ポケットモンスター 遥かなる高みへ   作:色即是空

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氷の祠編
絶対零度の警告


 ガンスモークの街を背にしてから三日。見渡す限りの赤茶けた大地は、いつしか命の気配を完全に拒絶する「白」へと変貌しつつあった。

 砂漠の熱風は、ある一点の境界を境に、肺の奥まで凍てつかせるような鋭い冷気へとその性質を変えている。それは気象現象というよりは、何者かの明確な意志によって切り裂かれた世界の裂け目のようだった。

 

「……ありえない。計算が崩壊しているわ」

 シオンが歩みを止め、端末のホログラムを激しく操作しながら、苦々しく呟いた。彼女の周囲では、相棒のシャワーズが自身の水分を凍らせないよう、細かく体表の温度を調整しながら周囲を警戒している。

「シオンさん、これ……霧じゃなくて、氷の粒ですよ。見てください、服に刺さるみたいだ」

 ナオが防寒具の襟を必死に立てながら、空中に舞うキラキラとした破片を指差す。ダイヤモンドダスト。本来ならば極寒の雪山で見られるはずのそれが、灼熱の砂漠の真っ只中で発生している。異常事態という言葉では片付けられない違和感に、一行の足取りは自然と重くなっていた。

 先頭を行くカグヤの肩の上で、いつもは呑気に欠伸をしているウパーが、心細そうに「うぱぁ……」と鳴いてカグヤの首筋に顔を埋める。そのぷにぷにとした感触が、いつもより冷たく感じられた。カグヤはウパーを優しく撫で、己の体温を分け与えるように抱き寄せる。だが、その視線は極限まで鋭く研ぎ澄まされていた。

 カグヤの「波導」の視界には、物理的な霧の向こう側――「巨大な冷気の渦」が見えている。それは渦巻く憎悪のようでもあり、あるいは全てを拒絶する絶対的な静寂のようでもあった。

 

「カグヤ、これ以上の進行は合理的じゃないわ。一度引き返すべきよ」

 シオンの声が、鋭い風の音に混じって響く。

「この先の気温低下率は異常よ。特殊なフィールド効果か、あるいは伝説級のポケモンの影響下にある可能性がある。……今のあなたの主力、ハッサムとルカリオにとって、この環境は最悪の相性よ。鋼の体は冷気で鈍り、格闘の血は凍りつく。無策で突っ込むのは、敗北を予約するようなものだわ」

 その指摘は、あまりにも正しい。シオンの提示するデータは、常にカグヤの生存率を正確に算出していた。だが、カグヤはその場に立ち止まったまま、視線を霧の奥から逸らさなかった。

「……シオン。アランに負けたあの時のことを、さっき話したよな」

 カグヤの脳裏に、カロスリーグ準々決勝の焦熱が蘇る。先鋒に出されたリザードンの「フレアドライブ」。なす術もなく散っていったハッサムの姿。

「あの時、俺は『相性が悪いから』と自分に言い訳をして、守りに入った。ルカリオやハッサムに無理をさせないための戦術だと自分に言い聞かせて、結局は彼らの可能性を俺が殺したんだ。……目の前の壁が相性だろうが環境だろうが、それを理由に逃げ出した時点で、俺はあの日から一歩も進んでいないことになる」

 カグヤの声は、周囲の冷気とは対照的に、静かな熱を帯びていた。

「マホロバの頂点を目指すなら、相性の壁なんて言葉で立ち止まってちゃいけない。……ルカリオも、ハッサムも、俺と同じ気持ちのはずだ」

 影から音もなくルカリオが姿を現す。その鋭い眼光は、主の決意を代弁するように、吹雪の奥に潜む「何か」を射抜いていた。ルカリオの拳が微かに震えているのは、寒さのせいではない。主の波導と共鳴し、沸き立つような闘志が全身を駆け巡っているからだ。

 

「……本当に、救いようのない石頭ね。データの上書きが必要なのは、あなたの頭の中かもしれないわ」

 シオンは大きなため息をつきながらも、端末のモードを『環境解析』から『戦闘支援』へと切り替えた。口では毒を吐きながらも、彼女の指先はカグヤたちの生存率を1%でも上げるための最適解を探し始めている。

「ナオ、シオン、俺の後ろから離れるな」

 カグヤは腰のベルトから、一つのボールを手に取った。

 放たれた光の中から現れたのは、甲羅に誇り高き傷を持つカメールだ。かつてミナモシティの地下施設で、命を吸い取られかけながらもカグヤに救われたあのゼニガメは、今や一行の「盾」を担う立派な戦士となっていた。

「カメール、頼むぞ。お前の『守り』で、みんなをこの冷気から守ってくれ」

 カメールは力強く頷くと、自身の体に刻まれた「傷」――かつて爆発を抑え込んだあの輝きを白く発光させた。カグヤの波導と共鳴したその光は、周囲の空気をわずかに和らげ、吹き付ける氷の粒を遮断する半透明のドーム状の膜を展開した。

「……すごい、暖かい」

 ナオが驚きに目を見開く。それは単なる水技の応用ではない。カグヤとカメールの「守り抜く」という意志が、極限環境を拒絶する結界を作り出していた。

「行くぞ」

 カグヤを先頭に、一行はついに「境界線」を踏み越えた。

 

 その瞬間、世界から音が消えた。

 砂漠の乾いた音は一切届かなくなり、ただ「ピキピキ」と何かが凍りつく音だけが不気味に響く。視界は数メートル先も見えないほどの白銀に覆われ、カグヤの波導探知にすら、冷たいノイズが走り始めた。

『――愚かなる者よ。熱を抱く者は、この静寂を汚す不純物なり』

 脳内に直接氷を流し込まれるような、冷徹な思念波。

 ルカリオが低く唸り、カグヤと背中を合わせる。

「……不純物で結構だ。その静寂、俺たちの『熱』でブチ抜かせてもらうぜ!」

 霧の奥から、無数の青白い光が浮かび上がった。それは祠の門番たる氷ポケモンたちが放つ、凍てついた殺意の眼差しだった。

 カグヤとルカリオ。そして、かつての敗北を抱えながらも前を向く仲間たち。己の限界を打ち破るための、過酷な修行の幕が上がった。

 

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