ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
マホロバの夜は静かだった。近代的な高層ビルの窓から差し込む無機質な月光が、カグヤのあてがわれたチャンピオン宿舎の広いリビングを青白く照らしている。
カグヤをはじめ、ナオやシオンといった人間たちが完全に眠りについた頃。リビングの床やソファーの影から、音もなくいくつもの影が這い出してきた。
「コウ……」
ゲッコウガが窓辺の月明かりの下に、静かに胡坐をかく。その隣に、巨躯を小さく丸めるようにしてカイリューが腰を下ろし、スピアーが羽音を完全に消して天井の梁から見下ろすように静止した。ジュカインは壁に背を預けて腕を組み、ブラッキーはゲッコウガの足元で、その身体のリングを微かに明滅させている。
カロス組の5体。アサメの庭で世界一の爪研ぎを終えた狼たちが、夜の帳の中で、マホロバの「先発組」を静かに見据えていた。
「ルカ」
リビングの奥から、ルカリオがゆっくりと歩み出てくる。その隣にはハッサム。カロスでの悔しさを共有する二体は堂々と前に進み出たが、その後ろに続くメンバーの様子は、昼間以上に強張っていた。
「カメェ……」
普段はどんな攻撃もどっしりと受け止める重戦車のカメックスが、甲羅を小さく縮めるようにして身を固くしている。アサメの庭でサトシのピカチュウやリザードンという「理不尽な暴力的強さ」を相手に限界まで出力を高めてきたカロス組が無意識に、しかし濃厚に放つ本物の強者の気配(プレッシャー)に、完全に気圧されているのだ。
ヒノヤコマはルカリオの影に隠れるようにして、羽をすくめてピキ、と小さく鳴くのが精一杯。ゾロアにいたっては、昼間のゲートでの恐ろしいカンスト闘気の記憶が頭から離れないのか、尻尾を股の間にきゅっと挟み、ルカリオの足元でぶるぶると震えながら先輩たちを窺っている。
そして――ルカリオの頭の上。昼間の転送時、カロス組のあまりの闘気を前に驚きのあまりガタガタ震え、今なおその動揺とショックが抜けていないウパーが、涙目で小さな身体を震わせながら、パニック寸前でゲッコウガを見下ろしていた。決勝でダークライを倒した大金星のウパーだが、やはりこの怪物先輩たちの前では、ただの臆病な小さな子供に戻ってしまう。
ハッサムがカチ、と重いハサミを一度だけ鳴らし、静寂を破った。
「ハサッ(変わらねえな、お前ら。……いや、前よりずっと分厚くなってやがる)」
その言葉に、カイリューがふっと短く鼻を鳴らした。
「ガルゥ(アサメの庭で、世界一の理不尽を嫌というほど浴びてきたからな。あの日のベンチで、お前らが散っていくのをただ見ているだけだったあの悔しさを、俺たちは一度だって忘れたことはない)」
カイリューの視線が、ハッサムの硬質な甲冑に刻まれた決勝戦の傷跡へと向けられる。
それを見て、壁際にいたジュカインが目を細め、腕のブレードを微かに発光させた。
「ジュカ(マホロバの決勝戦を見たが、冷酷に整った嫌な盤面だったな。お前たち二体がいなければ、カグヤはあのまま完封されて負けていた)」
「ルカッ(俺たちだけじゃない)」
ルカリオが静かに首を振った。そして、自分の頭の上で涙目になって震えているウパーを、大きな手でそっと床に下ろす。
ウパーは短い足で床にペタペタと着地した瞬間、ゲッコウガの鋭く研ぎ澄まされた妖刀のような眼光と至近距離で目が合い、「う、うぱぁぁ……っ!」と今にも泣き出しそうにその小さな身体を縮こまらせた。ゾロアもカメックスの後ろにサッと隠れる。
「ルカ(最後にあのディランのハメ盤面を、ダークライの悪意を丸ごと『ミラーコート』で噛み千切ったのは、この小さな家族だ。特性『てんねん』。カグヤを信じる目だけで、あの最大火力を耐えきってみせたんだ)」
ゲッコウガは、恐怖で涙をボロボロとこぼし、身体をガタガタと震わせている小さなウパーをじっと見つめた。
こんなに小さくて、こんなに臆病な奴が、あの決勝の舞台にたった一匹で立ち、主のために大金星を挙げた。その事実の裏にある、ウパーの想像を絶する覚悟と、カグヤとの泥臭い絆の深さを、ゲッコウガは察した。
「コウ……(そうか)」
ゲッコウガの口元が、ほんの少しだけ、柔らかく緩んだ。
彼はそっと細い手を伸ばし、怯えるウパーの頭を、驚かせないように優しく、ゆっくりと撫でた。その手のひらから伝わるのは、カグヤの「オンの波導」と同じ、絶対的な安心感の宿る温かさだった。
ウパーはビクッと身体を強張らせたが、その温かさに少しずつ涙が止まっていく。そして、短い足で一歩しっかりと床を踏みしめると、大きな口をあけてゲッコウガを見上げ、精一杯の闘志を込めて鳴いた。
「うぱ! うぱぱーっ!!(僕、怖かったけど、カグヤと一緒に頑張ってテッペン獲ったんだ!!)」
その健気で、真っ直ぐな叫びを聞いた瞬間、カロス組の5体の空気が一気に和らいだ。カイリューが嬉しそうに目を細め、ジュカインも不敵に口元をあげる。カメックスやヒノヤコマ、ゾロアたちも、ウパーの勇気ある一言に引っ張られるように緊張の肩を落とした。
「コウ(いい鳴き声だ、ウパー。カグヤがマホロバでどんなに過酷な戦いをしてきたのか、お前のその強い瞳と、この温かい波導を感じれば分かる。お前たちがカグヤを護ってくれたから、俺たちはアサメの庭で、ただ己の完成だけに没頭することができた。感謝する)」
天井の梁から、スピアーが静かに双針を交差させた。
「ブゥン(挨拶はここまでだ。カグヤがテッペンを獲った。だが、俺たちの目的地はこんな冷たい街の天井じゃないはずだ)」
スピアーの言葉に、その場にいる全員の空気が、ピシッと引き締まる。気圧されていたカメックスやゾロアの瞳にも、ウパーに負けじと、怯えではない別の熱い火が灯り始めていた。
マホロバのテッペン。それは通過点に過ぎない。彼らの胸に深く刻まれた、あの「カロスリーグ・ベスト8」という数字。アランのメガリザードンXが放った青き炎の熱量、そして世界の頂の高さ。
「ブラ(次は、俺たちがカグヤの手足となって世界を獲る番だ)」
ブラッキーが静かに告げ、全身のリングを一層強く輝かせた。
不揃いな家族たちが、月光の中で静かに闘志を重ね合わせる。
カロスでの悔しさを燃料に、世界一の壁で牙を研いできた5体。マホロバの冷徹なシステムを、泥臭い絆と意地でブチ抜いてきた先発組。
二つの流れが今、この静かな夜に、完全に一つの「巨大な奔流」へと混ざり合っていった。
主であるカグヤは、隣の部屋で泥のように眠っている。
その我が儘で、熱くて、最高に不器用な主を、今度こそ世界のテッペンへ押し上げるため。怪物たちは言葉なき誓いを交わし、再びそれぞれの影へと静かに戻っていくのだった。