ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
元・世界王者とカロスクイーンという、歴史に名を刻んだレジェンド夫婦が目の前にいる。その事実への致命的なパニックから、ディランはようやく己のプライドと執念だけで這い上がってきた。
青かった顔にドッと熱い血が戻り、彼は鋭い眼光でカグヤを射抜く。
「……お前の両親がどれほどのレジェンドだろうと、俺には関係ない。カグヤ、俺は『お前』を倒しに世界へ行くんだ。お前自身の牙が鈍っていないか、ここで俺とフルバトルをしろ。お前の現在地、この身で確かめさせてもらう」
静かに、けれど逃げ場のない宣戦布告だった。
カグヤはその真っ直ぐな闘志を正面から受け止め、首元の青いスカーフをきゅっと結び直して微笑んだ。
「ありがとう、ディラン。……喜んで、相手をさせてもらうよ」
「おっ、やるのか! よし、俺が審判をやってやるぞ!」
サトシが嬉しそうに立ち上がり、肩のピカチュウも「ピカピカ!」と腕を回す。夜の照明が落とされたマホロバのメインフィールドは、一瞬にしてひりつくような緊張感に包まれた。
シオンがモニターの計測を開始し、ナオが見守る中、ディランが最初にボールを掲げる。
「決勝の時と同じだと思うなよ。……行け、ナットレイ!」
ディランの得意とする戦術は、相手をじわじわと絶望の底へ引き摺り下ろす苛烈なハメ戦術だ。
対するカグヤの手持ちは、カイリュー、スピアー、ゲッコウガ、ジュカイン、ルカリオ、ハッサムの6体。ブラッキーを控えに回し、マホロバを制した最強のエース2体と、新たに加わったカロス組を並べた贅沢な布陣で挑む。
「頼むよ、カイリュー」
カグヤの最初の指名に応じて現れたのは、アサメの庭で行き倒れていたミニリュウから進化した、巨体の竜だった。
「ナットレイ、『どくびし』! さらに『まきびし』だ!」
ディランの冷静な指示の元、ナットレイがフィールド全域に無数の毒の棘と鋭い罠を撒き散らす。一度でも交代すれば後続が猛毒に侵される、完璧なハメ戦術の布陣だ。さらに『やどりぎのたね』がカイリューの足元に植え付けられ、体力をじわじわと吸収し始める。
「これで交代は封じた……!」
ディランが勝機を確信した瞬間、カグヤの声が響く。
「カイリュー、『ほのおのパンチ』!」
カイリューは避ける素振りすら見せず、やどりぎに体力を吸われながらも、目にも留まらぬ速度でナットレイを打ち抜く。4倍の弱点を突かれた衝撃が走り、ディランの要塞は一撃で地面に沈んだ。
「チッ……だが、ハメの陣形は崩れない。行け、サザンドラ!」
ディランは即座に2体目を投入し、上空からの『りゅうのはどう』で波状攻撃を仕掛ける。しかし、カイリューはその直撃を正面から浴びながら、平然と「きゅ、う?」とのんきな声をあげていた。サトシのピカチュウによる『世界一の暴力』を連日浴び続けてきた彼らにとって、通常の技などそよ風に等しい。
カイリューはお返しの『冷凍パンチ』でサザンドラを鮮やかに撃墜してみせた。
「カイリュー、戻って。……次は君の番だ、スピアー」
「……っ!? 自ら『どくびし』を踏みに来たか!」
ディランが目を見開く。カイリューが退き、交代で現れたスピアーの足元に毒の棘が迫る。しかし、スピアーは空中を滑るようにホバリングし、地面の罠を完全に無効化。さらに、毒タイプを持つスピアーにとって『どくびし』は吸収して消し去るだけの対象に過ぎず、フィールドの罠が半分消滅した。
「行け、バンギラス! すなおこしで視界を奪え!」
ディランが繰り出した3体目のバンギラスが砂嵐を巻き起こすが、スピアーは鋭い羽音を立てて加速する。
「スピアー、『かわらわり』!」
砂嵐を切り裂いたスピアーの高速の一撃が、バンギラスの硬い外皮を叩き割る。4倍弱点の痛烈な衝撃により、バンギラスは反撃の隙もなく崩れ落ちた。
「ならばギルガルド! 『キングシールド』で受け止める!」
