少女の微睡、月香の夜。 作:かなしいな
※第六話、ちょっとグロめです。
建物に戻った少女だったが、どこを見渡しても下に降りるための梯子や階段は見当たらない。
あの下水溜まりですら飛び降りようとしている時に足が震えていたのだ、一番下の下水以外には水や泥のクッションも無いこの状況で、少女は飛び降りようとは思えなかった。
「ど、どうしよう…降りる場所は無さそうだし……あれ?」
どう降りようかと悩んでいる少女の前に見えたのは、上部から吊り下げられた何かだ。
鎖で繋がれたそれは一つだけではなく、奥に見える同形のものには大型のノコギリのようなものが引っかかっているようにも見える。
出来るだけ階下を見ないように、だが足を踏み外さないよう足場だけは確認しながら、少女はそれが吊り下げられている場所へと歩いて行く。
「これ、人…?」
鎖によって吊られていたのは人間の死体だった。
どういう訳でここに吊られているのか少女には理解し難いが、とにかく触れない方が身のためではあるだろう。
だが奥に見えたものが持っていたノコギリは少女としても非常に気になる代物だったようだ。
この獣狩りの夜で少女は狩りを学び、会得しなければならない。
そしてそれに欠かせないのが武器の存在だ。
振るうならば強い武器の方が良いに決まっている。
仕込み杖も使えない部類では無く、むしろ慣れる事が出来ればこれ以上無い武器とする事が出来るのだろう。
しかし少女はそれを十全に扱える技量を持ち合わせておらず、何より仕込み杖の強みなど知る由もないのだ。
"あのノコギリが使える武器なら貰って行こう"
そう考えた少女は今いる足場から梁を使い対岸まで渡りきり、ノコギリを持った死体を吊り下げている鎖へと近付く。
先程見たものよりもほんの少し足場から離れているそれに少女は杖のグリップを引っ掛け、足場の方へと引き始めた。
「よい、しょ…もうちょっとで…!」
足場まで死体を引く事が出来た、少女がそう確信して身を乗り出し鎖を掴んだ瞬間────
「おわっ……わぁぁぁっ!?」
死体を引く事に集中して疎かになってしまった足下は、急に体へと掛かった死体の重みに耐えかね、足場から僅かに離れてしまった。
そのまま振り子の要領で宙へと投げ出された少女は、鎖を離さず何とかしがみつく事が出来ている。
だがそれでは終わらない、少女が掴んだ鎖は細く、そして脆い。
要するに、いくら軽いとはいえ死体一つと少女一人の重さを支え切る事は出来ない程度のものだった、という事だ。
「───────…っふっぎゅ!」
投げ飛ばされるように階下へと落下した少女は、潰れた蛙のような声を上げながら右腕を下敷きに石床へと激突した。
激突と同時に、何かが砕けるような鈍い音が響く。
死体は更に下へと落ちて行ったようだ、杖で引いた事で死体に投げ飛ばされなければ、本来は少女もあそこに落下していたのかもしれない。
上階の梁からはそれなりの高さがあり、落下した少女はもちろん無傷とは行かない。
激突の際に折れてしまった右腕は、今頃服の下で真っ青に腫れているのだろう。
少女は痛みに喘ぎながらも、左手で輸血液を取り出し、その針を太腿に突き刺した。
「……っぐぅ…うぅ〜〜っ…!!」
呻き声を上げながら治りかけの腕を押さえて歩く少女の背に向けて、一つの影がその腕に持った武器を振り上げた。
「オォォォ…ッ!」
息を潜めつつも漏れ出たその唸り声は、少女に回避行動を取らせる警告としては充分過ぎる働きをした。
寸での所で回復が間に合った右腕で、すぐさま近くに転がっていた仕込み杖を拾い構えれば、少女に振るわれた武器は大きな杭で、それを振るったのは下水道で少女に襲いかかったものと似たような進行度の罹患者だった。
右腕の感覚を確かめながら杖の石突を正面へと向けた少女は、再び襲い来る罹患者に対して大きく踏み込む。
