ポケットモンスター 遥かなる高みへ   作:色即是空

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蘇る蒼、母からの便りと浄化の代償

 ミナモシティの喧騒から離れた、街外れの古びた宿。その一室は、今や緊迫した野戦病院のような様相を呈していた。

 運び込まれたシャワーズは、シオンが旅の荷物に忍ばせていたポータブルカプセルの中で、青白いナノマシンの光に包まれている。シオンは泥だらけになった服を着替える間も惜しみ、端末のモニターに映し出されるシャワーズのバイタルデータと格闘していた。

「……信じられない。細胞の損傷が想定よりも数倍深いわ。これは単なる水質汚染の影響じゃない。生命エネルギーを、何らかの装置で強制的に外部へ引き抜かれた痕跡よ」

 シオンの指先が、キーボードの上で弾けるように動く。その表情は、かつての冷徹な「効率主義者」のそれではなく、一匹の命を繋ぎ止めようとする執念に満ちていた。

 ナオは部屋の隅で、お湯を張った洗面器とタオルを手に、ハラハラと見守っている。

「生命エネルギーを引き抜くなんて……そんなこと、誰が何のためにやるんですか?」

「決まっているわ。この街の『心臓』――あの白亜の浄化塔よ」

 

 その時、ソファでウパーのお腹をぷにぷにと堪能していたカグヤのスマートフォンが震えた。画面には『母さん』の文字。カグヤは一度だけシャワーズの様子を確認し、そっとベランダへと出た。

 通話ボタンを押すと、ホログラムスクリーンに優しく微笑む母・セレナの姿が映し出された。

『カグヤ、元気にしてる? ちょうどさっき、アサメタウンに届いたわよ。あの大きなトロフィー』

「母さん……。ああ、届いたんだ。邪魔だろ、あんな大きなの」

『ふふ、お父さんがね、「俺の時より豪華だ」って悔しがりながら、一番目立つ棚に飾ってたわよ。……でも、あなたの顔、少し疲れてるみたい。何かあったの?』

 セレナが心配そうに覗き込んだ瞬間、画面の端から黒い影が飛び込んできた。

「ブラッ!」

 画面を埋め尽くしたのは、赤い瞳を輝かせたブラッキーだ。カグヤの姿を見るなり、画面越しに甘えるように鳴き声を上げる。

「おい、ブラッキー。お前、元気そうだな。ちゃんと母さんの手伝いしてるか?」

 すると、背後から大きな影がブラッキーを優しく押し退けた。

「……カイルゥ!」

 穏やかな鳴き声と共に現れたのはカイリューだ。大きな体を小さく丸めるようにして画面に収まり、カグヤに向かってぶんぶんと手を振っている。さらにその肩には、鋭い双針を研ぎ澄ませたスピアーが静かに止まり、複眼を細めてカグヤの無事を確認していた。

「みんな……。そっか、そこにいるんだな」

 カグヤの目元が自然と緩む。画面の奥では、ジュカインが庭の木の上で腕組みをしながら、不器用そうに一度だけこちらへ頷いた。そして、さらにその背後の池のほとり。水面に溶け込むように静止していたゲッコウガが、一瞬だけ水面を蹴り、画面の中央に姿を現した。

 ゲッコウガは、言葉は発さない。ただ、鋭い眼光でカグヤを見据え、それから自分の胸に拳を当てた。

『お前なら、何ができるか分かっているはずだ』。そう言わんばかりの激励に、カグヤの背筋が伸びた。

「……母さん。今、この街でボロボロになったシャワーズを助けたんだ。でも、この街の大人たちは、その子を『不純物』だって呼んで捨てようとしてる。……俺、やっぱり納得いかないんだ」

 カグヤの言葉に、セレナは聖母のような微笑みを浮かべた。背後では、カイリューたちが「そうだそうだ」と言うように頷いている。

『カグヤ。強さっていうのはね、誰かを打ち倒す力だけじゃないわ。汚れた場所に飛び込んで、誰かの悲鳴を拾い上げる勇気も、立派な強さなのよ』

 セレナは、画面の向こうに集まったポケモンたちを見渡してから、真っ直ぐにカグヤを見つめた。

『無理はしちゃダメよ。でも、あなたが「家族」だと思った存在のためなら、全力で戦いなさい。カロスのみんなも、あなたの帰りを待ってるんだから』

「……ありがとう。元気出たよ。みんなも、母さんをよろしくな!」

 

 通話を終えたカグヤの瞳からは、迷いが消えていた。部屋に戻ると、ちょうどシャワーズが「……シャ、ァ……」と細い声を上げ、瞳を開けたところだった。

 真っ先に向かった視線は、泥に汚れながら自分を見守り続けたシオンだった。

「シャワーズ、落ち着いて。ここは安全よ」

 シオンが優しく声をかけると、ルカリオがその波導を介して、シャワーズの伝えたい想いを言葉に変換し始めた。

『……光る塔……。あそこは、浄化の場所じゃない。僕たちの命を削って……水を無理やり「純粋」にしている、牢獄なんだ。まだ、たくさんの仲間が……底で震えてる……』

 その真実に、シオンは唇を噛み締めた。

「……不合理だわ。生態系を壊してまで手に入れる透明度なんて、ただの死んだ水よ」

「シオン。……この子の治療、あとどれくらいかかる?」

 カグヤの問いに、シオンは即座に答えた。

「安定するまであと3時間は必要よ。一歩も動かせないわ」

「わかった。じゃあ、その3時間は俺たちが『門番』だ」

 カグヤはウパーをスリングに収め、ルカリオと共に部屋の入り口に立った。

「ナオ、お前はシオンのサポートだ。ナエトルの『リフレクター』で部屋を守れ。管理局のドローンをあれだけ壊したんだ。……掃除屋が来る頃だろうからな」

「は、はい! 任せてください、兄貴!」

 ナオが気合を入れた瞬間、夜の廊下に軍靴の音と、機械的な駆動音が近づいてきた。窓の外ではサーチライトが蠢き、宿を包囲し始めている。

「……カグヤ、ごめんなさい。私の勝手で、あなたたちを」

 シオンが背中に声をかける。カグヤは振り返らず、ただ親指を立てて笑ってみせた。

「勝手なのは俺も一緒だ。……さあ、ルカリオ。母さんたちから『全力で戦え』って許可が出た。……掃除の時間だ」

 ルカリオが低く唸り、その掌に凝縮された波導の光が、暗い廊下を青く照らし出した。

 管理局の強襲。そして、カグヤ一行による、命を懸けた「宿屋防衛戦」の幕が切って落とされた。

 

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