ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
スタジアムを埋め尽くす万雷の拍手と、色めき立つ観客たちの視線。その中心にいるマリアンヌは、上品に振袖の袖で口元を隠しながら、対角線上に立つカグヤの姿を恍惚(こうこつ)とした目で見つめていた。
(やっぱり、素敵なお人やわぁ……)
マリアンヌが彼にこれほど執着するのには、単に彼が「サトシとセレナの息子」だからという理由だけではない。
数年前、カロス地方のクノエシティ。母親のマーシュが営む工房の手伝いやジムの公務に追われ、どこか退屈な日々を過ごしていた彼女の前に、彼は突然現れた。
偉大な親の影に怯えたり、周囲の過剰な期待をプレッシャーに感じたりする二世トレーナーは少なくない。けれど、カグヤは違った。彼は周囲の雑音など端から気にも留めていなかった。ただ純粋に、かつて世界の頂点に立った父親の大きな背中を自らの意志で見つめ、いつかあの背中を追い越し、自分の力で世界の頂点を掴み取る――その一途で圧倒的な熱量だけを胸に、泥まみれになってポケモンたちと特訓を繰り返していたのだ。
忘れもしない、嵐の日のクノエシティ郊外。野生の荒ぶる群れに囲まれ、孤立してしまったマリアンヌとフェアリーたちを救ったのは、ずぶ濡れになりながらも一歩も引かずに道を切り開いたカグヤだった。
『大丈夫ですか!』と手を差し伸べてくれた彼の、底知れない闘志と底抜けの誠実さ。そして、助けてくれた直後に『あの、その服、すごく綺麗ですね……』と顔を真っ赤にしてドギマギしていた等身大のギャップに、マリアンヌの心は一瞬で奪われた。
だからこそ、母親のマーシュに「うち、あの人がええ」と我が儘を言い、親同士の裏交渉までセッティングさせた。カグヤはいつも真っ赤になって逃げ回っていたけれど、そのタジタジとした初々しい反応も含めて、愛おしくて仕方がなかったのだ。
「ルカリオ、戻って! 頼む、カメックス!」
カグヤの引き締まった声がフィールドに響く。
メロメロで骨抜きにされたルカリオを下げ、彼が送り出してきたのは巨大な殻を持つカメックスだった。
「あら、今度は重戦車のお出ましどすか? ニンフィア、『メロメロ』や」
マリアンヌの指示で、再び可憐なハートの波動がフィールドを舞う。
カメックスもまたオスだ。しかし、ニンフィアの魅惑の波動を浴びてもなお、その頑強な足取りは一歩も乱れない。
(おや……?)
マリアンヌはわずかに目を見張る。このカメックスは、他の手持ちと違ってカグヤとマホロバの地で出会い、カグヤの手によってゼニガメからカメール、カメックスへと進化してまだ日が浅く、手持ちの中では未熟な新参だった。その情報は、マリアンヌも把握している。
その未熟であるはずのカメックスがメロメロに抗えている理由。それは、カメックスの瞳に宿る、カグヤへの純粋で一途な憧れだった。大好きなトレーナーのピンチを前に、カグヤを勝たせたいという愚直なまでの信頼が、妖精たちの色仕掛けを力ずくで跳ね返していたのだ。
「カメックス、『ハイドロポンプ』!」
二門のロケット砲から放たれた圧倒的な水流が、フィールドの芝生を巻き上げながらニンフィアを襲う。ニンフィアは素早く身をかわしたものの、その凄まじい水圧の余波だけで、自慢のリボンが激しく濡れそぼった。
(ふふ……さすがはマホロバの王座に就いたお人。ただ搦め手にハメられるのを待つだけやない。どんな新参の子(ポケモン)であっても、これだけの信頼関係を築いてはるわ)
じわじわとこちらの体力を削りにくるカグヤの粘り強さに、マリアンヌは胸の鼓動をますます高鳴らせる。強者としてのカグヤに、改めて深く惚れ直していく。
――けれど、バトルの勝敗はまた別だ。
マリアンヌは扇子を静かに開き、瞳の奥の「クノエジムリーダー」としての冷徹な光を鋭く尖らせた。
「でも、うちはカロスを背負ってここに立ってますのや。カグヤはんのことは大好きやけど、手加減して負けてあげるほど、可愛いだけの女やありませんえ?」
カメックスの気迫は驚異的だが、マリアンヌの手元には、まだ変幻自在の『トリックルーム』の布陣も、相性抜群のエースたちも無傷で控えている。カグヤの主力の大部分(ゲッコウガ、ジュカイン、カイリュー、ブラッキー)が、フェアリータイプに対して致命的なまでに不利であるというデータは、一ミリも揺らいでいない。
どれほどカメックスやルカリオが泥臭く抗おうとも、この相性最悪のフェアリーフィールドを覆す手立てなど、もうカグヤには残されていないはずだ。
(ごめんね、カグヤはん。……これで、あなたはうちのものや)
盤石の勝利を確信しながら、マリアンヌは妖艶な微笑みを崩さず、次なる絶望の一手をカグヤへと突きつけるのだった。