少女の微睡、月香の夜。   作:かなしいな

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狩人、己を知る。



※第三十八話、すれ違ってます。

(読者としては割と苦手な説明回、この情報をもっと自然に差し込める技量が欲しいです。)


狩人の証明、古狩人との対話。

対話の提案の後、マリアは振り返って血に濡れていた筈の椅子へと座り直す。

狩人の視界から隠れている間に何があったのか、床まで滴っていた血は最早一滴も残っていない。

その対面には、先程まで無かった筈の小さな椅子が一つ。

何処から取り出したのかもわからないそれに招かれ、狩人はおずおずと椅子に腰掛けた。

 

「実験棟、教会の汚点にして暗部。あれを見た後で"警戒しないでくれ"というのは、些か酷かな」

「あ…えっと、その……はい」

 

珍しく、と言うにはあまりに時が空いているが、マリアは戯けるような素振りで狩人へ無警戒の様子を見せる。

対する狩人はそう易々と警戒を解ける筈も無く、寧ろ更に縮こまって今にも跳び退きそうな程に気を鋭く保っている。

尤も今回の場合は、言葉の通じる穏やかな態度の人間との会話の経験が少ない事もあるだろうが。

 

「で、でもその…下には、マリアさんの事を呼んで、慕ってる人達も居て……」

「私は彼らの希望とも言うべき存在だからね。だが心に希望を与えた所で、彼らが真に救われている訳では無い」

 

狩人帽子の下で鈍い銀髪の間から狩人を見詰めるマリアに、狩人は段々と絆されて行く。

自らの罪を認め、それでも恥を隠そうとする姿を、今までの自身に重ねているようだ。

 

「ここに来るまで随分苦しんだだろうに、君の瞳は濁っていない。それとも……既に濁ったけれど、輝きを取り戻したのかな」

「瞳…?」

「そうか、君はそれも理解らないんだね」

「ぅぐっ……ご、ごめんなさい」

 

"責めている訳では無いよ"と軽く手を振って、マリアはもう一度立ち上がり、狩人の目の前で屈む。

人形と同様、と言うより人形がこの女と同様の姿で造られているのだが、背丈も違いは無い。

それ故に身長差は大きく、今片膝を着いたマリアと、椅子に座る狩人の目線は凡そ合っている。

 

「君の瞳……ひいては君自身の内には、狩人達の遺志が宿っている」

「遺志って、血の遺志が?」

 

不意を突くようにマリアの手が狩人の前髪を浚い、左眼の辺りを指先で撫でる。

強ばった身体は突然の事に跳び退くどころか身動ぎすら効かず、"変に抵抗して刺激してしまったら"と更に動きを固めて行く。

借りて来た猫のように不動を貫く狩人に、どうやらマリアもすっかり毒気を抜かれていた。

 

「そうとも言えるけれど、それだけじゃない。君の中にはね、彼らそのものが居るんだよ」

「彼らが居る……?」

 

そう言って狩人の瞳を見据えるマリアの瞳に映るのは、青白い光球の姿。

人魂の寄せ集め、遺志の塊、望み潰えた亡霊共。

しかし秘密に見える事の出来なかった彼らは、そして真なる夢へと辿り着けなかった我らは、望みを諦めず次へと託した。

 

「夜を知り、夢を知り、何より狩りを知っていた彼らは辿り着けなかった」

 

狩りを成就させ、だが自身のみが夜明けを迎える事を良しとした者も居た。

ゲールマン達の月を目にし、そして狩人の夢を継いだ者も確かに居た。

それでも彼らは人の域を超えられず、我らは道の途上にて自身の不出来を悟った。

今生では決して、あれらの段階には至れない。

 

「だから他を使うんだ。自身が成したい訳では無く、ただ自身の探究の末と原点を見て落胆し、それでも正しかったと思いたいから」

 

