いていたのだ。
「……っ」
僅かに息を呑みつつ、けれど音は立てないように慎重に歩く狩人の鼻先を、何かが掠めた。
直前に鳴ったのは、金属が擦れ合うような音。
そして爆裂するように打ち鳴らされた発砲音は、これまた旧市街で聞き覚えのあるものだった。
古狩人が左腕に構えているのは、ガトリング砲だ。
擦れ合う音は、スピンアップの音だったのだろう。
"また抉られる"という一念に従って大きく回避を取った狩人を追うようにして、血に渇いた獣の爪牙が迫る。
水銀弾は今も洞窟の壁面を削りながら狩人へと飛来するが、だからこそ一つの策が思い浮かんだ。
"岩壁を削る程の一撃を連続して放てるのだから、獣の一匹や二匹撃ち殺して然るべきだろう"と。
「ギャアァァァッ!!?」
敢えて爪牙を直剣で受け止め、軸足を傾けて重心をずらす。
一度受け止められた事によって狩人の体で支えられる事になった血に渇いた獣は、当然その転倒に抗う術を持たない。
結果としてガトリング砲の水銀弾に身を削られる事になった獣に、狩人は直剣を突き立て盾とする。
やがて発砲音が止んだ頃、狩人は最早襤褸切れのようになった獣の死骸から飛び出し、古狩人へと矛先を向けた。
「グッ…!ヌゥッ…!!」
古狩人の持つ爆発金槌を屈んで躱し、姿勢を上げると同時に振るわれた直剣が脇腹へと命中する。
深々と斬り裂いた筈のその攻撃は、だが致命とはならずに反撃の機会を与えてしまった。
狩人の右手側から襲い来るガトリング砲の砲身は、破砕音を鳴らしながら狩人の右肩にめり込む。
とは言え狩人もそれでは終わらず、取り落とした直剣の代わりと言わんばかりに、僅かに空いた口へと短銃の銃身を捩じ込んだ。
回避など許さない速攻と、殆ど引き金を引きながら捩じ込まれた短銃での攻撃は、互いにダメージを与える痛み分けに終わる。
それでも最後に立っていたのは、狩人の方だった。
ダメージは大きいが、それも輸血液で何とかなる程度のもの。
この程度で止まるような脚では無い。
数分を要して態勢を整えた狩人は、洞窟を抜ける為に足早で進んで行く。
その途中で狩人の目を引くものが一つ。
奇妙な形状をしたそれは、武器と言うには些か生体的が過ぎた。
狩人がその"小アメンの腕"を拾い上げてみれば、かさりという音と共に、切っ先或いは爪先が振り乱される。
振るい方さえ考えれば扱えそうな代物だが、生憎ながら狩人にゲテモノ趣味は無かったらしい。
今までよりも数段冷めた目で小アメンの腕を見やった狩人は、だが諦めたようにそれを懐へとしまい込み、また歩みを再開させた。
下り坂になっている道を下りて行けば、再び鐘の音が聞こえて来た。
響き渡る鐘の音に少々気を取られつつ進めば、そこは立ち並ぶ墓石や傾いた馬車、そして倒れ埋もれたアメンドーズの亡骸が散見する市街の端だ。
遠くに見える建物の群れも、何処か魚眼のように丸く歪んで見える。
薄々感じ取ってはいたが、やはりここは悪夢の中だったか。
道なりに行こうと歩き出す狩人を、だが幾つかの銃弾がその場に留める。
奥に見える一人の罹患者と3台の固定銃座は、どうやら侵入者を許すつもりは無いらしい。
だがそれならば狩人にもやりようはある。
正規の道を使わせて貰えないのなら、それ以外の道を通ってしまえば良いのだ。
都合三度目の射撃をやり過ごした直後、狩人は道の反対側に敷かれた塀へと乗り上げ、そのまま細い道と扱って駆けて行く。
それに反応して銃座の向きを変えてやろうと動かす罹患者だが、残念な事に狩人の俊足には到底追い付かない速度だ。
罹患者が銃座を齷齪と動かしている間に、狩人は塀を走りきって飛び降りてしまった。
妙な模様が刻まれた岩場を転げ落ちながら降りた先には、二人の罹患者と奥から歩いて来る古狩人が一人。
直ぐに片付けて奥に見える建物へ入ってしまおうかと考える反面、暗所を通ってあるかわからない出口を目指すよりは眼下の血の河を行く方が良いのではという考えも過ぎる。
そんな狩人の思考に制限時間を掛けるように、罹患者が何かを投げ寄こした。
狩人に向けてと言うより足下の石畳に向けて投げられたそれを、何か考えでもあるのか狩人は横から掠め取ってしまう。
投げ寄越されたそれは、どうやら時限爆弾の類らしい。
下部に取り付けられた三又の針を地面に刺し、その衝撃で雷管のような部位が押し込まれ、タイマーが動き始める仕組みのようだ。
であればキャッチしたのは正解だったか、構造を理解していない狩人は、だが針が服や肌に刺さってしまわないように慎重に爆弾を懐に潜らせた。
