ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
極光の断崖を下り、本戦の舞台へと続く麓の森。
静謐な木立の中に、鋭い火花と、場違いな「パチャリ」という水の音が交互に響いていた。
「ウパー、もう一度だ! 『どろばくだん』!」
カグヤの号令に、ウパーは短い足を雪に踏ん張った。口から放たれた泥の塊が、空中で頼りない放物線を描き、対峙する「赤」と「青」へと向かう。
ハッサムとルカリオ。カグヤの「矛」と「静」を象徴する双璧は、その場から動かなかった。飛来する泥は、ハッサムの硬質の胸甲に当たり、弱々しく弾けて地面に落ちる。
(……これを、どう受ければいいのだ)
ハッサムの眼が、困惑に揺れていた。カグヤの指示は「本戦を想定した実戦特訓」だ。だが、相手はこれまで自分たちが守り、慈しんできた、あの小さな「凪」である。ハッサムがその気になれば、バレットパンチの風圧だけでウパーを吹き飛ばせてしまう。しかし、カグヤの瞳は真剣そのものであり、ウパーもまた、その丸い瞳に一切の揺らぎを見せず、自分たちを見上げている。
(ハッサム、剣気が鈍っているぞ。迷いが波導を乱している)
隣で静かに構えるルカリオが、波導を通じて諫めるように告げた。ルカリオは波導の使い手として、対峙するウパーの「異質さ」をより深く感知している。
(分かっている。だがルカリオ、貴殿こそどうなのだ。その掌の波導が、戸惑いで微かに震えているぞ)
(……否定はできんな。見ていろ、あの瞳を)
ルカリオが示す先――ウパーは、二体が放つ圧倒的なプレッシャーを前に怯えるものの、それでもそのプレッシャーを受け流していた。
ハッサムがどれほど殺気を尖らせても、ウパーの特性『てんねん』は、その威圧を無効化し、空気の震えへと変えてしまう。
「ハッサム、ルカリオ! 手加減は無用だと言ったはずだ!」
カグヤの声が飛ぶ。
「ウパーが求めているのは、俺たちの『列』に加わるための力だ。お前たちが迷っていては、アイツの覚悟に応えられないぞ。壊すつもりで、その『理』をぶつけてやれ!」
その言葉に、双璧の空気が変わった。
ハッサムが鋭くハサミを打ち鳴らし、ルカリオが青い波導を身に纏う。
今度はルカリオが動いた。目にも止まらぬ速さの「はっけい」が、ウパーの至近距離に打ち込まれる。雪が爆ぜ、衝撃波がウパーを襲うが、ウパーは『ドわすれ』による独特の精神集中でその衝撃を内側からいなし、即座に『どろあそび』で地面を滑りやすく変え、ハッサムの突進の機先を制した。
「……シオン、どう思う?」
木陰で見守っていたナオが、隣の軍師に尋ねた。
「ウパーのポテンシャルは、私たちの想像を超えているわね。ハッサムやルカリオにとっては、真剣で綿菓子を斬れと言われているような感覚でしょうけど……見て。あの二体、少しずつ『加減』ではなく『ウパー専用の打ち込み』に切り替え始めたわ」
特訓が数時間を経過した頃、ウパーは肩で息を切り、雪の上にぺたんと座り込んだ。
ハッサムとルカリオは、互いに顔を見合わせた。自分たちの技を受けてなお、ウパーの瞳には「凪」が宿っている。それどころか、二体の強大な力に晒されることで、その凪の範囲はより広く、より深くなっていた。
「ハッサム、ルカリオ。今の対応でいい」
カグヤが歩み寄り、二体の肩に手を置いた。
「ウパーに、お前たちの代わりを求めているわけじゃない。俺が欲しいのは、最強の矛であるお前たちが、何の憂いもなく全開で暴れ回るための土壌――すなわち『絶対的な平穏』だ。……ウパー、よくやった。お前の『天然』、この二体にもしっかり届いたみたいだぞ」
ウパーはカグヤの手のひらに頬を寄せ、満足そうに喉を鳴らした。
最強の双璧と、彼らの攻撃を涼しく受け流し続けたウパー。
戸惑いの霧が晴れたとき、三体の間には「格上と格下」ではなく、一つの完成された「戦陣」としての新しい絆の理が結ばれようとしていた。