故にそういった者に声を掛け、一員とした。

より強く、より早く、より最適な道を辿って行けるように。

ただ優秀な者を狩りに赴かせるのでは、悲願は成し得ない。

その答えに辿り着いてからは早かった。

ならば我ら識る者達が、その資格を持つ者を、優秀な狩人へと成長するまで使ってやれば良いのだと。

 

「彼らが辿り着けなかったって言うのは、夜明けにですか?それとも……教会の秘密に?」

「フフ……無知だが、愚かでは無いようだね。聡い子だ」

 

そう言って狩人の頬を一撫でして立ち上がるマリアの顔を見上げれば、そこにあるのは何より熱狂に満ち、何より悲嘆に冷めた瞳。

我らに浮かぶ事の無い、始まりの秘密を見た者の瞳。

 

「結局どう実ったのかは、君が来るまで解らなかったけれど……彼が寄越す者は一様に君と同じ瞳を持っているか、その色を全て混ぜ込んだような色の瞳をしていた」

「色を、混ぜ込む……」

「秘密を求めてやって来た者の中には、何方も居なかったがね」

 

ヤーナムと関わりの無い地に産まれた事で血の穢れを知らぬまま育ち、尚且つ血の医療を受けて狩人になった者である事。

それこそが条件であり、更に遺志との親和性が高い者のみが適合に値する。

遺志を媒介として存在そのものを破損させ、血に囚われ意志すらも血へと落とし込んだ者共を、欠けた存在に定着させる。

そうして出来上がったのが、宇宙の瞳を持つ狩人達だ。

 

思考の内海に複数の意識が存在し、それらは啓蒙的思考と人間性、そして獣性を最も色濃く映す瞳に宿る。

多面的な視界が情報と共に光を取り込み反射し続ける事で、瞳の宇宙に星のように色鮮やかな光を点す。

宇宙の瞳とは、それそのものが狩人達を継いだ証でもあるのだ。

 

「何処までも濁った瞳だったよ。"遺志を継ぐ者"としては最適だったようだけど、君はどうやら跳ね除けたらしい」

 

遺志自体が宿っているという性質上、器となる者の自意識が薄れれば薄れる程、彼らが表出する。

狩人が死を迎える度に業が磨かれていたのは、彼らの表出に伴い肉体に依存しない技巧が顕在化していたが故の事。

故に元あった瞳の色も、彼らが発していたものと混ざり合い、濁って行く。

 

そうして混ざりきった時、器は成る────筈、なのだが。

狩人自身の異常性と、月光の聖剣という特異な要素が掛け合わさり、我らは弾かれてしまっている。

彼らもそれは変わらず、互いに何も成し得ない亡霊となってしまった。

 

「何故君は記憶を失っているのか。何故君は狩りに長けているのか。何故君はいとも容易く死の恐怖を乗り越える事が出来たのか」

「な、なんでそれを……って、そもそも乗り越えてなんか────」

「いいや、君は既に乗り越えているさ。記憶を失ったばかりの子供が、ただの子供であるならば……きっと夜が始まり、そして明けるまで動けず蹲っているだろう」

 

その言葉に、狩人は自身の異常を悟る。

目を覚ましてメモを読み、扉を開いて罹患者の獣を目にした。

そこまでならば、おかしくなど無いのだろう。

だが狩人は、少女は獣に一度食い殺されて尚正気を失わず、前へ進んで見せた。

どころか、たった一度で獣を狩って見せたのだ。

 

「心ばかりが恐怖して、身体は何処までも先に行く。なのに心は狂わない……そんな事すら"異常"だと断ずる事が出来ない程に、君は完成していたんだよ」

 

我らの悲願の為、我らは彼らと共に一人の少女という存在、魂と呼んでも良いものを食い荒らした。

何十度目か、何百度目かの挑戦で、我らはこの少女によって悲願に辿り着くかも知れない、その間際にある。

 

