ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
特訓2日目。
マホロバのメインフィールドは、文字通りの『局地的大災害』に見舞われていた。
「ピカチュウ! そこだ、グッと耐えて、バチーンと『十万ボルト』だ!」
「ピカァァァァァッッッ!!!」
鼓膜を震わせるサトシの怒号と同時に、空間を黄金の落雷が埋め尽くす。
フィールドの岩盤が消し飛び、砂煙の向こうでは、鉄壁の甲羅を誇るカメックスと、影分身を展開していたゲッコウガが、まとめて目を開けたまま派手に のされていた。
「ウ、ウパー……(今日もみんな、きれいに転がってるなぁ……)」
特訓の枠外で見学しているウパーだけが、のんきに泥の跳ね返りを浴びながらその光景を眺めている。ハッサムとルカリオは強制起動の電気ショックに備えて、すでにフィールドの隅で直立不動のままガタガタと震えていた。
「……あり得ない。既存のバトル物理学では、この出力の拡張を説明できないわ」
フィールドを見下ろすガラス張りの指令席で、シオンは狂ったような速度でキーボードを叩き、メインモニターに映し出されるリアルタイムデータにしがみついていた。その横では、ナオが「シオンさん、顔が怖いよ……」と怯えながら一歩引いている。
画面には、ピカチュウの戦闘エネルギーが凄まじいグラフとなって表示されていた。しかし、その数値は測定器の限界突破(スケールアウト)を告げる真っ赤なエラーログを弾き出し、戦術シミュレーターの予測演算を完全に狂わせていた。
「シオン、大丈夫? 父さんのバトルのデータ収集、やっぱり難しい?」
手持ちたちのケア用きのみを抱えたカグヤが部屋に入ってくると、シオンはガタッと椅子を鳴らして振り返った。その眼鏡の奥の瞳は、冷静さを装いつつも、かつてないデータのバグ(理不尽)への困惑に揺れている。
「難しいなんてレベルじゃないわよ、カグヤ」
シオンは冷静に、けれどどこか敗北感を滲ませながらモニターを指差した。
「私の戦術データシステムは、過去の膨大なバトルの傾向から『最適解』を導き出すもの。でも、サトシさんのバトルは、私のシステムが想定する『常識』の枠をことごとく破壊してくるわ。見てちょうだい、さっきの『十万ボルト』。サトシさんの抽象的な指示の直後、技の威力がデータ上の限界値を平然と3割も上回ったのよ。技の出力を精神論で上乗せする計算式なんて、私のプログラムには存在しないわ」
「あはは……。父さんの指示って、昔から『グッと』とか『ドカーンと』ばっかりだからね。でも、ピカチュウにはそれで全部伝わっちゃうんだ」
カグヤは困ったように眉を下げて苦笑いした。
「それにこれを見て。その前の、ルカリオの背後を取った『アイアンテール』の軌道。直前の突撃速度から計算して、あの制動距離で反転させるなんて、関節の構造上、絶対に不可能なはずよ。……物理法則を無視した暴挙としか言いようがないわ」
「……サトシは昔からああなのよ、シオンちゃん」
モニターを見て頭を抱えかけるシオンの隣に、温かいお茶のトレイを持ったセレナが、クスクスと笑いながら歩み寄ってきた。
「セレナさん……。あなたは何故、あの理不尽な暴力を前に、そんなに落ち着いていられるの? 最先端の戦術データが、ものの数分でただの紙屑にされているのよ?」
「ふふ、ごめんなさいね。でも、私があの人と出会った何年も前から、サトシのバトルはいつだってデータの先を行っちゃうの」
セレナは湯気の立つ湯呑みをシオンの前にそっと置き、フィールドでピカチュウとハイタッチを交わしている夫の背中を、愛おしそうに見つめた。
「サトシとピカチュウはね、昔からこうなの。ピカチュウが代替わりしても、お互いの『勝ちたい』っていう気持ちや、相手の強さにワクワクする心を、そのまま力に変えちゃうの。理屈じゃなくて、お互いの魂の波導が完全にシンクロして、一瞬だけ世界のルールを書き換えてる……って言ったら、科学的じゃないかしら?」
「……世界の、ルールを書き換える……?」
シオンは湯呑みを持ったまま、呆然と固まった。
非科学的だ。あまりにも荒唐無稽な精神論だ。しかし、目の前でボロ雑巾にされているカグヤの最強の精鋭たちと、壊れた測定器の数値が、その「理不尽な現実」をこれ以上ないほど雄弁に証明していた。
「データはね、シオンちゃん。過去の戦いを予測するためのものだけど、サトシたちはいつだって『今、この瞬間』に限界を超えて新しい未来を作っちゃうの。カグヤの中にもね、確かにその血が流れているのよ?」
セレナの言葉に、ナオがハッとしたようにカグヤの顔を見た。
カグヤは照れくさそうにしながらも、その瞳の奥には、父親のあの理不尽なまでの強さを「いつか超えてみせる」という、ギラギラとした熱い闘志を確かに宿していた。
「……はぁ。了解したわ」
シオンは大きくため息をつくと、湯呑みをテーブルに置いて椅子の背もたれにドサリと深く身体を預けた。
「サトシさんの戦術をデータ化して取り入れて世界大会の対策にする、という当初の目的は完全に不可能だと認めるわ。私のデータシステムが測定できる範囲を超えているわ」
「あはは、シオンさんがデータ諦めるなんて、本当に歴史的な事件だよ」
ナオがようやくホッとしたように笑う。
「でも、無駄じゃなかったわ」
シオンは眼鏡をきゅっと押し上げ、モニターのエラーログを、今度は不敵な笑みで見つめた。
「既存の『最強』の枠組みを遥かに超えた、測定不能の理不尽。その暴力を骨の髄まで浴び続けたハッサムたちは、今、データ上でも異常なまでの耐久力と反応速度の成長値を記録し始めているわ。世界一の理不尽を経験した今の彼らにとって、世界大会に集まる並大抵の『強豪』のデータなんて、もはやただの止まった標的に等しいわね」
シオンのその戦術家らしい冷静な(そして少し好戦的な)分析に、カグヤは嬉しそうに微笑んだ。
「うん、ありがとう、シオン。お父さんのバトルは真似できないけれど、みんなが残してくれたこの熱量は、僕たちの最高の武器になるよ。――よし、それじゃあ僕も、みんなのケアに行ってくるね」
カグヤはきのみの山を抱え直すと、頼もしい足取りでフィールドへと向かっていった。
データ主義者の常識を完全に破壊していった伝説の夫婦。彼らがマホロバに残した足跡は、数式を超えた圧倒的な強さとなって、カグヤと11体のポケモンたちの肉体に、深く、激しく刻み込まれていくのだった。