年始の早い内とか言ったくせに、既に三が日を過ぎているという事実。
作者は自らの意志の弱さと執筆速度の遅さに辟易としております⋯⋯。
「えっ⋯⋯えっ!?な、ななななんで!?どうして!?」
「なーんだ、やっぱりそういうことなの」
敵意すら感じそうな目から一転、励は悪戯が成功したと意地の悪い笑みを浮かべて楽しげだ。
対して私は胸中穏やかではない。先程話すと決めて心の準備をしたのに、タイミングを逸したせいでそれはリセットされてしまっているからだ。
だから私か出来るのは励を恨みがましく見つめることだけだった。
「詳しい事情は何も知らないけど、あんたがずっと輝き続けて来たのは知ってたからね」
「ぁ⋯⋯」
けれど、続く言葉に私の心の波は鎮まっていく。
彼女の表情はまた変化して、にかりという小気味の良い笑みになった。
「色んなものを手に入れたはずのあんたが、なんでまだそんなに頑張るんだろうってずっと不思議だった。でも自分以外の誰かの為だっだっていうなら、納得がいく」
理由。
私が今まで頑張って来た訳。
彼女が初めて吐露した胸の内。それは私の脳裏にこれまでの道のりを思い起こさせた。
私は星になりたかった。
小さくてもいい。見窄らしくてもいい。誰もがつい見上げてしまうような、眩い光を放てなくてもいい。
あの人が、もう一度上を向ける。道に迷わず進んでいける。そのきっかけにさえなれればそれでよかった。
そんな時、私は見つけた。明るく自由に生き生きと、大空を謳歌する一等星を。
七年前のことだ。
世界中が注目したフライトユニットのデモンストレーション。テレビの向こうのそれを見る傍ら、私は決意した。自分はこの翼を手に入れて、あの人に空を見せるのだと。
その想いを神様が汲み取ってくれたのかはわからないけれど、私には才能があった。
勉強は大変だった。訓練はもっと大変だった。でも、他の人よりも翼を上手く操れる才能があったのだ。
変に謙遜することもなく渡りに船だと思った私は、二年飛び級で免許を取得し、勧められるままに当時新たに作られたフライトユニットを用いる競技の選手となった。
がむしゃらに。
ただただがむしゃらに頑張って。
頑張って。
そうしたらいつの間にか、私は
嬉しかった。
これであの人はまた上を向けるはず。自身の道を見出して、私の手をもう一度引いてくれるはず。
そう信じて疑わなかったから。
でも、現実と理想は違う。
あの人は褒めてくれた。
よくやったと、優しく頭を撫でてくれた。
けれど、それはどこかよそよそしくて。手のひらにも昔ほどの暖かさはなくて。見上げても目を合わせてくれず。どころか、最後には顔すら、背けられてしまった。
その時初めて理解した。
私は近過ぎたんだって。
近過ぎる距離では目を背けてしまうほどに光が強くなってしまっていたんだって。例えるならそう、幾多の生命を見守り育みながらも、決して直視する機会を与えてくれないお日さまのように。
ショックじゃなかったといえば嘘になる。普通に落ち込んだし、競技にも影響が出た。色んな人に迷惑をかけて、心配もさせて。体調も崩し、空に拘る理由すら失って、もう降りてしまおうかと本気で悩んだ。
けれど、私がそんな状態でも、常に青空の一角で輝き続ける太陽が憎らしくて。
睨みつけるように見上げて、バカと文句を言って。
気がついた。
太陽だって、見てもらうことは出来る。手のひらでも、サングラスでも、何か一枚光を陰らせる術があれば、それが丸い形をしているのだと認識出来る。
私が何もしなくたって、あの人はいつかきっと自力でまた上を向く。もしかしたら、私以外の誰かが手を貸す時が来るかもしれない。それならそれで、あの人が幸せならなんだっていいと思う。
けどやっぱり、どうせ上を向くなら、その時はその先に私がいたい。視界の隅でもいいから、あの人の瞳に映っていたい。
改めて、己の願いを自覚した瞬間だった。
それから私はあの人と距離を取った。このまま近くに居続ければ私は目の毒でしかなく、彼は二度と顔を向けてくれないかもと不安だったから。