珍しいものを見たからか、回収と観察に時間を掛けた狩人に向かってもう一度爆弾が飛来する。
それすらもキャッチした狩人に次に襲い掛かったのは、爆弾でも罹患者でも無く、大きな金槌を構えた古狩人だった。
幾ら何でもこの状況で古狩人を、それも爆弾片手に援護をして来るであろう罹患者二人を連れている状態で相手をしてやる選択肢は無い。
目の前に立ちはだかる三人を相手に、狩人は幾つかの経路を考える。
真っ直ぐ進めば止められると言うのなら、後に残ったのは先程のような大胆な経路選択のみ。
ちらと見えたカインハーストの蚤と明らかに同種の化け物の事は、一先ず見なかった事にしつつ、狩人は侵入経路を決定した。
まずは真横、壊れかけの塀を足場に、次は斜め前。
そして横の動きに釣られた罹患者の一人に突貫し、先程キャッチしたばかりの時限爆弾を右眼に突き刺すと、古狩人の方へ蹴飛ばしてやる。
上手く引っ掛ける事が出来たようで、古狩人と罹患者の二人を巻き込んで爆破させる事が出来た。
爆破によって舞い上がった塵の中を、姿勢を低くして駆け抜ける。
出入口から飛び込めば、そこは暗がりでもわかる程の既視感を覚える間取りをしていた。
何せ一度や二度では済まない程に通った通路だ、そうそう忘れる事は無い。
建物内にも数人潜んでいる罹患者達を全て相手にする事は無く、ただ道を塞ぐ者のみを斬り殺して下階へと降りる。
血の酒の匂いなどはしないが、狩人はふらりと奥へと足を踏み入れた。
奥に転がっていたのは、先程の古狩人が持っていた大きな金槌。
使えるものかと拾い上げた狩人を嘲笑うように、傍から早まった時計の秒針のような音が鳴り始めた。
「っ!?」
一瞬にしてその場を飛び退いた狩人の顔面を、爆風が叩く。
乾いた眼球を保護するようにしぱしぱと何度か瞬きを繰り返すと、狩人は罠に呆れたように金槌を懐にしまい、外の明かりへと歩いて行った。
記憶通りであれば、ギルバートの家の方向。
ずきりと痛む頭と心は無視して、両足は前へと突き進む。
見慣れた階段を上った先に待っていたのは、ギルバートでは無く恐らくは古狩人だった。
"恐らく"と言うのは、その姿があまりにも獣に近いが故の懸念だった。
手に持つ武器は、"獣の爪"。
持ち主の獣性を高め、能力を向上させるというもの。
これもまた、古くから使われた狩人達の武器である。
────が、どうやら狩人は受け付けなかったらしい。
「ギャアァァッ!」
火花を散らしながら迫る爪を、狩人は避けない。
避けるには些か近過ぎる上に、速過ぎるからだ。
であれば対抗策は無いのかと言えば、得意な方法が一つある。
脚よりも速く動いた腕が、短銃の銃口を目の前の古狩人に合わせる。
放った銃弾は、吸い込まれるように古狩人の右肩を撃ち抜いた。
「グゥッ!?」
体勢を崩した古狩人の右腕に、狩人の直剣が振るわれる。
肘の関節部へと命中した斬撃は、その威力を示すように古狩人の腕を断ち斬って見せた。
獣の爪はもう使えない、だが古狩人は未だ生きている。
反撃の可能性があるなら、命を絶つまで安心は出来ないだろう。
腕の切断だけに留まらず、狩人は更に直剣を振るう。
胴を、足を、そして首を斬った所でようやく古狩人は息の根を止めた。
苦戦こそしなかったが、最初のパリィが決まらなければ戦いはもっと長時間に、それこそ狩人が押しきられて終わっていたかも知れない。
そんな戦いの後に落ちていたのは、"撃鉄の狩人証"。
頭のイカれた火薬庫の連中が製作した武器を水盆で取引出来るようになるのだろうが…拾わなくても損はしない筈だ。
少々納得は行かないが、狩人は撃鉄の狩人証を拾い上げ、建物からもう片方の出口へと向かう。
血の河と呼んで差し支えないその場所には、カインハーストの蚤が幾匹も屯している。
この場を抜けなければ先へ進めないと言うのは、あの廃城で散々腹を甚振られた狩人には堪えるだろう。
数瞬悩んだ狩人は、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、蚤が少ない代わりに古狩人が屯している石橋の方向へ歩き始めた。
歩くと言っても、出来る限り血の河の近くを通らないように、墓石の合間や岩の上を通っているのだが。
音を殺して、息を殺して。
そうして辿り着いた石橋の上には、やはり数人の古狩人が立っている。
橋の向こう側は変わらず血の河が続いており、蚤も橋を潜って巡回するように練り歩いている。
