少女の微睡、月香の夜。   作:かなしいな

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狩人、教会の英雄と相見える。



※第三十三話、やっとここまで来ました。


狩人の導き、醜い獣の月。

血の河へと戻った狩人は、再び岩場を踏み越えて敵を避けて行く。

襲い来る犬を殺し、蚤の舌を躱し。

罹患者達の武器を避け、古狩人には身動きを取れないように逐一パリィを入れる。

そうして遅々とした歩みで、だが着実に進んでいた狩人はいよいよもってこの場の敵は多過ぎる事を悟ったか、直ぐに攻撃する事すらも止めて走り始めた。

 

「グァァッ!ガァァウッ!」

 

罹患者、古狩人、犬と蚤、そして鴉。

続々と姿を現すそれらに、狩人は最早目もくれず、兎に角奥を目指してひた走る。

幾つか角を曲がった先で見付けたのは、ランタンの付いた梯子だった。

真下に屯する鴉共を踏んづけて、狩人は梯子へと飛び乗る。

 

下では喚く鴉に吠える犬、何とか届くかと言った所まで武器を振るう古狩人と、地獄のような様相を呈している。

当然戻る価値も意味も無く、狩人は梯子を登りきった。

再び鳴り響く不吉な鐘の音は、まるで"ここからが本番だ"と告げているようでもあり、狩人の心に一層の緊張を齎す。

────そんな風に身震いしつつ、目の前にある梯子を降りてその足を血に浸ける狩人に、何処からか砲撃音が聴こえて来た。

 

強烈な悪寒と同時に真横の岩場へ飛び込んだ狩人の背後から、爆炎が立ち上る。

着弾したのはやはり砲撃で、下手人は進行方向にいるらしい。

先手を取られた以上そう簡単に通して貰えるとは思えないが、相手によっては押し通れない可能性も大いにある。

岩場からそっと向こうを確認して見れば、狩人の目に映ったのは大聖堂で一度見た異形の大男だった。

 

左手に構え、右手で支えているその砲は"教会砲"だ。

狩人がヤーナムに訪れるより遥か昔、教会の工房にて"脳が麻痺した事で碌な知能を持たない大男でも獣を狩れるように"と設計された武器だが、脳が麻痺した者が大砲を扱える筈も無い。

学者の集いから派生して生まれた組織にしてはあまりにも稚拙なミスで死蔵された、莫迦げた兵器だった筈だが。

成程扱える大男がいるならば、それは効果的だっただろう。

 

大男は手に持つ教会砲で、狩人への狙撃を試みたらしい。

顔を出せば砲撃が飛んで来るとなれば、甘い選択は死を招くだろう。

長考する間に止んだ砲撃は、だが大男が諦めたという事を表す静寂では無い。

未だ狙いを定めているその姿を見張る狩人は、視線を移すと同時に一つの選択肢を浮かべた。

 

大砲を持った大男のやや左、岩場に隠れているが、確かに道が一つある。

進むならば当然奥地だが、次の機会まで砲撃をやり過ごすならあの道でも問題は無いだろう。

狩人は一つ息を入れて、左の道へと真っ直ぐ走り出した。

 

横合いから放たれる砲撃は、だが偏差を意識出来る程取り回しが良い訳では無いらしい。

爆炎で視界こそ奪われるが、元々真っ直ぐ走っていたのだ。

体を叩く衝撃も風圧のみとなれば、立ち止まる理由は無い。

尤もそれ以外に理由があるのなら、止まらねばならないのだが。

 

爆炎を払ったのは狩人の細腕でも、次なる砲撃でも無かった。

もう一人の大男、道の片隅に潜んでいたらしいそれが、両手斧を振り回した事で炎と煙が晴れて行く。

突然の会敵に目を丸くしつつも、狩人は斧刃を避け短銃を構える。

次いで振るわれた二撃目に合わせた銃撃でパリィを取ると、斧を支える左手に向けて直剣を振るった。

 

