ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
レオンが去った後、カグヤは静まり返った控室で、手元のホログラム端末に手を伸ばした。
画面が青く明滅し、少しの電子音の後に、見慣れたカロスの景色と――そして、画面いっぱいに広がる、優しく微笑む母親の姿が立体的に浮かび上がる。
「カグヤ! 準決勝、観てたわよ!」
画面の向こうのセレナは、カロス特有の爽やかな風に吹かれながら、自分のことのように目を輝かせていた。彼女の隣には、かつて共に栄冠を掴んだ相棒のテールナーも嬉しそうに顔を覗かせている。
「あ、母さん。観てたのか」
カグヤは少し気恥ずかしそうに鼻の頭を掻きながら応じた。その表情からは自然とトゲが抜けていく。頭の上のウパーも、画面のセレナを見つけて「うぱー!」と短い手足をパタパタと動かした。
「ウパーも本当によく頑張ったわね! 最後のカウンター、もうハラハラしちゃった。…でも、あんなに強いメガガブリアス相手に怖くても逃げなかったウパーを見てたらね、なんだか昔のサトシのレースを思い出下しちゃった」
セレナが画面越しに優しく目を細める。かつてカロスクイーンとして世界の頂点に立ち、現在はパフォーマンスの講師として多くの教え子を導く彼女の目は、ウパーの「怯えながらも逃げなかった心の強さ」を完璧に見抜いていた。そして同時に、世界を泥まみれになって駆け抜けたあの偉大な父親の面影を、息子とウパーの姿に重ねていた。
「父さんと一緒にするなよ。ウパーは怖がって今にも泣きそうだったんだから」
カグヤは頭の上のウパーをそっと両手で包み込むように降ろすと、自分の膝の上へ乗せた。泥を拭き取ってすっかり綺麗になったウパーの柔らかいお腹を、壊れ物を触るように優しく愛おしそうに撫でてやる。
「よしよし、怖かったなぁ、偉かったぞ。もう痛いお注射(どく)も、怖い怪獣(ガブリアス)もいないからな……」
ルカリオやハッサムに対する「戦友」としての信頼とは明らかに違う、ただただ愛玩動物としてウパーを甘やかし、全力で庇護するカグヤの過保護な手つき。ウパーも嬉しそうに「うぱぁ……」と目を細め、カグヤの指に顎を乗せて甘えていた。
「ふふ、カグヤ、ウパーを甘やかしすぎよ」
セレナは画面の向こうでクスクスと笑う。元クイーンとしての凛とした佇まいの中に、母親としての柔らかな温かさが滲む。
「これくらいが丁度いいんだよ。なぁ、ウパー?」
ウパーのぷにぷにとした体を指で軽くつつきながら、カグヤはふっと視線をセレナへと戻した。
「カロスの方はどう? 講師の仕事は」
「ええ、新しい世代の子たちの指導をしてるわ。みんな個性的で、毎日新しい発見があるの。でもね、カグヤがマホロバの綺麗なデータ連中を次々にぶち抜いてるのを見てたらね、講師の私が守りに入ってちゃダメだって、すごく刺激をもらっちゃった。型にはめるだけじゃ、本当の魅力は引き出せないものね」
生徒たちに「自分だけの表現」を教える立場だからこそ、カグヤの魅せる『泥臭い野生の理』に、セレナは深い共感を覚えていた。
「データ、ね。あいつらの計算式は確かに大したもんだよ。一瞬でも気を抜いたら、こっちの首が飛ぶくらいにはな。だけど……数字の綺麗さに囚われてるうちは、俺たちの泥臭さには追いつけない」
カグヤはウパーをお腹の上で丸めさせ、そっと背中を撫で続けた。
「明日は決勝だ。ディランとかいう、レオンが一度も勝てなかった奴が相手らしい」
「ディラン……。マホロバの『絶対的な影』って言われてる人ね。シオンからデータが送られてきたけど、徹底的なリアリストで、勝ちのために手段を選ばないって。……カグヤ、お父さんにも伝えておく?」
「いや、いいよ」
カグヤは即座に首を振ると、父親譲りの、獰猛でワクワクした勝負師の笑みを浮かべた。
「父さんに言ったら『俺もバトルしてえ!』ってカロスから絶対飛んできちまうだろ。明日の相手がどれだけ冷徹な罠を仕げてこようが、やることは変わらない。出会い頭の一瞬で、その小綺麗な盤面ごと、こいつら全員でブチ抜くだけだ」
その言葉に、カグヤのベルトのモンスターボールが、まるで共鳴するように小さく揺れた。ルカリオも、ハッサムも、全員が明日の決戦を静かに見据えている。
「ふふ、本当にお父さんにそっくり。バトル前のその顔」
セレナは嬉しそうに、そして誇らしそうに息子を見つめ、画面越しにそっと手を伸ばす。
「お父さんから受け継いだ熱量と、あなたたちが一緒に過ごした時間の重さ。マホロバの頂点で、あの子たちと一緒に全力で証明してきなさい。……応援してるわよ、カグヤ」
「ああ。言われなくても、最高の泥仕合をして勝ってくる。――じゃあ、母さん。また連絡する」
「ええ、良い報告を待ってるわ!」
プツン、と通信が切れ、部屋は再び静寂に包まれた。
カグヤは端末をポケットに仕舞い、ウパーを大切に抱き上げて頭の上へと乗せ直した。ウパーはすっかり安心したようで、カグヤの髪の毛に身を寄せて気持ちよさそうに丸くなっている。
世界最強の遺伝子と、果てしない愛情をその背に受けて。カグヤと不揃いな家族たちの、本当の最終舞台がすぐ目の前まで迫っていた。