「僕と彼らは、結局何なんですか…?」

「少なくとも、彼らは元々人間だった。今でこそ遺志にのみ宿る存在として、君の中に居るけれど」

「じゃ、じゃあ、僕は……?」

「ヤーナムに来るまでは、普通の人間だったのかも知れないね。ただ────」

 

ただ、一度欠けた存在を戻す術などは無い。

彼らは承知の上でそれを行い、だがこの少女はそもそも我らを知覚出来ず、そして血の医療の時点で壊れかけていた。

存在の欠損は過去の欠損だ。

少女の記憶は、既に戻る戻らないの段階には存在しない。

 

「そろそろ気付き始めていた頃だろう。狩人の業そのものによって形成された君は、既に常人では無い」

「なら、家族の所には…?」

「あったかも知れない故郷に帰る事も、諦めるべきだ」

「そう、ですか…そうですか……」

 

マリアは急速に沈んで行く狩人の心境を引き上げるように、きゅうと握り締められた手を取って立ち上がらせる。

涙まで浮かべた狩人に、敢えて休みは取らせまいと。

 

「自分の始まりと、そして訪れる事が無いと知ってしまった終わり……急に伝えられても混乱ばかりだろうね」

 

ようやく自分が涙を流していた事に気付いた狩人が大粒のそれを必死に拭う中、マリアは狩人のがら空きになった懐に手を伸ばし、中を探る。

唐突に懐に手を入れられた狩人はぎょっとしつつも、敵意も悪意も、痛みや違和感も無いからか手を受け入れた。

少しして懐から出て来た手に乗っていたのは、赤い肉片。

 

「あっ、そ、それっ────」

「……大事なもの、或いは人かな?」

 

カインハーストの廃城、その頂上にて殉教者によって封じられていた女王。

細切れの肉片とされて尚息絶えず、命を繋いでいた肉片の内の一つを、狩人は手に取り拾っていた。

茫然自失となった狩人からすればそうした訳など心当たりも無いが、大方死を克服してしまった者としての共感と、断罪者を招き入れた事の罪悪感故のものだろう。

 

「その…気付いたら、手に取ってて……」

「意志の大部分を彼らによって決定されていた君が、彼らが介在しない狩りの外での意識によってそうしたのだろう?ならば尚更だ」

 

そう言いながら差し出されるマリアの手に、狩人も手を出す。

受け渡された際の柔らかい振動に身震いするかのように反応する肉片を、狩人はそっと懐へと移した。

 

「"オドン教会を上りたまえ。"それはきっと、君にとっての救いになる」

「オドン教会を…?」

「教会の工房、閉ざされた扉の向こう。そこには聖歌隊の遺産にして宝、星の娘が安置されている」

 

聖歌隊とは、教会から更に派生した上位会派に当たるもの。

その遺産、星の娘と言えば上位者として名を連ねる者。

狩人自身先触れのみとはいえ一部の顕現によって繋がった経験のある、交戦を除けば最も関わりのある上位者だろう。

 

「でも、あの扉は鍵が────」

 

そう言ってまごつく狩人の懐に再びマリアが手を入れてまさぐれば、指先に鍵が一つ触れる。

掴んで引き出したそれは、聖堂街上層の鍵。

 

「あるじゃないか。入る為の鍵が」

「えっ?な、なんで……?」

「何故、何処で手に入れたかなど関係無いさ。これで道は開けた」

 

マリアは背後の大時計から僅かに射し込む光を受けて鈍く光る鍵を、指とそう変わらぬようにくるくると弄ぶと、狩人の胸にそっと預ける。

自我を喪失したと言っても良い様子だった狩人を、光球は導いた。

再誕の儀式を潰えさせる為の歩みの途上、挟撃を察知して入った横道の先で手に入れたものだが、覚えてなどいまい。

 

「行先が決まった所で、一つだけ聞いておこうか」

 

