ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
世界の鳴動、青いスカーフの誓い
世界中から集まった何万人もの観客の地鳴りのような大歓声が、スタジアムの分厚いコンクリートの床を通じて、足の裏から全身へとビリビリと伝わってくる。
「うわぁ……。マホロバの本戦もすごかったけど、やっぱり世界の舞台は、規模が何もかも違いすぎるね……」
ガラル地方、シュートスタジアム。世界大会『ワールド・チャンピオンズ・トーナメント』の開催地に降り立ったナオは、周囲を飛び交う無数のロトムドローンと、各国のメディアが放つ強烈なフラッシュの渦に圧倒され、ゴクリと息を呑んでいた。
そんなナオの隣で、カグヤは選手用のIDパスを首から下げ、静かにスタジアムの巨大な天井を見上げていた。
「うん、そうだね。でも、不思議と怖くはないよ。ここにいるみんなが、それぞれの地方で必死に勝ち上がってきた最強のトレーナーなんだと思うと、すごく胸がドキドキするんだ」
カグヤは等身大の柔らかな笑みを浮かべながら、首元に巻かれた青いスカーフにそっと触れた。アサメの庭の泥まみれの特訓、マホロバでの激闘、長旅に同行してくれた元・世界王者の両親が残していった理不尽なまでの熱量――そのすべてが、今のカグヤの背中を力強く支えている。
「浮足立っている暇はないわよ、カグヤ」
凛とした、張りのある声がすぐ横から響いた。
最新鋭の携帯端末を片手に、視線を鋭く走らせているシオンだった。彼女はカグヤの参謀としてこの大舞台へ正式に同行しており、周囲の喧騒に眉一つ動かさず、すでにエントリー全選手の膨大なデータを現地サーバーから同期し終えていた。
「シオン、現地のデータ連携はもう終わった?」
「ええ。最悪のデータよ。世界各地方のジムリーダーや現役チャンピオンクラス、さらにはかつてサトシ氏と頂点を争った伝説級のマスターたちが、これでもかと名を連ねているわ。事前の戦術シミュレートにおけるあなたの勝率は、過去最低を記録している。……言っておくけれど、マホロバの戦術がそのまま通じる相手は、ここには一人もいないわよ」
シオンは瞳を鋭く光らせ、厳しい言葉を突きつける。しかし、その口元はどこか好戦的に吊り上がっていた。データの先にある「理不尽」を誰よりも知る彼女もまた、この世界の壁の高さに昂ぶっているのだ。
「ありがと、シオン。最高の褒め言葉だよ。世界一の壁を経験してきた僕たちなら、どんなデータもひっくり返せるって信じてるから」
「……相変わらずオカルトな思考回路ね。まあ、期待だけはしておくわ」
シオンが端末の画面をスワイプしたその時、選手控室へと続く薄暗い廊下の向こうから、聞き覚えのある落ち着いた足音が近づいてきた。
「随分と注目されているようだな、カグヤ」
黒いジャケットを端正に着こなした青年――カグヤと同じくマホロバ代表として選ばれた、ディランだった。ディランはカグヤたちの前に立つと、周囲のメディアや他の選手たちがカグヤを遠巻きに見ながら、「おい、あいつがマホロバの……」「いや、あの伝説の男の息子か?」と囁き合っている喧騒を、冷ややかな視線で一蹴した。
「ディラン。この間の野試合以来だね」
「カグヤ、マホロバ大会と野試合でお前に二度敗れてから、俺の牙は一瞬たりとも鈍っていない。……周囲はうるさいようだが、お前が誰の息子だろうと、俺には関係のないことだ。世界の本戦で、お前を公式に叩き潰すのはこの俺だ。せいぜい、最初の戦いで無様に脱落するなよ」
ディランはカグヤの隣を通り過ぎる際、その鋭い眼光を真っ直ぐにぶつけてきた。その言葉は不遜に聞こえるが、カグヤが「サトシの息子」という偏見ではなく、「カグヤという一人のトレーナー」として戦場に立っていることを誰よりも認めている、彼なりの不器用な鼓舞だった。
「うん。ディラン、また最高のバトルをしよう」
カグヤが微笑んで応えると、ディランはフンと鼻を鳴らし、そのまま前を歩いていった。
『――間もなく、ワールド・チャンピオンズ・トーナメント、開会式を執り行います! 各地区代表トレーナーの皆様は、入場ゲートへとお進みください!』
スタジアム内に響き渡る大音響のアナウンス。凄まじいファンファーレが鳴り響き、いよいよ世界の号砲が鳴らされた。
「兄貴……!」
ナオが緊張と興奮の入り混じった顔でカグヤを見つめる。シオンは静かに端末をポケットに収め、カグヤの背中を頼もしそうに見据えた。
「いこう、みんな」
カグヤは腰に帯びた11個のモンスターボール――マホロバで出会った仲間たちと、カロス組の怪物たちに語りかけるように呟いた。ボールたちが、主の決意に応えるように小さく、熱く、脈動する。
入場ゲートの巨大な扉が左右に開き、眩いばかりの光がカグヤの視界を真っ白に染め上げた。
割れんばかりの大歓声の中へ、カグヤは等身大の勇気と、尽きることのない闘志を胸に、世界のフィールドへと力強く一歩を踏み出した。カグヤと11体の星たちの、世界を揺るがす最大の挑戦が、今ここに開幕する。