ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
昼間のあの黄金の突風が吹き荒れたような地獄の特訓が嘘のように、夜のマホロバのゲストダイニングには、穏やかで温かい香りが満ちていた。
テーブルの上に並ぶのは、セレナがマホロバの厨房を借りて手際よく作り上げた、彩り豊かな家庭料理の数々。アサメの庭で採れた自家製のハーブを使ったスープや、ふっくらと焼き上がったキッシュが、特訓で疲れ切った一同の心を優しく解きほぐしていく。
「うわぁ……本当にどれも美味しいです! セレナさん、こんな本格的なお料理をパパッと作っちゃうなんて、やっぱり凄すぎます……!」
ナオがスープを一口すするなり、頬を落としそうな顔をして感嘆の声をあげた。
「ふふ、口に合って良かったわ。サトシもカグヤも、特訓のあとはとにかくたくさん食べるから、自然とボリュームのあるメニューが得意になっちゃったのよね」
セレナはエプロンを外しながら、お茶目に見開いた目をナオたちに向ける。当のサトシは「やっぱりセレナの飯が世界一だな!」と、すでに大皿の肉料理をピカチュウと競い合うようにしてバクバクと平らげていた。
そんな中、いつも通り綺麗な手つきでナイフとフォークを動かしていたカグヤを見つめながら、シオンがふと眼鏡の位置を直して切り出した。
「……あの、セレナさん。少し、カグヤの子供時代の話を聞かせてもらえないかしら。彼から以前、最初の7体は全員、バトルの末にゲットしたわけじゃなく、実家の庭に迷い込んできただけの『ただの野良ポケモン』だったと聞いたの」
「ええ、本当にそうなのよ」
セレナは懐かしそうにクスリと笑う。カグヤは「シオン、またその話……?」と、少し気恥ずかしそうに手元のフォークを見つめた。
「彼、当時の自分にとっては強さなんてどうでもよくて、ただの、一緒に泥だらけになって遊ぶ友達だった、あいつらが勝手に飯を食って、勝手に進化してあそこまで強くなっただけだって言い張るのよ。……でも、マホロバのデータシステムから見れば、あの戦術兵器のような個体たちが『勝手に集まって勝手に強くなった』なんて、確率的に絶対にあり得ないわ。何か隠された理由があるはずなの」
シオンのデータ脳ゆえの真剣な問いかけに、セレナはスープをスプーンでそっと混ぜながら、優しい眼差しをカグヤへと向けた。
「確かにね、小さい頃のカグヤは本当にバトルの強さなんてこれっぽっちも気にしてなかったわ。でもね、シオンちゃん、ナオくん。あの子たちの成長は、決して『勝手』に起きた奇跡なんかじゃないのよ」
「……え?」
ナオが目を丸くする。サトシも肉を噛みちぎる手を少しだけ止め、息子の顔をニヤニヤと眺め始めた。
「子供の頃、庭の池で勝手に泳いでたケロマツも、裏の草むらから飛び出してきたリオルも、最初は本当に警戒心が強くてね。でもカグヤは、毎日学校から帰るとカバンを放り投げて、泥だらけになりながらあの子たちと取っ組み合いをして遊んでたわ。ストライクがわざわざ鎌の『背』を使ってチャンバラに付き合ってくれたのも、カグヤが木の棒を構えて、その子の『戦いたい』っていう本能に誰よりも真っ直ぐ向き合っていたからなの。庭の木の上から尻尾で叩こうとしてきたキモリだって、カグヤが何度も何度もめげずに話しかけに行くから、いつの間にか根負けして相棒みたいになっていたわ」
セレナは、カグヤの少し逞しくなった手をそっと見つめる。
「日向ぼっこで行き倒れていたミニリュウを見つけた時なんて、カグヤは泣きそうな顔をして一晩中寝ずに看病していたのよ。元気になったあとも『いつでも帰っていいんだよ』って、ボールを無理に押し付けたりしなかった。その辺の木の枝にぶら下がってただけのビードルも、どこからか入ってきて部屋のベッドで呑気に寝てただけのイーブイも……カグヤはみんな同じように、大切な『友達』として、あふれるほどの愛情と信頼を注ぎ続けたわ」
「愛情と、信頼……」
ナオが感極まったように呟く。
「ポケモンはね、自分を『兵器』として見る人間には、それなりの力しか見せないわ。でも、自分を命として、対等な友達として心から愛してくれるトレーナーのためなら――限界なんていう壁は、いくらでも超えてみせるの。サトシがずっとそうだったようにね」
セレナがサトシの顔を見ると、サトシは「けど、カグヤのあの『ポケモンに好かれる才能』は、俺も最初から勝てねえなって思ってたぞ!」とガハハと笑った。
「それにね、あの子たちが『世界一の暴力』に耐えてあそこまでタフになったのもね……」
セレナはそこで少し声を潜め、お茶目にウインクをして見せた。
「大好きなカグヤが困った顔をしないように、僕たちがカグヤの盾になるんだって、みんなが勝手に競い合って強くなっちゃったのよね。ただの虫だったビードルが最強のスピアーになり、行き倒れてたミニリュウが破壊神のようなカイリューになり、部屋で寝てただけのイーブイがあんなに立派な鉄壁のブラッキーになり、ケロマツやキモリがゲッコウガやジュカインになって……。そしてその強い絆があったからこそ、マホロバの頂点に立ったハッサムとルカリオという最高のエースたちも、カグヤを信頼して全力でついてきてくれたのよ。全部、カグヤのことが大好きだからよ」
「母さん……もう、言い過ぎだよ」
カグヤは耳まで真っ赤にしながら、苦笑いして顔を伏せた。けれど、胸の奥には手持ちたちへの確かな愛着が、温かい熱となって広がっていた。
「……なるほど。絆による能力値の補正、および限界突破のトリガーが『無条件の愛』だというわけね」
シオンは愕然とした表情で手元の端末を握りしめ、それからカグヤの顔を真っ直ぐに見据えた。
「データには映らない、あなたの最大の武器。世界大会の強豪たちも、まさかあなたがそんな『怪物たちの生みの親』だとは夢にも思わないでしょうね。面白いわ」
「あはは、兄貴、やっぱり最高のトレーナーだよ! 世界大会、あの子たちと一緒に世界を驚かせよう!」
ナオが元気よく拳を突き出す。
「うん。……みんなが俺を信じてくれた分、俺も世界の大舞台で、あいつらの最高のバトルの形を証明してみせるよ」
カグヤの丁寧な、けれどどこまでも揺るぎない決意の言葉に、ダイニングの全員が温かい笑みを浮かべた。
アサメの庭で泥まみれの友達として始まった絆は、今、世界一の熱量を孕んで、真の最高峰へと翔び立つ瞬間を待っていた。