斬撃は通る────が、効果的とは言えない。

この大男が斬撃に耐性を持っていると言うより、単純に狩人の膂力や直剣の斬れ味が足りていない、そんな手応え。

だが狩人は呆気に取られるような事も無く、援護砲撃を躱し距離を取る。

懲りずに斧を振り回す大男に対して狩人が選択したのは、二度目のパリィだった。

 

右肘に命中した弾丸は貫通せず、故に腕の可動域を狭める。

そして崩れた体勢を無理やり戻そうとする大男を後目に、狩人は直剣を変形させる。

砲撃が来る以上、時間を掛けては爆風に呑まれてしまう。

であれば、時間を掛けずに一撃で押しきれば良い。

 

重量を威力へ転換する事で、大剣の刃は大男の左腕を断ち斬る。

狩人は振り下ろした刃を地面に叩き付ける事はせず、力を込める方向を変え血の河を滑らせる事によって、回転を加えた上での追撃を行った。

脳天を狙った斬撃は、見事大男の頭を寸断して見せる。

直後辺りを呑み込んだ爆炎は、狩人どころか斧持ちごと巻き込んでしまうような一発だった。

 

あの異形に仲間意識など期待するのが間違いか、砲撃を受けた死体は大部分を損傷し、流れ出る血は河の一部となって行く。

では狩人はと言えば、咄嗟の判断で大剣を盾にし身を守っていた。

これで一人が片付いたのだから、後はもう一人を相手取るだけ。

と言えば聞こえは良いが、強敵が強敵にトドメを刺したとも言える終わりだ。

 

教会砲は射程が長い訳では無いが、こと攻撃範囲で言えば悪夢の辺境で狩人に地獄を見せたあの大岩と競り合う、或いは上を行くだろう。

爆風で足を止められたが最後、狩人の柔い肉体では直撃すれば粉微塵だ。

近付いた所で、あの大きさの銃で殴り付けられるだけでも相応のダメージはある。

遠近に隙無し、そんな相手に時間を掛けていては、この先どれだけ苦労するかわかったものでは無い。

 

"そもそも相手をする必要など無い"と気付くまでに数秒を要した狩人は、考えが纏まったと同時に駆け出す。

端に並ぶ墓石を跳び越え、再装填の音が聞こえると同時に物陰に身を隠す。

そうして素早く、慎重に先を目指す狩人の目の前で、何と隠れた物陰が爆発四散してしまった。

 

狩人が失念していたのは、"物陰が砲撃に耐えうるものでは無い可能性がある"という事。

何処に隠れても安全の確保は完璧とは言えなくなった、ならば後はひた走る以外に無い。

そうして河に流れる血を跳ね上げながら、狩人は前に見える門のようなオブジェの方へと走って行く。

 

やっと血の河を抜けるかと言った所で、再びの砲撃音。

偏差を考慮に入れての砲撃こそ困難だが、距離を稼ぐ事自体は仰角を上げれば済む話。

曲射によって血の河の端を目一杯に狙われた砲撃が、狩人の真横で爆ぜた。

 

「っぐ…!」

 

舞い上がる小粒の石と砲弾の破片が、狩人の左半身に突き刺さる。

爆風に持ち上げられた体は、血の河を転がって真っ赤に染まってしまった。

誰のものとも知れない血を吸って重くなった神父装束に気持ち悪さを覚えながら、狩人は何とか起き上がって前へ走って行く。

 

直撃を受けなかっただけマシと言った所だろう、ダメージこそ大きいが戦闘不能にまでは至らなかった狩人は、次なる砲撃が降り注ぐ前に岩陰へと隠れる事が出来た。

荒い呼吸を繰り返し、胸を大きく上下させながら、十数秒程度の休息を取る。

自分の血と他人の血が混ざり合って服を濡らす感覚に眉を顰めながら、ゆっくりと深呼吸をして、狩人は何とか状態を平静に戻した。

 

