ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
静まり返っていたスタジアムが、一拍置いて、地鳴りのような大歓声に包まれた。
精密なデータと洗練されたシステムを信奉していたはずのエリート観客たちが、今は誰もが総立ちになり、フィールド中央の異端児へと惜しみない拍手を送っている。
「勝った……本当に勝っちゃったよ、兄貴ぃ!!」
最前列の柵を乗り越えんばかりに、ナオが涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして叫ぶ。その隣でシオンは、手元の端末の画面――完全にフリーズし、計算不能のゼロを示したディランの勝率推移データをそっと閉じ、深く息を吐いた。
「システムの上を行く野生、か。……ハメ盤面を真っ向から踏み抜いて壊すなんて、本当に無茶苦茶な人ね」
その口元には、呆れと、それを遥かに上回る小気味よさの混じった笑みが浮かんでいた。
フィールド中央では、カグヤが泥まみれのウパーを抱きしめたまま、ようやく腰を上げたところだった。
「う、うぱぁ……」
ウパーはカグヤの胸に顔を埋め、まだ小さな身体をヒクつかせて泣いている。世界を滅ぼすような悪夢(ダークライ)のプレッシャーを真正面から受け、極限の精神状態で『ミラーコート』を放ったのだ。怖くないはずがない。
「よしよし、もう大丈夫だ。お前が大金星を挙げたんだ、胸を張れ」
カグヤは大きな手でウパーの背中を優しく叩き、ポケットから傷薬を取り出してそっと吹きかける。そして、腰のベルトに並ぶ、限界を超えて戦い抜いた『家族』たちのボールへと視線を落とした。
「みんな、出てこい。お前たちの勝ちだぞ」
赤い光がフィールドにいくつも走り、カグヤの周囲に手持ちたちが次々と姿を現す。
最初に現れたのは、先鋒として命懸けの突破口を開いたヒノヤコマだ。翼の先が焦げ、まだ息は荒いものの、カグヤと目が合うと「ピキィッ!」と誇らしげに喉を鳴らし、自身を誇示するように羽ばたいた。
続いて、幻影の影でディランの計算を乱したゾロアが、カグヤの足元にすり寄る。どくびしのダメージは応急処置で和らいでいるが、まだ少しだるそうだ。カグヤがしゃがんで頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めてニヤリと悪戯っぽく笑った。
「カメェ……」
地響きを立てて現れた重戦車カメックスは、猛毒の激痛に耐え抜いた甲羅をがっしりと震わせ、頼れる盾としての仕事を全うした満足感からか、深い吐息と共にカグヤへ力強く頷いてみせた。
そして――実家の庭からの絶対的な本陣、ルカリオとハッサム。
ルカリオは『インファイト』の反動と累積ダメージで全身に生々しい傷を負いながらも、その鋭い瞳は一点の曇りもなくカグヤを見据えていた。カグヤが無言で拳を突き出すと、ルカリオもまた、傷ついた腕をゆっくりと持ち上げ、コツンと互いの拳を合わせた。言葉はいらない。幼い頃から父さんの無茶苦茶なバトルを見て育ち、泥にまみれて磨き上げた波導の絆が、マホロバの頂点を穿ったのだ。
「ハッサ!」
ハッサムはメガシンカの負荷で甲冑を軋ませながらも、鋭いハサミをカチカチと鳴らし、ルカリオの肩をぽんと叩いた。メガメタグロスとの、あの狂気的な「チャンバラ(見切り)」の応酬。ハッサムのハサミには、まだ鋼鉄の熱量が残っているようだった。
「みんな、本当にありがとな。俺の我が儘に付き合わせて、こんな冷たい街のテッペンまで連れてきまっちまって……」
カグヤの言葉に、手持ちたちが一斉に鳴き声を上げる。
「うぱ!」「ルカッ!」「カメェッ!」
冷たい街だろうが、データの檻だろうが関係ない。カグヤがいる場所が、自分たちの「家」なのだと、彼らの不揃いな歌声がスタジアムに響く。
その時、対戦席の向こう側から、静かな足音が近づいてきた。
ディランだ。
その漆黒の瞳には、先ほどの驚愕の色彩はもうなかった。しかし、いつもの冷徹な機械のような無表情とも違う、どこか憑き物が落ちたような深い静けさが宿っていた。
ディランはカグヤの前に立つと、手元の電子端末をポケットに収め、スッと右手を差し出した。
「計算に『感情』という不確定要素を組み込むことは、本来論理的ではない。だが……僕の数式を根底から破壊した君たちの熱量は、認めざるを得ないようだ。見事な終局(チェックメイト)だったよ、カグヤ」
カグヤは少し意外そうにディランを見たが、すぐに不敵な笑みを浮かべ、その無骨な手でディランの右手をがっしりと握り返した。
「データってのは便利だけど、それだけで動かないのが生き物(ポケモン)だ。今度はいつでも、お前の計算を狂わせに実家の庭へ遊びに来いよ」
「……善処しよう。ただし、次までに僕のシミュレータのアルゴリズムは、君たちの『野生』を完全に学習しておくがね」
ディランの口元に、初めて微かな、人間らしい皮肉めいた笑みが浮かんだ。
『――さあ! 観客の皆様、大変長らくお待たせいたしました! マホロバチャンピオントーナメント、運命の表彰式を執り行います!!』
スタジアムの天井から、まばゆい金色の紙吹雪がハラハラと舞い散る。実況の絶叫と共に、フィールド中央の地面がせり上がり、重厚な表彰台が現れた。
カグヤは、手持ちの全員を引き連れたまま、一番高い中央の台へと足を進めた。
ルカリオとハッサムがカグヤの両脇を固め、カメックスが後ろから巨大な山のように見守る。ヒノヤコマはカグヤの肩に止まり、ゾロアは足元でトロフィーの匂いをくんくんと嗅いでいる。そしてカグヤの腕の中には、すっかり涙の止まったウパーが、金色の紙吹雪を不思議そうに眺めながら「うぱー」とのんきに声を上げていた。
プレゼンターから手渡されたのは、マホロバの最高技術で創られた、蒼く輝くクリスタルの巨大なチャンピオンマテリアル(トロフィー)。
「重たいな……」
カグヤはそのトロフィーを両手で高く掲げた。
その瞬間、スタジアムを埋め尽くす何万人の観客から、鼓膜を震わせるほどの割れんばかりの歓声と拍手が降り注ぐ。精密なシステムが支配していたマホロバ中央スタジアムが、今、カグヤたちの泥臭い熱量によって、完全に塗り替えられていた。
トロフィーの輝きが、カグヤと、傷だらけの家族たちの笑顔を誇らしく照らし出す。
マホロバの頂点に刻まれたのは、スマートな数式ではない。世界一泥臭く、世界一温かい、不揃いな家族の勲章だった。