ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
碧水の都、ミナモシティ
アコマシティを後にして数日。街道の土の色は次第に明るくなり、吹き抜ける風には湿り気を帯びた花の香りが混じるようになった。
三人の目の前に広がったのは、巨大な湖の中央にそびえ立つ白亜の街、ミナモシティだった。
「うわぁ……すごい! 街全体が水の上に浮いてるみたいだ!」
ナオが声を弾ませ、身を乗り出して湖を見渡す。
「……マホロバ地方でも有数の観光資源を誇る都市ね。徹底した水質管理と景観維持によって、この透明度が保たれている。効率的な都市計画の極致と言えるわ」
シオンは冷静に分析してみせるが、その視線はどこか遠く、街の象徴である中央の『浄化塔』に向けられていた。
そんな二人を余所に、カグヤはスリングからウパーを引っ張り出し、きらきらと輝く湖面を見せていた。
「ほら見て、ウパー! 水が透き通ってるぞ。後で足だけでも浸からせてあげような」
「うぱぁー!」
ウパーは短い手足をパタパタと動かして喜んでいる。カグヤは既にバトルのことなど頭にないようで、掲示板にある「湧き水パフェ」の広告に釘付けになっていた。
だが、その穏やかな空気は、ゲートに立つ男の冷ややかな声によって切り裂かれた。
「……そこの少年。そのウパーは、この街の『水質保護規定』に登録されている個体か?」
白く糊のきいた制服を着た管理局員が、威圧的に歩み寄る。
「え? いえ、この子は旅の途中で出会った子ですけど……」
「無登録の個体、および野良の持ち込みは禁止だ。即刻没収し、管理センターへ送る。……抵抗するなら、強制執行だ」
管理局員はそう言い放つと、迷いなくウパーへ向かって手を伸ばした。
ウパーが「うぱっ……!?」と怯えた声を出し、カグヤの胸元に顔を埋める。
管理局員の手がウパーに触れる寸前、カグヤがその手首を掴んだ。
「……触ろうとしたな」
短く、低く、重い声。
管理局員がカグヤの顔を見た瞬間、彼は自分の心臓が凍りつくような錯覚を覚えた。先ほどまでのんびりしていた少年の瞳が、光の一切を飲み込む深淵のように暗く沈んでいる。
「……っ、離せガキが! 街のルールは絶対だ! 出ろ、フローゼル!」
管理局員は恐怖を振り払うように叫び、ベルトからボールを投げた。現れたのは、鋭い目つきのフローゼル。管理局の息がかかった、冷徹な「警備装置」のような佇まいだ。
「フローゼル、『アクアジェット』でそいつを引き離せ! ウパーを回収する!」
フローゼルが水の衣を纏い、凄まじい速度でカグヤへ突っ込む。
「危ないっ!」
ナオが叫ぶが、カグヤは動かない。ただ、静かに波導を解き放った。
「――ルカリオ」
カグヤの影から、青い閃光が飛び出した。
ルカリオは空中を駆けるフローゼルの軌道を瞬時に見切り、その懐へと滑り込む。
「『しんぴのまもり』――いや、ただの『いななし』だ」
ルカリオは波導を纏った掌を添えるだけで、フローゼルの突進を柳に風と受け流し、勢いそのままに地面へと叩きつけた。あまりにも鮮やかで無駄のない動き。フローゼルは呻き声を上げ、身動きが取れなくなる。
「な、何だと……!? 私のフローゼルを一撃で……!」
「管理局員さん。ルールがあるのはわかるけど、家族を『没収』なんて、二度と言わないでください」
カグヤの声は、管理局員を弾き飛ばす前よりも、ずっと静かで、そして冷たかった。ルカリオの波導がカグヤの「静かなる怒り」と完全に同調し、周囲の空間を凍りつかせるような圧力を放っていた。
「……ぐ、っ……。覚えていろ、この街の『管理』からは逃げられんぞ……!」
管理局員は、自分とカグヤの圧倒的な実力差を悟り、フローゼルをボールに戻すと、吐き捨てるようにして詰め所へと引き下がっていった。
カグヤはそれ以上追撃することなく、怯えるウパーを優しく抱き締め直した。
「……よしよし、怖かったな。大丈夫だ、俺が絶対に離さないから」
瞳に宿っていた氷の刃が、一瞬で溶けて「溺愛モード」に切り替わる。だが、その背後に立つシオンは、カグヤの放った異様な威圧感に、複雑な表情を浮かべていた。
「……不合理だわ。でも、今の管理局員の態度は、この街がかつて持っていた『水の慈しみ』とは程遠いものね」
シオンは苦々しく呟き、それから街の中央にそびえる『浄化塔』を見上げた。
美しい水の都、ミナモシティ。
その透明な水の下には、カグヤたちがまだ知らない、冷徹な「管理」という名の毒が沈殿していた。
ウパーを守るため。そして、この街に隠された歪みを正すため。
カグヤ一行の新たな戦いが、この穏やかな湖畔から始まろうとしていた。