最低限の落ち着きを取り戻した狩人は、周囲の確認を行う。

目の前には建物へと繋がる出入口、左にはこんこんと叩く音が響く門扉。

後ろから歩いて来るような音は聞こえないが、狩人の耳が狂ってしまった可能性もある。

"安心など到底出来ない"と、狩人は輸血液を注入しながら、這う這うの体で建物へと入って行った。

 

幸運な事に、入った建物の中には灯りが一つ置かれていた。

見覚えのある造りをした建物内部は、旧市街へ繋がる小さな教会のもの。

つくづく聖堂街周辺と似通った地形だが、この悪夢一帯の主は、教会の関係者なのだろうか。

 

灯りを灯した狩人は、夢へ戻る事を未だに躊躇している。

"あんなにも軽く交わした約束を、自分はちゃんと守れているだろうか"と。

被造物の願いなど、そう重く捉える必要は無いだろう。

最後に傍にいてくれと言っていたのだから、終わりの時に隣に置いてやるくらいで満足する筈だ。

 

人形の為、傷の為、服の為。

帰る理由はあるが、"自分が安らぎを得る訳には行かない"と、避難民達に齎した災禍を盾に狩人は自虐を続ける。

狩人は輸血液をもう一つ注入すると、徐ろに服を着替え始めた。

選んだのはカインハーストの宝箱から手に入れた、豪奢な騎士装束。

頭には先程拾った古狩人の帽子を被り、やはり夢に帰る事無く、教会内の階段を降りて行った。

 

降りた先には外の明かりが見えており、一歩踏み出した先には彷徨う悪夢が一匹。

大剣で叩き潰してやれば、血石の塊を二つ落とした。

他に何もないものかと辺りを見回す狩人の目に、一つ特異なものが映る。

立体的であり、木橋で繋がっただけの水を抜かれた用水路のような場所だが、気になるのはその壁に映る影。

どう見ても人型の影が一つ、狩人の頭上から壁に向かって影を作っているのだ。

 

見上げれば、そこには獣肉断ち持ちの古狩人が一人。

下を通れば落下しつつの奇襲を喰らい、場合によっては即死の一撃を貰っていただろう。

少々冷や汗をかきつつも己の幸運に感謝し、狩人は他の道を模索する。

探した末に"降りるしか無い"と判断した狩人は、下に見えた鴉の群れを避け、端の血溜まりに飛び降りた。

 

降りた先は偶然にも岩壁を挟んだ向こう側へと通り抜ける事が出来る小規模な洞穴の正面だ。

これ幸いとこの短時間で何度目かの小さな幸運を甘受し、洞穴を抜けて歩く狩人の斜め前に、"何か"が墜落した。

全身を強ばらせながら一息にその場を飛び退いた狩人は、だが暫くしてそれが巻貝のようなものだと気付く。

 

貝殻から人間の上半身が出たようなその姿に、狩人は"不気味"などと言った感情よりも"いったい何処から"という疑問を先に浮かべた。

落ちて来たのは岩壁の上からでは無いだろう、その程度の高さで起こった音と衝撃では無かった。

であれば尚更何処からと狩人が上を見上げても、そこにはただ暗雲に覆われた空が広がるのみ。

 

"雲の上に海があるのか"という花の咲いた少女的解釈を、"そんな筈は無い"とあくまで現実的に振り払い、狩人は背後と頭上を気にしながら歩みを再開する。

狩人の次の驚愕は、落下物や超常的なものによるものでは無い。

ずっと人らしいものへ、だが何故このようなものをと疑いたくなるような造形をした"それ"に対する驚愕だった。

 

倒れた石碑の上に、武器であろう何かが置かれている。

杖や棍、或いは柄にも見える棒。

そしてその横に置かれた、丸鋸を二枚重ねたような機構。

持ち手の位置や複雑な設計、何より杖の先に付いた装飾の変形からして、繋げて使うのだろう。

 