だからまず話しかけるのをやめ、極力遭遇しないよう心がけた。家を出ようかとも考えたが、それだとさすがに色々耐えられなさそうだったので断念。代わりに、家にいる時間を少なくした。
選手であることも辞めた。
何故なら、それよりも近くで明確な光を届けられる存在。アイドルという星を見つけたから。
確かに私は既に何かを残せたのかもしれない。だからといって、驕るつもりは全くなくて、選手の時と同じで、アイドルに必要なことは何でも全力で取り組み、努力した。
そのおかげで得難い友も得たし、経験も出来た。グループの知名度も上がり、ファンも増えて、輝きを届ける機会も多くなった。
それでも、まだあの人は下を向いたままだ。
ここで背を向けたら、もう二度とあの人には顔向け出来ない。そんなのは絶対に嫌だ。
「⋯⋯大丈夫みたいね?」
「うん⋯⋯。ありがと、励」
感謝を伝えれば、追い払うように手を動かして励は気にするなと言ってくれる。
今日のことも、アイドルになってからのことも含めて本当に、彼女には足を向けて眠れないと思った。
そんな励の顔から視線をずらし、もう一度絶望に向かい合う。
状況は一刻を争う。
これ以上遅くなれば救える人も救えなくなる。
迷っている時間はもうない。
「⋯⋯二手に別れよう。私は線路を挟んで海側を、励はその反対側を」
「議論してる暇はないわね」
励が一つ頷くのを確認し、私は担当する海側へ身体を向ける。
逸る気持ちから、すぐさま飛び立とうと親指のボタンを押そうとするも、その前に励に呼びかけられた。
顔だけそちらへ向けると、励の綺麗な笑顔が見える。
「さっき聞けなかった話の続き、終わったら聞かせてもらうから。無事でいなさいよ!」
「⋯⋯!!うん!励もね!!」
励はそれだけ言い残し、振り返ることなく飛び立っていった。
背中を押された。覚悟も決まった。戻らなきゃいけない理由も増えた。
私の翼を阻むものは、もうない。
「っ!!」
バックスクリーンから飛び降りると同時にグローブのボタンを押し、ユニットの出力を上昇。
重力の抵抗が全身を襲うのも慣れたもの。そのままブースターを吹かし続けて高度を稼ぐ。
高層ビルの半分程度まで来れば、眼下の様子は一目で把握出来た。
「まずい⋯⋯」
黒い巨大な怪物達はすでに数え切れない数だ。建物や車などは意に返さず、縦横無尽に動き回りながらも、着実に人のいる方向へ向かって行く。
あの黒い波に飲み込まれたら。
ついそんなことを考えてしまい身震いする。
EDFの人達は防衛線を引いて迎撃に徹しているが、いかんせん数が多過ぎて対処し切れていない。
それでも間違いなく時間は稼げている。
だが、混乱のせいで市民の避難が遅々として進んでおらず、まだ銃撃が届く範囲に大勢残ってしまっていた。
放っておけば、遅かれ早かれ多くの人が飲み込まれる。
「くっ⋯⋯!!」
そう思ったら居ても立っても居られなかった。
逃げ回る人々の中でも、特に人が密集し混乱が極まってそうな場所へ降下。みんなを見渡せる信号機の上に降り立ち、私は声を張った。
「あの!皆さん!!」
マイク無しに大勢の前で話した経験はなく、裏返りそうになる声を喉に力を入れることで防ぎながら。
空から現れたこともあってか、私の姿を見止めた人は思いの外いて、沢山の視線が向けられる。
「ぇ、っと⋯⋯」
それを認識した途端、頭が真っ白になった。いや、何も考えず降りて来てしまったのだから、当然といえば当然だ。
感情に任せて呼びかけたは良いものの、次に発する言葉がすぐに見つからない。
混乱の収め方が、恐怖を拭う方法がわからない。
「あれ⋯⋯、もしかして、梁ちゃんじゃない?」
「あ、ほんとだ明日梁だ」
「え、うそ本物?」
「そうみたい」
「どうしてこんなとこに?」
「っ⋯⋯」
人々は口々に私を知っている風な言葉を吐く。
自分を応援してくれるファンの存在は勿論認知していた。今日だって、私をイメージしたTシャツやグッズを身につけている人を多くみたし、それが私の力となっていたのは疑いようもない。
