ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
樹海の湿り気が、乾いた砂の匂いに混じり始める境界線。一行は、岩壁の隙間から細く流れ落ちる天然の湧き水が、小さな池を作っている場所を見つけた。
「よし、今日はここまでだ! キャンプにするぞ!」
カグヤが力強く宣言した。まだ日は高い。シオンが怪訝そうに端末の時計を確認する。
「カグヤ、予定より三時間は早いけれど? 次の街まで距離があるし、もう少し進めるはずよ」
「シオン、お前は分かってないな。見てみろ、この乾燥した空気を。ウパーの肌にとって、急激な湿度の低下は天敵なんだ。この水場を逃したら、ウパーの『ぷにぷに感』が損なわれる可能性がある!」
カグヤは真剣な眼差しで、頭の上で「ぱぁ~」とのんびり欠伸をしているウパーを指差した。そのあまりに切実な訴えに、シオンは「……私の計算に『ウパーの保湿』という変数は入っていなかったわ」と溜息をつき、アリアドスと共に設営の準備を始めた。
カグヤの動きは迅速だった。荷物から手際よく特製のボウルと、いくつかの薬草を取り出す。
「いいか、ウパー。今から特製の保湿ローションを作ってやるからな。きずぐすりをベースに、フォレスタルで分けてもらったオレンの実のエキスを配合して……よし、完璧だ」
カグヤは池のほとりに座り込み、ウパーを膝の上に乗せた。そして、自ら調合したローションを手のひらで温め、ウパーの青い肌に優しく塗り込んでいく。
「ああ……この吸い付くような質感。やっぱりウパーはこうじゃないとな。ルカリオ、そっちのタオルを貸してくれ」
ルカリオが呆れつつも、甲斐甲斐しく手伝う様子を、シオンは少し離れた場所から観察していた。
「……不思議ね。カロスリーグでしのぎを削った少年が、一匹のウパーの肌質にここまで心血を注ぐなんて。でも、見て」
シオンがナオに促す。カグヤに磨かれ、水浴びを楽しんでいたウパーが、いつの間にか池に集まってきた野生のニョロモやコダックたちの中心にいた。
ウパーは何かを指示するように短く鳴くと、野生のポケモンたちが一斉に動き、カグヤたちが夕飯の準備をしやすいように、焚き火用の流木を岸辺に押し上げ始めたのだ。
「ウパーが、あの子たちを動かしているの……?」
「ああ。兄貴のウパーは、ただ可愛いだけじゃないんだ。あの子がいるだけで、周りのポケモンたちの波導が整うっていうか……。兄貴がウパーを大事にするのは、あの子が『何もしないことで、すべてを解決する』強さを持ってるからなんだって」
ナオの言葉に、シオンは目を見開いた。カグヤがウパーを抱きしめ、頬ずりしている姿は、一見すれば単なる親バカに見える。しかし、そのウパーを介して、カグヤ自身の波導もまた、鏡のような静寂を取り戻していることに気づいた。
「オフの状態の彼を支えているのは、単なる癒やしじゃない。自分とは正反対の『静』の極致にある存在への、深い敬意なのね」
手入れを終えたウパーが、満足げにカグヤの膝から飛び降り、池のポケモンたちと水遊びを始めた。カグヤはそれを、どこか誇らしげな、そしてこの上なく優しい目で見守っている。
「……さて、ウパーのコンディションも整ったことだし、飯の準備にするか! ナオ、手伝ってくれ!」
「うん!」
焚き火の爆ぜる音と、水辺で遊ぶポケモンたちの声。
戦場での「オン」の顔を完全に消したカグヤは、ただの少年として、仲間たちと笑い合っていた。シオンもまた、手元の端末を閉じ、アリアドスの頭を撫でながら、その不合理で温かな光景の中に、自分の居場所があることを静かに感じていた。
荒野の戦いが始まる前の、短くも代えがたい「青き癒やし」の時間。
カグヤの心は、ウパーの弾力と共に、次なる困難を跳ね返すための柔軟さを取り戻していた。