狩人が見付けた武器は"回転ノコギリ"。

かつて"獣喰らいのヴァルトール"と呼ばれた男、狩人もよく知る連盟の長が駆った武器。

火薬庫の連中が脳に仕込んでいる思考回路はどうにも理解出来んが、少なくともこの武器が傑作であり、且つ優秀である事はわかる。

 

この武器の重量からして、今の狩人なら辛うじて扱えない事も無い、気に入らんが持っていて損は無い筈だ。

狩人もそれを理解したのか、四苦八苦しながら回転ノコギリを懐にしまった。

 

そして今足場にしている石碑の向こうに見えるのは、上へ続く梯子の掛けられた通路。

登った先は大男二人を相手にした血の河へと繋がるのだろう。

梯子の下に屯していた鴉の群れは、先程通った時に移動したのか、梯子からはズレた位置に寝転んでいる。

 

どうやらここを通ると一周してしまうらしいが、一度飛び降りてしまった時点で後戻りは出来ない。

再び血の河を渡り教会の方へ走るしか無い。

隅に張り付くように音を立てず梯子へ手を掛けた狩人は、機を見計らって梯子をせかせかと登って行く。

古狩人の雄叫びと同時に狩人の太腿を襲った何かが掠めた感触は、きっと気の所為だろう。

 

舞い戻って来た狩人を出迎えたのは、教会砲を携えた大男────では無く、斧持ちの死体だった。

教会砲持ちはどうやら灯りの元へ逃げ込んだ狩人を追った後、最初に立っていた場所から少し離れて待機しているらしい。

逃げ込んだ狩人を今か今かと待ち構えているようだが、それが期せずしてチャンスとなった。

今なら後ろをすり抜けて、目当ての洞穴の方へ気付かれずに進める筈だ。

 

ぱしゃりぱしゃりと河を踏む水音は最低限に、だがあまりに遅くても気付かれてしまう危険がある為、のんびりとは出来ない。

ここまで背後を疑わずに監視を続けられる辺り、ともすれば教会砲の設計理由は妥当なものだったのやも知れない。

 

ようやく辿り着いた洞穴の目前で、狩人は周囲に潜む幾つかの気配の元を断つ為に武器を構えた。

一つは先程から門を叩き、こつんこつんと音を響かせる生きた死体。

今でこそ聞こえていないのだろうが、大男が移動した際にこの音を頼りに寄って来ては面倒だ。

 

反撃どころか防御すらせず、おまけに軽い一太刀で死んでしまった死体は、何処にしまっていたのか輸血液を落とす。

五つ程あるそれを有難く懐にしまった狩人の頭上から奇襲を仕掛けて来たのは、手に石ころを握った老婆だ。

ただ落下しただけにも思えるその奇襲を難無く躱した狩人がすれ違い様に振り抜いた直剣を腹部に受け、老婆は容易く絶命した。

 

後には特に殺しておくべきものはいないだろう。

後ろへの警戒が少し和らいだ所で、狩人は洞穴へと足を踏み入れる。

直後に感じたのは、洞穴の奥から感じる重圧と死臭。

死臭の方は言わずもがな、この悪夢に立ち入ってから何度も目にした山積みの死体と同じような光景が、洞穴の中でも同様に広げられているが故。

だが狩人にはその死臭に鼻を摘むどころか、眉を顰める余裕すらも無かった。

 

理由は当然、奥から放たれる重圧によるもの。

いったい何が潜んでいるのか、狩人は自身の体の周囲で大蛇がとぐろを巻いているような、全身を縛り付けられるような錯覚に襲われる。

"それでも"と狩人が前に進めば、洞穴の中には何やら石造りの大部屋が一つしまわれていた。

 

"死体溜まり"とでも呼べば良いのか、そこには外で見たものよりも腐敗が酷いものや、最早人型を保てていないものなどが捨てられている。

中心こそ慣らされているが、橋の方はそれこそ山積みだ。

この外で見た死体はここから溢れ出たものでは無いのかと勘違いしてしまいそうな程、死を寄せ集めた空間がそこにあった。

 