でもここにいる大多数は今日の公演を目的とした人ではない。雰囲気や何より服装からそれはよくわかる。
そんな人達にも、私は知ってもらえている。
大した理由ではないかもだけれど、その事実は私を落ち着かせるに値した。
ふぅ、と軽く息を吐いて胸の指輪を握りしめる。
こうするだけで、私の心は安らぐ。暖かい手や笑顔が蘇り、勇気が湧いてくるのだ。
少し余裕が生まれた頭で想像する。あの人なら、こういう時なんて言うのかなと。
まともに会話をしなくなって久しいけど、言いそうな言葉はすらすらと浮かんで来た。
「皆さん聞いてください!!」
一部補正がかかっている気はするけれども。
「私達は現在、未知の怪物による攻撃を受けています!!」
さておき実際に目にした人も、人伝にしか知らない人もいるだろうが、攻撃は現実に起きている。この目で見た私ですら俄には信じられないのだから、目にしていない人達の危機感は尚のこと薄いだろう。が、必死に逃げて来る人から伝播した恐怖により、とりあえず逃げるという選択をする。
だから迷う。
自分の意志ではない上に、恐怖の種類が違うから。
「だけど怖がらないで下さい!見た方も多いでしょうが、迅速に駆けつけたEDFの方々が応戦しています!EDFが強力な兵器を多数所持しているのは皆さんもご存知のはずです!!」
幾ら知名度があったとて、私のような小娘にそれを抑えられるとは思えない。だから、EDFの権威を借りる。EDFなら負けない。EDFに任せておけば安心だと認識してもらい安心を得てもらう。
別に嘘はついていない。私は彼らが負けるとは思っていないし、というか負けてもらっては困る。
「なのでどうか!皆さんは落ち着いて避難を!怪物はあちらから、観覧車のある方角から来ます!大通りに沿って南東へ向かってください!」
道を迷う人達のために方向を定めるのも忘れてはいけない。それさえしておけば、ひとまずは同じ方角へ向かって避難してくれるはず。もしそれでも逸れて行く人がいたら、一人一人会話を試みるつもりだ。
「梁ちゃんはー!」
「梁ちゃんは一緒に逃げるのー!?」
大衆の後方からそんな声が聞こえる。声音でなんとなく察していたけれど、見てみればやはり私のグッズを身につけたファンだった。
彼らの一部には、私の私生活に干渉したいと考える人もいるのは知っている。SNSで偶然見かけたこともあるし、カフェで小耳に挟んだこともある。週刊誌に追われるなんてしょっちゅうだ。
その全てからあの人の存在を隠すのがどれだけ大変だったか。
ともあれ、何が言いたいかというと、今声をかけて来た彼らは真っ当なファンであって、口にされたのは私の身を心から案じての言葉だということだ。
遠目でも見えるように、私は大袈裟に首を振って逃げないことを告げる。
「私は避難が遅れている人達に声をかけて回りますので!でも私には翼があるから心配は無用ですよ!」
少し胸を張って答えれば、ファンの二人は胸を撫で下ろしたように見えた。それかもしかしたら、一時的とはいえ私と一緒に行動出来るのを期待していたから肩を落としただけかも。なんて思うのは自意識過剰だろうか。
「お子さんやお年寄りにも手を貸してあげて下さい!私も怖いですけれど頑張りますので!みなさんもどうか!どうかお願いします!!」
自分も頑張るからみんなも頑張れ、なんて言葉が酷く無責任なただの押し付けであるのは重々承知してる。でも、どうか今だけは押し付けられて欲しい。自分勝手で我儘で、救いようもないけれど。今だけは。
私はみんなと同じ高さに降り立って、深く深く頭を下げる。想いが伝わりますようにと半ば祈る気持ちで。
「⋯⋯顔を上げてくれ」
低い声が下げた頭の上から聞こえた。
言葉に従い顔を上げると、そこにはスーツを着た初老の男性が大衆から一歩前へ進んだ位置に立っていた。休日出勤だったのかな、と会社に勤めた経験がない身で思った。
「元々逃げる予定だったんだ。君に、君達にそこまでされて嫌だという人間は極々少数だろう。私は当然従わせてもらうよ」