構えた杖はそのままに上体を落とした少女は、罹患者によって振り下ろされた杭の更に下を潜り、仕込み杖を罹患者の鳩尾へと突き込んだ。
「ガギャッ…ガ、アァッ!」
「……っづ、ぅ…」
罹患者も負けじと少女の右肩に噛み付き、その肉を抉り喰らう。
吹き出す血が増えていく毎に、少女の頭がクラリと揺れる。
少女は思わず上げそうになった声を奥歯を強く噛み締めながら飲み込み、突いたままの仕込み杖を変形させた。
刃が体の中でズレる感覚を味わった事で緩んだ罹患者の顎を無理やり押し退けて、少女は蛇腹剣を引き抜く。
肉の繊維を巻き込みながら引き抜かれた刃は、肉だけでなく骨や臓腑すらも傷付け、罹患者の命を刈り取った。
「────…ぐずっ、ゔぅぅ…」
喰いちぎられた肩に触れるのは痛みに耐えられないからか、傷口を押さえる事無くその場に蹲った少女は、涙を溢しながらも懐から輸血液を取り出す。
服越しに針を突き刺して血を注入すれば、心が呑み込まれてしまいそうな多幸感の後、少女の傷は治り始めた。
「はっ、はっ、はっ…はぁ…」
浅い息を繰り返し、ゆっくりと起き上がった少女は杖を拾ってすぐに物陰へと身を隠す。
血が足りずに頭が揺れるような感覚も引いたらしく、しっかりとした足取りで物陰まで辿り着く事が出来ていた。
治療に専念するためとはいえ、このような場所に留まっていてはまた襲われると踏んだのだろう。
それが杞憂だったとしても、不測の事態に陥るよりはずっとマシだ。
物陰に隠れ息を整えた少女は、階下のノコギリを諦めるか否かで悩んでいるようだった。
"何か"が潜んでいるのであろう真下からは、引っ掻くような音が幾つか聞こえて来ている。
ノコギリを取りに行くのなら戦闘を視野に入れなければいけないだろう。
「……取りに行かなきゃ、損だし…!」
腕を折ってまで───骨折は少女の油断のせいではあるが───手に入れようとしたのだ、ここまで来て諦めるのも悔いとなるだろう。
そろそろと陰から這い出し、壁際に張り付きながら進む少女は、どうやら下へと降りる安全な道を探しているようだ。
壁際から下を覗いたのが幸いしたか、少女の真下には土嚢や木箱が一纏めに置いてあり、そこなら安全に降りる事が可能だろう。
下水道の入口でそうしたように、足で下を探りながら降りた少女は、音を立てないように積まれた土嚢から降りる。
どうやら音を鳴らしていたのは大鼠だったようだ、キィキィと泣きながら隅で蠢いている。
未だ変形させずに持っていた仕込み杖を大きく振るい、蛇腹の刃で鼠に先手を打った少女は、二振り三振りと軽く鼠にトドメを差してノコギリの方へと向かう。
だが寸前で物音と嫌な予感に足を止められた少女は、静かに壁から向こうを見やった。
案の定────という訳でも無いのだろう、少女の目に驚きの色が浮かんでいる。
そこには三匹の鼠が屯していた。
少女は"明らかに罠だ、誰かが仕掛けた罠に決まっている"と居る筈のない第三者の作為を疑い、直後そんな訳がないと自身の考察に否定を入れている。
「────…はぁ〜っ……よし」
そうして少女は大きく深呼吸をし、元に戻した杖を四苦八苦しながらも仕舞う。
覚悟を決めた少女が打つ手は一つ、最も得意とする戦法だ。
それ即ち────
「逃げるが勝ち!」
逃げである。
死体が手放したノコギリを空いた右手で拾った直後、迫る三匹の大鼠を素通りして端へと駆けて行く。
向かうは降りて来た端とは反対側だ、少女が降りて来た方の下水路をちらと振り返れば行き止まりである事がわかる。
そうなれば必然的に反対側へ向かう他ない。
「ギィィッ!キィッ!」
「着いて来ないでぇぇ…!」
下水へと飛び降り、それによって跳ねる汚水が服につくのを気にする暇もなく、少女と鼠の群れは追走を続ける。
下水に降りて間もなく外の光に晒された少女は、その眩しさに目をほそめつつも周囲を軽く見回し、そしてすぐ右に見付けた梯子へと手を掛けた。