「あ…あぁ…あぁ…」

 

ふと、大量の死体の内一つから、声が上がる。

この大部屋の奥から狩人のいる出入口に向けて這って来ているようだ。

不思議に思って見回せば、どうやら死体は全てが死にきっている訳では無いようで、わさわさと鳴る音は未だ生きているものが藻掻いている内に鳴っていたものらしい。

 

「あんた…助けてくれ…」

 

這って来た死体が、狩人に助けを求める。

その状態でいったいどう助けろと言うのか、或いは介錯でも望んでいるのかと狩人が直剣を構えながら数歩前に出れば、今まで狩人を濡れ綿で締め付けるように苦しめていた重圧が強さを増した。

成程、この重圧の主からは確かに、死に体であっても救いを求めたくなるだろう。

 

「悍ましい獣に…醜い獣に殺される…」

 

途端に辺りに響くのは、強烈な腐臭と地鳴りのような足音。

四脚の馬にしては多過ぎる、多脚の昆虫にしては重過ぎる足音。

蹄のような鳴り方をするそれは、四を超える脚を持った馬としか言えない音だ。

 

「あぁっ…呪われたルドウイークが…」

 

…ルドウイーク?

何故ここで教会の英雄の名が────…いや、そうか。

聖堂街に似通った地形は、この辺りの主がお前だったからか。

清廉な人間だった、聖人とすら言えた。

なればこそ、一度堕ちる事があれば、それは恐ろしい獣になったのだろう。

 

『今や医療教会と呼ばれる血の医療者達は、古い狩人"ルドウイーク"以来、狩人の庇護者でもあり、独自の工房を持ち、武器を作った』

 

狩人もまた、その名には聞き覚えがある。

助言者ゲールマンより与えられた、教会の知識。

教会の工房の発端とされる人物、英雄的な人間が、こうも堕ちるとは。

だが今の狩人にとっては、それすら心を揺らす程の衝撃では無い。

 

「助けて…赦して、くれ…」

 

やがて姿を現したのは、多脚多腕の巨大な獣。

その体にはかつて白をしていたであろう襤褸きれのような装束に、擦り切れた聖布。

背中に提げられているのは、やはり剣なのだろうか。

 

人間の腕に馬の脚、頭部と思わしき場所には、これまた頭と呼べる部位が二つ。

片側は馬のような、だが未だ人の面影を残した顔。

もう片側には殆ど顔や頭と呼べる器官は無く、だが大きく開かれた口と思しき空洞の中には、びっしりと水銀の瞳が生えていた。

 

「フルルルルッ…」

 

赦しを乞う死体の声を遮ったのは、嘶きの前に発する息継ぎのような吐息。

敢えて遮ったのか、それとも言葉など介さない程に理性を失ったのか。

獣に堕ちたと言うのなら後者なのだろうが、この死体が教会上層の関係者なのであれば、怨みがあろうと言うものだ。

 

「アアァァァァアアッ!!」

 

醜い獣、ルドウイーク。

変わり果てた英雄が、狩人にその牙を剥いた。

介錯の為に構えた直剣を、重圧に負けぬようにと強く握り締め、前へ構える。

初邂逅の強敵には、まず動きをよく見る所から。

"何時でも回避を取れるように"と狩人が両脚に力を込めると同時に、ルドウイークも多脚を沈め攻撃姿勢を取る。

 

「ギャアァァアアアッ!!」

 

「げぶっ────…?」

 

"回避を"と跳び退いた狩人は、何故か普段よりもずっと高い跳躍に思考を回しきれなくなる。

浮遊感に次いで感覚器官を襲ったのは、腹部に感じる強過ぎる熱。

それが痛みだと知覚するのに、狩人は数瞬を、落下するまでの時間を全て捧げる事となった。

 