伏せた視線をゆっくりと上げたマリアの瞳には、濁りや淀みなど無い。

心の弱さによって、狩りに生きる者の生命線である仕掛け武器を手放したこの女に、何故だか狩人は恐怖する。

それは恐らく、実験棟の有様を見てしまったが故。

あの惨状に関わって尚、狂う事が無かったのだと。

或いは狂気に陥ったままに瞳を穢さぬままなのであれば、それこそ恐怖されるべきだ。

 

「君は、何の為にここに来た?」

「………あ」

 

自己意識などによって決められたものでは無い、導かれた事による悪夢への侵入。

進んだのも成り行きという名の洗脳で、ただここに居る理由が一つあるとすれば、悪夢にて出会った一人の狩人による忠告。

 

『お前は悪夢の秘密にこそ興味があるのだろう?いや、或いは無かったとしても踏み込まざるを得ない筈だ』

 

ふと脳裏に過ぎった彼の者は、思えば狩人が絆されてしまったこの状況を予見していたのだろう。

 

『時計塔のマリアを殺したまえ』

 

「その、それは…えっと……」

「訳あって来たようには、とても見えなかった。だからこそ今君が思案しているのは、自身のものでは無く他者の事情だと私は思っている」

 

ぐい、と胸元の鍵が強く押し込まれる。

押し込まれた事による痛みは無く、異質な熱も無く、布地によって金属の冷たさも通らない。

だと言うのに、まるで大岩に押し潰されているような重みによる圧迫感だけが、狩人の胸を捕まえて離さない。

 

「秘密を暴けと?時計塔を上れと?それとも、私を殺せとでも言われたかな」

「────…っ」

「フフ、わかり易い……苦労するだろうけれど、その正直な顔は美徳だね」

 

再び浮かぶ微笑みの中に、狂気は未だ滞留したまま。

その圧も揺らぐ事など無く、おろおろと瞳が泳ぐ狩人に、マリアは敢えて視線を合わせようとはしない。

数秒で結論が出たのか、それともその答えに辿り着くまでに数分を要したのか。

狩人の体感では理解出来ない程に短く長い空白の後、ようやく小さな口が言葉を発する為に開かれる。

 

「ぼ、僕は、マリアさんを殺したいとは思ってない、です。ここに来たのも、おっきな手に掴まれて、潰されて…そこからはただ体が勝手に……」

「ならば君自身は、今何を成したい」

「────…僕の事を少し教えて貰って、あるかもわからない家族の所に帰るのは諦めました」

 

胸元で鍵を抑え付ける手に、狩人の両手が添えられる。

そっと抱くような手にやがてマリアの手も緩み、上層の鍵は両手の方へと渡った。

 

「でも僕は、この夜で沢山の人を殺してしまったから……せめて、せめて夜明けを、みんなに見せたいです」

「その死が、君のせいで無くとも?」

「……僕はとっても弱いので、本当に僕のせいじゃないなら、きっと背負ってないです。だから今背負ってるのは、間違い無く僕のせいで死んだ人達のもので……」

 

そこまで言った所で、狩人は自身の頭に何かが柔らかく乗せられた感触を覚える。

見上げてみれば、つい先程まで狩人の胸を抑え付けていた方とは逆の手が、今は頭を優しく撫でるようにして乗っていた。

 

「私と同じで、どうしようも無く心が弱いね、君は」

「同じ……」

「あぁ。けれど私はそこまで背負えなかった。だからあの時、捨ててしまったんだ」

 

胸元にあった手が、肩へ乗せられる。

一瞬力が篭もり"引き寄せられる"と身構えれば、そうでは無く。

だがそれを耐えるように抑え、悩んでいる事が手に取るようにわかる手付き。

狩人には、少女にはわからない、子離れ出来ぬ母親のようで。

 

「もしあの時の私が君と同じように、自らの弱さごと、罪を背負う事が出来ていたなら────」

 