「早くっ、早くっ…!」
己を急かしながら進む少女が梯子を登り切った時、鼠は着いてきていないかと首だけで振り返ると、少女の持っているものとはまた別の銃声が響いた。
「っぐぅ!?」
撃ち抜かれたのは少女の背中、左の肩甲骨上部だった。
心臓や肺に近く、出血も多量だ。
少女は直ぐに右に見えた柵の柱に隠れ、輸血液を注射する。
その間も銃声は幾度か響き、そのタイミングからして少女を狙い撃っているのはどうやら一人ではないようだ。
最低でも二つ分は銃声が存在している。
輸血液を打ったからとは言え、やはり直ぐに万全とは行かない。
少女の元々白かった肌は更に青白く、その息は今にも途切れてしまいそうな程荒く細いものになっている。
目の焦点も上手く合わせる事が出来ておらず、ほんの少しとは言え全力で動けるようになるまでは時間を要するだろう。
だが立ち止まっていては銃の持ち主が移動し、別方向から少女を狙い撃つかもしれない。
そうなれば少女は夢送りだろう。
まだフラフラと足が言う事を聞いていない少女が、目の前に見える先程まで走り回っていた建物へと逃げ込もうとしている。
そうなれば当然とでも言うように、二人の銃手が少女の行く手を阻むようにして銃撃を行い始めた。
それほど技術は高くないとは言え、今の少女に当てるのはそう難しい事ではない。
左の脇腹と右膝に新たに一発ずつの弾痕を刻まれた少女は、半ば倒れ込みながらも建物の壁へと身を隠す事に成功した。
────が、あくまで隠す事が出来たのは外にいた二人の銃手からだ。
ガラガラと音を立てながら木樽や木箱を崩し、その残骸に体を預けるようにして倒れる少女は、懐を探り輸血液を取り出そうとしている。
その手にようやく針が握られ、今まさに懐から取り出そうという時、少女の耳に届いたのは唸り声と足音だった。
「グ、オォォッ…!」
「……あ、はは…それは、ずるくないですか…?────げぶっ」
建物の中に潜んでいたのだろう、少女の前に現れた杭を持った罹患者は、その手に持った杭を少女の腹部に突き込んだ。
少女が罹患者達にそうしたように内臓は杭によってかき混ぜられ、少女の口は声を発する部位ではなく、ただ血を吹き出すだけの穴となっていた。
「────…なんで」
夢へと戻って第一声、少女から出たのは不満。
「なんで、僕ばっかり…なんで僕なんかが狩りなんて…」
今まで抱え込んでいた不満、自分だけがヤーナムという街そのものから狙われているという不安。
その全てが今、実に六度目の死によって爆発した。
記憶を失くしたばかりの少女は、言ってしまえば何も知らない幼子だ。
それが突然ヤーナムに────その上獣狩りの夜に放り出され、人ならざる獣を相手に戦えと言われている。
今までの全てが無茶な話だったのだ、それが今まで通ってしまっていただけという話で。
「……なんでだよぉ…」
ボロボロと涙を溢しつつも、少女は墓標へと歩いて行く。
その途中でふと足を止め、右手に持つ武器を見やった。
先程拾ったノコギリ槍だ、少女の筋力でも充分振るう事が出来る。
戦果と言えばこの一振りくらいのものだろう、少女は納得が行っていないようだが、あの道をこれ以上進む気にはなれないらしい。
「ど、どう動かせば────うわっ、内側も刃がある…」
次の進路を考えつつも、少女はノコギリ槍の観察に夢中になっている。
その場で杖を変形させる時と同じ要領で袈裟に振るってみれば、甲高い金属音を上げてノコギリから槍へと変形した。
槍の状態なら間合いもそこそこあり、ノコギリとの使い分けを考えれば、仕込み杖よりも使い勝手の良い武器に思える。
だが少女の細腕では槍を思うがままに振るうのは厳しいようだ、少なくとも両手で構える必要があるだろう。
不満を吐き出し新たな興味の対象を見付けた事で少し楽になったのか、少女は墓標へと歩いて行く。