ばしゃりと血溜まりを跳ね上げて転がる狩人の肚から、赤い紐が零れ落ちる。

視界の端に映ったそれは、紛れも無く狩人自身の臟で。

靄の掛かった思考で"しまわなければ"と手を伸ばした時には、既に狩人の意識は深く沈み始めていた。

 

 

 

「────…ぁ?」

 

瞬きを挟めばそこは夢の中。

そこでようやく狩人は"先の一撃で死んだのだ"と自覚する。

決着は一瞬だった、それも狩人が認識出来ない程の。

隔絶した実力差、だがそれで狩人の心が折れるかと言えば、否だろう。

既に折れたものをどう扱おうと、治りもしなければ再び折れもしないのだから。

 

ふらりと立ち上がった狩人は、自身の意志で以前人形が祈りを捧げていた墓標へと歩み寄る。

無意識の内に、その墓標こそが悪夢へ繋がるのだと理解しているらしい。

憂うような人形の視線は、中途半端に生まれた自我で"止めるべきか"と空を彷徨った両手は。

終ぞ、狩人を捕まえる事は無かった。

 

 

 

坂を上って後ろから老婆を突き殺し、落下した先で死体を斬る。

五つの輸血液を拾い死体溜まりへ踏み入って、遺志を拾って武器を構え。

 

「ギュアアァァッ!!」

 

「ぁぐっ」

 

爪が振るわれ、臟がばら撒かれる。

 

 

 

輸血液を拾って遺志を拾って、武器は構えず跳び退かず。

狩人は斜め前へと跳び込んだ。

"三度目は無い"と言わんばかりに成功させた回避は、残念な事に初撃をやり過ごしたと言う戦果とすら呼べないもの。

過程どころか切っ掛けをクリアした所で、勝利に近付いた訳では無い。

 

だが狩人の推測が正しければ、この三戦目はそれなりに保つ筈だ。

そしてその推測は、概ね正解と言っても良い。

"あの素早い初撃は、ある程度の距離がある初手だからこそ放って来るもの"

故に直剣が届く程の間合いに入り込んだ狩人に対して、突進は行われなかった。

 

「ギャウァァッ!!」

 

「むぐっ…!」

 

狩人の間合いという事は、当然ながらルドウイークの間合いの内部でもある。

自分が攻撃出来て相手が出来ない道理など、近接戦ではそう無いだろう。

 

狩人の顔面を捕まえた手は、狩人が思っていたよりもずっと人らしい。

長く剣を握って出来たであろう豆や瘤が、そのまま巨大化しているのだ。

そんな手に掴まれた頭は、そのまま血溜まりへと押し付けられる。

美しい白髪が血によって赤く染まり、そこからどうトドメを刺すのかと思えば、多脚の内最も狩人に近い脚が薄い腹を踏み付けた。

 

「おぶぇっ…ぅげぇぇっ…」

 

掴まれているが故に吐瀉物は逃げ場を失い、狩人の口周りをべったりと汚して横から溢れて行く。

掛かる体重は加減など無く直ぐにピークへと達し、蹄が狩人の腹を突き抜け血溜まりの床を踏み締めた。

 

 

 

使う暇も無く死ぬのであれば拾う必要も無いだろうと、狩人は輸血液を拾わず真っ直ぐ死体溜まりへと飛び込んで行く。

四度目という事もあり、遺志を拾った狩人は危ういながらも僅かな慣れを見せつつ突進を回避した。

 

「グウゥゥッ!ギャアァァァアアッ!!」

 

血溜まりを掻き分けて尚威力の落ちない爪は、底にある石畳を削り散らしながら狩人に迫る。

往復して振るわれるそれらを躱しながら動きを注視する狩人は、ここでようやく初の攻撃に転じる事が出来た。

微々たるものだが、斬撃が一つルドウイークの右腕に赤い筋を刻む。

ダメージは殆ど無いのだろうが、この一撃は大きな進歩だ。

 

