ポケットモンスター 遥かなる高みへ 作:色即是空
「ギ、ギルガルド、戦闘不能! ハッサムの勝ち!」
スタジアムを揺るがす大歓声の中、セレネは震える手でギルガルドをボールへと戻した。
自慢の戦術、完璧な計算、そしてトリックルームという絶対の檻。そのすべてが、カグヤの「波導による気配の隠蔽」と「本物のハッサムの投入」という、計算の外側からの欺瞞によって瓦解した。
「……信じられない。私のギルガルドが、フォルムチェンジの隙を完璧に突かれるなんて。カグヤ選手、あなたは本当に……底が知れない男ね」
セレネは深く息を吐き、手に持っていた扇を静かにポケットへと収めた。その顔から妖艶な笑みは完全に消え去り、代わりに一人の勝負師としての凄絶な覚悟が宿る。
「でも、私の計算が狂わされたのなら、ここからは純粋な『力』であなたをねじ伏せるだけよ! 歪んだ空間よ、最後の力を私に貸しなさい!」
セレネが最後の手札をフィールドへと叩きつける。
「行きなさい! ブルンゲル!」
現れたのは、大きな王冠のような頭部を持つ、不気味で巨大な霊体のクラゲだった。ゴースト・水タイプ。トリックルームの紫の光が、ブルンゲルの出現と同調するように怪しく明滅する。空間が消滅するまでの残り時間はわずか。セレネはそのすべてを、この大将に懸けていた。
「ハッサム、戻れ。――ヒノヤコマ、もう一度お前の風を吹かせろ」
カグヤの声に応じ、紅い翼が再びフィールドに舞い降りた。
先ほど大活躍したハッサムをあえて下げ、進化前のヒノヤコマを再び投入する。その選択に、客席のシオンは小さく頷いた。
「トリックルームの持続時間はあとわずか。カグヤは空間が切れた瞬間に、一気に勝負を決める気ね。ブルンゲルの耐久力を、ヒノヤコマの機動力でどう崩すか……」
「先手は譲らないわ! ブルンゲル、『しおふき』!!」
セレネの鋭い命令。
トリックルームの歪んだ理の元、鈍重なはずのブルンゲルが信じられない速度で動き出した。その巨大な身体から、スタジアム全体を飲み込むほどの圧倒的な濁流が、高波となってヒノヤコマへと押し寄せる。水タイプを弱点とするヒノヤコマにとって、それは触れれば即座に撃墜される死の波だった。
「受けに回るな。上空へ『追い風』」
カグヤの「オン」の波導が、ヒノヤコマの翼へと直結する。
ヒノヤコマは濁流の激しい水しぶきを浴びながらも、狂暴な上昇気流をスタジアムの天井へ向けて一気に爆発させた。押し寄せる波のトッププレッシャーを、文字通り紙一重の高度でかわし、スタジアムの最上空へと逃れる。
「逃がさないわ! 『ハイドロポンプ』で叩き落としなさい!」
ブルンゲルが天を仰ぎ、凝縮された水の激流をレーザーのように撃ち上げる。
だが、その瞬間。
スタジアムを包んでいた紫の立方体が、ガラスが割れるような音を立てて木端微塵に砕け散った。
「――トリックルーム、終了よ」
シオンが呟く。
空間の理が元に戻った。
そして今、ヒノヤコマが事前に展開した『追い風』の爆発的な加速が、正常な空間へと還元される。
「仕留めるぞ、ヒノヤコマ」
カグヤの静かな、しかし絶対の確信に満ちた声。
「『ソーラービーム』」
上空のヒノヤコマの嘴に、スタジアムの照明、そして天井の隙間から差し込む太陽の光が一瞬で収束する。初戦で見せた、溜め無しの神速の一閃。
ブルンゲルが放った『ハイドロポンプ』の激流を、上空から放たれた純白の熱線が正面から真っ二つに切り裂いた。
「なっ……激流が押し戻される……!?」
セレネが目を見開く。
光の奔流はハイドロポンプを完全に蒸発させ、そのままブルンゲルの巨大な身体へと直撃した。水タイプにとって致命的な、容赦のないエネルギーの塊。
「ギィィアアアッ!?」
ブルンゲルが悲鳴を上げ、その巨体が激しく発火する。だが、ブルンゲルは高い耐久力を誇る大将だ。凄まじい爆煙を上げながらも、執念でフィールドに踏みとどまろうとする。
「まだよ! 耐えなさいブルンゲル! 『自己再生』で――」
「終わらせろ。『ニトロチャージ』」
セレネの指示が響くより早く、上空から「紅い流星」が突き刺さった。
追い風の加速、そしてソーラービームの反動を利用して、ヒノヤコマが極限の速度で垂直落下してきたのだ。全身に烈火の炎を纏い、弾丸となったヒノヤコマが、ブルンゲルの胸元へと正面から激突する。
ドガァァァン!!!
スタジアムに爆炎が咲き乱れた。
再生の暇さえ与えられない、完璧なタイムラグなしの二連撃。ブルンゲルの巨体が今度こそ力なく崩れ落ち、フィールドの水たまりへと沈んでいった。
「ブ、ブルンゲル、戦闘不能! よって、勝者――カグヤ選手!!」
一瞬の静寂の後、スタジアムは初戦をも超える、割れんばかりの歓声とスタンディングオベーションに包まれた。
「決まったあぁぁーっ!! トリックルームが切れた一瞬の隙を見事に突き、進化前のヒノヤコマが圧巻のコンビネーションで大将ブルンゲルを完全粉砕!! カグヤ選手、完璧な戦術の檻をブチ破り、準決勝進出です!!」
「うぱー」
カグヤの頭の上で、ウパーが我が事のように誇らしげに胸(首)を張った。足元に戻ってきたヒノヤコマも、小さく羽を震わせて勝鬨を上げる。
セレネは呆然と天を仰ぎ、それからフッと艶やかな笑みを戻してカグヤを一瞥した。
「完璧に負けたわ。私の計算を、その不揃いな翼で全部狂わせていくんだもの。……カグヤ選手、次の準決勝、楽しみに見せてもらうわね。あそこからは、本当の『怪物』たちの巣窟よ」
「あぁ。受けて立つさ」
カグヤは静かにフィールドを後にした。
次なる舞台は準決勝。ここからは、マホロバの「最終進化・能力至上主義」の頂点に立つエリートとの、6vs6のフルバトルが待っている。
かつてカロスで散ったハッサムとルカリオの双璧が、そしてウパーが作った「凪」の戦場が、いよいよその真価を発揮する時が近づいていた。