その途中で何かを思い出したように顔を上げると、人形の方へと向かって行った。
「あの、人形さん!」
「何でしょうか、狩人様。」
「えっと、あの…マスクを着けてて、マントがモサモサしてる狩人さんから伝言がありまして!"よろしく"って伝えてくれって!」
「マスク、マント…烏羽の狩人狩り様でしょうか」
人形の口から出たのは、"狩人狩り"という少女が未だ知らない未知のもの。
狩人までなら理解出来るだろう、少女もまた同じなのだから。
だがその狩人を狩る存在、狩人狩りとは何なのか。
「その、狩人狩りって言うのは…?」
「申し訳ございません、血に酔い我を忘れてしまった狩人様方に、介錯を行う方々の通称という事しか…」
「そ、そうですか…血に酔う…あ、ありがとうございました!行ってきます!」
「行ってらっしゃい、狩人様…」
血に酔うという言葉の意味すら理解出来なかった少女だが、少なくとも自身が行うべき、関わるべき事で無いという事は悟ったのだろう。
それ以上は知らないと言う人形に礼を言って、少女は心に謎の重みを抱えながらも、墓標に手を翳した。
ヤーナム市街へと転送された少女は、まずギルバートに挨拶を────と思ったが、どうやら今は休んでいるらしい。
"ただでさえ自分に世話を焼いてくれたのだから"と声は掛けず、少女は民家の奥へと走り抜け、エレベーターへと向かった。
途中の罹患者達は輸血液や水銀弾の補充も兼ねて追って来る分はしっかりと仕留め、ノコギリ槍の手応えを確認している。
「…やっぱり、重い武器の方が良いのかなぁ…?」
そうして辿り着いたエレベーターに乗り、今度は一瞬の浮遊感と下降する感覚に身を任せれば、下水橋前へと扉が開いた。
右には下水へと降りる梯子が、そして左には下水橋とその奥の聖堂街へ続くであろう道が見える。
軽く両頬を叩き深呼吸で息を整えた少女は、ノコギリ槍を畳み下水橋へと駆け出した。
向こう岸からは四人の罹患者が歩いて来るがお構い無しだ、横をすり抜けて突っ切るつもりなのだろう。
だがその考えの元走っている少女の目に映ったのは更に奥、下水橋から聖堂街へ入る階段の上に陣取る大男と松明を持った罹患者。
そして、その前に鎮座する大玉だった。
「うえぇっ!?」
急いで両足にブレーキを掛けた少女は、振り返りざまに大男の隣の罹患者が松明で大玉に火をつけたのを目撃する。
方向転換が済み再び全速力で走り出した少女は、橋の横にある恐らくは往来のためのスペースへと転がり込んだ。
少女が飛び込んで直ぐに、後ろからは大玉に轢かれる罹患者達の声が響く。
強烈な熱波に少女が目を細めると、隣を通り過ぎた大玉は下水の方へと落下して行った。
「あ、あっぶなぁ…」
心の底から、と言った感想を零した少女は、気を取り直して橋の奥を見やる。
どうやら大男と罹患者の二人は降りて来ていないようだ。
少女は気を取り直して走り抜ける準備をし始めた。
幸い怪我は無く、輸血液が減る事も無い。
そうして立ち上がり、ふと思い立ったように烏羽の狩人がやっていた露払いのような仕草で埃を払うと、少女は聖堂街に向かって駆け始める。
前に居る大男は振りが遅く、罹患者の方も足が速い訳ではない。
少女は何事も無くその場を走り抜け、左にある階段を駆け上がって行った。
途中には杭を持った罹患者が二人隅で屯していたが、無視を決め込み更に奥へと駆けて行く。
見事逃げ切った少女の耳には、何かを潰すような音と、血が吹き出すような水音が聞こえている。
前に見える墓地へと踏み入れば、そこでは狩人であろう黒ずくめに白いマフラーの男が、たった今獣の頭部を叩き潰した所だった。
「…どこもかしこも獣ばかりだ」
その言葉を独り言、あるいはこの獣狩りの夜に対する愚痴と捉えた少女は、男に親近感を覚えたのか警戒は解かずに歩み寄る。