"いつか"の"もしも"を語ろうとするマリアは、狩人の瞳に視線を合わせて閉口する。

先程の威圧によって無意識に止めてしまっていた呼吸を、今までの分も取り戻すように大きく行う狩人の瞳は、うるうると揺れながらも輝いていた。

その光輝に、色彩に、時計塔のマリアは絆されてしまった。

 

「やめておこう。この話は君にするべきでは無いね」

「……?」

 

たった今口にしかけた事か、他の何かか。

狩人から離れたマリアは隠すようにして振り向くと、こつりと靴を鳴らして椅子の前に立ち止まる。

懐から物を取り出すような仕草をした右手には、円盤のような物体が握られていた。

 

"星見盤"、今マリアの眼前にある大時計から射し込む光を受けて星を見る、ただそれだけの板。

今取り出したという事は、この悪夢においてはそれ以上の価値や意味があるのだろう。

マリアは星見盤を一撫でし、首を回して瞳だけを狩人に向ける。

 

「君がこの先、教会の秘密を見たいと、自分の意志でそう思ったのなら」

「なら……?」

 

小首を傾げる狩人にくすりと笑いかけると、マリアは星見盤をしまって大時計を見上げた。

縁に刻まれたカレル文字を見回して、まるで感慨に耽るように目を細めると、その瞳に覚悟と諦めの二つの色が浮かぶ。

 

「祭壇へと辿り着いた後に、もう一度ここへ来ると良い」

「……その、もしかして」

「彼の遺した成果である君になら、我々の汚点もまた違うものに映るのかも知れない。そうでなくとも、私が見せる気になれた相手だからね」

 

そう言うと、マリアは再び椅子に深く座り込む。

二人ぼっちの空間で片方が黙りこくってしまえば、もう片方に道など残っていない。

構わず近付くか、去るか。

少なくとも狩人には目的が出来たのだから、留まる選択肢は無い。

 

「また、来ると思います」

 

一言だけそう告げて踵を返す狩人の背に、対話を終わらせた筈のマリアから声が掛かる。

 

「忠告だ」

「はい?」

「"それ"は、"君"の手には余るものだよ」

「────…はい…?」

 

既に理解しているとも。

この子は最早、我らの器ですら無い。

自身という存在が欠け、大部分を置き換えられて尚それらを弾き出し、自己を確立してしまった。

このような怪物を実験の成果などと、到底呼べるものか。

 

 

 

「……この剣の事かな」

 

夢に戻って溜息と共に吐いた言葉は、先程マリアから告げられた忠告へのもの。

右手に握られた聖剣は翠を失っており、そう変わった姿はしていない。

狩人がこの鈍から感じた熱は勘違いから来るものか、この剣が狩人という存在に力を貸しているのか。

何方にせよ、マリアがこの剣の事を話していた訳では無いのは確かだ。

 

独り言ちて気を落ち着けた事で、狩人は今まで思考を埋め尽くしていた混乱を少しばかり忘れる。

自身の内にある存在と、それらによって記憶を蝕まれた事実。

半ば確定的と言っても良い、記憶はもう戻らず、帰るべき家があったとしても帰れないという答え。

驚愕に次ぐ驚愕で塞き止められてしまっていた涙が再び零れ落ちるのに、そう時間は掛からなかった。

 

だが狩人は敢えてその涙をそっと拭う。

夢へと戻った事で無理やり擦って腫れた目元も戻ったのだ、また強く拭おうものなら人形に気取られてしまう。

市街にて目を覚まし、幾度かの死線を越えたばかりだった狩人が、半ばヤケになって発した誓い。

"もう泣かない"などと言ってから流した数は、既に数えられるようなものでは無いが。

 

「狩人様」

「……あ、人形さん」

 

涙の痕跡など微塵も残さず拭い去った所で、人形が現れる。

一部始終を見られてはいなかったようだが、心配の色は絶えず浮かんだまま。

 

「狩人様、今まで何方に?」

「え?いや────…か、狩りに……?」

 

