ポケットモンスター 遥かなる高みへ   作:色即是空

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シオンの過去と『アクアの残影』

 歯車コロシアムでの勝利から一夜。カグヤの名は「氷の祠を越えた特等枠」として、バラムの街に急速に広まりつつあった。だが、その喧騒を避けるように、一行は街のさらに深部、巨大なパイプラインが複雑に絡み合う「下層居住区」の古びたカフェに身を寄せていた。

 シオンの様子が、今朝からどこかおかしかった。

 いつもなら真っ先に次の対戦相手のデータを読み上げ、カグヤに辛辣なアドバイスを飛ばすはずの彼女が、今は無言で端末を見つめたまま、指先を微かに震わせている。

「……シオン、どうした? 端末の調子でも悪いのか」

 カグヤが声をかけると、シオンは弾かれたように顔を上げた。その瞳には、いつもの冷静さではなく、迷子のような不安が混じっていた。

「……いえ、なんでもないわ。ただ、この街のメインサーバーに、見慣れた署名(シグネチャ)を見つけただけ」

 シオンが提示したホログラムには、バラムの重工業を支える投資グループの紋章が映し出されていた。それは、ミナモシティで没落したはずの彼女の実家、「アクア家」がかつて提携していたシンジケートのものだった。

 

「お嬢様、お久しぶりですな。まさかこんな鉄臭い街でお会いできるとは」

 背後から、不快なほどに懇り(うやうや)しい声が響いた。

 振り返ると、仕立ての良いスーツを纏った中年の男が、数人の護衛を引き連れて立っていた。男の胸元には、先ほどの紋章が刻まれたブローチが光っている。

「……エドワード。どうして、あなたがここに」

 シオンの声が冷たく固まる。男はアクア家が没落する際、真っ先に資産を切り売りし、泥舟から逃げ出した元・財務補佐官だった。

「今の私はバラムの経済顧問です。お嬢様、アクア家が失った『水の権利』……その一部がこのバラムの地下水脈に隠されていることをご存知かな? 私と共に来れば、アクア家の再興も夢ではありませんぞ」

 男の言葉に、シオンの瞳が揺れる。彼女にとって「アクア」の名を取り戻すことは、旅の目的の一つでもあったはずだ。

 男がシオンの手を取ろうと踏み出したその時、カグヤが静かに二人の間に割り込んだ。

 

「……悪いが、こいつは今、俺の旅の参謀なんだ。勝手に連れ出そうとしないでくれるか」

 カグヤの波導が、警告の色を帯びて男を威圧する。

 男は鼻で笑い、カグヤを値踏みするように見た。

「カロスから来た野良犬か。お嬢様、こんな教養のない暴力装置に身を預けていては、アクアの血が汚れますぞ」

「……汚れる?」

 シオンが、低く震える声で呟いた。彼女はカグヤの背中を見つめる。

 ミナモシティの泥沼で、自分とシャワーズを救うために泥まみれになったカグヤの背中。氷の祠で、仲間のために自身の精神を削り続けたカグヤの姿。

「……エドワード。私の『血』が汚れるかどうかは、私が決めるわ」

 シオンは一歩前に出ると、カグヤの隣に並び、毅然と男を見据えた。

「私は今、この世界で最も『不合理』で、そして誰よりも熱いチームに所属しているの。……過去の遺産を切り売りするだけのあなたに、私の価値を決めさせない」

「ふん……。後悔しますぞ。バラムは実力至上主義の街。大会で無様に散り、路頭に迷うのがオチだ」

 男が忌々しげに去っていくのを、ナオとナエトルが「べーっ」と舌を出して見送った。

 

 静寂が戻ったカフェで、シオンは深く、深くため息をついた。

「……ごめんなさい、カグヤ。私の個人的な因縁に巻き込んで」

「気にするな。お前は俺の参謀だろ。……バカにされた分は、次のバトルで完璧な策を立てて、俺たちに勝たせてくれればそれでいい」

 カグヤがぶっきらぼうに言うと、シオンは一瞬だけ驚いたように目を見開き、やがていつもの不敵な微笑みを浮かべた。

「……当然よ。私の演算によれば、次の相手を完膚なきまでに叩き潰す確率は、既に100%に達しているわ」

 その時、カグヤの足元で一部始終を見ていたゾロアが、シオンを励ますように「わんっ!」と鳴き、彼女の足元でくるくると回った。ゾロアの素直な波導が、シオンの強がりの奥にある緊張を、優しく解きほぐしていく。

「ありがとう、ゾロア。……さて、カグヤ。特等枠の次の試合は明日。相手はバラムの衛兵隊長よ。……寝る暇なんてないわよ?」

 シオンの鋭い声が戻り、一行の空気が引き締まる。

 アクアの残影を振り切り、彼女は今、自らの意志でこのチームの舵を取り始めていた。

 

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