ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
管理局員との一悶着を経て、カグヤたちはようやくミナモシティの居住区へと足を踏み入れた。
石畳の一枚一枚までが磨き上げられ、運河を流れる水は底に沈む小石の模様まで鮮明に見える。行き交う人々は皆、汚れ一つない衣服を纏い、計算されたかのように整然と歩いていた。
「……すごいな。ゴミ一つ落ちてない」
ナオが感心したように周囲を見渡す。だが、その声はどこか落ち着かない様子だった。
「効率的な清掃システムの賜物よ。不純物はすべて『排除』される……それがこの街のルールだから」
シオンが淡々と応じる。彼女は先ほどから、道ゆく人々が自分に向ける視線――驚き、蔑み、そして憐れみが混じったような複雑な色――を、透明な壁を作るようにして無視し続けていた。
カグヤはといえば、腕の中のウパーに、運河の水を触らせてやろうと屈み込んでいた。
「ほら、ウパー。冷たくて気持ちいいぞ……って、うわっ!?」
カグヤが指先を水面に触れようとした瞬間、カチリと機械音が響き、運河の縁から小さな清掃ドローンが飛び出してきた。ドローンはカグヤの指を遮るようにホバリングし、『生体反応による水質汚濁を検知。警告します』と無機質な音声を放つ。
「……触るだけで怒られるのか。厳しいなぁ」
カグヤは苦笑いしながら立ち上がった。ウパーも「うぱ……」と残念そうに首をすくめる。
「この街において、水は『共有財産』ではなく『管理資産』なのよ。許可なき接触は資産価値を損なう行為とみなされるわ」
シオンの言葉に、ナオが顔をしかめる。
「何だか、息が詰まる街ですね……。せっかくこんなに綺麗なのに」
一行が街の中央広場に差し掛かった時だった。
「おや、これは……シオン様ではありませんか」
粘りつくような声が、三人を引き止めた。
振り返ると、そこには豪奢な刺繍を施したスーツを着た初老の男が、数人の護衛を引き連れて立っていた。男はシオンの姿を上から下まで眺め、わざとらしく溜息をつく。
「没落したアクア家のお嬢様が、あのような不潔な騒ぎ(管理局員との衝突)を起こした風来坊を連れて戻ってくるとは。……亡き先代が泣いておられますな」
「……お久しぶりです、元・執事のガストン。今のあなたには、私を様付けで呼ぶ権利も、父を語る資格もありません」
シオンの声は、カグヤが初めて聞くほどに鋭く、冷え切っていた。
「くっくっく、相変わらず可愛げのない。……まあいいでしょう。市長は現在、街の『純度』を100%に高める最終工程に入っておられる。不純な血筋の者がうろついて、計画を乱さぬよう気をつけることですな」
ガストンと呼ばれた男は、カグヤとナオを一瞥して鼻で笑うと、悠々と去っていった。
「……シオンさん、今の人は?」
ナオが恐る恐る尋ねるが、シオンは答えず、ただ強く拳を握りしめていた。
「……ナオ君、シオン。とりあえず、宿を探そうか。お腹も空いたし」
重苦しい空気を断ち切るように、カグヤが明るい声を出した。
「あ、そういえば兄貴、さっきのパフェの店……」
「そう! 湧き水ゼリーパフェ! シオンも行くよね?」
カグヤが覗き込むように笑いかけると、シオンは一瞬だけ表情を崩し、すぐに元の冷静な仮面を被り直した。
「……不合理だわ。でも、今の私の血糖値は、理論上不足しているのは事実よ」
三人は広場を抜け、街の端にある小さな宿へと向かった。
シオンがかつて住んでいた「名家」が、今の「管理社会」によってどう塗り潰されたのか。そして、ガストンが口にした「最終工程」とは何なのか。
パフェを食べるカグヤの隣で、シオンは静かに、かつて自分が捨てたはずの街の地図を脳内に広げていた。
ミナモシティの闇は、水底の泥のように、静かに、だが確実に彼らの足元を浸食し始めていた。