無論、夢へと立ち入ったのだから向こう側での痕跡も存在しない。

故に人形が存在を気取るなどという事は無い筈だ。

この狩人の慌てようでは、誰であろうが容易く見破れそうなものとはいえ。

 

「じ、じゃあ僕、ちょっと用事があるのでっ!」

「あ……行ってらっしゃい、狩人様」

 

逃げるように立ち去る狩人に伸ばされた手は、空を切って下がって行く。

一方突撃でも掛けるのかという勢いで墓標に走る狩人の脳裏には、先程まで対話していたマリアの姿。

 

『オドン教会を上りたまえ。』

 

マリアによって教会の工房へと示された道。

目的地こそ、上ってから降りるものと上ったまま先を目指すものとで違うが、一度は聞いた言葉だ。

夢に存在する助言者と、世話役である人形。

"何か関係があるのか"と疑問に思いつつも、彼女に向かって思わず伸ばしてしまった手を思い出しては、人形の存在が頭にちらつく。

 

「……恥ずかしい」

 

家族を知らない狩人に世話を焼く存在。

世話役だからと言うには、あまりにも互いを求めている。

きっと狩人はそんな人形に、そして人形と瓜二つのマリアに母を見たのだろう。

器にしては豊かだと思っていた感情も、今になってみればその全てが激しいものばかり。

きっと初めから、手中になど無かったのだ。

 

 

 

オドン教会の灯りから、狩人は教会の工房へと入って行く。

途中に見えた二つの椅子に眉を顰め、他の避難者には目を向けぬようにして。

罪の意識は当然あるが、受け止めきれる程成熟はしていないのだ。

彼女は未だ、幼年期にあるのだから。

 

「工房の、一番上……」

 

途中に居た罹患者達は今まで見た者よりも凶暴に思えたが、囲まれでもしなければ最早強敵では無い。

須らくを斬り伏せた先に、その扉はあった。

マリアが取り出したものと同一の鍵を手に扉の鍵穴へと入れれば、かちりと鳴る音の直後に、重い扉に手応えが乗る。

ゆっくりと押して行けば、両扉は大きさに似つかわしく無い軽さで開ききった。

 

扉の先に見える景色は、噎せ返るような青ざめた空と、空を背に厳かな雰囲気を放つ時計塔。

つい先程までマリアと対話していた場所とはまた別であり、だが同一のものでもある奇妙な感覚に狩人は難儀しながらも歩を進める。

その途中、狩人の耳に聞き覚えのある不快な"音"が届いた。

キィキィと、硝子に爪を立てるような泣き声が。

 

「……なんで、ここに」

 

"上位者の赤子"

アリアンナを殺めた切っ掛けでもあり、常人にとっては忌み子でしか無い、人を超越する者達の赤子。

一度は己が手で刺し殺し、その臍の緒を奪っている狩人からすれば、この夜での少なくないトラウマの内の一つだ。

それが今、狩人の目の前で時計塔の方を向いて泣いている。

 

「ふーっ……うん、よし」

 

頭を揺らしながら泣く赤子を見て、狩人は一度呼吸を落ち着けてから歩み出す。

左手に見える階段へ、赤子の事は頭から外して。

ここで殺す事も出来るのだろう。

だが、初の邂逅で起きた出来事がそれを踏み止まらせる。

"これを産んだ誰かが、これを殺す事で同時に死ぬのかも知れない"、と。

 

そうして赤子を見逃し歩いた先にあった通路の奥からは、大柄な人影が二つ。

教会の使いが二人、両方が杭を持ち、片方が左手にランタンを携えている。

苦戦などしようも無い、見慣れた格好の者達だ。

 

短銃をしまい聖剣を両手で握ると、その姿に気付いた使い達も臨戦態勢を取る。

ランタンを携えた左手を片方が上げたタイミングで、狩人もまた攻撃行動を取る為走り出した。

小手先の技など振るいようの無い、細長い直線を駆け抜けて、聖剣と呼ばれる鈍が銀を引く。

 