ジリジリと距離を詰める少女に、男はまるで最初から気付いていたかのように振り返った。
「貴様も、どうせそうなるのだろう?」
「────…え?」
「ハァ……」
少女の脳に、聖職者の獣との戦いが始まった時と似たような感覚が芽生える。
その直後に吐き出された白い息は開戦の合図だったのか、右手に斧と左手に散弾銃を構えた男は少女へと進撃を始めた。
だが、少女は未だに戦闘態勢を整える事が出来ていない。
見えてしまったのだ、男の目に巻かれた包帯が。
「オオッ!」
「っ、な、なんで!僕は獣じゃない!人間です!」
「フン…獣風情が人間を騙るのか…」
振るわれた斧を間一髪で回避しながら叫んだ少女の声に男は聞く耳を持たず、今度は地面を削るようにして斧を振るう。
巻き込まれた小石と土煙が一瞬少女の視界を奪い、その隙に振るわれた斧に回避は間に合わないと踏んだ少女は右手のノコギリ槍を盾に構えた。
「ヌウッ!」
「お、重っ…!」
根本的に膂力が違う両者では、鍔迫り合いは起こらない。
一方的に弾き飛ばされた少女は着地に全神経を注ぎ、地面に足が着いた瞬間に墓石へと身を隠した。
それすらも一瞬遅かったのか、素早く放たれた散弾は少女の太腿を浅く抉る。
「…ぐ、うぅっ…!」
痛みに眉を歪める少女に対して、男は無慈悲に距離を詰め始めた。
未だ少女は男に一撃を入れる事すら叶わず、逆に男は少女の機動力を削いで見せたのだ。
相手は正気を失っているだけでなく、その視力は包帯によって封じられている。
にも関わらずこの状況と言う事は、実力差は火を見るより明らかだろう。
思えば今までの罹患者達も、その瞳を隠すように包帯を巻いていた。
命が掛かっている緊迫した場面で、少女は今まで襲って来た罹患者達の事を思い出す。
「陰に隠れて獲物を待ち構える、獣の常套手段だ…」
「…っ僕は、獣じゃありません」
「まだ言うか、往生際の悪い事だ!」
語気に力を込めながら、男は斧を墓石に叩き付けた。
だが既にそこに少女は居らず、男の左後方からそれは飛んで来た。
飛来した何かを男が散弾銃で弾けば、破砕音と共に炎が噴き出す。
火炎瓶だ、今まで使わずに取って置いたそれを、少女はこの機に使って見せた。
男は即座にその場から離れるも、直後少女は両手に構えた変形済みのノコギリ槍を男に向かって薙ぎ払う。
「やぁぁっ!」
「……やはり獣はその程度か」
見切っていたのか、それともただ単に少女の一撃が遅過ぎたのか。
振るわれたノコギリ槍を避ける素振りすら見せず、男は少女の攻撃のタイミングに散弾を合わせた。
「…っ、ぅ…!」
途轍も無い威力を持った散弾は、間近にいた少女の腰に命中し、腰骨の右端を粉砕しながら反対側へと抜けて行った。
致命傷では無いが故に、この攻撃は悪辣なものとなる。
思考が回らない程の痛みに苛まれているというのに絶命は出来ず、目の前から迫る男がトドメを刺すまで、少女は欠損した腿の付け根から発せられる強烈な熱と痛みを拒めないのだ。
当然体の一部を抉り取られた少女は大きく体勢を崩し、その場に崩れ落ちてしまう。
絶好とも言える隙を男が見逃す筈が無く、素早く近付いた男は少女に有無を言わせる事もせず、その腹部に右手を突き込んだ。
「ぐぅっ!?……ぅ、げぅ…」
ぐちゃりぐちゅりと辺りに響く粘性の高い水音は、少女の腹から発せられている。
突き込まれた右手は少女の臓腑を掻き回し、そして────
「フンッ!」
「ぁ…」
掻き分けた臓腑の更に奥、背骨を掴んだ右手はそれを無理矢理少女の体から引き抜いた。
当然叫ぶ余力など無く、少女は地面へと倒れ込んだ。
腕を引き抜かれた事でぽっかりと開いた傷孔から零れ落ちた内臓が、辺りを赤へと染めて行く。
男はそれを見て満足するように、だがどこか納得の行かないように呟いた。
「最後まで人のフリか…」
少女に向けられたであろうその言葉はやはり、少女の事を人だとは認識していない。
