ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
深緑の回廊、ゼニガメの初仕事
白亜の都市ミナモシティが地平線の彼方に消え、一行の周囲は急速に濃密な緑へと塗り替えられていった。
目指すは、巨木の上に築かれた空中都市『フォレスタル』。だが、そこへ至る道は「深緑の回廊」と呼ばれる、地図すらまともに機能しない広大な原生林に阻まれている。
「……計算外だわ。この湿気、電子地図の補正が追いつかないほど磁場が乱れている。それに、この気温……」
シオンが額の汗を拭いながら、不機嫌そうに端末を睨む。彼女の服は、数時間の行軍ですでに泥と草の汁に汚れ、お嬢様然とした面影は薄れていた。
「へへ、シオンさん。都会の道路とは勝手が違うでしょ。ナエトル、少し風を送ってやれ」
「ナエッ!」
ナオが元気に声をかけるが、彼自身も足取りは重い。背負った大きなリュックが、容赦なく体力を削っていた。一方、カグヤはウパーをいつものようにスリングに収め、周囲の波導を読み取りながら、淀みのない足取りで進んでいた。
「……そんなにカリカリすんな。森には森の歩き方がある。なあ、ルカリオ」
ルカリオは無言で頷き、鋭い眼光で木々の隙間を警戒している。その後ろを、トコトコと一生懸命に追いかけてくるのが、新しく家族になったゼニガメだった。
「ゼニッ、ゼニィ……」
まだ完全に回復しきっていない小さな体で、ゼニガメは必死に歩いていた。ミナモシティの冷たい檻の中にいた彼にとって、この湿った土の感触も、肌を刺すような草の匂いも、すべてが新鮮で、そして少しだけ恐ろしいものだった。
突然、カグヤが足を止めた。
「……水だ。ルカリオ、この先に沢があるな?」
ルカリオが頷く。だが、そこへ至る道は、太く硬い蔦が複雑に絡み合い、まるで意志を持つ城壁のように一行の行く手を阻んでいた。
「ハッサムを出して切り開くか……」
カグヤがボールに手をかけたその時、ゼニガメが「ゼニッ!」と制するように前に出た。
ゼニガメは蔦の根元の入り組んだ隙間に顔を突っ込んだ。暗い檻の中で、わずかな隙間から外の世界を伺っていた彼には、強固な壁の中にある「脆い継ぎ目」を見つける天性の勘が備わっていた。
ゼニガメは蔦の結合部のわずかな窪みに、精密な狙いで『みずでっぽう』を撃ち込んだ。単に水をかけるのではない。一点に集中させた高圧の細い水流を、蔦が絡み合う「要」の隙間に楔(くさび)のようにねじ込んだのだ。
内部から水圧をかけられた蔦の壁が、ギチリ……と音を立てて緩む。わずかに生まれたその隙間に、ゼニガメは素早く手足を引っ込め、甲羅の状態のまま滑り込んだ。そしてその場で『こうそくスピン』の要領で鋭く回転。遠心力と鋼のような甲羅の硬度が、内側から蔦の結合を弾き飛ばし、パズルのピースが外れるように、音を立てて蔦の壁が崩れ落ちた。
「……へぇ。自分の体格と回転を活かしたわけね。効率的な判断だわ」
シオンが感心したように呟く。ゼニガメがこじ開けた先には、水晶のように透き通った小さな沢が流れていた。
「いい場所だな。今日はここでキャンプにしよう」
カグヤの言葉に、ナオが歓声を上げて荷物を下ろす。ゼニガメは、自分が役に立てたことが嬉しいのか、少しだけ誇らしげに胸を張り、沢の水で汚れを洗い流し始めた。
カグヤは沢の水を手に取り、その温度を確かめる。
「……いい水だ。ミナモシティの『死んだ水』とは大違いだぞ、ゼニガメ」
カグヤが笑いかけると、ゼニガメは嬉しそうに『みずでっぽう』を空に向かって放った。
だが、その穏やかな時間は長くは続かなかった。
波導を巡らせていたルカリオが、突如として低い唸り声を上げ、森の奥を見据えた。
ガサリ、と巨大な何かが動く音が響く。
「……何かが来る。それも、一匹じゃない。……囲まれたな」
カグヤの声から余裕が消える。
木々の影から現れたのは、真っ赤な眼をした数匹の「コノハナ」、そしてその後方から威圧的な風を纏って現れた、森の自警団長・ダーテングだった。
『汚らわしい人間ども……。この森に、お前たちの居場所はない。立ち去れ、さもなくば、森の土に還してやろう』
ルカリオを介して伝わってきたのは、剥き出しの拒絶と敵意だった。フォレスタルへの道。その最初の関門が、今、音を立てて閉ざされようとしていた。