「ふっ!」

 

掲げられたランタンから飛び出した三つの白光は狩人の元へは辿り着かず、眼前にて弾き消された。

腰に佩くようにして構えていた聖剣を振り抜いた隙を見て、二本の杭が矮小な獲物を貫かんと迫り来る。

が、それすらも二閃に弾き、聖剣は刃毀れなどまやかしとでも言わんばかりに使い達の喉笛を抉り裂いた。

 

斬り裂き、駆け抜けた狩人の背に向けて杭が向く。

どうやらランタンを携えた使いは、白光を放つ為立ち止まったが故に致命には一歩足りなかったらしい。

背後から音も無く鋭い切っ先を向ける杭に、狩人は振り向かぬまま片脚を後ろへ蹴り上げた。

 

踵によって狙いを外された杭を、更に足裏で真横の柵へと押し付ける。

完全に姿勢を崩された使いは、最早喉からの出血とそれによって呼吸を封じられた事により息も絶え絶え。

 

そんな様に向けられた追い討ちは、介錯の為のものだろう。

脳天を割られた使いを一目見やって聖剣を払うと、飛んだ血を踏まぬように跳び越えて、狩人は細道を進んで行った。

 

道の終点には"フードを被った何か"の石像が立ち並び、中心には灯りが一つ。

灯して更に先に目を向ければ、階段の上には大門が見える。

階段を上るまでも無く聞こえて来る泣き声は、一つや二つでは無い。

きぃきぃぎぃぎぃと輪唱でもするような声、或いは音が耳を苛む。

 

「はぁ……」

 

憂鬱そうな溜息を吐いて、狩人はやはり階段を上り始めた。

嫌気が差す程の視線と、こちらから見た赤子の数に、だが狩人は違和感を覚える。

もしやと思い手近な者に数歩近付けば、あちらから寄る事はあっても攻撃を仕掛けるような事は無い。

"思えばこれらも赤子なのか"と、ようやく思い出しては気に病み始める。

 

「赤ん坊を、殺したんだ」

 

アリアンナの子、望まれなかった子。

怪物、獣の類と見て、即座に向けた刃。

きっとアリアンナもあれを自身の子と認められず、故に狂ったのだろう。

だが当の赤子は、アリアンナを攻撃してなどいなかった。

 

「……ごめんなさい」

 

目の前の赤子は、あの赤子とは別物だ。

とはいえ口にせざるを得ない程の罪悪感は、狩人の足を捕らえるに相応しい重さを持って心を縛り付ける。

前髪をくしゃりと握って、涙を流すまいと強く堪える。

 

"それでも"と、細脚は一歩前へ。

一歩進めるなら二歩、二歩進めるなら三歩と、狩人の脚は先を目指す。

罪を犯した事に心を痛め、その罪を全て自身のものだと背負い込んで。

"それでも"、罪悪感などというものに捕まっていては、ここに来た目的を果たせないのだ。

 

『それはきっと、君にとっての救いになる』

 

薄赤の肉片を指して告げられたその言葉に、どのような意味があるのか理解出来た訳では無い。

ただあの女の圧と会話の流れで行先が決まっただけで、明確な理由を提示された訳では無い。

 

細く儚い蜘蛛の糸に縋る狩人の姿は、滑稽そのものだ。

罪を背負って夜明けを目指すと時計塔の管理人にそう宣言したのに、当人から"救い"を示されれば、罪を濯げるのやもと進んでしまうのだから。

 

「まぁ、開かないよね」

 

びくともしない大門に嘆息しつつも、狩人は自身に寄って来る赤子を踏まぬように避けつつ横道へと入る。

左に行けば階段と、その横に屯する鴉の群れが。

鴉達を葬り、屍を越えて行けばまた道が見えるのやも知れない。

だが一先ず上を見ようと、狩人は階段に足を掛けた。

 

