ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
マホロバ中央スタジアムの空気が、完全に氷結していた。
片や、周囲の光すらも吸い尽くすかのような漆黒の悪夢――ダークライ。ディランが『わるだくみ』によって特攻を限界まで跳ね上げ、その身に纏う闇のオーラは、物理的な質量となってフィールドのコンクリートをミシミシと軋ませている。
片や、その圧倒的な重圧の前にぽつんと佇む、水色の小さな身体――ウパー。
フィールドに設置された『ステルスロック』の岩片がバキバキと容赦なくその柔らかな皮膚を削り、ウパーは着地の瞬間から大きなダメージを負っていた。
「う……うぱ……ぅっぱぁ……」
ウパーの短い足がガタガタと震える。今にも泣き出しそうな涙目で、振り返ってカグヤを見上げ、助けを求めるように小さな身体を縮めた。
「ククッ……アハハハハ!」
静まり返る客席から、シミュレータを信奉するエリート観客たちの乾いた嘲笑が漏れ始める。
「冗談だろ? 最後に残ったのが、弱々しいウパーだと?」
「ディランのダークライは完璧に『わるだくみ』を積んでいるんだぞ。触れられただけで消し飛ぶ」
「詰みだ。データの通り、異端児の悪あがきもここまでだな」
ディランは表情ひとつ変えず、漆黒の瞳で冷酷にカグヤを見据えた。
「これが僕の弾き出した『現実』という名の数式だ、カグヤ。君がどれほど泥臭い野生で盤面を荒らそうと、最後に残る解は不変。――終わらせろ、ダークライ。『あくのはどう』」
ダークライの細い腕が掲げられる。限界まで増幅された悪意のエネルギーが、スタジアム全体の空間を歪ませるほどの漆黒の衝撃波となって、ウパーめがけて放たれた。直撃すれば、跡形もなく消し飛ぶ特殊の大火力――。
「ウパー!! 怖くていい! 目を瞑ってもいい! だけどな、俺はお前を絶対に信じてる!!」
カグヤの喉が裂けんばかりの怒号が響いた。
「お前が俺たちの最高の『家族』だってことを、その分からず屋の計算式に叩き込んでやれ!!」
カグヤの全身から、これまでにないほど濃密な、黄金色の「オン」の波導が爆発的に吹き荒れた。その波導はまっすぐにウパーの小さな背中へと流れ込み、ウパーの恐怖を、絶対的な安心感と闘志へと塗り替えていく。
「う、――うぱぁぁぁぁぁーーーッ!!!」
ウパーが叫んだ。ぎゅっと目を瞑り、短い足を床に突き立て、逃げずにその場へと踏みとどまる。
その瞬間、ウパーの身体から、ディランのダークライが纏う闇のオーラを完全に「霧散」させる不気味な波動が放たれた。
特性――『てんねん』。
相手がどれほど完璧に戦術を組み、どれほど限界まで特攻を上昇(バフ)させようが、その計算をすべて『存在しないもの』として完全無効化する、ウパーが生まれ持った絶対の拒絶。
「何……!? ダークライの出力が、初期値(ベースデータ)にリセットされている……!?」
ディランの顔が、生まれて初めて驚愕で激しく歪んだ。
ドガァァァァァァン!!!
バフを失ったとはいえ、ダークライ本来の『あくのはどう』がウパーの小さな身体を容赦なく汎用データごと飲み込んだ。凄まじい爆風と紫煙がフィールドを包み込む。
客席のナオとシオンが悲鳴を上げる。誰もがウパーの消滅を覚悟した。
だが。
「う、ぱぁ……!」
煙の向こうから、全身傷だらけになりながらも、涙目で、しかししっかりと二本足で立ち尽くすウパーの姿が現れた。ステルスロックとあくのはどうのダメージで、HPは正真正銘、残り「1」。
だが、ウパーの身体は、耐え切った特殊の衝撃をそのまま光の鏡へと変換し、倍加させて撃ち返す、狂気的な純白のオーラに包まれていた。
「お前がどれだけ綺麗なチェスを指そうが関係ねえ! 特殊だろうが何だろうが、俺たちの家族の絆は、その鏡を破れねえんだよ!!」
カグヤが天に向けて拳を突き上げる。
「ウパー! 泥臭くお返しだ!! 受けた悪意を全部突き返せ、『ミラーコート』ォォォォォ!!!」
「うぱぁぁぁァァァァーーーッ!!!!」
ウパーの小さな身体から、ダークライの『あくのはどう』を2倍の質量へと膨れ上がらせた、まばゆい光の壁が解き放たれた。それは一筋の巨大な光の濁流となり、油断しきっていたダークライの胸元へと真っ向から突き刺さった。
ズドォォォォォォォォォン!!!!!
スタジアム全体のシミュレータが過負荷でスパークし、けたたましい警告音が鳴り響く。ダークライの漆黒の巨体は、ウパーの放った文字通り「規格外」の反射によって天井まで吹き飛ばされ、そのままフィールドの中央へと力なく落下し、そのまま崩れ落ちた。
静寂。
すべてのデータが沈黙し、エリート観客たちの思考が完全に停止した空間に、審判の震える声だけが響いた。
「だ、ダークライ、戦闘不能……! よって、勝者、挑戦者・カグヤ!!!」
その瞬間、スタジアムは割れんばかりの歓声――いや、地鳴りのような咆哮に包まれた。マホロバの「常識」を、洗練された「システム」を、たった一匹の、世界一小さくて勇敢なウパーのミラーコートが力任せにブチ抜いたのだ。
「う、うぱぁぁぁぁーー!!!」
勝った瞬間、ウパーはその場にへなへなと座り込み、極限の恐怖から解放された安心感で大号泣し始めた。
「よしよしよし! 怖かったな、よく頑張った、お前が世界一の相棒だ!!」
カグヤはフィールドへ猛ダッシュで駆け寄ると、大泣きするウパーを大きな両手で抱き上げ、自分の胸にぎゅっと抱きしめた。ルカリオやハッサム、カメックスたちのボールも、心なしか嬉しそうにチカチカと輝いている。
対戦席の向こう側。ディランは、自分の手元の端末に表示された「勝率:0%」の文字を、ただ呆然と見つめていた。完璧だったはずの彼のチェス盤は、カグヤとその「家族」たちの、泥臭くて温かい執念の前に、粉々に砕け散っていた。
マホロバチャンピオントーナメント、閉幕。
カグヤと、その不揃いな家族たちの、最高の大金星だった。