ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
転送センターの白銀の室内は、なおも微かに熱を帯びていた。
カロス組の5体がすっと闘気を収めたことで、カンストを示して激しく警告音を鳴らしていたシオンの端末は、ようやく静かになる。だが、画面に表示された無機質なカンスト値は、シオンの脳裏に消えない衝撃を焼き付けていた。
「あり得ない……。バグ、じゃないのよね……?」
シオンは震える指先で、何度も端末の再起動ボタンを押した。しかし、何度画面を立ち上げ直しても、目の前の5体からサンプリングされる基礎エネルギーは、「完全個体(理論上の最高値)」のグラフを遥かに突き抜けている。
「シオン、それバグなんかじゃないよ」
ナオがゴクリと息を呑み、一歩、また一歩とカイリューの巨躯へと近づいていく。その瞳は、恐怖ではなく、圧倒的な本物への憧憬で爛々と輝いていた。
「見てよ、このカイリューの皮膚。いたるところが傷だらけだよ! 一体どれだけの地獄を潜り抜けてきたのさ!?」
「地獄、ねえ。まあ、ウチの父さんのピカチュウやリザードンは、データで測ろうとした瞬間にトレーナーがハゲるような理不尽の塊だからな」
カグヤは可笑しそうに鼻で笑うと、ゲッコウガの鋭い肩を軽く叩いた。
「こいつらはな、その理不尽な壁に毎日真っ向からぶつかって、跳ね返されて、それでも『次は絶対にアランにリベンジする』って、それだけで牙を研ぎ続けてきたんだ。マホロバの綺麗なチェス盤の上で、お利口にシミュレーションだけしてきたポケモンたちと、格が違うのは当たり前だよ」
カグヤのその言葉を聞いた瞬間、シオンの背筋に、冷たい戦慄が走った。
彼女は端末を胸にきつく抱きしめたまま、目の前に並ぶ5体の怪物たちを、恐怖すら混じった眼差しで見つめ直す。
(信じられない……。こんなの、絶対に何かがおかしい……!)
シオンの頭脳が、カグヤの過去のデータを高速で検索し、ある「数字」を弾き出していた。
「……カグヤ。あなた、本当にこの子たちを連れて、カロスリーグを戦ったのね?」
「ああ。そりゃそうだが、それがどうした?」
シオンの声音は微かに震えていた。データ至上主義の彼女だからこそ、目の前の「現実」と、過去の「記録」の間に横たわる、底知れない狂気に慄いていた。
「解せないわ、そんなの論理的に不条理よ……! この子たちが放つエネルギー、および個としての完成度は、ディランのメガメタグロスすらベース値で凌駕している。これだけの規格外の精鋭を揃えておきながら……カロスリーグ『ベスト8』だなんて、そんなのあり得るはずがない……!!」
シオンの頭の中で、計算式が激しく火花を散らす。マホロバの街の基準であれば、この5体のうちの誰か1体がいるだけで、地方のマイナートーナメントなど無敗で蹂躙できるレベルなのだ。
「このレベルの化け物たちが牙を剥いて、それでも頂点に届かなかったというの……? じゃあ、当時のあなたをハーフバトルで敗退に追いやった、カロスリーグの上位陣……アランというトレーナーは、一体どんな『世界の天井』だったっていうのよ……!?」
戦慄するシオンを見て、カグヤは一瞬だけ真剣な目をしたが、すぐにいつもの柔らかな笑みに戻した。
「だから言ったろ、シオン。世界ってのは、綺麗なデスクの上で叩いてるデータなんかより、遥かに広くて面白い場所なんだよ」
カグヤは拳をがっしりと握り込み、カロス組の面々を見渡す。
「アランのメガリザードンXは、まさにその天井だった。俺も、こいつらも、あの日の悔しさを一時も忘れてねえ。だからこそ、実家の庭で世界一の壁にぶつかって、ここまで牙を研いできたんだ」
カグヤの目が、ギラリと勝負師の光を宿す。
「マホロバのデータハメ戦術ってのは、確かに合理的で厄介だ。だけど……一流のデータに、こいつらの『規格外の暴力』が合わさったらどうなると思う? 相手がどんなに綺麗なチェス盤を組んでこようが、盤面ごと粉々に噛み千切れると思わない?」
シオンはゴクリと唾を呑み込んだ。カロスリーグ・ベスト8という数字の裏にある、世界の底知れぬ深さと、それを本気でねじ伏せようとしているこの男の狂気。
恐怖は、いつしか解析者としての、そしてチームの一員としての、ゾクゾクするような高揚感へと塗り替わっていく。
「……最高、ね」
シオンの口元に、小さな、しかし挑戦的な笑みが浮かんだ。
「データとしての物差しが通じないなら、私が新しい物差しを作ってあげるわ。この『最強のバグたち』を前提にした、敵にとって最悪の絶望の数式をね」
「頼むよ、参謀。――よし、みんな! 長旅で疲れただろ、まずは美味いもんでも食いに行くぞ!」
「ガルゥァッ!」「コウッ!」「うぱー!」
不揃いな家族たちの咆哮が、マホロバの最新鋭センターの中に、どこまでも温かく響き渡った。