階段の頂上には鎌を持った使いが一人。

その前にはあまりにも無作法に置かれた焚き火が一つ。

どういう意図でのものかまるで理解が及ばない焚き火は、ひょっとすれば外敵を留める為のものだろうか。

そんな事をせずとも、常人なら赤子の群れに悲鳴を上げて立ち去るだろうに。

 

気にせず焚き火を跳び越えて聖剣の切っ先を正面へ、突きの構えで走る狩人に、光を纏った鎌が動く。

階段という高低差のある足場で、横薙ぎの攻撃をしてしまった使いに、狩人は素早く両足を"抜いた"。

 

体を支える二本の足が接地を止めた事で上体は前へと倒れ、鎌は狩人のフードの頭頂部を切り攫いながら振り抜かれる。

狩人の体で止まる筈だった鎌の刃は、当然壁に激突し、その硬直をこそ狙っていた狩人は、聖剣を前へと突き出した。

 

一度足を浮かせた上での、無理やりの踏み込み。

当然突き刺した後の事など度外視しており、ただトドメを刺す為だけの攻撃は、着地やブレーキなど考慮していない。

皮と肉を通り抜け、太い骨すら紙のように突き抜けた聖剣は、狩人の体を引いて奥へ奥へと突き進む。

 

「あれっ────…わぁっ!?」

 

結果として、上り階段の直後に置かれた下り階段というヤーナムの地特有の意味不明な建築様式によって、狩人と教会の使いだった死体は建物内へ転げ落ちて行く。

尋常では無い量の埃を巻き上げながら何度かの衝突を受けつつ、二つの塊は無事室内で静止した。

数秒後に動き出したのは、これまた二つの影。

一つは狩人のもので違い無いが、もう一つは使いでは無い。

 

「うぇ……げほっ」

 

被った埃を頭を振って散らす狩人を、正確に言えば狩人が今も振る頭を狙って、彼の者が動き始める。

ぬらぬらと少量の光を反射する角のような食道、顎髭にも似た無数の触手。

貧相な体は痩せこけた人間にも、枯れ木にも見える。

かつてまだ未熟だった狩人を腰砕けにした強敵。

脳喰らいが、そこに居た。

 

「ヴォイィィッ!!」

「えっ」

 

完全に虚を衝かれた狩人は、瞬時に次手を思考する。

聖剣は使いの死体に突き刺さったまま、立ち上がって飛び退くなんて真似は死体に跨ったこの姿勢から出来るものでは無い。

ならばと短銃を取り出した所で、脳喰らいの片手が狩人の左腕を掴む。

思考こそ早くとも、先手は初めから圧倒的に脳喰らいにあったのだ。

 

「や、やめて……?」

「フジュル……」

 

触腕が伸ばされ、狩人の耳に湿ったそれが触れる。

数多くあるトラウマの内の、かなり特殊な一例。

この夜でまさか脳を震わす快楽を恐れようなど、それこそ血を恐れる事と変わりない。

であるならそう珍しい事でも無いのだろうか。

 

「ひっ…ぁ……ぅぐ」

 

ずりゅり、ずりゅり。

聞き覚えというより、耳に覚えのある感覚に、狩人の意識は段々と薄れて行く。

啓蒙の減少による喪失感の濁流に呑まれた思考は、最後にたった一つの懸念を残した。

"これで夢へ戻るのなら、避けるように出立した事を人形に謝らなくては"などと。




狩人の手記

人伝に聞いた情報を書き記し、時には拾い集めたメモを挟む用途で扱われている手記。
時折漏れる暖かな光は、少女の思考の内海に居座る彼らによるもの。
或いは彼らもまた、寄る辺と縁を失った少女を憐れんでいるのだろうか。

マリアは知らない。
狩人達の目指すものは、秘密や夜明けだけでは無いという事を。
少女の内には秘密を目指した痴れ者と、夜の先に見えんとした愚か者共が同居している事を。
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