※イメ損注意
纏わりつく南風にシリウスは空を見上げた。
今、雲は無い。
しかし生まれついて他者より秀でた五感は、じきに雨が降る、と告げている。
いつ頃降り出す。
占領している部屋に戻れば携帯がある、テレビがある、自分のものではないがラップトップPCもある。それらを使えば容易に、確実に今後の天気が分かるだろう。取り巻きどもを奔らせれば、自ら動かずとも知れる。
だが、それらは必要無い。
雨はあと一時間もしないうちに降る。
シリウスは確信していた。誰よりも何よりも、己の感覚だけを信じた。
それに、雨が降ろうと、だから何だというのか。
降るなら降れ。
道を惑わすような霧雨だろうが、息もつかないような嵐だろうが、私には関係ない。
シリウスは練習場の外、東の方角、ここからでは影さえ見えないない建物、正確には学生棟の一角、そのまた中に居るであろう一人の人物を睨んだ。
今の時間帯ならば居る。
自分と起源を同じくするウマ娘が。すべてのウマ娘の幸せのためにと嘯く傲慢で無知で現実が見えていない身の程知らずの女が。皇帝などと持て囃されていい気になっている愚か者が。自由にふるまえる力があるくせに自らを縛る愚かなシンボリ家の者が。幼い頃より自分より常に上に立ち続けた幼馴染が、居る。
"あいつの何かもが気に入らない。"
思うが儘に振る舞い、シリウスは"併せ"をしようと喧嘩をしようと口論をしようと、誰にも負けなかった。
文句を言うやつらを端から黙らせるほどに、自分の強さを確信した。同時に、空しさも。こんなことに何の意味もない。
「センパ~イ!」
ふと、後ろから声がかかる。
シリウスは其方を振り向きもせず、しかし足音だけで相手がどの程度の速度で近づいて来ているのか測りつつ、ストレッチを続けた。
「シリウスセンパイ! すんません! 遅れました!」
見ていなくとも、相手が息も絶え絶えに頭を下げていることは分かった。遅刻したことで自分を怒らせてしまったのではと、相当に怯えているらしいことも。
別に、怒ってなどいない。物思いをしていただけだ。
だがあまい顔をして舐められても気に入らない。
だからこうしてキレているフリをして、自分の立場を弁えさせて、ビビらせて、そうしなければ……。
自分の思考を自覚して、シリウスは盛大に舌打ちをした。
背後にいる奴はそれを自らへの苛立ちと判断して、余計に怯えている。
すんませんすんません、いや、蹄鉄が、落鉄してほんと、急いで直したんすけど、全然合わなくって、代わりの靴、探しててーー。
聞いてもいない言い訳をわちゃわちゃと始めた所でシリウスは肩の力を抜いた。
シリウスがまとっていた雰囲気の硬さ(シリアス)が和らいだからだろうか、背後の奴があからさまにホッとしたので、シリウスはストレッチを一時やめ、振り向きざまに一発のゲンコツをくれてやった。
「イデッ!」
「おせーぞタコ。ちゃんと部屋片付けとけって言ったろ。あと靴も確認しとけ。また落鉄してもしらねぇぞ」
言うだけ言って、シリウスはまた背を向けてストレッチを始めた。
遅刻した汚部屋のマヌケは、あぃぃ、などと悶えつつも靴を脱いで蹄鉄の弛みを確認している。
「並走が終わったら坂路な」
「はい」
「30本」
「はい。は……エ"!?」
「あ? 遅れといて文句か?」
「イエ、なんでもないっす。ヤリマス……」
コイツは、コイツらには。
キレているふりも、威嚇も、暴力的をちらつかせる必要もない。
ある時、戯れに走りの世話をして、それから何度か面倒を見てやった。それから懐かれた。
チョロチョロと、仔犬のように慕ってくる者たちに対して、それらは不要だった。
(もちろん、コイツみたいなアホは偶に叱り付ける必要があるが……。)
シリウスはストレッチをやめ、走り出した。
ただのウォームアップだったが、何も言わずに走り出したシリウスにアホは何を勘違いしたのか