そして介錯でもするかのように、男は少女の頭へと斧を振り下ろした。
次に少女が目を開けたのは、狩人の夢の中だ。
みるみる顔を真っ青に染める少女は、腹に左手を添える。
中身をまさぐられたあの感覚が未だに消えていないのだろう、少女は明らかに気分を悪くしていた。
「……ぐじゅっ」
青い顔を覆うようにして涙を拭っても、やはり人に殺されるというのは堪えるようで、拭い切れない涙が袖まで濡らしている。
二度目の死────ヨセフカの診療所を出て直ぐに出会った罹患者に殺された時よりも、少女の心は余程傷付けられていた。
とは言え少女は三度殺されても聖職者の獣に立ち向かったのだ、たった一度の挑戦が失敗した程度で諦める事はない。
────の、だが。
今回ばかりは相手が人という事もあり少し時間が掛かっているようだ。
今も地面に指で落描きをしている。
聖職者の獣相手に負けた時も同じように落描きをして頭に浮かんだ戦いの流れを明確な物にしていたようだが、何分相手の情報が少な過ぎる。
自身が墓石に隠れていた事が影響しているのか、男の行動は少女には見えていなかった。
こうなれば少女は行動を起こし、戦いの中で学んで行くしかない。
「…すん、ぐずっ」
鼻を啜り強引に涙を拭った少女は、立ち上がって墓標へと歩いて行く。
表情こそ沈んでおり、目元は赤く腫れてしまっているが、歩調にはしっかりと覚悟が表れている。
墓標に手を翳すと、地面から使者達が顔を出す
少女を案じているのか、ただ単に案内をしているだけなのか。
だが使者が見えたというだけでも、今も白い光に包まれようとしている少女の心には、ほんの少しの安心が生まれたようだった。
再び少女はヤーナム市街へと降り立ち、エレベーターへと向かった。
もちろん自動で昇降し続ける訳では無い、少女が傍にあったレバーを引けば、下に降りていたエレベーターが上へと戻って来た。
昇降している時間は暇でしかないようで、少女はガチャガチャとノコギリ槍を何度も変形させている。
そうしている間に下へと着いたエレベーターを降りると、大玉も罹患者達も元通りになっていた。
少女には理屈はわからないが、大玉を補充する手段があったのだろう。
橋を渡ろうと進めば、先程と同じく火のついた大玉が転がって来る。
同じ方法で避ければ罹患者達だけが轢き潰され、その奥には大男と罹患者が残っている筈なのだが────
「ギャアッ!ギャアァァッ!」
「えぇ…?」
服に松明から引火してしまったのだろうか、罹患者の方は絶叫を上げて直ぐに焼死体になってしまった。
謎ではあるが少女からすれば道行が楽になっただけだ。
大男の脇をすり抜け、少女は再び墓地へと踏み入った。
やはり男は少女に気付いており、姿を視認した途端走り寄って来る。
その左手に注視している少女は、散弾銃が僅かに動いた瞬間墓石の陰へと飛び込んだ。
少女が完全に墓石の陰に収まった瞬間、先程まで少女が居た空間を複数の鉛玉が通過して行く。
「また同じ獣か…」
「…だから、獣じゃないって言ってるじゃないですか…!」
トラウマになっているのだろう、少女は左手でそっと腹を撫でる。
そこは男が腕を突き入れたあの場所だ、感覚こそ既に消えているが、記憶まではそう簡単には行かない。
男の足音が近付くにつれて、腹に宿った死の記憶は強くなり始める。
それを振り払うように、左手に銃を構えた少女は墓石の陰から飛び出した。
「フンッ!」
「…今っ!」
男が斧を振るった瞬間、少女は短銃の引き金を引く。
タイミングは完璧にあっており、右肩に命中した弾丸により男は大きく体勢を崩した。
流石に男にされたように腕を突き入れる勇気は無いようで、少女はノコギリ槍を男に向けて振るう。
だがそう簡単に勝利をもぎ取れる相手では無い、男は右手に持った斧を振り上げ、少女のノコギリ槍を防いで見せた。
「こ、ん…のぉ…!」
「グゥッ…!」
