ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
崩落する地下施設の轟音が、足元から地鳴りのように響いてくる。
カグヤたちは、シャワーズが作り出した水の防壁に守られながら、崩れゆく階段を駆け上がった。背後で地下空間が完全に水没し、空気が押し出される不気味な音が響く。ようやく地上へと這い出した一行を待っていたのは、朝日を浴びて輝くはずの、しかし今は混乱に包まれたミナモシティの異様な姿だった。
街の中央を流れる運河からは、逆流した濁った水が溢れ出し、白亜の石畳を汚していく。その中心部、街の象徴であるはずの浄化塔の前には、自らの汚職と非人道的な実験を隠蔽しようと、武装した管理局の精鋭部隊を率いる市長が、憎悪に満ちた瞳で待ち構えていた。
「……出てきたか、街の不純物どもめ。貴様らが地下を壊したせいで、私の完璧な秩序が台無しだ。美しく、汚れなき私のミナモシティが、このような泥水にまみれるとは……!」
市長の叫びを、カグヤは冷ややかな、射抜くような視線で聞き流した。カグヤの腕の中には、最深部で間一髪救い出した一匹のゼニガメがいた。
そのゼニガメの姿は痛々しかった。長年にわたる過酷なエネルギー抽出の代償として、本来は頑丈なはずの甲羅には無数のひびが入り、手足は小刻みに震えている。だが、カグヤを見上げるその瞳には、暗い檻の中で絶望していた自分を見つけてくれた少年への、消えかけの灯火のような、それでいて確かな信頼が宿っていた。
カグヤは、膝まで浸かるほどの運河の溢水の中に、ゆっくりと屈み込んだ。
「……ナオ、この子を頼む。まだ身体が冷え切ってるんだ。ナエトルの『こうごうせい』の光を少し分けてやってくれ」
「あ、兄貴……。でも、あいつらは僕が食い止めます! 兄貴にばかり格好いいところを譲ってられません!」
ナオが拳を握り、気合を入れようとする。だが、カグヤは静かに首を振った。
「いいから。お前はさっき、地下で立派に仲間を助けたろ? 今、この子の命を守れるのは、お前のナエトルだけだ。……頼む、俺の『家族』を守ってやってくれ」
カグヤの、静かだが拒絶を許さない「家長」としての言葉に、ナオは圧倒されたように深く頷き、震えるゼニガメをそっと抱きかかえた。
その瞬間、ゼニガメは不安に駆られたのか、カグヤの服の裾を小さな口で、一生懸命に噛んだ。行かないでくれ。また、あの暗い場所に置いていかないでくれ。声にならない叫びが、カグヤの波導を通じてダイレクトに伝わってくる。
「……心配すんな。どこにも行かないよ」
カグヤはゼニガメの目線に合わせて腰を下ろし、その傷だらけの頭を、壊れ物を扱うかのような手つきで優しく撫でた。
「お前、あんな暗くて冷たいところで、たった一人でずっと頑張ってきたんだろ。誰にも褒めてもらえなくても、今日まで生きてきた。……それは、どんなポケモンのリーグ優勝よりもすごいことなんだぞ」
ゼニガメの瞳が、驚いたように大きく開かれる。
「だったらさ、これからは俺と一緒に、もっと広い世界を見に行こうぜ。世界には、この街の水道水なんかより、もっとキラキラした海や、もっと美味い果物がたくさんあるんだ。腹一杯食って、陽の当たる場所で、泥だらけになって昼寝してさ。……どうだ? 俺の『家族』にならないか?」
ゼニガメは、じっとカグヤの瞳を見つめ返した。少年の波導は、これまで自分を縛り付けていた機械の冷たさとは正反対の、太陽のような暖かさを湛えていた。
ゼニガメは噛んでいた裾をゆっくりと離し、精一杯の力を振り絞って、空に向かって鳴いた。
「ゼニッ、ゼニィッ!!」
それは、ただの鳴き声ではなかった。自らの意志で、この少年と共に歩むと決めた、誇り高き「家族」としての宣誓だった。
「……交渉成立だな。ようこそ、俺たちのチームへ」
カグヤが立ち上がると同時、隣に立つシオンの周囲の空気が、パチパチと弾けるような緊張感に包まれた。彼女の足元では、シャワーズが作り出した水の輪が、激しい怒りに呼応するように高速回転を始めている。
「……シオン。パフェの代金、高くつくぞ」
「ええ。この街に溜まった『汚れ』は、市長が信奉するような偽りの管理なんて不確かなものじゃ、一生落とせやしない。……私たちの不合理な、純粋すぎる怒りで、その醜いプライドごと根こそぎ洗い流してあげるわ」
シオンは泥で汚れたシャツの袖を捲り、かつてこの街で「アクア家のお嬢様」と呼ばれていた頃には決して見せなかった、苛烈な戦士の表情を浮かべた。
「全隊、攻撃開始! ターゲットはアクア家の残党と、あの不潔なガキどもだ! ミナモシティの秩序を乱す不純物を、一滴残らず抹消せよ!!」
市長の狂気じみた号令が響き渡る。管理局の精鋭たちが繰り出したのは、強力な電撃を操る「レントラー」や、重厚な装甲を持つ「ボスゴドラ」。彼らはカグヤたちを物理的に圧殺せんと、容赦なく距離を詰めてくる。
カグヤは、スリングの中で不安そうに動くウパーを一度だけ強く抱きしめ、それから前方の敵軍を、迷いなく指差した。
「ルカリオ、ハッサム! 新しい弟分に、俺たちの……『家族の戦い方』を教えてやれ!」
カグヤの叫びに呼応し、青い閃光と紅い鋼鉄が、朝焼けのミナモシティに解き放たれた。
一匹のゼニガメを新たな「家族」に加えた一行。街の本当の未来と、汚された水の誇りを取り戻すための、最後の逆襲がいま、幕を開けた。