橋の向こう岸には建物の入口が見えているのもあり、進むならこの道を通って行きたい所だ。
幸いな事に下の蚤にも上の古狩人にも気付かれていない。
と来れば態々派手に走り抜ける事も無いだろう。
狩人は鉄柵を乗り越え、岸壁の小さな足場を使い、出来る限り緩やかな斜面から橋の向こう側に続く血の河へと降り立った。
そこから橋へ戻る階段の罹患者は、未だ狩人に気付いていない。
少しの待機を経て罹患者が目線を外した瞬間、狩人は血の河を走り渡ってしまった。
そして対岸の岩を攀じ登ると、見事誰にも気付かれず、橋を使う事も無く向こう岸へと渡る事に成功する────
「獣め、そこにいたか!」
筈も無く、あれだけ派手に動き音も立てたのだから、それは気付かれてしまうだろう。
だが効果はあったようで古狩人達は狩人に気付かず、声を上げた罹患者も即座に斬り殺す事で、他の罹患者に狩人の位置がバレてしまう事は無かった。
そそくさと建物へと入って行く狩人の目の前には、人影が一つ。
狩人が視界に入っても臨戦態勢を取らない辺り、敵対はしないらしい。
恐々としながらもゆっくりと近付く狩人に、だが人影の方から声が掛けられた。
「お前は…狩人か?」
突然掛けられた声に少々驚きながらも、狩人は何とか頷く。
発せられた声は男性のもの、嗄れているが壮年と言った頃合か。
男は狩人が頷くと何処か衝撃を受けたかのような、だが何処かで納得したような素振りを見せ言葉を続ける。
「子供かと思ったが…成程、その瞳…迷い込んだ訳でも無さそうだ」
経緯から言えば迷い込んだと言っても差し支え無いが、どうやらこの男は狩人の瞳について情報を持っているようだ。
口にしない辺り、ただ話として聞いた程度のものやも知れないが。
「ここは狩人の悪夢。血に酔った狩人が、最後に囚われる場所さ」
狩人の悪夢、それがこの空間の名前らしい。
だがこれで合点が行った、今までに戦った古狩人達は血に酔った者共だったか。
これから先に狩人を迎えるのも強者だと思うと、少々気が滅入って来る。
「お前も見たろう?血に酔い彷徨う狩人達…全く、哀れで情けないものだ。悪い事は言わない、お前も早く戻る事だ」
男はそこで一旦言葉を途切れさせるが、狩人の瞳に何を見たのか、続けた言葉は試すような口調だ。
「それとも…この悪夢に興味があるのか?」
狩人は一瞬迷いを浮かべるが、脳裏で一人の────一つの人形に思いを馳せる。
悪夢に囚われたとあっては心配などでは済まないだろうが、戻って閉じ込められるよりはマシだろうか。
約束を守る限りはそのような暴挙に出る筈も無いが、今回は人形も何処か違った様子を見せている。
今までのものよりも狩人に執着しているようにすら見えるが、これも特異点故か。
「…まぁ良い、お前の瞳は秘密を追い求める瞳だ。故に多くの者に関わり、そして多くの事を識った」
────…認識を改めよう。
たとえ今まで観測して来た器に関わっていなくとも、この男は何かを知っている。
友好的とまでは言わずとも、敵対する訳には行かなくなった。
「お前もビルゲンワースの末裔なら、この悪夢で秘密を追い求めるのだろうが…秘密と、そして恥を隠す者には注意する事だな。ここには奴らの恥、罪となるものがあるのだから」
それ以上を語る気は無いのか、男は黙りこくってしまう。
だが狩人が未だ何かを求めて男の顔を見上げている事に気付いたのか、それとも忘れていた事を思い出したのか。
最後に一つとばかりに、口を開いた。
「俺の名はシモンだ。…お前の名は言わずとも良い、言えないだろうからな」
狩人はそれを聞いて満足したのか、道の左奥に見える扉へと歩いて行った。
扉の模様は何処かで見た覚えのあるもので、手を掛け押してやれば、ゆっくりと軋みながら開いて行く。
そうして開いた扉を潜った先にあったのは、悪夢に立ち入った狩人が最初に立っていた、教会の内部だった。
先程思い出してしまったからか、狩人は夢へ戻ろうかと灯りへ一歩近付き。
だが夢へ帰る事はせず、来た道を戻り血の河へと戻って行く。
遺志を稼げた訳でも無いだろう、ならば帰る理由も無い。
以前の狩人なら、少女なら、"顔を見たいから"という理由でさっさと帰っていただろうに。
瞳のペンダント
医療教会の秘匿、実験棟へと繋がる鍵。
血の河を渡った先のもう一つの大聖堂にて、その役目を果たすだろう。
この鍵はかつて、一人の男が首に提げていたもののようだ。
狩人自身がこのペンダントに既視感を持つ訳では無い。
どうやら狩人の脳から外を見渡す何者かは、持ち主の事を知っているらしいが。