初めは厳しい表情を浮かべていた男性だったが最後には笑顔を見せてくれた。
彼の発言をきっかけに、俺も私もと後方の人々も従ってくれる意志を主張してくれる。
想いが伝わった。これでみんなきっと助かる。
それがどうしようもなく嬉しくて、熱くなった目頭を隠すように私はもう一度頭を下げ、ありがとうございますと叫んだ。
それからそこにいた人達を見送ってすぐ、私はあちこちを飛び回って避難の停滞を解消していった。
先ほどのような大きな集団から、数人程度の集団まで、怪物の進行方向にいる人の元へ片端から呼びかけを行った。
その過程で、私、明日梁という存在が、この国の人から概ね前向きに受け入れられているのだと知った。
両親やマネージャーからは世間から注目されているとか、人気だとか言われていたけれど、一人にしか焦点を当てていなかったので本当の意味では気がついていなかったのだ。
基本的に私に対しての態度は柔らかく、みんな素直に話を聞き頷いてくれる。猶予のない中握手を求めるほどに心の余裕を残した人もいて、苦笑するしかなかった場面もあった。まあ、理由もなく嫌われているよりはよほどマシだ。
危機的状況とEDFの人の協力もあって、誘導は滞りなく進んだ。一通り集団への声かけが終了したのち、私は担当する区域を隈無く探して人が残っていないかを確認。
それらを一通り終えて、今はまた高い場所、二十階はある見晴らしのいいマンションの屋上から戦況を俯瞰していた。
途中見かけた電光掲示板に表示された時刻は、本来ならとっくに公演が始まっているはずの時間だった。
「梁!」
「っ!励!!無事だったのね!!」
「ええ、あんたもね」
下から上がって来た励と手を取り合って再会を喜ぶ。
だがすぐにはっとして。
「そうだ!怪我は!?」
彼女をくるりと一回り。目を凝らして怪我の有無を確認する。
「大袈裟ね⋯⋯大丈夫よ、なんともないわ」
「本当に?」
励は何かと我慢してしまう人間だ。前に怪我をした時もそう。テレビ出演のオファーが来た時もそう。傷や苦手を隠していつも迷惑をかけないようにと無理をする。それを人に言わないものだから友人としてはさらに困る。そんなことを続けていたら、いつか限界を迎えるのは目に見えている。話せと言っても彼女は聞かない。だから周りが気づいてあげるしかないのだ。
見たところこれといったものはなく、私は心底ほっとした。
「だから言ったのに」
「励の大丈夫は信用ないからね」
「はいはい⋯⋯」
肩をすくめる彼女に笑いかけてから、目先を戦場に戻し頬を固める。
素人目で見ても、戦況は優勢であると言えるだろう。
唐突の襲撃による混乱や動揺で初めは押され気味だったEDFは、途中から持ち得る結束力と兵器を活かし善戦。応援もちらほらと駈けつけ、既に怪物は数えられる程度にまで量を減らしている。しかし、金色の円盤は何処かへ飛び去ったものの、背の高い塔が存在している限り怪物はいなくならない。
「とんでもないことになったわね⋯⋯」
「うん⋯⋯」
ここ横浜で。いや、おそらく日本全土で起きているこの事態がいったいどのような意味を持つのか。
何処かの国の攻撃。はたまた巨大な反社会組織によるテロリズム。まず思いついたのはその二つだが、どちらも違うような気がしている。
巨大国家が手を組んだと仮定しても、これ程の技術と生物兵器を隠匿し続けていられるだろうか。地球上にいる限りは衛星などに見つかると思うし、地下ならば可能性はなくもないだろうが、ではどうやってあの怪物を作り出したのかという話になってくる。
前線で戦うEDF隊員と比べるまでもない巨体。十メートルは越えていそうな怪物を、遺伝子組み換えやら何やらで作りましたと言われてもいまいち信憑性に欠ける。しかしこうして現実に存在してしまっているから誰かが作ったのだろうけれど、その誰かに皆目見当がつかない。
「⋯⋯あれ?」
そんなことを考えていた時だった。
高い視力が要求される飛行士の中でもいい方だった私の目が、必死の形相で叫ぶ男性の姿を捉えた。
