ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
断崖の空気が、重力波によって軋(きし)んだ。
密猟組織が展開した不可視の圧力は、岩肌を砕き、宙を舞う雪さえも地面へと叩き落とす。高度な機動性を誇っていたヤヤコマも、その見えない重圧に翼をもぎ取られたかのように、断崖の中腹へと墜落していく。
「ぐっ……身体が、動かない……!」
ナオが膝をつき、抱えたばかりのエアームドのボールを死守するように身を丸める。シオンもまた、激しい負荷に呼吸を乱し、端末を操作する指を震わせていた。
その絶望的な静寂の中、トボトボと、雪を踏みしめる音が響いた。
「ウパー……! 戻れ、死ぬぞ!」
カグヤの叫びは、重圧によって遮られる。カグヤ自身もまた、ハッサムとルカリオの二体に過負荷をかけ、この重力を「力」で強行突破しようと波導を極限まで高めていた。
だが、ウパーは止まらなかった。
重力に押し潰されるどころか、その小さな体は、まるであたたかな春の陽だまりの中にいるかのように、軽やかですらあった。
ウパーの瞳が、カグヤを見つめた。
いつも通り、のんびりとした、何の争いも知らない瞳。けれど、その奥には、ボロボロになった仲間たちと、自分を愛してくれたカグヤのために「一歩」を踏み出した、強固な意志が宿っていた。
「ハッ……!」
ハッサムが、ウパーの前にハサミを突き立てた。重力に耐え、全身の装甲を悲鳴させながらも、エースとしての本能がウパーを試す。
(この殺気の渦巻く戦列に加わるつもりか。お前のような小さな者が、傷つく覚悟があるのか)
ハッサムの紅い眼光が、冷徹なまでの「問い」としてウパーを貫く。
ウパーは、逃げなかった。
震える足で、ハッサムのハサミの先を見つめ返し、一歩、また一歩と前へ。
その瞬間、ウパーを中心に、蒼い波導の輪が波紋のように広がった。
「波導が……鎮まっていく?」
カグヤは目を見開いた。
それは、カグヤが持っていたような「鋭利な力」ではない。ましてや、進化による強大なエネルギーでもない。
相手のランク変化も、周囲の狂気も、理不尽な重力さえも「ただの無」へと帰す、絶対的な平穏。
特性『てんねん』が、カグヤの波導と共鳴し、戦場全体を覆う『不屈の凪(なぎ)』へと昇華したのだ。
「……嘘でしょう。重力波の干渉を、ただの存在感だけで中和したっていうの……!?」
シオンが驚愕の声を上げる。
自由を取り戻したヤヤコマが、ハッと空中で体勢を立て直した。
眼下で、自分より遥かに小さく、弱いはずのウパーが、全ての圧力をその身で受け止め、自分たちの進むべき道を切り開いている。
「ヤヤコマ! 今だッ!」
カグヤの激昂が、断崖に響き渡った。
凪の中で唯一、ヤヤコマだけがその追い風を受けた。紅い翼が再点火し、ブレイブバードの輝きを纏う。
重力装置を失った飛行艇の動力部へ、ヤヤコマは一筋の流星となって突き刺さった。
大爆発と共に、飛行艇が断崖の彼方へと墜落していく。
静寂が戻った。
雪が、再び静かに降り始める。
ウパーはふぅ、と小さく息を吐くと、力尽きたようにその場にぺたんと座り込んだ。
カグヤは駆け寄り、泥と雪にまみれた小さな相棒を、壊れ物を扱うように抱き上げた。
「……悪かった、ウパー。お前を、守られるだけの存在だと思ってたのは、俺の傲慢だったな」
ウパーはカグヤの腕の中で、嬉しそうに、けれど少しだけ誇らしげに目を細めた。
その頭上に、一羽の紅い鳥が舞い降りる。
ヤヤコマは、カグヤの腕の中にいるウパーをじっと見つめた後、カグヤの差し出した空のモンスターボールを、自らの嘴(くちばし)で静かに叩いた。