ディランが送り込んだ4体目。しかし、スピアーの動きはさらにその上をいった。残像を残すほどの『つるぎのまい』で攻撃力を跳ね上げると、ブレードフォルムへ移行しようとしたギルガルドの隙を見逃さず、目にも留まらぬ『シザークロス』を急所に叩き込んで一瞬で沈めた。
「嘘だろ……、あのギルガルドの防御を上から……」
ディランの額に冷たい汗が伝う。スピアーは息一つ乱さず、静かに空中へ戻っていった。
「スピアー、ありがとう。……次は任せたよ、ジュカイン」
カグヤの交代指示により、3体目のジュカインがフィールドにしなやかに降り立つ。残った『まきびし』のダメージをわずかに受けるが、その瞳に宿る闘志は微塵も揺るがない。
「メタグロス、潰せ! 『コメットパンチ』!」
ディランの5体目が放つ必死の鋼の拳。しかし、ジュカインは圧倒的な身のこなしでその軌道を紙一重でかわすと、背中の種を激しく明滅させた。
「ジュカイン、『リーフストーム』!」
緑の暴風がメタグロスの巨体を激しく巻き込み、そのままフィールドの壁へと叩きつける。凄まじい衝撃と共に、メタグロスも戦闘不能となった。
ディランの手持ちは、すでに残り1体。対するカグヤは、エースのハッサムとルカリオ、そしてゲッコウガを後ろに控えたまま、まだ3体しか戦わせていない。しかも全員がほぼ無傷だった。
「……最後だ。行け、ダークライ」
ディランが執念で繰り出した幻のポケモン。彼は『ダークホール』による催眠ハメに最後の望みを懸けた。漆黒の闇がジュカインを包み込もうとした瞬間、カグヤの鋭い指示が飛ぶ。
「ジュカイン、そのまま飛び込んで『シザークロス』!」
ジュカインは闇の弾道よりも早く地を蹴り、神速の踏み込みでダークライの懐へと滑り込んだ。両腕の葉の刃が美しく交差し、ダークライの胸元を深く切り裂く。
絶大な威力を誇る虫タイプの技をまともに食らい、ダークライは催眠術を発動させる間もなく、そのまま崩れ落ちていった。
「そこまで! 6体全員戦闘不能! 勝者、カグヤ!」
サトシが大きく手を振り上げ、ガハハと笑う。
「いやぁ、カグヤ! カロス組の3体、俺の特訓によく耐えただけあって、めちゃくちゃキレッキレだな! 良いチームになったぞ!」
静まり返ったフィールドで、ディランはただ呆然と立ち尽くしていた。まさか、ここまで差がついているとは思わなかった。
完璧に構築したはずのハメ戦術が、カロス組の3体(カイリュー、スピアー、ジュカイン)がそれぞれ2体ずつを確実に、そして圧倒的な余力を残したまま処理していく洗練された立ち回りの前に、文字通り木っ端微塵に粉砕されたのだ。エースのハッサムとルカリオを引きずり出すことすら叶わなかった。
「ディラン、ありがとう。最高の調整になったよ」
カグヤはジュカインを労ってボールに戻すと、ディランの元へと歩み寄り、真っ直ぐに右手を差し出した。
「……ハッサムやルカリオだけじゃない。カロスに残してきたみんなが加わって、初めて今の俺の全力なんだ。世界大会、一緒に暴れよう」
ディランはしばらくカグヤの手を見つめていたが、やがて悔しそうに口元を歪め、その手を強く握り返した。
「マホロバでの決勝戦ですら、ベストメンバーじゃなかったとは……化け物め。まさか、ハッサムたちを出させることすらできず、全員に2タテずつ綺麗にコントロールされるとはな」
ディランは差し出された手を離すと、いつもの落ち着いた、けれどどこかギラギラとしたライバルの目をカグヤに向けた。
「だが、お前の現在地はよく分かった。世界の本戦まで、せいぜい首を洗って待っていろ。次こそは、その加わった新戦力ごと、お前を叩き潰してやる」
そう言い残すと、ディランは潔く振り返り、夜のマホロバを去っていった。その背中には、圧倒的な敗北を突きつけられてなお、決して折れない強靭なトレーナーとしての気骨が満ちていた。
「うん。待っているよ、ディラン」
カグヤは宿敵の背中を見送った。
最初の7体との泥まみれの思い出、そしてマホロバで培った最高の絆。総勢11体の星たちを従え、カグヤはついに、世界の扉へとその足を踏み出すのだった。