そこは戦場から少し離れた位置で、避難誘導も完了しており人気のない通りだった。
その道路の中央、男性が懸命に伸ばす腕の先には、小さな女の子が見える。彼女は道路に落ちていた何かを拾い上げるところで、地面しか見えていない。
父親と思われる男性が叫ぶ理由。私の視界の隅に映った黒い影。落とし物に集中してしまっていては、気づけるはずもない。
もし気づけていたとしても、どうにかなるとは思えないけれど。
「だめっ⋯⋯!!」
「え、梁!?どこへ──」
気がついた時には身体が動いていた。
励の呼び掛けに応える余裕もない。私の目には既に女の子しか見えていなかった。
グローブのユニット制御ボタンをあそびなく押し込めば、プラズマコアから膨大なエネルギーが供給され、背中の翼は獣の如き唸りをあげる。続く爆発的な加速により、全身を大きな負荷が襲った。
最大出力での飛行は、法律で禁止されている。
理由は言うまでもなく、危険だから。
理論上、最大出力時の最高時速は百キロを超える。自動車ですらその速度で事故に遭えば命の補償はないというのに、生身となれば危険度は著しく上昇する。障害物の少ない高高度であれば話は別だが、こんな背の高い建物の多い街中で速度を出すのは自殺行為でしかない。加え、出力の上昇に比例して姿勢制御の難しさも増す。高速でバランスを崩せば後は地面まで一直線。落下死は免れない。
そんな不安すら、今の私には存在しなかった。
「やだ⋯⋯」
避難誘導には貢献出来たのかもしれない。これで多くの人が最悪の事態を免れたかもしれないし、EDFの人にも感謝された。私はやるべきことをした。
では、このままあの子を見捨てていいというのか。
そんなはずない。あるわけがない。
このままあの子を助けられなかったら。
命果てるその瞬間を目にしてしまったら。
もうきっと、私は笑えなくなる。
「いやだ⋯⋯」
あの人の前で笑えない。
見てもらうことすら嫌になる。
太陽でいられなくなる。
「絶対にいやだ!!」
笑っていたい。
笑いかけたい。
笑って欲しい。
笑いかけて欲しい。
あの子を助ける理由なんてそれだけだ。崇高なものなどあるはずもない。
私は私の為に、絶対にあの子を助けなきゃいけないんだ。
「お願いっ!!」
怪物は確実に女の子を目指して猛進している。対する女の子はそれに気がついた様子だが、恐怖で足が竦んでしまったのか微動だにしない。父親はどう足掻いても間に合う距離にいなかった。
「とど、いて⋯⋯!!」
最大出力で電線や信号機などの障害物を避けながらの飛行は、尋常ではない負荷を身体に与えるらしい。
急加速と急停止による慣性の暴力が首を打ち、フライトユニットを固定しているベルトが肩や足を締め付けてくる。
凄く痛い。頭がふらつく。
飛行士を目指してから今まで味わったことの無い苦痛が全身を襲う。
気を失えば、操作を誤れば、次の瞬間には道路か建物の染みになるだろう。
耐え難い苦しさと一歩間違えば死ぬ状況。
なのに私の手は、グローブのボタンから離れはしなかった。
実際は一分にも満たないはずの長い時間を耐えて、ついに女の子まであと十メートル程にまで迫ると、身体を剃るようにしてブレーキ。今度は前方へ押し出されるような圧を受ける。
肩の骨が軋む音がした。
「⋯⋯!!」
「きゃあぁぁぁ!?」
擦り抜け様に少女を腕に抱いた直後、真後ろを巨大な何かが通過した感覚があった。
本当にぎりぎりだった。
あと一秒でも遅ければ、少女は怪物の餌食になっていたところだった。
だけど間に合ったはいいものの、速度が落とし切れなかった。余裕もなかったし、いかんせん少女の年齢は三歳ほど。身体の小ささを想定出来なくて、勢いを殺しきれないまま固いアスファルトの地面が迫る。
「っぐ!?」
なんとしても女の子だけは護ろうと胸に抱き込み、私は背中から落下した。
斜めに侵入したため衝撃は最低限だったはずなのに、地面を何度か跳ねることとなり痛んだ身体に追い討ちをかけられる。肺から空気が押し出され息苦しさを味わいながら地を滑り、背中の翼がブレーキ代わりになって漸く止まった。