右肩のダメージが響いたのか、振り上げた角度が悪かったのか、あるいはその両方か。
ほんの一瞬だけ少女の攻撃が男を上回り、男の胸を浅く斬り裂いた。
浅かろうが少女の得物はノコギリだ、そのダメージは少女の手応えとして残るものよりもずっと上だろう。
「邪魔だ!」
「っ!」
男は少女を引き下がらせるべく、左手の散弾銃の引き金を引いた。
"散弾を受けたらまた背骨を引き抜かれる"というイメージが先行しているのが幸いしたか、散弾は回避行動を取った少女の右頬と肩を掠める程度で通り過ぎて行った。
それによって流れた僅かな血は男の顔にも掛かったが、男はそれを舐めとって再び戦闘態勢を取る。
「うぇ…」
もちろんそれを見た少女は良い顔をしていないが、男はお構い無しだ。
散弾銃をしまい、斧の柄を伸ばし変形させる事で両手斧とした。
先程までの片手斧とは戦法がガラッと変わり、少女はその変化に対応し切れていないらしい。
「ハ、アァァッ!」
「ぐぶぇっ」
自身毎回転しつつ振るわれた両手斧のリーチを見誤ったのか、少女は左腕を切断され、肋の辺りを真一文字に斬り裂かれた。
「はっ……はっ…」
「まだ生きていたか、しぶとい獣だ。」
肺にも浅からぬ傷が出来たのか、ひゅうひゅうという呼吸音は少女の口と喉だけでなく、胸からも聞こえてくる。
ごろごろと鳴っているのは少女の肺に血が流れ込む音だろう。
喉から声を絞り出す事も出来ず、四肢は脳から下される命令を受け付けず、既に少女の死は確定している。
ダメ押しとばかりに頭部に叩き込まれた斧によって、少女は夢へと送られた。
「────…はぁ」
夢で目覚めた少女の口から零れたのは、不満では無く溜め息だった。
最初から今回で突破出来るとは思っていなかったらしい。
"仕込み杖に慣れたとは言い辛いが、それでもノコギリ槍よりはマシなのかもしれない"
そんな思いで仕込み杖を引っ張り出すが、少女は思う所があるのか再び引っ込めた。
「…あんまりコロコロ変えたら、どっちも使えなくなっちゃうもんね」
この短期間での上達振りで直ぐに忘れるとは思えないが、幾つもの武器を交互に扱う事でこれから体に染み付くであろう技術に不純物が混じるのは避けたい事だろう。
そもそもとして、少女が聖堂街を目指すのは"青ざめた血"を求めるためだ。
ただ自筆のメモにそれが書いてあったから、それこそが自身の失われた記憶に関わるのかもしれない、と。
それだけの一縷の望みに賭けて聖堂街を目指しているに過ぎない。
武器を変える事が効果的になるならまだしも、それほど修練していないものを更に別のものへと変えるのは避けたいだろう。
少女は自身が元々狩人であったという可能性を既に捨てている。
"ろくに鍛えられてもいないのだから、きっと一般人だったのだろう"と。
ならば今持っているノコギリ槍で暫くは進めば良い。
どうせこの夜が終われば使う事の無い技術の筈なのだから。
極端に道を急いでいる訳では無いが、出来る事なら近道をしたいと思うのは、多くの人間が抱える性なのだ。
「…よし、もう一回!」
初めて男に敗北した時よりも数段元気の良い声で、少女は再び挑戦者となった。
何がどう変わろうとゴールはわからないままなのだから、今はすぐ目の前に見えている"墓地の男を倒す"という中継地点まで辿り着くべきだ。
一先ず頑張ろうと決心が付いた少女は、墓標に手を翳した。
少女の仕込み杖
少女が使者からの贈り物として差し出された三つの仕掛け武器から選んだもの、三つの内では技量の高い者に向けられた武器でもある。
少女はそれを、ただ物騒には見えないからという理由で選んだ。
この夜で一度死を経験したのだから、充分に物騒なこのヤーナムで生きるには必須とも言える武器を、特に少女は悩む事もなく決めたのだ。
記憶を失う以前の少女は、そう言った争いからは縁遠かったのかもしれない。