、いそいそと靴を履くと、センパイ待ってください、などと言いながら慌てて付いてこようとする。
その様子がおかしかったのか、困ったやつだな、と母犬は笑った。
仔犬はすぐに追いついてきた。
「なんか用か」
「用って、え? 並走ですよね?」
「ちげーよアホ。ウォームアップだ」
「あ、あ〜……」
「まあいい、このまま行くぞ」
「っはい!」
何処にも行く当ての無いやつだった。
見向きもされない奴だった。
誰も助けてくれない奴だった。
どうしたらいいかも分からず途方に暮れて、それでも走ることをやめられない奴だった。
コイツだけじゃない。自分の下に居るのはどいつも似たり寄ったりで、進み方も知らないクセに戻ることもできない奴ばっかりだった。
教官も、教師も、職員も、トレーナーも。誰もコイツらを助けようとしない。
シンボリルドルフ? 笑わせるな。
全てのウマ娘の幸福を宣いながら、あいつのやっていることは所詮この程度だ。臭いものに蓋をして、明るくて綺麗な所に居る者達だけの仲良しこよし。
ふざけるな。クソ喰らえ。
苦悩の中には苛立ち。
それは不良娘達に対するものではなく、彼女達を生み出したトレセン学園。ひいてはレースそのものに対する怒りだった。
義憤ではない。決して。
彼女達の扱いにも理解は出来る。
競走とは理不尽なもので、蹴落とし蹴落とされが当たり前。エースだ一等星だとおだれられても競走において等しくその悉くは蹂躙され、破壊さる。競走とは、誰も彼もを巻き込んで燃え盛る、輝かしい希望の地獄なのだ。
ではそこに、地獄の入り口に至る前に蹴落とされた彼女らの嘆きと苦悶は?
一体誰が聞く。一体誰が知る。
誰も知らない。興味などない。シリウスはそれを知っている。
だからこそ。
だからこそだ。クソッタレめ。ルドルフめ。
全ての幸福を宣いながら、コイツらへの責任を放棄したお前を許さない。
例えその終結が敗北であったとしても、戦いの舞台に躍り出ることこそウマ娘の誉れ。
だが、舞台に躍り出る準備すらさせて貰えない者は?
ルドルフ。貴様は、全ての幸福をと言った貴様はそれを無視した。
コイツらに存在する苦悩を知らず、知ろうともせず、存在しないとばかりに切り捨てた。
ルドルフ。貴様は何も考えてはいまい。ただ、口先と、成り行きの未来を待っているだけだ。途方に暮れるもの達は"卒業"と時の流れに消える。ごく一部が別の進路に流れて残るかもしれないが、それは役割を変えただけだ。そこにどれだけの悲しみが伴おうが、誰にも何も届かない。
ルドルフ。幸福を嘯くお前は厚顔無恥な支配者だ。
私ですら恥は知っている。お前はそれを捨てた。覚えていろ、仲間に報いぬ者は配下を率いる資格などない。
彼女達は手下だ、などという心中の言い訳はもう辞めた。もう認めた。認めてしまった。コイツらを仲間だと。
貴様がコイツらにに何一つ構わず、燻り消えていくだけの者達を私が引き上げることすら認めようとしないのなら。光と希望だけの甘言を改めようとしないのなら。宜しい。粉砕してやる。全てに於いて貴様を打ち負かし、然るのち、その墓標に剣を突き立ててやる。
シリウスは走りながらもじっと前を睨みつけていた。
気がつけばかなりのペースで走っている。
激情が体を動かした。
しかし、自身の激情とは裏腹に「センパイ!走るのってやっぱ楽しいですよね!」などと隣でニコニコされていては、激情もそう長くは続かず、コイツはコイツで私と一緒に居られれば別にいいんだよなぁ、などと、別にこのままでもいいか、と流されそうになるのであった。
「おい、ペースあげるぞ。ついて来れるか?」
「はい! もちろん! なんなら私が追い越しちゃうかもですよ!」
「はっ! 言ったな! 試してやるよ!」
「あっ、ちょっ、はやっ、せ、センパーイ! 待ってー!」
なんかルドルフがすごい悪いやつみたいになっちゃったなぁ。
あ、このシンボリさんはアプリのシンボリさんとは別人です。