苦悶の激痛に苛まれるも、自分のことは後回しにして身体を起こし、腕の中の少女が無事かどうかを確認する。
「⋯⋯⋯⋯よ、かっ、た」
膝を少し擦り剥いている以外は目立った傷もなく出血もない。意識は失っているが呼吸もしっかりしているので、命に別状はないだろう。
少女を助けられたことで、心に安堵が広がっていく。
だけどそれは、私の思考回路を鈍らせ、一時的に危機意識、状況把握、身体を痛みを忘れさせた。
「りょおおぉぉぉぉ!!!」
「ぇ」
声は励のものだとすぐにわかった。
でも出会って以来、聞いた試しのない必死で悲痛な叫び。
一体何事かと声が聞こえた空へと顔を上げようとした時、私は気がついた。
私を照らすはずの陽光が、巨大な影によって遮られていることに。
油断、というよりは経験不足だった気がする。
死が蔓延る戦場を過去に経験している人なんて、昨今の日本では極々少数だろうけれど、そういう人ならきっとこうはならなかった。
もっと身体を労って飛行し、余裕を持って少女を助け、助けた後も気を抜くことなく、怪物が巨躯の割に素早いという情報をもとに滞りなくその場を離れる。
一般人ではないものの、安全な空で技術を競って来た飛行士でしかない私には、覚悟も場数も何もかもが足りない私には、土台無理な芸当だった。
顔を上げれば、そこには死が佇んでいた。
間近で見ると、一層大きく感じる黒い身体に細長い足。そして、鋭利な牙。
引き伸ばされた時間の中で、何故かそれに注目してしまった。結果、そこに赤黒いものが付着しているのを見つけ、それが何かを理解する。
私もこれから同じものに変わってしまうのだな、と他人事のように思った。
「おにい、ちゃん⋯⋯」
そっと目を瞑り、愛しい人を思い起こす。
願わくば、最後にもう一度だけ、名前を呼んで欲しかった。
頭を撫でて欲しかった。
手を握って欲しかった。
怪物が動く気配を感じながら、私はそっと息を吐いた。
────!!!
「わっ!?な、なに⋯⋯!?」
全てを諦めようとしたその時、落雷の如き轟音が耳を劈く。
軽い耳鳴りが襲って来るほどの距離で響いたそれに、急ぎ目を開けて何が起きたのかを確認する。
「え⋯⋯?」
視界に映し出されたのは、今の今まで動いていた面前の怪物が、全身から黒い煙を立ち上らせながら倒れ伏す瞬間だった。
「え、え」
混乱した頭では意味のある言葉も碌に出てこない。誰かが倒してくれたことに間違いはないはずだけど、辺りを見回しても遠くから少女の父親らしき男性が走って来ているだけで、EDFの隊員は見当たらない。
「あ、と、とにかくこの子を安全なところに!」
男性の青ざめた顔を見て、少女を放置してしまっていたことに気づき、とりあえずこの場を離れようと脚に力を込める。
だがちょうどその時、今度は聞き慣れた音が上から近づいて来た。
私はそれが励だと思い、確信を持って顔を上げた。
「おい貴様!一体どこの部隊だ!!銃も持たずに戦場に降りるとはそれでも誇り高きウイングダイバーの一員か!!」
しかし私の予想は、身に覚えのない叱咤によって外れだったと知る。
空中で直立する一人の飛行士。
一切の乱れなくその姿勢を保ち続けることの難しさは、同じ飛行士であれば誰でも知っている。
そして、身にまとう赤い軽装甲とそこから覗くしなやかながらも引き締まった肉代。そこへ刻まれた傷と手にするボウガンのような武器が加われば、彼女が何者であるかは尋ねるまでもない。
「ん?お前、その翼⋯⋯まさか民間人か⋯⋯?」
これが、後日私の上官となる人物。
EDFきっての精鋭部隊、"スプリガン"隊の隊長、
というわけで、後の嵐の一角、スプリガン隊の隊長が初登場。同時に、妹ちゃん登場回も一区切り。
思ったよりも長くなりましたが、次回からは主人公視点、ゲーム本編に戻ります。
果たして、明らかにブラコンをこじらせている妹ちゃんがお兄ちゃんに会える日は訪れるのか!
正直作者にも全く予測がつきません!!