雷人の詩 作:バリッか
交渉の結果、一週間の相互不可侵期間が設けられた魔王とのゲーム。
だが、この期間が安穏とした準備期間であるかと問われれば、ソレは違う。
「タオルを変えるよ」
傍らに置いた洗面器で水を絞り、程よく濡らしたタオルを耀の額に乗せ直して、礼司は一人息を吐き出していた。
会談以降、空白期間として設けられた一週間。
この期間に、“参加者”側は少なくないダメージによって真綿で首を絞められ続けている様な状態に陥っていた。
それもこれも、魔王によるもの。
“
徐々に被害を増やしており、倒れるものが増えればそれだけ士気も低下していく。
幸いなのは、最悪には未だ至っていない点。
そんな状況で、礼司は黒死病を発症した耀の看病のために、度々この隔離部屋へと足を踏み入れてはタオルを変えて、水を飲ませ、リンゴの皮を剥いていた。
あまり宜しくは無い。何せ、彼は主戦力の一人。それも、真正面から魔王と相対する事が可能なのだから。
だが、常ならば聞き分けの良い彼が、今回ばかりは強情だった。
それこそ黒ウサギが、
『あの礼司さんが、反抗期!?』
と目を剥いて絶叫してしまう程度には。彼女の苦労が察せられる。
結局、病を発症しても最前線で戦う事を条件に、看病が認められた。今日に至るまで発症していない辺り、運が良いのか、それとも別の要因があるのか。
「………礼司」
「うん?」
「手……」
掠れた声の耀に言われ、礼司は彼女の手を取った。
病気になれば気も滅入る。精神的に弱ってしまえば、病も進む。
病気の看病というのは、何も患者の身体のみを気にするのではない。精神的な部分のケアも必要になって来るのだ。
手遊びの様に、礼司の差し出された手を弄る耀。何時にもましてぼんやりしている辺り、熱の高さと体調の悪さが察せられる。
礼司自身も、特別何かを語りかけるような事はしなかった。ただ、したいようにさせて、その時が来るのを待っている。
静かな時間。何度目かの寝息が小さく聞こえた頃、不意に背後の扉が開かれた。
「よお」
「逆廻君……ここは、立ち入り禁止の筈だけど?」
「硬い事言うなよ」
本を片手に部屋に入ってきた十六夜に、礼司は形だけの苦言を呈する。
彼が言葉で止まらない事は知っているし、そもそも自分自身も立場的には似た様なものであるからだ。
並ぶようにしてベッド脇に椅子を持ってきた十六夜は、そこに腰掛け持ち込んだ本を開いた。
「進展はあった?」
「最後の詰めが、な。どうにも行き詰まっちまったから、息抜きだ」
肩を竦める十六夜だが、本当にプレイヤー側の状況は芳しくない。
前述のとおり、士気は下がり続けている。同士が、病に倒れていく姿を見て、平静を保ち続けろと言う方が無理な話だ。
加えて、勝利条件における解釈の違いもまた、場が滞っている原因でもある。
「…………十六夜?」
「お、起きたか。具合はどうだ?」
「……頭が重い…………」
「少し温くなったから、タオルを変えるよ」
手慣れた様子で、タオルを冷水に付ける礼司を眺め十六夜は本を閉じた。
「ゲームクリアの、目途は立った?」
「んー………大まかには分かってるんだ、肝心の核心には至れていないのが現状だな」
「そう言えば、僕もあんまり詳しくは聞いてなかったね。どこで、行き詰まってるの?」
椅子に座り直して首を傾げる礼司。彼は、耀の看病のためになるべく参加者面々には顔を合わせないように行動していたのだ。因みに食べ物は、黒ウサギやレティシア、サンドラ達が厨の端に用意してくれたものを消費していたりする。雷速移動は、こういう時にも便利だ。
話を戻して、十六夜は頭を掻いた。
「勝利条件の解釈でな。覚えてるか?」
「『偽りの伝承を砕き、真実の伝承を掲げよ』、だよね?もう片方は魔王を倒せば良いって話だし」
「ンで、コイツを見てくれ」
十六夜が二人に見せたのは、一枚のメモ用紙。
『ラッテン=ドイツ語でネズミの意。ネズミと人心を操る悪魔の具現
ヴェーザー=地災や河の氾濫、地盤の陥没などから生まれた悪魔の具現
シュトロム=ドイツ語で嵐の意。暴風雨などによる悪魔の具現
ペスト=斑模様の道化が黒死病の伝染元であったネズミを操った事から推測。黒死病による悪魔の具現
・偽りの伝承、真実の伝承が指すのは、一二八四年六月二十六日のハーメルンで起きた事件を前述の悪魔から選択するものと考察される』
中身を読み、二人は揃って疑問符を浮かべた。
「ここまで分かってるのに?」
「ああ、ここまで分かってるんだが…………」
「この選択肢から、安易に答えを選べないって事だよね?」
「そうなる。お前ら、前に黒ウサギが話してた“立体交差平行世界論”っての覚えてるか?」
「うん、知ってる」
「とはいえ、詳しく説明しろって言われたら言葉に詰まりそうだけどね」
「アレは、箱庭に召喚する方法の一つで、多岐集結型って奴のパターンらしい。要約すると“異なる事象が時間平行線で起きているにも拘らず、結果が収束するクロスポイント”って言えば分かるか?」