調子に乗る事無く集中を深めて行く狩人に向かって、ルドウイークは馬のような頭部による噛み付きを繰り出す。

もう片側とは違い頑丈な牙が生え揃った顎による噛み付きは、一度噛まれれば逃れる事は出来ないだろう。

故に全力を持って躱した狩人が次に見たのは、目の前に現れた空洞の中に敷き詰められた、大量の瞳だった。

 

「グオォォォオオッ!!」

 

「ぅぶべっ」

 

空洞の奥が銀色に沸き立ったかと思えば、次の瞬間には水銀の濁流が狩人の上半身を呑み込んでいた。

白濁は確かな質量を持って狩人を殴り付け、その幾許かを喉に通してしまった狩人は、咳き込み嘔吐きながらその場に膝を着く。

そんな大き過ぎる隙を見逃す筈も無く、巨大な馬頭が小さな体を突き飛ばした。

 

「うっ…ぐぁ…!」

 

耐える事すら出来ず漏れてしまう苦悶の声を、直後に鳴った衝撃音が掻き消す。

音の正体はルドウイークが行った跳躍だった。

図体に見合わぬ身軽さで持って大部屋の天井まで跳び上がり、桁違いの膂力で持って天井を蹴る事で狩人の真上まで位置を調整して見せたのだ。

 

狙いと言えば、有り体に言えば"のしかかり"か。

大質量によって行なわれるそれは、狩人一人の身で耐えきれるものでは無い。

一瞬の静寂の後、狩人は死体溜まりの中心で一際鮮やかな染みとなった。

 

 

 

五度目、最早初手の動きに説明は要らない。

狩人は銃を持ち込める戦いでは無いと短銃をしまい、直剣を両手で構えている。

死を迎える毎に洗練されていた狩人の動きも、理性も正気も失い獣に成り下がったルドウイークにすら及ばぬまま。

狩人の進歩が足りないのでは無く、獣に堕ちて尚これ程の強さを持つルドウイークを褒めてやるべきなのだろうが。

 

「ギュアァァォォォッ!!」

 

躱し、躱し、躱し。

気が遠くなる程に長い、だが現実時間で見れば高く跳ね上がった血が再び血溜まりに戻るまでの数秒の中で、狩人は殆ど全てが致命となり得る攻撃を躱し続ける。

数度の攻撃に、或いはそれ以上を避けた上で一度有るか無いかの隙に差し込むようにして、狩人は二度の斬撃を刻む。

それが今の狩人に出来る反撃であり、勝利を手繰り寄せる為の光明だ。

 

一度の隙に二度と言うのは、その隙が生まれるまでを考えれば、途方も無く長い戦いになる事が目に見えてわかる指標だ。

当然そんな状態が長引けば集中力も落ち、必死の思いで続ける回避も精彩を欠き始める。

疲労が顕著に現れた一瞬、鋭い爪を備えた五指が狩人の胸を貫いた────

 

「あは」

 

筈、だったのだが。

どういう理屈か、狩人はその攻撃を躱していた。

直後に続けられた攻撃も躱す狩人の体は、回避をする度に体が消えたと錯覚する程の加速を行っていた。

 

古狩人の業、"加速"。

何処で覚えたのかと思えば、そもそも覚える必要など無かったのだ。

その秘儀を扱う為の触媒を、既に持ち合わせているのだから。

 

この高速戦闘の最中では、狙いを定めて銃を撃つなんて真似は出来はしない。

だからこそ狩人は、左手に持った短銃を懐にしまったのだ。

そして両手で直剣を構えた筈だが、今は右手一本のみで剣を振るっていた。

 

ならば左は無手なのかと言えば、それは違う。

小さな手に握られたのは、"古い狩人の遺骨"。

複数回の強化によって神秘を受け入れた狩人の肉体は、遺骨に眠る"加速"の秘儀を引き出す事に成功していた。

幾ら神秘の適正が芽生えたと言っても、一人でその答えに辿り着く事は不可能だろう。

導きめ、遠回しな助言ばかりだったお前は何処に行ったのか。

 

