ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
潮風の教官と、震える挑戦者
バラムの重苦しい蒸気の匂いを置き去りに、列車はどこまでも続く青い水平線へと突き進んでいた。潮風が窓から入り込み、カグヤの首元のウパーが気持ちよさそうに「うぱぁ……」と目を細める。
到着したのは、マホロバ地方随一の景観を誇る港町「ナギサタウン」。白亜の建物が立ち並び、運河が街中を縦横無尽に巡るこの場所は、鉄とオイルの要塞都市とは真逆の、圧倒的な開放感に満ちていた。
「……ふぅ、やっと空気がまともになったわね」
シオンが大きな伸びをしながら、端末に映し出された地図を指でスライドさせる。
「カグヤ、この街には『潮騒トーナメント』っていう、水上フィールドを舞台にした伝統的な大会があるわ。本戦前の足慣らしには最適よ。ただし、この街の伝統は『タッグバトル』。二体の息が合わないと、波に飲まれて終わるわね」
「ああ、丁度いい。……だが今回は条件がある」
カグヤはホームに降り立つと、腰のベルトに並ぶ四つのボールのうち、エース二体が入ったものに指を触れた。
「ハッサム、ルカリオ。……お前たちはこの街では、原則『見学』だ」
ボールが驚いたように一瞬震える。特に戦意の塊であるルカリオからは、戸惑いの波導が伝わってきた。カグヤはそれを宥めるように、それぞれのボールを優しく叩く。
「お前たちの仕上がりは、もはや教えることがないほど完璧に近い。だが、マホロバの本戦を勝ち抜くには、チーム全体の底上げが必要だ。……カメール、そしてゾロア。この二体がどこまでやれるか、お前たちは『教官』として見守ってやってくれ」
カグヤの意図を汲み取ったのか、ルカリオの波導が静かな納得の色に変わった。
代わりに出されたのは、やる気満々で尻尾を回すカメールと、まだ少し緊張した様子で辺りをキョロキョロと見回すゾロアだ。
「よし、まずは砂浜で実戦特訓だ」
一行が向かったのは、街の南側に広がるサンゴ礁の浜辺。そこでは、地元のトレーナーたちが波打ち際で激しくバトルを繰り広げていた。
「おい、そこの! その格好、カロスかどこかからの新顔か?」
声をかけてきたのは、日焼けした肌に派手なウェットスーツを纏った青年・カイトだった。彼の隣には、しなやかな体躯を持つ『ブイゼル』と、好戦的な目つきの『フローゼル』が、挑発的に首の浮き袋を膨らませて立っている。
「ナギサの海を知らねぇ余所者が、大会に出ても恥をかくだけだぜ。……どうだ、俺がナギサ流の『洗礼』ってやつを教えてやろうか? 2対2のタッグバトルでな!」
「……願ってもない。カメール、ゾロア、行けるか?」
「カメェッ!」
「く、くぅん……」
気合十分のカメールとは対照的に、ゾロアは腰が引けている。カグヤはあえて何も言わず、期待を込めた視線で二体を送り出した。
「ブイゼル、フローゼル! 『アクアジェット』の波状攻撃だ!」
カイトの号令とともに、二体の進化系統が水流を纏い、弾丸のような速さで突っ込んでくる。
「カメール、『てっぺき』でゾロアを守れ!」
カメールは甲羅に閉じこもり、衝撃に備える。バラムの防衛戦で培った重厚な防御。直撃の瞬間、鈍い金属音が響くが、カメールは一歩も引かない。
「へぇ、硬いな! だが、ナギサのバトルは『止まってる』奴から沈むんだよ! フローゼル、カメールを飛び越えて後ろのチビを叩け!」
フローゼルがカメールの甲羅を足場にして高く跳躍した。
「ゾロア、変身して撹乱しろ!」
カグヤの指示に、ゾロアが慌てて飛び出す。ゾロアは一瞬でルカリオの姿に変身し、威嚇するように吠えた――が、足元の慣れない砂に足を取られ、踏ん張りが効かない。
「あわわ……」
波導のプレッシャーを模倣しようとしたが、経験不足ゆえに中身が伴わない。一瞬で変身が解け、素の姿に戻ってしまう。その隙を逃さず、フローゼルの強烈な『アクアカッター』がゾロアの胴体を見舞った。
「きゃんっ!」
ゾロアが砂浜を転がり、カメールもまた二体の連携に翻弄されて体勢を崩す。
「ハハハ! なんだよ、特等枠だなんだって噂を聞いてりゃ、この程度か?」
カイトは勝ちを確信し、鼻を鳴らした。
「おい、トドメだ! その弱そうなゾロアを海まで吹き飛ばしてやれ! 泣きながらカロスへ――」
カイトが追い打ちの指示を出そうとした、その瞬間だった。
カグヤの背後から、一切の感情を排した、暴力的なまでの「圧」が放たれた。
いつの間にかボールから出ていたハッサムとルカリオが、カグヤの両隣に音もなく立っていたのだ。
ハッサムは鋭い鎌をゆっくりと開き、その装甲から陽炎のような闘志を立ち昇らせている。ルカリオは閉じた目から漏れ出すような濃密な波導を放ち、ただ静かに、カイトと二体のポケモンを「凝視」した。それは「これ以上、俺たちの仲間に手を出すな」という無言の警告だった。
「ひっ……!?」
カイトの言葉が喉に張り付いた。
ブイゼルとフローゼルは、先ほどまでの威勢が嘘のように毛を逆立て、一歩、また一歩と後ずさり始める。本能が告げていた。目の前にいる二体は、自分たちがこれまで戦ってきた相手とは次元が違う。一撃でもその「機嫌」を損ねれば、次の瞬間には砂浜の一部にされる。
「あ、いや……その、な、なにもそこまで怒らなくても……」
カイトの顔からみるみる血の気が引き、ウェットスーツの下で膝がガクガクと震え始める。
「……ハッサム、ルカリオ。手出しは無用だと言ったはずだ。戻れ」
カグヤが静かに制すると、二体は不満げに鼻を鳴らし、威圧感を霧散させてカグヤの背後へ下がった。
「……あ、ああ。……ま、まあ、今日のところはこれくらいにしておいてやるぜ!」
カイトは震える手でポケモンたちをボールに戻すと、虚勢を張るように、だが足元をふらつかせながら叫んだ。
「運が良かったな! 俺も忙しい身なんだ、次はこうはいかないからな! あばよ!」
転がるようにして砂浜を走り去るカイトの姿は、滑稽そのものだった。
静かになった砂浜で、カグヤは倒れ込んだゾロアを抱き上げ、砂を払う。ゾロアは申し訳なさそうに耳を伏せ、カメールも悔しげに俯いていた。
「……カメール、ゾロア。悔しいか?」
カグヤの声は冷たくはなかった。むしろ、彼らの悔しさを共有するような温かさが混じっていた。
「ハッサムたちが見せたあの『圧』……あれは、彼らが積み重ねてきた経験と自信だ。お前たちにも、それだけの力は必ずある。ただ、今はまだ出し方を知らないだけだ」
ルカリオが厳格な師のように、ゾロアの目をじっと見据える。ハッサムは励ますようにカメールの甲羅を軽く叩いた。
「このナギサの海で、自分たちの戦い方を見つけよう。ハッサムたちが助けに入る必要がないくらい、強くなればいい」
潮騒の音が響く中、カグヤと二体のポケモンたちの、未来への一歩が始まった。