「うん、
「つまり、悪魔の存在それぞれが絶対数αに通じる数式って事になって、数式同士もイコールで結ばれてるって事かな」
「まあ、そうなるな。ンで、そこから浮く式が、真実もしくは偽りの伝承って事になる……筈だ」
だが、と十六夜は頭を掻く。
ここからが難しい。何せ、“ハーメルンの笛吹き”の伝承には特定の真実は存在しないとされているから。
真実に迫る事は出来る。だが、ソレはあくまでも過去の話。迫れても、ソレを証明できる手段が存在しない。
だからこそ、意見は割れているのだ。
勝利条件には、“偽りの伝承を
砕く、つまりは破壊する。破壊する事が可能という事は、裏を返せば一度壊せば元には戻せない場合があるという事。
気軽に答えは出せない。しかしリミットは既に目前。
耀は、軽く咳き込みながら十六夜に問う。
「なら、真実は後に回して、十六夜はどれが偽物だと思う?」
「ペストだな」
即答だった。これに関しては、悩む必要が無いとでも言うように。
「神隠し、暴風、地災。どれもが刹那的死因に対して、黒死病は長期的死因として描かれている。“ハーメルンの笛吹き”は一二八四年六月二十六日という
「……………………?」
十六夜の根拠を聞きながら、礼司はふと自分の中で引っかかりを覚えた。
彼は別に、伝承に詳しいだとかそう言う事はない。ただ、その特異な見た目から周りから距離を置かれ、学校生活でも常に一人だった。
共同生活が基本の学校で一人。そうなれば、あらゆることを一人でせねばならない。その中には、勉強も該当する。
その勉強の中で得た知識。トントンと額を叩き、
「――――……………………あ」
何かがかちりと嵌った気がした。
小さな声だったが、この場には三人だけ。
どうやって魔王がゲームに入り込んだのかを離していた二人は、礼司の方を見る。
「……礼司?」
「何か分ったか?」
「えっと…………さっきの逆廻君の話だけどさ」
「ペストか?」
「そう、そこ。モヤモヤしてたんだけど、その意味が今わかったんだ」
一つ頷き、礼司は右手の人差し指を立てる。
「一二八四年に、黒死病は無いんだよ」
まるで、水を打ったかのように部屋に静寂が満ちる。
しかし部屋の静けさと相反して、十六夜は目を見開いていた。
礼司は静かに続ける。
「違和感は、そこだったんだ。黒死病は、ハーメルンの最初の碑文に書かれた時代には存在してない。確か、十四世紀頃だったはず。一三〇〇年代なんだよ」
「それって………」
「ペストが、偽りの伝承って事の裏付けにしかならないけど――――」
「いや、大手柄だぜ、礼司……!」
瞳を輝かせ、十六夜は獰猛な笑みを浮かべる。
「ああ、クソッ!完ッ全に騙されたぜ!ミスリードに引っかかったってよりも、視野狭窄って奴か?ハハッ!でもまあ、これで白夜叉がどうしてああも簡単に封印されたのかも謎が解けた!」
「えっと、逆廻君?」
「どういう事?」
「礼司が言った通りなんだ。黒死病は“ハーメルンの笛吹き”の碑文が刻まれた時には、存在してない。そして、この時にはネズミを操る道化師は登場しない」
「……成程ね。伝承によくある、後付けかな?」
「ああ。“ハーメルンの笛吹き”にネズミ捕りの道化や、ネズミが出るのは黒死病の影響を受けてるって説がある。一五〇〇年代って所か。それからもう一つ。黒死病が流行った理由の一つに、寒冷期が挙げられるんだ」
「寒くなったって事?」
「そうだ。太陽の活動が低下して、寒冷期、別の言い方だと小氷期になった。お前ら、白夜叉が何の星霊か知ってるよな?」
「太陽、だよね?確か今は、仏門に帰依して霊格を……………………あ、太陽だから?」
「どれだけ強力なプレイヤーでも、ゲームのルールは越えられない。あの黒い風自体に注目し過ぎてたせいで、ここに気付くのにも遅れた。要は、ルールで白夜叉の力が極端に弱まってああなったんだろうよ」
人というのは、同じ事を考え続けていると、どうしても視野が狭まってしまうというもの。加えて、今回はそもそもの目の付け所を誤っていた。
何故なら相手は、“
ヒントは至る所に散らばっていた。
部屋を飛び出すように出て行った十六夜を見送り、再び部屋には静寂の帳が降りてくる。
「勝てる目途が立った、かな」
「コホッ………ん」
「春日部さん?」
「あすか……だいじょぶ…………かな……」
「大丈夫だよ。彼女、強いからね」
半分眠り始めた様な状態で、首から下げる“生命の目録”を握って微睡む耀に、礼司はただそう言うしかなかった。
もっとも、気休めで宥めた訳では無い。本心から、大丈夫だろうとは思っているのだ。
(魔王は、出来る限り僕らを殺したくない筈。手駒にするために。その点で言えば、久遠さんのギフトは強力で伸びしろもある。十中八九、捕まっても無体には扱われてない……筈)
断言はできない。最悪の場合は、街ひっくり返してでも探す腹積もりでもある。
残り一日を切った一幕。この凡そ二十時間後、運命を決める一戦が幕を上げる。