噛み付き、引っ掻き、体当たり。

至近にて高速で行われるそれらを、加速の補助有りきとは言え確実に捌いて行く。

掠り傷に怯もうものならその時点で決着してしまうからか、肌どころか肉を削がれているであろう傷すらも無視して、狩人はルドウイークから離れず反撃を狙い続ける。

 

疲労とは忘れた頃にやって来るものらしいが、一度自覚した疲労を忘れて動いてしまうなんて事もあるのだろうか。

或いは成功故の全能感を得た直後ならば、暫くは忘れたままでいられるのだろうが、長続きはしないに決まっている。

狩人の加速が終わりを迎えた頃、加速によって持ち直した集中力も途切れてしまった。

 

「ギャアアアァァアアアッ!!」

 

「っぐぅ…!」

 

掌底のように突き出された右腕が見えた瞬間に構えた防御ごと、狩人の体が突き飛ばされる。

距離はそれ程離れていないが、攻撃動作を取るには充分な間合い。

ルドウイークが繰り出したのは、一度狩人を死まで追いやった水銀の奔流だった。

 

吐き出された重い水銀は威力が高い上に拘束力もあり、服に纏わり付いてしまえば以降の動きは鈍ってしまう。

だからこそ狩人は全力で回避を選び、結果的にそれは成功した。

"直ぐに反撃を狙おう"と、狩人は柄を握り直してルドウイークの方へと走る。

水銀の音が止んだ事で速度を緩めた狩人の視界の端に、突進の準備をしたルドウイークが映るまでは。

 

「ギュアァァォォオオオッ!!!」

 

「ふぐっ!?」

 

突進を相手に回避が間に合わないとなれば、最早打つ手は無い。

それでも勝機を掴む為に藻掻いた狩人が選んだのは、前方への突きだった。

無意味に思われたそれは、二つの首の間に直撃し、僅かに威力を殺して見せる。

 

首を突かれただけでは止まらないであろうルドウイークは、だが水銀を真横に走る事で避けた狩人の真後ろに壁があった事もあり、更に減速する。

"突進を攻略した"と少々浮き足立つ狩人は、直後腹部に一度目の戦いと似たような熱を感じた事で、逆に平静を取り戻してしまう。

 

狩人の左手はまだ遺骨を握ったままであり、右手の直剣は首に刺さったまま。

ルドウイークの牙と右手に対処出来る武器を、狩人は持っていなかった。

より深く刺す為に外側へ肘を向け槍を構えるようにしていたからか、噛み付きを繰り出すまでも無く狩人の肘へと顎が届いてしまう。

完全に自由な右腕は、背中を壁に引っ付け武器を右手に持ったままの狩人を、抑えるまでも無く攻撃出来てしまう。

 

「ぎぃ…ぁっ…!」

 

まずルドウイークは、手首の下から肩口までを一口に噛み砕いてしまった。

次に右腕、きっと噛み付く力に集中したいが為に抑え付けようとしたその手の親指が、鋭い爪によって狩人の臍から体内へと侵入する。

腹の辺りに向けられた異形の右腕を殴り付ける狩人の左腕に、最早大した力は篭っていない。

 

ぞぶりと変な音を立てて動いた親指は、いとも容易く狩人の肚を掻き混ぜてしまった。

抵抗力は一瞬にして落ち、次いでルドウイークは噛み締めた右腕を引きちぎる。

死因は圧死でも内臓を掻き回された痛みによるショック死でも無く、夢の狩人に似合わぬ失血死だった。




古い狩人の遺骨

古狩人が扱う独特の業"加速"。
この骨の持ち主である老ゲールマンの弟子の一人も、加速を扱ったと言う。

乾き枯れた古い骨。
だと言うのに何処か温かみを感じるのは、狩人の勘違いによるものだろうか。
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