ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
カグヤたちが荒野のフィールドで獰猛に牙を剥き合わせている頃、隣接する疑似洞窟ステージでは、全く異なる質の『熱』が静かに満ちていた。
「――そこ、左から来るわよ。ブラッキー、カメックス、迎撃態勢」
ガラス張りの指令席で、シオンは眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら、手元のキーボードを冷徹な速度で叩いていた。彼女の周囲には、青白いホログラムの数式と、目まぐるしく変動する幾何学的な三次元グラフがいくつも浮かび上がっている。
フィールドの薄暗い闇の中、シオンが「仮想敵」として動かす彼女自身のパートナー――アリアドスが、容赦のない速度で『いとをはく』を放ち、空間を網の目で遮断していく。
だが、その障害物をものともせず、どっしりと最前線に構える巨大な影があった。カグヤから預かった、カメックスだ。
『ガァァァ!!』
さらにシオンのシャワーズが放った、高出力の『ハイドロポンプ』がカメックスを直撃する。激しい水飛沫が洞窟を揺らしたが、カメックスは巨大な甲羅を少し傾けただけで、世界レベルを想定したその重圧を完全に受け流してみせた。
「素晴らしいわね、その耐久値。マホロバの既存のポケモンのアベレージを優に二十パーセントは上回っているわ。――カメックス、そのまま『てっぺき』。ブラッキー、影に潜んで『つきのひかり』の準備を」
「ブラッ……!」
カメックスの背後、完全に死角となる位置から滑り出たブラッキーが、全身の輪模様を妖しく発光させる。
カメックスという圧倒的な盾が盤面を支え、受けた僅かな痛みをブラッキーのサポートと自身の復元力で即座に帳消しにする。シオンの手持ち2体が放つ苛烈な波状攻撃を、カグヤの2体はただその場に佇(たたず)むだけで、完全に無力化してみせていた。
物理・特殊を問わない、カグヤの誇る完全要塞。
「ええ、完璧よ。カメックスの圧倒的な質量防御で敵の最大火力を信じられない効率で遮断し、ブラッキーの戦術耐久でリソースを枯渇させる……。世界大会のどんなトップランカーだろうと、この二体が並び立つ防衛線を前にすれば、ただ打つ手を無くして絶望するしかないわ」
シオンの唇が、無意識のうちに歓喜で吊り上がっていく。
世界大会のために託されたこのポケモンたちのポテンシャルは、シオンがこれまで扱ってきたあらゆる数式を軽々と超越していた。計算通りに進む快感と、計算以上の出力を叩き出す彼らへの畏敬が、彼女の知的好奇心を狂おしいほどに刺激する。
「ぞ、ぞらぁ……」
その時、シオンの足元で、緊張した面持ちで彼女の端末を見上げていた小さな影が、控えめに声をあげた。ゾロアだ。
怪物たちの前ではいつもぶるぶると震えていた素直なその子は、自分がこの完璧な防衛陣の中で何をすべきなのか、少し不安そうに、けれど一生懸命にシオンの顔を見つめていた。
「あら、ごめんなさい。あなたの出番を忘れていたわけじゃないわよ、ゾロア」
シオンはキーボードから手を離すと、しゃがみ込んでゾロアの小さな頭を優しく撫でた。
「あなたがこのカグヤのローテーション枠にいる意味は、とても大きいの。この完璧な防衛システムに、たった一つだけ足りないもの……それは『不確定要素』よ」
「ぞら?」
ゾロアが不思議そうに首を傾げる。
「データ主義の弱点は、一度パターンを解析されると突破口を作られる可能性があること。だけど、そこにあなたの『ばけがく』が加わったらどうかしら。前線に立っているのが、無傷のカメックスなのか、それとも手負いのブラッキーなのか――世界大会の敵に偽りの数式を掴ませて、計算を狂わせる。あなたの素直で純粋な幻影こそが、この二体の鉄壁を世界最強の『檻』へと昇華させる最後の鍵(ピース)なのよ」
シオンの言葉を理解したのか、ゾロアの瞳に、パッと小さな、けれど確かな闘志の炎が灯った。
「ぞらぁッ!」
力強く頷いたゾロアが、フィールドへと飛び出していく。その身体が淡い光に包まれ、次の瞬間には、先ほどまで対峙していたシオンのシャワーズと全く同じ姿へと完璧に変化してみせた。
「ええ、見事な質量模倣ね。……さあ、次のフェーズへ移るわよ!」
指令席に戻ったシオンの指先が、再びホログラムの上で踊る。
世界大会という未知の魔境。そこで出会うであろう異郷の化け物たちを、一歩も通さず、絡め取り、精神ごと圧殺するための「絶望の数式」。
カグヤの誇る最高峰の盾と幻影の3体が、マホロバの冷徹な頭脳に染め上げられ、静かに、しかし確実に、世界を絶望させるための檻が編み上げられていくのだった。